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2025-07-08 55:05

S5 ep7 マスター工芸のカッコ良さ、私が代わりに伝えます ゲスト:Japan Craft 21創設理事 バイメル・スティーブエン(中編)

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日本の伝統工芸に関わる人々が直面している問題を見つけ出し解決することによって、工芸を21世紀に再生することを目的に2018年に創設されたNPO法人 Japan Craft 21。その創設者であるバイメル・スティーブエンさん。

京都市内にあるバイメルさんのご自宅にお邪魔してお話を伺う第2回は、ロサンゼルス育ちのバイメルさんが何故日本に訪れ、その後ガイドツアー会社、Japan Craft 21を立ち上げるに至ったのか、その経緯と想いを聞いていきます。

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⁠パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

今回のエピソードでは、ConCRAのメンバーが工芸の重要性や魅力について議論し、バイメル・スティーブエン氏が日本の工芸に対する思い出や影響について語ります。特にマスターアーティストとアーティザンの違いや、日本独特の技法が持つ深い背景に焦点を当てています。バイメル氏は、観光客が文化を深く理解するためのツアー会社を設立し、より本質的な日本の体験を提供することを目指しています。日本の伝統工芸におけるマスター工芸の価値とその魅力について、彼は自身の経験を通じて話します。また、クラフト業界の危機感や、ジャパンクラフト21の取り組みがどのように伝統を再生し、国際的な評価を高める役割を果たしているのかに焦点を当てています。エピソードは、マスター工芸の魅力とその影響について深く掘り下げるとともに、ジャパンクラフト21の活動や手織りの技術と製品の多様性についても展開されます。

工芸の魅力と定義
CRA出しRADIOは、様々な手法で物を生まれ変わらせるコレクティブ、ConCRAのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの海です。
志保です。
岩田です。
はい、そして今回もゲストの方をお呼びしております。
バイメルです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
前回のエピソードで、過去に巻き戻しましょうというところで終わったんですけど、
エピソードでエピソードの間の雑談が、結構大事な話を雑談してしまったので、
これはちゃんと撮っておこうという話になったんですけど、
前回、クラフトの定義を4段階に分類してという中での、マスターアーティストクラフトというのと、
マスターアーティストクラフトというのの、その違いって何だろうみたいなお話の中で、
今、バイメルさんのお部屋で、ご自身のお持ちのものとかも周りにある中で収録しているんですけど、
その中でご紹介いただいたお話とかが、事例というか、具体的にその違いってどういうところなのかという。
カビアキのボールを展示、喋っております。
これはどなたのボールですか?
そのボールは浜中月園さんの作品、ハギの有名な作家さん。
ちょっとすごい触ってみたら、とんでもない作り方してるなっていうのが分かった。
工芸の技術と訓練
けれど、音声メディアでは分からないので、後で写真で。
割とボツッとした分厚い作りで。
釉薬があえてかかってない。
ランダムな感じなのかな?
ろくろっていうか、手びねりなんだけど、
その中でろくろっぽいところもここに中心が横にあって。
ろくろっていう形を作って。
玉はすごかったよね。
玉を割って。
ここが地点。
手を触るとここに。
ここがとかって聞いてる人がいない。
ボールの横っちょが。
ボールの底が底じゃなくて、
サイドに黒いマスクの底があるということですね。
これはゲッソンさんの作家としての作品として作られたもの?
手物ですね。
ゲッソンさんの初期が素晴らしいですよ。
形も色も。
物は綺麗に見えるし美味しく見える。
大事。
それでかなり有名になって。
それをしながら、
アーティストものの一点一点のものとかも、
例えば鳥皿5つとか、セットとかも少なく作って。
そして彼のスタッフは、
ゲッソンさんがデザインした商機を量産で作っている。
だから値段はかなり違うんですけど。
両方ともすごくいい風に進んでいる。
ゲッソンさんはアーティザンとして。
ゲッソンさんはアーティストでしょ。
彼のスタッフはアーティザンです。
弟子として、ずっとゲッソンさんのデザインした器を何個も何個も作っていく。
その中から、いってものを作っている師匠を見て、
自分もアーティストに育てていく。
将来一緒にできる。
働きながら学べるっていうところだよね。
しかもずっと毎日同じものを作っていると、
やっぱり人間って飽きてきちゃうけど、
目指すものが同じ空間で作っているから、
作っている意図、どういうことを考えてやっているかっていうのも、
背中を見て分かる。
言葉にできなくても。
マインドセット。
そういうシステム?
何先生が言うんだか分からない。
すべての職人さんは逆さになりたいというわけではないでしょ。
同じものをいつもきれいにきちんと作るのは、
すごいプライドで充実する人が多いです。
そして、ある人は自分の個性を出して、
何かちょっといろんなことをトライしたりして、
その中に、そういうふうに作家さんになろうと思った人の中に、
何か数パーセントぐらいは成功できるでしょ。
ただ、すべての技術は何百年前から何千年前からの
技法に基づいているんですね。
技法は同じです。
ベースの技術、テクニックというか。
そこはやっぱり現代アーティストと違うなと思った。
アーティストって、自分が発見した技法だったり、
視点とか、あんまり他の人にコピーされたくないと思っているから、
その作り方を教えるというのもすごく勇気がいると思うんだよね。
だから、日本の優れている工芸が、
普通の日本の産業で作られているものが、
どこの国でも真似していることがあるんです。
どこの国で何分一の値段で作ったりしているけど、
日本の工芸はあんまり真似できないでしょ。
まず7年から10年ぐらいの訓練しないとだ。
そんな簡単に真似できない。
そしてすべての作家さんとか工芸師が、
バイメルさんの体験
自分なりの方法で作っているでしょ。
自分で試行錯誤で何年かけて作った、
釉薬のフォーミュラとか、やり方や焼き方とか、
自分で作ったからそんなに簡単に真似できない。
うちの一人のメンバーは家具を作っているんです。
素晴らしい形の家具を作っている平井さん。
徳永さんとかですか?
平井さん。
そして材質を作っていたんですけど、
それを宣伝みたいなネットに出して、自分のホームページに。
すぐ中国で同じものを真似したけれども、
ただ形は何とか似ているけど、全然作りは違うんです。
木をちょっとずつ曲げながら。
それを真似していることは安く売っているという。
本物じゃないです。
本物を真似するのは非常に難しいです。
自分でそのくらい真似するんだったら、
自分で自分の方法を発明すればいいくらい真似するんだったら。
そんなマイメルさんですけど。
今回はちょっと若かりし頃に遡って、
マイメルさんがなぜここまで日本の工芸に
どっぷりというか、今のような活動をされているのかというところをお聞きしていきたいんですけど。
まず、1971年に初めて日本に来られたということですけど、
ご出身の話はなかったですか?
まだ聞いていないですね。
ご出身はどちらに?
実際からロサンゼルスだった。
生まれは東海岸。
生まれは東海岸。
コネティクチンの郊外の町だった。
ニューヨークのちょっと上ですかね。
10歳でLAに引っ越して、それからずっとLAに行ったんです。
別に子供の時から何か日本と関連があった?
全くなかったけど、中学校の時に日本のことについてたくさん本を読んでいたんです。
なんででしょう?
なんでかわからない。
中国と朝鮮半島とか、文化の話とか小説とか、それをかなり読みました。
アジアに興味があった?
どこから来たかわからないけど、
横浜のテルコという本を読んで、戦争終わってすぐの話で、
全て思い出しているんです。
子供の全世界が燃えてしまったままで、
そういう話。
戦争で火の花があってみたいな。
だからその話すごく、一番感動したのは、
美しいものはなかったんです。
全部燃えてしまったけど、
ただどこかの火事によって、
溶けてしまったもので、うまい具合に溶けたというものを見つけて、
そのファミリーでみんなすごく喜んでいた。
何か美しいものを見つけたという。
だから感動しました。
何も不自由なことではない。
アメリカから来て、
もう戦争のことは、
アメリカ人が一番困ったことは、
バターちょっと少ないとか、
ガス費ちょっと高いとか、
ナイロンストッキングは買えないとか、
その程度で、
それと比べて日本はもう全滅でしょ。
そういう話を読んで、びっくりしました。
そうだったんですね。
実際に来日のきっかけになったのは?
23歳の時に仕事を見つけました。
どこでも行けると思っていたけど、
外国に行って仕事をしたいと。
そして日本で英会話学校でYMCAのプログラムに入って、
仙台に派遣されました。
その時点では日本でなくてもどこでもいい?
どこでもいい。
たまたま?
たまたま。
勉強するご専門は心理学か何か?
学習は社会学で、
社会学で何も用意されていなかった。
社会学の学習で何もできない。
社会学だから仕事ができるというわけではなくて、
仕事も全然できない。
大学に行く時に一般のことを勉強すれば
会社に入って教えてくれると言われたけど、
そういうことはなかったんですよ。
だから自分の国の言葉を、会話を人に教えるしかできない。
それならどこでもできるだろう。
でもそれはそんなに簡単じゃないけれども、
それでもやっぱり一つの専門ですけど、
それを何とか仕事につけて。
そして自分の生徒さんたち、仙台に行って、
生徒さんたちは東北大学の経済とか工学とかもすごい、
みんな将来性がある仕事、成功ばかりで、
なんかちょっと恥ずかしかったんですよ。
そうですか。確かにね。
心理学とかすごい難しい。
心理学は後に結婚してから子供ができて、
向こうアメリカで日本人のパートナーと会社を作って、
それから夜間の大学に行きました。
その前に日本に来る前は社会学だけだった。
ですから18年後、アメリカで社会学、
心理学の2年の修士のコースに入った。
夜間と週末で。
ということは今、アメリカに一度帰るっていうプロセスがあるという。
だから日本に4年行って、4年帰って、また日本に数年ぐらい行って、また帰りました。
そして92年にツアー会社を作り始めた。
ちょっとかなり行ったり来たり。
ちなみに一番最初の71年の来日の時は、
どうか外国に行きたいと。
そのぐらいの行動期でユニタなんとなくて日本に来て、
日本に実際に来て住み始めて仕事し始めて、
どんな印象を持たれたんですか。
やっぱり何も工芸がない国から来て、
日本に1971年の仙台に行って、
何でもかんでも手作り。
何でも、目の前にあるもの。
どんなに安い食堂に行っても、皿も素晴らしいし。
漆とか陶器とか。
竹で作られたものとか。
YMCAはアパートを用意してくれたんですよ。
入った日に引き出しあげたら、
もう見たことない。
いろんな面白そうな木で作ったものとか、
竹で作ったものとか、
ブラシとかカッターとか。
生活道具。
生活道具。
ウィスクとか茶せんとか。
茶せんがあったんですね。
そして、別の世界に着いてきた。
あと、壁は紙。
窓は障子。
床は畳。
ベッドは布団。
家具は全部しまっていいし、
テーブル出して、足を出して、
コタツになるし、
いらないんだったら、またしまっていいし。
アメリカの家は大きいから、
日本の家とお風呂の魅力
大きい家ばかりで、
小さな日本の家に来たけど、
それでしまったりとか。
でも、すごく可愛かったですよ。
独身の男としては、ちょっと贅沢だった。
6畳と4畳半。
ベランダとキッチンがあって、
お風呂。
天国だった。
日本のお風呂も素晴らしい。
アメリカのお風呂入れない私。
そうですか?
ほとんど誰もお風呂使ってないから、
だんだん小さくなってるし、
今、最近ちょっと冬そうなレベルの
お風呂が大きくなってるけど、
一般の家とアパートのお風呂も
小さくて、足を集めるか体を集めるか
両方できないです。一度に。
だから日本のお風呂も本当に素晴らしい。
マニメルさん、身長が結構荒れるから。
187cmです。
でも日本のお風呂にちゃんと入れた。
あと、食べ物も50年代、60年代
育てられたから、戦後の食べ物は
アメリカでは自然のものではなく
各種食品がすごい流行ってたんです。
モダンライフとして、缶詰とか
レトロなものとか、インスタンディナーとか
そればかりだったんですよ。
だから日本に来たら
そういうものほとんどなかったんです、その頃。
デニーロのタクシードライバーの映画で
女性が電子レンジのご飯ばっかりで
女性が時間を作り
社会参加していくみたいな
そういう時代背景のアメリカを察するような話を
映画から知るみたいな感じでした。
ですから日本に来たら何でも手作りで
近所の大衆食堂に行けば
その後120円くらいで
素晴らしい定食を食べられたしね。
LAで育って生活してた中でも
例えば食器とかは陶器のものとか使ってたりとか
ありましたけど
メルマックという言葉知ってますか?
メラミン食器みたいなことですか?
プラスチックの?
そうです。それも流行ってたんです。
オレンジ色とか
そういうセットはすごく流行ってたんです。
だから実際に器もどんどんプラスチックになっていく時代だったんですね。
もちろん普通の陶器もあったけど
面白くないでしょ。一セットでみんな同じで
日本に来たらそれぞれさまざまな
皿もラティスみんな違うんですよ。
そういう対照的に美式的に綺麗だったし
それぞれの釜も違うんです。焼きも違うんです。
塗りも違うから
なんか面白かったです。
工芸とツアー会社の設立
最初の4年間の中で結構工芸に関心が向いたってことですか?
はい。だから最初からよく丸善本屋さん
仙台にもいつも工芸の展示会も毎週毎週あって
それあと仙台にもかなりありましたけど
少しずつ色々物を買ったり集めたり
でも結構仙台だったっていうのもあったのかもしれない
その時代の東京とかではなくね
いやそうでもないですよ。東京にも2年くらい行ったんですけど
ありました。もちろん
確かに仙台でも東京でも初期が全部プラスチックってことはないかもしれない
むしろ難しいね。探すのが。そうかもしれないですね
それで90年にツアー会社を設立しようと思うまでのきっかけみたいなのって
やっぱりアメリカに82年から90年までずっと日本に来らずに
日本に戻りたくてしょうがなかった
だからツアー会社作るのは
一般の観光客が東京に行ったら京都に来たら
見てることは私にとってはあまり面白くないと
薄いことばかり見てる
どこか素晴らしいとこに行っても知識が何も分かってない
表面だけ見てる。表面も見てない場合もある
何見てるか分からないけど
それを深く理解させるための専門ツアー会社を作ろうと思った
だから92年に始めて
そして京都ツアーで始まったんですよ
京都11泊、京都だけ
歩きツアーで、いろんな近所を通ったり
主にお庭のツアーで
お庭の名言だけではなく
名言もちろん行きますけど
どういう風に庭を作るかっていうこと
後ろの概念、作り方の概念を理解したら
ツアーはいらなくなるじゃないかと
みんな自分でツールを渡せば
理解するためのツールを渡せば
ガイドはいらなくなるという概念で
そういう風に教えてた
どうしてこういう石がここにあるかと
奥行きがもっと深く見えるように
橋はこういう風に置いたり
そういうことばかりツアーしました
すごい人気があったツアーで
それだけ工芸師の交互に連れて行って
交流して
そしてやっぱりみんな
日本をすごく理解し始めたら
ますます日本に来たくなったし
ツアーの人気と成長
いろんなものを買って帰った
僕が89年の時に小学校6年生だったんですけど
その時の修学旅行がちょうど京都だったんですが
あれの1年後にバイメルさんが
なんかツアー会社立てたかと思ったけど
考え深いですね
しかも小学校の時の修学旅行って
決まったコース連れてかれるじゃん
それこそ何も見てない
全然バイメルさんが行ってる観光客でした
表面すら見ていない
宇治にちょっと回ってね
行動員とか見てやりたい
ちなみにツアー会社を立ち上げるっていう構想は
LAにいる間に準備を進めていたんですか
だから一つのきっかけとして
そういうビジネス作れば
日本にいつでも行けるし
自分が行きたいとこに行ける
とにかく自分がまず日本に戻りたい
ただやっぱり自分が行きたいところ
こんな美しいところもかなり世界中回ってる
どこに行っても美しいところあるけど
やっぱり日本はすごいでしょ
美しいところ
僕らは分かりにくいんですけど
バイメルさんそんな見てないからね
33年度に入ると
あんなにそんな簡単に見つからないでしょ
大量の仏像が
だから仏像のただ見るだけじゃなくて
そういう作りとか
雲形の話とか
その寄生作りとか
漆とか薄のこととか
そして後ろの密教の話をするが
ますます面白くなる
カノンさんは誰ですかと
みんな誰も分かってない
今の誰ラマがカノンさんだと
みんな知らないでしょ
そういう簡単なこと
正直日本人がどのくらい分かってるか
仏教の知識もね
僕らは分かんない
私完全に怪しい
だからその仏像を見て
この人誰ですかと聞いて
誰も分かんない
みんなブーダーブーダーというのは
ブーダーじゃないでしょ
菩薩ですよ
どういう風に菩薩と何が違うか
誰でも誰ラマ聞いたことあるけど
今の誰ラマは16代
16代かな
明の生まれ変わり
この仏像を表してますよ
やっぱりそこまで説明すると
みんななんかもう
人生が変わるんですよ
すごい感動する
あと33年度の建物の作りとか
雰囲気もすごいよね
雰囲気はすごいですね
子供の時に最初に33年度
小学校の時行って
最初に入った時の感覚
怖いっていう
怖いよね
怖いっていうのはすごい大事な感覚
分かります
なんだけども大人になっていったら
怖くはないけど
すごくこう
落ち着くというか
ロシア聖教の教会に入った時も
異婚とかが僕怖かった
でも同じようなことで
異婚のことをよく分かれば
ますます感心する
背景とか
細かい知識を知っていると
楽しみ方が倍増して
それに囲まれていくと
また今度自分で発見できて
教えてもらえるだけじゃなくて
自ら探しに行ったりとかできるから
人生が楽しくなるってことを
ツアーで伝えてたってことですね
ちなみに立ち上げた当初の
お客さんっていうのは
アメリカの方が
アメリカの人ばっかり
日本人向けにもやった方がいいよ
どうやって人見つけたかって
今でもほとんど
最初からこういうツアー
めちゃくちゃ珍しかった
こういうツアー絶対なかった
あと安かったんです
すごく安くして
すぐいっぱいになったんです
それから口コミで
口コミだけでほとんど
生活できた
広告費なしで
当時まだホームページで
立ち上げとかそんな
インターネットの中に
ないもんね
そして10年以内に
10人のスタッフができて
5人のツアーリーダーも
私入れて5人くらいいたし
かなりツアーの数が増えたんです
最初は京都のウォーキングツアーから
全部1人でやったんです
そこから京都以外の都市に
東北ツアーとか
東京金沢とか
名島よく行ったし
どうやっていろんなことの
知識を調べたりするんですか
ミニツアーの準備をするときに
その前に自分が歩いて
興味を持って調べると思うんですけど
あんまり英語とかの資料で
そんなに詳しくないんです
長く日本に住んでたでしょ
その前に
そしてアメリカに行っても
家内は日本人
ビジネスパートナーも日本人も
小さな日本の社会に
いたような感じ
それから勉強し始めた
庭のことは
その頃庭の本は
庭園の本は
名言ばかりで
誰が作ったか
何が有名な意思があるか
ということばかりで
ただ作りのことはあまり書いてなかったから
何十冊くらい読んで
そして全てから
知識を少しずつ集めて
自分の知識を
作り始めた
自分で自分から探すっていう
あんまり
普通に当たり前のように話してるけど
それやる人ってあんまりいなくない?
しかも外国語の文献で
研究者だよね
ただ何が面白いかっていうことは
自分の目から
日本人が毎日見てることは
面白くないと
目立てないことは
自分から出せない
例えば外国人を案内してるんだったら
ただ自分の目から見ると
あれ珍しい、それ珍しいと
すごい感じるでしょ
フレッシュアイだね
これは偏見込みのイメージですけど
日本の工芸とかに
関心がある外国の方って
どちらかというと
ヨーロッパ、特にフランスとか
の方のイメージがあるんですよ
これはアメリカ人っていう
ものすごくイメージが
マスター工芸の魅力
満ちてるんですけど
アメリカの方を集めて
そういうツアーをやって
それが口コミでどんどん大きくなっていく
すでに90年代から起きてたっていうのは
かなり自分のイメージと違ってて
そういう人たちがいたんだなっていうのは
結構驚きなんですけど
やっぱりそのツアーを選ぶ人は
選択する人は
ちょっと特殊な人じゃないですか
野球ばっかりの興味ある人とか
そういう人は多分私のツアーを
最初から選択しなかった
いかに文化ツアーで
ずっと歩きながらということ
そのツアー会社はアメリカだと
どこにオフィスが?
アメリカだ
友達はツアー会社だったけど
友達は旅行車
持ってたから
だからちょっと合併して
彼らもいろんな免許とか
あったから
保険も
一応土台あったから
一緒にやってた
これはカルフォルニアのどっか?
ロサンゼルス
そのツアー会社自体は
今も続けてる?
続けてるけど
6年前に退職した
ご自身は引退されてる
ビジネスはバイメルさんが
スタートした時と同じような形で
ずっとツアーを続けられてるんですか?
はい
今でもいいツアーや
日本ででも参加できないから
ちょっとツアーの名前
リンクを貼っておきましょう
英語になると思うけど
逆に日本人にとっては
自分が知ってる文化を英語で
聞き直して
英語を学べるという
いいメリットが
でもやっぱり
もちろんあると思います
メリットあると思う
ツアーに入るかな?
日本人は
英語の学校に行くより
いいと思うけどね
それは司法さんの感覚
今とにかく
バイメルさんが京都で
お仕事を始めた頃よりも
インバウンドがめちゃめちゃ多いですよね
だから今の京都ってまたちょっと
違う次元に突入した感じがしますけど
その中でもバイメルさんのお仕事は
結構ソリッド
独自の立ち位置でやられてるわけですね
私は本当に今可能性を感じちゃった
ごめん
特に日本の大企業とかで働いてると
いつも難しい、無理ですとか
当たり前でしょとか言われて
すごく自由がないんですよね
会社の中で
だけどもともと自分が持っている
知っていることが
どんなにすでに素晴らしいのかってことを
違う言語で聞くと
新しく自分の中で
新しく価値を見出せると思う
さっきのクラフト工芸っていう言葉に
マスターっていうのがついて
マスター工芸ってなると
急に私なんか
マスター工芸って言葉があるんだっていう
なんかキラキラしたのでその時点で
アーティザンとアートっていうのが
分かれているっていうのも
日本語だとふわっとしてたけど
英語で分けてもらうと
なんか分かりやすいって
それで価値を見てワクワクしたんだよね
ジェダイマスター、ジェダイ
パドワーみたいな
そっと言うの分かんないけどね
アトイが分かんない
バイメージさんに教えてもらってるってこと
いっぱいあると思うんだよね
ジャパンクラフト21で働いてる方だったり
マスターアーティザンの人たちとかは
バイメージさんから
新しいしてもらってることもあると思う
そうですね
日本人だから
分かる分かるとかじゃなくて
自分たちの価値って
自分たちでは分かんないじゃん
ちょっと世界から見て
自分たちのクラフトワークが
世界にどんだけ影響があるなんて
知らないこと
日本でずっといたら
聞いたことがあったとしても
感覚として分からないから
そういう場面さんが伝えてくれると
世界と繋がりないと思ってたけど
本当にあるんだって確信になる
バイメージさんよくやられてるのが
クラフトリーダーたちの仕事場に
海外の支援者をお連れしたりとか
そういうこともやってますよね
その反応を
クラフトの窯の方が
外から来た人たちが
言葉を分からなくても
感動してるなって
表情とか態度で伝わるじゃん
そうするとすごく自分の
日本語で何だろう
誇りというかプライド
誇りを取り戻すこともできるし
外に認められたってことだけじゃなくて
日本人もそのツアーに行くと
その状況が見れる
だから違う視点を与えられるから
私やっぱりしつこく言うけど
日本人がこのツアー参加するっていうのは
すごく意味があると思って
誇りまでいけると一番いいんですけど
ユニークネスに気づくっていうのは
それはすごい大事ですよね
それが自分が一人一人みんな
実はユニークだってことを
結構日本人が
あんまり分かってないってこと
そうなんですよ
分かってないんですよね
僕も分かってないんです
だから私たちにとっては
外国人にとっては
日本の職人さん
マスター職人さん
マスターアーテザン
マスターアーテザン
本当にかっこいいです
すごくかっこいい
すごいです
すごい尊敬できる人ばっかりで
レベルが高い
大工さんも
日本の大工さんも本当にかっこいいです
ただ職人さんなんかちょっと
こんな感じで
大したことない
私なんかっていう感じ
だから
どこの国から来ても
みんな感動してるのに
日本人だけが気がつかない
ってことがすごい中で
矛盾です
伝統工芸の危機感
たぶんビシバシ上から鍛えられて
お前まだまだだなみたいな
言われてる職人さんたちが
自分もまだまだだなっていう
心情も分かるというか
日本人っぽいっていうか
まだまだだから
ずっと言ってて
まだまだっていう気持ちが残るけど
いつかはやってやるぜっていう
気持ちは絶対続ける上で必要じゃん
ただそういうことはないと
ダメですね
やっぱり日本人のカラクターに
既に染み込んでるから
無理して言われることではなく
そのままでいいです
私は威張ることを
ちょっと代わりにやります
すごいでしょみたいな
だからすごいチャーミングでしょ
本人は素直で
自分のタレントで
自分の技法で見せられるけど
口で言わないってこと
あれは本当に美しいことですね
しょうがないでしょ
日本人はそういう
しょうがないというよりも
ある一つの暮らしじゃないですか
ただこの世界では
誰かスポックスモンがいらないと
屋根の上で大きな声で
宣伝しないとダメです
小さい仲間うちでやってたら
そのうち売れなくなっちゃうしね
生活していかなきゃいけないし
技法だって残っていかないし
若手の人たちとつないでいけないもんね
ちっちゃな声だけで
この辺のお話が前回主に聞いた
ジャパンクラフト21を立ち上げるっていう
その後のバイデンさんの動きに
つながっていくのかなと思うんですけど
ガイドツアーをやりながら
危機感みたいなものは
いつ頃からあったんですか
ガイドツアー
日本の工芸がこのまま
このままじゃヤバいなっていう
危機の時期
やっぱり少しずつ
どこにいても
同じこと聞いてたんです
昔の何か絞りのデザインがないですか
その人はやめたんです
その糸はもう誰も作ってない
このハケも
いいハケも買えなくなったとか
その話いつも聞いてたんですよ
だんだんだんだん聞いて
それをやめたとか
あれがやめたとか
その話もいっぱい聞いて
やっぱりヤバいなと思って
危ないなと思ってたんです
だからもう90
2000年頃は特に感じ始めたんです
2000年頃ってもう25年経ってるけど
それからますます
あと年になって
後月がないからやめるとか
そういう話が出しにいないし
転がってますからね
そういう話ばっかりですから
それ一回やめちゃったらさ
伝統工芸認定されなくなるじゃん
誰もやってない
ついてないからさ
だから保存会はちょこちょこやってることやってるけど
保存会は
なくならないということはいいんですけど
将来のためにそんなに動かないでしょ
今は何とかって感じ
若い人育てないし
そういう意味でジャパンクラフトってアイディア
残していくための仕組み作りとか
アイディアをサポートして
さらにそこから広がっていくってことを
考えて勝利している
マスター職人の価値
伝統工芸再生って名前がついてるんで
再生コンテストっていう
ジャパンクラフト21の根幹になる取り組みになっていく
予想するんじゃなくて
新しく生まれ変わる
変わることじゃないけど
ただ現状を維持するんじゃなくて
続け方を考えるアイディアみたいなことを
つなげるためのアイディア
例えば男女鍛冶屋さんが
宇治でオリンゴを作ってるでしょ
だからオリンゴは
仏教はもう一つの話題として
仏教の今のいろんな状態ですけど
オリンゴとかあれ買えなくなってるでしょ
一般の家で
でも家で買うことないだろうな
ただオリンゴは仏教だけではなく
いろんな面で使えるし世界中で
ですから男女さんの
金剛の特別な金剛
銅と鈴
合金ですからね
合金合金
特に固いものを作れるから
その音は
ハードは
幅が狭く聞こえる
普通はアーンアーンアーンという音ですが
彼の方はムーンという
もっとはっきりして
あと響きはものすごく長いです
今オリンゴが
え?
あ、付いてる付いてる
バイオさんの
ここに置きますか
いいですよ
だから
そういう長く響くというのは
瞑想にはいいし
ヨガにはいいし
だからその世界で売るようになっているので
ちょっと話しました
どこまで戻ってきたらいいか
マスター工芸の魅力
めちゃめちゃ伸びる
倍音がない
まだ伸びてますね
まだ伸びてる
まだ
伸びますね
伸びますね
なんかあの
音声メディア的には
放送事故か
何が起こってる
うち仏壇もないし
妻と二人暮らしなんで
オリンゴ買うことはないかなと
言いながら
なんじょうさんのところのリンネ
持ってるんですけど
私も持ってる
リンネを
ガレージバンドで毎回
ソフトで録音してるんですけど
これリンネの音を録音すると
波形がね
すごいんですよ
伸びと
弱まらなさ
サスティンが長い
ソフトウェアの
鐘の音みたいなのがあったりするんですけど
それと並べたりしたら
全然勝っちゃう
しかもちょっとあれですよね
ジャパンクラフトの展示でやってた
なんじょうさんの展示って
レコードで回すやつと
それでカチって
偶然性をちょっと入れた
あれもすごく面白い試みでした
電池の音よりずっと感じるでしょ
ずっと感じる
今なんか感じましたか
少し落ち着きましたでしょ
そうですね
一回だけでしょ
ミーティングの中で
2、3回くらい流したら
多分その身の落ち着く
だからもっと集中することができる
やっぱりすごい力
ちょっとした座禅
そうですよ
思考面はあるでしょ
ぐるぐるいつも止まらないでしょ
思考がもう
一回30秒、1分くらい聴くと
ちょっと軽くなるし
今のお話は
物具として売ってきた
そのままの姿で
使う場所さえ変えれば
世界中の誰でも
これによってリラックスしたりとか
従用があって
販路があってということですよね
日本ではこのお輪の形で
売るのは少し難しいでしょ
土石で物壇のイメージがついてますからね
でもお輪の形で作ると
同じ効果で
自分の偏見を突破できる
私は気分転換を使っている
疲れた時とかに
特にデスクワークをしている時に
イライラしてくるじゃない
その時ピーンって
コーヒー飲むよりいいよ
エスプレッソショットみたいな感じで
その通りです
しかも周りにもリラックスが
そうだね
多分なんか
アルファになるでしょ
ファーハになる
ですから南條さんは
クスノキさん
京タンゴで
何代目の白生地のおりやさん
でも今ご存知のように
白生地売れなくなったでしょ
30年前に
京タンゴと長浜を合わせたら
100万本のタンゴを作っていたけど
去年は18万
92%ぐらい下がった
30年の間
ですから
彼の概念はやっぱり
おりの素晴らしさを
確認するということ
だから彼は昭和時代の
能律的な旗を全部捨てて
木の木製の旗に戻りました
そして今手織りしているんです
そしてちょっと冬のレベルの
ネクタイとかシャツとか
ベストとか靴とか
それ作っているんです
レザーもね
レザーを薄く切って
旗で織っているんです
ですから手織りは柔らかいでした
その概念を遂行するために
クラフトビデオになりました
チリメンキの織物だったけれども
今デザーティキスタイルブランド
クスカファブリックというのを作られて
木製の食器で手織りするという
僕クスカさんのオーバー見学を
行ってみました
本当ですかね
手織りの
ご自身はねめちゃくちゃダンディーな
かっこいい人ですけどね
東京よりもお店があるんです
その生地のふっくら感
陰影
優しい風合いを際立たせるというのは
レザーに行き着いた理由は聞きたい
ちょっと今クラフトリーダーの
お名前とか作品の話が出てきたので
クスカさんのネクタイ
どんどん出てくる
お家だと思えない
手織り技術の発展
ギャラリーのような
立体的な
すごいでしょその織り
目がすごい
なんて工芸です
今まであまりネクタイの感じに
持てなかった
もちろんネクタイ何本も持てるけど
そのネクタイ買って始めて
すごいネクタイなんか工芸品だという
感じました
ネクタイもする人減ってきてるからね
スーツでお仕事しない人も増えたし
だからちょっとから特別な一本だけ
持ってるとか
だからもう雑なものを持つよりも
いいものはちょっとだけ持った方が
ファーストファッションのネクタイとかじゃなくて
一本だけいいの持ってる
本物
あと
本当に柔らかいね
首に巻くからフワッとしてるっていう
つけてても気持ちいいもんね
ちょっと今のジャパンクラフトリーダー
プラットリーダーの話になってきたので
ちょっとここでエピソードを切って
もう一度ジャパンクラフト21での
ご活動の話に戻りながら
最後のエピソード
お話を聞いていきたいと思いますので
よろしくお願いします
今週もありがとうございます
また来週も火曜日に配信しますので
Spotifyなどでフォローして聞いてください
我々の絡み方は
絡み方は
ハッシュタグCONCRAで
SNSでよろしくどうぞ
終わります
では皆さんへのご質問
ジャパンクラフト21に関する質問とか
全然ホームページは
ホームページに
概要欄に貼っとくけど
あと今ちょっと
いろいろ物見ながら話してるんで
なんじょうさんのリンネとか
福塚さんのネクタイとか
その辺はリンクで貼っておきますので
そちらをご覧いただけると
早速ください
ではまた来週
55:05

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