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2024-10-22 53:06

S4 ep17 彫師が語る木版画の現在 ゲスト:木版画彫師/作家・佐藤典久(前編)

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※エピソードの途中で複数回ノイズが出る箇所があります。あらかじめご了承ください。

シーズン4、二人目のゲストはまたまた東京から。江戸木版画の技術をベースに作家活動をしている佐藤典久さん(ツネさん)です。

お寺や神社に貼られている千社札に魅せられ、版元・高橋工房に入門し、彫師としての技を磨いたツネさん。初回は現代木版画入門ということで、版元・絵師・彫師・摺師から成る産業構造、版木の作り方などのお話を伺っていきます。


ConCraのXアカウントでツネさん作品の写真もアップしましたので、そちらもご覧ください!

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【今回の話題の関連リンク】

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大河ドラマ「べらぼう」作・森下佳子 × 主演・横浜流星 蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯を描く!

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⁠パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

今回のエピソードでは、木版画の彫師である佐藤典久氏が登場します。彼は伝統的な木版画の技法や現代の表現方法について話します。また、東京と京都の木版画工房の違いや仕事の流れ、印刷のプロセスについても詳しく説明します。佐藤氏は木版画の技術とその制作過程について語り、伝統版画と創作版画の違いや使用する顔料の変遷についても触れながら、木版画が現代に残る理由を探ります。さらに、木版画の歴史や技術について特に浮世絵と剣刀の関係が深く掘り下げられ、佐藤氏は木版画の現状やその文化的価値について語ります。印刷技術の進化との関連性についても言及します。木版画の彫りや技術についての深い洞察や、江戸時代の歴史的背景と現代の作品制作に関する話が展開されます。

番組の紹介とゲストの登場
CRA出しRADIOは、様々な手法で物を生まれ変わらせるコレクティブ、ConCRAのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの岩田です。
海です。
塩です。
食べた。
よろしくお願いします。
聞いてもらっている人には、あんまりわからないかもしれないんですけど、ここ6回ぐらいずっとオンラインなんですね、収録が。
ずっと対面でやっていなくて。
今日も今のタイムラグをそのまま活かすかどうかは考えますけど、オンライン環境でやっております。
無事ですね、先週予告してた通り、ゲスト回をちゃんと収録できて。
セッティングできまして。
しかも今日あれですよ、番組史上最速の、今日撮って出しですからね、10月。
そうだ。
これ初めてですよ、22日の深夜、だから21日、今日10月21日ですけど、今日の深夜に配信しますので。
めちゃめちゃホヤホヤの状態で、初めての体験ですね。
リアルタイム性の高い今回、今週だけですけどね。
そんな平成でやっております。
というわけでオンラインですけど、ゲスト回ということで。
今日お二人はどこにいるんですか?
東京の渋谷区。
恵比寿の某所におります。
というわけで僕は京都にいるのでそちらに行けませんということで、こんな形になりましたが、今日はゲストは東京にいらっしゃるということですね。
そうです。
東京というか江戸のお話が出るかわからないんですけども、今日のゲストをいよいよご紹介してもよろしいでしょうか?
お願いします。
3人で喋ってもしょうがない。
佐藤さんお願いします。
作家活動をしてます佐藤恒久と申します。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そんなわけで、我々恒久さんとお呼びして進めていこうと思っているんですけど。
手元のご紹介を最初に読み上げます。
佐藤恒久さん、通称恒久さんとお呼びします。
今から20数年頃、お寺や神社に張られている千蛇札というものに魅せられて、
日本の伝統的な木版画の世界で堀市として東京たかし工房に入門。
現在は江戸時代から伝わる伝統的な木版画の技法を伝えながら、現代における表現を発信しています。
ということです。
木版画の仕事の流れ
岩田さんは印刷の世界なので、木版画の方ですね。
以前にも常さんのお仕事は見ていただいているような。
一応今日はオンラインでつないでますけど、常さんとは先月ですよね。
一回直接東京でお話しして、いろんなお話を印刷屋の立場から聞かせてもらいましたけど。
すみません。訂正で千蛇札と言っちゃったのを千蛇札と訂正していただきつつ。
千蛇札なんですね。
千蛇札。
千万、十万とかの千と八代、あとは札荷と書いて千蛇札という。
僕も千蛇札と思っていました。濁ると思って。
千蛇札。
千蛇札だとちょっと濁るんで、千蛇札って言ってますね。
大柔軟。
ってことですね。すみません。勉強になりました。
ごめんなさい、話を途切らしてしまって。
今、プロフィールの中で堀氏っていうことですけども。
僕、この倉田氏ラジオで印刷関係担当みたいな感じで、たまに印刷の話をさせてもらってますが。
正直、木版印刷と言っていいのか、木版画のことって、はっきり言って全然知らないので。
今日は常さんのことも、個人の作られてることとかもお聞きしたいんですけど。
まずは木版画とか、その業界というか世界って何ぞやっていうところから勉強したいなっていう感じなんですけど。
すみません、今、逆に僕も純粋に知りたいんですけど。
お仕事で木版画をやってる工房があること自体に驚いてるんですけど、どういう感じのお仕事なんでしょう?
東京と大きく分けて京都にあるんですけど、東京と京都でもちょっと仕事の内容が違いまして。
東京だと浮世絵の復刻だったり、戦車札っていう江戸の文化なんで、あとポチ袋とか。
ポチ袋なんですね。
京都になると、それプラスあとセンスの文化があるんで、センスを木版で作ったりしますね。
へー。
センス繋がりっすね。
うたさんもセンスのお仕事で。
そう、だから僕はその中でもバッタモンっていうかね、木版よりオフセット印刷なんで僕がやってるのは。
バッタモンって言うとセンス屋さんに悪いな、訂正しますけど。
訂正多いですよ。
だから僕の場合はセンスっていうところで、僕の仕事の中ではオフセット印刷でセンスの絵柄を作る仕事をしてるし、同じセンス屋さんが木版で作るセンスも作ってるっていうことで。
だから今ちょうどオフセット印刷と木版画の印刷の話出たんですけど、圧倒的に生産性みたいなのが変わりそうだなって素人目には思うんですけど、木版画ってどれぐらいのものを一つの版で作ったりするんですか?
どれぐらいのものを一つの版で。
例えばセンス何個分とか。
それは、絵柄に何色入ってるかとか、注文される方のデザインによりますよね。
でも全て手作業なんで、時間はすごくかかりますね。
そうですよね。
木版画全体の話もちょっとお伺いしたいなと思ったんですけど、まず原案というか絵柄みたいなものはあるわけなんですよね。
昔の浮世絵とかの複製とかになると、元々その時代に作ったもののリプロダクションっていう形で、
今の現代の絵描きさんに描いてもらったものとかは新規で作る新しい浮世絵版画として作っている。
全体の工程みたいなのは、絵があります、一応彫りしてお伺いしているので、常谷さんがそこをいきなり彫っていくっていう感じなんでしょうか?
そうですね。絵師の前に阪本っていうところがありまして、阪本さんがこういう絵を作ろうよっていうそういうのを企画して、
その絵師を選んで、こういう絵師だったらこういう彫り師が適任だなっていうので、
京都にいる職人さんの中で振り分けするんですよ。
で、水師の方が最後すったら、またそれが阪本さんに戻って、その絵描きの人と合成をするって感じです。
じゃあ基本的な分業構造とした阪本、絵師、彫り師、すり師っていうこの4プレイヤーっていうことですか?
そうですね。
で、その中で常谷さんは彫り師で。
そうですね。彫りの方をやってますね。
じゃあすり師の方は結構存在感は常谷さんのポジションからはちょっと遠い感じですか?
いやもう本当にすり師とは何だろう、コンビじゃないといいものはできないです。
なるほどなるほど。
どういう理由?
うーん、まあ何て言うんだろうな、彫り師って料理で言ったら本当に良い材料を提供しているだけなんで、
すり師の人がそれを調理するっていう形なんで、その調理の仕方が違うと全然違うのができちゃうんで、
感覚だったりちゃんとコミュニケーションが取れるっていうのがやっぱり大前提です。
なるほど。
なんかもう普通に印刷ってありふれたものになっちゃいましたけど、
入校したら終わりって世界だと思うんですよね。
普通、例えば雑誌とか。
だからその後の、例えば一回擦ってみてちょっと調整みたいなこともしたりするもんなんですか?
しますね。
もちろんその構成の段階で色味だったりちょっと形だったりを全部修正して、
木版画の現状と課題
時計が出てから本釣りをするっていうことですね。
もうその時点で掘っちゃってるけど、やり直しをする?
手直しって感じですかね。もしあれば。
例えば掘りの方は修正ないけど、釣りの方では色ちょっとこういう風にしてとか。
その構成の段階で全部掘りも釣りもチェックするって感じですね。
岩田さんどうですか?この印刷の。
例えばオフセット印刷の場合ね、もうほとんどの仕事はCMYKっていう4色の掛け合わせで色を作るわけですけど、
木版の場合はそこの顔料のそれぞれの版ごとの色分け自体。
っていうかこういうテクニカルな話にいきなり進んでいいのかちょっと番組の構成的に心配になってきたんですけど。
っていうところで、すごい今の話で気になるのは誰がイニシアティブを取るんだろうなっていう。
多分物によって違うと思うんですけど、版元がこの色はいいよねっていう判断をするのか、絵師がするのか。
場合によって掘り師がするのか、擦り師の判断に任せられているのか。
一番重要室の絵師の意見ですよね。
あ、絵師なんですね。
掘り師と擦り師はその意見は言える感じはないんで。
はいはいはい。
絵師の解体に忠実に近いものをやるっていうのは。
そっかそっか。それで言うとだから僕がやってる仕事ともなんか通じるものが、やっぱり原画が全てなんで。
そうです。
原画をいかに再現するかっていう。
そういう共通のゴールに向かうみたいな感じ。
木版画って伝統版画と創作版画って大きく分けると2種類あるんですけど、
伝統版画はやっぱりそういう忠実にっていう。
創作版画は色がちょっと違っちゃっても全然気にならないっていうか、別にOKって感じなんですけど。
正解がそんなに別にどうですかね。
そのたまたま出てしまった感じがまた面白いよねってポジティブにお伝えすると。
いやなんか、そんなアナログなんだと思って。
アナログだとは思ってたんですけど、結構もうそばにいないとダメぐらいの感じですね。
いやー。
そうでもない?
そうでもないですね。
一回できたものを送って、見てもらって、コメントもらってってことがある。
基本そうですね。
彫り師と擦り師が一緒に仕事をしてるっていう環境がそんなになかなかないんで、
彫り師は彫り師の工房、擦り師は擦り師の工房って分かれてるんで。
工房の、だってね、必要な器具自体も違うもんね。
これ例えばですけど、京都だと、
センス屋さんって割と結構集まってるんですよね、エリア的に。
いわゆる藩元に近い立場のいわゆるセンス屋さんのあるエリアって、
京都の中でもある一定のところにまとまってるし、
それの分業でそれぞれやる業者さんも、
割と近いところに距離的にいたりするんですけど、
例えば別の分野だと、例えば西陣っていうエリアに、
折物のいろんな工程の業者さんが集まってるみたいなのがありますけど、
東京の場合も、木版画関連の工房がここには集まってるみたいなエリアがあったりするんですか?
特にないですね。結構バラバラですね。
そもそもまだそういう常さんがおられるような工房って残ってるものなんですか?
ありますね。
結構あります?
結構でもないんですけど、東京と京都で合わせて10軒ぐらいですかね。
なるほど。
多いのか少ないのか分かんない。
多いのか確かに、多いのか少ないのか分かんない。
一応僕京都は2軒ぐらいしか頭に浮かぶところがないんですけど。
そうなんですね。
東京と京都にしかなくて。
そんなことなくて、東京で修行してた人がその人の生まれた土地で地元でやってるとか。
やっぱり素人的には木版画の歴史とかっていうと浮世絵とかのイメージをすごいするんで。
そうするとやっぱり江戸の文化っていう勝手なイメージが湧く。
ですよね。
そういうのだったら東京に結構まだ残ってるのかなっていう感じも。
でも若い方とかも修行に入られている方が何名かいますけど、そんなに多いっていう感じはないですね。
そうっすか。知らないことだらけで。
そもそも私版物ってなんだろう。
版物って何からそんな話します?
だってプロデューサー的ポジションなのかなと思って今で言う。
版元と江戸時代の影響
版元って要するに出版社っていう。
そうですね。今で言う現代の出版社ですね。
だから企画を考え、漫画で言うとこういう。
漫画で言うと衆影者とか。
そういうとこになっちゃうんですけど、版元って話で言うと。
ちょうどあれですよ。もう2024年も終わりに近づいてきていますけど、来年の大河ドラマが、津田谷十三郎って人なんですよね。
全然知らないです。
知ってますか?この人。
知らないです。
他の津田谷ではないの?
多分ね、版元っていうものを作った人ですね。
へー。
めっちゃトリビア。
多いね。
江戸時代の後半に近い方になるのかな。
江戸時代の後半に、宇多摩呂とか、シャラクとか、広茂とか。そういう浮世絵の有名な絵師たちを集めて、こういう絵描きみたいなのを企画して、本にしたり広告にしたりみたいなことをやった人。
そうなんですか。
ぐらいの知識しかないですけど。
塩子さん大丈夫ですか?版元とは。
分かってきた。
津田谷って人は、津田谷書店の津田谷さんではない?
直接関係ないですけど、むしろ津田谷がリスペクトして津田谷って付けたみたいな感じみたいですよ。
そうなんだ。
大阪の方はですよね。もともと確か。
それだけ影響力があったって人なんよね。
だから浮世絵だけじゃなくて、里見八犬伝の滝沢馬球とか、ああいう人の出版物とか企画したり。
じゃあ普通に読む本を印刷してたってことですよね。
最初は吉原のガイドブックみたいなのを作ってたみたいな。詳しくは来年の大河で。僕これ以上は分かんないです。
阪本っていうのがだいぶ分かってきました。
津田さんは阪本に所属する堀市なんですか?
修行に入ったらたまたま阪本だったって感じなんですよ。もう全然わからない世界で。
堀の修行入りたいって紹介されたところが阪本なんです。
さっきプロフィールにあった高橋工房さんですか?が阪本なんですね。
高橋工房さんでやられてるお仕事っていうのは、いわゆる自社企画もあれば、さっきおっしゃってみたように依頼されて何かをやるっていうこともあるんですか?
そうですね。その両方ですかね。
依頼してくるっていうのは、センスもそうだけど。
だし、例えばオリジナルの版画を作りたいっていうので、こういうの作れますかっていうので相談に来て。
これ結構塩さん、ゲストの方に発注しがちなんですけど。
松田?
塩さんがね。あり得るんですか?こんな版画作れますかって。
ある。
ある。
ある。
まあ、そんなんでも一応ご相談はできるってことですもんね。
でもさ、やっぱりこう、元の絵がちゃんと版画として成り立つ絵なのっていうのは問題じゃない?
無邪気に写真みたいなの持ってって、これを版画にできますか?みたいなそんな面倒くさい話とかってどういうふうにお受けしたい?
それはその本元が判断して、これ木版画に向き不向きっていうのを、例えばこういうふうにしてった方がいいですよとかアドバイスしながら少しずつ変えるとか。
逆にこれは完全に木版向きじゃないから他の印刷の方がいいって断るパターンもあると思うんですよ。
うちじゃないんですけど、岩田さんって人が京都にいる、なんせやってくれそうなんでみたいな。なるほどっすね。
さっきその伝統版画と新作版画っていうのは。創作家っていうのがお話ありましたけど、
その伝統版画っていうのはいわゆる宇多摩路とか広茂とか北斎とかの有名な浮世絵の名作みたいなものを吸ってくれみたいな話ですか?
伝統版画の場合は材料とかも100年以上変わらず同じものを使っている。技法とか。
掘るのは掘り師、するのはすり師って文行なんですよ。
創作版画の場合は全部一人の人がやる。文行じゃない。
そうなんですか。掘るのもするのも自分でやる。
じゃあ常さんはその創作の自分で吸ったりみたいなのをやったりもするんですか?
僕は自分ではやらないですね。伝統版画の方で絵師と掘り師は自分でやって、
手裏はすり師のお願い師って伝統版画の作り方で自分のを作ってます。
なるほどなるほど。
版画の技法と材料
ある意味新しい手法。
何も知らんから全部が新しいですよ。
全部聞いて私はもうやっと追いついてきた感じだけど。
ちなみに顔料とかってさっき伝統的なっておっしゃってたんですけどどういう顔料を使ってるんですか?
本当の江戸時代とか本当の大昔は例えば黄色を使いたいって言ったらウコンってありますよね。
あれを煮て黄色を抽出して全部自然のものでっていう感じだったんですけど
当時のものって色の対象が結構すごいひどいっていうか。
経年で変わっちゃうってことですね。
あと今もしやろうとするとものすごく高価、高くなっちゃうんで岩絵の具が結構メインですね。
じゃあ日本画と似てる?
日本画と近いです。
絵の具の材料ですね。
テキスタイルの染めで黄色出すときウコン使うか。
サフランとかですよね。
昔はあまり変わらなかった。
とはいえ岩絵の具もまあまあ高いですよね。
普通の合成の染料から比べたらそんなイメージありますけど。
そんなバンバン使えるようなイメージはないですけどね。
常さん的にはそういうもんみたいな表現ですかね。
もうその世界におられるからあんまり染料のコストみたいなのは。
ただ昔のものって色が消えていっちゃうっていうのを想像しないといけないじゃん。
昔はこうやって作られていたからこの色だったんだろうって想像しなきゃいけないってことですかね。
そうです。
複製の場合、例えば江戸時代に作られたものをまた新しく神経で作ろうってなった時に
それも刃元のスタイルなんですけど
例えばそれを忠実に退色したのを複製するのか
実はもっとこういう鮮やかだったんじゃないかっていうその想像で
複製するものよりもっと明るめに作るっていうパターンがありますね。
なるほどですね。
あとこれは聞くのが失礼になってたらあれなんですけど
例えばそういう伝統の絵面でも何でもそうなんですけど
刃元が木版画で再現するか
いわゆる現代的なオフセットでやってしまえみたいな
それ両方あり得たりするものなんですかね。高橋工房さんは。
木版に関して浮世絵とかに関してはやっぱり木版画オンリーですね。
そういうことなんですね。
ちなみにさっき顔料の話出てきたんですけど
もうすべてだから木とかする道具とかも江戸時代から変わらない。
全部変わらないですよ。
僕は堀市が使うギターも山桜っていう材料なんですけど
ずっとそれ使ってますし
全部変わらないです。
結構手に入れづらくなったりとかしませんか。
全然いいものがなくなっていってますね。
だって分かりきって話しちゃうけど
温暖化とかで木の種類が変わってくるんじゃない?今後。
いろんな伝統工芸で植物に関わる人たちと
だんだんいろんなものがなくなってきたっていうのをチラホラ聞くからね。
自分が修行に入ったのは15年ちょっと前なんですけど
その当時に掘ってた板とかの方が掘りやすかったなって。
15年前で自分がまだ始めてるばっかだから
15年経ったら
むしろ腕が上がってて
毎回木って違うんで掘った感触とかも全然違うんですよ。
例えば板屋さんに板注文して
その中で自分が板の目とか色味とかをもった感じとか
重さが軽いと水分が抜けちゃって
油も抜けてるから結構バサバサして掘りづらいんですよ。
いいのを見ながら選んで掘ってるんですけど
昔掘ったやつの方が掘りやすかったなっていうのもありますね。
当たり前のように今と昔の話を聞いてるんですけど
倉田市ラジオでいろんな伝統技法とかを
引き継いでる方に共通する話なんですけど
基本的にビジネスが細まってるっていうのが
現代ほとんどなくても継ぐのが大変とか
そういう話が結構あるあるというか
ほぼそれがベースで話を聞くことが多いんですけど
木版画が残ってる理由ってなんだろう
そんなに普通に存在してるもんなんですかね
もともとは印刷技法の一つだったと思うんですけど
木版画の現代的意義
江戸時代に浮世絵とかすごい流行って
明治の頃になると他の海外の二階印刷とかが入って
一旦伝統版画というか下売りになるんですよ
大正時代に銀座にある渡辺版画っていう
その刃元があるんですけど
そこが新版画っていうのを新しく作ったんですよ
もうちょっとアート寄りな浮世絵みたいな
創作版画と伝統版画の中間みたいなのを
新しいジャンルで作ったんですよ
それがあったから印刷物から
アート寄りな印刷として残って
今に至るという感じです
そういう経緯があったんですか
伝統の後に新が来て創作という順に
創作は昔から創作
一人で自分で全部やってる人もいたと思うんですけど
伝統版画に関して新版画というジャンルができて
堀篪すり捨て
今までと同じやり方
だけどちょっと創作版画っぽい雰囲気なんですよ
絵の雰囲気が
新版画はどんなものなんだろうって
今頭の中に
確かに絵が浮かばないですね
例えばなんですけど
大正時代とか明治時代の頃って
美術とか芸術の歴史とかで
広告というのが発達してきて
商業美術という言葉が生まれた頃かなと
僕ちょっと想像していて
例えば浮世絵のような技法を使った
ビールの広告とか
そういうのも見たことあるような気がするんですよね
ちょっとこれ僕もエビデンスがなくて
言ってるからあれなんですけど
そういう頃がいわゆる美術と
要は大量生産品と
アート的な美術的な価値があるところの
分岐点なのかなと
今お話を聞いて想像してました
やっぱり今の現代でも言えることなんですけど
やっぱ木版だと手間かかるんで
他の印刷で安くて早いってなったら
そっちを求める人いると思うんですよね
やっぱコストとかのあれで
押されちゃって
だけど今まで続いてきた
途絶えるのがもったいないっていうので
今の銀座の渡辺藩が
何とか踏ん張ったって感じだと思う
あれですか
大正の木版中と
竹久雄明寺とか
そうですよ 足口御用とか
河瀬波水とか
伊藤新水とか
そうなってるか全然わからないですけど
ペンビールの木版が復刻ポスターってのを
検索したら出てきました
こういうことなんですよね
音声メディアで言ったらいいですけど
こういうことですか
それこそ僕が知ってるのは
京都の運送堂さんってところ
藩元ですけど
ここが竹久雄明寺の藩とか持ってたから
そういえばと思って
すごく大正を代表する感じですよね
大正 今でも竹久雄明寺は大正を代表する感じ
でも僕
多分津谷さんにも聞いてもらったと思うんですけど
倉田紫ラジオのコロタイプ印刷の話をした回があったんですけど
あの時行った展示っていうのが
19世紀末のオーストリアの
ウィーン文理派って
木版画の歴史と剣刀
グループの作品を中心にした展示やったんですけど
木版画が結構いっぱいあったんですよ
そうなんですか
なんですけどね
ほぼ炭一色とか
だからベタっとした
いわゆる繁華って感じのものばっかりで
だから浮世絵みたいな
そもそも多色摺りとかっていうのも
剣刀の話とかもいきなりあれですけど
剣刀を合わせるっていう
あれですよね
急に言っても多分
素人からしたら剣刀のワードが分かってない
剣刀って今頑張れって意味かと思ってた
剣刀に乗るじゃないですか
見るに当てるで剣刀
剣刀をつける
剣刀をつけるの
剣刀っていう日本語自体が多分浮世絵
多分浮世絵とか木版の世界からですよね
津田さん
そうですね
ですよね
もともとは中国から木版画って言ってるんですけど
はじめに炭一色だけで
カラーにしたいってなると
職人が色の部分を手で
手彩色してたんですよ
塗ってたってこと
塗り絵みたいに
効率的じゃないっていうので
途中から鈴木春信っていう
絵師がいるんですけど
その時代に剣刀っていうのができて
とんぼっていうか
位置合わせできる
よく印刷とかの
端っこに線がピピって書いてあるやつ
それができてから
フルカラーになったって感じですね
だから浮世絵とかが木版画だっていう認識で言うと
ああいうふうにしっかり剣刀があって
色の位置がしっかり合っているもの
今手元で
今手元に
王政メディアなのにまた
藩儀を手に取りながら喋っております
だからウィーン分離派の木版画とかって
別に剣刀を合わせる必要もないぐらい
別にそれぞれの版画
別に一つの絵柄を作ってないみたいなものが
多かった
そっかそっか
これを本当に
発案した人は本当にすごいなと思います
しかも浮世絵で使われた剣刀っていう用語は
そのまま今のオフセット印刷の現場で
めちゃめちゃ使っている
そのまま用語として使っているので
だから多分
産業革命以降というか明治以降の
印刷技術が近代化していた時に
浮世絵の素地があったのは
多分めちゃめちゃ大きかっただろうなと
想像するんですけどね
これもだから倉田紫ラジオで
ランマンっていう朝ドラの話もした時ありました
あの時も浮世絵の絵師の人が石版印刷の会社で
働いているみたいな話がありましたけど
印刷屋が直に絵筆を取って書くって
今考えられないですからね
すごい時代になってきました
それが日本でできたけ
海外はどういう状況だったのその時は
いやわからないですけど
今その話します
オーストリアの19世紀末の木版画を見る限りでは
浮世絵みたいなかなり高度な多色ずりみたいな
発想すらないっていう感じですね多分
木版では
だからイメージヨーロッパのイメージって
木版画っていうよりは
リトグラフとか銅版画のイメージ
そっちがめちゃくちゃ発達して
むしろそこが一気に追い抜いてから印刷始めたから
木版でそんなことやる必要ないって感じなんでしょうね
だから銅版画でタッチですごい起こしてても
それはそれで白黒で立体感がすごい出てるから
白黒写真みたいな
それはそれで一色ずりで
良かったんだろうなって
それ掘り下げると民族性とか
美意識の違いの話になりそうですけど
今回はそこまで話を掘らなくても
初めて浮世絵を見た人たちは
ドギムノ化されたんじゃないかなと思った
ジャポニスク的な話ですよね
たまたまフクアラと僕が
昨日来てたメディア誌の話を一瞬
おそらくオランダとかと
デジマでヨーロッパと細々と
交易をしてた江戸時代から
情報はそんなにないはずなのに
印象派に
開国前の日本の文化がヨーロッパに影響を始める
とかそういうことがあって
それって結局
日本の大量の印刷物
大量というか
重量というか分からないですけど
複製規模である印刷物が回って
その影響があるのではというような話を
ちょうどしてたところだったので
なんか自分の聞いた話なんですけど
当時浮世絵一枚って
かけそば一杯ぐらいの値段だったみたいですね
すごい安くて庶民の物って感じで
印刷技術の進化
海外に日本の焼き物をヨーロッパとかに送る時の
梱包として今で言う梱包材のプチプチみたいな
として浮世絵を包んでたんですよ
それで送って
海外の人たちが中身より
カラフルなこの紙何?っていうので
やばいみたいな
しかも同じ絵がカラフルに何枚も入ってるみたいな
たまたま一個一個じゃなくて
これどういう状況なんだ
今でもダイソーでお皿買ったら
水袋入れても沈むんですよ
やるんでそんなんなんでしょうねきっと
なんでそんな安いのむしろ
逆にそばレベルっていうか
それだけ広く人気があったから
たくさん作るところが本当あったと思うんですよ
当時それしか印刷がなかったので
ものすごい数あって
一枚が本当にすごい安かったんじゃないですか
手間かかんのにね
何でもそうだけどね
産業革命前は何でも手にかかる時代ですけど
全部が手にかかるから
そばも手にかかるし
同じ手作りっていう意味で
差がなかった
かつ今の話をまとめるんじゃないんですけど
日本はちゃんと版画の技術とかに対して
自分たちで価値を見出すことができたことによって
大正時代からちゃんと文化的な価値として
技法を残すって動きがあったってことですよね
海外の人たちにすごいって言われて
気づいたってこと
大正時代に自分たちで
この技術はアート的な文化価値があるぞ
っていうふうなお話で受け取ったんですけど
人から褒められて残そうって思ったかもしれないですけど
両方?
分かんないです
僕はそんな想像ではありません
大正時代はもう開国してから
3、40年経ってますから
もっと経ってるかも
そんな感じで木版画を通して
印刷の近代史をお話をする回になったんですけど
岩田さんはもっと聞きたいこととか
聞きたいことは山ほどあるけど
どれにしようかなぐらい
今日の話の中で
ちょっと気になって
次のエピソードでもいいかなと思ってたけど
やっぱり今聞きたいのは
いわゆる有名な江戸時代の絵師の復刻っていうやつで
版技が残ってたら
その版技を使って擦り直すっていうことなのか
それはあんまりにも版技としては貴重すぎて
そこの復刻も堀師さんが
掘り直すっていうことなのか
どっちなんですか
当時から残っている版技を使って擦るっていうのは
ちょっともったいなくて
やっぱりもったいない
それは劣化っていうか
どんどんとタッチって感じですか
そういうことです
版技自体にも保存価値みたいなそういうこと
劣化させたりとか
ってことは擦られたものから
分かれている版を
ここ版を分かれているなっていうのを確認して
堀師が擦り物から創造して版を起こし直すみたいなこと
そうですね
結構重要な話ですね
僕わからなかったのが
擦りの時に剣刀を合わせるのは
剣刀ってちょっと
ゲージみたいな
たぶん今うみさんとしほさんのお手元にはあると思うんですけど
剣刀が
見た
こういう
それを擦りの時に合わせるっていうのは分かるんですけど
掘る時の
剣刀がぴっちり合う版の作り方が
どうやってやるのかがよく分からない
人によってやり方は違うんですけど
専門的なあれになっちゃうんですけど
初めにきれいな形の剣刀を作って
そのまま紙をはめて
糊で半下を半着に貼るっていうやり方と
あと剣刀は作らないんだけど
剣刀の印だけも半下に書いておいて
掘る時に一緒に掘っちゃうっていう
半下に剣刀が付いてるか付いてないかっていう感じです
半下に剣刀が付いてる時は
一緒に原稿と木を一緒に掘るんですよ
半下に剣刀が付いてない時は先に木に剣刀を掘っておいて
そこに紙をはめ込んで
半下っていうのは和紙なんですか?
和紙ですね
和紙に絵師の人が手書きしたもの
手書きしたものを和紙に印刷して
印刷するんですね
今の現代のやり方だとそのやり方で
江戸時代のやり方だと絵師が書いたものを貼って
掘るんで原画はなくなっちゃいます
そういうことですね
その時に剣刀が最初の掘り師が剣刀を付けるってことですよね
そうかもうべたっと貼っちゃうんだ木に
半下を
今はどうやって半下を作るんですか原画から
原画を写真撮りか
普通にオフセットで印刷して
それを専用の和紙があるんですけど
厚い紙にものすごい薄い和紙が貼ってある
二層紙って言うんですけど
糊で貼った時に薄い紙だけ半下に残るっていう
特殊和紙があるんですけどそれに印刷しています
そう聞いたらめっちゃ手間かかりますよね
一回原画写真撮って
和紙も一緒に掘っていくから
もうなくなっちゃうわけですもんね
原画がもう残らない理由が
だから逆に半下価値が
昔のものがあるっていうのはそういうことなんだと
なるほどね
もうあれですね
今だったら
どうしても
半が残っていたとしたら
それで刷った絵を確かめたかったら
同じようにはならないんですけど3Dスキャンして
ちょっとやってみるとか近づけてみるとか
そのぐらいしか思いつかないですね今のところ
ごく稀に海外の美術館がコレクションしている版木を
プロの擦り師に頼んで
実際どういう線になっているのかって
擦ってもらうっていうそういうのも
ごく稀にあります
それはほんとほまれな仕事ですね
擦れてよっぽどわからないから
よっぽどどうなっているかわからなかった
コレクションしている美術館がどういう擦り物かというのを
見てみたいっていうのもあると思います
ほんとはないけど
版だけあるからってことか
ちなみに分判する仕事は掘り師の仕事になるんですか
掘り師の役割と技術
原画をカラーで描いた原画を
この版に分けましょうみたいなことっていうのは
それは掘り師がやりますね
掘り師がやるんですね
大体浮世絵って
例えば30色近く色入ってたとしても
山桜の板両面使って
5枚くらいで納めなきゃいけないんですよ
5枚?
30色を5枚?
5枚の両面なんで10面ありますよね
それを掘り師が
木版画の技術と難しさ
例えば端と端が色が違うから
材料を節約しなきゃいけないんで
上手く端下を板に張り込むときに
上手くやりくりしなくて
めっちゃむずい仕事それ
でもそれが上手くやるのは掘り師の仕事
だから本当に絵の中でワンポイントここだけ赤みたいなやつに
端1個使うわけにはいかんわけですよね
その版木を
そうですね
少し距離が離れてれば
1つの面で3色4色はいきたいな
なるほど
素人ながら
シルクスクリーンとかプリントごっことかで
けちりたいときにやる感じですね
やってましたねそれ
それはもっと深刻にした話ですね
もっと深刻シビアにした話ですね
シビアな話
木版画の教育と素材
なるほど
なんとなくイメージがついてきた
どういう風にできたのか
翔さんやんなかったんですか
小学校の時の木版画の授業とか
やった
やったかも
木版画って
今もみんなやるんですかね
だいたい小5、6くらいに彫刻棟で
まず紙版画からやって
少しの厚みを活かした版画を
小学校1、2年生くらいでやって
実際品とか木を掘るのはあれですよね
ゴムになったんだ
そうなの
木じゃなくなって
掘りやすそうむしろ
それが余計危ない
するっていって
しぱっていって
手をブスってやってしまう
やってしまった
いい思い出はない
基本毛がばっかしてるから
毛が多めのキッズだった
小学校の娘は
そういう版画やったって話聞かないね
持ってこなかった
あれなんとかグリップという彫刻棟買いましたよ
買ったね
やってるはずです
見せてくれてないってことか
可能性はあります
作ったのに見せてくれなかった
買わされたわ
ちなみに彫刻棟の話出たんですけど
市販の彫刻棟を使うわけじゃないんですよね
専門の鍛冶屋さんにお願いして
こういう鋼でお願いします
っていうのを作ってもらってます
それも東京にいるそういう鍛冶屋さんがある?
今はもう廃業されちゃったんですけど
そうですか
じゃあもう作ってもらえる人いない?
数件はあると思うんですけど
自分がお願いしてた本当に上手なところは
数年前に廃業されちゃって
そうなんだ
消耗品
そうですね
材料に関しては時代とともに
木版画の歴史と次回の予告
すごい変化してるんで
あんまりわがままも言えないんで
それの時代に合わせたものを作っていくっていう
木版画に関して
木版画を通しても結構いろんな
江戸時代の話とか
木版画周辺の印刷の話を
お伺いしてきたので
次のエピソードで
常さんがどうやってこういう世界に出会ったのかとか
そんなことも聞いていきたいので
次週もお楽しみいただければなと思います
というわけで来週も火曜日に配信いたしますので
引き続き常さんお付き合いよろしくお願いします
よろしくお願いします
ハッシュタグ
CONCRAで
感想など絡んでもらえたら嬉しいです
フォームもあります
ではまた来週
来週
大丈夫
うみくんが初めて言ったと思ってるけど
また来週もよろしくお願いします
53:06

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