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2025-01-07 55:40

S4 ep27 果たせぬ前提共有 ( ´ㅁ` ; ) 或る絵付け訓練生の語り -第0話-

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新年最初の配信から混迷を極めるCra出しRADIO。果たして55分の間に本題まで辿り着けるのか!? 昨年から京都市産業技術研究所で陶磁器の絵付けを学んでいる海からの報告回、のはずが…? 【今回の話題の関連リンク】 京都市産業技術研究所 https://tc-kyoto.or.jp 村上隆二(過去アーティスト)世界の村上隆に影武者?ふたご?!【ロバート秋山のクリエイターズ・ファイル#101】 https://www.youtube.com/watch?v=9UntaZI6eK0


金澤 韻 | Kodama Kanazawa - ドクメンタ・トーク | documenta Talk - 2023.09.02 https://youtu.be/R20ulCglOE0?si=3nnIdL_MtKuHTi1j 【番組の感想・質問・リクエストなどはこちらから】 ⁠⁠Cra出しRADIO おたよりフォーム⁠⁠ #concra でも感想お待ちしています! 【ConCra Information】 ConCra公式サイト ⁠⁠⁠⁠https://concra.jp⁠⁠⁠⁠ 誰でも参加できる実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ)⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠https://basic.motion-gallery.net/community/concra/ ⁠パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

このエピソードでは、ConCRAのメンバーが新年の挨拶を交わしながら、工芸とデジタルの関係について考察しています。特に、えつけに関する技術やその背景について詳しく語り、アートと工芸の交差点に立つ自らの立ち位置を模索しています。また、アートの概念や工芸の役割が時代と共に変化していることについても語られています。特に、現代アートにおけるコンセプトの重要性や、技術的な技巧がアート評価に与える影響について考察されています。 さらに、現代美術と工芸の境目が曖昧になり、日本のアート市場における独自性が探求されています。村上隆の作品を通じて、アートと工芸の関係性や海外市場での受け取られ方についても語られています。最後に、海さんが京都で陶器の絵付けを学ぶ様子が紹介され、技術やプロセスに対する理解の難しさが語られています。また、金澤小玉さんのアートに関する研究やドクメンタについても触れられています。

新年の挨拶と意気込み
CRA出しRADIOは、様々な手法で物を生まれ変わらせるコレクティブ、ConCRAのメンバーが、工芸を軸に物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAのUmiです。
Shihoです。
Iwataです。
はい、明けましておめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
リアルに、Umiさんに言ってなかった?
うん。
いや、今日リアルでお会いできてないですからね。
いや、リアル違う。収録始める前の、このオンラインの通話繋いだ時に言ってなかった。
ああ、そっかそっかそっか。
あのー、そうですね、テクニカルななんかあれこれで、なんかだいたい暴殺されちゃいますから。
私が第一国。
はい、お願いします。
まあ、そんなとこから新年始まってますけど。
はい。
でも、新年の配信をちゃんと新年に撮れてるのはいいですね。
ああ、そうですね。
フェイクを明けましておめでとうじゃなくて。
うん。
もう紅白の結果を知ってるっていう状況で撮ってます。
はい。
で、あのー、紅白の、なんだっけ、終わりの方に、あのー、告知がありましたね。
ジャパンミュージックアワードの。
ああ、告知してましたね。
ちょっと、我々もちょっとあの手厳しめに言ってしまってたのかっていう収録を振り返ると思いますけども、はい。
まあまあ今年ね、なんか表彰があるということなんで、どんな感じなのか。
そうですね、いい展開があるといいですね。
まあそんな感じで、あのー、新年一発目ですけども。
私と岩田さんが京都。
はい。
で、私が、えー、そうですね。
3月1日名古屋にいたんですけど、戻ってまいりまして、東京におります。
はい。
で、今日は何の話をしましょうかっていうところなんですけど。
えつけの技法と背景
緊張してる。
自分の話になると。
いやー、なんか。
緊張具合がごめん、さっきからちょっと面白すぎて、笑うの我慢してただけ。
そうですよね。だって基本的には、その自分もそうですけど、需要がなんかないもんだと思ってるんで。
あの、なんだろう。ないなりになんか下手うっちゃいかっていうような緊張ですよね。
あと、基本的に自分の話するの苦手っていう。
いやでもなんかその、自分の話需要ないだろうっていう感覚はすごい、まあ僕もありますけど。
基本的にはなんだろうな、自分の話ではあるけど、それだけじゃないじゃないですか。話してると必ず。
まあそうですね。
なんであんまりそんな風に考えなくていいんじゃないでしょうかっていう。
自分の話で需要あるって思ってる人の方が少ないんじゃん。
そうそうそう。
そうですよね。
基本的に。
だから年末になんか弟とちょっと忘年会で喋ってたんですけど、
くるだしラジオは本当になんかこう、なんだろうな。
まあ本人は褒めてるつもりで言ってると思うんですけど、マージナルで面白い人にずっと話聞いてるよねってすごく思ってて。
まあ要は際際に際立ってる人によくそんなの見つけて順々にお話聞いてるなっていう。
一応なんか褒めてるつもりで言ってるので。
褒めてるよ。俺は褒めてます。
はい?
褒めてる。
めっちゃ褒めじゃないですか。
マージナルはいいですよ。
でも大話をお伺いしてる中では返協とか周辺にいると思ってない人もいるかもしれないじゃないですか。
ご自身で?
まあそのど真ん中のつもりで旗から見ると隅っこの方っていう。
真ん中も隅っこもあんまり意識してない方も全然普通に。
まあどっちかっていうとそうですよね。
そうおられると思ってて。
今隅っこ暮らしが頭に出てきちゃった。
そうですね。もう日本の文化って隅っこ暮らしとちい川で全部説明つくんじゃないかって最近思うぐらいなんですけど。
なんか世界最小最軽量隅っこみたいな。
そんなんで今日も話していきたいと思うんですけど。
今日話す内容は当時期のえつけを僕がやってるあるいはやり中ですっていう話をしようと思ってます。
えつけってどういうものかなっていう話もあるんですけど。
なんでそこに至ったのかっていう話もしようと思ってます。
えつけは基本的には後でちゃんと説明するんですけど。
アートとの関係性
下えつけとか上えつけっていうのがあって。
下えつけは一回その釉薬をつける前に素焼きって800度ぐらいで磁器とかを焼いたりとかするんですけど。
そこに絵の具の作用をするものを塗って透明の釉薬をかけて本焼きするっていうものがざっくり言うと下えつけで。
上えはもうすでに焼き上がってるものに対して澱粉を塗ってさらにえつけの絵の具のような釉薬を塗ってもう一回焼き直すっていうのが上えつけなんですけど。
まずなんでそこに至ったのかっていう話ですよね。
新しいリスナーさんもおられるかなと思ってまた僕がそもそも何をやってる人なのかっていうことなんですけど。
ずっと一人でしちゃうかもしれない。
司会権独り語りみたいになってきてる。
うみさんが自分語りを結構意識的に避けてるせいで、うみさんが何者なのかよくわからないっていうのは結構あるかもしれない。
あるかもしれないです。
一旦まず自分の何者なのかっていうか基本何やってるかの話からしたほうがいいかなって思いましたけど。
ちょっと新年なんで改めてね。
千恵うみさんはどうか。
千恵うみさんは大学で金属工芸の歴史と技術を勉強したことがあって、卒業後もしばらくちょっとやってたんですけど。
どっちかっていうとデジタルの仕事をしてここまで来たんですが、ある時にふと思うところがあって。
工芸とデジタルをそもそもが人間と技術の関係って何なのかって言ってまたコジラス法アイデアが浮かんできたので、
いろんな人に話を聞いて工芸って何だろうなっていうのを考えてるちょっとめんどくさい人っていうことなんですよね。
ちょっとそういう話もわかりにくいんで。
自己紹介の仕方面白い。
深原翔さんとHAEっていうアートグループをやってて、その中で作ってる作品の中で、
僕は工芸作品とは思ってないんですけど、工芸って何なんだろうっていうのをテーマにした作品であったり、
器にNFCチップを埋め込んだりとか、工芸技法でオートバイのパーツを作ったり、
たどるとあるんですけど、倉田氏ラジオでも昔の話とかで。
そういうのを作りながら工芸ってどういうことなんだろうなっていうのを考える材料を作品でやったりもしています。
ただ作品としてはどっちかというと、大きな括りで言うと現代美術の扱われ方をしてるんじゃないかなっていう気がしていますけど、
その辺は深原さんどうなんでしょう?
気がしてますけどって。
そういうのも結構自分ではわかんないんですよ。
僕最近面白いと思ったのは、ロバート・アキヤマの村上隆のコラボ企画のYouTube見てて、
現代アーティスト。
そっくりにちょっと中年、初期高齢者向けの体型をしたロバートが完全にビジュアルを村上隆に寄せて、
弟っていう手なのかな?
言ってて、彼は架空のキャラクター、皆さんご存知のひょうい芸みたいなやつですけど、
ロバートが演じるアーティストは現代アーティストに対して過去アーティストって言ったんですよね。
それ僕面白いなと思ったんですよ。
そうやって言うことによって現代アーティストって何なのかっていうのを対照的にみんなに考えてもらいやすいような感じで。
それはでも普通のコメディなんで。
でもちょっといろいろと思うところがあるなと思いながら、
美術関係者のSNSとかでも割りかしロバートの過去アーティストのYouTuberがさらっと話題になったりしてるのも見かけたんですけど、
たぶん僕らはもう現代美術なのかなと思ったりしてます。
とはいえ工芸のことを勉強したことがあって、
どこに立ってるのかが自分ではわからないっていうのは工芸の立ち位置がわからないからっていうのに関係していると僕ずっと思ってたので、
ずっとそういう単体で見たらわからないから工芸の周辺との比較で何か状況を浮かび上がらせようというような個人的なモチベーションがあって、
いろんな人に話を聞くっていう、岩田さんと出会って倉田市ラジオっていうことを始めたりとかして、コンクラっていうコンセプトを練っての上なんですけど、
そういうのが自分の個人的なテーマにもフィールドワークになっているっていう状況がまずありますっていう。
なんかすっごい説明的になってません?
大丈夫。
うるって言うとかぶすなって怒られるから黙って聞いて。
すいませんね。
すべて静かに聞いてしまう。
そうですね。工芸にもかたしつっこんでるつもりなんだけど、いろんな人に話を倉田市ラジオとして聞いてる上で、
シーズン3の終わりぐらいですかね、ほとほと僕は結局、いわゆるアートっていう分野の人の思考回路なんだなっていうことを、
すごい強く思ったというか、いろんな人がいろんな考え方をしていて、しかもどれも僕とはだいぶ違う感覚だぞっていうのがあって、
別に違うことをどう違うのかを知ろうとしてたから、それは僕の目的にはあってるんですけど、
僕はどっちかっていうと、工芸を勉強してるけど相当アートによってる人なんだろうなっていう自覚を、
倉田市ラジオももう100回以上続けていく中で思ってるっていう、ここ最近の自己認識がありますよっていう。
私と逆な感じがする。
私、現代美術家って自分で言うことに違和感が、
ここ1年ぐらいずっと持ってるから、アート辞めるって宣言。
去年、あれもう一昨年か。
去年か、したよね。
そういう話はちょいちょいしてますよね。
あんまり現代美術っていう市場に乗るような作品を作り続ける気は全く昔から到底ないから、
だからあんまりアートフェアとかで作品を売るとかいうための積極的な活動はしてないし、
だけど社会活動だとは思っては、社会活動っていうか、一社会人、一社会のメンバーとしての活動。
だから誰かのためにっていう社会活動じゃなくて、社会の一員として活動することで、
周りも社会の一員なんで、みんなもこうやってポッドキャストやったり音楽やったりとかするじゃん。
じゃあ、二人の展示とか、何かしら1年の中で何回かやったりされてるじゃないですか。
ああいうのは、今の潮さんの言葉で言うと社会活動として、
アートの市場みたいなところとは全く違うところで活動してる。
売らないから。
売るって言うこともない。
一応すら値段はついてはいる。
つけてないし、ただ買いたいっていう人いるんですよ。そしたら売るみたいな感じ。
買うっていうのは、作品同士交換したこともある。
相手がパフォーマンスで返してくれる。
わらび餅をもらったりとか、めちゃくちゃおいしいわらび餅を作れる子に頼まれて、
作品作って、わらび餅長者を入れて、そういうYouTubeチャンネルで作品パフォーマンスし合って交換するとか、
そういうのはやるんだけど。
僕もさっき全く違うって潮さん言ってたんですけど、基本的には僕も一緒ですね。
立ち位置がわかんないっていうのは、自分がどう名乗りたいかっていうよりは、
いろんなカオティックな状況の中で、ただ考えを整理するためにやってるだけなので、
比較の問題で相当、アートって呼ばれてるものの思考回路なんだなっていう自己認識であると同時に、
別に自分は、だからといって自分がアーティストだっていう自覚はものすごく希薄ですね。
全然まだ今日の主題じゃないんですけど、
何となくわかったのが、僕逆にアートの業界のこともわかんないし、歴史のこともあまり詳しくないながらで、
ずっと二人と一緒に喋ってて、何となく前よりは理解ができてきたかなって思ってる中で言うと、
アートの市場みたいなこともよくわかってないわけですよ。
でも、村上隆とか成功してるなみたいなことはぼんやりわかるみたいな。
でも、アート作品みたいなの作ってたらアーティストなんじゃないのっていう認識ではいたけど、
結構業界みたいなものがあるから、そこで商品としてのアート作品がそこの市場の中で出回ってなかったらアーティストではないみたいな
認識みたいなものがちょっとあったりするわけですか?共通認識として。
でも、それも一側面あると思うんですよね。そういうのも。
アートの歴史と変遷
ちょっと今、工芸の話につなげるために重要なことを言及していただいたのであれなんですけど、
すごく狭い意味でアートって言うと、
アートっていう概念はここ100年か200年で、
すごいヨーロッパのアートサロン的なところとか非評価筋とかが
積み上げていってた理論体系に依存せざるを得ないという状況がありますという前提を、
分かってそうで分かってない人も多いかなと思っていて、あえてちょっと強調しておくんですけど、
分かりやすく言うと、昔宮廷とかの人とか宗教画とか描いてた絵とかが、
産業革命とか、主権が国民に移ってきたことによって、
まずテーマが民衆のものになったり、民衆からさらに個人のものになったり、
個人のものがさらには意味自体が剥奪していったりとか、
倉田シェラジオムでもベンヤミと複製技術の話をしましたけど、
複製の技術がまた発達することによって、
絵画の抽象度がさらに上がってくるとか、そういう状況が発生したりとかして、
簡単に言うと、一つの分岐点がデュシャンとかだと思うんですけど、
工業製品の便器の角度を変えておいて、これはアート作品だというような状況で、
基本的には意味がそもそも剥奪されているという状況。
それだけ見ても何で作品なのかが分からない。
文脈を知らないとよく分からないというところに到達していると思うんですよ。
20世紀の初頭に。
そこからさらに、間すごくいろいろあるんだけど端折りますけど、
80年代とか70年代後半に、
ショーさんの方がたぶんいろいろ本を読んでいると思うんですけど、
ボイスっていうデューステルドルフの人がいて、
社会彫刻ってまた新しい、活動自体があの作品みたいな、すごいショートに言うと話が出てきて、
またさらにアートの概念が変わってきたというようなところがあって、
簡単に言うと、これ今日の話で重要じゃないのではしょるんですけど、
コンセプトとかそういうものがものすごく大事になってきて、
イギリスのアーティストとかで顕著なんですけど、
コンセプトさえカッチリしていれば、
例えば絵を描くだろうが立体を作るだろうが、
発注して誰がやってもいいみたいな、
そういう状況が極端に言うとあったりします。
それのちょっと逆転して、
ホックニーとかのイギリスの画家ですけど、
AIとかそういうことで英語を簡単に描けるような時代を反映してか、
今はキャプションで、これは手で最初から最後まで描いたものですっていう風に、
一部反動が起こっているような現象もあるようなんですけど、
基本的にはもう自分が描かなくてもいいという、
コンセプトが一番大事、市場主義というような状況があって、
さらにそのコンセプト重視の作品というのに、
世の中がすごい疲れているというか、
作品そのものを見てもよく分からなくて、
展覧会に行ってキャプションとかコンセプトシートを見て、
ああって何となく分かった気になろうとするみたいな状況も、
その干渉者としても多分ある程度疲弊している部分もあるような気がしてて、
そういう部分で今アートマーケットで格強を呈していて、
日本ですごく可能性を国内外の人が見出されているのが、
工芸の技巧というところに対するアート性の担保ってやつなんですよね。
ちょっと分かりにくいですよね。
アート性の担保っていうのがよく分からないですね。
そうですね。
技巧がすごいとやっぱりこれってアートなんじゃないかっていう、
これってすごいって普通に誰しも思えるよねっていう。
要は何だろうな。
もう便器でも作品になります。絵は描けなくてもいいです。
なんならAIが描けます。
そういうことがあって、
これって人がここまでやれるのってすごいよねっていう反動が
今時代的に来てると思うんですよね。
なんかすごく一頃の抽象絵画とかっていうよりは描写的なものとかが
すごくアートマーケットで受けがよかったりとかするんですよね。
描写的?
描写的です。
写実的?
写実的なものとか。
デッサン力とかをベースにしたものとかの受けがよかったりとかしてて、
それがある種のコンセプト疲れの反動なんじゃないかなと思っていて。
日本の工芸的なこととかものが
そういう文脈とかアートマーケットに乗っかりやすいから
アートとしての工芸っていうのを
輸出するっていう動きがすごく活発になりつつあるだろうなっていうような
状況を今すごい感じてはいます。
それはなんとなくね、僕目線ですごくバイアスがかかってる自覚を持って言うんですけど
すごいバイアスだなって聞いてる。
そうなんですね。僕はその辺のバイアスわかんない。正直わかんないですけど。
コンセプト疲れっていうのは
それは人によるんじゃないかなと思うし
トレンドとして今コンセプト
技術と評価の関係
コンセプチュアルアートっていうのがあるんですよ。
本当にコンセプトですって言ってる名前で。
そういうのが主流じゃないよっていうのはわかる。実際そうだし。
だけど例えばそのネットとかインスタグラムに
手で書いてます?手で書いてません?みたいなのがすごいバズるじゃないですか。
これ実は鉛筆で全部書きましたとか。
そういうこと言いたいなと思うんだけど
ただそれは超絶に上手いっていうのはアート市場ではまだやっぱり強みにはならない。
もう一個言うのが
批評家とギャラリストの分断っていうことを話さないといけなくて
コンセプチュアルアートってコンセプトがアートだから
理解ができないんですよね。あれはしにくいんですよ。
できる?全然。
全然できるんだけど
例えば
ショウさんお金があったらモナリザ買いますか?みたいな話なんですよね。
モナリザ売ってないです。
まあまあ僕それを言っていて
教科書に載っていたりとかその売り替えされないものの作品で
ただみんながそれを知っていてそれにまつわる言説とかを聞くだけで
そのままある作品ってやっぱりあるわけですよね。
むしろ逆で売ることが目的の作品ってすごくあるわけですよ。
それはアートバーゼルとかでもちょっと大きめのマーケットで
スイスとかでやってるマーケットとかは基本的には値段をつけたりとかするものですよね。
すごく言われているのがギャラリストと批評家の扱うアートっていうのがどんどん分離してしまっている。
売り替えできなくてもみんながその作品を知っていて
その作品についてあれこれ批評を聞いたり自分で何か考えたりすることに対する価値と
所有したいっていう
あんまり別に批評家の批評はいらんけどとにかくそれを所有したいとか
そういうものの欲求っていうのが完全にはないですけど
かなり分化してるっていうことがちょっと言いたい。
ギャラリストとかはわりかし描写的技巧的なものっていうのが
その反動的にある種のアートマーケットの一定の需要っていうのをすごく見込んでいて
僕が日本の美大とかだった頃よりは
そういった意味での日本の学生の青たがりっていうのは
もうここ落ち着いたと思うんですけど
すごくえぐいぐらいちょっと見られたっていうのが
5年ぐらい前とかは
そんな状況はたぶん
ある種世界的に珍しいデッサンで入学するっていう
日本人の学生のアートマーケットでの可能性を買ってると思うんですよね
っていう状況を踏まえております
今ってそんな状況なんだろう
アウトバブルがちょっと弾きつつあって
一旬したんじゃないですか
アウトバブルっていうか
日本人学生青たがりみたいな
それ上手いからじゃないんですよ
私の知ってる理由としては
そうなんですね
安いからはっきり言うと
なんか怖い話
それはめちゃめちゃわかるんですけど
安いってのは仕入れが安いのであって
技術があればもっと高く売れるので
リザやが大きいっていう
僕はそういう理解ですね
だから一定の作品の値段がついちゃってる人は
下げられないっていう問題が
売る側にはもちろんあるでしょ
だから青たがりの理由は安いからっていうのが
やっぱりどうしてもついてきちゃう
もちろん才能を認めてって人もいるから
全員が安いからって言ってるわけじゃないんだけど
ただじゃあなんでアジアの中でも
他にもヨーロッパにもいっぱい若いアーティストがいるのにも関わらず
5年前ぐらいとかに一時日本のアーティストが
若手の卒業展とかで作品があって買われたかっていうと
手に入れられる今の値段
だからここから手垢がついちゃうと値段上がるから
その前に安いし買っとこうと
手垢がついたらどうなるんだっていうのが私の疑問
その後どうなったんだろうっていう
嫌っておっしゃったんですけど
同じこと言ってると思いますけどね
安いってのは売り方がイメージついてるわけですよね
ギャラリストにとって
その文脈ってどうやって売っていくのかっていうのは
技巧的なものっていうところが一定の需要があると思ってるわけですよ
アートマーケットとかって
例えば小美術とか中国の
それこそ後で話そうと思ったんですけど
すごく技巧的な装飾とか
そういうもののブースの隣に現代アートのブースとかがあったりするので
境目がないんですよね
骨董的な作りの良さとかそういうもので売ってるところと
ちょっと松尾さんの意見に付き合ってるのもすごくいいんですけど
話を進めながらちょっと意見を伺う感じにしてってもいいですかね
ちょっと自分も
私の意見で
多分これ2エピソードに渡る感じになる気がしてきた
僕はそれでも全然大丈夫です
そうですね
だからそういうアート的な目線で
今のアートシーンと工芸の状況を見てきた
海さんが絵付けやってるっていう最初の話に
たどり着くところに進まないといけないですね
そろそろね
最後にこれ言っていい
まずアートマーケットをあなたは日本しかちゃんと見てないねってやっぱり思いました
中国とかのアート
バーゼルとか私たち行ったことないけど
技術的にすごい中国のアーティストってめちゃくちゃいっぱいいるし
人数で言ったらはるかに中国の方が多い可能性が人口的にもある
大勢の数だって日本よりはるかに多いし
日本に来て中国人の留学生の作品はやっぱり技術力がすごい高い
それは日本のデッサンの入学を超えたからだけではない
何かちゃんとベースにあるものを持った子たちが
留学してきてるって可能性も非常に高いし
すごい超絶技巧な現代美術の作品の横に工芸が置いてある
これも日本の状況だけであって
例えば香港アートバーゼルはどういう状況かって
見てからそれって日本特有だよねって言った方がいいんじゃないかって
この前やっぱ中国行ってすごい
中国の現代っていう場所じゃないけど
北京とか行ってないけどちょっと端っこ見たから
思ってた中国と今の中国の現代って全然違ったのに衝撃を受けたので
なぜアートが中国で売れるんだろうっていうことがちょっと考えて帰ってきた
なので逆に言うと安いからっていうのは
それはもうただ縁のせいだと思ってほしいし
生活費も安い日本だから
アートマーケットの現況
価値的に低いっていう意味ではなくて
ただ単に資本主義でちょっと弱小になってきてるよねっていうだけであって
世界のアートマーケットで言うと1パーしかない
日本のアートシーンっていう金額
日本で売り替えされている作品のお値段
だと世界で言うとたった1パーで
今中国って2位か1位を競ってる
ここ比べちゃうともう全然話がなんか違うんだけど
そういう意味ではすごい日本って工芸作品も
現代アートのところのブースに置くっていうのはすごい面白い現象だけど
ちゃんと他のところも見ようよっていうのはある?
結構話してもらって申し訳ない
アートと工芸の境界
結構全然違うことをしゃべってて
最後に言うって
最後にっていうか繋がってないですよ
僕が話したこととジョーさんの話が申し訳ないですけど
パーセンテージとかシェアの話も別にしてないし
日本がどういうふうに見られるかの話をしているから
あんまり割合は関係ないんですよね
なんなら工芸って言葉が海外に翻訳しにくいってことは
ひたすら倉田社長でも何回も話してきたんですけど
もはや輸出する必要もなくて
そのありようとして
例えば現代美術であろうが
いわゆる現代的な工芸作品であろうが
その境目はむしろあんまり海外の人は持ってないんですよ
目線としては
この人は工芸作家であるとか
この人は絵画の作品であるかっていうところの説明って
むしろいらなくて
ギャラリストとは違う文脈で話をしているわけですよ
それっていうのは
この間一番わかりやすいところでいうと
村上隆とかの作品はみんなが知っているから
わかりやすいと思うんですけど
彼はその両方を持っているわけですよ
コンセプトっていうのはもちろん
彼は意識的に
西側の中心に固めてきたアートマーケットと
その文脈っていうのを乗っかりながら
彼は日本画の博士課程を修了している人なので
東京芸大の
日本画の技法であるとか
あとは図版の構図の作り方であったりとか
あとは本当に細かい金箔とか博の使い方とか
そういったところのオリジナリティをミックスすることで
オリジナリティを金額の裏付けとして
主張できるわけですよね
日本画ってすごい面白いのは
幾分工芸的要素を含んだ絵画技法なので
そこを意識的にやっているんですけど
多分村上隆の作品の
ある種の受け取られ方としては
エスニシティとかではなくて
彼のありようを価値に反映されていると思っているので
塩さんが言っていることは
割合とかどう見られるかというよりは
という話ではないんですよね
僕が知っているのは
工芸的なものであるとかコンセプト的なものであるというのを
あまり海外の受け取り手は
そこをあまり切り分けてみないという話をしています
それはデザインの話ではあるんですけど
三田地さんのミラノサロネとかのレポートとかも言ったんですけど
クラフトはアートの一部なので
工芸をわざわざ説明するというニュアンスの共有は難しいけど
むしろそういうこととは違うコミュニケーションをしてきたよ
というのを座談会で言っていたと思うんですけど
それと意味合い的には近いことを僕は今言っていますね
とはいえバイアスのかかった話かつ
歯車のあった話かどうかというのが
塩さんの話は逆に言うと
どういうことを言おうとしているのかが
僕はあまり理解できていないと思うんですけど
たとえがアートフェアを使わない方がいいよと言いたいだけかもしれない
現代美術イコールアートフェアということではなくて
そもそもアートフェアの運営の話を私はどちらかというとしているので
それで現代アートってなると
すごく日本ってアートフェア的には
置くブースを持てるギャラリーが少ないから
現代アートだけじゃない工芸の方にも
間口を開けてるっていう風に見たら
日本のアート市場の独自性
何故横に現代美術の横に工芸作品を置いてるかっていうのは
すごいもうそのままやんってなるじゃない
ただ現代アートじゃない
メゾンドオブジェみたいな工芸とか生活用品とか
そういうデザインが入ったフェアがある
そっちってよってみんな思うわけですよ
本来ならややこしいから
だって工芸を買いに来る人がアートフェアに行くって
ちょっとやっぱり違和感最初あるかもしれないでしょ
伝統的なものを見に来てるのにアートフェア東京って書かれると
あれ現代アートのアートフェアなのかなって一瞬思っちゃうんだけど
そこがややこしくしてるから
運営がその間口作ってるじゃんって言いたい
最初からその話をしてて
何でそれを例に出すかっていう
現代美術の話
現代美術と終わって話をする時のアートフェアは
日本でおける現代美術の状況ではあるけど
世界における現代美術っていう話なのか
日本だけの現代美術なのか
どっちっていうふうに私は聞いて混乱してきたのね
もう一回戻ると
批評家とギャラリストが分断が進みつつあるって話だから
基本的には運営の問題ってのは僕はアグリなんだけど
そこを比較しないと
運営の問題ってのは僕が今話そうとしてたことの
片側だけでしかないから
コンセプトで例えばみんなが議論して
批評家が言葉を与えることによって
意味を持ってくるような作品と
基本的には理解をベースに考えてる作品っていうのは
完全には分かれてないけど
かなり分断が進んでるっていう話に戻らないと
片側だけの話をすると
志望さんの言う通りだなっていう感じになっちゃうから
伝わります
それ自体に言ってることは僕は反論はないんですけど
じゃあちょっと話変えるんですけど
基本的には同じことを言うんですけど
倉田氏ラジオって工芸以外のことっていっぱい喋ると思うんですよね
いろんな工芸とカルチャーって言ってるぐらいなので
工芸と以外のものを何で語るかっていうことで言うと
違ったことを語ることによって
逆説的に工芸を浮かび上がらそうっていう意図って
意識的にも無意識的にもあると思うんですよ
なんでそれと同じような話をしてるんですよね
例えばじゃんけんのグー、チョキ、パーってあって
グーのことだけを言うと何の話をしてるか分からないんですよね
グーの話っていうのはチョキとパーを話して
ようやくグーの意味が出てくるっていう話なんですよ
伝わりますかね
さらに言うとグーとチョキとパーの関係性みたいなのの
近い関係性ってありますよねって話なんですよね
狩人と章野と狐の日本の昔の算数組のゲームありますけど
狐は漁師に打たれるけど漁師は章野に頭が上がらず
章野は狐にバカされるっていう
これって全然違うけど構造は似てますよねみたいなところから
工芸のことを浮かび上がらせていく意図が
なんとなく僕、倉田氏ラジオの趣旨として
僕の認識ではあると思っていて
だから現代美術の話をするっていうのは
僕の意図としてはそれと規格されやすい
あるいは無関係ではいられない工芸っていうのを
ある一側面からスポットを当ててるために
僕今この話をしてるんですよね
それ自体にバイアスがかかっているのが当然なんですよ
ちょっと待って章野3つ言ったけど3つ目なんだんじゃ
工芸、現代美術、あとなんかやらないと
その3つの関係性っていうのはちょっと
比較対象としては難しい
3つである必要もないんだけど
3つである必要はないと思うんですけど
とにかく工芸の、倉田氏ラジオの話で言うと
工芸っていうのを一応真ん中のテーマに置いてるからって
工芸の話だけしてても
そこの社会との接点であるとか
相対的に工芸って何なのかみたいなことが見えてこないから
相対化するための別の対象物について話すっていうのが
必要だよねって話ですよね
それは分かったんだけど
私その3つの例えはすごい面白いと思ったから
あると思うんですよ3つ目が
現代アート、工芸と
それで言うと僕いいですか
どうぞどうぞ
僕今の話分からなさすぎて
全くツッコめなかったというか
何のコメントもできなかったんですけど
私初期は頭の中で丸三角と×をすっごい
現代アートの話ね
アートフェアっていうものも知らんし
去年の話の中で
名前忘れちゃった
リンツの
アルツレクトノリカの話も
ギリギリ想像しながら聞いてたぐらいの感じで
現場の雰囲気とかも何のイメージもできてないから
そういう意味でいくと
もうちょっと手前の方でうみさんが言ってた
バズるっていう話
だからコンセプトで
なんとなくキャプション読んで分かった振りをするっていうのと
対象的なものとして
これ手でやったんだすげえっていうことでバズるみたいなこと
そのバズるっていうところなら
僕は非近な例として
見たことがあるなと
インスタのストーリーで流れてくる
早回しで作ってる映像をバーっと流して
これ1から作ったんやみたいなやつが
お菓子とかですげえ造形物作るとか
レゴですげえもの作るとか
そういうのを単に
流れてくるコンテンツとして消費してる消費者としては
そういうものは見たことあるなっていう感覚はあるんですけど
それはでもそれを買うとか
っていうことを考えたこともない
っていうポジションなんですよね僕は
そうですよね
もし算数組みたいなことで言うと
現代アート
アートマーケットみたいなものと
工芸のマーケット
マーケットにそれぞれプレイヤーもいてっていうところに
SNSみたいにそれをライトにして
消費して別に買わないそうみたいなものを
僕は多分そのポジションに一番近い
2人の噛み合わない対話を
第3者として見た時に僕はそこから見てるから
何の話も理解できないみたいな感じになって
理解はしないけど
コンテンツとして消費する
ただ並べて面白いねって言って
次のまた動画に行くみたいな
っていうのが多分
ほとんどマジョリティだと思うんですよ
多分でもそれは
相対化するには結構いいポジションかなと思うんですけど
めちゃくちゃそこにお金を
お金を出そうとまで思って
眺めている人と
ただ一瞬流れてくる
動画として消費するだけの人っていう
中でデュシャン以降のアート
現代アートといわれるものと
工芸といわれるものが
どういうふうにその人たちの目に映ってるか
みたいな
そうなんですよね
いい時間なんで
この後は次の話に
今回のエピソードもこれで終わっちゃう感じですね
美術批評っていうところで言うと
でも倉田施ラジオはこの話していいか
グッドジョブセンターさんの
観光物で
何とかの物差しあったと思うんですよ
あなたの物差し教えてください
あなたの物差し教えてください
何かにつけ我々に影響を与え続けている
グッドジョブセンターさんなんですけど
あそこの物差しが
すごく
一つの
アートって何のアプローチの仕方に
ヒントを与えてくれる気がしてて
芸大の物差し
ギャラリストの物差し
アーティストの物差し
今言った登場人物が結構
はからずもモーラ的になっているっていう
全然違うこと言ってるんですよね
みんなそれぞれが
違うことはもちろんダメって言ってなくて
もともとはグッドジョブセンター
もっと言うとタンポポの方かな
評価の多様性
障害者アートってそもそもどういうカテゴリーなの?
っていうところから
外側から
アプローチして
実情を何となく浮かび上がらせようという
素晴らしい編集の試みだったと思うんですけど
それに近いような話なんですけど
アートっていう
仕組みというか
議論のベースとか
哲学的なところも含めて
基礎を作った
ヨーロッパでは今
それ自体が
東洋的な観点がないっていうことで
西側のものでは
語ろうとすること自体が
不完全であるっていうことを
西側の人たちが思い始めてるっていうことですね
東側の人じゃなくて
そうです
マインドフルネス的な話
アートの新しい動き
話を本当に短くして言うつもりなんですけど
例えばドイツで
やっている
シアスター・ゲイツさんとかも出してた
ドクメンタっていう
アートのフェスティバルがあるんですよね
何年に1回かは忘れたんですけど
15という15回目のやつとかで
ドクメンタの
キュレーションとか
作品を集めてくる役割を
運営側が
インドネシアにあるアートコレクティブの
ルアン・ルパっていう
人たちに一任したんですよね
これすごく
新しい動きなんですよね
それは
ドイツの人たちが
西側の人間だけでは
ちょっともう
限界だぞっていうようなことの
一つの
現れというか
ルアン・ルパが
やったことで
既視感があるじゃないかとか
ユダヤ人に対する考え方とかが
我々と全然違うっていうところから
また批判が受けたりとか
すごくいろいろあって
その話をここでするには
時間が足りないんですけど
そういうことが起こるってことは
西側の人たちが
ルアン・ルパだけで
そのアートを語るってことは
もう限界だっていう
自己認識はあるわけですよね
っていうことだけ
ベースの説明だけ最後にしておきました
その話を
金澤小玉さんがめちゃくちゃ詳しく
レポートして
YouTubeがあるので
小玉さん?
そこのすぐそこの
金澤小玉さん
小玉さんが言って
その説明が長くなるので
概要欄に
小玉さんのリンクを貼っておきます
それは後で教えてください
実は五条とも深い関わりがあって
すぐ裏に
おられるキュレーターさんなんですよね
京都でも何個か
京都をベースにした展覧会を
やってたりする方なので
その話をちょっと
次の話の最初にします
はい
はい
まだ参議院に行くよ
この後
参議院に行く自信あるので
次の回で
よろしくお願いします
というわけで
今回のエピソードは
陶器の絵付け教育
海さんが京都にある
産業技術研究所
研究所
に通って
陶器のえつけを
勉強してます
ということを
新年から報告するという
回だったはずなんですけど
タイトルどうするんだこれ
どうしましょうね
どうしましょうね
まあ考えますけど
ひとり語りじゃなくて
質問形式にしたほうがいいんじゃないかな
そうだね
別にういさんに
ひとり語りさせようという
つもりはないんですけどね
僕も一応なんか
頑張ろうとしている
分からないすぎて
分かんないって
悪い意味で言ってるんじゃなくて
何だろうな
理解が私も追いつかなくて
頭の中ですごい
倍速で何か
いろいろ想像しながら
聞かないといけないから
リスナーの人に2倍速ぐらいで
聞いてもらったほうが
2倍速じゃ何も入ってこない
逆例は何か
0.5倍速
0.2倍速
2.5倍速
遅いな
0.2倍速
2倍速って余計分かんないわ確かに
いかにただ絵付けをやるのに
こじらせているやつがいるか
ということは伝わったと思うんですけど
今回で
こじれてるまでにも追いつかなかった
そんな感じで
続きはまた次回
というわけで
ハッシュタグも火曜日に
配信いたしますので
フォローしてお聞きください
ハッシュタグは
concraで絡んでください
フォームもありますので
うみくんに対する質問
お待ちしております
君のここがバイアスかかっているようは
すごく歓迎なので
何かというと
僕のメタ認知が強化されるので
歓迎しています
というわけで
2025年も
倉田紫矢淳はこんな感じです
やだー
これやだー
喋れない全然
喋ったらなんか喧嘩っぽくなっちゃう
いやいや
ちょっと足が
批評とかそういう話になると
急にスイッチが入って
しかもずれてるっていうね
噛み合ってない我々なんですけど
来週はもうちょっと
スイッチで
穏やかに
やりましょう
ではでは
ありがとうございます
55:40

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