ポッドキャスト200回記念の意義
真夜中、コンビニの駐車場で。このポッドキャストは、1つの場所を72時間にわたって定点観測する、某公共放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、番組についての感想や愛を語ります。
今回は、勝手にひとりでしゃべるラジオということで、200回記念ですね。
ひとりでしゃべってみましょうという、そのままの回になっております。
前編の本田くんのが、もうすでに公開されていると思うんですけれども、我々ポッドキャストを2021年の5月から配信しているようでして、それを実は毎週欠かさず更新していて、
特別編とかを合わせると、200回以上正直更新はしているんですけれども、通常回を第1や第2やみたいな形でナンバリングを続けて、積み重ね積み重ねで200回に到達したというわけです。
なので、それを記念して、実は100回記念のときにはお便り会をやりまして、普段僕らあんまりお便りみたいなのを募集せずここまでやってきたんですけれども、100回記念ではお便りを募集して、皆さんからの声を聞いたりとかアンケートをしたりとか、そんなようなことをやったので、
200回は逆に2人で喋らないことにしてみようかと思いました。別に仲が悪くなったとかそういうことでは全くないんですけど、200回とか100回とかそういうタイミングでもないと、何かこういう企画ものってやりづらいなと思ったので、そんなようなことをやってみることにしました。
200回記念のタイミングで何をお互い喋るかっていうのは全く打ち合わせしてません。なので、本当に知らないです。まだ配信もされてないですし、わからないという状況ですと。さあどうしようという感じで喋り始めてるんですけど。
いろいろこう思い出す200回記念とかっていうと過去の思い出す回で、なんかあれが印象深かったですよねとかってすごい言うのがあると思うんですけど、ちょっとそれがあんまり思い出せないっていうのが正直なところでして、このポッドキャスト僕が編集してるんですよ。
なんですけど、僕本当すごいやってるポッドキャストを配信してる人に言うと、どういうことって言われるんですけど、編集してるんですけど全部聞いてないんですよ。ほぼ僕らのポッドキャストってノーカットでやっていて、お互いの話し出しがかぶっちゃった時だけ切ってるんですよね。
だから僕が編集するポイントっていうのは、波形を見ると2人の波形が重なってる瞬間だけ切ってるわけですよ。全部聞かなくても分かるっていう、喋り始めると喋り終わりだけ聞けば分かるっていう、非常に簡単な編集をしているだけでこの4年間やってきているわけなんですよね。
一回喋ったら僕も聞いてないので、喋ったことの記憶しかないわけなんですよ。何なら会についてとかは聞いていただいてる皆さんの方が覚えてるんじゃないかっていうのが若干あったりします。
そんなこともあるので、この間本を作ろうってなった時にもどの会がいいかなみたいな本田くんで話していた時に、結局本田さんにそれは全部選んでもらって、僕は思い出せないので良さそうなやつを選んでくれということで選んでもらったりもしています。
思い出深い会みたいなのじゃ喋れないと、200回記念で。何をしよう。NHKの他の番組について喋ると、これは本田くんがやる可能性があると。そういう被りは良くないと。他に何があるかっていうと、カルチャーとかそういうのがあるかとか考えたわけですよ。
ドキュメント72時間の魅力
音楽とかは僕好きですし、映画とかも見ますよ。演劇とかも行きますし、ライブとかね、この間オアシスとかも見てきましたよ。どうしようと。そういうのでもないんじゃないかと皆さんが求めているのはと。
でも全く別の軸として、誰かを呼ぶっていうのも考えたんですよね。これあくまで一人で企画を立てて一人でやるっていう話なので、別に誰かを呼ぶっていうのは反則ではないわけですよ。
僕、普段東中野の雑談っていう場所があるんですけれども、クラフトビールバー付きポッドキャストスタジオですね。そこで毎月タップルームっていうイベントをやっておりまして、そこでは本田さんが日本にいる間はそのまま本田山口でやってたんですけれども、
本当にこの1ヶ月ぐらい前から新相方のこちら平成川の津田さんとやっていることになりまして、そこでも2人でゲストを迎えてしゃべるみたいなことはやってるわけなんですよね。
それも誰か呼んでしゃべるのは違うなと。200回記念でシンプルにやったことなくて、どんなことができるかって考えたら一人しゃべりしかないだろうということで、かれこれ5分ぐらいしゃべってますけれども、一人しゃべりということにしていければなと思っております。
驚くべきことにここまでがイントロという感じなんですけれども、じゃあ何の話しようかと思いまして、あんまり話せない話として、ドキュメント72時間とポッドキャストみたいなことをテーマに、土直空テーマですよ、テーマに話していこうかなと思ってます。
僕らポッドキャスト始めて、それこそ2021年5月から始めて4年目に突入するらしいんですよね。
よく長く続けてすごいですねとかそういうこと言われるんですけども、そういうの言われると僕ら毎回答えているのは番組がやってるから続くんですっていうことを言うわけですよ。
僕らのポッドキャストを普段から聞いていただいている方はご存知かと思うんですけど、毎回1話に対して1回放送がされると僕らが1エピソード話すというシステムなので、そもそも放送がなくなると僕らのポッドキャストは更新されなくなると。
本当にドキュメント72時間と一連択書でやっていると。だからこそ番組が続く間は続くというか続けるしかないと。
それは自動的に放送されたらやるしかないんだからっていうことを思っているわけなんですよね。
長く続けるコツみたいなことを別に喋ってもしょうがないなと思っていて、ちょっとここから72時間考察みたいな話もちょっと一部入ってくるんですけれども、ドキュメント72時間なんでこんなにいろいろ喋ってるかっていうと、もちろん好きだからなんですよね。
なんですけど、もちろん面白いと思ってるんですよ。
例えばインタビュー番組、いわゆるインタビュー番組みたいなものって構成する要素が誰に話すかとか、どこに取材に行くかとか、時代感、いつそれを取材するかみたいな、5W1H的な話じゃないですけど、そういうことが重要なわけですよね。
それこそ面白い人とか面白い場所、面白い流行り検証みたいなことがどう取れるかみたいなことが多分それに応じてインタビュー番組って面白くなるような気がするんですよね。
例えば72時間で言うと、大阪昭和から続くアパートでみたいに登場するねじり鉢巻きをしたおじいさんが朝9時からビール飲んでますとか、それこそ本にもしましたけど、アラジンっていう屋台カフェの千夜一夜物語っていう回には、店主の兄弟がコーヒー屋台を切り盛りするという姿みたいなのがあったりはするわけですよ。
すごい舞台っていうところの視点で言うと、この間見てきたんですけど、秋田の真冬の自販機でっていう72時間で言うと名作と言われる回があると思うんですけど、その回に出てくるうどん自販機、あれは本当に秋田港のそばにあって、真冬にロケをしているんで、
すごく雪の感じと全体的なノスタルジックな感じというか、そこがすごく場所的にもこれはいい絵撮れるだろうみたいなこともありますし、
例えば僕が何回か言ってるその好きな回で、おそれ山の回とかで言うと、秋田へ板コースで口寄せをお願いする人たちに迫っていたりとか、それは絶対おそれ山行ったら何か撮れるだろうみたいな回っていうのは場所の面白い回としてはあるんですよね。
あとはいつ撮るかみたいな話で言うと、わかりやすいのはコロナ禍の話で、墨田川の花火のない静かな夏にとか、他の回で言うと、例えばポケモンGOがめちゃくちゃ流行ってるときに公園にすごい人がいるぞみたいなので、大都会モンスターには公園でっていう回だったりですとか、
あとは渋谷の東京都緑戦のホーム移転に伴った3日間に密着したさよなら渋谷川本駅ちゃんっていう回だったりですとか、こういう時代感みたいなものを捉えたものっていうのも結構あると思うんですよ。
これをどんどん重ねていけばもちろん面白いものっていうのは撮れるんですけど、72時間ってそういうものだけでもないんだよなみたいな僕が非常に思っておりまして、
リアルな生活の影響
というよりもこういう場所が面白い時期が面白いとか人が面白いとか、そういうのを積み重ねすぎてることに、世の中全体的に疲れてるんじゃないかな、高カロリーすぎるというか、面白い面白い面白いみたいに来ると、ちょっともうお腹いっぱいみたいなことになっちゃってる世の中全体的に気が、僕はなんとなくしていて、
だからこの72時間はずっと面白市場主義的なことに立脚してない良さみたいなことがある気はするんですよね。
分かりやすい例で言うと、大病院の小さなコンビニかとかで言うと、これも名作って言われる回で、産婦人会の女性の方がレッドブローの見ながらインタビューに答えてっていうシーンが出てきたりするような回なんですけれども、
それが本当にただの大病院のコンビニなわけですよ、言ってしまえば。
なんで来る人もお医者さんだったりとか患者さんだったりとかお見舞いに来た人とか、それはなんとなく想像つくじゃないですか、タイトルから。
なんですけど、そこにいる人がそうやって今話したみたいなお医者さんが来て、短い時間レッドブロー飲んですぐ戻っていくとか、お見舞いに来た患者さんからの要望で、そのコンビニ自体がパジャマとか衣服がすごい他のコンビニも充実してるとか、
実はこのコンビニにとっては当たり前なんだけど、意外と面白いなとか目新しいなみたいなことが映るっていうのが実は魅力でポイントかなと思うんですよね。
で、例えば他の例で言うと、これは去年、一昨年かな、一昨年のシレトコ半島の人を担ってっていう会があるんですけど、この会の中でまさにそのシレトコの中の人を本当に、なんて言うんでしょうね、ノユというかですかね、本当に人なんですよ。
そこにいろんな地元の人しか来ないような人なんですけど、そこに来る人たちが非常に漁師の方が多いと。
時期も冬っていうこともあったので、基本的に漁がやってないタイミングだったりとかすると、漁師の方々がそこにいっぱい来ていて、そうすると漁師のおじさんがその時に何を気にしていたかっていうと、やっぱ日本とロシアの国境問題みたいなことを気にされてるわけですよ。
それは遠い国の何かの話っていうよりも、彼らにとっては漁業が制限されるっていうことが生活にダイレクトに影響があることだからなんですよね。
それを説明するんですけど、おじさんが説明するときに近くにあったヒゲソリと石鹸で、日本とロシアの国境と船の話を押し出すんですよ。
それってニュース映像でこういうことがありましたとかいうよりも、あまりにも生活に肉厚していて、すごくリアルな話だし、あまりにも当事者っぽい感じだなと思うんですよね。
そういうことが見れるっていうのがすごく面白いというか、72時間ならではの魅力っていうことなんじゃないかなっていうのは思うんですよね。
72時間の魅力
なんで72時間っていうのは、そういう面白さ、市場主義みたいな、もちろん面白いっていうのは重要なことではあるんですけど、それだけじゃなくて誰かの当たり前を見るみたいなことが、自分のそういうことがあるんだみたいな、自分の生活を少し広げてくれるみたいなことにつながるんじゃないかなみたいなことを思っているわけなんですよ。
ここまで長々と72時間の話をしてきたんですけれども、こういうことを普段72時間を見て思っていて、結構これに近いことをこの間ですね、5月に出した本の前書きみたいなところでも書いてるんですけど、
あの本で書いたのは、あれはゲストの方と喋るっていうところだったので、ゲストの人と72時間について喋るっていうことが、実はゲストのことを深く知ることにもつながるし、そうやって深く知ることだけではなくて、同じものを見てもこれだけ見方が多様性があるんだみたいなことをすごい簡単に言ってしまうとですけどね。
そういうことを発見できるみたいなことを前書きでは書いてるんですけども、結構今話した話に近い話かなと思うので、本もぜひこれを機にここまでの話で面白いと思った方は一回これ止めてもらって大丈夫なんで、本をリンク先から買ってもらえるといいなと思ったりします。
そんなことはいいんですけど、よくはないんですけどね。そんな72時間のですね、ポッドキャストを僕らがやっているわけなんですよ。
じゃあこれまで話してきたみたいな、面白いポッドキャストを作りたいのかみたいなことをそもそも思ってるかみたいなことをここからしたいんですけど、面白いポッドキャストって何だろうみたいなことを最近すごいよく考えてる。面白いって何だろうみたいなことを考えてるわけなんですよ。
ポッドキャストって2021年僕らが始めた頃ってそんなに、もちろんいくつかはあるし今も続いている番組もあるんですけれども、面白いポッドキャストを作るためにとかですね、そういう目的でやってたんじゃないなみたいなのを思ったりするんですよね。
例えば今面白いポッドキャストの作り方みたいな話で言うと、発見と理解と共感が必要ですとかですね、後から聞いても面白いようなアーカイブ感が必要ですとかですね、いろんなことを言っている人がいるんですよね。
なんですけど、さっきの72時間と結構ポッドキャストをやっている目的が僕は近くてですね、そういう面白さみたいなことではなくて、何かこれを今瞬間で聞いてくれる人、この回というよりもいつもの回ですけど、いつもの回を聞いてくれる誰かが何かその明日からですね、
同じ場所を通ったら、そういえば昨日こんなことを聞いたから違って見えるなとか、あとはもう本当に簡単な話で言うと、例えばスーパーに密着した回で僕らが魚の値段の話してたら明日から魚の値段のことがちょっと気になるようになるとかですね、本当そういう話だと思うんですよ。
そういうことが少しでもできればいいなっていうのは思っているので、聞いて終わりというよりもそういう日常のフックに近いようなことができればなっていうのは思ってるんですよね。
また今日200回なんでいろんな話してますけど、ドイツの芸術家でヨゼフ・ボイスっていう人がいるんですけど、社会彫刻っていう概念がすごく有名な話としてあって、簡単に言うと社会を彫刻するわけですよ。
彫刻って大きい石とか削って像作るやつあるじゃないですか。なんで社会を彫刻してどういうことかっていうと、いろんな人がみんな仕事をしたりとか働いたりとか、何か創造的なことをしたりとか、それはアートだけじゃなくて教育も政治も科学も何でもそうなんですけど、
何かをすることでちょっとずつ社会って形作られていくし、うまく回るようになっていくみたいなことを言ってるんですよね。それ裏を返せば、そういった社会を彫刻できるということは全ての人が芸術家であるみたいな話に平たくなると思うんですけど、僕はそうだと思っていて、
それを、だからこそいろんな人の意識を変えていくというか、こういうことが世の中にあるんだみたいなことを、社会に対して発見していけるような目を、きっかけを作っていくみたいなことっていうのは何か必要なのかなみたいなことはすごいぼんやり思ってるんですよね。
自分にとってどれぐらいできるかみたいなことは何もわからないし、これは僕がやっているポッドキャストだけではない話なんですけども、そういうことを思ったりしてるわけですよ。
クリエイティビティの神話
で、そもそも最近面白いみたいなことなんだろうっていうのは気になってるっていうのはさっきちょっと話したんですけど、本当に最近読んだ話で、サミュエル・W・フランクリンっていう人が書いたクリエイティブという神話っていう本があるんですけど、これよくクリエイティブな思考とかクリエイティビティとかそういろんなことを言う人がいますけれども、
そもそもこの本によると1950年以降にクリエイティブっていうワードが使われるようになったんですって。
じゃあそもそも1950年以前にクリエイティブと呼ばれる今呼ばれている行為はなかったのかっていうと、簡単に言うとそうではないと。
じゃあどういうクリエイティブっていうのが歴史を取ったのか、つまり今回のクリエイティブという神話という本で言うとクリエイティブが神話化してきたのかっていう歴史の本なんですよね。
すごい面白い本なのでAmazonとかで売ってるので、これもぜひ読んでいただければと思うんですけど、
こいつまで説明するとクリエイティブって一部のそれこそ芸術家とかアーティストのものっていうふうに1950年最初の頃は思われてたわけなんですよ。
だからこそどうすればその才能を開花できるのか、その才能を他の人たちでも身につけることができるのかみたいな研究がなされてですね。
そもそもこの才能というのは生まれつきなのかとか、後天的に身につくものなのか、生まれつきであればそれこそ研究の時期と内容によっては、
じゃあ男性の方が優れている、白人の方が優れているみたいな差別的な形に結びつく研究も多々あったりしながら、じゃあ実際はどうなんだっていうのが研究学が議論されていた時代があると。
それ以降何が起きるかというと、一定のものが出揃って、日本でいう高度経済成長期というか大量消費の時代に差し上がったタイミングで、世の中的にも作るものの差別化をして売っていかねばならないっていうフェーズになってくるわけなんですよ。
つまり日本で言うと、例えばヨドバシカメラとか山田電機とか何でもいいんですけど、電気屋に行くと思うと思うんですけど、この冷蔵庫とこの冷蔵庫は何が違うんだと。右から開くので左から開くのだけ違うのかとか、あるじゃないですか。
野菜をよく冷やせるとか、もちろんあるんですよ。いろいろ細かい話が僕がわからないだけでなんですけど、そういう細かな違いみたいなこと、家電に例えるとわかりやすいから例えただけですけど、それだけではなくて、いろいろなものを差別化をするために広告っていうものが突如として現れるわけですよ。
その広告っていうものがクリエイティブと広告っていうのがその時代以降突然結びつき始めるんですよね。それによって結局悪魔合体をすることで何がいいものかっていうと、新しいテクノロジーで人々にとって目新しくて刺激的なものこそがクリエイティブを生み出すものだというのが生まれてくるわけなんですよ。
そうなってくると、さっきの面白いっていう話の感じに近い話じゃないですけど、どんどん新しいもの、どんどん刺激的なものっていうのにどんどん世の中がなってくるんですよね。
実際それは今もある傾向だと思ってきていて、今は若干違うフェーズになってきてると思うんですけど、迷惑系YouTuber的な話じゃないですけど、どんどん過激になってくる、見たことない刺激的みたいな話っていうのが出てきてると思うんですよ。
このクリエイティブと神話っていうのはどういう形で終わるかっていうと、そもそもそういう新しければ良いみたいなことが今クリエイティブであるみたいなことを結びついていたのは本当にここ数年のことであるし、そもそも1950年以前にもクリエイティブは存在したわけなので、そういう言葉に騙されてはいけないし、そういう新しければいいっていう考えに疑問を持つみたいな余裕が必要だっていうのは言ってるわけなんですよね。
この本以降の話で言うと、何もしないっていう本がまた別の人からしてるんですけど、これも僕の好きな本としてありまして、何もしないっていうタイトルの本なんで、本当に何もしないっていうことが書いてある、何もしないっていうことが素晴らしいみたいなですね、プーさんみたいな話が書いてある本なんですけど、その中でバードウォッチングの話が出てくるんですよ。
バードウォッチングは本当に確かに何もしないに近い話だなと、バードウォッチングが趣味の人からしたらそれはあれなんですけど、ただそういうぼーっとこの本の中では、積極的非創造的行為っていうすごい考えうる最悪の悪口だなみたいなことで言われてるんですけど、でも確かに積極的に何も生み出さずに鳥を見続ける、確かにねみたいなことなんですよ。
それこそが実はこういう世の中で新しければいいとかですね、あともう一つで例えば成長しなきゃいけないとかそういうことに対しては実はアンチテイズになるんじゃないかっていうのは言ってるわけですよ。
もう一つ出てくるのは最近、最近じゃないですけど気候変動とかそういうのも含めてですね、環境に優しいことをしようと、いろんなことを取り組んでるとみんな、何が一番環境に優しいんだっていうと何もしないことなんですよ。
それは本当にもう真理ですよ、真理。何もしないも動かない、じっとしてるとか車も使わないしCO2を本当に高級だけしか出さないみたいなことであれば確かに環境に優しいなとか思うわけですよ。
でもそういうですね、いろんな何もしない事例が積み重ねられてる本ではあるんですけど、ちゃんとメッセージ的なこともあってですね、結構これはクリエイティブという神話に近い結論に達するんですけども、何か斬新なものを作るよりも、この本の中ではメンテナンスとケアみたいな形で言われてるんですけど、
そういう方向にもシフトしていって、基本的には何かを積極的にするよりも何もしない方に進んでいくといいんじゃないかなみたいなことはこの本には書いてあるわけなんですよね。
ここまでいろいろとペラペラと話してきたわけなんですけれども、じゃあなんかポッドキャストを僕らが作る時にそんな何もしないとかクリエイティブってなんだろうみたいなことを言っている中で、そもそも何もしないのにポッドキャスト作ってるじゃないかみたいな話はすごいあるんですけど、
何でポッドキャストを作っているのか、何で72時間について喋っているのかって言うとですね、これも結構4年間の間に僕の気持ちは意外と変わってきていてですね、
初め本当に2021年の5月に作った時は、もう明確にそれは何で作ったかっていうと、ドキュメント72時間っていう番組がですね、面白くて、その面白さを初めて共有できる人が本田くんがいて、
ポッドキャストの意義
それ喋っていて、こういうこんな面白いと思ってくれる、一緒に面白いと思える人がいるんだと思って、なんか他にもいるのかもしれないとかですね、他の人もこの番組が面白いとか見続ける習慣化する価値があるっていうと偉そうですけど、そういう意味がある番組なんだってことに気づくのかもしれないっていうですね、謎の啓蒙の気持ちに駆られて始めたわけなんですよね。
それは別に今ももちろんそうなんですけど、今はもうちょっと意味が広がっている気がしていて、それこそ100回記念の時にアンケートを取ったんですよ。
そうすると僕らのリスナー、聞いていただいている方のうち半分ぐらいはですね、72時間の番組を普段見てないらしいんですよ。
そうなってくるとですね、最初に立てた72時間っていう番組を知ってほしくて、僕らがポッドキャストをやっているっていうですね、目標はもう達成してないわけですよ。
達成してないんですけど、なぜか聞かれているっていうですね。
本当に最初その結果を見たときはどういう気持ちで聞いてるんだろうみたいなことをやっぱり思ったんですけど、
だって見たことないテレビ番組の話を聞くって、結構苦痛じゃないですか、比較的。
すごい面白く喋ったりとか、何でしょうね、そこで扱われるトピックがそれこそゴシップ的に刺激的とか何かがない限りは。
でもそれなのにすごく見てくれているとか、聞いてくれているっていうのは非常にありがたいことなんですけどね。
何でなんだろうみたいなことを考えると、さっきのヨゼフボイスの社会彫刻じゃないんですけど、いろんなことを僕らの話を通じて、そういう明日からの日々とかこれを聞いた後の日々が何かちょっとでも変わるというか、
普段気にしなかったことがちょっとでも気になるようになるといいのかもなと思って、もしかしたらそういう、これはまだ仮説だし本当にどうかは全く分からないんですけど、
実はそのアンケートを取った結果が偏っていただけで、実は9割以上の72時間を聞いているんだと、見ているんだと毎週という人もいるかもしれないんですけどね。
ですけど、その仮説としては、そういうこのポッドキャストを聞いて面白いと思って、すごいですね。
僕ら自分で言うのもあれですけど、ずっとその高カロリーの面白い話をしているポッドキャストではないですよ、これは。
ですけど、比較的東京にいていた2人が、ちょっと都会っぽい感じをさせながら、荒沢ですか、もう荒沢の2人がこういうふうに社会を見ているとか、番組を通して世の中を見ているみたいなことが、
何かその違う世代の人とか、同世代で違うところに住んでいる方とかですね、そういう方にとって、いい意味で僕らの人間観察として楽しめるようなコンテンツになっていくといいんじゃないかなと思っているし、そうやって受け入れられているのかもなみたいなのをなんとなく思っているわけなんですよ。
なので、72時間のポッドキャストをやっていますって普段よく言うんですけど、72時間が好きでやっていてそれを広げたいっていう最初の気持ちはもちろんありつつ、今はここまで話してきた通りの、そういうですね、ちょっと何て言うんでしょうね、そんな思いをですね、持っているということでやっているわけなんです。
リスナーの反応
ということでですね、200回記念でですね、珍しくこういう自分語りをしてみようと思ってですね、喋ることないかなと思って、15分ぐらいで終わるかなと思ったんですけど、気づいたら30分以上一人でずっと喋っているということでですね、この一人語りが面白かったぞっていう人はですね、このコメント欄にですね、コメントをもらえるとですね、僕が調子に乗って一人語りをですね、また他にも始めるかもしれないので、
そういうですね、ちょっと応援をですね、これ勘違いをされるんですけど、お便りは募集してないんですけど、やっぱり褒められると人は嬉しいので、褒めてもらえると嬉しいです。
はい、ということで今回は以上となりますし、201回目からもですね、またこれからも聞いていただけるとありがたいです。
ということでありがとうございました。