1. イナズマキャスト
  2. 21: People - 青春の詰まった..
2022-09-24 1:01:44

21: People - 青春の詰まった土師の里 (佐々木航大, クリエイター)

spotify apple_podcasts

佐々木航大さんをゲストに迎えて、芸大時代の思い出、サンダーバード構想、土師ノ里でのアートと暮らしの両立、Smilesでのクリエイター活動などについて話しました。 

番組への感想や質問などは📮こちら から(Google Formが開きます)。どんなことでもお気軽にメッセージください!

サマリー

大学生の時に長崎から大阪に出てきました。大阪芸術大学っていう、端の里というか藤枝からすぐ近くにある大学に通っていたんです。ですから、住むにも便利で、通うのも便利な感じですね。藤枝に住んでいました。でも、住み始めたきっかけは特殊なんですけど、後でもいいです。 青春の詰まった土師の里での生活や大学時代の経験が、現在のクリエイティブ業界の仕事に影響を与えています。土師の里の便利さやアートの影響についても語られています。 ルクアーと阪急3番街にあるアベノフーピーは、関東にも多くあります。東山さんはスープストック東京の社長で、一緒に仕事をしていて、その人柄やファッションに興味を持ちました。東山さんの仕事はアートからデザインまで幅広く、お客様の心をくすぐる要素をしっかり残しています。 佐々木航大さんが語る、青春の詰まった土師の里の話です。

00:00
イナズマキャストが、今日が第何回目になるのかな?
えっとね、 第何回目だったかな?
さっきも忘れてしまうぐらいしていて。 結構頻繁にされてますよね。
20回目ですね。 記念すべき、切り板ありがとうございます。
切り板っぽいです。
多分合ってると思います。
切り板頂いちゃいました。
あ、そうですね、20回目であってますね。
佐々木光大君の自己紹介
今日は佐々木光大君に来ていただいておりまして、
実は僕も佐々木君は、光大君という名前だけ聞きしてて、
農園端の里の2階の、今上のバカンスっていうエリアになってますけど、
そこで寝ていたって話は聞いてて、
今はデラハジリっていうギャラリーになっていますが、
光大君が住んでいたっていうことで、
ちょっと何か繋がりを感じたなっていう。
いや、そうですね。
最近遠まきに藤枝辺野里会話を見守ってるんですけど、
いろんな方が何かをされているのを見て、
ちょっといいなって思ってました。
あ、そうなんですね。
ちょっと最初に光大君の自己紹介的なことをしてもらえると嬉しいです。
佐々木光大と申します。
長崎生まれ大阪育ちで、
今は東京でスマイルズという、
いろんなクリエイティブをやってる会社に所属してまして、
元気にやってます。
大学生の時に長崎から大阪に出てきまして、
大阪芸術大学っていう端の里というか藤枝からすぐ近くにある大学に通ってたので、
住むにも便利、通うのも便利みたいな感じで藤枝に住んでたっていうところがあります。
ただ住み始めたきっかけは特殊なんですけど、
ちょっとその話はおいおい。
そうですね。後でもいいです。
じゃあ今は東京にお住まいってことなんですかね。
そうですね。
今ちょうど収録を光大君が寝ていたであろう場所で撮ってるんですけど、
1階に落ちたことあるって聞いてるんですけど本当ですか?
本当です。
本当なんですね。
今井上さんがいらっしゃるのはもともとBOX1と呼ばれていた部屋というか区画でして、
そこの1階と2階を借りて住んでたんですけど、
めちゃめちゃ酔っ払ってる時に、
これもちょっと尖った作りをしてるんですけど、
はしごで上に上がらなきゃいけない仕様にしてて、
そのままはしごから落ちてかかとを折るっていう骨折型を起こしましたね。
かかと折れちゃったんですか?
かかと折れちゃいました。
めちゃめちゃ痛かったです。
それは痛いですね。
じゃあ即あれですね。病院に行ってとかですね。
病院に行きましたし、
降りてるだろうなと思ってたので、
治療してもらって松端へ着いて帰ってきたんですけど、
その後そこでどう暮らそうみたいな感じで結構いろいろ試行錯誤しながら、
片足使えないので、腕力だけではしごを登ったりとかして暮らしてました。
じゃあほんと大変ですね。
そうなんですよね。
まあ面白かったんですけどね。
でも面白いところですよね。
なんかとてもここに人が住んでたんだっていうのがちょっとなかなか想像がつかないんですけど。
そうですね。
富士寺に住み始めたきっかけにもつながってくるんですけど、
富士寺のフィクサーと呼ばれる石村さんとの出会いがすごい大きいきっかけではあるんですけども、
大学の先生に呼ばれて道明寺の駅前にある居酒屋さんに行ったんですけども、
そこに石村さんがいて、石村さんが僕に、僕にっていうか芸大生としての僕に、
富士寺とか恥の里とかどういう名前に芸大生に住んでもらうにはどうしたらいいのかみたいな。
芸大生があんまり岸とか岸っていう大阪芸大の茉莉駅に住んでるとかは多いと思います。
古市も急行、急行でしたっけ?
急行、巡急かな?
巡急が止まるのですごく便利だし、
でもちょっとこう道明寺、恥の里あたりはあんまり人気がなくて飛ばして富士寺に住まれちゃうみたいな。
この辺にちょっと誰か住んで欲しいんだよねってなって、
ちょっと当時イキリ大学生だった僕は、
こんな、そんなのこういう物件にしたらみんな住んでくれますよみたいなちょっとこう、
プランをサラサラと書いたんですよね。
そしたら3ヶ月か4ヶ月後ぐらいに作り始めるって話が来て、
マジかみたいな。
その時に構想したのが、
ギャラリーを始めるきっかけ
1階は制作スペースだったりギャラリーとして使えて、
2階に住むみたいな感じの構造だったんですね。
それで試作的に、今井上さんがいらっしゃるボックス1と呼ばれる格好と、
井上恥の里があるボックス2ができた。
そうだったんですね。
でも今もシャッターにボックス1、ボックス2って書いてありますけどね。
そうですね。
僕のイメージでは永大寺の秘密キッチンみたいな感じで、
ちょっとサンダーバード的なことを意味してたんですけど。
サンダーバードみたいな。
確かにそういう感じしますね。
結構尖った作りと言いますか、階段を無くして、
天井が高くて、下はコンクリート落ちっぱなし、
汚しても平気な感じになってて。
でもまあ、なんとか住めるみたいな。
芸大生はバイタリティだったりとかサバイバル精神が強い子が多いので、
そういうことを期待して住めるようになっているんじゃないかなと思って作ったんですけど、
募集をかけたところに入ってくれる芸大生はなかなかいなくてですね。
ああ、そうだったんですか。
じゃあさすがに企画したの僕なんで、住みますみたいな感じで。
ああ、そういう流れ。
住みますっていうので、住み始めたんですよね。
住んだのはどのくらいの期間住んだんですか?
ちょっと定かじゃないんですけど、3年くらい住んでた記憶が。
3年も住んでたんですか、ここに。
芸大の2階生の頭?か。
2階生くらいから住み始めた記憶があります。
それまでは芸大の近くの南川地区っていうところに学生寮みたいなところに住んでて、
そこはすごく普通の学生マンションで快適だったんですけど、
退居ということで。
そこに住み始めた感じですね。
藤寺での生活
最初は普通に住んでたんですよ。
1階もちょっと生活スペースにして、
2階も荷物置きと作業スペースみたいな感じで。
ああ、普通にしてますね。
してたんですけど、ちょっともったいないかもって。
話が前後しちゃうんですけど、
僕が帰ってた学科が芸術計画学科という学科でして、
そこはキュレーションだとか展示企画とか、
いわゆる学芸員さんだったり、
展示家というかプロデューサーを育てるみたいな学科だったんですね。
その3年生くらいになった時に、
実践が伴いにくいなと思っていたのも、
展示会場借りて展示会企画してとか結構大変なのと、
あとは周りでも展示会場高いし借りれないみたいなことが多くて、
じゃあ僕ギャラリーやったらいいんじゃね?と思って、
ギャラリーより始めたっていうのが3階生。
頃。
3階生?
3階生。
大学3年生の時にやり始めたんですよね。
なんかあれですかね、よく言う、
僕は例え話でよく使うのが頭と手っていう話なんですけど、
頭を使うのと同時に手も動かすっていうのを、
両方大事かなと思ってて。
そうですね。
僕がさっきお話聞いて想像したのは、
頭を使う割合が多かったのかなとか。
そうですね、言っても大学生だったので、
お金とかあんまなかったんですけど、
でもちょっとこう、
動いてみないと見えないこととか、
やってみないと分かんないこととかもたくさんあったので、
ちょっと一人でやる勇気はなかったので、
当時2個下のやる気がある子を誘って、
2人でギャラリーをやり始めたんですよ。
オープニングパーティーとか盛大にやって、
フジギャラのフィクサーこと西村さんに
チューハーをたくさん持ってきてもらって、
盛り上げてもらい、
そこから2年弱ぐらいギャラリーをやってましたね。
大学卒業してからも1年ぐらい続けた感じでした。
そうだったんですね。
高台くんがギャラリーをしてたんですね。
そうなんです。
私は住人兼ギャラリスト。
ああ、住人兼。
そういうことですか。
あんまり私生活とかはなかったですね。
そうですか。
質問でギャラリーに名前はありましたって聞いてるんで、
ちょっとお答えすると、パスティスという名前をつけておりました。
パスティス?
今でもウェブは実は生き残ってて、
見ることはできます。
中途半端な感じで残っちゃってるんですけど。
そうなんですね。
それも初耳です。
デラハジリの前身とも言える感じですね。
いや、前身でしょ。
まあ、そうですよね。
第一号が高台くんなんかな。
そうですね。
ものづくりの作家さんとかは、
その当時、
リスナーの方はご存知なのかもしれないですけど、
里庭の箱エリアにはいらっしゃったので、
ちゃんとしたギャラリーとしてのお店は僕が初めてだったのかな。
そうか。
西村さんとの出会いがあって、
住み始めてっていうのがあったんですもんね。
結局きっかけとしては。
そうですね。
西村さんにいい感じに巻き込んでもらえたっていうのは、
今でも結構人生に響いてますね。
人生に響いている。
人生にターニングポイントがあるとしたら、
西村さんとの出会いが一つのターニングポイントだったなって思います。
そういうことですか。
なかなかすごいですね。
ターニングポイントって言える?
結構そこから僕、
大学2年生に引っ越してきて、
4回生。
社会人1,2,3年。
6年くらい藤寺にそこから住んだんで。
かなり長いですよね。6年っていったら。
僕もまだ2年くらいしかいないんですよ。
なので全然住んでる時間としては短いんですけど、
もっとですもんね。3倍くらいですもんね。
そうですね。長いこと。
途中で今いらっしゃるBOX1の区画は退去しちゃって、
別のところに引っ越して藤寺に住めたんですけど。
そこがマンションみどりです。
そこがマンションみどりですか?
そういうこと。
マンションみどりにも住んでたんですか?
そうなんですよ。マンションみどりに住んでましたね。
マンションみどりには3年住んだのかな。
長いじゃないですか。それも。
3年か2年くらい住んでました。
住んでました。 ああ、そうだったんですか。
その頃は一階は自転車置き場だったんですか? 一階はいや、あのなんか、貯金か何か、そのシルバーアクセサリーを作られている作家さんが、作業場として借りられてた感じですね。
僕は今、皆さんが看板を置かれているところに自転車を置いてました。
ああ
そうか。 なるほど。
いやー、それは意外でしたね。 マンションみどりだとは。
マンションみどりを、多分リスナーの皆さんはご存知だと思うんですけど、今、芸大生が助かってしている、
なんだか、建物。 元集合住宅みたいなところですかね、そこに普通に住人として3年くらい暮らしてた感じですね。
ああ、そうか。
なるほど。 トータルで6年くらいって感じなんですかね。そうですね。
でも結構、年齢にしてはいい時期を藤原で過ごしたということで。
まあ、あの、なんて言うんでしょうか、
別にそこはあんまり気にしてなかったとか、よく終電、金鉄の終電逃してJRの終電で柏原駅まで行って、
柏原駅からマンションみどりまで歩いて帰ってくるみたいな、
なんかちょっとこととかやってましたね。 ああ、そうか。
なるほどね。 そうですね。
土師の里での生活と便利さ
まあ、マンションみどりまで駅からちょっとありますしね。 そうですね。なんかちょうど中間地点ぐらいだった。
まあ、大学卒業してその後、
僕はフリーランスになったんですけど、
そのメインのお仕事が、今、
富田部屋市駅の駅前にあるきらめきファクトリーっていう施設なんですけど、そこの2階の企画運営みたいな感じだったんですね。
それを3年間やるみたいな仕事をちょっと受けてて、
そこに常駐したりとか系、なんかずっと行くってなると、すごい、あの、恥の里が都合良かったんですね、場所的に。
恥の里が大好きな理由の一つに、今日ちょっと恥の里のどこが好きだったっけなってメモを起こしてたんですけど、
河内長野方面に行く時の時刻表が5か0なんですよ。
5か0? 55分とか。ああ、そういうことね。0時、あの、まあ、
00分とか。 うーん。
なんかすごいね、わかりやすくて。
やばい、あの、なんでしょう、計算しやすかった。あと10分出てなきゃなとか。ああ、そういうこと?
なるほど。 通勤しやすかったんですよね。
普通に大学生というか恥の里に住んでない時は、なんでこんなとこに泊まるんだよみたいな気持ちだったんですけど、恥の里いらねーよと思ってたんですよ。
恥の里を住み始めるとめちゃくちゃ便利でしたね。藤井寺にも一本だし。 そうですよね。
ちょうど
準急がその藤井寺から泊まりますよね、確定で。 そうなんですよ。
なので、 とってもありがたいなと僕も思ってますけど。
恥の里を住むにすごい便利な、実はすごい便利な場所なんですね。 そうですね。
なんか、意外とその便利さに気づかれていないかなという気もしますけどね。
あの 例えば大阪市内に住んでいる人とかから見たときに
藤井寺、恥の里、界隈のことがどう見えているか僕はちょっとよくわかんないですけど
意外に、 意外に便利な場所なのでは?って
そうなんですよね、なんか
意外に便利で
確か20分かかんないぐらいで安部の橋に着きますよね。 そうですね、着けますね。
なんでそんなとこに住んでるんだよってめっちゃ言われてきた3年間というか6年間だったんですけど。
えーそうでしたか。 でもすごい僕は
なんか離れたくなかったですけどね。
振り返るとかなり
かなり思いますね。 かなりあれじゃないですか、恋時間を過ごした場所なんですね。
相的に出てくると思います。 ああそういう感じなんですね。
いやでも想像どおりでした。なんか
あの すごく恋時間を恥の里で過ごしたっていうことを勝手に想像してましたけど
お話し聞いたとおりだなと思って。 そうですね。
なんかそのインスタからの質問で恥の里で食事はどうしてたんですかって言われるんですけど。
ずっと行きつけのお店でどんばっていうお店が。 どんば?どんばっていうお店があって、ちょっと最近なくなっちゃったんですけど。
あーそうですか。 最近でも、最近って言ってももうちょっと前かな。
どんばっていうお店があって、そこはお好み焼きとかたこ焼きとかのお店だったんですけど。
そこで
ご飯を食べるか
奏者と言われる地域が、地域というか町名があると思うんですけど、そこに百均があって
そこの 百均で缶詰を買って
ちびちび食べてました。 マンション見取り自体はそんな感じで。
あと そこに住んで、ボックスワンというか
今井上さんがいらっしゃるところに住んでた時は、アプロっていうスーパーが今はないと思うんですけど、
あった時にそこで 創材買ったりとか材料買ったりしてちゃんと調理して食べてました。
今ってキッチンないんですよ。ないんですかね。 キッチンはね、一応ありますね。
そこでご飯作ってます。 なんかコンロが一つ、電気のやつかな。
はい、IAEで。 友達呼んで鍋したりとかもしてましたし。
すごいな。 一口コンロでいろいろ作って。
いやでも、その場所で今収録してるっていうのは、なんかすごい縁を感じますね。
アートの影響とアートスペースの設立
そうですね。
長谷の里はすごいなんか、親戚ぐらいの感じです。関与度としては。
いろいろな人とつながったりとか、
自分がかつて手がけたものを誰かが引き継いで今やってたり、
あとは最近、シェアアプリEmuでしたっけ。 シェアアプリ?
いや、Emuっていうアートスペースができた。
Emuってアートスペースができた。 長谷の里に。
僕より詳しいかもしれないですね。
長谷の里にアートコレクターの方がお住まいで、
その方が、どこかに行かれちゃうのかな? 知ってますね。
知ってますか? そこが意味なんですけど、そこを芸大生向けに、
オープンにされ始めた。 その方とお会いしたことがあって、一回お家遊びに行かせてもらったんですけど、
その時にギャラリー昔やってたんですよ、みたいな話とかしたらいいな、みたいな話があったりして、
その方がついに家をアーティスト向けにオープンスペースにしたと思うと、
また一つ、長谷の里にアートスペースができたと思うとすごい感慨深いなっていう。
そうですね。
僕はアートって、よくあるギャラリーとか、美術館とかに行ったりとかしてみるもんっていう感覚だったんですけど、
今の1階のデラハジリもそうですし、マンションみどりもそうなんですけど、
すごいね、その生活の中とか暮らしの中にアートがね、潜り込んでくるんですよね。
そうですね。
で、そのサッカーをやっている人たちとも結構気軽に話せたりね、
するっていうのもあって、なんかより身近なものになったんですよね。
そうですね。
やってきますよね、アート側がこっちに。
そうですそうです。
なんか一人でギャラリーやってた時は、結構若干ちょっと自信はあったんですけど、心細い気持ちもあったりして、
でも今はこうやってこういろんなアートスペースができたりとか、
あとは朝の屋ブックスだったり、門前とかもできたりして、
近いアートがすごいにぎわってるなというか、
話しとんじゃうんですけど、台湾で、台湾にしか僕は海外行ったことないんですけど、
台湾ってこう街中に突然アートが現れたり、
普通にタンクトップとタンパンと犬散歩してるおじちゃんがアートイベントとかにフラッと立っちゃって作品見てたりするんですよね。
そういう環境までもうちょっとだなって感じがします。
確かにそうですね。
少しずつアートが染み込んできてるというか、感じの場所になってますよね。
そうですね。そういう場所になっていく、一旦に関われたのはすごい嬉しいなっていう気持ちがあります。
そうですね。やっぱあれですか、
ちょっと時間を今の方に戻そうかなと思うんですけど、
大学時代と現在の仕事の関連性
恥の里に暮らしていたとか、大阪芸大に行っていたとかっていう当時のことって、
今の仕事とかで何か影響ってしてるんですか?
いやめちゃめちゃ影響してますね。
ああそうですか。
アートとかの仕事をガッツリやってるわけではないんですけど、
アートクリエイティブっていう畑にはずっといまして、
極端な例でいくと、そんな簡単にできるもんじゃないっていうことを実感を伴って話せたりだとかするし、
アーティストの方とコミュニケーションを取る機会っていうのはそんなにたくさんあるわけではないですけど、
こういう風に展示してるのかっこいいですねとか、
普通の話ですけど、できたりとかするっていうのは、
大学時代とか藤寺時代に培ったところっていうのは結構でかいのかな。
なんかすごい、先ほど頭を使ってたみたいな話だったんですけど、
めちゃめちゃなんかいろいろ考えてた時期だなって思います。
インプットよりもアウトプットと自分の中でのこのその考えのループみたいな時間がすごい長かったですね。
修行というかちょっとこう藤寺に籠るみたいな。
ああそういう感覚。
良かったかもしれないですね。
まあでも修行、学生だからそういう時間を過ごしてもいい時間ですもんね。
そうですね。
あとなんか僕は結構、人とコミュニケーションを取るのが自分から声をかけていくっていうのは結構苦手で、
まず自分に興味を持ってもらうみたいなのはちょっとなんかややこしいんですけど、
話しかけてもらえる方が楽というか、話しかけてもらえたら喋れるんですよ。
なので、誰かに興味を持ってもらえたりだとか、
逆にちょっとこう、実はこういうのがあってやってみないみたいな話しかける材料みたいなのをちゃんと作れる方が良くて、
1回生とかの時には何もなかったので、あんまり学内で友達とか多くなかったんですけど、
2回生とか3回生の時にギャラリーとかの活動し始めた時にはやっぱりギャラリーやってるので、
こう、いいなと思う作品を作っている学生とかに、ちょっと道で展示やってみないですかみたいな話しかけたり、
ギャラリーやってるって聞いたんですけどみたいな感じで声をかけてもらったりとかして、
すげえありがたかったっすね。
やっぱ西村さん、すげえな。
西村さんすげえなって出ましたね。
いや、でもその西村さんの発案で、新しくできたこととかもあるでしょうし、
あとはそこに乗っかって、実際に動いた後代君とか含めて、
そういう人たちもね、両方いるからできたのかなって気がしてますけどね。
そうですね。
なんか西村さんが求めていることと、僕のやりたいことがマッチはしてたんだろうなと思います。
ああ、そういうことね。
学生とかをこの街に呼びたいっていうところと、
何か自分で好き勝手やりたいだったり、
自分のアイデアを形にしたいみたいな学生が組み合わさって、
結構今に至っているのかな。
西村さんはもともと不動産だったりとかリノベーションみたいなことをずっとされてたので、
その活動の過程に僕との出会いがあって、
今、マーシャル・ミドリーって好き勝手にインスタのコメントを見ると知っているのかなと思うんですけど。
そうですね。
やっぱりいいおじさんだなって思います。
なるほど。
相変わらずやってるなって感じですね。
そうですね。
面白い方ですね。
あとは、今の仕事にも橋本時代のことは影響してるって話ですけど、
今、クリエイティブ業界っていうのかな、クリエイティブ界隈の仕事をしてるっていう話ですけど、
どういう仕事なんですか、今は。
言いづらい?
いや、言いづらくはないですけど、どこ話そうかなと思ってますね。
今いる会社は、もともとですね、飲食店の事業っていうのをメインでやってまして、
そこからどんどん広がっていって、クリエイティブ、外のお客さんっていう僕たちは寝るんですけど、
その会社のクリエイティブのお手伝いみたいなことをしてまして、
そのお手伝いの内容が、例えば新しいブランド立ち上げたりなった時のブランディングのお手伝いとか、
店舗作ったりだとか、名刺とかショップカードとかのグラフィックデザインやったりとか、
僕はその中で結構、
そういう店舗系とは少し離れたキャラクターのブランディングだったりだとか、
ECサイトを作ったりだとか、
大規模な地域の
ブランディングと言いますか、魅力向上プロジェクトみたいなこととかもいろいろやってる感じですね。
あれですよね、スマイルズっていう会社は、スープストック東京の、あれであってますか?
あってます、あってます。
僕も関東にいたことがあって、
数年前関東に行って、そのスープストック東京たまに行っててですね。
ありがとうございます。
行くと、女性が非常に多いお店で、
僕が行くとぽつんと僕だけ男性みたいな感じだったんですけど、とても好きで行ってましたね、よくね。
僕も好きでよく食べてます。
梅田にもありますけどね、今ね。
アベノフーピーとスープストック東京
ルクアーと阪急3番街。
あれ、アベノの地下っていうか。
アベノにもあるのかな。
アベノにもあったのかな。
すみません、ちょっとサーバーかじゃないけど。
でも、関東が割と多いですよね。
そうですね。
うんうんうん。
アベノフーピーにあります。
マクドナルドの向かいかな。
あーなるほどなるほど。
で、社長の東山さんで会ってましたっけ。
はい、東山さん。
東山さんのこともニュースとかで見たり、
あとは、なんか髪型とか特徴的じゃないですか。
そうですね。
変な感じですね。
で、ファッションとかもちょっと変わってる感じで、
目について、
あーなんか面白そうな人がやってるんだなっていう風に
思ってましたね。
スープストック東京。
美味しいなっていうだけじゃなくて、
これってどういう人がやり始めたんだろうっていうのが
気になって調べてみたことがあって。
で、東山さんが出てきて、
あーこの人か。
なるほどって感じがしてました。
そうですね。
今日、昨日、
もう会社にフラッと来て、どっか行っちゃったんですけど。
そうですね。
まあ、かなり変わった仕事と言いますか。
東山さんだからみたいな、
東山さん経由で、
なんて言うんでしょうね。
来るお仕事もいまだにたくさんあるんですけども、
スマイルズとしてのお仕事も徐々に増えてきてて、
アートっぽい仕事からデザインっぽい仕事まで、
幅広みたいな感じですけど、
やっぱりその時にあった、
ちょっとこう、
お客様の心をくすぐるような、
ことだったり、
会社の話になっちゃうんですけど、
タイムが上がるって言うんですけど、
ちょっと温かい気持ちになって、
お店を出てもらうみたいな、
要素みたいなのは、
しっかり残していますね。
東山さんの仕事
なるほど。
学生時代に、
正直、
阿部の夫婦の
スープストック東京に
初めて行った時に、
すごいちゃんとしたお店だな、
というか、
クリエイティブにも凝ってて、
商品も美味しくて、
なんなんだここはと思って、
おじさんがやってるんだから、
ずっとスマイレーズの
ファンって言っちゃったら、
あれなんですけど、
ずっと気になってて、
またちょっと入れないかもしれないみたいな、
僕の実力じゃスマイレーズでは
活躍できないなと思っている時間が
結構長くてですね、
ウロウロしてたんですけど、
大阪時代に勤めてた会社、
フリーナス3年やって、
その後、
2年くらいかな、
株式会社人間という会社で勤めてまして、
そこで色々やっていくうちに、
スマイレーズのクリエイティブが改めて
良いなと思って、
入ったみたいな、
感じですね。
入ったのは割と最近ですよね、
去年の2月ですね。
Facebookか何かで見たのかな、
スマイレーズに移りました的な、
人間を卒業してみたいなことが
書いてあったような気がした。
井上さんといつ繋がったんですか?
結構前ですよね。
入ったのは多分今年入ってからだと思います。
今年入ってからFacebookとかで、
ちらちら
おすすめみたいなのに出てきていて、
上橋の里のさっちゃんとか、
てっちゃんに聞いてみると、
そこに住んでた人みたいな、
聞いて、
それは面白そうと思って、
声をかけさせてもらったって感じでしたね。
実はだってね、今回
オンライン越しですけど、
話すの初めてですもんね。
なかなか、
でも端の里っていうかノーウェアに来たから、
多分出会ったのかなっていう気もしますし、
多分そうじゃなかったら繋がってはないかなって
思ってるんでね。
ノーウェアは今端の里の
ハブみたいな存在だなって、
めっちゃ思います。
そうですね。
いい場所ですよね。
いいですね。
最初は、
ハブみたいな場所っていう
ところを
知らなかったんですけど、
だんだん通い始めて分かってきました。
それが。
最初はよく分からなかったです。
そうですね。
なんて言ったらいいんでしょうね。
僕もちょっとそのお店にちゃんと行ったのは、
2回か3回くらいなんですけど、
店主の皆様の
お人柄の去ることながら、
受け止める力だったりだとか、
器としてのこの
ポジショニングみたいなのが
絶妙だなって
思います。
あと、美味しいですよね。
そうですね。美味しいですね。
美味しいし、
僕とかは、
藤枝に来ても、
すごい別に友達がいるわけでも
なかったですし、
やっぱりローカルというか、地域の人たちと
繋がったほうが
住みやすくはなるんだろうなとは
漠然と思いつつも、
なかなかそういうところって
いろんなところに引っ越しては
来ましたけど、
やっぱりその土地の
人と出会う機会って
とても少ないなと
思ってて、
野上端の里とか
が近くにあってね、
来てみたら、
いろんな人がひっきりなしに
来るっていうところで、
あとは繋がれる
っていうところもあるし、
そうなると、
なんかその、
暮らしやすくなったっていうのはあって、
そうですね、
めちゃめちゃめちゃ
わかります、
本当に、その街の人、
僕も
よそから来た身だったので、
その当時は
西村さん、フィクサーこと
西村さんを介して、
いろんな方と
繋げていただいたりだとか、
先ほど話したドンバっていうお店に行って、
その街の人と一緒にご飯食べたりとか、
その中で、
自分の街に徐々になっていくというか、
街の一員になっていくか
みたいなのを
じわじわと感じてて、
それがすごく
良かったですし、
その場所を野上端の里が
端の里とのつながり
提供してるんだろうなと思うと、
いや、めちゃめちゃイケてるって思いますね。
ですね。
野上端の里を
褒める会。
褒める会になってきてましたね。
いや、でも
そういう
考え方を持った人が
いるし、
あとは
それに共感する人も
いるし、
なので、とても
循環してるんだと思いますね。
うん。
なので、
そういうところが
面白いですね。僕は感じてますね。
そうですね。
このイナズマキャスト
自体も始めたのが
1年ちょっと前なんですけど、
ハブスペースで
出会う人が
毎日いるわけですよ。
そしたら、
僕が
頻繁に来てるんだけど、
その人の
話とかもちょっと
電波に乗せて
発信していったら
見えるようになる
じゃないですか。
そしたら、より
端野里が
目立つというか、
なんか
面白い人がいるよっていうのが
わかるかなと
思っていて。
残念だなと思うのは、
僕だけに留めとくっていうのは
残念だなと思ったんですよ。
そうですね。
僕が動いたことで、
僕の中では溜まっていくけど、
他の人、地域の人
とかには
なかなか
広まってはいかないだろうし
っていうのもあって、
ちょっとポッドキャスト
っていうのが浮かんで、
始めてみたんですよ。
すごいいい
なって思います。
イナズマキャストの存在も
遠まきにずっと
拝見拝聴してました。
今、20人目
僕で20人目って
話でしたけど、
20人
地域に住んでる人を取り上げて
お話したりとか、
内容じゃないじゃないですか。
多分。
何を考えて
いるのかみたいなことだけでも
発信したり、
音声として記録に残せるって
すごい尊い
プロジェクトだなって思います。
そうですね。ありがとうございます。
頻度は
そんなに多くはしてないんですけど、
月に一人か二人
ぐらいですけど、
ぼちぼちやっていく
感じですかね。
でも20回目
切り番が来たので、
次は30回かなっていう
目標はね。
何人か集めて
切り番会みたいなのやるの
いいかもしれないですね。
そうですね。いいかもですね。
11月、12月とか
秋ぐらいにかけては
ちょっと
一年ぐらい
たって
一回だけしか出てないんですけど
皆さん
その後どうですか的な
話で
今気になっていることとか
一緒に話すみたいなのを
企画してます。
いいですね。
なので
そういうのも楽しかった
と思っていて
いいと思います。
あとなんか
メモに書いてありますけど
バイト先の
ショップカードの
そばきいきょうかっていうお店が
道明寺の方にあると思うんですけど
僕はそこに
端の里に住んでから
何年ぐらい
3年か4年ぐらいバイトしてたんですよ。
2年か3年ぐらいかな。
そうなんですね。
バイトしてて
そこのお店でショップカード作ったんですけど
いまだに増殺を
してます。
僕が作ったデザインで。
結構その
結構って言っても
あともうひとつは
道明寺パクシュ
みささぎビールのロールデザインを
担当させていただいて
そうだったんですね。
今そのデラハジリを
傷ついてされている
下浦さん
がなんかデザイン手掛けられてるらしくて
はい。
作ったものも
ちゃんとその
端の里に残って生きていると思うと
まためっちゃいいなって
思ってます。
個人の感想として。
いやでも
話聞いてるとすごく思い出深い土地
だっていうのが
よくわかりましたね。
そうですね。
かなり精神を
投下してますね。
何人か
僕経緯というか
僕をきっかけに
お店でバイトしたり
端の里によく来るようになったことが
いるんですけど
未だに端の里の話とか
ちょこっとしたり
とかするんで
その子としても会う機会はそんなに
ない
みんなにとっての思い出深い場所になってると思うし
あとマンションみどりに
いま入り浸ってる人たちも
端の里はきっと
思い出深い場所になる
なってくる
結構ねその
若い時間をフジゼラで過ごされたって
話ありましたけど
その
結構どこで過ごすかは
重要なことかもしれない
何して過ごしたかが結構
でかかったなって
思いますね
場所以上に
そうですよね
場所もあるでしょうけど
その時の
時間をどういう風に過ごしたか
っていうこと
青春の詰まった土師の里
がやっぱり
キーなのかなって
思いますよねあと誰と出会うかとか
そうですね
あと
やっぱ人
繋がりっていうのが結構大きいかなとは
思いますけどね
そうですね
思います
そうですね
だいたいねいま1時間
弱ですね話してる感じ
まあまあ話してるんですね
まあまあ話してますね
あのあれですね
まあそろそろ
いい時間かなと思ってるんですけど
質問とかも
ちょいちょいつまんでるん
ないかな
と思うんですが
はしごから落ちた人
という説明していますとか
来てますけど
そうですね
美容室
僕ははじわさとを出て
その後3年ぐらいは
地区に住んでたんですけど
3発は
そこの
ノーウェアの向かいにある
ロキエさんに行ってました
そうだったんですね
市内から
お店が
開いてたら
ノーウェアでコーヒー飲んで帰るみたいな
ああそうか
感じでやってました
あと
パスティスをノーウェアの
チーズケーキに入れてると
かなりこれは
あれですねエモい
感じます
面白い
模倣するって意味
パスティッシュという
演劇
演劇の様式を
真似て
そうなんですか
学生時代は
結構真似から
自分のクリエイティブを生み出していく
みたいな時期でもあったんで
そういう
ことも受け入れる
場所みたいな
意味合いでパスティス
パスティスね
あとはそうですね
ノーウェアはじの里さんから
古墳についてはどう思ってましたか
古墳ですか
古墳は
なんか
結構高校学とか好きなんで
たまにじっと
見てましたね
存在感やっぱすごい
住んでて存在感すごいというか
なんていうんでしょうね
やっぱ
パワーを感じるってことじゃないですけど
気になる存在だったので
結構好きでしたね
僕が住み始めた頃の
はい
はじの里の
駅前って今
丸坊主の古墳があると思うんですけど
そこ木がボウボウに
生えてるんですよ
その木が
なんか
なんか
生えてる時期のほうが好きだった
あーそういうこと
はじの里の
改札出て
うん
はじの里の改札って
抜けたら方角が真西じゃないですか
あーそうですね
夕焼けがすごい綺麗で
それとこの古墳を
セットで
出た時結構良かったです
うん
古墳好きですよ
好きですか
っていう話を
そうですね
なるほど
ちょっとそろそろ
終わりにしようかなと思ってはいるんですけど
終わりにしよう
クリエイティブ
っていう仕事をされている
後代君に聞くのもなんですけど
クリエイティブって
今年とか今までの
生きてきた中で
なんかどんな
位置にありますかっていう
位置ですか
どういう位置にあるかとか
どういう風な感じなのかとか
っていうの
難しいと思うんですけど
なんか
どんな感じで向き合ってるかとか
でもいいですけど
そうですね
あれです
言いにくいこととか
クリエイティブとクライアント
はい
ちょっと自分の言葉で
説明しにくいことを
こんな感じですって
言う時に
見せる
もの
みたいな感じですかね
口下手なのもあるし
あとはその
さっき少し話にあった
僕は
人に話しかけて
聞くっていうのはそんなに得意じゃなかったんで
見てもらって興味持ってもらう
コミュニケーションの
きっかけ
そういうことね
そういうのをクリエイティブに
期待して
生きています
なるほど
作品作りとか
自分なりに変なもの作ったりとか
して
それをきっかけに
話したりとか
するっていうのは
ありますね
こんなんで
いいんでしょうか
もうちょっとわかりやすい方
僕が今聞いて
思ったのは
例えば人が
気づかないこと
当然あるじゃないですか
僕が気づかないとこもあるし
でも後代くんが気づくことも
多分あると思うんですよ
多分見えてる場所が違うし
見てる方向も
違うからなんですけど
そういうのを
見せるとか
っていう
印象を受けたんですけど
お話聞いてると
ありがとうございます
そういうのが
かつその
クライアントさんというか
お客さんとなる人にとって
求めてることっていうか
グッとくるポイントを
提供するっていうか
そういうことなのかな
とか思ったりもして
そうありたいですね
新たな視点だったり
そうですね
なんか僕にとっては
さっき話したパスティスも
一つのクリエイティブの
在り方というか
僕なりのクリエイティブ
だったので
それを介して誰かが何か感じたり
生まれてたら
嬉しいなって思いますね
新しい
そうですね
いやまとまったと思います
ありがたいですね
まとめていただいて
ということで
1時間くらいお話聞かせてもらったんですけど
今回はオンラインで収録して
初めてなんですよオンライン収録は
初めてでもないか
初めてでもないけど
インスタライブしながらやるの初めてだったので
なかなか
トラブりましたけど
なんとかいけたな
そうですね
ということで
今回のゲストは
佐々木光大君でした
どうもありがとうございました
ありがとうございました
01:01:44

コメント

スクロール