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  2. S3 ep7 インディーフルスタッ..
2023-10-10 1:11:02

S3 ep7 インディーフルスタックもささ 三田地さん回編集後記

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新工芸舎主宰・三田地博史さんゲスト回の振り返り。

【番組の感想・質問・リクエストなどはこちらから】 Cra出しRADIOおたよりフォーム #concra でも感想お待ちしています! 【今回の話題の関連リンク】 新工芸舎 https://www.shinkogeisha.com 新工芸店 https://newcraftshop.com/ja Instagram | NEW CRAFT HOUSE / 新工芸舎 https://www.instagram.com/new_craft_house/ 【ConCra Information】 ConCra公式サイト ⁠https://concra.jp⁠ 誰でも参加できる実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ) ⁠https://basic.motion-gallery.net/community/concra/⁠ パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

岩田さんと三田地さんは、工芸について話しています。彼らは工芸の批評空間について考えています。工芸が衰退する可能性がありますが、経済的なシステムがアップデートされない限り、それはロジカルに起こります。彼らは不思議な状況に置かれているようで、前を向きながら後ろに進んでいるかのような感じです。彼らは工芸やユニバーサルデザインについて話し、プラスチックの問題や新工芸についても熱く議論しています。彼らはプラスチックとサステナビリティについて考え、工芸の新しいルール作りを提案しています。彼らは未来においてインディマインドであることが必要と考え、若い人たちには技術を身につけることを望んでいます。彼らの話題はフルスタックエンジニアやデザインに関するものであり、キャラクターの自己アピールや個性の制約にも触れています。

三田地さん回の終了と背中のゾクゾク
CRA出しRADIOは、使わなくなった大切なものを様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ。
ConCRAのメンバーが工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの岩田です。
海です。
四方です。
はい、よろしくお願いします。
三田地さん回が三回にわたり、終わりまして。
神回だったかな。
神回というか、ゲスト回、みんなすごい、ちょっと余韻が一週間以上続くんですけど。
なんかもう結構、その時から僕結構背中がゾクゾクして、途中からなんか喋れなくなっていった感じが結構あるんですよね。
確かに、少し物静かになってきたなと思って、疲れてるのかと思ったら。
なんかこう、いろんな自分の心のザワザワするスイッチを押されてて、それに反応できないみたいな、そういう感じの印象でした。
そのザワザワは今日までに整理できた感じですか。
ある程度、カテゴライズぐらいはしてからっていう感じですね。
私はザワザワというよりは、むしろ自分寄りの人なのかもしれないと勝手に妄想しちゃった。
そうですよね。その話で言うと多分、もともと三田さん経歴から言うとデザイナーご出身で、
それである種、素材のハックとか素材加工法のハックっていうところから入って、
それを三田さんは工芸的だというふうに仰ってたんですけど、もっとちょっと引いたメタ視点がどうやら。
自然科学とアート系に近い視点を持っている方なのではないだろうかっていうのを、
社会と自然科学をガチャってやったら工芸じゃんって私は思っちゃったんで、
それに似たような視点を勝手に感じてて、ご本人どう思ってるか知らないけど勝手に。
まあでも、ちょっと批評的なことを求められていることをおっしゃってたんで、
いろんなことを言うのもありなんじゃないですか、三田さんに。
僕ら批評家っていうのはあれでもないんですけど、いろんな方の意見を求めてそうな感じはありますけど。
態度としてはそうなんだけど、作るアウトプットのものとしての批評だと、
やっぱり民芸的な知識がある人が適しているんだろうなっていうのも思います。
使うものとか日常とか身の回りにあるっていう形をやっぱり作っているから、
それをアートだっていうふうに批評すると全然批評が適してない気もする。
まあそうだよね。だからその額縁とかガラスケースの中に置くものよりは、
批評空間に関する考察
もっと生活空間に置くことを想定して作られているイメージがやっぱり強いですよね。
それが思ったら活動がアートっぽいなと思っただけで、
作っているものはやっぱりデザインとか民芸化っていうところかなという感じだったんで。
そもそもその辺全然状況に対して知識がないんですけど、工芸の批評空間みたいなものってあるんですかね?
めちゃめちゃそれグッドクエスチョンというか、その批評の精度みたいなのをうまくオーガナイズできてないのが今の工芸。
僕はしているので、いろんな立場の人に同じ質問したら、みんな言葉が一瞬詰まるんじゃないかという気がしますよね。
だからそういうので、勝ちづけとかそういうことを頑張っていらっしゃる方すごくいっぱいいるので、
たぶん同じような、全く同じじゃないけど、近しいことで誰かが価値を見出して、周りが批評しなきゃいけないという思いでいろんな言葉を与えて、
頑張っていまいろんな人が与えているというような感じはしますよね。
どう見てもそれはアート作品、なんでかって使えないぞ、それみたいなやつとかいると、
それを技術的工芸って呼んだりとか、新工芸術、そういう本あったよね。
ちょっと裏覚えです。
そういうのとかもあるけれど、そもそもの工芸、今までのそういう新しい工芸じゃないやつを批評としてまとめてますよっていうなると、
最近の人はそんなに私らわからないっていう。昔はいっぱいいたけどっていう。
だから昔のものを、柳田君の本を読みつつ、今の新しいのを入れてるっていうイメージです。
三立さんのスタンスというか。
スタンスがそう、過去の民芸の文脈を踏まえつつ、新しいものづくりっていう、よく言うファブっていうのとものづくりっていうのと、
よく同列化されるけど、それの二つの視点でアプローチし合ってるのかなと思ったりした。
勝手な想像。
終わってから大事なこと聞き忘れたっていうか、聞き忘れたっていうか、本人に告知してもらうの忘れたなと思って。
確かに。
展示が。
その3回の中で話してた、いろんな新工芸者の作ってるものって、オンラインショップでまず買えるんですよね。
はいはいはい。
あとその亀岡の並川っていうところに新工芸店っていうお店をオープンされて、基本的に三立さんがお店に立ってるので。
たぶんそうだと思うんですけど、番組聞いて三立さんご本人に興味を持った方はね、行けば会えるという。
お店でも作ってるんですか?
多くだけ。
工芸とデザイン業務員
販売するポイントと作るポイントを分けられたんだと思うんです。このフェーズで。
なんか私作ってたい、ずっとやり始めたらずっと作ってたいっていうスイッチ入っちゃうと、店に立つのはめんどくさってなっちゃうから、なんで分けたか聞き忘れた。
店に立つっていうことの、帰ってくるものみたいなところの。
リアクションとか表情とか。
そこの辺聞き忘れたな。
でも確かに分からんでもないのが、たぶん作っている場所に来てもらって、見てもらうのはアーティストインレジデンスとかでは必ずやらなきゃいけないでしょとか。
月に1回とか、数週間に1回外の人たちが、制作現場を見ましょうツアーみたいなのが、だいたいプログラムに入っていて、結構心の負担になりがち。
やっぱり人が来るってなると、お客さんが来るから。
ちょっとほぎれにしておかないと。
ツールとかも片付けなきゃいけないから、それが2週間に1回来ると、きれいになっていいんだけど、制作しているとやっぱり物っていちいち人によるか。
でもそうですよね。
自分用の道具の配置だったりとか、他者を前提にしない物の出し方とか置き方とかすると。
あとは、作っている過程ばっかり話させられる羽目になるんですよ。
レジデンスっていう物の性質上ですよね。
あとは、作りかけの物ももちろんあるわけだから、それをまだ終わる前に説明しなきゃいけない心の負担。
だから作りながら考えている人とかは、まだ言語化できていない物だから、途中で何か言われてもっていうところなんだよね。
言われてもっていうか、それを説明をしていて何かちげえなって思っている時に。
説明しながら自分がちげえなって思っている時に。
そうそう。それがちょっとした何か、その後手が止まっちゃったりとかするから、2週間とか1ヶ月ってスパンで結構しんどい。
そういう意味では、お店が切り離して単体的なお店としてあるっていうのは。
売りにかなってるんですよね。
できたものだけを見てもらえるっていう、エキシビション的な。
これは三田さんからもちゃんとお話聞きましたけど、
お店には新工芸者で作ったもの以外の、ヨーロッパの作られたものとかも展示販売してたりとかしてるし、
そういう3Dプリンターによるものづくりの文化発信みたいな役割も。
ただね、実際行ってもらうと、ここ入っていいのかなっていう感じの、長屋の中の一軒みたいな感じなんで。
ここめっちゃ生活道路っぽいけど、部外車が入っていいんやろかみたいな感じのところなんで。
諦めずに行ってほしい。
Googleマップの導きに従ってきたけど、ここで本当に大丈夫なのかって思ってもちゃんと大丈夫なんで。
これから行く方は。
ゆきさん回が終わった時に僕、あじき路地へ行ってみたんですけど実際。
あの長屋の感じは全然入れそうな感じだったんですけど。
そういう感じじゃない。
目の前は普通に生活してる人の家が並んでて。
長屋の中で空いたところに借りてもらって。
楽しみに行ってみたい。
でもいい感じですよ。
是非ね、お店の方も行ってほしい。
なんか僕、三田さんの言ってた言葉ですごい好きだなというか共感があったのが、デザイン業務員っていうのがあったんですよ。
あれ良かったですね。
デザイン業務員は、僕も会社辞めて、自分でやりだした時にデザイン業務員は絶対通る道だから、それは分かるなと思いつつ。
今の話で、お店にも立ってるとかってやると、普通の業務員さんとか何でも屋さんみたいな役割を率先して引き受けてる感じがあって。
うみくんはね、デザイン業務員っていうより何でも業務員屋さんっていう風に、結局自分でプロデュースして作ってやったりしてるけど、
私はデザイン業務員に近いと思った。会社の中で。
掃除もするし、片付けもするし、ツールのメンテナンスもするし、人が来たら案内もするし。
アメリカの会社ってまずはすごい仕事が、掃除とかしてると怒られるんですよ。掃除のおばちゃんとかに。私の仕事なんだよ、それは。
でも日本の会社って、結構みんな気を利かして何でもやるみたいな文化があるなと思う。
みんな自分らの教室を自分で掃除して育った人たちだからね。日本人は。
私その文化すごい好きで、やっぱり自分で物を作るってことは片付けまで入ってると思うんですよ。
展覧会の。だからそういう業務員っていうところっていうのは、ちゃんと自分の行動っていうかやろうとしてるアクティビティを最初から最後まで引き受けて責任を取ろうっていうのが滲み出てる感じがする。
そうかもね。
そういう意味では、一瞬ちょっとネガティブに聞こえるかもしれないですよ。
業務員で僕何でもやらされてますっていう風に取る人もいるかもしれないけど、すごいポジティブな。
会社辞めた時点で多分もうやらされる仕事じゃなくなるじゃないですか。
だから言えるんだよね。
結構僕ら3人で喋ってる時のデザインっていう言葉にうんちゃらかんちゃら言ってたのもあるんですけど、丸々デザイナーっていうのが結構今デザイナーっていう概念自体も細かく細分化されて役割が小分けにされてるような時代で、
要は、それ僕の役割じゃないんでっていうのがすごい普通というか、そういう会話とかで世の中の効率的な部分を構成してる中で、
プログラマーとかフルスタックエンジニアっていうところとちょっと別れる。サーバーエンジニアリングとかネットワークエンジニアリングとかエンジニアリングでも結構フロントとかで別れる中でフルスタックエンジニアみたいな人とかはやっぱり仕事もやってメディアアートとかもやってる人とかではそういう人が重宝される。
フルスタックエンジニアとかが。眩しいもん見てて、存在として。そうだよね。何でもやるなこの人。できるのすごいな。だからそういう時代がやっぱり遡って、やっぱり三田さんみたいなラディカルにものを作ることを考える人は、デザイン用無意味っていう言葉に象徴されるような、デザインまでのこと何でもやるけどねっていうスタンスは、それこそ僕も眩しく見える。
それこそ、あの段階で工芸って言葉を引っ張り出してきたネーミングセンスみたいなのが用無意味って言葉にも反映してる気がするけど。だってフルスタックってことでしょ。
フルスタックデザイナーって言うと、急に眩しきる気がする。用無意味っていう言葉を反転させてすごくポジティブに。もささをポジティブに。それがうまいんですよね。
もさい漢字が絶対に日本語だからこそ出るけど英語になると急にもささが出なくなるっていう。もささのエモさってあるじゃないですか。あれどうやって説明いつもしようと思ってる。
もさい漢字。だからしおさんがいつも言ってるあのもさいもそうだけどいなたいの英訳ができないとかでしょ。いなたいもむずい概念ですけどね。
いつもすみませんね。言語オタクというか。仕事でどうしても通訳しなきゃいけないときに言われてどうしようみたいになるときが多々ある。
でもちょっと世界共通言語的かなと思うのは、みんなSNSに疲弊する時代になってきて。何でかっていうと、もさくないところを切り取って発表したい人たちが多い時代だし、もう10代の頃から。
シュッとした漢字がいいこと。
だからそのもさいこととか雑味とかをどうやって排除して自分をプロデュースするかみたいな感じ。
SNS的に言うとそういう泥臭さはyoutubeぐらいで、見た目でちょっとこういい感じっていうのはインスタでって感じじゃないですか。
ツイッターは今なんか変わっちゃって私全くやる気なくなってきたので、ツイッターがXって名前に変わってから急に気持ちがバナリがすごい喪失感がやばすぎてツイッターってアイコンがXなってるだけでも押すのが泣いちゃうんですけど
ツイッターのもささってあったと思うんですよ。140字の俳句みたいな決められた枠で何かを言うみたいな。今ブルーアイコン持ってたら長く書けるじゃないですか。あの時点で何かのクリエイティビティを失った気がする。
モサイ感とエモさ
何かを言うっていう風な構えなくても、もともとさえずりって意味だったじゃないですか。だから飯食ったお腹いっぱいぐらいのことを言うようなツールだったと思うんですよ。
なんか構えて何か140字で納めて遂行するぞぐらいの感じはありますよね。
何か140字じゃなくてどれだけ続きを読ませるかみたいな隠れてるから先を読ませるようなストーリーテリングみたいになってきてて。
なんか違うぞっていう風には思っている。何かがテクノロジーとかサービスがどんどん発展するのはいいんだけど、そのノスタルジーではないんだけれども、その良さっていうのは何かが消えていく。
最初の作った時の3Dプリンターとかもそうかもしれないけど、最初に作った時の心構えというか心出しが薄れていくっていう感じの悲しさ。
なんかニューノーマルを超えて本当にノーマルに来ちゃったなっていう感じ。
それが技術の、私はチッピングポイントって呼んでるんですけど、チッピングポイントっていうのは技術が人気が出てきて発展して、人気が出ると資産としてもいろいろお金も潤沢になってきて、
みんなが使えます、みんなが認知する技術になります。インターネットとか。それがノーマル、当たり前、インターネットを持つのが当たり前になった時が技術のチッピングポイントというのは頂点。
そこから和美会の話とか。
和美は今じゃしてないんですよ。
それはまた今度の話で。
テクノロジーがインフラになる瞬間ですよね、簡単に言うと。
そうです。それがニューノーマルと呼ばれる。その瞬間をニューノーマル。そこからまたノーマルになると急になんかつまんなくなるっていうか、インターネットが出た時ってわーっとかなってたけれど、今インターネットってわーって思うかって言ったら思わない。当たり前。
メールアドレスを個人で持ってる人がなんかこうちょっと変わった人に思えたよね。昔90年代とかの中盤とか。
僕ツイッターの話で言うとちょっとどんどん脱線していくかもしれないですけど、僕ツイッターが出てた時にすごい寂しさを感じてたんですよ。
ブログブームの時に大学生で、ブログを読むっていう習慣がめちゃくちゃあって、RSSフィーダーで、ハテナとかのRSSのサービスで読んでるブログ全部集めて、毎日そこで更新されてるものを見るみたいなのが習慣だった。
どんどんブログが更新されなくなって、みんなツイッター行ってて、長文で文章を書いてた人が文脈が長く遡らないと何を言ってるかわからないので短文を書き出すようになって、長文で文章を書く文化はどこに行ったんだと思って寂しかった。
ツイッターで2010年くらいにはアカウント取ってるけど、ほとんど使ってなくて。正直ツイッターにあんまり思い入れないんで、だからXになろうがどうでもいいと思ってるタイプではあるんですけど。
ミクシーやってました。
ミクシーはやったことないです。
ミクシーに結構セキュラルなこと書いてるんですよ。自分の結婚がしたくないのにしてしまう。その結婚式の3日前から超絶鬱になって、長文書いて苦しいつらいみたいな。
なんでみんなに心配されてマレッジブルーって言うんですか?大丈夫?とか言ってみんな読んでるんだなと思って。誰も読んでない。
だからあれだよね。もささだよね。
もさすぎたと。
もささをどう共有するかの話。
読み返せないですね。
実は今一番もっさいメディアがポッドキャストなんじゃないかなっていう。
あるある。それはある。もっさいよね。
それだから楽しい。
それはある。確かに。
もささの話を出した理由として、3Dプリンターも最初に出た時にやべーっす。これはーってやっぱりあったんですよ。
今3Dプリンターやべーっていうのはだいぶ落ち着いちゃってて、もささが出てきたなっていうのが工芸の方にいける。
ピカピカしてない感じ。
このまま多分3Dプリンターがハイスペック過ぎてるのだけで終わっちゃってたら多分それをいじり倒してミスユーズ、ハックして使ってやろうみたいな風に思えない。
1000万とかのやつとか2000万とか思えないじゃないですか。
三田さんが言ってたのが今二極化してますよ。新しいやつと高級路線。
200万1000万。
ポルシェみたいなのと自作で何て言ったらそういう車中古の。
中古というよりか。
安い軽自動車。
自分なりにカスタムして使っていくかっていう。
安い軽自動車だからってわけじゃないけど、自分でやっぱり少しいじると愛着がすごく湧くし、その愛着の湧いたツールでものを作るとさらに自分の作品へのカタルシスが上がるわけ。
そこがなんかモサイって言っていいのかわかんないけど、エモいとも違うし。
ナウシカみたいな感じじゃないですか。
エンジン作らないまでもそれをどう掘り起こしてどうセラミック時代で発掘していくかみたいな。
それをね物でやれるって人が少なくなってきちゃってるんですよ。
特に工芸のやる人が少なくなってるし、デジタルファブリケーションもだんだん人数が増えてるかどうかさえちょっと私聞いてみないと。
でも見たした話だと学校のカルキュラムの一部になりつつあるという話だから。
それがどういう感じになってるかっていうのが気になるところだよね。
結構ね学生とかでたまに授業行くんだけど、超絶巨大な3Dプリンターとか、
泥を積層させて超絶でかい固形の山みたいなのを作ったりしている作品とかが、
多分当時学生さんだったと思うんだけど、
それってもう3Dプリンターって言っていいのやらみたいな。
3Dに何かを積層するイコール3Dプリントって言ったら結構何でもありなんじゃないかって思えるような。
それとはちょっとまた違う話なんですよ。
風合いの重要性
もうすでにある軽自動車を何かこういじって自分カスタムして。
僕のこと言ってます?
愛着ならさんの木の木とかを天井に張る。
後で見てください。
あとハンドルをイタリア製の木のハンドルにレッドロッカーから取ってきたやつをしたりやってるんですけど、
あと一番興味付きはバックレバー。
シフトレバー?
シフトレバー。
シフトレバーはそれこそ満たした話じゃないですけど、
もうプラスチックの工業製品とかでこのままどういじるかはちょっとできないし、
3Dプリントうまくできる人は自分でカバー付けたりとかそれ自体やり替えたりとかできるかもしれないけど、
できないから牛の皮を水に浸して形をとって縫うみたいなそういうことをやってると。
そこまでは器用だね、おしゃれだねって言ってあげたいんだけど、
鈴木っていうロゴを真似して入れてて。
今ここで僕の軽自動車が鈴木製ってことがわかるんだよ。
ダサいんだよそれが。
モサイよね。
ダサいです。
モサイよね。
創世時みたいな鈴木製。
皮の色もね。
そういうことです。
わかりますわかります。
結構そういう意味で言うとフルスタック感が出てきました僕の中でも。
うまく自分のいろいろ考えてることがあるけど行動に移せないなとか、
実際の一歩が出ないなっていう原因の一つで僕の経験から言うと、
結構そのこま切れされた役割の中で行き来しすぎてて、
役割同士の関係性とかそれを包む全体感みたいなのを、
自分の中だけで内包する気持ちみたいなものが多分ないから、
あれは人にお願いしなきゃいけないしとか、
そういうことがあって自分一人で何にもできないような、
錯覚って言っていいと思うけど、
もちろん僕ら工芸家とかいろんな人と喋ってるから、
みんなその専門それぞれのところではスペシャルな人とかによくお伺いするんだけど、
そこまでいかなくても10分の1とか100分の1とかできるだけで、
自分のできる他のスキルとつなげ合わせて、
何かをやれる可能性があるっていうふうに思うだけで、
結構なんか気持ちが変わってくるし、
デザイン用無印という言葉が結構心残ったのは、
そういう気持ちとかそういうものを後押ししてくれるような感じがしたから。
みんなが使って欲しいし、みんなに作って欲しいみたいなこと言ってたよね。
そうだね。
だから多分今の3Dプリンターの限界って、
使用感とかを作るっていうのとだいぶ難しい気がする。
使用感。
何だろう、なんかツルツルしてしまうというか、
もちろん積層のザラザラはあるんだけど、
本当工業製品になる前の何かっていう感じしか抜けてない。
手垢がついた感じの雰囲気は出せないわけですよ。
もしもそれはソフトウェアなのかな、やれるとしたら。
あたかもちょっとエラーが出ちゃった感じを出すっていうのは、
なかなか意図的には難しいんじゃないかなと思って。
ダメージジーンズの話ですよね。
それって生活創造しづらくないですか?
家のものが全部が新品ピカピカみたいな展示されてて。
住宅展示会みたいなことですか?
そうそう。
でも言ったら今のプラスチックが、
樹脂の加工が発明されて、
いろんな生活用品に使われるようになってからの社会って、
それじゃないですか。
みんな基本的には新品でピカピカのものを買って生活してるから、
別にそこに違和感ないんじゃないですか。
たぶん言いたかったことはそれではなく、
たぶん物の硬さから抜け出せないっていう。
物の硬さ。
表面の。
例えばテキスタルも実はプラスチック。
プリエステルとかですよね。
そうですよね。
それって加工で結構いろいろ毛羽立たせたり、
風合いか、出させたりとか、
雰囲気とか言うんですけど、テキスタルで。
このいい雰囲気のテキスタルだよねっていうのだよねって言えるんだけど、
いい雰囲気の3Dプリントのなんかだよねっていうのを、
多分三田さんがティルダシリーズで頑張って出そうとしているんだろうなと思ってるんですよ。
そこがチャレンジであって、
そこにすぐ向き合っているのは進行芸者ぐらいしか私知らない他にもいるかもしれないけど、
一般的な3Dプリントの存在って、
風合いって考えていないような気がする。
それは確かにそうですね。
残るもんとして後で研磨が前提になってやりますよね。
石槽根があったとしても風合いじゃないから、
硬そうな雰囲気。
それに囲まれて生活してみるってちょっと私はゾッとするわけ。
あとこれも収録で聞き忘れたところなんですけど、
載せ物シリーズとかは光造形の方でやって、
面出しして塗装してるって言ってたんですけど、
チルダのグラデーションになっているやつ。
カメレオン、彼何て言ってたっけ。
パンデミックベースじゃない方で薄くグラデーションで色が入っているやつがあるんです。
あれ手染めって三田さん言ってたんですけど、
収録した後から色を染めてるっていう。
染め方の話とかで聞くの忘れたと思うんですけど、
だから塗装ではなくて手染めっていう言い方をしてるんですよね。
ずむらが出るし。
パンデミックベースとかの複数のフィラメントを交互に出して、
色が角度によって変化するみたいに作ってるのとかも、
結構その出力しながら手作業でフィラメント繋ぎ合わせてやってるみたいな。
この辺の話も聞くの忘れた。
僕自分で前に聞いてたから聞いたことあるじゃないですか。
だからそれこそ翔さんがおっしゃってる質感を突き詰めるみたいなことは相当意識してされてますよね。
見たかったな。それ見たらどんな感情になるんだろうと思って。
やっぱりテキスタの手染めはかなり楽しい作業っていうか、
デニムとか泥染めとか最近やっぱりもう一回見直されてて、
わざと新しきジャケットとかを泥染めしてみたい。
かけ渋で染めてみたいとかみんなやってて。
なんかなんていうのかな。
やっぱり工業製品、工業作りからの脱却というのが何かしらテーマにはなりつつはあるのに、
工芸が衰退していってるっていう謎の何曲線っていうんだこれみたいな。
多分経済的なシステムでよっぽど価値付けのアップデートが行われない限りは工芸が衰退するのはわりかしロジカルに多分そうなるでしょ。
工芸の衰退
少量生産。
テキスタって結構めんどくさくて、工芸でもあるし工業でもあるからややこしい位置に立ってるんだけど、
スリープリンターって完全に工業じゃないですか。
もともとの目的が存在として。
存在として。
それが工芸家っていうある意味なんだろう。
前を向きながら後ろに進んでるのか、後ろを向きながら前に進んでるみたいな。
後ろを向きながら前に進んでる。
っていう不思議な状況を作られている。
のが工芸ってこと?
三田さん。
僕の話の中で面白かったのが、大学で工芸、こんなの工芸じゃないかっていう。
マイナスの評価の意味合いで工芸を使うっていうのはあれめちゃくちゃ面白い話だったと思って。
つまりデザインっていうものがユニバーサルであることを市場命題にしてきたってことですよね。
つまり工芸っていうのは作り手と物との一対一の関係性の中で作るものであって、
それは番人が広く使って使い方を理解してユニバーサルに使えるものになってないですよねっていう意味で工芸っていう言葉をその先生は使って。
否定でも肯定でもなく状況をめちゃめちゃ表してるシャープな言いぶりだって。
そこでユニバーサルデザインの極地みたいなところ、キーエンスでそこでめちゃくちゃ早いサイクルでユニバーサルなデザインのものを作るっていうことをやりまくった。
そこから抜けた人が三田さんが工芸っていうものをもう一回テーマとして引っ張り出すっていう。
そんなの工芸じゃないかって言われたことをやるという。
これって今の社会の変化みたいなものも反映してる気はしてて、ユニバーサルであることによってやっぱり人類の生活レベルってめちゃくちゃ底上げされたと思うんですよね。
ユニバーサルに使えるものが世界的に広まって安く手に入るようになって格差が相対的には縮まってっていうことが今完全ではないけどずっと19世紀以降ずっと起きてきて、
そのユニバーサルなデザインでは取りこぼされるものがあるっていうことに目が向くようになってきた。
時に工芸的な態度っているよねっていうことかなっていうふうに思って。
この辺はシーズン3でこの後お話聞こうと思っている人たちとかともつながりそうな話だなと。
プラスチックの問題
あとは素材の限界についても結構向き合ってらっしゃるなっていうのは思ったから。
ユニバーサルなものっていうのは素材の手に入れやすさ、価格帯とか。
例えば金とかそういう高くてとかじゃなくて、割と安価に買えるもの、樹脂ってそういうふうなシステムになったわけじゃないですか。
でもそれだと作れるものっていう不愛だったりとか、レジンだと熱でUVかけたら色が変化してて劣化しちゃって何年後かで壊れていってしまうとか。
それは壊れることがどうにかできないかみたいなことを考えてる感じがしたんですよ。
染めやってるんだったら是非とも柿渋とかやってもらいたいなと思って。
逆にUVを当てれば当てるほど強くなって、バリバリになっていくけど強くなるやつとか。
2工程目とかでテキストは完全に工程が大事だと加工っていうのは。
加工がないテキストは皆さん実は触ったことがほとんどないはず。
折られてばっかりのものって木肩って言うんですけど、木肩って工場から外に出ることほとんどない。
そうやって柔らかさとか変えられるから、3Dプリントした後の加工を遊んだら面白くなりそうな雰囲気がしてきたなって話聞いてて。
だから染めのプロジェクトをやってるっていうのを聞いてみたかった。
すぐ近いから見に行かせてもらおうかなと思ってます。
あとは素材に対する認識とか理解が面白いなと思って。
それで結局木でも漆でも金属とかでも自然から栽培したり採掘したりするものじゃなくてプラスチックを素材にするっていうので、
我思い得に我々じゃないんですけど、素材自体が元を言えば石油から取ってるわけですけど、
加工されて素材そのものが人為的に生み出されたものに対してものすごく興味を注いでいくっていうのが、
それを新工芸者って感じがしましたね。名は他を表してる感じがしますけど。
なんかちょっと自分の作品の話になっちゃうんですけど、昔ロンドンでレジデンスやった時にオリンピックの前に。
オリンピックが始まる前の風景っていうものをアーティストが。
ロンドンオリンピック、2012年ですね。
その直前だったか、2008年にレジデンスしたんですよ。
その変わっていく様をアーティストがレジデンスすることで東ロンドンのエリアがどう変わるかみたいなプロジェクトに入って、
3ヶ月滞在させてもらって東ロンドンで制作したんですけど、
川が汚いんですよ。目の前に川があるんですけど、ゴミだらけ。
プラスチックのゴミがまず目立つんですよね。
バレーボールとか打ってたのが、意外とボールってかなり浮いちゃうし壊れにくいから、
意外ともっと海に行っちゃったりとかするんですよ。
てむず川?
てむず川じゃなくて、東ロンドンのカナルってみんな呼んでる。キャナルとかカナルとか。
堀だね、じゃあ。
カナル自体が堀?地域的な堀?
まず移動させるためのものだったんですよ。
そこで水を貯めて、交差をつけて、水が多いときはドアを閉めちゃう。
水門を閉めて、船が移動するときには水門を開けてゆっくりゆっくり水のレベルが同じになってまた移動するみたいな。
今でもあって。
ボートハウス住んでる人とかそうやって生活してるんですけど、
何の話しようとしてたかと思って。
プラスチックとかボールの話?
すごいヤバいな、こんな状態でオリンピック迎えるのかと、この国は。
東ロンドンがメイン会場だったんで、こんな汚い感じでいいのかなと思って気になって。
その様子をビデオに撮り始めたんですね。
鳥とか食べて、餌とかプラスチックをつっついて、いろんなものとかを。
それを拾い始めて彫刻作ったり映像作って、実は今ネットにまだ残ってるんで、
ちょっとミニ小説書いたんですけど、
ニューアトランティスという、
日本とハワイの間にノースジャイアという水流があるんですよ。
海流か。
ジャイアっていうのは回るっていう渦って言って、
ハワイの方にはトランティスがあったって言われてるじゃないですか。
そこの周りがすごい、今多分2008年の時点でテキサス州の大きさになっているプラスチックの渦があるんですよ。
テキサス州?
テキサス州。噛みそうになってる。
でもそれが2008年だから今多分もっと大きくなってる。
なんとかアイランドって言われてる。
プラスチックの渦でそこに溜まっちゃう。
海流が終着点みたいなところでそこに溜まるっていう。
そういう場所って結構いくつかもあって、
特にそこはとにかく溜まりやすい。
行ったんですよ。私行ってないけど、VICEっていうメディアが行って、
片道週間、西海岸から出て、
行ったらもう本当にそのビデオをちょうど明日の2008年レジデンス中に見つけてみて、
本当にミネステローネみたいだってプラスチックの。
コップとかですくうと、ちっちゃなプラスチックパーツが綺麗なんですよ。
いろんな色入ってて。
出てくるみたいな。
それが水面1メートルまでいかないか30センチぐらい全部洗浄しちゃってて、
それをかけ分けて船が行くっていう感じで。
ドロドロしてるんだね、多分。
ドロドロしてるのは表面で、昔のプラスチックの油になっちゃってるやつは古いプラスチックなんですよ。
今まで見えなかったものが可視化されるようになってしまった。
私、小説はプラスチックが幽霊だっていう話をして、
30何年前の溶けちゃったやつらは姿を消しちゃってる。
素材としては、分子としてはまだあるから見えないけど海に漂ってます。
新工芸と未来の世界
下にいる奴らはまだ幽霊化してない。
よくわからない存在。
煉獄みたいなところにさまよってる。
東ロンドンのプラスチックゴミの川にある奴らは亡命しようとしている。
その国に。ニュアアトランティスに。
で、溜まっちゃってて。石晶で溜まってて。
石晶を越えられないで、私みたいな奴らに拾われて、また捨てられて、
何度か亡命するために風に飛ばされて逃げるしかないっていうストーリーを書いて。
泳げた焼くんインスパイアーみたいな感じ。
基本的に彼らは何をしようとしているかというと、
魚がやっぱり食べるんですよ。餌として。
鳥とか。お腹にプラスチックが溜まりますよってよく聞く話なんだけど。
それを人間がまた食べて、人間が体内でプラスチックを作れないのを
体内にプラスチックを溜めるというのをプラスチック人間にしようと。
だから言語はプラスチックって人間が作ったものっていうものを
逆の意味として人間をプラスチック化させてやろうっていうのが
ニューアトランティッシュの木呑みですっていう小説。
面白いですね。
寝るんです、みんなそれ見ると。
プラスチックの亡霊たちが。
漂ってる映像だから眠くなっちゃう。
人間を覆い尽くしていくみたいな感じ。
中から。骨もプラスチックになっていくみたいな。
プラスチックっていう意味、前回も言ったけど
もともとちょっと人為的であるっていうスラングっぽい意味が含まれている中で
人間がプラスチック化していくってことは
人間が人工物になっていくっていう謎の状況になっていくってことですね。
プラスチックってラベルとかが外れちゃうと
どこからかは分かんなくなるじゃないですか。
最近の沖縄とか行ったりすると
そのラベルですらもプラスチックだと結構残ってるなっていうのが分かって
韓国とか中国語なのかとか結構あるわけですよ。
昔のってやっぱり消えちゃって分かんなかったから
名もなくなっちゃって亡命して
名前も消えてしまって
新しい人生ですね。
そう新しい人生ですっていうのを書いてたんだけど
その作品タイトルパーツアンノーンって言うんですよ。
そのパーツアンノーンっていうのは
実は大航海中の時代に
まだ行ったことがない場所をパーツアンノーンって呼んでて
その地図、だから大航海でまだ発掘されてない大陸をパーツアンノーンって呼んでるから
マップもパーツアンノーンで
私それを文字ってプラスチックのパーツをパーツアンノーンって呼んでて
三田さんのところの
名前がまだないシリーズって言って
自分でキャッキャしてたのはパーツアンノーンの塊
ここにアンノーンが
まさにアンノーンですね。
それ言いたかったんだけど
そうすると三田さんの話に
ちょっと文脈、この説明全部じゃなかった
長くなっちゃって言えなくて
ニヤニヤニヤニヤしながら
まだ名もないシリーズですねとか言ってた
ここで名前つけることも必要ないと思いながら
3Dプリンティングを発掘しつつ
端材とかそういうものの加工方法とかにまでちょっと手を伸ばしてる感じ
それを見てワクワクした
それは風合い的なものを感じた
なんか思いませんでした?
ちょっとボコボコしてたりとか
ちょっと簡単にコントロールできない雰囲気が出てる
あれこそでも
それこそ世界が一度終わった後の
原始的な人間の文明とかが
装飾品としてつけてそうなイメージがあった
なんかね、実は今日の収録場所
我々の初めてアトリエなんですけど
今今日ライティング
実はタイレルって名前なんです
ライティングの
ヒューじゃないですか
ヒューのプログラムタイレルで
タイレルって会社の名前で
ブレードランド
ブレードランドのタイレル
勝手に今日の色どうしようかなと思った時に
タイレルにちょっとしてみた
近未来風にしてみた
プラスチックの話をするために
プラスチックの話をするというより
新工芸っていうのってある意味
私はブレードランナーっぽいなと思う
いきそうな雰囲気が
ちなみにブレードランナーって映画は
2027年だったっけ
2009年
設定の話ですよね
設定の話
過ぎちゃったね2007年か
人工物しか残らなかった世界で
周りは全部砂漠になっちゃって
ナウシカに近いよね
プラスチック製のものは
いっぱいみんな着てる
お金持ちは動物の皮とか
毛皮を着てる
何でかって言ったら
残ってないやつを大事にとってて
高く売ってて
高く買えるから
お金持ちは
絹とかコットンとか
そういうの着てるんですよ
他の人たちはビニール着てる
プラスチックとサステナビリティ
逆にビニールがかっこよく見えた時期もあったんだけど
最初ブレードランナーの
透明のレインコートとか超絶かっこいいと思って
私お母さんに頼んで作ってもらおうとか
母親に絶対ムレるからやめろって言われて
終わっちゃったんだけど
その話置いておきながら
それでさっきうみくんが言った
リサイクルをみんながして
それぞれに作るしかないんですよ
工業が終わっちゃってるっぽいのに
DIY化してて
ある素材でなんとか切り張りして
プラスチックパッチワークの服着てたり
本当に建物とかも
全部拾ってきたものとか
見つけたものでなんとかやっててっていう話なんだよね
ブレードランナー?
そうそうそうそう
なるほど
だから新工芸者は
あの感じだろうけど
もしも新工芸者的な運動が
すごいメジャーになったら
下手するとブレードランナー的な
未来的な世界が
私たちがよく思ってた未来のSFとか
そういうのが下手すると戻ってきやしないかなと思って
翔さんが言ってるブレードランナーって
80…
1話目の方です
昔の
80年代か90年代か忘れないが
昔の方のことですよね
でもね実はですね
やけに詳しいんですけど私
ブレードランナー2の方ですね
ブレードランナー2って言わないんだけど
あれも実は同じデザイナーさんがやってる
そうなんですね
見てないな僕
岩田さんもそうなんですね
ぜひ見てください
私こういうのも直接話すことができる
例えば70年代とか80年代から見た未来って
めちゃめちゃポジティブだったじゃないですか
キラキラしてて
リニアモーターカーとかエアーカーとかが走ってて
空飛ぶ車とか
90年代とか2000年代以降の近未来の世界観って
やっぱり一回人類が終わった感じの着想が増えた気がすごいするから
なんとなく人類が近からず滅ぶっていうことを
前提としてみんなが共有してるような気がするんで
そこのプラスチックの在り方みたいなのまで
結構想像してて
そういうのはフムフムってアイディアが刺激されるとこですよね
私がやっぱり言いたいことがあるんですけど
言いまくってるけど
やっぱり3Dプリンターってどうしても
サステナビリティ文脈だと
ちょっと悪者的なポジションを得がちな時があるんですね
どういう点で?
副観客性が
リサイクルできないと
とか言われちゃうから
やればできるんだけれど
お金かかるから
そしたら3Dプリントでせっかく安く作った意味ねえみたいな
金型を作るのどっちがいいか
っていうジレンマに陥っちゃってるんだけど
私はさっきのブレードランナー的なDIYが
もう3Dプリントの山になってたら
さらにハックして
さらに何か作るっていうのは
面白い工芸的だと思うし
面白い手作りの世界がまたみくるみくだろうし
それの方が
逆にエネルギー使わないから
サステナブルだと思うんだよね
だっていちいち溶かして
また工場でやってて
お金、電力もすごいかかるし
工場のランニングコストもかかるから
何がサステナブルなのか
疑問心も実は私はあって
3Dプリンターの流線についてですか?
それだけじゃなくてテキスタイルに関して
テキスタイルのリサイクルとかも
お金がかかる、コストがかかるし
あとは今調べてる都市鉱山っていって
電化製品から取れるレアメタルとかも
やっぱり金ぐらいしかやる意味ないぐらい
コストかかっちゃうんですよ
リサイクルの純度を上げようとすれば
精錬って言ってきれいにしていく過程があって
そうするとかなりの施設がいるから
だから今のサステナビリティの文脈って
作り手の会社の人たちの悪あがきにも聞こえるんだよね
たまにそういうニュアンスを帯びますかね
だからこそサステナブルでリサイクルできるものだからこそ
たくさん作らせてよっていう風に聞こえる時がある
要は大量生産大量消費の前提を続ける
要は方便に聞こえるということですよね
これは言いたかったと
私ここに置いてある本があって
Cradle to Cradle
ゆりかごからゆりかごへっていう本で
日本語にも訳されてるんだけど
残念ながら日本語版はあんまりいい訳じゃない
中身が内容がちょっと違うんでできれば
Cradle to Cradleの本は全部プラスチックでできてるんですよ
本自体が?
本自体が一枚後で見せます
それいつ出版されたんですか
学生の時に読んだからだいぶ前
そのプリントは実はお湯につけるとインクが消えるから
またプリントしてねって意味で
Cradle to Cradleはゆりかごからゆりかごへってことは
サイクルだよね
生まれてから死んでまた生まれるまでって意味なんだけど
最初の本はThis book is not a treeとか
そんな感じで書いてあったかな
一文言明が
この本は木ではないと
紙って木切っちゃってるし
だからこそこのリサイクルできる本は
紙の本よりもエコロジカルですよっていうことを
最初から言ってボーンって言ってる
その本を読んで影響されてしまっているんだけど
私は
プラスチックについて思うあれこれの
学生の時は衝撃だったんだよね
それまでのエコロジーサステナビリティっていう概念って
やっぱりもう一回元に戻せるってことが条件だったし
まったく元には戻らないけれど
また何かに活かせるよねっていうのが絶対条件であると
でも木って一回切っちゃったら
紙には
紙は木には戻らないわけですよ
3Dプリンターと工芸
ある意味それリサイクルじゃないじゃんっていう
それディフォームしちゃってるっていうか
紙はまた紙と同じ
今製紙業界とかがやっているのは
脱細した分を植林することで
オフセットしますっていう
そこが
同じ木ばっかまた植えられちゃうと
また江戸時代なんで
上手くちゃんと木を植えるのもいいけど
ちゃんと山をメンテナンスしようねっていうのもあるんですよ
ただ植えてるだけとかいう会社もあると思うし
そうすると間伐とかしないと
どんどん山溜めになっちゃったりとかするから
難しいですよね
いろんなものを工業化しよう
それこそ牛とか豚とかニワトリとかも同じようなんですけど
工業製品化してるわけじゃないですか
生物がね木もね
でもそうでないと品質管理が
その生態系が複雑な生態系の森から木を伐採しようと思ったら
品質管理できないし
単一の種を植えて
これは紙を作る用の林ですっていう風なことをしないと
サステインしないっていうのはそうなんですよね
映画でオーストリア人で
どんどん出てきましたね
タイトルと
すみません元映画男
ごめんなさいタイトルと
監督の名前が思い出せない
何も関わらず
オーストリア人っていう
オーストリア人
オーストリア人っていうヒントだけ
どういう映画だったかって後で検索ができて
検索の糸口がない
検索ができない
映画じゃ無理
検索したい
牛とかがどう
食べ物がどういう風に作られているか
淡々と定点観測している映画
3時間あります
寝ます
気持ちいい
眠れない夜にオススメ
すごい静かな感じで
感情も何もなく
牛が育てられていて
押し殺されていくみたいなのを
淡々とやっている映画がある
からの
岩田さんが言ってた
髪も牛も
道具化されちゃってるっていうのが
その映画すごい表現が上手く出てた
思い出しただけなんだけど
あとは
牛自体が
牛のゲップが
メタンガスだっけ
メタンガスが胃が7個あるからね
ヤバいから
人間が考えている環境にとっては
良くないわけですよ
他の植物
メタンガス大好きな植物にとったら
ラッキーって感じなんだろうけど
家畜化と
生物の工業化みたいなことで言うと
野良猫とか
地域猫みたいなのも
猫って基本的に
家畜を前提に人間と来てて
ほとんど野生の猫って
いない中で
わりかしその猫自体も
例えばその
荒廃とかそういうので
ある種工業を生産されて
流通してた商品
みたいな側面から
漏れてきた猫ちゃんたちを
地域猫で
保護するみたいな
工業化の隙間に
触れてるっていう
感じがしてきましたね
今の話聞いてたら
桜耳とかで
虚勢させて
増やさせないようにしつつも
数を少しずつ
減らしていくという
どういう風に
新工芸者さんの振り返りを
まとめていきますか
全然それちゃったよ
こういう試みをやる方が
もっと増えたら
面白いんだろうな
いろんな違うアプローチを
見たいなってワクワクしたし
そういうことが工芸だよね
って言ってもいい時代が来ると
いいなっていうのが
サイエンスフィクション
映画好きの私としては
思ったという感じです
望ましい世界がないんだったら
自分でルールを作ろうぜ
みたいな感じが
いろんな人に勇気を振りまいてくれると
いいなって思いました
こうでなきゃいけないっていうことが
会社名ばっかり言っちゃ悪いと思うが
三田さんが前にいた会社が
ルール化すること
効率化っていうところで
新しいルール作りとインディマインド
会う人にはいいけど
自分のルールじゃないルールに
縛られるってのは
本当につらい体験だと思うし
今ふと思い出したのが
岩井さんが工芸の批評
工芸の批評っていう
絵で言うと画談なのかわかんないけど
そういうのってないんだろうかって
言った時に
旧来の考え方だと
人間国宝とかそういう感じだったと思うんですけど
柳宗吉とか
民芸自体が人間国宝みたいな権威化を
かなり強めに否定していて
一回それを解体しようとした形跡が
あると思うんですよね
新しいルールを作ろうぜっていう
ことだと思うんですけど
それを引き継いでる
ダイナミズムを
三田さんの活動にすごい感じるので
プラスチックだから
ルールがなくて
新しいものが必要だなっていうのだと
理解しやすいんだけど
既存の工芸に対しても結構言えることだったりするので
解体して勝ちづけを再構築したい
というふうに思っている人は
いっぱいいるので
そういうところから
学べることがすごいあるなというのは
思います
パンク精神
パンクっていうかインディ
インディマインド
これからの未来は
インディマインドであって欲しい
って勝手に思ってるので
インディマインドに必要なのは
フルスタックもささん
これは私の仕事じゃないんで
っていうのはやめて
まずはやってみて
体験して
手に
技をつけていくという
若い子たちにはなってほしい
会社員の頃に新人の子に
色々伝えようとした時に
僕そういうキャラじゃないんでってやったことがあって
キャラ
メタ認知したものを発表してもらって
それに合わせる時代なのかって思っちゃった
キャラ
すごい難しいよね
僕のキャラ付けはこうなんで
こういう風に扱ってくださいよってこと
なんだとしたらキャラって
周りの人が
あの人こういうキャラだよね
っていうことじゃないんだ
キャラクターとしての制約
と思って
要は自らカテゴライズして
それに収まっていくというような感じが
すごいして
日本人しか言わなそうだ
と思って聞いてた
キャラって言わないし
割り返し
カテゴライズすることで
むしろ
自分の生きにくさとかを
助長している原因があるとしたら
みたいなところも
ちょっと思ったですね
生きにくいのを
守るために
僕はそういうことしません
そういうパーソナリティじゃないんで
キャラじゃないんでって言ってるけれど
自分に首を絞めて
って言いたい
モササとかが
モササが
キラキラしてたんですよ
フルスタックエンジニア
デザイン用もいい
みたいな
僕にとってはキラキラして
そういうことです
昔はきよびんこって
言われちゃってたんだよね
なんでもやれるけど
結局
すごい
火出てるもので
突出してるっていうんじゃなくて
なんでもできる
けれど
絞れみたいに
美大はそういう風に
怒られるんですけど
そんなことは
そんなことはなくても
よかったんじゃないだろうか
というのを今思います
だからみんな
デザイン用もいい目指して
話題のまとめとお知らせ
長いね
だいぶ喋りましたね
まとめに来ていいか
なので
この話を聞いて
さらに興味を持った人は
みたしさんと
進行芸者さんをチェックしてもらいたいです
お店とか
実際に触れられる場所があるので
カメオカ?
波川駅
から
徒歩
そこそこ歩く
涼しくなってきたから
ちょうどいいんじゃないですかね
ということで
はい
というわけで
くらだしラジオは来週も
火曜日に配信いたしますので
またお聴きください
感想は?
なんで私に
ハッシュタグ
言ってごらんよ
ハッシュタグは
Xで
Xっていうプラットフォームで
シャープ
シャープ合ってます?
はい
違います
何回やってるの
え?違う?
違うよ
くらだしで
だからそれで言っちゃうな
シャープ
CONCRAで
やってください
我々の個人に興味を持った方は
マイミック申請などしてください
私パスワード忘れたもん
アカウントないですけど
マイミック
いややめてくれ
ヘッドメディア
モササを凝縮したような
ダークの時代が
バレるじゃないですか
フォームもありますので
コレクティブもチェックしてほしい
あと
三立さんに質問あるかと
フォームで
とかで書いていただいたら
直接会ってしゃべりにくいということが
もしあれば
聞いておきますので
どうか
またよろしくお願いします
ではまた来週も
よろしくお願いします
ありがとうございました
01:11:02

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