よろしくお願いします。
いつもね、番組の最後に言ってます。
フォームからお便りいただきまして、ちょっとここでご紹介をさせていただきます。
初めてじゃない。
初めてってじゃないですよ。
ではないですね。
でも番組で紹介するのは初めてです。
ERFさんから、明けましておめでとうございます。
おめでとうございます。
謎に包まれたウミさんのエピソードを楽しみに拝聴しました。
エピソード27、聞き終わってからタイトル読んでちょっと吹きました。
まさにエピソード0、ナイスタイトルです。
おさらいするとあれですよね。
今から数えて2週前の回ですかね。
参議院の話せねばっていうところで、たどり着かなかった回ですよね。
噛み合わないアート感の話でね。
そうですね。
本当に基本的に全部終わって、編集終わって、一回聞き直してタイトルどうしようかなみたいなことをいつも考えるんですけど。
この時のタイトルが、果たせぬ前提共有っていう。
ある絵付け訓練生の語り、第ゼロ話っていう。
本当にシャープなタイトルつけていただいてますよね。
それだけじゃ足りひんくて、もやっとした感情を表現したいなと思って顔文字を入れたんですけどね、タイトルに。
珍しいですよね、岩田さん。
タイトル検索して、何ていうキーワード探したか忘れたけど、僕の今の感情に合う顔文字を探して。
アスキーアートフォーストね。
交流でいただく嬉しいね。
こういう感想いいですね、このライトにね。
本当嬉しい。
聞いていただいて、すぐこれだけ言いたいみたいな感じで送っていただいたと思うんですけど。
うっすらとエールをいただいたっていう受け取り方があります。
そうだと思いますよ。
ありがとうございます。
こいつ大丈夫かなっていう。
僕も結構聞き返してへこんでるんです。
それなりにはこいつ話下手だなっていう。
というわけで、基本的には倉田氏ラジオ全部、話し終わってからタイトル決めてるんですけど。
今回はもう最初にタイトル決めました。
この後どういう話し運びになってもこのタイトルでいきますっていう。
今回の話ですね。
というわけで今回は、風呂とラーメンと工芸と愛国です。
情報量多めですね。楽しみです。
部屋とワイシャツと私とは違う。
なんかもやっと一瞬するけど、どうしてその組み合わせっていう。
90年代に流行った愛のままにわがままに僕は君だけをの流れだよね。
流行ったんですよ。長いのが。
長いタイトルね。
というわけで、なぜ風呂とラーメンと工芸と愛国が並んでるのかって話ですけど。
これ結構、僕からはこんな話しませんかっていうのを今日持ってきてはいるんですけど。
割とこのシーズン4が、割と流れ的に持ってたものじゃないかなとテーマ的に思ってて。
特に一番最後の愛国ですけど。風呂とラーメンの話は全くしないですけどね、今まで。
その話になったのが、年末の和紙の回の後に、3人でチャットでやり取りしてる中で、
本編で和紙が、タイで作られてる和紙も和紙っていう名前で流通してるみたいな話。
塩さんが、お寿司みたいなもんみたいなことで言って、それはちょっと違うなみたいなことで本編になったんですけど。
お寿司ではないかもしれないけど、和紙ってシャリみたいなもんかなみたいな話が海さんからあって。
何だっけ、スシポリス?
スシポリスってアニメ思い出したんですよね。
あったね、そういうアニメ。
スシポリスをざっくり言うと、その名の通り、これは寿司であるかないかのジャッジメントがひたすら繰り出される海外のアニメなんですけど。
海外のアニメなのかな?わかんないけど。
多分チャンネルは海外の。
MXテレビとかだから国内では。
重要なのは、これは寿司であるかどうかっていうのを江戸前たり売るかっていう、僕ら日本の人が何となく基準としているものを超えてるか超えてないかなんですよね。
要は、今やカルフォルニアロールとかも寿司の一種だと思うんですけど、シャリ使ってないからダメとか。
カルフォルニアロール、シャリ使ってるよ。
たとえばなんだけど、このカルフォルニアロールはカルフォルニアロール自体は認めるけど、よく見たら寿司飯がシャリじゃなかったダメみたいなそういう流れだよね。
シャリが寿司飯じゃなかったってことね。
江戸前みたいな概念を拡張して、これはダメ、アリみたいなのをポリポリスしていくんだけど、
根底には寿司というカルチャーの世界的な広がりを大きくは還元してて、寿司に対する愛情にあふれるアニメ作品ではあるという。
ざっくり言うとそういう話なんですけど。
魚はあれだもんね。シャリは日本のシャリかとか、何米がどこのかとか、大きく変わるけど。
魚って世界中の海を渡ってきてて、実際に獲った場所が何々星って言われるかもしれないけど、
面白いのが魚介類って国に持ち込みOKだって聞いたことある。
そうなの?
アメリカに住んでる日本人の人が言ってた。
和紙の話で出てきたのを、寿司じゃないけどシャリかもしれないっていうのは、素材の側面の意味合いで言ってたから。
漢詩と和紙はどう違うのかみたいな感じで、
例えばキンパっていう韓国風のり巻きあるんですけど、あれシャリじゃないですよね。
ごま油を混ぜたお米なんですけど、そういう意味で言うとあれはシャリでは、寿司ポリス的には江戸前じゃないっていう。
絶対日本のワニメな気がしてきた。
それは別にジャッジするわけでもなく、住み分けが僕ら前提として分かってるっていうかね。
別に喧嘩もせんっていう、そういう話ですね。
和紙の話の中で言ったことだと、例えば原料の構造がもう6、7割はタイ産のもので、国産のもののほうが少ないですよっていう現状。
それを例えば米に置き換えたときに、お寿司の米がタイ米だったりしたときに、日本人はそれに納得するのかみたいなこととか。
食文化みたいなことって、ナショナリズムみたいなものに敏感に反応を引き出しやすい気がするよねみたいな話。
ありました。
実際、工芸の話で言うと漆とかもね。今国産がどのくらいなんでしたっけ?
めっちゃ少ないですよ。ちゃんと調べてないんですけど、津泉千吉さんの漆屋さんと喋ったときに、確か10%以下みたいなんですよ。
津泉さんは東北に国産漆を増やすための農園を作ったりとか、それをわずかながら増やして子どもを作る活動をされてるんですけど、そこで知った話なんですけど。
だからといっておっしゃるには、9割方のほとんどは中国産の漆だけど、中国産だからといって全然悪いとも思ってないし、なんなら日本産でもすごく粗悪なものもあるから、あんまり質と産地とかは別にリンクはしないという。
そういう話も伺ったことありますね。
ちょっとそんな話の広がりが前段としてあって、ちょっとやってみようっていう話なんですけど。
なんであとフロットラーメンかっていうところはですね、本当にそれと同じぐらいのタイミングで、
多分僕新聞広告かなんかで知ったと思うんですけど、フロット愛国っていう新書が2024年の10月とかに刊行されてて。
割と最近だったんだね。
だから新聞広告で見たんで、ちょっと前に。
なんか面白そうと思ってたタイミングだから。
面白そうなんですね。
それを買って読み出したと。
書名から単に僕が連想しただけなんですけど、ラーメンと愛国っていう早水健郎さんの本があって、これが2011年の本なんですけど。
早水さんの本、僕結構、割と読んでるので、これもリアルタイムで買って読んで、今回12、13年ぶりぐらいに読み返したんですけど。
めっちゃ視線張ってある。
今日話すんでね。
で、ちょっとこのフロット愛国は川端美希さんという方の書いた本ですけど。
そこ同じ人じゃないんだね。
違います違います、全然。
〇〇と愛国で何かアクリキュレーションいただいてます。
たまたまってこと?
いや、でもラーメンと愛国ちょっと意識された、フロット愛国がね。
ラーメンと愛国っていう本の存在知らないこともないんじゃないかなっていう気はします。
さすがにそうだな。
で、ちょっとなんか、改めてこの2冊、改めてというか、フロット愛国読んで、改めてラーメンと愛国読み直したら。
なんかいい具合に対照的で、ここで語られてることが。
で、かつ、フロって、工芸、この間梅雨の話は出てきたけど。
主に言うとここで語られてるのは公衆衛生とかの話なんですよね。
で、ラーメンと愛国は食の話。
僕らの一応ポッドキャストのテーマに掲げてる工芸っていうところと、それなりに距離があるもので。
それこそ2つ前の回で、なんかちょっと出ましたけど、じゃんけんの話出ましたけど。
3つ、フロとラーメンと工芸みたいなものを並べるとちょっと面白いかなっていう。
おもろいですね。
シーズン4が民芸の、ちょうど大日本帝国が領土を広げていっている時代において、民芸っていうのはどう。
それに対するカウンターであったり、あるいはそういった帝国主義的な背景を持ってた部分もあるかみたいなところから始まっていたり。
安彦さんの古代日本とか近代日本の漫画の話があったり。
割とその辺の話題にも触れてきたシーズンでもあるので、このシーズンを締めくくる。
話題として。
愛国っていうものについて話すっていうのがいいんじゃないかなと思って。
いやー、ヒリヒリするっすね。
ヒリヒリ?
だって結構愛国っていうワードってスパイシーじゃないですか。
そうですね。
一般的に言うと。
僕もどうせ喋るのはちゃんと喋りたいなっていうか、前提をもう少ししっかりさせたいなと思って。
今ここまで話してる間にもナショナリズムっていうキーワードと愛国っていうキーワードを2つ言いましたけど。
例えばお二人がその2つの言葉を聞いて、印象違うことってあります?
まず愛国っていうワードが飛び込んでくると、ちょっとグレイッシュなバスというか、外戦車のイメージがきますよね。
なるほどね。
国語もちょっと難しめの国の字のやつですね。
俗写とかにもたまに難しめの国のやつって書いてる人いるね。
そうですね。広告主観的な四字熟語を使ってる俗写のものもありますよね。しばしば。
ナショナリズムって言うと、やっぱり私はどうしても右翼的なイメージがあるな。
結構そんな外れてないんじゃないですか。一般的なイメージとね。
なんですけどね。愛国っていう日本語は明治に生まれたものらしいんですよ。
割と最近だね。
だからどちらかというと、コスモポリタンなんですよね、考え方が。
植民地主義的というか、その思想の。
植民地主義じゃなくて、全人類みな兄弟みたいな。
失礼しました。そっかそっか。
だから敵と味方に分けるような思想ではそもそもないんですよ。パトリオティズムっていうもの自体が本当は。
それがフランス革命で結構、いろんなそこまでの王政の秩序が崩れて、市民が自ら政治を動かせるとかっていうことになったときに、そこの概念の解釈の仕方っていうのがいろいろ変わってくる。
あと同じ頃にナショナリズムっていうのもまた別に生まれてくる。
どちらかというと今言った国民が自ら政治に関与するっていうのがどっちかっていうとナショナリズムの話で、我々はネーションであるっていう自覚を持って政治に関わるみたいなのがナショナリズム。
それと単純に故郷を愛する。故郷っていうのは別に場所にこだわったものでなくて、その人が故郷と思ったところを愛するみたいなパトリオティズムとナショナリズムがなんか微妙に似たところを推移していくみたいなのが近代以降に起こった変化。
だから、ナショナリズムとパトリオティズムですか?なんか丁寧に噛み分けるとそういうことになるんですね。
で、なんかちょっとね、これ面白いなと思ったんで紹介したいんですけど、今回割ときっちり読んだものでもう一冊あって、大沢正智さんの近代日本のナショナリズムっていう本なんですけど、これも2011年ぐらいなんですけど、
結構ナショナリズム関連の研究をしてる中でよく引用される人っていうのがあって、一人はベネディクト・アンダーソンという人なんですけど、この人が80年代に創造の共同体っていう本を書いてて、
書名の通り、ネーションっていうのは創造の共同体であるっていう話なんですよね。で、その創造力が及ぶ範囲がネーションになる。だから、極端な話、それこそコスモポリタン的に地球上の人類全員が同じネーションだっていうふうに考える創造力がみんなにあれば、
それはワンネーションになるんですけど。でも、実際のところ、ここでアンダーソンが言ってる事例としては、出版資本主義。つまり、一つの言語で書籍を出版して、それが自由市場の中で流通するっていうところの、
今は、それこそネットでバーっと出ますけど、当時の印刷技術とか輸送の技術とかの限界があるじゃないですか。一つの言語が広がる範囲。
――シッピングの範囲もあるし。 ――それによって、ある程度、同じ言語を喋るっていう。同じ言語を、あの人たちまでは同じ言語を喋ってるはずだっていう創造力の範囲で、ネーションの範囲が決まってくるみたいなことが起こったんじゃないかみたいなことを、創造の共同体の中で言ってる層なんですね。
おさまさしさんの本からのまた劇なんで、あれですけど。 ――同じ言葉を喋ってたら、ネーションってことなの?そうすると、スイスとかなんかすごい多国語。
――出版ってのがすごい大事で、多分その話で言うと。ドイツ語ってヨーロッパの中でも相当古い言語の一つだけど、最近その梅湯の裏に八千代田おでん屋さんがあるんだけど、そこにちょいちょい来る海外のお客さんと話してた時にスイスからの人で、
君が思ってる多分ドイツ語なんだけど、種類がむちゃくちゃあって、スイスの中でも言葉通じないよっていう。オーストリアとか、バーゼルとか、ドイツで話してる言葉とかが全然通じなくて。
――結構、多国籍結婚、多国籍っていうかEUなんですけど、ドイツ語圏ではあるけど、違う国の人と結婚した時の大変さみたいなのを聞いてたんですけど、多分今の話は出版だから、ドイツ語で出版されてる部分は共有できるんですよ。そうは言っても、多分だけど、その文脈で言うと。
――単語結構違ったりするけどね。発音とかだけじゃなくて。
――結構たまに、だいたい合わせてくれるんですけど、聞き返す時も結構あるんですよ。何て言ったかわかんなくて。でもそういう人たちも多分日本語で出版された書物に対しては多分共有できるんだろうなっていうのが、その出版なんとかっていう話だとは思ったんです。
もちろん多分、それは一つの要素としてそれがあるよっていう話ではあると思うんですけど、でもまさにそういうことで、日本語も多分明治時代で言えば薩摩の人と、北陸の人とか東北の人が喋ろうと思ったら、全然何言ってるかマジでわからんみたいな状態だったと思うんですけどね。
――暗号に使われてたらしいですかね、薩摩のね。
――そんな仮説というか、ベネリック・アンダーソンはそういうことを言ってるんで。僕これ結構面白いなと思ったんですが、別の人でアーネスト・ゲルナーっていう人が、これも80年代頃に言ってた話だそうなんですけど、フランス革命以前は、階層間の社会移動っていうのは基本的にかなり難しかった。
農民と貴族っていうのはずっと固定されてて、そこの中で階級の移動みたいなものがありえなかったんで、その人たちが自分たちは共同体であるって想像しようと思ったら、農民と貴族は絶対共同体ではないんですよね。
貴族からしてもあいつらとは違うし、農民としても絶対に貴族にはなれないっていうのが、それが封建社会が崩壊して、社会が産業化して、産業化するとその産業で経済成長しないといけないので、経済成長のためには職業の選択の自由がないと産業が発展しない。
だからそこで社会、階層の流動化が生まれるわけですよね。流動化してある程度社会の平等化みたいなものが起きたときに初めて、自分たちが一つのネーションであるっていう自覚が生まれる、その人たちに。
それが今までは縦の階層ごとに別々だったものが、あるエリアによって僕たち同じ国民だよねっていう認識が生まれるみたいなことを書いてるっていう。
なるほどね。
産業化によってネーションの自覚が生まれるみたいな話はちょっと面白いなっていう。
だから第一次大戦とかで負けた国とかって、要するにそれに遅れた人たちですよね。オスマントルコとかオーストリア、ハプスブルグとかって言ったら、その封建性を結構引きずっているというか、フランスとかイギリスみたいに産業家と啓蒙首相とかがセットで来て。
そうですね。多分オスマントルコとかの話だと、もうこれ完全に古典ラジオの受け売りですけど。
わりとイスラム国家が多民族主義で、一つの宗教とか民族でまとまるっていうことをせずに、人種とか宗教に関わらず優秀な人を登用するみたいな国づくりをずっとしてたので、国民国家の熱狂に勝てなかったっていう。
言ってたそういえば古典ラジオで。
僕たちみんな同じフランス人なんだ、ドイツ人なんだっていう、そういう意識でバーっと来る勢力に対して勝てなかったから、トルコがその後、国民国家っていう、世俗主義、宗教から切り離して世俗主義にして、国民国家を作ったみたいな話は古典ラジオで聞きました。
そうですね、古典ラジオの第一次大戦とケマル・アタチュルク会とかですよね。
そういえば、確かにそうだったなと思って。
でもナショナリズムの話ですよね。ナショナリズムの起こりって言ったら話ですけど、近代の。
僕もナショナリズムとか愛国とか、そういうキーワードにくっついてくるものって、すごく、例えば排外主義的なもの。自分たちの同胞に対しては優しいけど、他は排除するみたいなものと、
今だと割とイメージとして結びつきやすい気がするんですけど、パトロイティズムの話にもあるように、もともとはもっとコスモポリタンなんですよね。別に敵と味方を作るような思想ではなかったはずなんですけど、
そういう時代の流れの中でそういうものになったと。
それこそ18世紀、19世紀の時代に、そういうものがわーっと台頭してくるのは、さっきも言った出版物の広がり方の限界とか、ラジオとかもね。
なのでよくわかるんですけど、じゃあなんで21世紀入ってから、よりどこの国もナショナリズム強くなってないかっていうことになってるかっていうことですよね。
それはこの2011年の大沢さんの本にもそういうふうに書いてるし、今の2024年の末のエピソードでも話してましたけど、トランプ再選みたいな話とかと絡めても、なんとなくちょっとそういう世界の機運は感じるじゃないですか。
いやでもパトリオットっていう単語を初めて聞いたのは湾岸戦争の時だからな、僕。スカッドミサイルっていうイラクのミサイルに対して迎撃ミサイルの名前がパトリオットだったんで。
そういえばそうだった。
そうそう。だからコスモポリタン的なところっていうよりは敵味方をはっきりさせるものだから。
ですよね。
もう本当に使われ方がね。
全然意味違うじゃん。
なんで、そういう世界戦の中で育ってきたなって僕今話を聞いて思いました。
大沢さんの本の中で、なぜについての回答というか、話もちょっとちらっと出てるんですけど、これは2003年くらい、2000年代の頭くらいにマイケルハートという人とアンテトニオネグリという人が帝国っていう本を書いたんです。
これも読んでないです僕は。
インペリアリズム。
エンパイアっていう。
エンパイア。
現代はエンパイアですけど、っていう本を書いたんですけど、そこで、なぜ今ナショナリズムがまた没効してるのかみたいなことについて、言ってたものをかなり要約すると、
企業のグローバル化が進んで、グローバル企業が帝国を作ってると。
うちの?
これ面白いなと思って。帝国の中の人がここに一人いるっていう。
2000年代頭なんで、G社は入ってないですけどね、たぶんその帝国。
そうですね。
その時代の事例の中にはその企業は入ってないでしょうけど。
だからトヨタとかそういうことを指してたかもしれないし、そうですよね。
だから、全て平坦になっていくグローバル化によって、っていうところに対して自分たちの特殊性みたいなものに回帰していくそれぞれが、みたいな逆張り現象みたいなものが、今のナショナリズムなんじゃないかみたいなことを書いてる。
思うとこめっちゃあるな。
今ちょうどG社の帝国主義的な路線って、ややしながら2人でよく話すんですよ。
僕はどっちかっていうと、なんて言うんでしょうね。
でもG社の仕事もしてたから、どっちかっていうと自分としては雰囲気は知ってる程で言うんですけど、
この2冊の内容もちょっとサクッと紹介したいと思うんですけど。
対照的な、対照的っていうか、2つ並べると面白いなっていう風に最初に言ったのは、
風呂と愛国はだいたいそのテーマにしてる時期が、
開国、明治維新から戦前までなんですよ。
1941年とかで終わってる。
具体的な調査したりしてる内容として。
で、ラーメンと愛国は戦後から始まるんですね。
大戦から始まって、これが書かれた2011年当時までっていう。
まず戦前史と戦後史みたいなところで、対照的なものがあるなっていうところなんですけど。
さっき風呂の話しましょうか。
風呂と愛国、一番大きいテーマとしては、
公衆衛生みたいなものがどういうふうに国が国策としてやってきたか。
それがいかにして日本人自身が内面化してきたかみたいな話なんですよね。
日本人ってお風呂好きだよね。毎日風呂入るよねみたいな話。
っていうのが本当にずっとそうだったのかみたいなことなんですよ。
一応日本で入浴の文化が生まれた時期とかに遡るんですけど、
ここで書いてあるのは6世紀くらい。
仏教と一緒に入ってきて、お寺にお風呂があって、そこに清浴っていう。
清めるって意味か。
一般の人たちがお寺にお風呂に入りに来るっていうのが入ってきたそうです。
ただここでイメージされるのって、今湯船にお湯に体を浸かるイメージしたと思うんですけど、
そうじゃなくて蒸し風呂だったそうなんですね。
トルコ風呂みたい。
トルコ風呂ってどんなの?
サウナにスティームガンガンみたいな。
行ったことないから分かんない。
この蒸し風呂の文化っていうか、フォーマットっていうのは、
基本的に江戸時代、開国までずっと、基本的には公衆浴場といえば蒸し風呂だったそうなんですね。
江戸時代になるとだいぶ銭湯が都市部に増えるんですけど、
基本的にはそこで言ってる銭湯って蒸し風呂で、薄くお湯が張ってあって、湯気に当たるみたいな。
つかなかったってこと?
いや、多分ね。
多分ね、めっちゃ汚かったんやと思いますよ。書いてますけど。
お湯も交換せんへんから。
まずお風呂の中真っ暗なんですよ。
ザクロ口っていう風土をかぶった入り口があって、そこをくぐって入っていくんですね。
蒸気が外に出ないように低いところに入り口があるので、そこをくぐって入っていくんですけど、
蒸気漏れないようにしてあるんで中真っ暗なんですよ。
だから風呂がどんだけ汚くても分かんない。
電気もつけられない。ロウソクが消えちゃうもんね。
湿度高かったら。
そういうのが風呂、銭湯っていうのはそうやったんですけど、基本的にこれ渾浴やったんですね。
一応幕府も渾浴禁止みたいなことはちょいちょい発令してたそうなんですけど、風紀が乱れるみたいなことで。
実際に乱れてるかどうかよく分かんないですけど。
なんですけど、明治に至るまで、明治20年代ぐらいまでは渾浴風呂が普通にあったそうなんですけど、
それが外国人がいっぱい入ってきて、なんという不死だらな文化なんだっていう。
日本人は男女で裸で一つの風呂に入ってみたいな。
それどこの国の人が言ったんだ?
西側の人なんだろうな。
ドイツとかオーストリアとかのサーナって男女裸で入る、今も。
あとはスウェーデンとかフィンランドとかも男女裸で入るよ。
水着で入って怒られたもん。低温やけどするから。
それで渾浴なの。
今の時代の。
なんで今はそうなの?
それでどこの国の人が行ったんだろうなと思った。
サウナと全然違うカルチャー。
でも同じ部屋に男女入るっていう意味では一緒だもんな。
私もすっごい不思議だ。聞いたの。なんで渾浴なんですかって言ったら、
だってここはもうサウナだから、そういうことじゃないしみたいな感じだった。
でも多分日本人もそうだった。
そういうことじゃないし。
日本人も逆にドイツ人の子が日本に来て初めて、びっくりしてたよ。
お風呂に裸で入るのって。
そうやって言う人もいるよね。
サウナはいいんだけど、お湯に入るのに裸ってどうやったらいいのって言われた。
タオル巻いてどこまでタオル巻けばいいのかとかすごい細かく聞かれて。
でも確かに岩田さんのその話面白いなと思って聞いてるのは、
ショウさんが海外でホテル探す時に結構強めに条件設定してるポイントがあって、
バスタブがある部屋なんですよね。
ってことはない部屋結構多いんですよ。
結構高級ホテルでも。
そういう文化がないから、やっぱり日本人の風呂好きというか、
こういうバスタブがないと嫌じゃんみたいな人が発生してるっていう状況って。
でも僕ら、例えば岩田さんと僕でも、
ショウさんのこだわり方なんかちょっとあれですけど、
気持ちとしては分かるじゃんって思ったんですよね。
気持ちは分かります。
理由があるから風呂入る。
同じ文化圏を共有してる感じはありますよね。
やっぱバスタブ欲しいよな、やっぱみたいなね。
最近日本でもシャワーだけとかあるんだけど、高級ホテルですら。
海外でもシャワーが大きめで、
結構水が上からも横からも出るタイプとかがあって、
座れる基本、シャワーの中で。
さっきのスティームサウナみたいなのに近いのかなと思ったんだよね。
座るって状態、シャワーの中で。
日本人ってあんな狭いワンルームマンションでも、
ユニットバスでバスタブがあることにこだわってる人たちだからね。
ユニットバスもだってあれでしょ?
オリンピックが何か関係してるんだっけ?
知らんけど、でも本題はそこじゃないですね。
ヨーロッパのこともちらっと書いてて、
これもちょっと面白いなと思ったんですけど、
例えばテルマエロマエとか、この帯文も山崎麻里さんが推薦してますけど、
ローマンには公衆浴場の文化あったわけですよね。
その後もヨーロッパには、中世まであったらしいんですよね、公衆浴場って。
バースっていう村がイギリスに今もあるけど、
お風呂のバス?
BATHですね。
あとはバーデンっていう名前の村がスイスに今もあるし、
行ったらマジで風呂ばっかだった。
あとモヘンジョダロ遺跡にも公衆浴場の跡があったって言ってましたね。
モヘンジョダロってどこでしたっけ?
インダス文明だから北インドですね。
あと日本にちなみに言うと、草津温泉って行かれたことあります?
行ったことないです。
歴史遺町古くて、草津温泉に来たことのあるゆかりの人みたいなのが、
湯畑みたいに湧いてる象徴的な広場みたいなところに書いてあるんですけど、
結構トンデモ系の人で言うと大和武とか書いてあるんだけど、
ちょっとそれは言い過ぎだと思いつつ。
あり得なくはないんじゃないですか?
あり得なくはないんですけど、そのレベルですよ。
この人は本当に来たんだろうなっていうのが、行記ってお坊さんだったんですよね。
奈良時代の。
それは多分記録に残ってるだろうから。
言った今の話と付き合わせると、
奈良時代から草津にそういう人が来て、
どういう草津温泉の使い方してたかわからんにせよ、
そういうのあったんだなっていうのは。
どういう使い方って何か。
だから虫風呂がメインだとしたら、
足湯ぐらいに浸って湯気に当たっとっただけかもしらんとか、
僕全然その時の使い方知らんから。
どうなんでしょうね。温泉ってなるとまた話は別でね。
お湯がそこにあるんやったら使ってた。
傷を癒やしたとかそういうやつは多いじゃん。
衛生関連の話だもんな。
中世ヨーロッパで一回公衆浴場の文化が途絶えたそうなんですけど、
それがペストが原因で、
ペストが流行した時に水によって、
水が媒介して皮膚から悪いものが体に入るみたいなイメージが
一般に広がったそうなんですよね。
だから同じ水に入るっていうことは不潔なことであるとむしろ。
っていうのが広がって一回公衆浴場って文化が途絶えたのが、
今度産業革命が起きて、
さっきの話ですけど、貴族と農民みたいな関係だったのが、
ある程度資本家と労働者が近いところで生活するってなった時に、
今度不潔な、不潔なって言うとあれだけど、
衛生状況の良くない労働者が身近にいることで、
今度コレラが流行るんですよね。
それをやっぱり不潔なままにしておくわけにはいかないっていうことで、
そういう人たちを清潔にしましょうっていう公衆衛生運動がイギリスとかで始まると。
だからそういうずっと風呂、公衆浴場みたいなものを、
遠ざけてたヨーロッパが近代になってまた風呂に入るべきみたいなものになってくると。
そういうタイミングで日本にやってきてたりするわけなんで、
風呂には入ってるみたいだけどなんか風呂汚いし、
混浴やし、みたいな外国の目に晒された時に、
日本のお風呂綺麗ですよ、ちゃんとダンジョン開けますよみたいなことで、
今のお風呂の形になっていくっていう流れが明治に起こると。
これは公衆浴場の話。
僕らが毎日お風呂に家で入るみたいなことも、
やっぱり別に全然一般的な習慣でもなくて、
これが広がっていくのも明治20年代以降で、
一番大きいのは日清戦争に勝ったぐらいの頃からみたいなんですよね。
で、まあ、まじであれだな、ラーメンの愛国と愛国の話する時間がどんどん削られていく。
で、この風呂と愛国っていうタイトルがついてるこの愛国は、
なんで今の話でどちらかというと、
風呂に入ってきれいにすることは愛国的な行為なんですよっていうことを、
当時その国が推し進めていって、
それが国民自身も内面化していったみたいなことですよ。
健全な日本男児の作り方みたいな感じだったんだろうな、たぶん。
で、一方でラーメンと愛国は戦後の話なんで、
なんか国主導の話みたいなこととはちょっと違うんですけど、
これはね、改めて読んで面白いなと思った。
基本的にこの早水健郎さんって人はポッドキャストもやってるんですけど、
これはニュースではないっていう、それ僕ずっと聞いてるんですけど、
割と先に無理やり仮説作って、
しかもちょっと冗談まじりぐらいの仮説作って、
それでなんか思いっきり調べて、
もうその仮説をドンと出すみたいな感じの。
先に仮説なの?
でも仮説を立てるってことは、ちょっと確証は持てないけど思うところある?
ちょっとその仮説が逆なんですよね。
でもそれを大真面目に調べ上げるみたいな感じなんですけど。
で、ラーメンと愛国。
これは冒頭で言ってるのは、
これ2011年の本ですけど、最近のラーメン屋って寒い来て、
タオルとか手拭い頭に巻いて、
アイダミツオウ風のポエムみたいなものを壁に貼ってあって、
人間だもの。
いつからラーメン屋ってあんな感じになったんやっけみたいな。
ラーメン堂的なね。
だからなんか日本的な衣装というか、
ラーメン鉢もちょっとマシコヤッキ風だったりとか。
ちょっとアジアジのね。
しかも時期の、それこそ新庁とかで培われた上江とかが
ガニルーツを感じないような。
そういうラーメン鉢ですよね。
っていうのが、何がどうなって今こういうラーメンの形になってるんだろう?
みたいな話からなんですけど、
こっちは逆に重要なのは、アメリカっていう国との日本の関係みたいなところが結構
重要なファクターなんですけど。
意外だよね。なんかラーメンって中国ってやっぱり思っちゃうけど。
まあちょっと。
そもそも小麦じゃないですか。ラーメンって。
で、日本でも小麦はもちろん今食べられてたし、別に全くなかったものではないんですけど。
うどんがありますからね。
戦後、ちょっとめちゃくちゃはしょっていうと、
太平洋戦争になった時に、アメリカがめちゃくちゃ
兵隊に対して食料を送らないといけないので、小麦の生産をすごい機械化したんですね。
大量に早く収穫して出荷できるようにっていうシステムを戦中に作ったんですけど、
戦争終わっちゃったんで、めちゃめちゃ余っちゃったんですよ、小麦が。
で、このまま余らせておくと大暴落すると、国内で。
で、なった時に日本に支援物資として送るっていう形をとって。
もちろん日本買うんですけどね。支援物資でもあるけど、支援物資っていう中身の中のかなりの部分が小麦で占められるみたいなことが、
ちょっと細かいこと言うと間違ってる可能性があるんで。
結構長い期間でアメリカから小麦を買うっていう契約を日本がしちゃったので、
大量に小麦が入ってくる。しかも超安く入ってくる。
安いから手に入れたのか。
小学校で5年生で学ぶ食料自給率の話で、食料自給率が低い食い物のトップ2が大体テストに問題出るけど、
大豆と小麦じゃないですか。
別に小麦は本当は国内でも作ってたし、やっぱり小麦っていうと輸入品のイメージあるけど、別にそうじゃなかったわけなんですけど、
さすがに超破格の小麦が大量に入ってきたんで、国内の小麦農家はもうやっていけなくなったわけですよ。
駆逐されちゃったわけで。
じゃあその小麦で何作ろうってなると、パンであったりとかラーメンであったり、ここの本ではスパゲッティナポリタンっていうのが出てくるんですけど、
っていう小麦の食い物みたいなものが大量に生まれて、学校給食もご飯じゃなくてパンがいい加減まではずっとパンしかなくて、
僕小学生の時は週2でご飯やったわな。
米飯って言ってた謎に音読みなんですけど、米飯給食って言ってた。
それで普段はパンなんだけど。
何それ。
東海地区ではそうでした。
聞いたことない。
米飯給食。
塩夫さんは?
そんな聞いたことない。
パンじゃないの?
ご飯も出てたよ。
だから週1、2回じゃなくて。
小学校の時、給食室が建て直しになったりとかしてて、途中お弁当になっちゃったから何ともいえない。
覚えてないんだけど。
例外的な。
保育園、僕は名古屋市立の保育園行ってたけど、そこでも当然パンだったし。
でもそんなにパンばっかだなって記憶がないね、私の中で。
そうなんだ。
中学校も給食でそんなにパンばっかって思ったことないよ。
1980年ぐらいまではパン食で週1でご飯とかやったみたいなんで、どこも。
まるっきりその記憶ですよ、僕。
徐々に増えてった、米が。
揚げパンとかぐらいしかパンって言った時に食パンですごい、うわ食パンだと思ったぐらいだもん。
全然岩田さんのおっしゃるところに到達してないんですけど、事前に資料を見ててその話を読んでた時に、
この構造があったらもっと理解が深まったわと思ったんですね、小学校の産業の勉強の時に。
確かにね。こんな紹介の仕方は小学校でしないでしょうけどね。
アメリカ嫌いになっちゃった。
アメリカ好きか嫌いか別にしてファクトとして教わってもいいかなという。
手っ端ばっかのせいはアメリカのせいになってたね。
じゃあラーメンがなんで国民食的になっていったかっていうところの一つのトリガーとしてここで書かれてるのがチキンラーメンなんですけど、
安藤文夫が開発したインスタントラーメンっていうものが、これが食品に大量生産のシステムの考えを持ち込んだっていう。
おそらく初めての事例だったと日本で。っていうのが一つ大きい。
それまで戦前は南京そばって言われてたのがシナそばって言われるようになって。
シナそばって言ってたのが中国が中華人民共和国になって、シナって言わずに中国って言ってくださいっていう外交的な要請もあり、中華そばになり。
中華そばっていう名前がもう一般的になってきたっていうところで、チキンラーメンが爆発的にヒットしたんで、ラーメンっていう名称が一番ポピュラーになっていくみたいな。
めっちゃ食いたくなってきちゃった。
ラーメンって言葉自体は中国語からじゃないの?
それは多分中国語からなんだと思いますけど。
それまではそばっていう日本語だよね、そばって。海外のそばって言い方だったけど、急に海外のものの名前を使い出して。
80年代の筋肉マンって漫画があったと思うんですけど、いろんな世界の超人って言われるキャラクターが、いろんな国をリプレゼントしたアイテムが出て、中国の代表はラーメンマンだったと思うんですよ。
花鷺とかで置いてあるブレンド米とかに、
多分混じってんだろうな。
多分。
とかココ米とかコマイが混じってんだろうな。
昔、本当に日本食になるような米って、
マジ探すの大変だったからね。
私最初行った時だから、
20年くらい前とか、
売ってないもん、全然。
よくてチキンラーメン。
海外の話?
そう、ヨーロッパとか。
全く日本の米ない。
90年代後半のロンドンに留学してた小さん。
後半じゃないね、もう。
94年だから、
中盤以降のロンドンで暮らす。
ロンドンじゃない。
フランスです。田舎です。
パリとか。
パリでもない。
リオンとか。
田舎だったからかもしれないけど、
パリにわざわざ買いに行ってたもん。
そういえば今、リオンで思い出したけど、
さっき中世のヨーロッパで、
ペストが流行してから、
虚構種浴場の文化が廃れたみたいな話をしたんですけど、
その代わりに清潔さの象徴になったのが、
下着を綺麗な白い下着を身につけるっていうのは、
これは主に貴族の話でしょうけど、
が清潔の象徴になったみたいなことで、
薄くて着心地のいい布を作るみたいな技術が、
そこで発達したのかなと。
なるほどね。
確かに。
だってリオンってジャカードが生まれてたりとか、
防石強い。
敵スタイル。
イギリスも産業。
毛織物とかだったんでしょうけどね、イギリスとかは。
イギリスは結局エンジンだから、
蒸気機関車みたいな流れ。
オートメーションが得意になって、
全然フランスよりイギリスの方が一気にドンって儲かったから、
フランス人からしてみたら、
急にイギリス人が金持ちになったぞぐらいの勢いだったらしい。
当時はね。
なるほどね。
北イギリスだね。
リーズとかマンチェスターとかシェイフィールドとかの辺が、
産業都市として敵スタイルで発達した。
トヨタも元々敵スタイルだからね。
初期ね。
案の定ですね、僕が2冊の無理矢理まとめて本を紹介する上に、
ナショナリズムの勉強した知識をぶわーっと先に言うみたいなことをやっちゃったので、
すっかり時間なくなっちゃったわけです。
なくなっちゃったというか、長いエピソードになってるわけですけど、
一応、宣言したとおり風呂とラーメンと工芸と愛国っていう。
工芸は。
そう、工芸の話してないな。
ちょっとね、改めてこの辺のことを文献とか読んで思ったのは、
工芸っていう言葉の生まれ方自体がそもそもちょっと愛国的だなって思ったわけですよ。
つまりそれまで別に普通に営まれてたいろんなものづくりを、
ヨーロッパが入ってきてヨーロッパ的にくくれる産業は工業っていうことにして、
それとは違うものに何かもう少し別の名前を与えるみたいなことで、
日本の特殊性みたいなことをそこで言おうとするっていうのは、
ちょっと意図というか、名前の付け方になんとなくある気もするし。
ちょうど今日その話を聞いてたんですけど、
フセリンタロウさんっていうアーティストと、
オチヤイヨウイさんと、
沢良宏さんの対談があったんですけど、
それが先週あったんですけど、
沢良宏さんが美術っていう言葉と、
それも工芸もそうですけど、
博覧会によって作られた言葉っていうふうに歴史をひもといて言ってたから、
博覧会の会、今年日本でも日本がオーガナイズする万博やりますけど、
エクスポね。
日本では当然やれないし、
後進国っていう劣等感の中で、
博覧会っていうのはあくまで産業の見本市として出すわけなんだけど、
売り物、要は外貨を頑張って稼ぐぞっていうところで、
旧仕立ての美術とか工芸とかっていう言葉を作って、
そこに出品するという、
博覧会とやっぱり日本の美術とか工芸とかと密接な関わりについて、
やっぱりリマインドしてたとこでした、今朝僕。
ちょうどパリのお墓に、
日本人のお墓あるんだよね。
日本のものを船で運んで、
パリ万博で紹介するために、
船で何ヶ月もかけて来たんだけど、
なんかみんな死んじゃったんだって。
一人だけ生き残ってたのかな。
それでやっと日本の文化をパリ万博で紹介できたのは、
その人が生き延びてたからっていうこと。
本当かわかんないけど、
ペール・ラッシェーズの案内人に聞いたじゃん。
それがこの人なんだとか言って、
侍とか言ってたから、
私ちょっとその時点が怪しいなと思ったんだけど。
侍とか言っときゃいいみたいな感じなんだろうな。
実際名前見たの、お墓の。
日本人の名前だったし、
1年に1回日本人コミュニティが集まるらしいんだよ、
数百人そこに。
そうなんだ。
パリの市内にあるでっかい墓地ですよね、ペール・ラッシェーズ。
ちょっとパリに行く機会があるかわかんないけど、
岩田さんにはおすすめですね。
いろんなオスカーワイルドとかショパンの墓もあれば、
ドアーズのあの人。
ジュン・モリソンの墓とかがありますね。
なぜかパリにありますね。
公家さんみたいな。
本当にいろんな国の人のお墓。
ジュン・モリソンの墓ここなんだ、みたいなのもありますね。
やけんに歴史に詳しい。
そのお墓で30年ぐらい働いてるって人が案内をしていて、
たまたまその人の話を聞いただけなんだけど。
愛国心を煽られる話だな。
そうだよね。
そういう人がいなかったら、
今日本のジャポニズムとかもさ、
やっぱり芸能っていう形だから受け入れやすかったのかね。
それがほら、
言葉を教えますとかだけだとさ、
ちょっと続かなかったりするじゃん。
習いたいっていう強い気持ちないと、
習わないじゃん、言葉って。
だけど知らなくても、
歌とかで、歌だったらさ、
海外の曲とかみんな聞くじゃん、
言葉分かんなくても。
全然違う話で、
この話も本当に短くしゃべりたいんですけど、
日本にスカフレイムスっていう
スカのバンドあるんですよね。
結構長いんですよ、
別にリリースがそんなに多いわけじゃないけど。
ノリパン、僕スカフレイムスだと思ってて、
スカとか、
ジャマイカとかの音楽とかを
日本ですごく勉強しながらやってて、
例えば、ジャマイカの人から
たまに人を呼んだりとかして
アルバムとか作ったりとか、
同じようなこと、
全く同じようなことやってるんですよね、
ノリパンの先生を朝鮮半島から
招聘してワークショップやったりとかっていう、
ああいう感じ。
スカフレイムスとかは
本当ノリパンにしか見えないところがあって、
説明がしにくいから
今それを引用してるだけなんですけど、
ただ、そういうダラダラと
そんな気払わずやっていくことで
逆に、
延々と続く集団というか、
そういう印象がある。
岩田さんには伝わるかもしれないけど、
聞き手に伝わるかどうかは謎ですけども。
例えば、ロックとかだと、
それこそ愛国とか国民性とかってないと思うんですけど、
スカとかレゲエとかになると、
そういうわけにもいかないと思ってるんですよね。
本当に何かしてこうと思うと、
ジャマイカの歴史とか、
それが生まれた背景とかっていうのを
避けて通れないというか、
そういうところがあるから、
そういう部分もちょっとね、
ずっとやってる人は避けられない問題だしとか、
意味でちょっと似てるっていう感じかな。
伝わったかどうか。
まあいいや。
でも、それを思い出したっていう、
この話してて、
その国とか国籍の違いではなくて、
言語感とか価値観とかも全然全く一緒とは言い切れないかもしれないのに、
それを伝えていくっていうさ、
共通の何かを引き継いでいきたいっていうさ、
何か気持ちで、
別に賛成の人だけじゃないじゃん。
日本人の人もいるし。
あれですよね。
フミさんのお父さんが、
フミさんのためにのりパンっていうパトリオを作って、
そのパトリオをいろんな人に広がってるっていう感じ。
まとめ上手ですね、やっぱり。
そうです。
そういうことです。
何でそれを思い出したんですか。
ちょっとその話のついでに言うんですけど、
その話だけすると、
僕本当に在日コリアンとして今の話してるような感じがあるんですけど、
僕のもう一個のルーツって日本人なんですけど、
それの意味の重要なことが正月にあったんですけど、
発見されたっていう南方戦線に行ってた僕が会ったことない祖父の手記が見つかったんですけど、
南方行ってたんですか。
ガナルカナル島とかですね。
その手記は見つかった話はしてたんですけど、
文字起こしをしてるっていうのを1,2年前に聞いてて、
それがようやく終わったのをようやく読んだんですよね。
それで言ったら、さっきの米の話なんですけど、
平坦の振動さというか、米のなんだろう。
あれがしみじみと辛いというか、
そこでも負けてる感がすごいんですよね。
平坦の核補給論みたいなもんで、
あれってやっぱり手間かかるよなとか、
そういうのを今の話を聞いてもそう思ったんですね。
それが戦後そういう小麦のアメリカからの押し付けと、
僕らの今日のラーメンの親しみと、
インバウンドがひたすら日本っぽさを求めてラーメンをやたら食いたがるという、
そのカオティックな現代。
そこがいろいろと因果関係がうすらつながってきて。
うみさんのルーツですごい今日のエピソードの因果がきれいに閉じてきてますね。
もう今ぐちゃぐちゃな現代ですよね。
愛国って何っていう。
その話のついでに言うと、
ラーメンを海外で食べた話、ちょびっとだけしていいですか。
しもさんと僕とか海外出張とかよく行ってた頃に、
寿司はよく行ったんですけど、
寿司こそ、僕は寿司の概念の拡大を知りたいっていうタイプと、
江戸前じゃないと海外で寿司食いたくないっていう人。
そういうことじゃない。江戸前じゃないとじゃなくて、
その国の食べ物が現地で食べてみたいを優先したいのに、
なぜパリ行って寿司しかもよくわからない寿司。
ちょっとそれは意見の違いなんですけど、
寿司が再解釈された寿司みたいなものも、
現地の食べ物っていう理解だったから、そこのジャンプですね。
今ならわかるけどね。
ラーメンもたまに食うんですけど、
ニューヨークに行った時の一覧とかかな、
ニューヨーカーズなんとかっていうのがあるんですよね。
一覧のメニューに。
何かっていうと、
ヴィーガン仕様なんですよ。
僕別にヴィーガンじゃないんですけど、
物は試して食べてみた時にちょっと味薄いんですよね。
コクがないってこと?
出汁の強さがないのと、
味が薄いとか濃いとかじゃなくて、
僕らが共有している出汁がグッとくるような感じがないんですよ。
で、その時はまだ円高も、
円安がこれほど進んでなかったにも関わらず、
だいたいアスコールが2300円であって、
食べて、それでチップがいるからプラス1000円上乗せされるぐらいのイメージで。
高いよね。
で、34000円でクソまずいラーメンを食うっていう感じなんですよ、まとめると。
しかも並んじゃったりとかしてるしね。
それでパリとかも、何だろうな、
イソマル水産って京都にありますっけ?
イソマル水産。
あのもん見ないね、京都で確かに。
何だろうな、
水産、晩夜風の大衆居酒屋みたいな感じなんだけど、
パリの居酒屋みたいな内装のラーメン屋もクソまずかったんですね。
そこは居酒屋じゃなくて、
月時間なんかの市場をディズニーランド買って、
ディズニーランド買っているぐらい、
全部スタイロフォーム、何スタイロフォーム?
スタイロフォームは、でも発泡スチロールを削って、
でもすごいクオリティ高い。
かつおのなんか。
本物に一瞬見える、遠目から見たら全然発泡スチロールだと思えないから、
氷とかもね、偽物だけど入っててね。
で、なんかキャッキャしながらね、
パリの人たちが並んで食っておいしそうにしてるんですけど、
まあまずくて、それもいっぱい4,5千割が。
びっくりしたね、あれね。マッチマズかった。びっくり。
何が言いたいかというと、その時に愛国心が煽られましたね。
口がこれじゃないみたいな。
あの時ばっかりは愛国心が煽られたんですね。
パリにもさ、日本食結構おいしいとこあるのね。
でもそこは本当に、なんだろう、ディズニーランドでしかなかった。
なんかね、寿司ほど寛容になれなかったんですよ。
よかった、あれでこれで面白がって、またなんかまずいラーメンを食べ歩くっていう意味わかんないさ、
リクリエーションに吊り回されるのかと思った。
寿司は握ったやつをさらにフライドさせたりとかして。
ドラゴン、なんだっけ、巻き、ロールっていうんだよね。
握った後は揚げるんだけど。
マヨネーズもかけて。
全然おいしく食べれるんだけど、寿司と思わなければ。
あんまり好きじゃない、私。
これはこれでありだよねっていう発想までまだ海外で食べるラーメンは達してないですね。
うまみとかいうさ、なんかあるんじゃない?
しかもうまみって日本語、またそれも改善と同じでさ、日本語、英語になったもんね、うまみって。
あ、うまみってそうなんだ。
うまみもそうですね。
そのぐらい日本人ってなんかこう、味の、英語だとブロースって言うんだけど、
出汁とか、なんかそういう何かを煮込んで出すっていうやつね。
フランス語だとコンソメとか。
研究されてほしいよね。
だからその時に逆説的に、なんか日本でもやっぱり貧富の差があったりとか、
育ちの良い悪いとか教育格差とかすごい言われてるけど、
その麺のなんかコシとか、そういうものに対するこだわりって、
そういう何か日本で起こる格差とかを超えてみんなが共有してる概念だって思ったんですよね。
で何でかっていうと、そういうのが何か全然無視されてる海外のラーメンっていうのは、
全然無視されてる海外のラーメンを食べたことによって、
なんとなく共有してる日本人のラーメン感とかに逆説的に気づいたんですよね。
だから愛国心を煽られた感覚の因数分解すると、
そういうことに行き立ったみたいな、そういう感じでしたね。
結構みんなと共有してるんだろうなとか。
例えば教習所とか、違うわ。免許の更新とかに行くと、
自分の選んできた世界とかそういうのと違う、
いろんな人が教習のところに集まったりする感覚はありません。
多分話したことないけど、
そういう人たちともラーメンのコシとかの感覚って通用する話題なんだろうなっていう感覚というか、
そういうのを思うというか。
なんか不思議なのがインドのカレーとイギリスにあるカレーと日本のカレーも全然違ったりする。
ラーメンって何か向かっている方向性がある気がする。
あるよね。
まずいパリのラーメンを置いといて。
方向感がないもんね。
どこから改善したいかわからんもんね。
麺なのか出汁なのか。
色だけがあったね。
ビジュアルは近かったな。
なんかスープがやばかったしね、麺もやばいけど。
松みたいな。
そんなまずい、テレビでやってたヒコリューとかああいう感じの食ったことないけど、
それ以上にまずい気がするんだよな。
また行ってみたいよ。
ちょっとそろそろ話も閉じていく感じにしないと。
だいぶ長くなった。
すいません。
最初短めに。
自分のせいですけどね。
いやいや。
ラーメンと愛国と風呂と愛国の話でしたね。