1. Cra出しRADIO 工芸とカルチャー
  2. S2 ep6 ある学校、ある路地 モ..

テディベアデザイナー浅井友紀さんをお迎えするゲスト回第2回は、中学時代にテディベア作りに出会った友紀さんがテディベアデザイナーになるに至る道程に迫ります。ニュージーランド留学で得たある気づき、デンマークのスカルス手工芸学校での経験、あじき路地との偶然の出会い、モノを作ることの喜びに次々と導かれていく数奇な運命。

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パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

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CRA出しRADIOは、使わなくなった大切なモノを、様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが、工芸を軸に、モノと人との関係、モノを作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
はい、コンクラの海です。
岩田です。
しほです。
今回もこの方をお招きしています。
浅井友紀です。
よろしくお願いします。
前回も、僕なりに全然認識があやふやだったテディベアについて、教えをいただいたりとか、あとは、友紀さんとテディベアの、大げさな言い方しかできない、概念との慣れそめみたいな。
概念と慣れそめ。
概念じゃないよ、別に。
いや、僕気になったのは、いろいろぬいぐるみを持たれてるけど、テディベアっていうのが特別なものだっていう、ご認識があったんだなっていうことを感じたんですよ、前回のお話で。
確かに。
その認識っていつ発生したのかなっていうのは、ちょっと興味深いなと思ってたんですけど、多分お伺いしてもそんなに記憶にある。
えーと、ぬいぐるみとテディベアの違いってことですよね。
あらゆるぬいぐるみと比べてテディベアが特別感を持ってたのはいつぐらいの。
いや、もう単純に高かったところだと思います。
ぬいぐるみって、私が中学生とかそれ以上の時ってもうすでに100均でぬいぐるみが売られ出してたんですね。
なので全然お小遣いとかでも買える値段だったりとか、高くても3000円とかそれぐらいで、なんかかわいいのとかいっぱいあったんで。
UFOキャッチャーとか。
そうです。キャラクターのやつとかいっぱいあって。
でもなんかそのテディベアってショーケースに入ってることが多かったりとか。
素材感とかなんか、雰囲気がぬいぐるみとちょっと違いますよね。
そうですね。
パーツとか目とか鼻とか、洋服なんて着ててもその洋服もすごい細かくできてたりとか。
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毛並みもなんかちょっと普通のぬいぐるみで見たことないようなのとかあったりとか。
あとはバッジワークで寄せ集めで作ったようなものもあれば、テキスタイル自体がものすごく高級で作られてるものも多様性があって。
テディベアっていうフォーマットでもいろんなことを試してるカテゴリーなんだなっていうのは、素人ぐらいの認識だとそんな感じですか?
でもそうですね。いろんな作られ方をしていると思います。
着物で作られてたりとか、それこそデニムで作られてたりとかされてる方もいっぱいいらっしゃるんで。
前回やっぱりテディベアたるものとはっていう、存在とは、概念とはっていう話。
やっぱり稼働するっていうのがなんか共通点であるっていうのは面白い発見でした。
そうですね。でもなんか今思えば、たぶんその私が幼い頃に見てたテディベアっていうのも、おそらくシュタイフさんのものだとは思うんですね。
たぶんなんですけど、どうなんでしょうね。
アメリカの方の最初の方に作られてたテディベアが稼働するかどうかっていうのはあんまり詳しくないのでわからないんですけど、
シュタイフさんのはほぼ初期から動いてたっていうか、今あるテディベアの形になってたんじゃないかなって思うので、
シュタイフさんの作り出したイメージなのかなってちょっと思います。
だいたいそれって何年ぐらい前に出てきたんですか?稼働するベアみたいな。
最近テディベア生誕120周年みたいなことを言ってはるので、120年ぐらいですかね。
僕も今ちょっと見ながら調べてました。マルガレテ・シュタイフさんっていう。
これでも面白いのは、動くものがテディベアの重要さっていうお話があった中で、創業者マルガレテ・シュタイフさんは全部の体が自由に動いた人じゃないってことを今発見しました。
手足に障害がある方だということで。それは今ちょっと地味にショックというか、すごい衝撃を。
いろんなちょっと頭の中の電球が今ついたって感じがしたんですけど、そういうことみたいですね。
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シュタイフ美術館っていうのがあるようで、ちょっとウィキペディアの写真を見る限りだと多分もう稼働する関節って言っていいのかわからないですけど、動きそうな感じがしますね。
そうですね、これは動くと思います。
だからかなりも動くものが昔からあったんだろうっていうことがなんとなく押しはかれるような感じみたいですね。
みたいなところから今回は。
これでもよくよく考えたら、耳にカフがついてるっていうのって、さっきリーヴァイスの話出しましたけど、リーヴァイスもタグつけてるじゃないですか。
さっきというか先週ですね。
そうそう、これもしかしたらどっかの本で読んだんですけど、シュタイフがそういったコピーとかを作るのを、これはもうブランディングですって言ったら、おもちゃとして初めてだったっていうのはどっかで見たことある。
一応この1904年のところに、オイ・ノ・フランツが左耳にボタン音とタグを取り付け、模倣品と差別化することを発案って書いてますね。
これがボタンインイヤーと呼ばれる商標になるというふうに書いてます。
面白いですね。
っていうことを踏まえつつも、今回はテディーベアデザイナーになってくまでのユキさんのライフストーリー的なお話を伺いたいなと。
そうですね、まだ中学生ですから。
そうですね。
この話で止まってますから。
そうですね。ライフストーリーは、中学生の時に初めてテディーベアを作りました。
それ以降、ものづくり自体もともと好きだったんで、いろいろ手を出せそうなものは洋服というかスカートとか簡単なものですけど、そういうのを作ってみたりとか、
ミシン買ってもらって、ミシンで縫い物をやったりカバン作ったりとか、とにかくいろいろ作れそうなものを作るのが好きで、手芸屋さんとかにもよく行ってて、
で、高校まで行って、商業科の高校だったんで、そのまんま就職をして地元の企業に。
で、7年間ぐらいそこで勤めて事務職やって、で、7年たってもいいかなと思って、留学をしたくなったので、語学留学をしたくなったので、
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ニュージーランドに7ヶ月ぐらい、1年も行ってないんですけど、語学留学にニュージーランドに行って、で、帰ってきてっていう、ニュージーランドに行って、で、それまでも会社員やりながら趣味でなんかいろいろ作ったり、テディベアも続けて作ったりっていう風にしていて、
1回か2回ぐらいはハンドメイドイベントみたいなところに出したこともあったんですけど、そんななんかめっちゃ本気でやってるってわけじゃなくて、ただただ作ってたまったやつをめっちゃ安くで、
なんか数百円とかそんな、なんかもう今じゃちょっと考えられないぐらいの、なんかもうあげるわみたいなぐらい、まぁ実際友達にあげたりとかそういうこともしてたんで、で、そういう感じでものづくり続けてて、で、ニュージーランドに行って語学留学するのに手芸道具とか全然持って行ってなくて、
で、まぁ結構長い期間だったんで、半年経ったぐらいにちょっともうなんか作りたいっていう欲求がすごくなっちゃって、でも道具も何もないし、で、なんか、で、その時になんとなくテディベア作りたいってなって、で、テディベア作る道具をもう実家から送ってもらって、
で、生地とかは確か現地調達できそうなやつはやってみたいな感じで、でも作りたいってなっちゃったんで、その時に、で、わーって作って、なんかもう学校1週間か2週間ぐらい欠席してもう引きこもって、ずっとテディベアを。
母「学校から連絡来るぐらいの連絡があるし。」 あ、来ました。来ましたね。心配されました。すいませんって言って。で、ちょっとやっちゃって、めっちゃ作ったんで、で、なんか作るんやったらこの現地のマーケットに出してみようかなと思って、
で、クラフトマーケットみたいな日本とほんとに似た感じでホールの中でテーブルがずらーっと並んで、いろんなハンドメイド作家さんみたいな人たちが自作の何かを売るっていうのがあったので。
母「タイミングよくそれに出せたってことは、もう結構しょっちゅうやってたってことですか?」 あ、しょっちゅうやってました。ニュージーランドのウェリントンっていう都市だったんですけど、普通にそんなに大きくない街で映画館…映画館じゃなかったな。なんかちょっとしたそういうホールみたいな広い、広さのある施設があって、で、そこでやってたんですけど、
なんか結構そういうマーケットとかしょっちゅうやってて、ハンドメイドに限らずセカンドハンドとか、そういうフリーマーケット的なのもよくやってて、で、たまたまそれあるやんと思って、申し込んだら出せたんで、とりあえず出そうと思って。
12:14
母「ちょっと英語やらなあかんなっていう焦りはあったんで、ちょっと英語の練習がてらっていうのもあって、そういうちょっとなかなかできない経験かなと思って、マーケットに出したりとかもしてて、で、その時になんかすごい、あ、私ってなんか作ってなストレスたまんねんなっていうのに気づき始め、
母「で、そうですね、で、留学から帰ってきてからは東京で派遣で働いてたりとかしてたんですけど、東京の方が英語使えるかなっていう安易な考えで行って、で、なんか働きながら週末に今までと同じように会社員やりながら手芸もやってっていう感じだったんですけど、
母「なんかそのニュージーランドの生活が楽しくて、なんて言うんでしょう、まあ語学学校行ってよく世界観っていうか価値観変わって帰ってくる人とか多いと思うんですけど、私もいわゆるそういうタイプやって、なんかずっと会社員やってるのが嫌になっちゃって、で、派遣やりながらちょっとお小遣い貯めながら、もう一回なんかちょっとどっか行きたいなって思ってたんですけど、
母「なんかその思ってるのと同時に、手芸学校にも行ってみたいっていう欲が出てきて、なんかちょっとそういう手芸のこと勉強したいなって思って、で、副職の学校とか日本の専門学校とかをいろいろ調べたんですけど、2年間まるまる副職の勉強をやって、その後その道に進むのかって自問したらなんかちょっとちゃうなって思って、で、もうちょっといろいろ調べてて、
母「海外で教室みたいなんでもいいから、そういうなんか手芸のことをやりつつ、英語ももうちょっと勉強できつつとかないかなって思ってたら、デンマークのフォルケホイスコーレっていう学校があって、いろんな専門性のある学校があるんですけど、
その中で手工芸学校、スカールス手工芸学校っていうところをネットで見つけて、で、どうやら日本人の人も結構行ってるらしい。
で、試験とか資格とかそういうのも何もいらなくって、手芸留学ができる、手芸を専門的に学びつつ留学ができる、誰でもできるっていう年齢制限もないしっていう素晴らしい学校を見つけて、これはもう行くしかないと思って思い立って連絡したらちょうどキャンセルが出て、
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普通だったらキャンセル待ちとかが多いらしくて、すぐ店員がいっぱいになって、来年ねとか再来年ねとか言うこともあるらしいんですけど、たまたま私が連絡していっぱいって言われたけど、そのすぐ後にキャンセル出たから行けんでってメール返ってきて、もうすぐ行くって言って、
思い立ってすぐ行けることになって、でその半年後ぐらいに派遣だったんで、いつでも辞めれる契約だったんで、派遣辞めて、デンマークの手芸学校に半年ぐらい行って、でその学校は全寮制の学校だったんですけど、
カリキュラムが月曜日から金曜日、4つメインの科目があって、縫い物、ソーイングと、あとニッティングの編み物と、あとウィービングの織物と、エンブロイダリーの刺繍のメインの科目が平日にカリキュラムとして組み込まれつつ、週末にワークショップみたいな感じで、
外から先生がやってきたりとかして、レザークラフトやったりとか、シルバーリング作ったりとか、他の物作りもいろいろ教えてもらえて、毎日何か作ってられるっていう。
そりゃ人気出るわって思ったけど、今ね、日本の大学定員割れとかしてるんですよ。大学。手芸のコース作ったら。
フォルケホイスコーレですね。
っていうのは、手工芸以外のものもいっぱいある中のスカルス手工芸学校ってこと?
私が行ったところはスカルス手工芸学校っていう名前の学校だったんですけど、フォルケホイスコーレっていう学校の形態?学校法人なのかな?なんかちょっと詳しくないんですけど、それがデンマークのいろんなところにそういうフォルケホイスコーレっていう制度を取った学校があって、
学校によって専門性は全然違ったり、教育のとこだったり、建築の学校やったり、デザインの学校やったりっていろいろ普通の学校としてあるんですけど、その中の一つっていうところ。
日本でいうと職業訓練校的な意味合いとも違う?
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とも違いますね。本当に誰でも行けるので、日本の職業訓練校って多分、仕事やってなくてでもちゃんと仕事を探してる人で、給食活動を絶対何回かやっててみたいなのがあったと思うんですけど、
フォルケホイスコーレは確か高校卒業した年齢以上、18歳以上とかから上限なくて、試験もなくて資格もいらなくて、誰でも入れますよって。
学校によると思うんですけど、デンマーク語がある程度できないといけない学校と、そうじゃなくても英語がある程度できればオッケーな学校もあって、スカルス思考芸学校は英語がそこそこっていうか日常会話レベルできたら全然問題ないところだったんで、行けたっていう。
そんな感じの。フォルケホイスコーレで調べたらすぐ出てくると思うんですけど、デンマークの。
どっかで聞いたことあるなと思ったら、フォルケホイスコーレっていう概念は日本の教育に必要だって言っている女性の記事をどっかで読んだなっていうのを今ふと思い出して。
結局やっぱり今の日本って入試からスタートして、その入試のために受験勉強しても学生の高校生の2,3年吹っ飛ぶじゃないですか。
そういうことではなくて、そもそも学校っていうのはテストとかいらないし、自分の内なる情熱とかそういったものを活かして学びにつなげていくってことをやったらみんなが勉強楽しくなるよねっていう、なんかそんなインタビューを読んだのを思い出して、
あ、今ガチャって来たでしょ。お仕事これ同じやつとか思い出した。
まさにそういう飛び込み方をしている。
職業訓練校みたいな言い方をすると、なんかそこで身につけた職能を何らかの職業に生かさないといけないみたいな。
学校もそこで卒業した人がこういうところに就職しましたよみたいなことをアピールするみたいなのがありますけど、そういう何かに生かしなさいっていうことではない?
全然ないですね。
たとえばなんですけど、私がフォルケホイス高齢の生徒として、デンマーク人の学生に対する何割かまでしか外国人は入れられないっていう、一応デンマーク人メインの学校で、その時の学生さんの何割か何人かが外国人を受け入れられるっていうのだったので、
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その都市によって日本人とか他の外国の人が入れる人数って変わってくるんですけど、私が行った時は10人近く日本人いてたので、そうなんですよ。
2チーム、2クラスに分かれて、それぞれ日本人5人ずつぐらいで、他はみんなデンマーク人っていうようなクラス分けになってて、そのデンマーク人の中にそれこそ定年退職後の方が、女性の方がいらっしゃってたりとか、
全寮制なので、みんな学校に併設されてる部屋で寮で暮らして、ルームシェアしたりとか、個室がいい人はちょっと高いお金払って個室でお願いしたりとかっていうのがあったんですけど、
で、ご飯も3食しっかり出て、学費にご飯代含まれてたんで、私が行ったところはシェフの人っていうかキッチンの人がいて、一応平日は3食作ってくれて、学生は片付けとかのお手伝いを当番制で回すっていう学校っぽい感じだったんですけど、
なので、そういった自分よりもずっと上の方がいらっしゃったりとか、あとは高校を卒業して、ギャップイヤーってあるじゃないですか、外国って、それでそのギャップイヤーの期間中に来てる子がいてたりとか、
高校を卒業して大学行くまでに次何しようかなって考えてるっていうその時期で、結構みんなフォルケフォイス高齢に行ったりとか、ちょっと興味あるようなところに行ってみたりとかっていうことをしてるらしくて、
20歳前の子がそういうので、次なんか大学行く前にまだちょっと悩んで、次何するか悩んでるけど、ここに物作り好きやからとりあえず来てみたとかいう子もいてたりとかして、本当になんかその手芸というか服飾のところ、デザインのところに行きたいから来てる子がいてたりとか、
本当にそういう物作り系の仕事がしたくて来てる子がいてたりとかっていういろんな人が来てたので、すごいもう間口がめちゃめちゃ広くて、誰でも。
いやもう話聞いてるだけで、もうめっちゃ行ってみたいってなってますからね。 めっちゃ楽しいですね。 本当に。
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フォルクスホイエシューレ、私ちょっとすみません、発音くそ下手くそですみません。なんだけど、人のための学校って意味なんですよこれ。
そうなんですか。
人々市民とかでシューレ学校だから、だからやっぱりその人のための、なんだろう、人々のための学校っていう言葉があるってことは、やっぱり主人公はいる学生だったり、やりたいとか来たいと思ってた人たちが中心だっていうイメージがすごい、名前から分かるんですよね。
ダッサい言い方すると社会の成熟度を感じるなって。 そうね、本当。
で、ここにユキさんはどのくらいの期間在籍?
半年のタームで行ったので半年間ですね。
夏、8月ぐらいから行って年末までだったかな。
そうですね、5ヶ月間かそのぐらいですね。
確かにそれぐらいだとギャップイヤーの方も参加しやすいですね。
そうですね、そのクラスはもしかしたら学校によったら違うかもしれないんですけど、半年コースがあって、1年コースも確かあって、1週間だけとか2週間だけのコースとかもあったりして、私は半年を選んで行ったんですけど、1年で来てる人とかリピートしてる日本人の人もいましたね。
めっちゃリピートしたい気持ちをわかります。
すごいなと思うが、全寮制ってとこがポイントな気がする。
大ポイントですね。
学校行ってて、学校終わったとさよならとかではなくて、全寮制だから生活もともにするわけだし、
そうするとなんでこの人がこれ好きでここに来てやってるんだろうって話をするチャンス増えるから。
そうですね。
だって僕も、一応作る学校行ってましたけど、夕方になって集中してるところを一回途切ってバイトに行ったりとかしてたことを思うと、本当に制作に集中できるっていうのはすごいいいなって。
そうですね。しかもめちゃくちゃ私が良かったなって思うのが、作るものも任されるというか、自分で作るものを決めるんですよね。
一応、ソーイングの時間はソーイングの時間って時間割は割り振られてるので、そのクラスの人は割り振られてるクラスを受けるんですけど、
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ソーイングの授業の中で一旦一番簡単なスカート作るけど、スカート作りたくない人はもうすでにそれ以上のスキルを持ってる人は作らなくてもいいけど、
一応スカート作ろうねみたいなところから始まって、最初からスカートのデザインなんでもいいよみたいな、自分で作れそうな感じにした方がいいやろうねっていう感じで始まって、
こういうスカート作りたい、こういう生地でこういうのを作りたいっていうのが、おのおので決めて考えて、こういうの作りたいから作れるかなって先生に相談して作り方を教えてもらうっていうような授業の内容だったので、
先生が決めてこれを作りなさいっていうのはほぼ一切なくて、あってもめちゃくちゃ簡単なやつで、すぐ終わるような内容でっていうのだったので、
ただただ自分が作りたいと思ったものを教えてもらうっていうような感じだったので、それがすごい楽しくて。
なんかテストとか単位とかそういうのが全くない上に自分で課題を作るっていうのがなんか、ちょっとやっぱりヨーロッパの中だとどうしてもやっぱりテストっていうよりは課題はないんですよ、美大って、
自分で課題を作るっていうのが大事なので、それ自体が本当に一番重要な教育だと言われてるっていうのにすごいフォーカスされてるっていう話聞いてて、なんか自分でテーマを決めるっていうのが一番難しいじゃないですか。
それをやるっていうことを探すのがなんか一番学生として、いろんなことやってみないと何がやりたいかってわかんないから課題をさせるっていうのが結構日本とかアジアの学校でよくある課題が多い学校なんですけど、そういうのがないっていう。
なんか学びに来てる人を信頼してる感じがありますね。
そうですね、自主性に任せる感じ。
ちなみに男女で言うとどんな感じ?
私が行った学校は男性の生徒はいなかったですね。
いないんだ。
なんか過去行ったような、いらっしゃったような話、噂は聞いたことあるんですけど。
噂レベル。
でもどうなんでしょうね。寮が。
そうなんですね。
30:00
そうなんですよね。
別の棟とかじゃなくて。
私が行ったところは、本当に教室のある、作業をする教室が1階にあって、ベースのフロアにあって、その上に部屋があったような構造になってたので、教室の、そうなんですよ。
職場にいる人みたいな。
そうです、本当にそんな感じで、もう1回降りたらすぐ教室っていう感じだったんで。
だから、卒業するまで校舎の一本も外出んくても理論上。
可能です。
可能ですね。
材料も学校の中にあったんで、学校の中で買えたんで、もう引きこもれ、好き放題でしたね。
ちなみになんですけど、手工芸って確かに、分かってるようで分かってない言葉ではあるんですけど、今、ソーイングの話があったんですけど、結構どういう技術っていうか、他にもどんなことを勉強するんですかね。
刺繍とか。
そうですね。ソーイングの時は服、洋服がメイン。
その時の先生が洋服の専門だったとかもあるかもしれないんですけど、ソーイングは服を作るのがメイン。
マシンを使う、ミシンを使うのがメインで。
刺繍だったら、刺繍の先生がデンマークの伝統的な白い生地に白い刺繍をするっていうのがあって、
たぶんアーティストさんか、刺繍をされてる専門の方で、その先生が得意なので、そういうのを教えてもらったりとか、
で、編み物。編み物はでも基礎を教えてもらってましたね。
編み物も、できる人できない人って生徒によってバラバラなので。
一応、編み物のデザインをするとか、編み図を作るのってほとんどの、私のクラスはほとんどみんなやったことなくて知らない人ばっかりだったんで、
それを教えてもらって、みんな一緒にこうやってパターン作っていくんだよとか、こうやってデザインを決めたらどうみたいなのを植物からインスピレーションをもらうとか、
あとは、自分の好きなように絵を描いて、それをますめみたいな感じのところに塗りつぶしていって、イラストロジックみたいな感じに塗りつぶしていって、
それを編み物のパターンに落とし込んでいくっていうのをやったりとか、単純に編み方を、サンプルをいっぱい先生が持ってきてくれて、
33:05
これの編み方どうやるのって、その編み方を教えてもらったりとかっていうの。
あと、折り物に関しては、旗折り機が、旗折り機部屋があって、ずらーっと旗折り機が並んでいるところがあって、
そこで編み物の組織図案みたいなのの作り方、計算の仕方とか図案とかを一から教えてもらって、
ただその作りたいショールを作りたいとか、マフラーというかブランケットを作りたいとか、作りたいものはその人に任せて、
ただその基本的な計算の仕方とかはみんなで一緒に教えてもらって、あなたの場合はこうよねってわからないところを聞いたりとかっていう風に進めていって、
自分おのおの好きなものを折るっていうような、なので細いマフラーを折ってる子もいれば、
私は大きい折り機は絶対にこの後使うチャンスがないと思って、めちゃめちゃ欲張って大きいブランケットを折ったりとか。
個人に折ってないですもんね。
話前後しちゃうかもですけど、少し前にユキさんのご自宅にお邪魔したときに、食器が置いてあった。
置いてありました。ちょっとチャレンジしたくて。まだできてないんですけどね。手に入れましたね。
全部何でもやれるんですね。すごいのが、ただそれだからって言って、最終的に手に食つけて何とかとかいうのではなくて、
好奇心と自分がやりたいっていう情熱を叶えるための施設というか、そのための必要なものが揃ってるっていう状況が、
どうやってそれができてて、経営という言い方もあれか、成り立てていけるのかっていうのがすごいなって聞けば聞くほど。
ちょっとフォルケ・ホイスコーレの話が面白いですね。
時間がここで停滞してしまったんですけど。
そこでクリエイティビティを爆発させたウィキさんが帰国した後。
本当に今、いかに楽しかったかっていうのが伝わったと思うんですけど、本当にそこの私工芸学校行ってる時の生活が楽しくて、
行ってる時に自分の中で、手芸を今後自分の仕事にしていくのかしていかないのかを、ここでそろそろ考えた方がいいなっていうのを思ってて、
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すごく好きな、趣味は仕事にしない方がいいのかなってふわっと思ってたことがあったんですけど、
なんでそう思ってるんだろうっていうのはちょっとわからなかったんで、私の場合本当に自分がそれに合ってるか合ってないかっていうのを確かめるっていう意味も込めて、
ずっと手芸付けの生活っていうのをしてみたかったっていうのもあったので、留学っていうのもあったんですけど、やってみたらめちゃくちゃ楽しかったんで、
これはもう手芸やるしかないなって思って、帰国してきて、実家に帰った、一瞬帰ったんですけど、実家に帰ってきて、帰国して仕事を探さなって思って、
でもなんかその手芸関連のことができる会社も考えてはいたんですけど、何しよっかなって、でも自分で作りたいっていう思いがあったので、それをやっていくにはどうしたらいいんやろうかって考えてた時に、
実家でテレビ見てたら、テレビに京都のローカルチャンネルで、京都の街並みをぶらつくみたいなチャンネルがあって、そこであじき路地っていう、アーティストインレジデンスの先駆けみたいなことをやってらっしゃった京都の町屋で、
よくある細い路地入っていって、長屋が続いててっていう路地で、その長屋を一胸一胸アーティストとか作家さんに貸し出し、若手のそういうクリエイターに住んでもらって、そこを工房にしてもいいし、お店にしてもいいし、とにかく活動頑張ってねっていう、
大屋さんの思いで貸し出されてるところがあって、そこがテレビで流れてて、そこを訪問、ぶらり散歩するみたいな感じで訪問されてる番組があって、ここめっちゃいいやんって思って、そこの存在知らなかったんで京都だったんですけど、行ってみようと思って、あ、違いますね、そこめっちゃいいやんって思って、すぐにネットで調べてあじき路地で検索したら、
秋屋が空室があったんですよ、そうで、空室あるんやってとか言って、親父もそこそこお休みですごい応援してくれてるのがひしひしと伝わるような親父になって、
ずっと実家におるのもなって思ってたところだったんで、住めるし工房にもできるし、これはもうやるチャンスやと思って、確か下見にも行かずに連絡したんですよ、もう空いてるって思って、すぐ連絡して見に行きたいですって言って、
39:18
でもそこに行って、自分のテディベア持って行って、こういうの作ってるんでって、親さんとお話しして部屋見せてもらって、入りたいですって言って、入ったっていうのが、去年まで住んでた京都の町屋の、長屋のひとむねで、
テディベアのベアノットを始めたところに住み始めたっていうのが、そういった経緯があります。
たまたま近く歩いてたんですよ、宿が清水東山のほうで、ちょっと用があって、京阪五条っていうか1号線のほうに歩いていくときに、その話聞いとったら、ちょっと寄りながら歩いたところだったんですけど。
もしお時間あれば、ぜひぜひ。
今ネットで見てるんですけど、これ住むこともできるし、制作と住むところがガチャってなってて、この値段。
そうです。部屋によって、家によって、その場所によって、住めるところと住めないところはあるんですけど、住めるような、住めないところっていうのは本当にお風呂がなかったりとか、
そういう設備が整って、インフラが整ってなくて住めないっていうお店で使う分にはいけるけど、キッチンだけはあるけどとか、そういうところをやったりするんで、住める方にはお風呂ついてたりとか、ちゃんともう家として成立してるところで、でもそこで、
そうですね。できれば、大谷さんの思いとしては、住んでくれると、一応そのアジキロ寺っていうブランディング化されてるようなところで、お客さんもアジキロ寺でいろんな作家さんがいるみたいっていうので来てくれたりとかするので、
テレビに映ったりとか、メディアに行って紹介してくれたりとかっていうのがあるので、できれば住んでいって頑張ってほしいなっていうのが大谷さんの思いらしくて。
すごいですね。なんかこのアジキロ寺のアジキなんだろうと思ったら、大谷さんの苗字がアジキという。
そうですそうです。
そうなんですか。
北さんが入居者募集中になってます。
42:00
本当ですか。
なんか自分も入れるんかなと思って。
なんかちょうど大谷さんのアジキひろこさん、結婚期に諦めた超勤作家としての夢を作家に託すべくって書いてあったので。
僕なんかなんかの檻に、老後になんていうんですかね、手作り下手馬ジュエリー作家になるのがいいなって。
一応若手作家を応援したいって言ってあって。
今はどうかわかんないんですけど、昔は年齢制限一応あったらしくて。
30歳やったか35歳やったかまでに入居してくれたら嬉しいみたいな感じだったそうなんで。
人生もまだまだこれから。
10年ぐらい。
応援したい。
そうですね。ずっと住んではる人もいるんで、初期から住んではる人もいるぐらいなんで。
年齢みんな重ねていくと病が起きる。
そうですね。
人生で初めて僕サバ読みたいなって。
すごくいいところなんで。
これでもすごいいいなって思う。他の隣の人とか、自分だけがぽつっと安いとこ住んでっていうよりは、
いろんな人がどういうふうにものを作ってどうやって生活してるかっていうのもすごい参考になるでしょうね。
そうなんです。まさしくその通りで。
私は周りに同じように頑張っている人がいるっていうのを支えに。よし頑張ろうっていう。
なんかでも計らずもそのデンマークの環境が京都に来ても続いてるみたいな感じですよね。
めっちゃ羨ましいですね。
テレビ見ててよかったなーって思いましたね。
ローカルのね。
そうですね。
たまたま。
わじき路地に住んで、そのベアノットっていう野郷を立ち上げて、そこで初めて本格的にオーダーを受けてテディベアを作るみたいな活動が始まったという感じですね。
そうです。
本当その大谷さんの思いのままじゃないですか。ここからスタートするみたいな。
そうですね。
なのですごい応援してくださって。
いつもおにぎり持ってきてくれて。
本当に本当にみんなお母さんって言ってるんですけど、お母さんお母さんって言って。
それまでって友達にあげたりとか、ニュージーランドでクラフトマーケットに出したりとかっていう経験はもちろんそれまであったと思うんですけど、
あくまでまずは自分のインスピレーションみたいなものを作って、それを売るみたいなことだったんですけど。
45:04
人の要望というか、お話を聞いてそれに対してオーダーで作って答えるみたいなのは、ベアノットをやりだしてから初めてやって。
でも友達から頼まれて、こんなテディベアが欲しいって言われて作ったことはあったので、完全に初めてではなかったですね。
こういう風なの作れるって言われて、結婚式のウェルカムベアにするからっていうので、それやったらプレゼントするって言って。
こういうのがいいっていうのだけ聞いて、型紙から起こして作って、結構今でもよく頑張ったなって思えるようなのが作れたんですけど。
そういうのはあったので、完全に初めてではなかったですね。
去年くらいでしたっけ、今の拠点の若さに移られるまでの、どれくらいアジキロ寺におられたんでしょうか。
アジキロ寺にいた期間は丸2年経たないぐらいで、デンマークから帰国してきたのが1月ぐらいなんですね。
アジキロ寺を見つけて入居したのがその2か月後ぐらいなので、それが2月か3月ぐらいかな、3月ぐらいで、そこから今年の1月で退居したので、
退居は12月までだったんですけど、退居は1月だったんで、もうすぐ丸2年経つかなっていうところで退居しましたね。
最近のお話を聞くのに、このまま話し続けた方がいいのか、ちょっとストーリーを分けた方がいいのかっていうのを喋りながらすみません。
で、今のオバマに行くところまでは、このエピソードの中でお聞きしておきたいんですけど、
アジキロ寺を出て、今は福井県のオバマ市の里っていう、僕もこの間行かせてもらったところなんで、本当に海沿いのちっちゃい集落。
のどかな村の中で。
牡蠣、庭に育てる牡蠣をたくさんいただいて。
48:02
渋柿もいっぱいあるんで、よければまた。
なんかオバマのあそこ、海沿いの工芸館みたいなこと行ったことある?
工芸館ですか。
牡蠣市場と一緒か近くにあるような。
ありますね。お若さ塗りのお箸とか置いてたりするところですね。ありますあります。
あそこがすごく印象深かったのが、いきなり行っていろいろやれるんですね。和紙もそうやれるし。
そうですね。いつでも体験できるところあったはずですね。
それで僕も裸電入りの箸磨いた記憶があるんですけど、
塗り物もできるし、他にもいくつかあって。
若さは工芸という意味でも結構いろんな入り口とか、
地場の雰囲気があるんだなというふうにちょっと思ったんですよね。
なんか結構羨ましいなと思って今、若さの話を聞いてます。
そうですね。
その土地を選んだというか、選んだということでもない?
そうですね。
アジキロ寺にいてるときに結婚をしまして、だからといって生活形態を変えようとかそういうつもりはなかったんですけど、
ちょっとアジキロ寺で住んでたところが、住みながらアトリエ、工房として使って、
お店もやってて、週末はお店をやっていて、
アジキロ寺やってるときにリモートで経理の仕事をやってて、
もともと事務職で経理やってて、ちょっと生活費を稼ぐのに、
アルバイト的な感じでリモートで平日はちょっと経理やりつつ、週末にお店をやるっていう、
割合が、会社員はがっつり会社の仕事をやってたけど、
アジキロ寺では割合をどんどん手作りの方に、手作りの割合を増やしていったっていうような生活の仕方をしていて、
その経理の仕事も契約が切れて、いよいよ100%ものづくりテディベアでやっていきたいってなって、
結婚っていうのもあって、それを考え出した頃にはテディベアを作ってるんですけど、
ずっと同じ素材とか、同じ今まで作ってたテディベアっていうのを作り続ける、
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ハンドメイド品として作り続けるのだけでは物足りなくなってきて、いろんなことに手を出したくなってきて、
折り機を手に入れたりとか、もうちょっと幅広い手芸の技術だったりとかをテディベアに落とし込んでいきたいなって思ったときに、
ちょっと手狭になっちゃって場所が、部屋がちょっと材料が置ききれなくなってきたりとか、っていうことが物理的にちょっと狭くなってきちゃったので、
広いところに引っ越そうかなって思ってたところに、ちょうど旦那の友達が、おじいちゃんの家が空き家になってるんやけど、
十何年空き家になってて、取り壊されるかもしれへんみたいな話になって、誰か住んでくれへんかなっていう話が舞い込んできて、住みたいってなって、
で、広いお家っていうのを聞いて、そこやったら旦那も一緒に住めるしなっていう話になって、私も工房広げられるし、っていうので、なんか友達も助かるし、じゃあ行くかっていう感じで、
オバマもこのお家に引っ越してきたっていう感じですね。
音声メディアなんであれですけど、今ゆうきさんのバックグラウンドは、ちょっとごちゃついてますけど、
いえいえ、そのお家から今ご参加いただいてるのかなって。
そうですね。
なんかね、完全に余談めいちゃいますけど、夫の浅井牧師さんも、この小民家めちゃめちゃDIYでいろいろやってます。
そうですね。DIYで。
ゴリゴリに3Dプリンターとか置いてたりとかして、小民家ですけどね。
ゆうきさんのアトリエで、その空間がいろんな素材だらけで、
次のエピソードが一番コンクラっぽい話もあるかなっていうところで、
今のオバマに住みながらやられてる活動とかを中心に、最後のエピソードをもう少しお付き合いいただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
めっちゃエピソードの長さのバランスが。
ちょっと偏りが。
こういう感じでいきましょう、倉田氏ラジオ。
ということで、こんな感じで倉田氏ラジオは毎週火曜日に配信してますので、来週もゆうきさんのお話をお聞きください。
54:00
はい。
ゆうきさんへの質問を間接的に募集しております。
フォームを用意しているので、匿名でお送りしたいという方は。
いつも嫌だな。
嫌ですね。
あとは私もホルケホイスコーレ行ってましたみたいなお話を終わってます。
いいですね。
はい、というわけで次回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
54:42

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