1. LIFE UPDATE │ YOHEI HAYAKAWA
  2. Playback:「才能は関係ない」..
2021-10-09 24:04

Playback:「才能は関係ない」と言える理由 │ 松山智一さん(美術家)(#3:2021年9月)

▼本パートのインタビュー映像
https://youtu.be/vBGurx1dOFQ

▼YouTube(映像)
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【松山智一さんへのインタビュー一覧】
Talk.1|新宿『花尾』にこめた仕掛け
Talk.2|創造プロセスと思考
Talk.3|「才能は関係ない」と言える理由
(10/11公開)Talk.4|組織は「粒違い」がいい

今回のUpdaterはニューヨークを拠点に活動する美術家の松山智一さん。
大学卒業後25歳で単身渡米、美術経験ゼロから独学で自身の表現を確立し、世界中のアーティストがしのぎを削る舞台でキャリアをスタートさせた松山さん。
いまやマイクロソフトやドバイ王室にコレクションされるなど、世界中のアートシーンから注目を集めるまでの存在になった彼は、日頃どんな思考と創造をしているのか? パンデミックは彼をどう変えたのか?
一時帰国の貴重な時間をいただき、お話をうかがった。
キーワードは「問い」

【プロフィール】まつやま・ともかず/1976年岐阜県生まれ。上智大学経済学部を卒業後、2002年渡米。ニューヨークのプラット・インスティテュートコミュニケーションデザイン学科を卒業し、現在もニューヨークにスタジオを構え活動。ペインティングを中心に、彫刻やインスタレーションを手がける。世界各地のギャラリー、美術館、大学施設等にて個展・展覧会を多数開催。19年にはニューヨーク「バワリー・ミューラル」の壁画を手がけたほか、20年〜21年にかけて龍美美術館(上海)で大規模個展も開催した。
https://matzu.net/

■目次
OP
「組織」で創造する理由
「半径2キロ」で創られる世界
芸術家に必要な「展開力」
パンデミックが与えた進化
なぜ「才能は関係ない」?
「根性」が大切な理由

▼10/29(金)「月末LIVE」開催
[URLは後日確定、お楽しみに♪]
Q&A、フリートークスペシャルをお届けします

▼番組への感想・早川洋平への質問募集中です。
(いただいた質問は、毎月月末のYoutube Liveでお答えいたします!)
https://bit.ly/INTERVIEW_QandA

▼「QR CAFE」(毎月開催)
「人生を変える一冊」を見つけに行こう
http://life-upd.com/cafe/qr3.html

▼【聞き手・早川洋平プロフィール】 はやかわ・ようへい/新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、髙田賢三ら各界のトップランナーから市井の人々まで広くインタビュー。近年は欧州を中心に海外取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。公共機関・企業・作家などのメディアプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を数える。『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』『横浜美術館「ラジオ美術館」』などプロデュース多数。 近年はユニクロやP&GなどのCMのインタビュアーとしても活動している。
https://linktr.ee/yoh.haya

▼関連キーワード
#会う力
#松山智一
#パブリックアート

Editor : 中江公大(Kimihiro Nakae)

00:01
そのスタッフの方を抱えて、スタジオをやって、ブルックリンで、
ドキュメンタリーのときの金額は確か月700万円とかスタジオのありましたけど、
いわゆる組織っていうキーワードで、なぜスタジオを作り、チームで、
全部が全部チームじゃないと思いますけど、創作するんでしょう、このきっかけも含めて。
当然一人でやっていくっていうこともあり得ると思うんですね。
いろんな意味で、人をマネジメントしたり、当然お金のこともそうですし、
クリエイティビティを一人でドーンと集中したものの方が、
それこそコロナ対策、大きい方のクラスターも拝見して、
やっぱりああいうものの素晴らしさっていうのはわかりますし、
僕もチームで仕事することの価値はわかるんですけど、
それでもなぜかなっていうのを改めて伺いたいんですけど。
ニューヨークがちっちゃい町だからなんですよ。
ちっちゃい町?
本当にニューヨークってちっちゃいんですね。
東京と人口はほぼ同じなんですけど、
都市機能として文化機能、経済機能を果たしているエリアっていうのは、
僕は東京って結構世界で一番大きい都市だと思ってるんですけど、
実際マンハンタンってちっちゃい島で、
その中でそういう機能があるのって、
ウォール街くらいからタイムスクエアくらいまでなんですよ。
それって数キロ範囲なんですね。
その中で文化ってなると、さらに上下がなくなって、
本当に半径2キロくらいのエリアなんですよ。
東京で言うと、本当に新宿、原宿間、渋谷も行かないです。
なんだったら行駅の途中くらいまでなんですよ。
そんなちっちゃい町の中ですよ。
縦は高いですよ。建物もいっぱい高くなっていくんで。
そんな中でニューヨークって、
外遊に行けるんじゃないかってみんな思うんですよ、自分は。
だってもう見渡せるわけですよ、自分のフィールドが。
サッカーフィールドぐらいのように感じるわけですよね。
だから自分もゴール一発決められるんじゃないかと思うと、
全然決められないんですよ。
実は後ろで繋がれてて、一歩前に行かせてくれない。
行っても行っても届かないから、層の厚さっていうのを年々感じていくんですよね。
ニューヨークってすごいタフな町なんで、そんな中でみんな気落とされていくんですよ。
そうした時に、世界のちっちゃい限りにニューヨークで自分のポジショニングを取れれば、
世界でのポジショニングになるっていうことの距離感を、実は地球南進するよりも遠かったっていうことがわかったんですよ。
一人じゃ絶対できないって痛感したんです。
じゃあ人の力を借りるっていうことでもなくて、僕のやりたいことっていうことをニューヨークでできれば、
アーティストが残りたいと思う歴史のチャレンジもできるかもしれない。
世界各国に自分の作りたいっていう言語を共有できるかもしれないっていうのが、
ニューヨークで世界で一瞬に伝染できると思ったので、
そうした時に一人じゃ自分の限界があるっていうことだったりとか、
ありがたいことにニューヨークで同世代でバンバン活躍したアーティストを見てた時に、
03:04
やはりチームっていうよりは、自分が作れる環境を整えるっていうことなんですね。
その中ではコミュニケーションを図れるプロだったりとか、
いろんな人がいることで、より自分が自由になっていくんですよ。
だから日本でアーティスト授業を持ってやってると、
すごくビジネスマン的で経営者と思われるんですけど、
実は逆で自分のクリエイティビティを高めてるんですよ。
ものづくりの中で、例えばパブリックアウトでモニュメントを作るってなると、
何十人の人が関わって、ゼネコンさんも関わっていった時に、
僕はいい意思決定だけをしたいんですけど、
そこで意思決定を図ってくれる強力なチームがあって、
意思伝心で僕の持っていることをみんな一個になってできれば、
すごい作品がどんどんできていくんです。
自分の中で名作って言われるものを100点作っても、
200点、300点作るモンスターがニューヨークにはゴロゴロいるんですよ。
だから今、日本目線ですごくこう言っていただけるのはありがたいんですけど、
僕なんかもニューヨークに自分がいると、
全然自分がやってるパフォーマンスとか規模感に打ちのめされるんですよ。
何やってんだろう、こんな時間も努力も費やして、
まだこんぐらいしかできてないのかって。
それってこんだけ作りたいとか、自分が出世したいっていうことよりも、
こういう作品作りたい、生きてる間にこれぐらいの作品作らなきゃいけないんだっていうのは、
ニューヨークにいると見えてしまうんですよ。
みんなニューヨークの戦いに挑戦しに来て破れていくんですけど、
あれだけやってこれだけかとか、
それでもう絶望をくれる街なんですよ。
僕はニューヨークって永久に片思いの街って言うんですけど、
行けば行くほど、長くいればいるほど、永久に振り返ってくれない。
たまにちょろっと振り返ってくれて、
あ、もうちょっと走れるかも思わせてくれる街で。
すごいなあ。
2キロに全部が見えてるというかね、
手が届きそうで一番だから、世界で一番近くにそこにあるけど、
世界で一番遠く感じるかもしれないみたいな場所なわけですよね。
本当に嫌な街ですよね。
一瞬見せてくれるんで、夢を。
僕もニューヨークでいろんな各界のプロフィッシャーの人、
20年くらいやってる方にお話されてますけど、
みんな同じことをしてますね。
もちろんそこでチャレンジしていろいろやってて、
世界に伝播できるというか、その価値がもちろんあるけど、
何て言うんでしょう、常に苦しいというか、
ちょっと酸欠じゃないけど、
それがなくなった日はないみたいにみんな言ってるんですけど、
やっぱりそういう感覚はあるんですか?
ものづくりアーティストってことは全然美しいことじゃないと思うんですよ。
作品もそうしかないですよ。
僕らが作ったものは結果的に美しいと言われるだけで、
ニューヨークで芸術家活動をすることは、
もう苦行以外に何者でもないと思います。
だから、日本人のメディアがアーティスト像というものを
すごく製品で自由奔放になんてものは、
どのフィールドでもそうですけど、
世界の最先端の現場にいたら絶対そんなものは許されないと思います。
06:00
本当に自分の全身全霊で人生を投げ打ってやるくらいじゃないと、
それができちゃう人にかなえられないんですよ。
そういう人が本当にすごくいるんで、ニューヨークは。
でもやっぱりやりがいはあるから続けられてると思うんですね。
ニューヨークのいいところはそれでも平等なんですよ。
チャンスはちゃんと平等にあるんで、
あそこほどチャンスがある場所はないんですね。
もう本当に一年間でスターになってしまうっていう人が
アーティストじゃないけどファッションデザイナーでも、
どの世界でもいるのはやっぱりニューヨークなんですよね。
才能に飢えてるっていうか。
その才能に飢えていて、その才能が出たらもう
全部のエネルギーを使って消費しに来るんですよ。
次は消費される顔になるのか、
それを返し飲んでずっと生き残れるだけの
アーティストとしての、クリエイターとしての、
表現者としての体力があるか、展開力があるかですね。
展開力ってもうちょっと詳しく言ったらどういうことでしょう?
時代を描写するっていうのが僕らの仕事だと、
時代は移ろぎやすいじゃないですか。
例えばコロナ前にアートに求められたものと、
今コロナ中でアートに求められているものって全然違うんですよ。
コロナ前ってどちらかというと、経済も世界的に順調に伸びてきて、
みんな世の中のダークサイドっていうものはアートを返して見たい。
それが表現されているものがどちらかというと、
喜ばれた壁はあるんですね。
でも今そんなもの、このパンデミックになって見たいですか?
むしろ逆ですよね。
それはアートに携わっている当事者の我々もそうなんですよ。
要はアートっていうのはポジティブなものであっていいのかっていうイメージが
数年前までは少なかったのは、
今はやっぱりアートがポジティブに人を感化してくれるものであっていいんじゃないかっていう見え方が
時代とともに変わってくるんですよ。
でもその前に最先端のアーティストで、全く真逆のダークな表現をやってきた人が
今こういう時代に今沿っているかというと、
これでさっき言った消費される部分で消えていってしまうんですよ。
次に新しい人がボーンって来た時に、
次にこういう表現をしている人が生まれてきて、
今の時代を捉えているっていって、乗った時に今度
どう振りにかけられて消費されてしまうのか残るのか。
歴史っていうのは本当にすごく残酷なんですね。
だって今日も明日になれば過去になるわけじゃないですか。
今日精一杯我々は生きたいんですけれど、
じゃあ先を見据えて何かものを作ってても、
すごく作者としては本文字ない気もしてしまいますし、
そうした時に展開力っていうのは、
時代に乗るっていうことは大事なんですけれど、
今度乗りすぎると商業的になってしまうので、
その中でどういうふうに自分の作品を自分と素直に向き合いながら、
接点を持っていくのかっていうことができる人っていうのが、
やっぱり大体素晴らしい芸術家なんですよ。
今そのパンデミックコロナの話ちょっと出てきましたけど、
09:02
デスクトップユートピア、あれでしたっけ?
京都のホテルにいらっしゃる時に、
そこで作業している自分をモチーフにしたみたいな感じでもないんですか?
あれ違って結果論なんですよ。
良かったです。
番組で見ているとそういうふうにちょっと見えたんですけど。
あれたまたま本当に番組でこの作品なんですが、
この作品が僕は京都で去年のロックダウンになった時に、
たまたま日本であるプロジェクトでいて帰れなくなってしまったんで、
やっぱりその中で創作をしなきゃと思って、
妻の実家が京都だったので、
京都でホテルの一部屋を借りて、
そこをずっとアトリエにしていたんですけれども、
この絵自体はロックダウンになる前から描いていたんですけれども、
蓋を開けてみると自分の描いていたものと、
その以後の潜在意識が見えない中で接点を持っていったという感じなんです。
ここにある観葉植物もその時ぐらいから描こうと思っていたんですけれども、
ロックダウン中に僕はスタッフを10名ぐらい抱えていて、
家の生活をリモートでどうにか作品制作をできないかと思っていたんですけれども、
スタジオに帰れないので観葉植物はほぼ壊滅状態になって、
元気なくしていたのを見ました。
ほぼ枯れてしまったんですね。
植物というものはスタジオにとっては同じ命というか、
スタッフと同じ、自分の中でも愛があるものだったので、
そういうものを結果的にオマージュする形でできてしまったんですけれども、
意図せずなんとなく自分の真相真理が出て、
もうちょっとポジティブになるような絵が描けないかと思って、
こういう作品を作ったんです。
ありがとうございます。
真相真理って出ましたけど、
どうでしょう、このデスクトップユートピアに今ここに映っている男性は、
松山さんと全く他人かというと、他人でもないんでしょうけど、
確か上海か何かで展覧会をやっている時に、
これはあなたですか?みたいな聞き方が違うみたいに言っていましたけど、
これはやっぱりどうなんでしょう?
そういうとないんです。
このシリーズってインターネットにあるクリッピングとか、
そういった雑誌のクリッピングを持ってきているんですけれど、
描いていくうちに、今の絵というのはデスクトップを見ているんですけれども、
後ろに窓があって、その窓の間に景色が全景が見えるにもかかわらず、
コロナの状態で僕らがテレビだったり、パソコンを介して外の情報を得るっていう。
今まで素直にその状況を描くということに、僕は抵抗があったんですね。
これはニューヨークが素直でいることに抗いみたいな、
現代美術の持っているコンテキストに乗らなきゃいけないという時に、
自分が自分であるとダメなんじゃないかという思いがあったんですけれど、
まさしくこういう時に、真相真理じゃないんですけれども、
自分の素直さというものを作品化することで、
今みんなの見ている今日の景色を作れるんじゃないかと思ったんです。
基本的にはさっき言った通り、僕の作品って今日の景色を作りたいんですけれど、
アプローチの仕方がやっぱり僕の中でも、こういう未曾有の状態で、
自然に変わっていったんですね。
12:00
共有を作品で求めることって、すごくいけないことだと思ってたんですよ。
もうちょっとチューニングでわからないぐらいがいいんじゃないかと思ったのが、
もう少し自然体でいいと思って。
伺えてよかったです。これも当てはめちゃいけないんですけど、
私はどうしても小説家の人と仕事する機会が多くて、
小説の中でもいわゆる私小説と、完全な自分を離れて書いているという小説があると思うんですけど、
この間ある小説家の方に聞いたのが、
その方は、いわゆる完全な私小説、自分がそこにそのまま入るのは一切書かないで、
話して書いてるって言ってるんです。
ただ個人的には読者からすると、それでも出てるようなっていうのはあるんですけど、
彼曰く、どっちがもちろんいい悪いではないんですけど、
私小説、自分が入り込んでる人の作品は、結構純文学とかも多くて、
ちょっと読みづらいみたいな、いわゆるさっきの大衆家とはまたちょっと違うみたいな、
あるっていう話はあったんですけど、
またそれとアート、そして松山さんご自身の場合は全然別の話かもしれないですけど、
このデスクトピュートピアっていうのは、そういう意味では今までニューヨークのデスクが抗ってて、
あんまりそのさっきの共有するというか、そういうのを押し付けるみたいなのを持ってたのに、
もうちょっと自然に自分を出したというか、
この作品からさっきおっしゃってた文脈のことも出すようになったのか、
それかこの作品だけは特殊でそういうもので、今の今後今作ってるものは、
またかつての松山智一さん。
いや、進化してると思います。
やっぱりこういう作品を作るアイディアが与えられなかったという、
自分のアイディアが、考えがそこまで及んでなかったということなんです。
それでこういうふうに作ってみた時に、まさか自分がこういう作り方をするとは思ってなかったんですよ。
自分の素直さが他人と共有できる素直さっていうふうな状況が与えられたのは、
個人主義が進む中で、こういう状況というのは皆さんが共有してしまった悪夢みたいな状況じゃないですか。
その悪夢みたいな状況を多くでは捉えたと思うんですよ。
じゃなくて、ちょっとした日常みたいなものを僕も捉えたっていうきっかけで、
一気に物を作り方のビジョンが広がりを持ったというか。
そういう意味では大きく変わった、またポイントは結果論かもしれないですけど、
後から振り返ったらあるかもしれないですよね。
というふうに思いました。
ありがとうございます。
あとはやっぱりこれも伺いたいですね。
さっき結果論というキーワードが松山さんの中に出てきていて、
今日伺いたいのは、才能。
ご自身は才能があんまりってお話もおっしゃっていましたし、
本当にすごい先人で才能の方もいるっておっしゃっていましたけど、
やっぱりいろいろ記事とかを見てても、
アーティストは才能がないとなれないのかとか、
なれるのはなれても食っていけないのかとか、
いろんなものあると思うんですけど、
何かのインタビューで、
芸術家にその才能っていうことは結果論、関係ないっていうふうに、
関係ないってすいません、細かい言葉はちょっとわからないですけど、
結構きっぱりおっしゃってたのがすごく印象的で、
それと同時にやっぱり根性っていうキーワードも結構出てきて、
なんかその辺なぜ言い切れるというか、
15:02
才能はもちろんあったらあったで強いんでしょうけど、
なくてもやれるよという。
一つだけ芸術が大きくこの十何年ぐらいで変わったとすると、
要はアートってスポーツと違って数値化できないはずだったんですよ。
100m走みたいにコンマ0.1秒競ってない、
感覚的には競ってるんですよ、ニューヨークみたいにやると。
ただそれが逆転してしまって、
今アートってものすごく数値化できてしまうんですよね。
一つは社会的な影響力はインスタグラムのフォロワーと、
いいね数でわかってしまいますし、
作品の金額もオークションっていうのでボンボン出てしまうんですよ。
これだけ僕らが今数値の世界で生きてる時代って、
芸術の上で歴史上ないんですよ。
ただ一つ良いことは、
一個だけそこの中でアートのメリットは、
体力的制限っていうものがないんですよ。
つまり才能って言われる世界って、
才能っていう言葉は分かりますよ。
大体自分がそれをパフォーマンスできる時代が限られていて、
最短の期間であるところまでいけて、
それを長く持続できる人が才能があるっていう定義なんですよ。
じゃあ僕バスケットボール好きなんですけど、
レブロン・ジェームスを例えると、
30歳からスーパースターなわけですよね。
スーパースターになって今37歳でも第一線でやってる。
それが長いから才能っていう。
だけどアートの場合って、
死ぬまでやれるんですよ。
要は経験則はいけるってことは、
才能って概念はいらないんですよ。
数値化されるんですけど、
生まれ持った肉体的な違いっていうのは、
根本にしてないんですよ。
実際に絵が本当に上手い人っていう定義も、
僕よくわかんないんで、
あれっていうのも写真的に写実的に描けるのが上手いって言っても、
じゃあその人たちがさっき言った、
数値化に乗るかって言ったら全く乗らないんですよ。
そうなんですよ。
だから数値化されてるが故に、
逆に才能ってものがないってことが立証されてるんですよ。
で、90歳になっても、
経験によって眼力が付いていくことによって、
作品っていうのは価値を上げるんで、
今まで価値って何って、
良い悪いっていうものが、
全部数値で見えてしまうんで、
そうした時に本当に才能はないです。
僕の場合は、
多くの人と対話できたかっていうことが、
自分における一番重要なことなんですね。
でも、人によってはそれ才能でもなくて、
自分でこもって描いてたいっていう人もいるんで、
アートって金額見てしまうと見え方変わるんですよ。
じゃあ何十億って付いてる作品を、
何十億って知ってみることと、
そうじゃないのを見た時に全く変わって見えるぐらい、
人間の認識っていうのは、
あやふやなんですよ。
で、言ってしまえばたったみんなの概念なんですよね。
才能があるって言葉って。
やればやるほど実態のないなっていう、
僕はすごくずっと感じるので、
それが本当にもう才能って言葉は、
僕はないって言い切る理由で、
誰でもなれます、芸術家には。
なれますが、ただいわゆる、
あんまりこの言葉はあれですけど、
成功も何をもって成功するかってありますけど、
もちろん経済的にもそうですし、
いわゆるご自身のやりたいことをやりたいフィールドっていう意味でもそうですけど、
そこにつまり、乗れる人と乗れない人は当然いるわけじゃないですか。
18:03
芸術家を名乗ってなれても。
でもその中でそこに、
松山さんも今その途中なのかもしれないですけど、
乗れる人と乗れない人の境目は何なんでしょうね。
基本は全員乗れます。
乗れる?
はい。
違う選択肢が来た時にそっちを選んでるだけです。
僕ニューヨークでアーティストとしてやっていて、
日本とかだと、やれ芸大だ、
たま美とか武蔵美術大学って大学出てないと、
ちゃんと教育委員会の芸術科学にならないって、
みんなのコンセンサスがあるんですよ。
そんなの向こうの人全校提供されてなくて、
バリバリやってるアーティストの半分が独学なんですね。
僕も独学で25歳で始めて、
やれてるわけじゃないですか。
ただ、ただしですよ。
アートっていうものを表現としてやっている時に、
やっぱり違う選択肢の方が人生楽っていう機会は必ず来るんですよ。
それを選ぶか選ばないかだけなんです。
僕の周りでも絶対アートでやってやるんだって人って、
皆さんが言うレベルで満たしてるんですよ。
ご飯も食べれてるし、発表もできてるし、
メディアにも出たりしてるんですね。
そうした観点から見ると、
僕はもう誰でもそんなに神話化されることじゃなくて、
芸術科って誰でもやれば食べれると思うんです。
ただし1万人に1人の人口は間違ってないんです。
それだけエネルギー労力必要なんですよ。
そこまでエネルギーをかけて得る必要があるかっていうと、
9999人の人がないって判断するんですよ。
それだけなんです。
だけどその1人っていうのは100発100集でやりたいって人なんで、
僕からすると100%食えます。
そういう意味では逆に言うとそこで9999人が
ある意味そこのフィールドから降りちゃうわけですよね、自分で。
ありがたいです、僕は。降りてくれるんで。
だから才能論語ってもしょうがないですけど、
逆に言うと残った1人、そこに立ってるってことだけでも
逆に言うとそういう意味では才能があるってことなのかもしれないですよね。
いわゆる芸術的なセンスとか置いといて立ち続けるという。
なのでそこが根性なんです。結局体力勝負なんですよ、これって。
だから日々の鍛錬と変わらなくてアスリートなんです。
本当に毎日朝起きて今日もベストパフォーマンスするんだってことを
考えて挑んめさえすれば大丈夫なんですよ。
体力もきちんとつけないといけないですし、だらけられないので。
本当にアスリートと同じでどっかゴールに向けて
ずっとルーティンワークをしていって、その中で技術を上げて
腕をつけていくっていうだけのことなので、
やっぱりそれは向き不向きはあると思うんです。
だから向かないかは思いにありますよ。
だけどできるかできないかは別の話だと僕は思っちゃう。
なるほど。
っていうのが、うちのスタジオに来た子たちって
やっぱりうちに来た後に大体デビューしていってるんで。
で、ホラー食えるじゃんってやっぱり思うんですよ。
それは厳然たる事実としてあるわけですもんね。
でもなんか今、根性っていう話ありましたけど、
ある意味一番、芸術家と根性って対極な感じしますけど、
ただ先日だから私も松山さんをはじめとして
21:03
ありがたいことに本当に各界の大選でずっと立ち続けてる人に
お話聞いたり、仕事も一緒にさせていただくことが多いんですけど、
やっぱりその根性と体力というか、
なんか最後、変な話ある程度のところまで行く人って
逆説的に言ってみんな才能とか能力ってあると思うんですよ。
人間力もあって。
でも最後そこに立ち続けてられるかっていうのは、
いわゆる心身のパフォーマンスというか、
ちょっとあえて乱暴な言葉を使いますけど、
化け物的な、なんかそういう体力と根性あるかかなっていうのは
実はすごい常に感じてて、
なんかその辺って松山さんもそう思うところはありますか?
やっぱり好きでい続けることだけだと思うんです。
皆さんのインタビューされた方が言ってると思うんですけど、
好きでい続けることが大変だと思うんですよ。
今日は人間って欲張りなんで、
自分の欲求が満たされると次ってなるじゃないですか。
で、だいたいこう次次次って言うと、
そこにはストレスがかかってくれるんですよね。
そのストレスを超えてまでやりたいか、
自分の中で飽和状態にならないかっていう、
一歩先一歩先って人間ってやっていくと、
本当に疲れてしまうんですけれど、
好きで自分らしくやってることが
い続けられる環境を整えるだけでもあると思うんですよ。
朝起きて、今日も絵描くぞなんて思ったことないです。
そういう夢のようなこと言いたいんですけど、
今日も描くのかっていう風に始まるんですけど、
気持ちをどうやって切り替えるかとか、
ドキドキさせるために日曜から自分のスタジオの環境だったり、
スタジオ哲学だったり、チームワークを上げることで、
責任だったりを自分に貸していくことで、
よりすごいものを作っていく。
やっぱりすごい作品ができた時は、
例えば新宿にしても、
あんな今まで日本になかったようなことが、
行政の方々だったり、大企業の方々だったり、
ゼネコンの方々だったり、
交えて作れるっていう、
達成感というのはかけがえがないものなので。
同じものを続けて2個作り変えたかったら、
モチベーションはなくなるんですよね。
次のモチベーションはどこになるんだって言った時に、
やっぱりアウトレットがいっぱいある方が、
僕はドキドキしていられるので、
美術館の展覧会もあって、
巨大なモニュメントも作って、
それが今度、自分が好きだった
どこどこの都市でできるとか、
あんなところでできるみたいな、
できることによって、
自分のモチベーションを維持しているので、
やっぱり今はどういう風に維持をするか、
そしてより維持をして、
そういう新しいことを挑戦することで、
ちゃんとレバレッジが自分の作品と活動の中で
かけられているのかということは、
すごく大事にします。
そこともまた関連するかもしれないですけど、
やっぱり心身の健康というか、
今もランニングされてるんですか?
してます。
僕もランニング、
めちゃめちゃこの4年くらいやってて、
それなかったら多分…
今朝そこ走って…
どのくらい距離走るんですか?
24:04
ご視聴ありがとうございました。
24:04

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