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2023-09-19 51:57

S3 ep4 新工芸家になったデザイン用務員 ゲスト:新工芸舎・三田地博史(前編)

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シーズン3最初のゲストは、新工芸舎を主宰する三田地博史さん。3週に亘ってお話を伺っていきます。 三田地さんは、実はCra出しRADIO的には満を持してお呼びするゲスト。なぜ「満を持して」なのかは、新工芸舎のウェブサイトに掲載されている「新工芸について」という感動的なステートメントを読んでもらえれば少しお分かりいただけるかもしれません。 様々なゲストとともに、少しづつ光の当て方を変えながら工芸について考えてきた当番組にとって、三田地さんをお招きするタイミングは早すぎても遅すぎてもダメで、まさにこの新シーズンスタート時しかあり得なかったのでした。 初回エピソードでは、いきなり「新工芸ってなんですか?」と聞いてしまいたい気持ちを抑えながら、その概念を発見するに至る道程を掘り下げて聞いていきます。 何台もの3Dプリンターがひしめく新工芸舎の工房よりお届けする今回。話題に挙がる制作物はリンクのサイトやインスタアカウントの写真でチェックしてもらいながら、背景の3Dプリンター稼働音も含めてお楽しみください。 【番組の感想・質問・リクエストなどはこちらから】 Cra出しRADIOおたよりフォーム #concra でも感想お待ちしています! 【今回の話題の関連リンク】 新工芸舎 https://www.shinkogeisha.com 新工芸店 https://newcraftshop.com/ja Instagram | NEW CRAFT HOUSE / 新工芸舎 https://www.instagram.com/new_craft_house/ 【ConCra Information】 ConCra公式サイト ⁠https://concra.jp⁠ 誰でも参加できる実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ) ⁠https://basic.motion-gallery.net/community/concra/⁠ パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

00:01
CRA出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ、ConCRAのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの岩田です。
海です。
四方です。
はい。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回予告していた通り、今日はゲスト会なんですけど、今日もちょっと、作っている場所にお邪魔している系の収録です。
嬉しい。
盛り上がりますね。
いいですね。今、いろんなものに囲まれているところでございます。
これ、もしかして、音とか聞こえているのかな?
どういう聞こえ方をしているのか、ただモコモコって聞こえているだけだから。
確認しようがないですけど、音が聞こえているとしたら、作っている音ですね。
常に。
ご本人に声出しをしてもらうために、今回のゲスト、まずは自己紹介をお願いします。
進行芸者の三太地です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
これ、今、音が後ろで鳴っているのは何の音ですか?
まさに3Dプリンターが稼働している音ですね。ステッピングモーターの音です。
モーターの音か。
そうですね。
なんか水槽の音みたいな。
3Dプリンターの音ということで、三太地さんのご紹介を僕の方からさせてください。
三太地博史さん、平成元年生まれ、デジタルとアナログを融合した新時代の工芸を標榜し活動する進行芸者を主催されています。
株式会社キーエンスでデザイナーとして働いた後、株式会社横井戸に加入、2020年に進行芸者を立ち上げられました。
デジタルファブリケーションが生み出すコンピューターとアナログ世界の境界面に現代におけるものの在り方を模索されています。
ということで、実は倉田氏ラジオを去年の3月から始めているんですけど、もう企画段階で三太地さんの名前がずっとあったんですよ。
いつも呼びたいゲスト。
僕らシーズン3がついこの間配信スタートしたんですけど、その最初のゲストということで。
光栄です。
番組が光栄をテーマにっていうことで言っているので、それは今のご紹介聞いていただいて、光栄絡みなんだろうなという想像はリスナーの方もするかなと思いますし、
03:09
耳の速いリスナーの方であれば、ようやく三太地さんが登場したかというぐらい待望のゲストだと思うんですけど。
そんなんですかね。
ただちょっとね、光栄と言ってもアプローチが今までお呼びしたゲストの方とはちょっと違う方向からいろいろお話を聞いていきたい人なので、新光栄社さんの活動を聞いていきたいので。
まずどこから行きましょうねって3人で言ってたんですけどね。
そうですね。まず、さっき和地さんがプロフィールをお話ししていただいた中で、やっぱり気になる、皆さん僕だけかもしれないですけど気になるところがあると思うんですよね。
キーエンスにデザイナーとして働いたんですけど、プロダクトデザイナーであられたっていうことですか。
そうですね。ただキーエンスは一般的なコンシューマーともちょっと違うので、いわゆるFA機器っていうファクトリーオートメーションを実現する機械とか、あとは顕微鏡とか、そういうプロフェッショナルな世界で作られる製品のデザインをしてたって感じですね。
そしたらそのデザイナーとして就職する前はどのようなご勉強をされていたというか。
僕は京都工芸専院大学という大学の卒業で、そこでいわゆるデザインの学科に所属していたので、在学中は普通にデザインの学生としてデザインを勉強していたんですけど、その中で途中で大学院生の頃に3Dプリンターに出会って、今につながる活動の目をその辺りからちょこちょこやり始めてはいたという感じですね。
3Dプリンターって、僕なんか完全にそうなんですけど、ちょっとワークショップで1回触ったことあるぐらいのレベルで、多分3Dプリンターという言葉を聞いたことのない人はもうかなり少ないかなと思うんですけど、実物を見たりとか、もっと言えば触ってないものを作ったりということで言うと一気に人口が減ると思うんですよね。
この番組を聞いている方の中でも、多分大多数の人は自分で3Dプリンターでものを作ったりということはしたことがない人じゃないかなと思うんですけど、そういう意味でいくと、3Dプリンターって名前で3Dでプリンターするぐらいの解像度しかないところが、
多分そこを順番に分かっていかないと、新工芸者さんのコンセプトとか、作られているものとかっていうのが、今回というか、これ音声メディアなんで特に。
06:00
まさにまさに、全然見せられないです。
概要欄に行くというやり方しかできないので、そこ結構丁寧にまず聞いておきたいなというのがあって、その音声の時に3Dプリンターであったというのは、年号というのは何年ぐらいですか?
年号がすごい苦手なんですよね。
たぶん2016、17年ぐらいじゃないですかね。
近すぎるか。
32歳で、3、4歳ぐらいの時に出会っているので、10年前ですね。
なるほど。
それなりに3Dプリンターっていろんなところで実用化はされていた?
その当時は、いわゆるレップラップといわれる、オープンソースの3Dプリンターが流行りだしたのがその時期なんです。
レップラップ。
それまでというのは数百万とか、下手したら一千万級の選ばれた企業しか手に入れられない機械だった。
どういう仕組みかというと、アメリカで特許が切れたんですよ、3Dプリンターの。
特許が切れた瞬間に、その周囲の人たちが、じゃあ自分たちで作っちゃおうぜっていうので、
DIY的なカルチャーから生まれる3Dプリンター文化というのがカルフォルニアに新たに生まれ始めた。
それが世界中に広まっていって、インターネット上に3Dプリンターの設計図が落ちてるらしいぞみたいな。
みんなで3Dプリンター1台あれば、3Dプリンターが複製できるっていう世界なんで、
どんどんどんどん子供を増やしていって、広がっていったうちの1台が、
僕が2013年の大学院生ぐらいの時に、僕のデスクトップに来たっていう感じです。
カルチャーっぽい感じなんですね。
自分でネットからダウンロードして作られたんですか?
その時は僕ワークショップに参加して、組み立てを教えてくれるっていう会があったんで、
そこに参加して、自分とも持ってきて、自分の大学院の後輩にも何人か子供を作って、
バラまいてってことをやってました。
じゃあ、どんと完成されたものをいくらで買ったみたいな感じじゃなくて、
組み立て、配線剥き出しのジャンキーな感じのプリンターを最初に作った。
学校に3Dプリンターが早々に導入されていたことではなかったんですか?
そうですね。僕の学科で初めて3Dプリンターを導入したのは僕です。
持ち込んだのは。
機械系の本当に一部の会話にはあったんですけど、デザイン科にはなかったですね。
今だとイメージ的には3Dプリントとかファブをやっているっていうのが…
工芸生以来の…
勝手なイメージ。
確かにそういうイメージですよね。
そのイメージを三谷さんが作ったみたいな。
鍵を巻いて…
プロティー。
僕は大学1回戦くらいの時にプリンターを始めて、
09:02
2回戦くらいの時にそれを見た先生が導入してきて、
それの管理を任されていました。
いろいろ交渉したり、どうプリントしたり。
ボトムアップしてたり。
デザイン科の方針を。
そういう風に3Dプリンターを手に入れて作って、
初期はそれで何を作ったりしたんですか?
一般的な3Dプリンターの使い方、デザイン科でいうとプロタイピングですね。
その当時は3Dプリンターで最終製品を作るなんて誰も思ってなかった状態なので、
デザイン科としては量産品を目指したプロトタイピングを、
今まで木とかスタイロを削っていたのが、
データで作ったものがポンと目の前に出るよっていうことがすごい。
これでプレゼンテーションがうまくいくとか。
作るのが楽みたいな世界でずっとやってました。
いきなり最初からクオリティ的に大丈夫そうなのが出てきたんですか?
自作3Dプリンター。
プロトタイプとはいえ、この後話題になってくると思うんですけど、
積層コンと呼ばれる3Dプリンターって積層していくんですよね。
溶かした樹脂をモーターで制御したヘッドを動かして、
特定の箇所に積み上げていくことによって、
いろんな形が作れるよっていうものなので、
表面にシマシマが入っちゃうんですよ。
なので形はできているけれども、質感という意味でいうと、
いわゆるツルッとした樹脂製品。
僕らがお店で買えるような樹脂製品に比べるとすごく劣って見える。
なのでそれが最終製品になるっていうことはもちろん考えられなかったし、
プロトタイプとしても品質は悪かったんですよね。
それをめちゃくちゃ一生懸命磨いてパテで埋めて、
すごい手数かけて仕上げてましたね、最初はね。
もう許せなくて。
どのくらい時間かかるんだろう。
ソフトウェアとかからもその当時から作られて、
自分で作っていったような感じなんですか?
ソフトウェアはね、その当時はありものを使ってましたね。
すでにオープンソースで配られているスライサーっていうんですけど、
3Dモデルを読み込んでスリープインターが使えるデータに変換するソフトウェアがすでにあったので、
それを使ってましたね。
そうか、だから三谷さんの出自としては別にプログラミングとかそっちじゃなくて、
全然デザイン科なんですね。
ただその当時にアルドゥイーノとか、
ご存知ですかね、電子工作のプロタイピング基板なんですけど、
簡単にそういうインタラクションが実現できるよってものが、
学校にも入ってきていたので、
そこら辺は勝手に独学でやったりしていました。
なので電子工作も一取りできるし、
プログラミングもある程度理解できるみたいな状態はやってましたね。
そんなの学校で教えてたんですか、電子工作とか。
12:00
授業はその当時はなかったですね。
じゃあ自分で、すごいな。
先輩たちとかはチクチクやってたんで、それを見て面白そうと思ってやってたんですよ。
そこから委員出て、すぐ新卒というか、で、禁煙する。
そうですね。
就職するまでの学生の期間っていうのは、
3Dプリンターで作るものってさっき言って言われたみたいな、
出来の悪いプロトタイプっていうままずっと使い続けたとか。
そうですね、基本的にはそんな感じですね。
就職も最初する気なかったんですよね。
あの当時はスタートアップ文化っていうかスタートアップムーブンって、
ブームか。
日本企業はもう全然ダメだみたいな。
なんとなく今から企業のインハウスに入っても面白くないんちゃうかなとか。
勝手に思ってたんで。
大学院の卒業制作の時に3Dプリンターで作った側と、
中の基盤も自分で作ってプログラムも書いてっていう、
登山用のGPSデバイスを作ったんですよ。
もう近づいてきた感じ。
3Dプリンターで作った山を上をカートリッジで取り替えられると。
立体的な地図の山の上に自分のポイントを照射できるっていう。
登高線の地図を見なくても自分を鳥の目線で見れるっていうデバイスを作ったんですね。
それがちゃんと動くっていうのを持って。
これから登ろうっていう山のまず3Dのメモ取りを作って、
それを持って登山に行くと。
それいいな。
これが結構界隈で話題にしてもらえたりして、
製品化しようよみたいなおじさんたちに言われたりして。
なんとなく舞い上がってて。
それで行くか行かないかっていう時に、
一回ぐらい就職しとくかみたいなところで攻め際で。
一回ぐらい就職しとくかっていう感じで行けるとこじゃない?
デザイン界隈では全然有名じゃなくて。
全然知らない会社だったんですけど。
就職戦争の後の終盤の終盤まで何もしなかったんで。
その時に掲示板にピッと貼られたんですよね。
まさに今何かが。
完成したんですか?
3Dプリンターの。
すみません予想外。
めっちゃリアルですね。
リアル。
大丈夫です。
掲示板に貼られた年収のマーカーのラインを見て。
確かに。
今年もそうかもしれない。
年収日本の企業トップ1とか3とか絶対入ってるよね。
15:03
日本の会社全然ダメだって言われてる中でこんな会社あるんだと思って。
どんどん成長してますね。
じゃあちょっと中身見てもいいかなって。
そんな気持ちで入れる。
受けてみたら受かっちゃったってやつ。
今いろんな学生に勇気を与えたっていう発言が多い。
行ってみようぜっていう軽い気持ちでいいぞって。
逆にそれが良かったのかな。
就活でも力が抜けてる方がいい気がしますよね。
面接ってガツガツしてると。
カチコチに自己PRとかしても。
別に入ってやってもいいぞぐらいの感じ。
面接で3Dプリンターのこととかめっちゃ喋ったらよかったって。
確かにその頃3Dプリンターがある学校って本当に
たぶん2013年ってあったっけな。
もしかして芸大に入れたっていうのが
2013、2014そのちょい後ぐらい覚えてる。
ないとか他のとこであんまりね。
デジタルファブリケーションがちゃんと
既存の美大の中の工作工房の一部みたいな感じで
整理されてきたってほんとここ数年ぐらいな気がする。
あと用途がまだみんなわかんないから
学校の予算が余ったのを先生がチコチコ書き集めて
買ったっていうストーリーがあるぐらいだった。
その頃の時代って。
まだ学生が使ってくれるかもわかんないものを
予算を取って説得できると。
だって誰も説得しづらいわけじゃん。
意外と広げてみたら学生が並ぶぐらい使いたいって結構。
それはめちゃめちゃ僕のいた工芸家は
誰が使うんだっていうスライサーとか結構なやつあったけど
誰も使ってなかった。
金属工芸手で打つ人たちだからね。
そんなに安くないかなとか。
たまたまそれは芸大の図書館みたいな場所だったからかもしれない。
なんかいろんな学生が来ていろんなものを。
それいいですね図書館は誰でも来れる。
誰でも音楽系の人でも美術でも学科関係なく。
だから噂が広まって並ぶみたいな。
でも2013年そんな状態なかったと思う。
そんな2013年頃に
ヒッピーカルチャーのどっぷり使った3Dプリンターの洗礼をあげた。
なんでヒッピーになってんの?急に。
まあまあヒッピー的な。
短い間だから。
どっぷり使った後にキーネスいかがでしたかって。
どういう聞き方?
キーネスの待機が強烈で
18:03
すごくルールの厳しい会社だったり
ハイパフォーマンスを求められるところで
デザイン業務としてはよりクラシカルなデザイン業務で
企画はもう決まっているので
最後側としてのお化粧というか
高級感とコンセプトを体現するような形を考えて
与えていくという仕事を高速で回すという
すごいスピードで皆さん仕事されているという状態だったので
強烈は強烈でしたね。
もう結構新卒で入っても
かなり最初からハイパフォーマンスを求められるみたいな。
そうですね。研修もそんなに長い時間やらないで
ある程度やったらさあやりましょうみたいな感じでしたね。
でも高速でプロダクトデザインしていくというか
ある程度のキーエンスマナーというか
既存のプロダクトのアレンジみたいな感じとかではないですか?
でも結構新規製品になると
一から考えなきゃいけないし
デザイン部がものすごい少ない人数だったので
いわゆる画面から外側の筐体までやるという
普通GIデザインとかプロダクトデザインとか
GIもデザイン?
専門性で分かれるんですけど
そこら辺が一緒になっていて
ある意味いろんなことを短期間ですごい筋トレできた
という期間にはなりましたね。
それはユニコーン系だね。
何でもできちゃう人が
フルスタックエンジニア
探すの大変
ただその中で葛藤は生まれるんですよね。
金エンスに限らず
企業に入ってしまうと
自分の名前で活動できないので
どれだけ自分がエネルギーを発していても
自分の中が溜まっていく感覚がないというか
かつ生み出された商品が
どこでどういうふうに使われているのか
ビルの中では分からない
確かに金エンスが入っているものって
病院とか研究所とかで
気軽に入れるとか
一般見学できるような場所ではないイメージがあるからね。
それこそ製造業の中小企業とか
確かに自分がデザインしたものを
人が使っているシーンを見れたら
やる気は全然変わると思う
次のことを考えると
こういう人たちが使ってくれるなと想像すると
モチベーションがやっぱり違う
じゃあ在籍中はデザイン部に出社して帰るだけ?
そうです。ビルと家の往復みたいな
21:02
サラリーマンっぽい
非常にサラリーマンっぽい生活をした
スーツで行って
デザイン系とかだとインプットが大事なんで
そこのインプットできるための時間
多分しぼさんの会社だったら
そういうのがめちゃくちゃ重視されてますよね
今の私インプットインプット
何もしてない
学校お金払って行ってるみたいな
そうですね。よくも悪くも
実践的な会社だったんで
無駄なことは一切やらないっていうのがコンセプトとしてあるから
いつか目が入るであろう
っていうようなことに対する
勉強的な投資は少なかったかもしれないですね
目の前の仕事をいかに効率的に
いかに品質よく仕上げるか
それで3Dプリンターの話をして
面接を受かって
実際に仕事の中で3Dプリンターを使うことはあったんですか
実はキンスって3Dプリンター作ってるんですよ
3Dプリンターもね
アジリスタっていうすごい高い
研究機関とかで使うようなプリンターがあったので
それは日々使ってました
それ使えるのは嬉しいですね
逆にそれが使い放題だったのが嬉しい
唯一の心の作り構成
そのキンエスのめっちゃいい3Dプリンターでも
やっぱり最初にお話になった積層根とか
その辺の問題っていうのは高いものでもある
ありますね
アジリスタって光造形機なんですけど
僕が学生時代に持っていた
熱溶解式の3Dプリンターとは違って
ネイルとかに使う光を当てると塊樹脂で
あれがプールみたいに溜まっていて
それにレーザー光を当てて積層していくので
だいぶ積層のピッチとしては細かいんですよ
品質はよく見えるんですけど
それでもザラザラしてたり
ツルッとはしないんですよね
これを磨いて仕上げて
モック作るみたいなことをやってましたね
それをスーツ着てやってる
ネクタイをやっていると
ダラーンと接着剤が付くので
毎回こうやって
なんでつけてるんだろうと思って
ネクタイつけるって初めて聞いたんだけど
だって家と会社の大目的なのに
なんでスーツなんですか
いわゆる役得というか
みんな平等だよというのを
すごい徹底している会社だったので
服装にも全員スーツ固定みたいな
24:02
デザイナーだろうが
営業さんだろうが
社長だろうが
そうです
挑発禁止、悲劇禁止みたいな
それ禁止ですね確か
あんまり乱れてくると言われますね
私今の時点でもう入れる気が
あとガラシャツがダメとか
もう無理だ
すごいな
ピンク頭とか絶対アウト
拘束厳しいラジコンみたいな
まさよまさよ
勝波監督の中で
勝波監督の中で
結構そういう感じかもしれないですね
なのでいわゆるヒッピー文化
大学の時にやっていた感じと
いい意味でヒートショックが起きたというか
就職する前と就職した後で
生活がガーンと
カルチャーショックですよね
変わったので
そのエネルギーが
この新興業者につながったというのは
結構ありますね
割と堅い家庭に生まれたので
いわゆる4年生大学公立出て
サラリーマンで働いて
家庭を作って子どもを作ってという
家庭像みたいなのを
大学の時は
そこからレールに乗っちゃったんですよね
捨てきれずに
その外側を見せてくれたのが
ある意味スリープインターだったんですけど
いわゆるカリキュラムの外
自分で持ってきて
これで自由な世界が自分で作れるんだ
というのを一旦見つつも
こっちのレールを体験することは捨てられなかったので
一旦就職してみたけれども
これがいわゆるこの国で
引かれている一般的な
働き方なのかと思って
すごい絶望的だなと思って
エクストリーム
エクストリームとはいえ
やっぱり
一旦として見たものは
これはそうなのかと思って
こっちの元の
スリープインターで体験した
こっちの世界の方が
いいかもって思ったんですよね
気づくまでどのくらいの期間的には
2年半くらい働きましたかね
最初会社入って
慣れるのに2年かかるとか
よく聞くんですけど
そこまではやってみるか
そうですね
金融世界は回転が早いので
ある程度一周したなって感覚も
すでにあったけど
12年分くらい
青春の時の
そこからも作ったんでしょうね
半の間でね
それはそれである意味
楽しそうな気はするけど
ハイパーモードでガーって
カタルシスみたいな
結構摩擦ケース
27:00
例えがあれですけど
2年間決めた長編期間を我慢するとか
そういう感じ
一旦我慢して
摩擦ケースを確認するみたいな
ゴール決まってればね
ゴールは自分で決められるわけですもんね
会う人はめっちゃいますね
同期にも残ってる人はずっと残ってる
リターンも大きいから
あんまり悪く言うと
良い会社だったと思います
コンセプトが非常にはっきりしてるので
そこに会う人は残るし
会わない人は去るし
そこまで優秀じゃないのと
そういう砕けた感じで
僕は三田さんみたいに面接ができなかった
ドモってしまうかもしれない
緊張して
ネクタイを締められない
ネクタイをちゃんと締められない
言おうとしてることの前に
うんとかあーとかを
この話どうでもいいよね
両極を見るっていうのは
なかなかないかもね
自分が学校でやってきて
楽しかったっていうことを
卒業も続きたいって思って
ないからみんな起業するわけじゃないですか
若い人たちって
お金がまずないから
いろんなところからお金かき集めなきゃいけなくて
シードファンドで
いつからいつまでこのぐらいの金額を
儲けないできないとか
3年ぐらいには黒字にならないと
やってる意味ないとか
言われちゃって
くじけて辞めるっていう人たちを
よく見てきてたから
どっちがいいのかなっていうのがある
さっきでも三田さんが言ってた
自由さを感じたっていうのが
パワーワークだった気がする
3Dプリンターでやったとき
方法論もそうだけど
カルチャー的なもの
そうですね
私も会社員ですけどまだ
普通の会社員な気は全くしないけど
会社を経験するってなると
システムが分かってくるっていうか
例えばコラボレーションの仕方とか
他の人とか
他の部署の人とかと
全然話が合わないけれど
それを何とかゴール決めて設定して
作っていくみたいなので
個人のアーティストとか
自分で作った会社と
自分のある程度
思い通りに設計はできるわけだから
30:03
会社の経験っていうのはすごい
重要だったんじゃないのかな
って思いました
もう辞めようってなって
もうある程度
次の見込みを
立てて辞めたってことですか
それはですね
僕の
この新興会社の
今独立して単体になってるんですけど
大元の母体の会社に横井戸っていう会社が
いまして横井戸は
学生起業してる会社だったんですよ
僕が学生時代に既に起業していた会社なんですよね
友達みたいになってて
横井戸も
3Dプリンター関連で
ビジネスをやろうとしていて
僕も3Dプリンター勝手に自分でやってたので
そのあたりで繋がっていったので
もうそろそろ辞めようと思うわ
みたいなことを言ってたら
じゃあうち来ちゃいなよってことで
役員として
加入して
文化を
共有しているから
っていうのは重要だよ
なんかね
3Dプリンター詳しいから
だけじゃなくてさ
最初の
文化が
出来上がっていく過程を
最初から一緒に見てた
仲間同士っていう
ところが
横井戸って会社の
ビジネスは3Dプリンター
による
ものを作ること
大元は
そうだったんです
最初の夢としては
デジタルファブリケーションを
世の中に広める
ものづくりの民主化を実現する
っていうのが社税だったんですけど
彼らも若いので
いわゆる経営的な
ことも手探りを
しながら
最初に資金をもらったやつがどんどん
亡くなっていった
もうそろそろやばいみたいな
そこからは一旦
商売しようということで
3Dプリンターの輸入販売代理って言うんですね
なるほど
トークはない
ビジネスとして始めていった
ところに
そこら辺の時に僕はジョインしたんですよ
なのでキエス辞めた直後ぐらいは
ずっとパンフレットづくりしたり
ウェブづくりしたり
展示会づくりしたり
3Dプリンターを販促するための
何でも屋をやってて
でもそれはそれですごく楽しかったですよね
ビルの中で
自分の当たられたギア
役割だけを高速で回転したと
何でもやる状態になったので
オフィスを借りたらオフィスの床張りをやったり
壁塗りしたり
そういう
デザイン用務員って自分で呼んで
ロゴづくりしたり
ツールづくり屋さんみたいな感じ
プロフェッショナルから
総合的アマチュアみたいな
状態になったので
そこでマインドチェンジはあったわ
すごい
かなりの
33:01
違いじゃないですか
スーツ着て
高速で物作れ
側だけやれみたいな
からの
デザイン用務員
デザイン用務員めちゃくちゃいい言葉だ
何でも困りごとやります
若い企業って最初にそういう人必要ですよね
これしかやれませんっていう人いるかは
何でも来いっていう
横糸にジョインした最初の時期は
そういう
用務員的に動いてて
3Dプリンターで何かを作る
みたいなことではなかったんですね
最初はそれに注力しながら
ある程度3Dプリンターの販売は回ってきて
自分の手も開くようになってきてから
そうだこの会社は元々
3Dプリンターで商品を作る会社だし
いろいろ研究しなきゃ
自分もそれをやりたいっていうのがモチベーションだし
そこからチクチクチクチク
研究する中で
今に繋がる種が見つかってきた
ある程度
3Dプリンターで
プロダクトとして
世に出せるものを作るっていう命題が
割とあったところから
そうですね
それはみんなの夢でした横糸で
そういうことができるんじゃないか
と思っていたので
そこから
今まだ
工芸の文字も出てないんですけど
今の新工芸者に
繋がる
道筋ですね
そうですね
新工芸者ができたきっかけとしては
大きくはこのチルダシリーズ
っていう技法を見つけた
きっかけなんですよね
チルダシリーズっていうのは
見た目を編んだような
ニットを編んだような
見た目をしているんですけど
そのテクスチャーが
特徴的なんですけど
見せてもらっているけれど
そうですね
概要欄からリンクを飛んでいただければ
これでもね
実際もの見ないと
これ何かっていうと
音声で説明するのは非常に難しいんですが
冒頭の方で説明した
積層コンテナですね
スリープリンター特有の
積層した平行線というか
縞模様みたいなのが
どうしても出てしまうと
それが見た目の品質的に許せないので
これをどうにか
できないかなという風に考えたときに
そうか
一層一層にゅるにゅる
出して積み上げるのであれば
これは
受精製品といえども
網物に近い繊維的な
ものなんだっていうのを
畳を見て思って
畳って一方向に滑りがいいけど
片方にザラザラするじゃないですか
その感じと積層コンの
滑りがすごい似てたんですよね
なので
繊維的な考え方をすれば
36:01
いいデザインになるかもしれないということで
積層コンをうんと広げてですね
厚みを
うんと広げてすごく太いノズルで
編むようにテクスチャを生かしながら
作るっていうのが
チルダっていうシリーズなんです
っていうのを
これ実は金星働いてるときに見つけたんです
家で
そういうことやってたよな
あれ面白かったよなっていうのを横板入ってから
思い出してやってみたら
すごく面白くて
すごくのめり込んでいったというか
これは何がいいかっていうと
積層の厚みを
太くできるので生産時間も短くなるんですよ
そうか
スリープインターの限界って何かって
薄く薄く綺麗にしようと思うと
どんどん薄く薄く積み上げなきゃいけないんですけど
そうするとめちゃくちゃ時間が長くなる
センサー暗力も落ちるから
値段が高くなる
っていうジレンマがあるので
解像度が高い
方が高い
ちなみに今
この机の上にあるのが
こたつの上にみかんを置く
入れるかごぐらいのやつですけど
これ出すのにどのくらい
1時間半くらいですね
ある一日ほっとくようなイメージ
これを例えば
細かく
ギリギリまで
細かくやるとどのくらいかかるんですか
無限に長くしていけますけど
標準的な
積層ピッチで0.2ミリとかなんですけど
0.2ミリでこんくらいの形作ったら
おそらく10時間とか9時間とか
かかっちゃうんですよね
出社して
ボタン押して帰るまで
終わらない
そうですね
その間は
帰ってきて次の日
見たら壊れ
ダメだったっていうかな
3Dプリント
失敗して
次の日
今のは
3Dプリンターの仕組みを
繊維として捉えて
転換させるっていうところですけど
そういう風に物を作る
ところからいきなり
工芸みたいなところに
ポンポンと飛んだ
ではなくて
僕はまだその当時はデザイナーだと思っていたので
デザイン
どう考えたらいいんだろう
デザイン表現としての研究をしているとは思っていましたね
なので
ただ
延々作り続けるわけです
そうすると
3Dプリンターと自分の間の
関係性を
ものすごいぐるぐる回すみたいな
ちょっとできたものを見て
なんでここ荒れるんだろうと思うから
ちょっとデータを変えてみたり
機械の調子をいじってみて
また違う風合いが出てきたなみたいな
ことを
ぐるぐる繰り返すうちに
39:01
これはデザイン
作業というよりも
ほとんど陶芸家と変わらないような
ライフスタイルになってきているというか
出来上がってくるものを
じっと待って
違うな
そっちで止めて
また繰り返すみたいな
釉薬の調子を変えて
焼いて風合いを見ているみたいな
ほとんど変わらないことを
している自分と
この3Dプリンターと自分との関係性の中には
他の人が解体していないんですよね
純粋に
表現を言語化しないまま
自分で受け取って
それに対してどう反応できるか
ということをしているので
これもすごく工芸的な営みなんじゃないか
ということをあるとき
ふと思って
窯出しした器みたいな感じ
そうです
3Dプリントというと
デジタルだから
思い通りにやれそう
一般的なイメージあるんですけど
たまに
日本語で
スカフォルディング
補強する
サポート
サポートがうまくいかなくなって
グニャーとなって
キーとなっている動量を横目で
よく見ていたんですけど
それもやっぱり陶芸っぽい
途中で破裂しちゃうとか
倒れちゃう
より土が
ずれたり
何かが起きたみたいな
かなり粘土細工っぽい感じ
熱したトロトロになった
プラスチックが
積み重なっていく
そこまで向き合う
ってしないかもね
だって最初
プロトタイプというものは
できる限り
頭の中にこういう形を
作りたいぞ
それを人に分かってもらいたいために
プロトタイプを作る
ってことだから
頭の中には完璧に
形状ができた状態で
3Dプリントに乗ります
形が
これ間違ったわ
直すのは分かるけど
表面とか
表現とか
こう出てきたかみたいな感じ
っていう向き合い方ってあんまり
してる人っていうか
アーティストに
サラリーマンっぽいって言うか
少なくとも
サラリーマンでビルの中にいた時には
そんな作業はしないんですよね
全ては計画の中で決まっていて
自分が見るものをレンダリングで
それが出てくるのは
数ヶ月後にモックが上がってきた時
こんな感じかみたいな
初めて見るみたいな
手法と表現が
リアルタイムに
アウトプット見ながら変化しながら
いろいろ混ざり合って
進んでいく
3プリンターが出た時には
ラピッドプロタイピングって言葉がすごい流行ったんですよね
42:00
アルディーノとかで
速攻でプロタイプしてみようみたいな
1日のうちに何個もいろんなものを
雑でもいいからいっぱい作って
今考えるとそれも
進行芸ってコンセプトに行くための
風石というか回転数の速さというか
それがあるからこそ
工芸的に
いっぱいトライアンドエラーが試せる
しかも自分の範囲内で
誰にも迷惑かけずやれるというところが
確かに
ちょうどその頃ぐらいから
美大での
デザインとかアートの
先生たちも
まず作れっていう教え方に変わっていった
昔はまず見ろとか
ギャラリーのアート
作品見れって言ってたんだけど
まずアイデアあるんだったら
段ボールでもいいし
3Dプリンターでもいいから作れっていう風な
教育が変わっていった
トレンドとして
結構時代のトレンドもあるんですね
そうですね
昔ですら逆にそっちの方
通ってなかった
まず作れっていうか
そこはやっぱり工芸
それは工芸で
作らなかったらどうするのよ
頭の中の工芸
溶接から
入る
そうだよね
デザイン教育も結構揺れますよね
シンキング
黄金時代はやっぱり頭でいくか
っていうのは結構
やっぱり手を動かした方がいいんじゃないか
もしくもですけど
まだ今日収録時点では配信されてないんですけど
この回の前回の回が
工業デザイナーから
工芸に
転校した中川まもるさん
っていう近郊の
工芸家の方の
展示に僕がこの間行ってきて
それの感想から
デザインって何みたいな話になった
っていう回なんですけど
それそのまま引き継いで
工業デザイナーから
工芸家に転校した人
確かに
全然意図しなかった
めちゃめちゃ掃除系
さすが岩田編集長
天然でそれをやる
これ工芸っぽいな
ってなって
工芸っぽいなって思ってる
ぐらいで止まるじゃないですか
そこから
新工芸って
どんと
コンセプトを前に出すっていうのは
きっかけは
この場所を作ることだったんですよね
たまたま
このオフィス
京都市さんが書いてる古い
旧下業図書館っていう場所の1階なんですけど
120万円の建物
らしいんですけどね
戦前の建物
これを公募がかかったんですよ
非常に安く
非常に大きなエリアが借りれるということで
応募したら
入っていいよということで
大きさはどのぐらい
これ何ぐらいなんだろう
45:00
100平米あるかないかぐらいかな
珍しいんですか
そのぐらいの大きさのスペース
100平米借りれるって
めちゃくちゃ安いんですよ
ワンルーム
一人暮らしのワンルームぐらいの値段なんですよ
東京のワンルームよりも安いです
京都のワンルーム
京都のワンルームぐらい
少なく東京でも
10万以下とか
より安い
京都市座るの
太っ腹で
それに
受かったので
ここに入ると
横糸の研究部門をここにしよう
ここの名前なんだろう
って考え始めたんです
横糸リサーチ
なのか
いろいろ考える中で
この活動は工芸だと思ってる
みたいなことを言い出して
話し合っていく中で
工芸だと
正直に言うと
デザイン化を出た
工芸の方もいらっしゃるから
デザインの
先生から受ける
評価の時に
これは工芸だろって言われることあるんですよね
そうなんです
面白い
それは自分の手作業に頼っていて
ユニバーサルな概念になっていない
デザイン
そういう話
そういう評論をされるので
工芸って個人的なものだし
正直に言うと小さいものなんじゃないか
って思っていたので
あえて自分が
これは工芸だっていうことは
ジャンプがあったんですけど
自分が会社員として働いて
インハウスデザイナーとして感じてた矛盾とか
学校教育の中で
デザインシンキングとか
手作業から離れたような
空中線のデザインみたいなこと
すごく流行ってた時代なので
そうした時に
今だからこそ工芸ってすごい大事なんじゃないかって
確信になったんですよね
でもちょっと新しいほうがいいかなと思って
新工芸
新しさを上げたほうがいいかなと思って
新工芸って
文字が並んだ時のキャッチーさって
強烈だよね
やっぱり概念というか
哲学が滲み出ている
あとシャっていうのも好きなんだ
新工芸
古い
それはなんとなく好きだったからですね
それが何年ぐらいですか
3年ちょいぐらい
20年
3年でこの今
目の前にある
いろいろ置いてありますけど
もちろんもっと作られてると思うけど
48:00
3年で
どえらい量の
いろんな試みが見える
ネーミングで一つ思い出しましたけど
その時思ったのは
デザインって横文字じゃないですか
結構いろんな横文字出てくるじゃないですか
なんとかデザインなんとかデザインって
そのたんびに
学生だったり
結構
中身の作り方を知らないまま動かされる
面あるじゃないですか
その単語が欲しいから
そういう手を取りましょう
スペキュラっていうデザイン
それってすごく
自分もちょっと騙されてたんじゃないかって
気分になっちゃう時もあって
分かります
新しくネーミング作るんだったら横文字じゃなくて
誰でも平たく捉えられる
言葉がいいなと思ったんですよね
これは工芸だし
でも今までとちょっと人たちと違うことをやりたいから
新工芸です
それでいいんじゃないかと思った
それすごく大事だと思う
私も
日本で教育を受けたことがない
大学日本に行ってなくて
帰ってきて
英語
インタラクションデザインを勉強したんですけど
日本語でどうやって訳せばいいの
説明をどうすればいいの
双方向デザイン
急に
しかもデザインも
ちょっと違うんですよ
日本語のデザインって使われ方と
そこは前回散々しゃべりました
困っちゃって説明するのに
インタラクションデザイン
ってよく聞かれちゃう
やっぱり
結局は
本当に双方向なのか
そうでもなかったりして
何を私正直言うと
何を勉強しに行ってたんだっけ
って思ってやめようと思ってた
学位の1年生の時に
先生と大喧嘩して
気持ちはすぐ分かった
名前に引っ張られて
しまって
期待して入ったら
違いすぎた
三田さんの話聞いてたら
非言語的なレベルで
いろんなスイッチを押されて
僕は
言葉を失ってます
ちょうどいいとこなんで
進行芸者っていう名前が
そういうプロセスを経て
誕生したっていうところまで
聞けたので
結局
僕らが
三田さんの話聞きたいって
結局やっぱり工芸っていう
言葉を使ってたから
僕らはどちらかというと
工芸っていう言葉が先に
テーマの中にすでにあって
そこからいろんな人と
51:00
繋がって話して
っていうので話してたので
だから工芸っていう
言葉を真ん中に置いて
話した時に
伝わってた方がそれぞれ違ったり
海さんなんかは工芸の
バックグラウンドがもともとあったりするので
その辺のことを
次のエピソードで
工芸を中心にした話に
スライドしていきたいなと思います
というわけで
感想は
ハッシュタグconcraでお願いします
フォームもあります
三田さんに
聞きたいことがあったらこっそり聞いております
来週も
三田さんよろしくお願いします
ありがとうございました
51:57

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