CRA出しRADIOは、使わなくなった大切なものを様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ。
ConCRAのメンバーが工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの岩田です。
海です。
四方です。
はい、よろしくお願いします。
三田地さん回が三回にわたり、終わりまして。
神回だったかな。
神回というか、ゲスト回、みんなすごい、ちょっと余韻が一週間以上続くんですけど。
なんかもう結構、その時から僕結構背中がゾクゾクして、途中からなんか喋れなくなっていった感じが結構あるんですよね。
確かに、少し物静かになってきたなと思って、疲れてるのかと思ったら。
なんかこう、いろんな自分の心のザワザワするスイッチを押されてて、それに反応できないみたいな、そういう感じの印象でした。
そのザワザワは今日までに整理できた感じですか。
ある程度、カテゴライズぐらいはしてからっていう感じですね。
私はザワザワというよりは、むしろ自分寄りの人なのかもしれないと勝手に妄想しちゃった。
そうですよね。その話で言うと多分、もともと三田さん経歴から言うとデザイナーご出身で、
それである種、素材のハックとか素材加工法のハックっていうところから入って、
それを三田さんは工芸的だというふうに仰ってたんですけど、もっとちょっと引いたメタ視点がどうやら。
自然科学とアート系に近い視点を持っている方なのではないだろうかっていうのを、
社会と自然科学をガチャってやったら工芸じゃんって私は思っちゃったんで、
それに似たような視点を勝手に感じてて、ご本人どう思ってるか知らないけど勝手に。
まあでも、ちょっと批評的なことを求められていることをおっしゃってたんで、
いろんなことを言うのもありなんじゃないですか、三田さんに。
僕ら批評家っていうのはあれでもないんですけど、いろんな方の意見を求めてそうな感じはありますけど。
態度としてはそうなんだけど、作るアウトプットのものとしての批評だと、
やっぱり民芸的な知識がある人が適しているんだろうなっていうのも思います。
使うものとか日常とか身の回りにあるっていう形をやっぱり作っているから、
それをアートだっていうふうに批評すると全然批評が適してない気もする。
まあそうだよね。だからその額縁とかガラスケースの中に置くものよりは、
販売するポイントと作るポイントを分けられたんだと思うんです。このフェーズで。
なんか私作ってたい、ずっとやり始めたらずっと作ってたいっていうスイッチ入っちゃうと、店に立つのはめんどくさってなっちゃうから、なんで分けたか聞き忘れた。
店に立つっていうことの、帰ってくるものみたいなところの。
リアクションとか表情とか。
そこの辺聞き忘れたな。
でも確かに分からんでもないのが、たぶん作っている場所に来てもらって、見てもらうのはアーティストインレジデンスとかでは必ずやらなきゃいけないでしょとか。
月に1回とか、数週間に1回外の人たちが、制作現場を見ましょうツアーみたいなのが、だいたいプログラムに入っていて、結構心の負担になりがち。
やっぱり人が来るってなると、お客さんが来るから。
ちょっとほぎれにしておかないと。
ツールとかも片付けなきゃいけないから、それが2週間に1回来ると、きれいになっていいんだけど、制作しているとやっぱり物っていちいち人によるか。
でもそうですよね。
自分用の道具の配置だったりとか、他者を前提にしない物の出し方とか置き方とかすると。
あとは、作っている過程ばっかり話させられる羽目になるんですよ。
レジデンスっていう物の性質上ですよね。
あとは、作りかけの物ももちろんあるわけだから、それをまだ終わる前に説明しなきゃいけない心の負担。
だから作りながら考えている人とかは、まだ言語化できていない物だから、途中で何か言われてもっていうところなんだよね。
言われてもっていうか、それを説明をしていて何かちげえなって思っている時に。
説明しながら自分がちげえなって思っている時に。
そうそう。それがちょっとした何か、その後手が止まっちゃったりとかするから、2週間とか1ヶ月ってスパンで結構しんどい。
そういう意味では、お店が切り離して単体的なお店としてあるっていうのは。
売りにかなってるんですよね。
できたものだけを見てもらえるっていう、エキシビション的な。
これは三田さんからもちゃんとお話聞きましたけど、
お店には新工芸者で作ったもの以外の、ヨーロッパの作られたものとかも展示販売してたりとかしてるし、
そういう3Dプリンターによるものづくりの文化発信みたいな役割も。
ただね、実際行ってもらうと、ここ入っていいのかなっていう感じの、長屋の中の一軒みたいな感じなんで。
ここめっちゃ生活道路っぽいけど、部外車が入っていいんやろかみたいな感じのところなんで。
諦めずに行ってほしい。
Googleマップの導きに従ってきたけど、ここで本当に大丈夫なのかって思ってもちゃんと大丈夫なんで。
これから行く方は。
ゆきさん回が終わった時に僕、あじき路地へ行ってみたんですけど実際。
あの長屋の感じは全然入れそうな感じだったんですけど。
そういう感じじゃない。
目の前は普通に生活してる人の家が並んでて。
長屋の中で空いたところに借りてもらって。
楽しみに行ってみたい。
でもいい感じですよ。
是非ね、お店の方も行ってほしい。
なんか僕、三田さんの言ってた言葉ですごい好きだなというか共感があったのが、デザイン業務員っていうのがあったんですよ。
あれ良かったですね。
デザイン業務員は、僕も会社辞めて、自分でやりだした時にデザイン業務員は絶対通る道だから、それは分かるなと思いつつ。
今の話で、お店にも立ってるとかってやると、普通の業務員さんとか何でも屋さんみたいな役割を率先して引き受けてる感じがあって。
うみくんはね、デザイン業務員っていうより何でも業務員屋さんっていう風に、結局自分でプロデュースして作ってやったりしてるけど、
私はデザイン業務員に近いと思った。会社の中で。
掃除もするし、片付けもするし、ツールのメンテナンスもするし、人が来たら案内もするし。
アメリカの会社ってまずはすごい仕事が、掃除とかしてると怒られるんですよ。掃除のおばちゃんとかに。私の仕事なんだよ、それは。
でも日本の会社って、結構みんな気を利かして何でもやるみたいな文化があるなと思う。
みんな自分らの教室を自分で掃除して育った人たちだからね。日本人は。
私その文化すごい好きで、やっぱり自分で物を作るってことは片付けまで入ってると思うんですよ。
展覧会の。だからそういう業務員っていうところっていうのは、ちゃんと自分の行動っていうかやろうとしてるアクティビティを最初から最後まで引き受けて責任を取ろうっていうのが滲み出てる感じがする。
そうかもね。
そういう意味では、一瞬ちょっとネガティブに聞こえるかもしれないですよ。
業務員で僕何でもやらされてますっていう風に取る人もいるかもしれないけど、すごいポジティブな。
会社辞めた時点で多分もうやらされる仕事じゃなくなるじゃないですか。
だから言えるんだよね。
結構僕ら3人で喋ってる時のデザインっていう言葉にうんちゃらかんちゃら言ってたのもあるんですけど、丸々デザイナーっていうのが結構今デザイナーっていう概念自体も細かく細分化されて役割が小分けにされてるような時代で、
要は、それ僕の役割じゃないんでっていうのがすごい普通というか、そういう会話とかで世の中の効率的な部分を構成してる中で、
プログラマーとかフルスタックエンジニアっていうところとちょっと別れる。サーバーエンジニアリングとかネットワークエンジニアリングとかエンジニアリングでも結構フロントとかで別れる中でフルスタックエンジニアみたいな人とかはやっぱり仕事もやってメディアアートとかもやってる人とかではそういう人が重宝される。
フルスタックエンジニアとかが。眩しいもん見てて、存在として。そうだよね。何でもやるなこの人。できるのすごいな。だからそういう時代がやっぱり遡って、やっぱり三田さんみたいなラディカルにものを作ることを考える人は、デザイン用無意味っていう言葉に象徴されるような、デザインまでのこと何でもやるけどねっていうスタンスは、それこそ僕も眩しく見える。
それこそ、あの段階で工芸って言葉を引っ張り出してきたネーミングセンスみたいなのが用無意味って言葉にも反映してる気がするけど。だってフルスタックってことでしょ。
フルスタックデザイナーって言うと、急に眩しきる気がする。用無意味っていう言葉を反転させてすごくポジティブに。もささをポジティブに。それがうまいんですよね。
もさい漢字が絶対に日本語だからこそ出るけど英語になると急にもささが出なくなるっていう。もささのエモさってあるじゃないですか。あれどうやって説明いつもしようと思ってる。
もさい漢字。だからしおさんがいつも言ってるあのもさいもそうだけどいなたいの英訳ができないとかでしょ。いなたいもむずい概念ですけどね。
いつもすみませんね。言語オタクというか。仕事でどうしても通訳しなきゃいけないときに言われてどうしようみたいになるときが多々ある。
でもちょっと世界共通言語的かなと思うのは、みんなSNSに疲弊する時代になってきて。何でかっていうと、もさくないところを切り取って発表したい人たちが多い時代だし、もう10代の頃から。
シュッとした漢字がいいこと。
だからそのもさいこととか雑味とかをどうやって排除して自分をプロデュースするかみたいな感じ。
SNS的に言うとそういう泥臭さはyoutubeぐらいで、見た目でちょっとこういい感じっていうのはインスタでって感じじゃないですか。
ツイッターは今なんか変わっちゃって私全くやる気なくなってきたので、ツイッターがXって名前に変わってから急に気持ちがバナリがすごい喪失感がやばすぎてツイッターってアイコンがXなってるだけでも押すのが泣いちゃうんですけど
ツイッターのもささってあったと思うんですよ。140字の俳句みたいな決められた枠で何かを言うみたいな。今ブルーアイコン持ってたら長く書けるじゃないですか。あの時点で何かのクリエイティビティを失った気がする。
何かを言うっていう風な構えなくても、もともとさえずりって意味だったじゃないですか。だから飯食ったお腹いっぱいぐらいのことを言うようなツールだったと思うんですよ。
なんか構えて何か140字で納めて遂行するぞぐらいの感じはありますよね。
何か140字じゃなくてどれだけ続きを読ませるかみたいな隠れてるから先を読ませるようなストーリーテリングみたいになってきてて。
なんか違うぞっていう風には思っている。何かがテクノロジーとかサービスがどんどん発展するのはいいんだけど、そのノスタルジーではないんだけれども、その良さっていうのは何かが消えていく。
最初の作った時の3Dプリンターとかもそうかもしれないけど、最初に作った時の心構えというか心出しが薄れていくっていう感じの悲しさ。
なんかニューノーマルを超えて本当にノーマルに来ちゃったなっていう感じ。
それが技術の、私はチッピングポイントって呼んでるんですけど、チッピングポイントっていうのは技術が人気が出てきて発展して、人気が出ると資産としてもいろいろお金も潤沢になってきて、
みんなが使えます、みんなが認知する技術になります。インターネットとか。それがノーマル、当たり前、インターネットを持つのが当たり前になった時が技術のチッピングポイントというのは頂点。
そこから和美会の話とか。
和美は今じゃしてないんですよ。
それはまた今度の話で。
テクノロジーがインフラになる瞬間ですよね、簡単に言うと。
そうです。それがニューノーマルと呼ばれる。その瞬間をニューノーマル。そこからまたノーマルになると急になんかつまんなくなるっていうか、インターネットが出た時ってわーっとかなってたけれど、今インターネットってわーって思うかって言ったら思わない。当たり前。
メールアドレスを個人で持ってる人がなんかこうちょっと変わった人に思えたよね。昔90年代とかの中盤とか。
僕ツイッターの話で言うとちょっとどんどん脱線していくかもしれないですけど、僕ツイッターが出てた時にすごい寂しさを感じてたんですよ。
ブログブームの時に大学生で、ブログを読むっていう習慣がめちゃくちゃあって、RSSフィーダーで、ハテナとかのRSSのサービスで読んでるブログ全部集めて、毎日そこで更新されてるものを見るみたいなのが習慣だった。
どんどんブログが更新されなくなって、みんなツイッター行ってて、長文で文章を書いてた人が文脈が長く遡らないと何を言ってるかわからないので短文を書き出すようになって、長文で文章を書く文化はどこに行ったんだと思って寂しかった。
ツイッターで2010年くらいにはアカウント取ってるけど、ほとんど使ってなくて。正直ツイッターにあんまり思い入れないんで、だからXになろうがどうでもいいと思ってるタイプではあるんですけど。
ミクシーやってました。
ミクシーはやったことないです。
ミクシーに結構セキュラルなこと書いてるんですよ。自分の結婚がしたくないのにしてしまう。その結婚式の3日前から超絶鬱になって、長文書いて苦しいつらいみたいな。
なんでみんなに心配されてマレッジブルーって言うんですか?大丈夫?とか言ってみんな読んでるんだなと思って。誰も読んでない。
だからあれだよね。もささだよね。
もさすぎたと。
もささをどう共有するかの話。
読み返せないですね。
実は今一番もっさいメディアがポッドキャストなんじゃないかなっていう。
あるある。それはある。もっさいよね。
それだから楽しい。
それはある。確かに。
もささの話を出した理由として、3Dプリンターも最初に出た時にやべーっす。これはーってやっぱりあったんですよ。
今3Dプリンターやべーっていうのはだいぶ落ち着いちゃってて、もささが出てきたなっていうのが工芸の方にいける。
ピカピカしてない感じ。
このまま多分3Dプリンターがハイスペック過ぎてるのだけで終わっちゃってたら多分それをいじり倒してミスユーズ、ハックして使ってやろうみたいな風に思えない。
1000万とかのやつとか2000万とか思えないじゃないですか。
三田さんが言ってたのが今二極化してますよ。新しいやつと高級路線。
200万1000万。
ポルシェみたいなのと自作で何て言ったらそういう車中古の。
中古というよりか。
安い軽自動車。
自分なりにカスタムして使っていくかっていう。
安い軽自動車だからってわけじゃないけど、自分でやっぱり少しいじると愛着がすごく湧くし、その愛着の湧いたツールでものを作るとさらに自分の作品へのカタルシスが上がるわけ。
そこがなんかモサイって言っていいのかわかんないけど、エモいとも違うし。
ナウシカみたいな感じじゃないですか。
エンジン作らないまでもそれをどう掘り起こしてどうセラミック時代で発掘していくかみたいな。
それをね物でやれるって人が少なくなってきちゃってるんですよ。
特に工芸のやる人が少なくなってるし、デジタルファブリケーションもだんだん人数が増えてるかどうかさえちょっと私聞いてみないと。
でも見たした話だと学校のカルキュラムの一部になりつつあるという話だから。
それがどういう感じになってるかっていうのが気になるところだよね。
結構ね学生とかでたまに授業行くんだけど、超絶巨大な3Dプリンターとか、
泥を積層させて超絶でかい固形の山みたいなのを作ったりしている作品とかが、
多分当時学生さんだったと思うんだけど、
それってもう3Dプリンターって言っていいのやらみたいな。
3Dに何かを積層するイコール3Dプリントって言ったら結構何でもありなんじゃないかって思えるような。
それとはちょっとまた違う話なんですよ。
もうすでにある軽自動車を何かこういじって自分カスタムして。
僕のこと言ってます?
愛着ならさんの木の木とかを天井に張る。
後で見てください。
あとハンドルをイタリア製の木のハンドルにレッドロッカーから取ってきたやつをしたりやってるんですけど、
あと一番興味付きはバックレバー。
シフトレバー?
シフトレバー。
シフトレバーはそれこそ満たした話じゃないですけど、
もうプラスチックの工業製品とかでこのままどういじるかはちょっとできないし、
3Dプリントうまくできる人は自分でカバー付けたりとかそれ自体やり替えたりとかできるかもしれないけど、
できないから牛の皮を水に浸して形をとって縫うみたいなそういうことをやってると。
そこまでは器用だね、おしゃれだねって言ってあげたいんだけど、
鈴木っていうロゴを真似して入れてて。
今ここで僕の軽自動車が鈴木製ってことがわかるんだよ。
ダサいんだよそれが。
モサイよね。
ダサいです。
モサイよね。
創世時みたいな鈴木製。
皮の色もね。
そういうことです。
わかりますわかります。
結構そういう意味で言うとフルスタック感が出てきました僕の中でも。
うまく自分のいろいろ考えてることがあるけど行動に移せないなとか、
実際の一歩が出ないなっていう原因の一つで僕の経験から言うと、
結構そのこま切れされた役割の中で行き来しすぎてて、
役割同士の関係性とかそれを包む全体感みたいなのを、
自分の中だけで内包する気持ちみたいなものが多分ないから、
あれは人にお願いしなきゃいけないしとか、
そういうことがあって自分一人で何にもできないような、
錯覚って言っていいと思うけど、
もちろん僕ら工芸家とかいろんな人と喋ってるから、
みんなその専門それぞれのところではスペシャルな人とかによくお伺いするんだけど、
そこまでいかなくても10分の1とか100分の1とかできるだけで、
自分のできる他のスキルとつなげ合わせて、
何かをやれる可能性があるっていうふうに思うだけで、
結構なんか気持ちが変わってくるし、
デザイン用無印という言葉が結構心残ったのは、
そういう気持ちとかそういうものを後押ししてくれるような感じがしたから。
みんなが使って欲しいし、みんなに作って欲しいみたいなこと言ってたよね。
そうだね。
だから多分今の3Dプリンターの限界って、
使用感とかを作るっていうのとだいぶ難しい気がする。
使用感。
何だろう、なんかツルツルしてしまうというか、
もちろん積層のザラザラはあるんだけど、
本当工業製品になる前の何かっていう感じしか抜けてない。
手垢がついた感じの雰囲気は出せないわけですよ。
もしもそれはソフトウェアなのかな、やれるとしたら。
あたかもちょっとエラーが出ちゃった感じを出すっていうのは、
なかなか意図的には難しいんじゃないかなと思って。
ダメージジーンズの話ですよね。
それって生活創造しづらくないですか?
家のものが全部が新品ピカピカみたいな展示されてて。
住宅展示会みたいなことですか?
そうそう。
でも言ったら今のプラスチックが、
樹脂の加工が発明されて、
いろんな生活用品に使われるようになってからの社会って、
それじゃないですか。
みんな基本的には新品でピカピカのものを買って生活してるから、
別にそこに違和感ないんじゃないですか。
たぶん言いたかったことはそれではなく、
たぶん物の硬さから抜け出せないっていう。
物の硬さ。
表面の。
例えばテキスタルも実はプラスチック。
プリエステルとかですよね。
そうですよね。
それって加工で結構いろいろ毛羽立たせたり、
風合いか、出させたりとか、
雰囲気とか言うんですけど、テキスタルで。
このいい雰囲気のテキスタルだよねっていうのだよねって言えるんだけど、
いい雰囲気の3Dプリントのなんかだよねっていうのを、
多分三田さんがティルダシリーズで頑張って出そうとしているんだろうなと思ってるんですよ。
そこがチャレンジであって、
そこにすぐ向き合っているのは進行芸者ぐらいしか私知らない他にもいるかもしれないけど、
一般的な3Dプリントの存在って、
風合いって考えていないような気がする。
それは確かにそうですね。
残るもんとして後で研磨が前提になってやりますよね。
石槽根があったとしても風合いじゃないから、
硬そうな雰囲気。
それに囲まれて生活してみるってちょっと私はゾッとするわけ。
あとこれも収録で聞き忘れたところなんですけど、
載せ物シリーズとかは光造形の方でやって、
面出しして塗装してるって言ってたんですけど、
チルダのグラデーションになっているやつ。
カメレオン、彼何て言ってたっけ。
パンデミックベースじゃない方で薄くグラデーションで色が入っているやつがあるんです。
あれ手染めって三田さん言ってたんですけど、
収録した後から色を染めてるっていう。
染め方の話とかで聞くの忘れたと思うんですけど、
だから塗装ではなくて手染めっていう言い方をしてるんですよね。
ずむらが出るし。
パンデミックベースとかの複数のフィラメントを交互に出して、
色が角度によって変化するみたいに作ってるのとかも、
結構その出力しながら手作業でフィラメント繋ぎ合わせてやってるみたいな。
この辺の話も聞くの忘れた。
僕自分で前に聞いてたから聞いたことあるじゃないですか。
だからそれこそ翔さんがおっしゃってる質感を突き詰めるみたいなことは相当意識してされてますよね。
見たかったな。それ見たらどんな感情になるんだろうと思って。
やっぱりテキスタの手染めはかなり楽しい作業っていうか、
デニムとか泥染めとか最近やっぱりもう一回見直されてて、
わざと新しきジャケットとかを泥染めしてみたい。
かけ渋で染めてみたいとかみんなやってて。
なんかなんていうのかな。
やっぱり工業製品、工業作りからの脱却というのが何かしらテーマにはなりつつはあるのに、
工芸が衰退していってるっていう謎の何曲線っていうんだこれみたいな。
多分経済的なシステムでよっぽど価値付けのアップデートが行われない限りは工芸が衰退するのはわりかしロジカルに多分そうなるでしょ。
あとは素材の限界についても結構向き合ってらっしゃるなっていうのは思ったから。
ユニバーサルなものっていうのは素材の手に入れやすさ、価格帯とか。
例えば金とかそういう高くてとかじゃなくて、割と安価に買えるもの、樹脂ってそういうふうなシステムになったわけじゃないですか。
でもそれだと作れるものっていう不愛だったりとか、レジンだと熱でUVかけたら色が変化してて劣化しちゃって何年後かで壊れていってしまうとか。
それは壊れることがどうにかできないかみたいなことを考えてる感じがしたんですよ。
染めやってるんだったら是非とも柿渋とかやってもらいたいなと思って。
逆にUVを当てれば当てるほど強くなって、バリバリになっていくけど強くなるやつとか。
2工程目とかでテキストは完全に工程が大事だと加工っていうのは。
加工がないテキストは皆さん実は触ったことがほとんどないはず。
折られてばっかりのものって木肩って言うんですけど、木肩って工場から外に出ることほとんどない。
そうやって柔らかさとか変えられるから、3Dプリントした後の加工を遊んだら面白くなりそうな雰囲気がしてきたなって話聞いてて。
だから染めのプロジェクトをやってるっていうのを聞いてみたかった。
すぐ近いから見に行かせてもらおうかなと思ってます。
あとは素材に対する認識とか理解が面白いなと思って。
それで結局木でも漆でも金属とかでも自然から栽培したり採掘したりするものじゃなくてプラスチックを素材にするっていうので、
我思い得に我々じゃないんですけど、素材自体が元を言えば石油から取ってるわけですけど、
加工されて素材そのものが人為的に生み出されたものに対してものすごく興味を注いでいくっていうのが、
それを新工芸者って感じがしましたね。名は他を表してる感じがしますけど。
なんかちょっと自分の作品の話になっちゃうんですけど、昔ロンドンでレジデンスやった時にオリンピックの前に。
オリンピックが始まる前の風景っていうものをアーティストが。
ロンドンオリンピック、2012年ですね。
その直前だったか、2008年にレジデンスしたんですよ。
その変わっていく様をアーティストがレジデンスすることで東ロンドンのエリアがどう変わるかみたいなプロジェクトに入って、
3ヶ月滞在させてもらって東ロンドンで制作したんですけど、
川が汚いんですよ。目の前に川があるんですけど、ゴミだらけ。
プラスチックのゴミがまず目立つんですよね。
バレーボールとか打ってたのが、意外とボールってかなり浮いちゃうし壊れにくいから、
意外ともっと海に行っちゃったりとかするんですよ。
てむず川?
てむず川じゃなくて、東ロンドンのカナルってみんな呼んでる。キャナルとかカナルとか。
堀だね、じゃあ。
カナル自体が堀?地域的な堀?
まず移動させるためのものだったんですよ。
そこで水を貯めて、交差をつけて、水が多いときはドアを閉めちゃう。
水門を閉めて、船が移動するときには水門を開けてゆっくりゆっくり水のレベルが同じになってまた移動するみたいな。
今でもあって。
ボートハウス住んでる人とかそうやって生活してるんですけど、
何の話しようとしてたかと思って。
プラスチックとかボールの話?
すごいヤバいな、こんな状態でオリンピック迎えるのかと、この国は。
東ロンドンがメイン会場だったんで、こんな汚い感じでいいのかなと思って気になって。
その様子をビデオに撮り始めたんですね。
鳥とか食べて、餌とかプラスチックをつっついて、いろんなものとかを。
それを拾い始めて彫刻作ったり映像作って、実は今ネットにまだ残ってるんで、
ちょっとミニ小説書いたんですけど、
ニューアトランティスという、
日本とハワイの間にノースジャイアという水流があるんですよ。
海流か。
ジャイアっていうのは回るっていう渦って言って、
ハワイの方にはトランティスがあったって言われてるじゃないですか。
そこの周りがすごい、今多分2008年の時点でテキサス州の大きさになっているプラスチックの渦があるんですよ。
テキサス州?
テキサス州。噛みそうになってる。
でもそれが2008年だから今多分もっと大きくなってる。
なんとかアイランドって言われてる。
プラスチックの渦でそこに溜まっちゃう。
海流が終着点みたいなところでそこに溜まるっていう。
そういう場所って結構いくつかもあって、
特にそこはとにかく溜まりやすい。
行ったんですよ。私行ってないけど、VICEっていうメディアが行って、
片道週間、西海岸から出て、
行ったらもう本当にそのビデオをちょうど明日の2008年レジデンス中に見つけてみて、
本当にミネステローネみたいだってプラスチックの。
コップとかですくうと、ちっちゃなプラスチックパーツが綺麗なんですよ。
いろんな色入ってて。
出てくるみたいな。
それが水面1メートルまでいかないか30センチぐらい全部洗浄しちゃってて、
それをかけ分けて船が行くっていう感じで。
ドロドロしてるんだね、多分。
ドロドロしてるのは表面で、昔のプラスチックの油になっちゃってるやつは古いプラスチックなんですよ。
今まで見えなかったものが可視化されるようになってしまった。
私、小説はプラスチックが幽霊だっていう話をして、
30何年前の溶けちゃったやつらは姿を消しちゃってる。
素材としては、分子としてはまだあるから見えないけど海に漂ってます。