1. LIFE UPDATE │ YOHEI HAYAKAWA
  2. Playback:創造プロセスと思考..
2021-10-07 22:05

Playback:創造プロセスと思考 │ 松山智一さん(美術家)(#2:2021年9月)

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【松山智一さんへのインタビュー一覧】
Talk.1|新宿『花尾』にこめた仕掛け
Talk.2|創造プロセスと思考
(10/9公開)Talk.3|「才能は関係ない」と言える理由
(10/11公開)Talk.4|組織は「粒違い」がいい

今回のUpdaterはニューヨークを拠点に活動する美術家の松山智一さん。
大学卒業後25歳で単身渡米、美術経験ゼロから独学で自身の表現を確立し、世界中のアーティストがしのぎを削る舞台でキャリアをスタートさせた松山さん。
いまやマイクロソフトやドバイ王室にコレクションされるなど、世界中のアートシーンから注目を集めるまでの存在になった彼は、日頃どんな思考と創造をしているのか? パンデミックは彼をどう変えたのか?
一時帰国の貴重な時間をいただき、お話をうかがった。
キーワードは「問い」

【プロフィール】まつやま・ともかず/1976年岐阜県生まれ。上智大学経済学部を卒業後、2002年渡米。ニューヨークのプラット・インスティテュートコミュニケーションデザイン学科を卒業し、現在もニューヨークにスタジオを構え活動。ペインティングを中心に、彫刻やインスタレーションを手がける。世界各地のギャラリー、美術館、大学施設等にて個展・展覧会を多数開催。19年にはニューヨーク「バワリー・ミューラル」の壁画を手がけたほか、20年〜21年にかけて龍美美術館(上海)で大規模個展も開催した。
https://matzu.net/

■目次
OP
創造プロセスと思考
「セルフリメイク」の意義
現代美術を理解する秘訣
「伝える力」が磨かれた理由
米国が示した「方向性」とは

▼10/29(金)「月末LIVE」開催
[URLは後日確定、お楽しみに♪]
Q&A、フリートークスペシャルをお届けします

▼番組への感想・早川洋平への質問募集中です。
(いただいた質問は、毎月月末のYoutube Liveでお答えいたします!)
https://bit.ly/INTERVIEW_QandA

▼「QR CAFE」(毎月開催)
「人生を変える一冊」を見つけに行こう
http://life-upd.com/cafe/qr3.html

▼【聞き手・早川洋平プロフィール】 はやかわ・ようへい/新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、髙田賢三ら各界のトップランナーから市井の人々まで広くインタビュー。近年は欧州を中心に海外取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。公共機関・企業・作家などのメディアプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を数える。『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』『横浜美術館「ラジオ美術館」』などプロデュース多数。 近年はユニクロやP&GなどのCMのインタビュアーとしても活動している。
https://linktr.ee/yoh.haya

▼関連キーワード
#会う力
#松山智一
#パブリックアート

Editor : 中江公大(Kimihiro Nakae)

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やっぱり、ダイナミックにバランスを取ってる感じがするんですけど、いわゆるど真ん中じゃやっぱりそれはそれで、うーんって思って。
やっぱり何かの対談の時もいろいろ拝見してたんですけど、松山さん、何か大局なものの中から共通点を見つけたりとか、
その古今東西のアートデザインをマッシュアップするみたいなものを、やっぱりいろんなところで。
それはメディアの記事とかからしか見てないので、実際の松山さんがどういう感覚かわかんないんですけど、
そういう意味では何でしょう?いろんなものをある意味リミックスというか、なんかDJって言うとちょっとすみません、逆に適切かわかんないんですけど、
なんかそういうふうにアートをリミックスするDJみたいな感覚でやってらっしゃるのかな?みたいに思ったんですけど、そういう感じでもなさそうですね。
でもね、あるんです。僕らの世代って自分の年齢の世代じゃなくて、時代的なジェネレーションで言うと、
これだけ情報がある時代になったので、何をもっての起源になるのか、何をもってのオリジナリティになるのかっていうことって、
情報を見つけて操作するっていうことが一つキーワードになると思ってるんですね。
まさしくDJが何十年前にもう誰も気づかない、忘れられたようなレコードを見つけてきて、
それを前後の曲でつなげ合わせることで自分の個性を出すわけですよね。
それは僕は自分の世代観として見たときに素晴らしい表現だと思うんですよ。
前と後ろの前後関係というものが非常に何かを語る上で有用な言語になると思ってるんですね。
今これだけデジタルアーカイブになって、全てクラウド化されて、いろんな情報にアクセスはできるとはいえ、
消えていく、なくなっている情報っていうのは確実にあるんですよ。
なぜかというと、新しい情報が生まれていくっていうことは、人間が一回に自分の中で共有できる、
また留めることができる情報量というのは限界があると思うんで、
必ずなくなっていくものがあるんですよ。
どれだけデジタル化していくか。
その中で消えかけている情報を見つけてきて、それが古いものであってもいいんですけれども、
例えばすごく古いものだったら、最先端のものと書き合わせる方法がないのかと思うんですよ。
例えばですけど、僕がニューヨークのニュースタンドって、ニューヨークって情報が集まる場所だったんで、
一世代前は世界中の雑誌が集まるんですよ。コンビニみたいな、売店みたいな場所に。
一つ、ボーグを撮ってもいいんですけど、全ての国のボーグがあるわけですよね。
ボーグジャパンから、ボーグイタリアからみたいな。
ボーグだけの棚があったりすると、そこには毎日消費されていく雑誌の情報があるわけですよね、世界の。
それを見ていた時に、例えばなんですけど、モデルが座っている絵と、洋服が風になびいているようなものと、
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妻の実家が京都で、京都国立美術館とか博物館に行った時に、座っている仏像にふと接点があるんじゃないかという、
自分の残像の中で見えたりしたものがあったんですね。
それは、座像といって、仏教彫刻といって、座っている中に動きがあってモーションが発見できることと、
モデルの写真がスチールみたいな写真が関係性があるんじゃないかと。
そうしたものに絶対接点がないと思われるものの中に、歴史的な接点を強引に作ってみることで、
強化を持てる言語ができるんじゃないかというのは、僕もさっき言った通り、前後関係の情報なんですよね。
真ん中に僕が立っていて、こことここという接点がないものにストーリーを作るということで、
一つ新しい歴史との神話を持つ方法が模索できるのではないかと思って表現しています。
なるほど、そこに関連して。
この作品、スピラクルズでいいんですかね?
スピラクルズのサプライズと、これ2021年ですよね?
はい、そうです。今年の作品です。
2014年に、ハロームーンハイポシス。
これどっちかな?
松山さん、どこに入れてるか覚えてないですよね?
なんとなく覚えてます。
ここに長文がありましたね。
さすが。
同じ絵なんです。
すみません、どっかにそれは詳しく説明されていたら、僕の見落としで恐縮なんですけど、
さっきのリメイクとかリミックスってことじゃないんですけど、
これそれぞれに関して、つまりベースはキバシリーズというか同じ感じですけど、
当然違うわけじゃないですか。
2014年には14年に作ったんですけど、なぜこの2021年、同じ絵を元に作ったのかな?
絵を作るまでのプロセスの方が僕にとってすごい時間がかかるんですね。
描く行為っていうのは実際に表山の一角というか、
描きながらプロセスを進む行為の前に、
僕はいろんな要素をマッシュアップして作品ができていくので、
そこに行き辿り着くまでの工程がすごく僕は大事にしているんです。
絵を描いたり立体物を作るときってすごく文字を書くんですよ。
文字を書いたことで自分の中でぼんやる断片が徐々に視覚化させていくんですけど、
一回できた絵で残るものって結構多いんですよ。
もう一回描きたいと思う課題って結構あって、
そうしたときに、ただまだだなとかいろいろ様々なこういう風にもう一回自分の作った作品をリメイクしたいみたいな。
結構歌手でもミュージシャンでもいるじゃないですか。もう一回作り直すみたいな。
その感じですかね。
作品を毎日作っていくと自分の中で、
作品って成果物なんですけど、一番大事なのはどうやって思考のプロセスがあってそこに行くまでかっていうときに、
やっぱり失敗があるから次の作品に行ったときに、
どっかのタイミングで、あれは自分の中でメモリアルなものだなっていうのがあるんですよ。
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良かった作品だなっていうのがあるんですけど、
それがね、この作品そうだったんですよ。
これね、香港の美術館で飾った作品で、その時にすごく気に入ってて、
何かまたこれを描ける機会がないかなと思ってたんですね。
これまた松山さんに無理矢理会わせるわけじゃないんですけど、
この小太郎ぬかがに行ったときに、初めて現物で松山さんの拝見したんですけど、
やっぱりこれもありましたよね。
ありました。それが今回メインの作品でありました。
メインだからってわけじゃないですけど、やっぱりこれに真っ先に惹かれて、
今回これを改めて見てたらあれって思ったんで、
松山さんの中には常にいつかどっかで使おうってきっちり決めてるわけじゃないんでしょうけど、
どっかに常にそういうのがあるわけですね。描画を作ったもので。
この絵をもう一回描こうっていうのは、今の日本で展覧会をやるっていうタイミングで、
概念的にもう一回出てきたんですよ。
こういう絵なんですけど、
馬の絵画って、どこの国の歴史をとっても必ず名画って出てくるんですね。
この名画って出てくるんですけど、例えば日本だったらカノーハだったり、
フランス絵画だったら有名なナポレオンだったり、
アメリカだったらカウボーイの絵が出てきて、英国だったら騎士の絵が出てきて、
振り返ってみると歴史的に支配と占領のプロパガンダばっかりなんですよ。
でも今は歴史的美術館に行くと、昔のこの占領と支配してきたっていう権力工事みたいなものを堂々としてて、
これが名画だって見せてるわけですよね。
特に去年アメリカで起こったことだったり見た時に、それが国境に見えてくるんですよね。
ヨーロッパで起こったことっていうのは、モニュメントでもいいんですけど、
奴隷制度をプロモートしてるっていうので、ヨーロッパなんかではこれを下げるみたいになって、
ニューヨークでもセントラルパークにある機場のモニュメントが取られるんですよ。
でもこういう社会的な事象がない限り、あったかも普通に置かれるわけですよね。
じゃあ今度それがあったから美術館にあるナポレーノ屋がなくなるのかって言っても、なくならないんですよ。
これが海外で文化とはいえ表現する中で、文化っていうのは必ずプロパガンダ的な要素で歴史に組み込まれてきたものなので、
それを僕はニューヨークでマイノリティっていう言語でずっと20年間か、
本当にアートをやることが戦うっていう考えで僕はやってるんですけど、
日本のギャラリーでコテをやる時に、何かニューヨークで戦ってきたっていう自分の気持ちを作品化したい、
アメリカで起こったことをちょっとなぞらえながら描写したいと思ったんですね。
僕はこの馬の絵画は逆にそういうのを全部取っ払って、軽やかですごくポジティブな意味合いを持った画面に変更してるんですよ。
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カノハから撮ってきたり、アメリカの原住民とピルグルムって英国から来た人たちが戦ってる有名なレミントンっていう画家がいるんですけど、
その人の構図を撮ったりとかしてるものだったので、
逆に日本で自分が戦い抜いて、やっと母国にちょっとずつ帰ってこれてるっていう自分のプライドをある種見せるための表現する作品だったんですよ。
なるほど、そういう文脈あるわ。
それでリメイクしたいって言った時にこの絵がすごく気に入っていて、
しかもこれね、確かカノハかウイクエから撮ってるんで、
ヨーロッパ海外から撮ってるものじゃなくて、日本で日本の画題であるものを参照して引用して作ったものを持っていきたいっていうのが、
自分の中で全部画点がついたっていう。
世界的に活躍されてる松山さんにお話しするのもあれですけど、
こういう仕事でいろんなポッドキャストとかYouTubeの番組をプロデュースさせてもらう機会もあって、インタビュアで入りながら。
地元が横浜なんで横浜美術館の番組とかを作ったことがあって、
その時にお恥ずかしながらアート全くわからなかったんですね。
現代アートってそれこそ何?みたいな感じで、
その時にいろいろそこの方たちとインタビューしていく中で、やっぱり考えるより感じろみたいに教えてもらって、
そこから結構いろいろ入っていけるようになったんですけど、
それでもやっぱり海外でもいろんなアートを見てるつもりなんですけど、
心から、つまり本当に奪われるっていうのは本当にお世辞じゃなく、
初めて松山さんのこれを見て奪われてですね。
一般人が言うのもあれですけど、
すみません、これはただの感想を伝えたかったんですけど。
でもね、ありがとうございます。僕は真逆です。感じろって絶対言いません。
現代美術っていうものは感じられるほどやなものじゃなくて、
チューニングが非常に高いものなんですよ。
これもたまに例に出すんですけど、アメリカ人の方に日本の割れた小美術見てすごいだろ、素晴らしいだろって言った時に、
たぶん100人いたら95、6人の人は素晴らしいって言わないんですよ。
それは僕らの言語の中で、小さい頃から何かを見てきて、
これが崇高なものなんだよって教育を受けてるから、目が合って見れるんですね。
さっきそこが僕が言った大衆性の部分だったんですよ。
僕、アメリカに行ってから、ニューヨークの近代美術館が一番有名で、
モモに行くと難解な美術があるじゃないですか。
それを知ったがぶりして見れなかったんですよ。
壁からただの鉄板が出てるのが。
松山さんでもあったんですね。
壁から鉄板が出て、何がいいんだろうと全然わからないし、
破れたキャンバスを見て、これがいい絵だ、暮らしたいって思わないんですよね。
やっぱりせいぜい印象派だったんですよ。
ルノワールとかゴッホとかピカソとか見て、これはわかるってなってて、
今度はその後のものって全くわからなくて、
これを感覚でいいと思うのが危険だと思ったんです。
ありがたいことにニューヨークという場所に25で行って、
それがわからなかったら、自分はここで戦えるはずがないって思って、
1から勉強したんですよ。
1から勉強した時に、実は蓋を開けてみるとすごく単純で、
12:02
我々人間っていうのは、前時代を否定することで今の時代ができるわけですよ。
ニューヨークに戦後、パリからガダンというものが先頭して、
主軸になった時に、要は抽象表現みたいなものが出てきて、
初めてキャンバスに額を当てず、ビシャビシャ垂らした絵画が生まれたんですよね。
でもそれって振り返ってみると、ピカソが生物絵画みたいな書きとかを
ぐちゃぐちゃ描いたものに対するアンチテーゼで、真逆ができて大きくなっていったんですよ。
今度その後にそれを否定する形で、
もう作品なんて描かなくても、ジャカファーってなくていいんだったら、
壁から鉄板出して、ミニマルでいいじゃんって概念なんだよってなって、
ミニマリストができたわけですよね。
今度そうすると、高度成長期が来て、アメリカっていうのが経済的に潤った時に、
その時代を表そうって言って、ポップアートが出てくるって見ていくと、
だんだん楽しくなってくるんですよね。
コットンもそうじゃないですか。日本の歴史ってすごく独特に育まれて作られてきたものなんで、
現代美術も同じなんですよ。だから感覚で見ても、そこをワープしてしまうと、
理解のしようがないんですよ。
その中でどういう接点を持ってくるか、そこに今度もいろいろ出てくるんですよ。
グラフティーだったりストリートアーティストが出てきて、
だからバンクシーみたいなアーティストが出てきた時って、
スキャンダラスにグラフティー、ストリートアートの言語を持ちながらも、
ああいう高度なちょっとウィットな、頭がいいインテリア感を持ってくるとか、
僕らの時代だったらカウズもそうですし、
ティーセーリングとかバスケアが持ってきたポップアートに、
現代美術の面白さを持ってきて、ポペラリティがあるっていう。
僕はそうした時に大衆性っていう、ずっと現代美術のなかなか気高いところでやりながらも、
社会との接点の持ち方を持ちたいと思ったのが、やっぱりそういう経験があったからなんですね、僕が。
なるほど。
だから僕もみんなにも絶対感覚で見るようになっています。
でも、一個わかれば前後がわかるんですよ。またこれも同じなんですよ。
前後がわかるとこの前後もわかるから、そんなに難しいことじゃなくて。
全部繋がってるわけですね。
はい。
でも今いろいろお話も伺いながら、ちょうどまさに聞きたかったことなんですけど、
さっきご自身のバランスの話もされてましたけど、
やっぱり勝手なイメージだとアーティストの方は、とにかく右脳、感覚、直感、
当然そこもある。そして左利きみたいな、やはりなと思うんですけど、
やっぱり今日一番聞きたかったことの一つでもあるんですけど、
僕もドキュメンタリー見た時もそうですけど、ちょうど京都でデスクトップユートピアでしたっけ?
それを作る時の同じ日だったかわかんないですけど、
さっきおっしゃったようにひたすら文字をいろいろ書いてたりとか、
文字、何か概念、考える、左脳、思考、つまり右脳と対極にあるような、
その左脳もすごく使われてる。
当然、やっぱり言葉で説明する能力が飛び抜けてらっしゃると思うんですよね。
伝える能力も含めて。
それが群を抜いてるっていうのは、当然、あと経営者とかパブリックアートを作っていく。
当然、例えばゼネコンの人たちに何か伝えてたりとか、
そういうことも含めて、そういう状況に置かれてきたから、
今の松山智一のこの伝える能力が高いのか、もともとそういうものを持ってるのか、
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つまり右脳と左脳のバランス、両方とも飛び抜けてる感じを受けるんですけど、
なんかその辺ってどういう感覚なんですかね?
すごく明確な理由が2つあるんですよ。
1つは才能がないからなんですよ。
才能はない?
才能ある人間はおっしゃってた通りで、やっぱりものすごい作品を作れれば語らなくていいんですよ。
結構、世界で羽ばたいている僕よりも何世代の世の巨匠たちっていうのは、
やっぱり語るよりも作品が全部有弁に語ってくれるんですよね。
そういうことができない代わりに、外堀を固めるっていうことをしないといけないから、
アーティストって2つタイプがいるとすると、
周りを固めることで自分のやりたい景色をじわじわ作っていくタイプがいるとすると、
あとはさっき言った巨匠たちの織田信長タイプですよね。
ボンボンやることなすこと、全部が正しいことしかやらないっていう本能的なタレントがある人たちですね。
もう1つが、日本人として彼にタレントがあっても、
アメリカみたいな欧米でやる時に、文化の歴史の中に我々は組み込まれてないんですよ。
組み込まれてないっていうことは、そこの中に入れるだけのことをしないといけないんですよ。
そうすると、アメリカみたいな場所でもっとダイナミックにやる人、もっと規格外、スケール外でやる人がいると、
才能っていう言語を自分で信じ込んでやった時に、コテンパにやられるんですよ。
スポーツがいい例です、本当に。身体能力の違いっていうのがセキュラリーに出てくるんですね。
今でこそスポーツ選手が各分野で大活躍してますけど、
僕らは20年前って、例えばバスケットボールだとすると、
2m10の選手の中に張り合える、ダンク打てる人がいるのかって、
今みたいに橋村さんみたいな人いなかったから。
それは後の世界はまた同じなんですよ。
それができないとなると、一郎さんみたいに今までなかったプレースタイルを持ってこないといけないんですよ。
一郎さんが来た時も、僕すごい感動して見てたんですけど、
よく野球界ではセクシーじゃないって言われてたんですよ。
バットに出て打つんですけど、ホームランバッターじゃないから、見てて色気がないとか言われるんですけど、
でももう電動入力するようなプレーになるわけじゃないですか。
あれが日本人のできることだっていうのは、僕はアメリカに行って、ずっと感じ続けさせられたんですよ。
やっぱりみんな、アメリカに行くとアメリカンドリームでホームランバッターになりたいと思うんですけど、
実はそこじゃない言語を作るってことがとっても大事で、
それはもう自分に能力がない25歳で始めるっていう時に、そっちに行こうって思わせてくれなかったアメリカの一番のありがたい愛というか教育でしたね。
今の才能の話も出ましたけど、松山さんの中で、今ちょうど45になった歳です。
僕、41なんですけど、ほぼ同世代と思ってもいいと思うんですけど、
20年前、25歳で行って、もちろんいろんな苦労を努力されてきた中で、
ご自身の中で、外部の評価とか何か受賞したとか、展覧会ってことはさておいて、感覚的なものでいいんですけど、
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これなんとか俺やっていけるかもな、みたいに思ったターニングポイントってあげるとしたらどこでした?
全部結果論なんですよ。
振り返った時に食べれるようになっていて、振り返った時に全部次の家畜の方に翻弄されて自分の熱意がいってるんで、
あんまりこれがターニングポイントだったってはっきりしたものはないんです。
ただ一つ一つはすごく大事にやるようにしていて、
結局場が与えられない、もうハンデしかないっていう状態の中で、
パフォーマンスをしなきゃいけない、プラットフォームを作らなきゃいけないっていうのは、
自分の今やれているようなことができるようになった一番の活力だったというか、
例えば認知が一番最初にあったのはブルックリンで、
今僕が住んでいるエリアがウィリアムズバーグと言いまして、
もっともアーティストコミュニティとしてはニューヨークでよく知られた場所なんですね。
そこのエリアに若いアーティストたちが壁画を描き出したんですよ。
バンクシーもそこに描いていたり、
ブラジル人の有名な双子のアーティストが描いていたりとか、
ある時にそのエリアの一ブロックを区画整理して、
アーティストの中で民主的に5mずつ描いていくことによって、
本当にみんながそこに見に来るようになったんですよ。
すごい安直で、じゃあそこに一番でかい壁を描けば有名になるんじゃないかと思って。
描いてみたら、本当にそれで雑誌からニューヨークらしく特集組みたいって、
ニューヨーク雑誌にほとんど出たことがなかったんですけど、特集のオファーが来て。
そうした雑誌が、さっき言ったニューヨークのニュースタンドに、
どんなにマニアックなアンダーグラウンドと言われる雑誌も並ぶわけですよね。
そうすると、当時は今みたいにデジタル情報がなかったので、
有名なデザイナーとかクリエイターがそこに行って情報を探すわけですよ。
DJがレコードを探すような感じで。
そこで拾われたことによって、プロジェクトをもらって次に進んでいくってなった時に、
一個一個何かもらったものを受け身で取るよりも、
そこで次にもう一回発信できるっていうことをやっていくうちに、
気がついたら今のような状況になっていったっていう感じなので、
あれやったら食べれたとか、誰かに拾ってもらって、
有名なギャラリーに拾ってもらったことで、
僕の人生が変わったっていうのは結構なくて、
じわじわ来てるんで、ずっと進行形のまま来てしまってるっていう状態で。
じゃあ逆に言うとどうなんでしょう?
そういう意味で、やっぱりそれって僕も僭越ながらほとんど霊才ですけど、
起業して今ちょうど12、3年なんですけど、
やっぱりステレオタイプなこういう成功みたいなのを憧れることはあるんですけど、
たまに周囲から慰めてもらってるのか、勇気づけられてるのかわからないですけど、
やっぱりじわじわ、一つの何かとか、一人の誰かに依存してどうこうより、
そういうじわじわのものの方が、いわゆる積み上げていくみたいなものの方が、
いざというとき強いみたいに言ってもらうことがあるんですけど、
松山さんの中ではそういう意味ではどうなんでしょう?
僕は成功したいです。
いっぱい成功したいけど、全然それが当たらなかったっていう状況なので。
よくスタジオもすごく大きくやってますねって言っても、
21:02
やっぱりアーティストでニューヨークで自分が食べれるかっていうセミガエの中でやってきたんで、
会社経営なんてわからないし、
人の生活を自分の作品に対して面倒見るなんてこともどうやっていくか全然わからなかったんで、
常に目隠しをされた状態でゴールがわからないフルマラソンを走ってるような感じなんですよね。
スキルがついたっていうのも結果論としてついてるんですけれども、
それよりもタフにならざるを得ないっていうところが、
ニューヨークで麻痺していったみたいなところ、パンチどんかみたいになって、
みたいなのだけがニューヨークで学んだ一番の自分の武器だなと思いますけど、
可能ならもうスポーンと行っちゃいたかったですね。
でも今まさに出ましたけど、やっぱり今日個人的にはこれも一番聞きたかったことの一つですけど、
このスタッフの方を抱えてスタジオをやって、ブルックリンで、
ドキュメンタリーのときの金額は確か月700万円とかスタジオのありましたけど、
いわゆる…
22:05

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