ふわっと入り口のところまで紹介するところまでしか行かないみたいなことが令和人文主義的なんだとしたら、やっぱり倉田氏ラジオも結構そういう。
そうだよ。私はそれを思って聞いてた今。
翔さんが下手すらメタ視点って言ってたんだけど、僕らの立ち位置を確認するのもメタ視点だから。
じゃあ何?令和人文主義の倉田氏ラジオですか?
松田中にあるプログラムの方は。
多分このキーワード自体すぐしおになる気がするんで、僕は。あんまり言わない方がいいと思うけど。
私全然覚えられなかったもんね、収録中になると。
あと一個だけ、例えば翔さんとかも平成を駆け抜けたニューアカっていう人たちがいたんですよね。中澤新一とか浅田昭とか、アースダイバーとか読んでたと思うんですけど。
あれも、アースダイバーって東京の地理的な状況をいろんな地政学的なところから捉え直すみたいな、新しい視点を与えるみたいな本だったと思うんだけど。
海外留学してる学生だから興味持つっていう感じだった。
そうなんだ。
日本の住んでないから当時さ、住んでたら感覚的に渋谷こういう街だとか自分たちの中であると思うけど、私は遠巻きに日本のオタクカルチャーとかそういうのを遠巻きに見ているその地続きにアースダイバーがあったって感じ。
でもアースダイバーが出たのは多分千代さんが日本に帰ってきてから。
そうだよ。
その延長戦。
延長戦として、日本人は結局そういう昔からの土地の歴史っていうかずっとそこに根付いてきた何かをどこまで本気で大事にしているのかなっていうのに興味持つっていうのは、
住んでなかった時間が長すぎて、何か知りたいって思ったってこと。
あえて言うけど、日本人のメタ視点ってどんな感じなんだろうね。
そうそう。
日本人は日本人のことをどう認識してるんだろうって。
だから新しい視点だからっていうわけではなかったんだよね。
私的には前からある視点だろうと思って読んでたらどうも何か違うんだなと思って。
だから、中澤新一的な在野の感覚と令和人文主義の違いが僕も実はあったりするけどないかもしれないとか思った感想でした。
よくわかんない。
ニューワーカーは多分もっとファッションっぽい、僕生まれてない時代からのはずのニューワーカーって90年代頭ぐらいからのはずなんで、
結構フランスの現代思想とかのジャック・ラカンとか、その辺のわりと小難しめな議論を沿用して、
浅田あきらとか、構造のどっちからとかも読んだことないから、めちゃめちゃイメージでしかわかんないですけど。
デニストロースの構造主義とか。
あれはファッションとして結構、ちょっとああいう現代哲学みたいなものがかっこいいみたいな捉えられ方だったと思うんですけど、
今はもっとカジュアルで別にかっこいいとかじゃなくて、楽しいよねっていう感じ。
そっか、スノビズムが若干入ってたね。
そうそう、スノビズムがないんですよ。
っていうことなんだよ、たぶん。
かっこつけがないって。
かっこつけないですね。
っていう結構明確な違いがあって。
岩田さんと喋ってよかった。
かっこつけダメか。
かっこつけるのためになんか知識を蓄えてた時代もあったなって思えば。
そういうことじゃないよ。楽しさだよ。
っていうのは納得する。
それで勉強、かっこつけるために勉強してた節もあったもん、昔俺。哲学とか。
ですよね、若い時にそういうのがありますよね。
美大だとかっこつけでしかないって言ったらさ。
いやだって若い人はみんななんか結構、なんだろう、好きな映画何とかっていう会話たまにあるけど、
もうそれ絶対に聞かれるやつだよ。一番才能人流星が。
なんかゴングが鳴る感じっていう。
で、ゴダールとか言っちゃうわけ。
それはまだ直球なんだよ。
しかもゴダールの何が好きって答える時に勝手に仕上がりとかじゃないやつを選ぶっていうのもお決まりだから。
ストーンズのワンプラスワンが好きだな俺は。とかっていうふかふかし方みたいなね。
僕一番仲良くなったのはそこでロボコップっていうふうに答えてた人と一番仲良くなった。
誰?
金庫の金属の友達のクラスの人。
ロボコップいいね。好きだよ私も。
すごいデトロイトの廃墟から立ち上がる。
確かに金属の人が好きなのはロボコップ納得いく。だって溶けた金属から溶けていくじゃんロボット最後。
それはピース。
どっちでもいいですよ。どっちの答えでもいいですよ。
ごっちゃになってる。
そういう美大なありますよね。若いからがゆえのマウントも懐かしい。
マウンティングすることがカッコつけなの?
だしもうちょっとその先にきっとカッコつけのバトルの上にもうちょっと違う何かをお互い求めていこうぜみたいなのあると思うんだよな。
プロレスみたいな感じ。
お互いが到達してないところをそういうカッコつけ合うことで到達しようぜみたいなのがあったと思う。
そういうのって今美大であんのかね。
たまに呼ばれて行くんだけど、そういう会話が学生同士で私たちの世代とかされてたけど、それがされたくなってきたなって感じたの。
先生同士がプロレスやってて学生の前で。
学生はもう入れなくてああって聞いてるだけだったんだけど、最近同級生にばったり会って喋ってたらそれさえももうないって。
いやでも、美大って言ってからどうかわかんないんだけど、某湘南富士山にある大学の。
めちゃくちゃ言ってんじゃん。
SUまで言ってんじゃん。
それやめろ。アルファベットで言うのやめろ。
学生同士ちょっとそういうムーンを感じるけどね。感じません?
シーンみたいな。今ちょっとなんか放送事故みたいになってる。
はいはいわかりました。
いや、ないな言うて。
あ、そう?
ない。
そっかそっか。
だってその話した人がなんとSFのうんちゃらの先生団元。
令和人文主義の?
違います。なんで追加そっちに。
ごめんごめん。全然わかんない。
なんで令和人文主義の先生とかにしちゃうわけ。
好きな映画の話ってことね。
違う。違うよ。
全然わかんない。
美大の中でもそういう議論が起こらなくなってるよね。
美大じゃないとこもいた人なんだけども、それももう起きないからどうしたらそうやって学生同士が
なんかディスカッションをしていけるようになるのかなっていうのが
もう一回作り直さなきゃねっていう話をしてました。
でも美大じゃないですけど、例えば大学生の、例えば岩田さんとかそうだと思うんですけど
どんな音楽聴いてるの?みたいな音楽の界隈の大学生の会話とかで
面白いやりとりが。
だからもう大学に入ると結構そこは自由に多分行き来しますよね。きっと多分する人は。
日本の大学行ったことないもんで、そういう機会が羨ましいなって思って。
全然イギリスでそういうこと全くなかったからさ。
そうだよね。
サークルって概念がまだないから。
それはそうだね。でも美大はそうだけどね結構。
例えばスピッツの草野さん無サビだけど、ギターの人が東京造形だったりとかして。
そういう割とバラバラだったりしますね。
確かにバンドやってる人は勝手に自分でバンドで別にサークルとか、大学の同居生とか、他の学校の交流があってバンドを作るとかそういうの一切聞いたことなくて。
勝手にみんな自分の高校時代の友達とか、近所の友達とか。
キャンバーウェルのピンクフロイドとか、あとゴールドスミスのブラとか。
珍しいけどあんまりそんなに。
珍しいんですねそっちが。
イギリスアートスクールブラみたいな。
なんかありますね。
そうだけど、あんまり他に私の世代でバンドって人いなかったな。
バンド組んでる人はなんかクソいっぱいいるんでしょ?でもイギリス。
だからそのどういう風にやったのって言ったらやっぱ自分でバンドも高校とかなんかやってて、いろんなところにツアーしてる時に会った人たちとかそういう感じを説明を受けてたから。
ブラとかそういう、あとなんだっけあの人。イギリスのバンドで同じ時期で細長い顔している。
バーヴ?バーヴじゃなくて。
どっちも違う。
でもどっちも顔なんか変わったと思って。
オアシス?
オアシスじゃなくて、ほんとそれこそセントマーチンでの曲歌ってる人なんだけど。
誰だろう?顔細長い。
彫刻家行ってて、でセントマーチンで彫刻家って実はないんですけど、そういう歌を歌ってて。
で、そこで出会った女の子となんたらかんたらみたいな。
あれはザ・ジャムのなんだっけ、ポールウェラーとか。
元アトム世代ですよね。
ブラ世代なんで。
でもそれも同じ学校でできたバンドだったっけって言うと違った気がする。
まあでもそういうのもあるし、日本も結構そうだよね。
ゆらゆら手の曲とかもね。
たまびの人だったり、また違う人だったり、学校の人とかで。
何の話だったんだ。
令和主義。
違う、学校でマウンティをしあう。
令和主義。
知識のカッコつけの話です。
カッコつけながらそういう議論をするみたいなことが。
カッコつけが重要な。
だからそういうコミュニケーションが今なくなっていることの。
楽しさドリブラでカッコつけじゃないよってことだよね。
でもさ、言ったらさ、どっちも同じじゃない、言っても。
カッコつけること自体が楽しさへの繋がりだったし。
ギャル文化とかやっぱり気合い入れて渋谷に行ってたと思うんですよ。
カッコつけて渋谷一番ギラギラしてた時とかね。
ある種の。
基本やっぱり楽しいと。
そういう意味ではギャルは辛いからギャルになるっていう人もいたからさ。
自分の見た目とか。
エッグのインタビューとかそういうの多いですよね。
化粧とかで自分が変身できるとか。
人生としてやっぱり弱さを感じてて。
例えばすごい電車で地下にあいまくってた子とかがギャルになったら
誰も近寄ってこないからすごいそこにエンパワーメントを感じるとかいう。
そこを突き抜ける手法としてのギャル。
とかね。
でもイズムだったんですよ、ギャルイズム。
ってことは霊は人文主義イズムにはならないのか。
何度か取り上げたことある。
DAOとかNFT会の倉田氏の中央がないっていうものとかは
霊は人文主義っていう賞味期間がどのくらい続くかは知らないけど
そういうのは今っぽいのかもしれない。
もっと中央がなくても分散しているっていう。
インターネットみたいな感じ。
もしかしたらね。
同じ感じで倉田氏ラジオも次のシーズンに行くと思います。
全然こんな直近の話でまとめるつもりもなかったんですけど
今日シーズン5の最終回なんで
霊によってこのシーズンを改めて振り返っていきましょうという。
まずちょっとゲストどんな方がシーズン中来ていただいてたかっていうのを振り返りたい。
まず最初のゲストはバイメル・スティーブンさんでしたね。
文化的犯罪。
あとは漆のことならどこまでも
航空さんと佐藤清松商店さん。
すごく学びがあった回でした。
今ちょうど目の前に買ったカップが置いてある。
嬉しいね。魔法瓶式ダブルボールの方がありますけど。
あとはちょっと三人会が続いた後に
得意君だっけ?
そうですね。
一見工芸とは真逆の
AI、ツールとしてのAIという話をお伺いし
ゲスト会、その次が土工芸というか
工芸のメタ認知を
伝統工芸展受賞から語るという形の
須藤さん。
その後に
ゲスト会というか初めての試みだった
九州旅道中、鎮道中記みたいな。
鎮道中まで言うか。
分かんないですけどね。
バキナリマノカさんと
ハッター清松さん。
確かにネットなかったら鎮道中だったかもしれない。
アップロードできなくて焦ったっていうのは
予想定外だったらね、山の中で。
メディア運営者としてのプライドを感じましたね。
そんな感じで。
新しいゲストは3組でしたね。
すごい共通点なさそうで
なんとなく共通点があるのが
面白いなって全体的に。
自分の中で絶対にその名前言われたら