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2025-06-10 47:12

S5 ep3 細胞と倫理、その外側 HAE「Super Cells Infinite」の裏側(後編)

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HUMAN AWESOME ERRORから蔡海さんと福原志保さんをお迎えするゲスト回後編。今年2月に行った展覧会「Super Cells Infinite」のお話から、前身のプロジェクト「Super Cell」、がんの経験、設営の裏側、法律との軋轢、アートと公共性、といった話題に展開していきます。


【今回の話題の関連リンク】

HUMAN AWESOME ERROR 展覧会「Super Cells Infinite」

https://ccbt.rekibun.or.jp/events/super-cells-infinite

シビック・クリエイティブ・ベース東京

https://ccbt.rekibun.or.jp/


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⁠パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

このエピソードでは、「スーパーセルズインフィニット」というプロジェクトに焦点を当て、参加者との対話を通じて新しい創作活動の形を探っています。特に、ガンとその持続性のメタファーを用いて、アートと創作の概念について考察しています。また、細胞研究とその倫理について議論し、HAE「Super Cells Infinite」プロジェクトの裏側を探っています。インタビューを通じて、翻訳やコミュニケーションの課題に直面した経験を共有し、アートと社会の関わりについての見解を深めています。さらに、細胞の移設と培養が持つ倫理的課題について詳しく探っており、研究倫理と医療倫理の違いや、個人の細胞にまつわる所有権の問題についても考察されています。また、万博と工芸の関係についての考察や、技術や仕組みを共有する重要性についても語られています。

スーパーセルズの由来
CRA出しRADIOは、様々な手法で物を生まれ変わらせるコレクティブ。
ConCRAのメンバーが、工芸を軸に物と人との関係、物を作ることについて、
皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの四方です。
海です。
岩田です。
よろしくお願いします。
S5 ep3です。
前週から、細胞さんと僕が、
ヒューマンオーサムエラーのお二人をゲストに。
ゲストなの?
そういうテーマになっちゃってる。
そういうテーマになっちゃってるよね。
しょうがないですよ、まだ。
ゲストさんを調整中なので。
そういう理由?
僕らはゲストの方々をみんな尊敬してるから、
その間の繋ぎというか、そんな価値がゲスト界によりはあるものとして、
捉えてない節はあるよね、僕ら三人会を。
ん?
あります。
ちょっと引けた気持ちはあるんですけど、お付き合いくださいという感じで今回なっていきます。
スーパーセルズインフィニットという。
スーパーセルズインフィニット。
スーパーセルからスーパーセルズになった話がしてなかった気がしてて、
スーパーセルズだった、要は単数系だった頃っていうのは、
アートコレクティブとしての我々の活動を共有するという。
すごい細胞に対してみたいな、自分たちの視点を旋回していくみたいな。
それを話題の共有するための媒介するものとして作品を捉えてたんですけど、
スーパーセルズインフィニットっていうのは、
先週言ってたシビッククリエイティブベースという、
市民とのどう関わりを考えるかという意味で言うと、
市民の参加ということを我々はどういうふうな形で実現するかということを考えてたから、
当事者さんがプロジェクトにいっぱい入ってくることによって複数系にしたという経緯がありますね。
いろんな人が思うがんって何なんだろうという視点が複数系になったから、
Sつけようってなって、そのおかげで大変なことになるんですけど、
対話のログ
まずポスター全部。
ポスターというかチラシかな。
グラフィック入れ直し。
スーパーセルインフィニットっていう名前である程度進めてたところで切り替えた。
Sにするぞ。
S増やすぞってなって、もうレイアウトし直した。
そこまで重要だったということ。
印刷屋さんを実際やってる岩田さんが今、結構青ざめたリアクション。
青ざめたみたいなね。
有効終わってんのにまた入れ替え。
データ入れ替えだよみたいな。
やりました、データ入れ替え。
ちなみにインフィニットって何ですか?
いろんな意味があって、ガンって結局絶対になくならないんですよ。
要するにガンってずっとでき続けるものなんですよね、私たちの体の中で。
今も岩田さんの体にもガンってできてるんです。
僕にもできてるし。
できてるんです。
だけどそれを免疫細胞がコントロールしてくれて、増える前に攻撃してくれて、抑えてくれてるんですよ、増殖を。
あるいはあるけど活動してないから不具合として出てこない。
ガン細胞そのものは存在している。
それをあえてタイトルに出すっていうのと、ずっとなくならないけれど、私たちもこのプロジェクトが、
例えば私がガンか事故か死んじゃったら結構そういう終わりみたいになりがちじゃないですか、サッカーのプロジェクトって。
そういうことじゃないっていうことですね。
なのでずっと続くよっていう。
インフィニット。
永遠にって意味ですね。
永遠って言うとちょっと語訳か、ずっと続くって意味ですね。
っていう意味でつけたっていう覚悟ですね。覚悟をタイトルにしたというのもある。
で、先週からのボブ方法さんに影響を受けまくった、その中の一つの試みで、
当事者さんとの対話というところでバブルペイントを用いながら、
僕らあえてそれを当事者さんたちの作品とは呼ばなかったんですけど、
対話のログっていうとらえ方をしまして、
それは前回話した当事者団体さんとのやりとり、別の団体さんとのやりとりで結構、
例えば、いくら絵の具とかそういう画材が置いてあっても、
対話に向かう人が必ずしも創作活動に向かうというふうに
僕らが決めつけてはいけないとは思ったんですよね。
それは僕らのメンターをやっていただいた田中美由紀さんという方のアドバイスとか、
そういうことで、そういう視点は気をつけた方がいいっていうのは結構言われてたので、
田中美由紀さんはインクルーシブルな創作とかそういうことを専門というか、
5本も出されてて、普段からそういう創作活動にかなり現場に身を置いている方なので、
すごく敏感にアンテナが持たれている方だから、
アドバイスの熱のこもり方というか、
とくとくと静かにおっしゃる方なんですけど、
これは気をつけないといけないなと思って、
ワークショップやるから創作活動に参加してくださいということの暴力性みたいなものを
アートの再考
すごいアドバイスを受けていたので、創作活動というふうには設定はしなかったという感じです。
アートという言葉って便利じゃないですか。
よく使われますよね。アートで表現とか。
アートで表現って変な言葉だけどね。
街おこしをアートでとか。
アートってつくといいイメージがある人が多いかなと思うんですけど、
決してネガティブなふうに捉えられないんですけど、
やっぱり当事者団体の人たちとしゃべったときに、
アートだからOKっていう。
どっかにやっぱり慢心があっただろうし、
そういうのを気をつけないといけないということで。
アートの言葉がネガティブに使われるのは、それこそ工芸の世界でしょうね。
お前そんなところで別にアートをやるなよみたいな。
きっちりとシェイプした仕事をきっちり終わらせてけよみたいな。
表現別にいらねえんだよそこはみたいなことはね。
むしろ工芸の世界だとあると思う。
言われてるんだろうね。
私は体験者じゃないかは想像だけど。
まぁまぁちょっと横道に逸れたんですけど、
それで対話のログっていう、
だから名前がついてないんですよね。
僕らのワークショップとも言ってないんですけど、
こころみとしか言ってないんですけど、
バブルペイントをしながら対話をするっていうことを、
名前がついてないから、
人に説明するの今まで結構苦労してたね。
全体的に言えることは、
これアート展なのか、アート作品なのか、
もはやこれはってすごい悩み始めちゃって、
結局だから、
何でもアートにすりゃいいとかいうのに
すごく自分たちで意識的に
ならないようにしようとしたために、
そうしたかったんで、
なんかアートじゃなくて良くねっていう風に、
ある意味活動とかそういう風に
気持ちがなっていったんだけど、
見に来る人たちはアート作品を見に来ている
という風に見ているから、
そこがすごく今後、
自分たちの線引きというか、
どうしてもしたもんだと。
あとでも、やっぱり振り返って、
一応これ多分言っておいた方がいいのは、
とはいえ、やりだして、
熱がこもってくると、
その参加者さんたちも
創作っていう雰囲気が次第に出てくるから、
それはそれで、
いやあなたがやっているのは創作じゃないですよ
って言うのも変じゃないですか。
そうなの。
ここはもっとこうねとか。
意識的に表現をしましょうねっていうことではない。
さっき言った運動っていうことだったんですよ。
動かしながら話していると、
ちょっとこう、
話者の相手に対して集中しすぎなかったりとか、
あと偶然的にこうなっちゃったとかの会話が出てきて、
それによって、
ここに失敗しちゃったっていう話があったりして、
絵の具ここに垂らしたくなかったのにって。
でもこういうことがガンなのよねって言っている人もいて、
だからそこで起きていることも受け止めて、
そこにリフレクション、
自分の心象に反映している状態をまた語ると、
その人の思っていたことが出てきやすいとか。
そういう意味では、
実際やって面白いって言う方はあれなのかもしれないけど、
めちゃくちゃ普通に喋ったらこういう会話にならなかったなっていうのは確信している。
この辺はね、
また別の倉田足ラジオも何回もやってるから振り返りが結構リファレンスが多いんだけど、
グッドジョブセンターさんとかタンポポの方々と、
この辺は喋りがいがあるネタだなって。
創作と運動の間みたいなこととか。
別に終わりがあることでもないしとか。
っていうのは僕らも身をもってちょっと体感したし。
体験者さんも一日一組って結構決めてて、
例えば2時から4時まではAさん、
4時からしばらくしたらBさんって入れとくと、
終わりがないから、
そろそろちょっと時間巻きましょうとかっていうのも言いにくいというか。
なのでそういうこともちょっと。
そうか、一日一組でこれやってたんですね。
会期どんだけあったんでしたっけ?
展示の会期は2週間くらいなんだけど、
事前に描くっていうのは年末くらいにやってたんで。
本当はすごい、こんな話する必要ないんですけど、
準備を絵の具とか解いたりとかしたら、
一日で全部の方をやってもらって、
絵を描いてもらって、
絵の具とか解いたりとかしたら、
一日で全部の方をやってもらった方が効率はいいんですけど、
もちろん体験者さんの雰囲気ファーストでいくと、
前後の時間の幅を取っておくべきなので、
そういうやり方をしてて。
で、星野さんが場ができたらほぼ終わりだよって。
あとは初めて真似されるのを待つだけだよみたいなことを
志穂さんがやってて、僕らはガラス越しではあるんですけど、
部屋に対談者さんが。
変な状況ではあるけどね。
見られてるのを意識しちゃうから、
カメラもあるし、全く何もないわけでもないから、
どこかで自分で無意識に視線を感じているっていうのがあったと。
どんな感じでした?僕らは?
面白かったのが、実際に絵を描いていることと、話をするっていうことと、
その後撮っている会話は一応マイクとカメラで音も映像も撮っているんですよ。
最後映像作品にもしているので、結構見るんですよね。
見直してこういうこと大事だなって。
翻訳とコミュニケーションの課題
編集をするっていうのもあって、その後冊子作ったんですよね。
今ちょうどこれが公演される頃には、
印刷がすり上がっているかも。
なんで皆さんの手元にまだ届かない状況かなと思うんですけど、
今、児玉シーンさんたちにお願いして、
児玉シーンさん、こういう名刺をいきなり言ってもあれなので。
プロデュースをお願いして、かなり濃い内容の冊子が出来上がるんですけど、
その時に翻訳をしたんですよ。話している言葉を抜き出されて。
翻訳している時に気づいた。
翻訳というのは英語に?
英語に、はい。
私には日本語のところと、体験者さんは日本語で語っているんですけど、
それを文字起こししたり、その文字を一部英訳したりしている。
そう。私多分日本語の英語のとか言うじゃないですか、
英訳どうしても出来ない言い方とか、日本語のニュアンスとかいっぱいあるんだけど、
会話が普通の会話じゃなくて、脈絡はあるんだけど、
おしゃべりしている感覚なんですよ、むしろ。
インタビューでAさんが言ったらBさんが答えてとかじゃなくて、
何かをしながら話しているという、
どっちが主役か、絵を描くことが主役なのか、話すことが主役なのかというのが分からない感じで、
それを英語にするって結構チャレンジングなんですよね。
だけどなぜかというと主語がなかったりとか、
その場にいる人の目の対話だけで出来ちゃったりとか、
身振り手振りとかもあって、でも冊子だとその映像はほとんどないから、
言葉でしか分からないので、気づいたのが親子、
娘さんとお母さんと私、3人で話したやつもあって、
3人で絵を描いて、質問を私がこうだったんですねみたいなのをすると、
帰ってくるのが母親が言ったことに対して私が返すじゃないですか。
そういうことだったんですねって聞いたら、
もう一回質問すると娘さんが母親からの質問に対して、母は?って答えるっていう。
母親からの質問だから母親に答えると、お母さんは?って言うじゃないですか。
でも母は?っていう風に言ってるっていうのに、
喋ってる時気づかなかったし、映像の時もそこまで考えなかったけど、
英訳するとめちゃくちゃ変だっていうのが気づいて、
その三角関係じゃないかに気づいたりとかして、
なんでワークショップじゃないよなやっぱりっていう。
ワークショップだったら会話のワークショップみたいになってたら絶対そう、
こういう会話の関係性できないし、なんか面白いなぁと思って。
よく言われるのは日本語の、特にそういう会話になると、
日本語って相互補完的っていうか、
僕が最後まで言い切らないものを引き継いでshowさんが喋り出すみたいなことをするから、
AさんBさんCさんっていうのを文で割っていくと、
三人で一つの文を喋っているみたいな感じになるわけですよね。
そうなんです。
だからそれ、なかなか面白い体験だったなっていうのは。
展覧会終わった後も結局なんだかんだと、
そういう振り返るっていうのとはちょっと違って、
自分の作品が違う風に、もう一回自分の再解釈する風にできたっていうのは、
今回すごい贅沢な体験させてもらったんですよね、フェローシップとして。
普通美術館とかギャラリーとかってなんかやったら、
割と展示終わったらもう撤収終わり、はい次の展示みたいな、
頭切り替えないとやっていけないので、
ですが今回はフェローシップっていうバジェットがあるから、
割と手中終わってもまだ予算の許す限りやりたいことはやり続けられるっていういい点で差し付けたりした。
予算は足りてないんですけど、一部自費で賄って。
よく出るんですよ、結局。
そういうモチベーションができるってなかなかやっぱり、
私たちはなるだけお金を無駄にしないように展示しなきゃって、
いつも常々予算っていうのをやろうっていう癖がついてるから、
自分で足出たとしてもやりたいっていうのは、
時間かけて準備すればするほどそういうのが欲が出てくるっていう。
誰でもそうだよね、形になってきたら足抵抗したい、割れるでしょうし。
かといって、別に倉田社ラジオで喋ることでもないんだけど、
もともと誰からも支援がなかったり仲間がいなくても、
僕らはこれはやろうとしてたから、
アートと社会の関わり
やることとかそういうのは大きな軸は変えずに、
その時の環境でやれることをやることも結構大事だよなっていうのはね。
繁語的に思ってたら。
そうですね。
職業的に展覧会をやるって、予算ばっかり頭に考えちゃうけど、
そうじゃない経験って、なかなか普段やることないから。
だから前回か前々回か、
岩田さんが配信の場作りと機材の調整と演者もやられてるようなお話してましたけど、
ライブでね。
基本的には普段僕らはそれとあんまり変わんないんですよね。
場所、場作りがあって、インストールも全部基本的に。
できる範囲でやっとこうとか、予算と自分たちのスキルと時間ですよね。
それにかけられる時間とか。
今回全部が土返しだったから、なかなかいろんな人のサポートしかもめちゃくちゃ受けてるので、
お金だけじゃないんですよね。
むしろお金以上のサポートをCCBTの人たちからもあって、相当すごい知見が。
結構展覧会も、いや無理なんじゃんとかいうのがいろいろあったんですよ。
例えば遠景の超でかいシャーレに映像を撮ってるんですけど、実はあれ水が入ってるんですよ。
シャーレって超でかいシャーレってどのくらいの?
ちょうどここにステンの輪っかがあるんですけど、ここに入る1メーター。
一応シャーレのつもりなんですけど、
デカすぎてフレーム作らないとダメだったからフレーム作ったんですけど、
意外とみんな水が入ってて気づかず、シリコンですか?とか言われて。
どう見えるかさておき、ここに全部水が入ると厚みが100ミリぐらいで、
径が1000ミリぐらいになると、どれくらい重さになるんですよね。
100キロ近く。
ダクトレールにワイヤーでつるえる重さを余裕で超えてくるんで、これどうするのって話になって。
現場で普通はちょっと無理ですよねって言ってNGになることが多いんですよね。
そこCCBTの方が、たべさんって言うんですけど、ずっとそこで展覧会の設定をセッティングしてるから、
分かってるんですよ。いろんな強度とか、できる、できないとか。
だからジグ作ってみてくれたりとかね。
いろいろやって何とか無理かもとか言ってたんだけど、つるすことができてとか。
そんなん普通ないからね。
クラガシュラジオ的な話をすると、いろんなところにいろんな専門の技術とか知見とかに携わること。
重さレベルの人がいるんですよ。
いるもんだな。
CCBTっていう団体。
シビッククリエイトベーススペースです。
スペースの名前。
あとプログラムの名前でもある。
それは東京都がやってます。
そうです。
多分岩田さんが聞かれたいのは、職人さんたちがいっぱいいる話をしてるけど、
これは誰から雇われてるんだみたいなことが聞かれたい。
東京都の文化事業ですね。
東京の街をもっとクリエイティブにすることで、
新しい都市っていう中で体験を作るっていうのを目的としてて、
歴史文化財団っていう、歴文ってみんな呼んでるんだけど、
が持っているスペースとプログラムです。
ベースって地下だからベースっていうのと、
基地っていう意味もあれば、
本当に文化の基礎っていう意味もあるんだろうなと、
多分そういう説明してたと思うし。
地下じゃなくなったからベース辞めるってわけではないんだけど、
シビックに広く開かれているってことが一条件なんですよ。
シシビティスターの話は何回もする話でもないから、
別にいいんですけど、
倉田斜ラジオ的に言うとシーズン4とかが、
例えば常くんとか、いわゆる広重の絵を表現するために、
名前は出ないけどすごい技術を持っている人がいるとか、
春田さんとか、ファッションデザイナーの名前に隠れているけど、
その脇にはすごいテキスタイルディレクターがいるとか、
そういう話はあったと思うんですけど、
そういうことがアートワークの世界にもあるんだなと思って。
銃器の作りとか、その見せ方一つとってもびっくりするぐらい技術を持たれた方と、
ガチでお仕事する機会だったので、いろいろと発見がありましたという感じですかね。
グッドジョブセンター柏さんたちがCCBTで2回ぐらいに会ったなと思った。
モイサさんもおられたですよね。
僕らの回帰中じゃないな。
グッドジョブセンターさんも何かされたんでしょうか。
やってますやってます。
フェローシップという言い方なのかわからないんだけど、
そういう意味では全然アートだけでなくて、いろんな福祉的な、
シビックに関わるものだったらね。
その一方で、これ本当に余談なんですけど、
アートが広くあまねく老若男女に開かれなきゃいけない健全性を
課されなきゃいけないっていうことは僕は絶対ないと思うので、
もっといかがわしい部分とか、表に出てこないスレ、
プロジェクトの倫理的側面
下手したら法律とするスレの部分とか、
そういうものも含むものもアートの中にはある前提で考えると、
我々がやってること自体がアートの模範的なやり方ですとは全く思ってないっていうのは
一応言っといたほうがいいかなって思いますけどね。
別にアート否定してるわけでもないしね、しかもね。
そうそうそうそう。
なので、シビッククリエイティブベース的には僕、
属者のプロジェクトとか、それでは申請してないけど、
ああいうプロジェクトとか多分結構やりにくいだろうなと思うしね。
そうかな。めっちゃシビックじゃん。
街の人たちという意味では、属者って街で展開される?
どうなんですか。やっぱり党が関わってるし、
公女、領族に反するみたいな。
例えばこういうことであり得るんだろうかっていうのが、
チーム員の旧社会代表の誰々さんが、
反社会勢力、ヤクザ、警察、今3社から追われている状態です。連絡が取れません。
ということが許されるのかどうかっていう話ですよね。
過去にあったんで。
そういうのがプロジェクト中に発生したときに、
アートと倫理の境界
フェローシップとそういうことは別だよね、
切り分けて包容力があるのかどうかって。
でもバイクを作っている人たちは暴走族じゃないからさ。
だから追われる理由とかが、
それこそレーシングチームとあえて言うと、
レーシングチーム出入りしている人がアルファードを盗みまくってニュースになっていますとか、
そういうようなことが直接じゃないけど、発生してくるわけですよ。
遊びに来てるからね。
遊びに来てるだけじゃないかもしれない。
一緒に走っている仲間かもしれないし。
かといって別に旧社会のリーダーは、
法に問われることも別にしていないわけですよ。
隠まってもいないし。
そういう意味で偏見を取られやすい。
言ったら難しいと思いますよ。
とうとうそういう触れ幅を許容していくっていうのは。
だったら便利なアートというカードを切るっていうことになっちゃうんだよね。
否定するって表現っていうのを、
どこまでが表現でOKなのかという話にどうしても通じちゃうからさ。
そういう意味で、
ちんぽむってアートコレクティブが六本森アーツミュージアムで
大規模な展示をやるときに、
エリーさんという旦那さんのホストクラブを取りまとめする。
そこからの資金とか注力があると、
森アーツミュージアムとしては助成金が受け入れられないので、
そのお金は受け取れないということが、
開催をめぐって問題になったことがあったんですよね。
クレジット載せるのがダメと。スポンサー的に。
それで彼らが名前をちんぽむをやめて、
ちんぽむスマッパーグループという風に名前を変えたんですよ。
それは制度と添いにしながら、
ハックしていくやり方という風に評価をする人もいれば、
それ自体はアート自体が何でも許されるものではないにも関わらず、
優等生的な振る舞い方をしたらいいというものでもないし、
森アーツミュージアムのお金が受け取れないというのは変だし、
アートが資金洗浄に使われているという見方は否定できないわけだから、
それはそうだろう。それとこと自体はアートの価値とは関係ない話じゃんという人もいるから、
いろんな意見が出るポイントではありますよね。
細胞移設の難しさ
というような話です。
ちょっと余談になっちゃったね。
シビッククリエイティブなあり方についてしゃべっちゃったね。
いい名前だなと思う反面、やっぱりちゃんと考えていろんな多角的に見ないと、
便利だからシビックでクリエイティブって言ったらいいことに聞こえて、
予算取りやすそうじゃないですか。そこが要注意ではあるよなと思ったよ。
便利さにかまけて、みんなそれを使ったらとりあえずいいだろうみたいにならないといいなというのはある。
分かりやすく今、属者のプロジェクトを僕らやっているから、目の前に何か変わるところがあるしね。
そういう分かりやすい話じゃなくて、スーパーセルズインフィニットのもう一個のプロジェクトで、
細胞を移設して培養するっていう試みがあるんですけど、
それって結構難しくない、難しいことは前回も言ったんですけど、
法律による正義と研究倫理による正義っていうのが必ずしもシンクロしてるわけじゃないので、
シチュエーションによってどっちが優先されるかっていうのはグレーゾーンなんですよね。
あとその医療倫理、倫理でも医療の倫理。
医療の倫理っていうのは患者さんとお医者さんを守るっていう医療の倫理と、
あと研究倫理って言って、研究だから何でもしていいってわけでもないし、
研究というものはっていうものもあるし、お金もでももらったりとかするんで、
いろんな意味の倫理、研究に関わる倫理っていうのと、
医療倫理と研究倫理は主軸が違うから違うんですよ。
いいってこととダメってことがどうしても全部一緒ってわけにはならないので、
そこの私たちは橋渡しをどうしてもしちゃうんですよね。
なぜなら私は患者であって匿名性を守らないといけないという立場にありながら、
研究の方では匿名で皆さんがドネーションされたバイオバンクにある細胞を使ったりとかしてるけど、
私はそれだけじゃ考えられないものがいっぱいあるでしょっていう主張があって、
それ自体は研究なんですよ。
個人っていうものの所有、自分の細胞っていうのは自分のものだっていう所有はどこに寄贈になるんだと、
どうしても匿名じゃなきゃ扱ってもらえないっていうんだったら、
何もできなくなっちゃうんですよね。私はその時点、自分の細胞だって言えなくなっちゃうんで。
なぜそんな自分自分って言ってるかっていうと、自己、自分セルフですよね。
自分っていうものがどこから自分になるのかっていうのが概念的なのか物質的なのかっていうので、
結構概念的なことってすごい考えられて語られてるけど、物質的な細胞としての自己っていうのって、
髪の毛が落ちててそれも自分なのかとか、切った爪は自分なのかとか言ったら切れないぐらいあるんでしょう。
それが移設ってなると、体から切り離された時点で私じゃないっていう風になるんだったら、
それって匿名性も何も関係ないじゃんって言いたいんだけど、実は遺伝子っていうデータがあるので、
私っていう個人は頑張ったら特定できるわけですね。
超機密データですよね。
超機密データです。超個人データなんで、その取扱いも難しいみたいな。
そういうことを会話していくっていうのが研究でもあるし。
もちろん移設先の公開情報だから言っていいと思うんですけど、
京都大学のiPS細胞研究所のサイラっていうところがあるんですけど、
わかりやすくその研究員とかがアルファードを盗んでるとかそういうことはするわけないじゃないですか。
でもやろうとしてることは、脱法すれすれのところを本当にギリギリのところを守りながらやっていこうとしてるんですよね。
だから実は法律にすれすれのところをやっていくっていう意味においては、別に全然無関係な話ではないというか。
法に外れてるっていうわけじゃなくて、法がないんですよ。そこに対する。
だから脱法という言い方はちょっと語弊あるなと思うんだけど、
法が整備がされきれてないから倫理的に判断するしかないっていうことをやらなきゃいけない。
それが結局私たちのエラーってどこからエラーなんだっけっていうのにも繋がるから、
倫理ってすごくエラーって概念と繋がりがあって、
プロジェクトの発表と反響
なので今回のプロジェクトもヒューマン・オフサム・エラーとしてやっているんですよ。
あれ、こんな話の終わりでいいんだけどね。
そうだけどね、長くなるなと思って。
一応、これを読んだら大体プロジェクトがわかるっていう冊子を配信ぐらいのときにはアクセスできるようにしておくので。
アクセスできるって、どこかで変えるってこと?
ちょっとやり方は一回考えるんですけど、
例えばヒューマン・オフサム・エラーのフォローしてもらい、DMを送ってもらったらお金と引き換えにお送りするとか、
そんな仕組みは用意しようと思ってます。
コメントくれた人。
お茶用意したみたいな。
何その家。
授業出席はいらんからツイートしてくれみたいな。
出席票とツイートが兼ねられてるとか。
ツイートなんだけど、20何回しないと出席と見なさないっていう授業に私、ギストとして出たことがあって。
筑波台?
筑波台で、みんなハッシュタグで、いやでも絶対ツイートしなきゃいけないんですよ。
お茶用意さんの名前付きで。授業のお茶用意件だから。
ってことは、マーケティングになってるわけですよ。
そうですね。
よく考えられた仕組みだな、学生使われとるなって思ったりして、もやもやは。
だから今のコメントくれたら本をあげますっていう、どういう仕組みなのかなって考え込んじゃったから。
ダメとも言わないですけど。
数限られてるからね。早物勝ちとしか言わない。
反響は正直わかんないですけど、新聞社さんとかがね、記事化してくれたりしてるから、
それを見て、ああそれ読んだことあるっていう人はちょいちょいね、おられるから。
もうちょっと知りたい人向けに、その道筋は用意しようかなと。
僕も普通に朝から日経新聞読んでたら、松尾さんが載ってて。
私たちもいつ出るとか知らなくて、そもそも記事にしてもらえるかっていうのも知らなかったから、
記事になるかもぐらいしか知らなかったんで、そのタイミングでって言って教えてもらったと。
ああいう報道系は記事チェックないらしいからね。
あといちいち言う義務もないらしいですよ、今日出しますとか。
でもあんなに書いてもらえると思わず。
いや、その時思ったのが、岩田さんからこの記事読みましたは何回か今までもあるんだけど、
京都新聞だったり日経だったりとか、何番いたい読んでるのかなって。
いや、その一つだけですよ。京都新聞と日経だけ。
京都新聞と日経はフィジカルで読む方なんだなって改めて思いました。
紙ゴミがすぐ溜まりますね。
私たち捨てられないよね、その新聞はね。
いや、正確に言うと、僕ら日経を紙で撮ってないから、バックナンバーとかを譲ってもらっている感じだから。
ちなみに、倉田市ラジオというか工芸ウォッチャー的には、
日経新聞の日曜版の真ん中あたりのページ、ちょっと紙質がいいところがあるんですけど、8ページくらい。
そこはね、結構読み応えがあるんですよね、毎週。
週末ですか?
うん、日曜。
日曜版って言ったじゃないですか。
うちのかえちゃんも確かそんなこと言ってたわ。経済だけじゃないからね。
あと、スポンサードされているわけじゃないから、結構いろんな視点で書けるって言ってたのと、日経読者なんだけど。
そういうことか。
よくも悪くも、朝日新聞とか毎日新聞って自分たちも企画するもんね、展示とかさ、美術展とかもさ。
だから、ちょっと偏りは少なめというか、書かなきゃいけないってこともないしね。
報道寄りであるってことですかね。
うん、そう。
なるほど。
そんなメディアの特性喋っててもしょうがないんだけど。
はい、そんなんで2回にわたって、ちょっと恥ずかしながら、
自分らの話をするというか。
自分たちの話をするのがね、難しいね。
いやいやいや、面白かった。
もうちょっと作品の説明までできたらよかったかもしれないけど、
散々冊子でしてるので、冊子読んでほしいと。
万博と工芸の関係
重要なのは、倉田氏ラジオ的には繰り返しになるけど、
どういう技術とかどういう仕組みとかをどういうふうに扱ったかの共有がしたかったので、
その話はできたかなと思ったかなと思います。
はい。
えーと、シーズン5始まったばっかりですけど、
今シーズンもいろいろゲストの方をお呼びしてということで企画してますが、
来週も3人会でやるつもりなんですけど、
この休みの期間の間に始まったものといえば?
トランプ政権。
トランプ政権ね。
トランプ政権もそうなんですけど、万博ね。
万博ね。
ちょっと万博の話しましょうかっていうね。
万博いろんな意味で関わりがあるから話したいなと思ってます。
はい。
まあそうだし、自分はもう見に行ったので、
感想も言いたいし、これから展示も万博でするけど、
全然全貌が自分でまだ分かってないので、
全貌が自分でまだ分かってないので、
全貌が自分でまだ分かってないので、
全貌が自分でまだ分かってないので、
全貌が自分でまだ分かってないので、
全貌が自分でまだ分かってないので、
僕は行こうとは思ってたけど、
予約とかめんどくせえっていう状況だったんですけど、
ちょっとここで話すために、
思い越しを上げていくかっていう感じ。
僕もちょっとだけ行ったんですけど、
あれは絶対行った方がいいとかっていう風にも言いたくない。
行くのが正解みたいな、
そういう価値観を押し付けたくはないというのはあります。
あとは工芸のことをテーマにしてるんですけど、
一応、沢木のえさんの受け入れですけど、
美術とか工芸っていう言葉自体が、
明治時代に日本の価値観を輸出するために、
無理くり造成した単語であり、
それは万博とともに生まれてきた言葉なので、
倉田知事ラジオ的には、
万博と工芸っていうのは何かしら反応しておきたいなっていう。
本当にそうなんだ。
沢木のえさんはたまたまあるトークでそういうことを言ってたんですけど、
僕、学校で習ったのも基本的にはそういう話です。
官業博覧会とか。
基本的には大筋、どの話とかどの文献読んでも同じ。
そういう話が出ます。
万博会をお楽しみにって感じですね。
はい。というわけで、倉田知事ラジオは毎週火曜日に配信しておりますので、
フォローしてお聴きいただければと思います。
ハッシュタグ、C-O-N-C-R-Aで、
我々と絡んでいただきつつ、
フォームもあります。
スーパーセルスインフィニット見に行ったよとかの一言でもいいので。
あと今のうちに万博行った人のコメントとかもらえたらね。
それを読みながら。
ここを岩田さん見に行ってとかね。
自分はいけないけど見に行ってとかでもいいよね。
自分行かんけどちょっと気になるから見て。
今から言うと岩田さんはハンガリー館でボカボカしてますけど、
ちょっとそこを見てほしいなと。
私サウジアラビア館見たかったな。
気になりましたけど中見れなかったんで。
基本多分一回行っただけでは無理でしょうね。
無理、絶対。
あれは3、4回行かないとなんだかよく分かんない。
意味が分かんないって感じだもんね。
お楽しみに。
お楽しみに。
今日は以上です。
ありがとうございました。
47:12

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