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  2. S4 ep22 技術はひらめきを肯定..
2024-11-26 50:33

S4 ep22 技術はひらめきを肯定/否定する ゲスト:ワークショップユニット BOB ho-ho(中編)

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ワークショップユニット BOB ho-ho(ボブホーホー)のお二人の出会いからお聞きした前編から更に遡り、今回はワークショップの取り込みを始める以前のホシノさんのエピソードなどからスタート。浜松の森の中にある工房を開け放して話をしていたので、鳥の鳴く声をBGMに。
【BOB ho-ho プロフィール】
ウエダトモミ(グラフィックデザイナー)とホシノマサハル(摺師)からなるワークショップユニット。浜松を拠点に素材を集め、グラフィック、プリンティング、木工など様々な技法を使い展示やワークショップを行う。主な技法としてシルクスクリーンプリントを用いながらPrintable(可能性のあるプリント)である状態をつくりだす。素材ラブゆえに多方向な視点を持つ。
BOB ho-hoさんにワークショップを依頼したいという方は、番組のフォームからご連絡いただければお繋ぎできますので、お気軽にお問い合わせください。
【今回の話題の関連リンク】
ワークショップ紹介記事 | こここ
https://co-coco.jp/products/silkscreen_liveworks/
LIVE WORKS | Good Job Store
https://goodjobstore.jp/collections/live-works?srsltid=AfmBOorZ3zTsx-1wj8OFdcdBZJAuf3F632Bl1FwjqYhZqe4WG8ZHF6tV
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⁠パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

今回のエピソードでは、BOB ho-hoが工房の立地や製造過程について語り、アメリカから輸入した機械の使い勝手や工芸技術の現状を深掘りしています。また、鋳物やアルミ鋳造技術の変遷について言及し、未来のものづくりの可能性を考察しています。このエピソードでは、アートと技術の関係についての議論が展開され、特にアメリカにおけるアートの支援システムや歴史的背景が語られています。また、ワークショップユニットBOB ho-hoの活動を通じて、コミュニティアートの重要性が強調されています。このエピソードでは、ワークショップユニットBOB ho-hoが技術とアーティストの振る舞いの関係を探求しています。技術の活用法や新たな創造性のあり方、また日本における技術教育の現状にも言及されています。このエピソードでは、ワークショップユニットBOB ho-hoが技術のあり方について話し、伝統的な技術と新しいアプローチの対比が描かれています。また、技術のクローズ性やオープンソースの概念についても触れ、参加者間の交流の重要性が強調されています。

工房の立地と特徴
Cra出しRADIOは、様々な手法で物を生まれ変わらせるコレクティブ。ConCRAのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの海です。
星穂です。
岩田です。
そして、今回もこのお二人をお招きしております。お願いします。
BOB ho-hoのMOBです。
星野です。
はい。よろしくお願いします。
ho-hoさんじゃなくて、星野さん。
ho-hoです。
さっき止めてるときに話してたんですけど、BOB ho-hoで二人で来たら、絶対に星野さんがBOBだって思われるっていう。
思われる。
最低だね。
ちょっとドレッドから年齢層する人をね。
怪人風にね。
嫌います。
こっちも殺す。
犬の名前。
犬の名前。
今日浜松の工房に来てますっていうことで前回お話ししたんですけど、
ちょっとロケーションのことはあまり何も話してなかったんですけど、
この工房がね、駅からBOBさんに車で迎えに来てもらって、
林道に入っていくと思ったら、森の中に工房がどんと建ってまして、
結構奥行きのある広い工房で。
50坪だね。
50坪。
縦坪で。
すごい。
ここでどのくらい工房ってされてるんですか?
ここ?
エディションEDという株式会社化してから17期目ですので、
その前に3年あるので、約20年くらいなのかな。
これは時系列的に言うと前回のお話で、
アメリカで24時間のワークショップを作ってみたいなお話がありまして、
それから日本に帰ってきた後に始めた?
帰ってきた後ですね。それはそうですね。
僕は埼玉ですけども、
もともと埼玉で同じクラスのものを探してたんですけども、
埼玉県には川口という場所があって、
結構クルーズ人で忙しくなってる町ですけども、
芋の工場が荒川沿いに乱立してるんですよ。
芋のって旧ポラのある町として栄えた当時の名残として、
まだ残ってるんだけども稼働してないみたいな。
面積的には大体同じくらいなんですけれども、
そこでこの工房をやろうと思ってたら、
ところがいろんな製薬の問題と有機溶剤を使うために、
空気に対しての汚染の問題ですとか、
いろんな問題を大型機械持ってきちゃってるから、
住宅街にはまず作れないとか、
それとあと高いとか、
物件自体の値段が最低でも4、50万円から始まってくるのが1ヶ月ね。
結構高いんですよね。
50坪で高さが10メートルぐらい、
4、5メートルあるとなると、
もうやっぱりそのくらいしちゃうのかなと、
関東だとなみたいなので、ここへ静岡の浜松市へ。
しかも浜松からかなり離れてるんですよね。
駅からね。
森林公園っていう大きな山1個丸ごと公園になってる。
そこの麓みたいな感じで、
比較的みかん畑がたくさんあって、
みかんの収穫場、みかん取った後、
ここにみかんをいっぱい積んで出荷していくという場所として使ってたらしいんですけども、
それを全部改造して、
カリフォルニアから機械を輸入して、
冷房管理をやって、
オープンさせたみたいな。
そこから数えてもう20年くらいになるかもしれないですね。
アメリカからの機械輸入
僕確か20何年前に確かに川口で、
鋳造の実習が川口だったんです。
その頃の風景を思い浮かべながら、
星野さんの話を聞いてて、
確かにこういう場所はないかもなと思って聞いてました。
いくら町工場のところでも、近隣の問題とか。
ありますよね。
それやっぱりあるなと思って。
鋳物っていうのも技術としてね、
だんだんと失われていきそうじゃないですか。
ダルマスポート部なんか今誰も使わんぜ。
鋳物って鉄じゃないですか。
鉄の彫刻じゃないけど、鉄の姿を変えていくための技術。
あれもそろそろ鉄が何かに変わってしまった。
技術の改革によってっていう風になってきてるので、
鉄を扱ってた鋳物屋さんが、鍛冶屋さんが、
カンカンっていう響きも多分少なくなっちゃうんだろうな、
これからはなと思った時に、
鋳物の技術ってどうやってつなげていけばいいんだろうな、みたいなね。
ありますよね。
あります。本当にものづくりは、そういうところあると思いますよ。
僕、だからアルミだったんですもんね、僕実習が。
砂型のアルミ鋳であったんで。
アルミ鋳造。
多分あれも変な話、NC加工が発達したら、
あんなことやる必要もなくなるんだろうなって思ってました。
それが今や3Dプリンターみたいな、
今はプラスチックですか?
でも金属のもありますね。
あるんですね。
多分運100万の機械ですけど、あるはありますよ。
絶対安くなりますよ、将来は。
50年後くらいにはね。
あらゆる金属が手のひらの上にスッと乗れる時代がやってきちゃうっていうのかな。
ごめんなさい、川口そんなに引っ張るつもりは。
いやいや、僕好きな町なんですよ、川口。
結構危なくて、好きなんですよ。
赤田さんが住んでるし、みたいなね。
この広い工房の一角で今日お話しさせてもらっているんですけど、
伺って最初に工房の中を一通り見学させていただいて、
一通り製版するところから陰気もずらっと並んで、
先ほど大型の機械とおっしゃっていた、
B全、説明をしておくと、
A4とかB4とかの紙のサイズありますけど、
B版の一番最大のサイズですね。
だいぶ大きいです。
全って何を指すの?
Bが0ですね。
本当はB0乗るんですよ。
B0版乗っちゃいます。
B1の倍、1028×728のサイズですね。
1028と720。
それを切っていったのがB3とかB4とかB5とかの小さくて、
液状に入ってあるコースターがB全ぐらいですね。
黄金分割ですね。
このぐらいだと思います。
大きい版も擦れる二次動機が。
わざわざアメリカから持ってきた。
そうですね、持ってきましたね。
船っていうのは持ってこれるんだ。
アメリカから来る機械、他にもラックもそうなんですけど、
ラックもアメリカからの?
アメリカも全部そうですね。
焼き付けの投射機も全部そうです。
ちなみにあれですよね。
今の投射機は変えたわ。
持ってきたやつはもう使えなくなっちゃったんだ。
電流圧が合わなくて。
さあ、おいくらで持ってきたでしょうか。
えーと、輸送代があるんですか?
コンテナです。
めっちゃでかいです。
100万?
全く何の相場かも全くわからないです。
100万。
適当に言うでしょ。
これを船で1ヶ月ぐらいかけて運んで、
清水港まで着きますよ。
これを持ってくるだけで20万円です。
びっくりした。
25、6万円です。
25、6万円で持ってくる。
ところが清水港からここに運んで、
80万円くらい。
だいたい100万円なんですけども、
港から港って安いんですよ、実は。
意外と。
沖縄市がここに手配してくれるんですね、
持ってくるために。
これぐらいの大型トラックにコンテナを積んで、
中にこれ入って、
どうやってここに?
そうなんですよ。
ここ坂道も入ってて、
ここが上がらないんですよ。
ここが上がらないために、
重機をフォークリフトの超でかいやつを
もう一個持ってきて、
空港から持ってきたんですよ。
空港で使われてるような?
空港で使われてるフォークリフトをレンタルして、
その大型トラックに乗っけて、
こっちのコンテナはコンテナでもう一個来て、
その重フォークリフトでこいつを
グワーッと爪に引っ掛けて上げて、
このドア全部外して、
ガラスドア全部外しちゃえば入るんですね。
グワーッと上げて、
ここに設置して、
技術者に呼んで電圧調整したみたいな、
技術の変遷と未来
そういう感じでやりました。
ちなみに、
このぐらいの自動のシルクのする機械って、
日本に何台くらいあるんですか?
実はないんですよ。
1700万するんですよ。
スベチアって言って、スウェーデンからの超ブランド品なんです。
このスベチアを持ってるっていうところは、
スベチアさんが技術の特許を持ってて、
これを実際に稼働させると分かるんですけども、
こうやってハンガーが上下に上がるんです。
上に行くためにはこうやって上がるんですよ。
日本の国境ってこうなんですよ。
一箇所が支柱になってて、
上の部分が角度がついちゃうんです。
こうやって上げて作業をします。
日本のは蝶津貝みたいに、
視点が上がるんですよ。
スベチアさんは上下水平に上がってくるので、
この特許の違いが、
作業するときにものすごく使い勝手がいいんですよ。
ものすごく使い勝手が良かったために、
日本にもこのシルクスクリーンの半自動機械って、
売り出されてますけれども、
慣れちゃってたもんで、
こいつを使うのを。
カフェニア時代にずっとこれを使ってたので、
このスベチアさんを持ってきたという感じで、
当初はずっとここで使ってました。
最初の7、8年、
12、3年くらいまでは、
フル稼働ですり工房として1、8人いて、
毎日来て掃除して、
というのをやってました。
体育会系の感じでやってました。
8時から始まって、
6時まで。
前回ワークショップの話が主だったので、
そんなでかいサイズのシルクスクリーンにするものって、
何なのかって、
聞いてる方で想像できる人、
あんまり多くない気がするんですけど、
具体的にそれで何を吸っていたかみたいな。
それでハンガー?
大きな、ほぼ現代美術作家さんの、
ハンガーを吸っていたっていう感じかな。
もともと大きな機械の、
自動機械を持っているハンガー工房っていうのが、
日本の中にそんなに多くなかったんですよ。
日本のハンガーの擦り石の技術っていうのは、
要するに手擦りの技術を極めるように、
進歩してきたために、
機械に頼る感じっていうのを、
良しとしてないかったんですね。
ところがアメリカでは、
これで1日800枚くらい平均で、
×2色で、
800枚午前中吸って、
また800枚吸ってっていう。
そんなスピードなんだ。
それをビーゼンクラスでやっているので、
エネルギーの使い方が、
画札であると同時に、
その使ったエネルギーで、
終わりまで突き進むことによって、
工期が短く済むっていうのかな。
工期っていうのから、
ハンガーの制作期間が短く済んじゃうんですよ。
800枚を手擦りで、
1日やろうとしたら、
ヘトヘトになるはずですよ。
しかもビーゼンとかっていうタイプですね。
次の日はお前な、次の日はお前なって言って、
擦り石が変わってしまう可能性があるんですよ。
そうすると陰圧が変わるじゃないですか。
そうすると前日擦ったものと合わなくなってきたりとか、
疲れ始めた検討と、
疲れてない頃の検討が合わなかったり。
ところが機械君は、ばっか正直だね。
ばっか正直のために、
いつも同じ答えを出しちゃう。
つまり、アメリカ時代に学んだことって、
正直にやろうよって感じなんですね。
みんな正直なの。
アートと合理主義の日本
嘘っぽいけど正直なの。
ばっか正直なの。
だからばっか正直なために、
他の部分にずれるとか、
それがないんですよ。
合理主義ってばっか正直なんですよ、実は。
合理主義によって作られていく版画っていうのも、
正直に後期から、人件費から、
すり代からが計算され尽くしてて、
経営的には楽なんですね。
俺からすると。
大変な仕事でお金が儲かるのは当たり前。
こういう世界だから、
3ヶ月間に3000万クラスは簡単に手に入る。
20年くらい前に。
結構お金的には悪くなかったんですよ。
全然。
1年間で3ヶ月で3000万円で1億超えちゃうわけですよ。
すり代ですよ。
すり代で1億超えるって日本ではほぼない。
ほぼないというか、ないですよ。
絶対ないと思う。
それはマーケット。
作ったものがどうやって売られていくか、
もうセットで出来上がってるので、
あんまり言えないところの、
専門のこういう売られる商法、
まるまる商法みたいなところで、
売られる仕組みになっているので、
デパートメントにあるファインアートを扱う画廊さんみたいな、
デパートメントにあるファインアートを扱う画廊さんですよ。
現代美術の個人経営じゃなくて。
デパートメントに入っている画廊さんって、
新時計とかされてて、
ニューヨークでもカリフォルニアでもアリゾナでもユーザーでも、
どこでも卸が機能的に循環できるんですよ。
そうすると一箇所で作ったものが、
ブワッと全米に広がれるっていう。
この流通も含めて、
売るシステムが出来上がっちゃったところを、
元を作るのがこいつ、俺たちっていうところがあったので、
ものづくりイストとしては、
資本かかった資本に対して忠実に仕事をしていける、
居心地の良さ感があるんですよね。
ところが守らなければいけないことだらけなので、
反のずれやなんかは絶対に許さないぞっていうところを、
厳しく追求するんですよ。
この厳しく追求する仕方が、
アメリカにおけるアート支援
雨の日だから髪伸びちゃったよね、
じゃあ済まないっていう世界で保守的なんですよ。
めちゃめちゃ保守的ですよ、アメリカって。
アメリカの技術者って。
その保守が絶対的な資本を支えてしまうんですね。
僕はそう思う。
ところがアメリカの最後の4年間5年間は、
障害者と犯罪を持った子供と地域のコミュニティアートに、
時間を使っちゃったら、
その世界とはまるで反対の世界があるんですね。
要するに、ボクさんのストリートシルクに近い状態のシルクに、
あの当時の4,5年って触れてたんですよ。
違法薬物だらけのうちの工房も、そこに触れてたんですよ。
だけども、昔取った金塚の技術が、
そっち側の方向にグッとシフトさせることを拒んでたわけですね。
ある意味、革新的に歩いて新しい物事に対して、
ひらめきと直感で、こっちだねって言える感覚。
これがめっちゃ大事なんですけども、
それをね、技術が邪魔しちゃうんですよ。
本当に邪魔しちゃうんです。
いや、そうは言ってもらうね。こうなってきたからな。
でも、ものすごく技術者としてのプライドとかが、
本当に高い人だったら、
そもそも子供向けとか障害のある方向けとかの
犯罪行政施設みたいな、
そういうところとの接点自体がそもそもない生き方をする気がするんですけど、
そこになぜ星野さんが繋がったのかっていうのは、
アメリカにいる間に。
それは僕がもらってたカルフォーニアアーツカンシルっていう、
女性菌団体があるんですけども、
カルフォーニアナショナルエンドロスメントオブアートっていう、
NEAっていう国家組織の芸術の基金を集めている団体があるんです。
そこから地方に、地方再生じゃないんだけども、
交付金という形でカルフォーニアアーツカンシル、
カルフォーニア芸術評議会、ここにお金をNEAから落とすわけですよ。
この予算額は毛と違いなんですよ。何億円なわけです。何十億円だったかな。
詳しくはあれだけど、僕がもらってた90年の終わりぐらいの女性菌といったら、
すごいものの金額を僕はもらってたんですね。
そのことが、つまりカルフォーニアアーツカンシルが出す女性菌って、
全て市民のために使ってくれっていう女性菌なんですよ。
孤立したヒアルキーのトップにいるようなアートの業界で、
何十人かのアーティスト、上の何十人かのためだけに使わないで、
公共性を相手にしなさいと。
だから、僕は今までの仕事をカルフォーニアの中でやるわけにはいかなくなっちゃったんですね。
それと同時に、コミュニティを相手にするアーティストとしてやりなさいと。
そのためには、女性菌をもらうためには試験を取らないといけないんですよ。
カルフォーニアアーツカンシルの表議員の前でインタビューされるんですよ。
テストされるんですよ。あなたのやってきた技術をまず見せてくれみたいな感じで、
作ってきたものを見せて、私はこういう技術を持って日本からやってきて、
僕はその頃もA受験を持っていたので、
そういう資格を受ける権利もあったので、
質問されるんですね。いろいろ。
もう何年やってんだ、こういう技術を。
最後の質問なんですよ。
この最後の質問というのは、実は後でわかったんだけども、
必ず同じ質問をするらしいんです。
どの人を選ぼうかっていうインタビューなんですよ。
その最後に必ず同じ質問を全てのインタビューしている人に投げかけてるんですね、質問者は。
その質問が素晴らしくて、
つまり、Why? あなたは何でアーティストなんだ?
Why you are an artist? って言われる。
Why you are an artist? お前は何でアーティストをやってるんだ?
こういう質問を最後にされるんですね、表劇院のメンバーに。
その質問に、僕はね、I love to painting。絵を描くのが好きなんだ。
だから、アーティストがやってるんだ。
もし答えたとしたら、ブブーなんですよ。落ちちゃうんです。その時点で。
その後わかったんですけども、そういう答え方をしたアーティストはいらないって言われる。
必要ないんだ。僕はね、技術を持ってるんだ。
でね、僕はこれを一般の人にまで浸透させるために、
いろんなコミュニティの中で、こういうプリントを使った表現活動のチャンスを数多く広げていきたいんだ。
そのために自分の工房をオープン、開いていこうと思ってます。
そのために僕はアーティストになってるような気がするんですよね。
で、これ何を言ってるのかって言ったら、アートは誰のものかってことを言ってるんですよ。
誰のものかって言った時に、日本の都定制度や、修行や、試練や、追求や、いろんな仕方でもって、
自分一人で表現を追い込むようにして、自分を追い込みながら表現ってものを作ってきた人たちがいっぱいいるこの国と、
まるで違う政治的なモチーフを持ちながら、この地域の中に芸術ってものをどうやって広めていこうかってことを考えないと、
私たちポリティシャル、つまり政治団体、芸術基金ですから、これを使ってどうやって広めればいいのかってことを考える人たちとは、
表現についての考え方がまるで違ってるんだ。
僕はもう、みんなとなんだかんだやるのが、専門のアーティストをやってるよりも気持ちがいい時期に入ってきたので、
カルフォルニア最後5年間っていうのは、そうなってきちゃったので、有名な高名な作家さんを全部相手にしなくなっちゃった。
だからいろいろ来たんだけど、それ全部断っちゃってるっていう。断んなきゃよかったなーみたいな人もいるんですよ。
ダムタイプも来ました。奈良吉利さんも来ました。力専師さんも来ました。事務隊も来ました。
もうそれこそ信じられないアーティストがいっぱい来てるんですよ。
だけどもう全部断ってる。断ってる理由が、そういうことに行ってしまうと、
もらってた助成金の使い方が間違った方に行ってしまうので、結局は地域のためにどう使うかっていう、
一番そこに行かないといけないんだよなっていって、いろんな自分のガレージを開放したり、工房を開放したり、
学校に出向いて行ったり、街中でポスター展やったり、ポリステーションとかいろんな場所で始まるんですけど、
その最後の5年間の流れが、実は帰ってきてすぐに始めた仕事とは全然正反対なんですよ。
ここをまず何千万かかけて作ってるので、収益出して返していかなきゃいけないっていうので、
コミュニティアートの重要性
初めの15年ぐらいは、13年ぐらいか、作家さんやって、買い物やって、お金を入れて借金返し終わった後、
ここ10年ちょっとぐらい僕さんと始まったあたりで今につつ上がってるので、ようやくその技術のしばらみ感じからは少し離れたところでね。
今は面白いよね、ほんとにね。ただ技術がなくなったのかな、欲しいのは。
時々思うことがあるんですよ。昔のような技術持ってんのかな、みたいなさ。
ちょっと目も白内緒気味だし、手もうまくいけるのかな、ナイフ持てんのかな、みたいな。
あえてチャレンジしないんですよ。それをまだモテてるなんて思っても、何か意味あんのかな、みたいになっちゃってて。
それよりも違った、お坊さんとやってる中で生まれる次のモチーフどうしようかって考える方が、よっぽど枠付くわけね。
枠付いていくので、今はすごい良い感じですよ、すごい良い感じ。
それを象徴するように、さっき配信の中では目の前にある大きい機械の話をしましたけど、実はその上に荷物がいっぱい積んであって、ほとんど動かせる状態じゃないっていう。
たぶん動かせるとは思う。動力はエアーコンプレッサーで動かせるんですけど。
今の星野さんのライフスタイルの中では、これは必要なフェーズではなくなったっていうことですね。
もう一回使って何かあったら面白いかもしれないけどね。機械が、まずは今のところはないみたいな。
どんどん逆行していっちゃってるっていうのかな。シスクツリーのプリンティング技術からも逆行していってるっていうのかな。
ここで使うゴムベラのスキージってやつも使わないで、今はプラスチックの板になってるので。
ボブホーで使ってるのは、ボブさんが使ってたスキージなので。
ペラペラの板だね。
それはボブ式っていうことですかね。
今ボブホーでやっているワークショップのシルクは本当に簡易なものなので、それは星野さんの技術ではなくて、どちらかというと私のボロい技術の方で。
ゴムの方が圧着もしっかり、下の印刷物と圧着もしっかりして変な摩擦も起きないし、きれいに擦れるんですけど、
それを扱える人は限られてきちゃうんですよね。
手が不自由な人は持てないし、結構重たいし。
ホールド感が必要。
私のやってたシルクは3歳くらいの子供からでもできるくらい全部が軽いんですよ。
初めて何かを持てるようになった1歳とか2歳でもお母さんと一緒でもできたねみたいな。
それくらい軽いものなんですよ。
ゴムでやった方がもちろん作品としての色の濃さだったり、圧だったり、シルクのいいなっていうものができるのは十分わかってるんですけど、
それよりももっと軽く流れるくらいにサラッとしたもので表現をしたいみたいなのも自分でやってた時にあるし、
あと丁寧に扱わなくていいみたいなのも自分の中でもあって、ゴムだと劣化しちゃうんで、
きれいに拭いたりとか、インクがそこに残ってないようにとか、アフターケアもめっちゃ大切なんですけど、
技術の幅広さ
プラスチックだったらバケツの中にボンと入れとけば、ワークショップとか全部終わった後に自分でちゃちゃっと洗っちゃえばいいし、
最後まで工程がきっちりできる子供だったら洗いまでできるけど、そうじゃない子、
次行きたいとか集中力がいろんなところに散漫になっちゃう子だったらそこのバケツの中にほっといて入れとけば後で私洗えるしみたいな、
それくらい幅が広い方が自分のスタイルに合ってるなっていうのもあって、技術とは呼べないんですけど、
私の中ではそういう技術っていうところに落とし込んでいるっていう感じ。
面白いな、面白いって言うってあれですけどね。
なんかちょっと思って、アーツカウンシルの面接の話が結構ぐるぐるしてるんですけど、
なんでかっていうと質問者のやりとりが、見せるものは技術だけど振る舞いとかがアーティストの振る舞いも問われていて、
よくあるのは、なんでアーティストなのかっていうのと、なんで技術者なのかっていうところの問題が一緒に喋られているような印象があったので、
結構その話って、僕の周辺だと分離しちゃってるんですよ。
どこの技術に対してどの技術が最適かみたいな話は、今のボブさんの話とかでもそうです。
別に技術同士に優劣がないような、そういう話とかに、星野さんが言ったような話の流れがめちゃめちゃ興味深いというか、
フェーと思って聞いてます。
圧倒的な技術は、やっぱりボブコンの中には星野さんっていう人が圧倒的な技術でそこを支えてくれてて、
やっぱりパッと見がすごい軽くて、3歳でもできるんで、よくこれどうやったら作れるんですかって聞かれるんですよ。
お家でもやりたいですって、やりたいですよねって思うんですけど、それはね、みたいな意外とすごく準備的に。
プラスチックのスキー地でも綺麗にするためのインクの粘土の作り方とか。
単純な細かい模様も細かい模様が出るようにセットアップしてくれてるし、星野さんが。
さっき言ったインクの乗り方も、本当にTシャツ、木、石、全てに対応できるぐらいいろんなバリエーションを持たせてくれてるから、私たちが持ってくインクって80種類ぐらいあるんですよ。
それぞれの特徴が全部違ってて、ワークショップやってる時見てても子供たちがワーってやって、Tシャツ吸ったけど次木いくとかってなると、
あー木いけるかな、でもこっちの方がいいかもなみたいな感じで、ほんのちょっとした手助けみたいなのをちょこちょこ入れたりしてるんで、
すっごい軽く見えるそこを星野さんの培った技術がめっちゃどっしりと全てを活かしてる。
でもそれを超えていくよな、タムラとかね。
そうそう、それがグッドジョブセンターで。
タムちゃんはね、軽く超えるで。
50回も30回もずっと同じことをバーって。
なんかの動画でタムちゃんがめっちゃ何回もスキーでやってるのを見てて、
そんな必要あるかって。
でもめちゃくちゃノリが良かったですけどね。
そうなんですよ、不思議なんだよね。
なんで私も星野さんも考えてた技術をやっぱり軽く飛び越えてくれる存在としてグッドジョブセンターさん。
裏返しにするとかな。
そうすると逆さんになるので、用意したイメージとは逆のイメージになっちゃうんですよ、裏からすると。
でも擦れちゃうんですよ。
それは普通、小学校の授業でもそれはやらないよね。
やらないし、羽の厚みとか考えちゃう。
そう、そう、そう。
マジですか?みたいなところを堂々とやっちゃうところが、
それ違うよとも言わないんだよ。
それは反対反対とも言わない。
出来ちゃうんだ、みたいな。
すっげーな、みたいな。
で、逸話としてそういう引きずるじゃないですか。
逆に捨ててさ、みたいな。
で、それを楽しむみたいな。
すげー、みたいな。
だからやめれないっていうのかな。
また次なんか来るぞ、みたいな。
好きじまえ、縦で捨てるやつに捨てる前な。
正しい位置じゃなくて、こういう位置でな。
面積が少ないところで。
そっちの方が身体の動き的にしっくりいったんでしょうね。
握り方とかも分かるんでしょうね。
いったんですよ、そうなんですよ。
すごい感覚的にさ、
する技術を使いやすいんだよっていう技術は、
技術的に劣ってんだろうかってさっきの話なんですよ。
劣ってんだろうかと。
その人にとってはすごい使いやすい、
このひらめきにも近いその使い方こそがあなたの技術だよね。
アーティストの振る舞い
そこから生まれたものは綺麗じゃないって誰が言えるの?って感じ。
綺麗って何?みたいな。
元々の用意したものがきちんとした形で擦られなければ、
綺麗じゃないなんてどこにも誰も言ってないよみたいな
世界で活動しているので、より広くなるわけですよ。
綺麗の幅が広くなっていく。
擦れもいいよね、にじんもいいわ、みたいな。
そんな感じの現場っていうかな。
これが気持ちいいぞ、みたいなところかな。
みんながこうやったらとか、わざわざやってみたいって言っても、
普通だったらそれはちょっと違うからって言われちゃうのが、
やってみなよっていう。
向こうも勝手にやるし、
方々さんもそんなやり方でできるんだって驚きもあって、
寛容と需要が新しい革新に出るんだなって受け入れてあげるってこと。
確かに日本で技術だったりとか教育の場で、
需要ってすごい少なくなってきちゃってるから、
みんな正解を求めてさ、
効率よくやるっていう方向に、
資本って、さっきおっしゃってたら資本って言ってるから、見失ってきてる。
これは何を求められているんだろうとか、いらんこと考えちゃって。
課題があった時にどう答えたら点数上がるんだっけとか、そういうことを考えちゃう。
だからAIみたいなものが最近流行るんだな。
正しいことを言おうとする。
正しさを最大公約数を出しているものですよね。
僕、ボブ方々さんワークショップに参加させてもらった時のイメージ的には、
吉野さんがルック的にも破天荒な感じがするんですけど、
お話聞いてるとボブさんの方が圧倒的に破天荒だし、
それこそ、
人の娘。
そもそもレールにはめようとしたところから早い段階で、
それやったらいいですっていう理由にアレンジしたところから、
自然に始めるみたいなことをされていったわけじゃないですか。
逆に、吉野さんがカリフォルニアの助成金とかの話で、
だんだんワークショップに行く前の職人的な技能を磨く間っていうのは、
むしろ、かなり都定性的な厳しい世界の中で技術を鍛えてきた。
美学校だったからね。
美学校っていうのは、典型的な左側の思想の学校ですけど、
現代思想者が作った。
そこの美術の学校の専門のシルクスクリーニングで、
岡部先生に就いてしまった。
で、助手で3年やった。
それこそ、技術者としてどう振る舞うべきかみたいなのは、
先生の工房にうかがったたんびに学ぶわけですわ。
その学びも美学校の学び方なので、
自分で盗まないといけないんですよ。
本当に都定制度みたいな。
都定制度の基本は、教えてもらう気持ちになったらもうダメなんです。
とにかく教えてもらうよりも、自分で盗むことを考えろ。
盗むことをやれっていうふうに言われるので、
盗んで手に入れたものしか身につかんぞっていう、
その美学校の基本構想みたいなところに、僕は今でも引きずってる。
今でも引っかかってる。
それは、あの当時付き合ってた色んな美術家さん、
吉谷勝郎さんも含めて、今さんや岡部さんやっていう、
色んな現代美術家の人との付き合いの中で、
自分この人が何盗めるのかなっていうのを、
しょっちゅう企んでるわけですよ。
横尾さんと仕事した時には、横尾が何盗めるのかなみたいな。
横尾のアトリエとこれ、何が盗めるのかなみたいなことをやって、
なるほどってやるわけですよ。
だから、その当時から草間弥生なんかと付き合ってたので、
彼女が精神病院に入院してた頃から付き合い始めて、
82年くらいから付き合ってますから、
その頃のマンハッタン・ジェスミス・イジオシルファンの
あの草間から、俺たちはとんでもない遊び方を開発しちゃったんだね。
きっと、草間さんと一緒にワイワイとシルクスクリーンを吸っては、
できたぜ、草間!っていう感じの遊び方を身につけちゃったために、
あの当時の俺の楽しみっていうのは、
作家さんのためにどうやって作家さんを驚かしてやろうかっていうところで、
技術を磨いていくっていう。
だから、草間の前にアイオーっていう人がいて、
フルクサスにいたニューヨークの、
アイオーさんなんかフルクサスの最前線に来てたけども、
アイオーをするときのインクは、油絵の具をまず全部油抜きするんですよ。
油抜きした、要するに残った色素の部分だけを
シルクのインクに溶き直すんですよ。
油絵の具の、ちょっとカチカチになったもの。
伸ばしながら、もう一回シルクで擦れるように、
油絵の具の色を、シルクスクリーンの色じゃ出ないので、
作り直すと。
そうすると、これ、科学的に見ると、
油絵の具よりもシルク絵の具の方が、規制が厳しいんですよ。
規制が厳しいと、要するに、
二酸化、三化、第二鉄、赤。
三化、第二鉄の成分は、
これ以上増やしちゃいけないよっていう、
インク会社のマニュアルによって、
インクの赤は作られるんですよ。
ところが、そうじゃない赤ってあるんですよ。
カドニウムレッドだとか、カドニウムイエローだとか、
舐めたら死にますよ。油絵の具。
一本飲んだら死んじゃいますよ。
そのくらい有害物質なんですよ。
そのくらい、発色がいいんですよ。
めっちゃ発色がいいんですよ。
発色の良さに惹かれると、
インクはすべてメキシコ製だねって、
こうなってくるんですよ。
アメリカ時代にメキシコまでインクを買いに行くんですよ。
そうやって、貴重だ赤を手に入れたぜってやるんですよ。
油抜くと。
日本ではそういうインクが、
測りにかかれないんですよ。
規制を外したインクなんて、
油抜き禁止になっちゃったりとか、
そもそもインク会社さんは作ってないので、
暗闇でも見える赤って、
どんな赤かな?みたいな。
薄い20ワットの光でも赤と近くする赤を作れ、
みたいな感じで指示を受けると、
本当に日本のインクなんかは暗くなっちゃうんですよ。
で、そうやって発色自体が、色相自体から
持ってるような強い赤をどう手に入れるかみたいなところで、
やる、みたいな。
草間さんは夏田インクでやったかな。
アメリカのインクで多分やってると思いますけども。
そういうふうに、何だかんだの技術にまつわる
ちっちゃい隙間の部分を一生懸命やる、みたいなのが
美学校の初期時代だったんですよ。
技術を教えられた後、その技術を
どのように考えていけばいいのかっていった時に、
日本における技術教育
今井住吉彦っていう校長先生が、
私たちの提覧会の時に激文を送ってくれたの。
美学校の校長先生がね。
君たちはシルクスクリーンをやってるんだろうと。
シルクをやってるのはいいけれども、
網打ちの虜になるのか、網打ちをすり抜けるのか、
網をすり抜けるのか、どっちなんだいって聞いてきたんですよ。
網打ちの虜になるっていうのは、
シルクに貼る車、スクリーンを均等に貼ること。
圧力がきちんと貼れてるかどうかを
角度を持って調べあげること。
真ん中よりも端っこの方が圧が強くない?
テンションが強いと、
加圧した時のすりの位置が変わっちゃうだろう?
だったらもうちょっときちっと貼れよっていうところを
頑張るのか?
それとも、網なんかどこでもいいよね。
すり抜けていくのか?
このどっちに生きるんだ?って言ってるわけですよ。
今井泉さんは。
僕たちのテレナ会に向けた挨拶文の時。
それを読んだ時に、また愕然とするわけですよ。
俺は抜けるよって。
取り込んにはならんよって。
抜けてってやるっていうやつがいっぱい出始めたんですよ。
その時に、僕も私もで、
シルクのスクリーンのプリント技術から離れようとするために、
データ維持組みの技術なんかもういらねえっていう
反乱軍が起こっちゃうわけですよ。
岡部さんの言ってること古すから、みたいな感じで。
私は網戸を使うとかね。
そういうやつが出てきて。
砂を使うとかね。
そういうやつが出てきて。
岡部さんは、僕は水にも擦れる技術を持ってるんだ。
みたいなことを言ってる擦り師だったので、
水の表面にインクで擦れるんだよ、みたいな。
実際擦れるんですよ。
その擦り技術っていうのは奥義なわけですよ。
奥義。
奥義として持ちなさい、みたいな。
それはその擦り方できるんですけども、
その奥義は離さないで。
離さないけど水面の上にインクを擦ってあげることはできる。
目の前に見せることもできる。
どうやって作ったんですか?
これはインクの練りの濃度がね、とか言うわけないじゃん。
技術を解き放すオープンソースにするわけないじゃん。
つまり技術っていうのはクローズなんですよ。
実はめちゃめちゃ自分の技術なんです。
だからここんちはネットにも情報を載せない。
情報回帰をしない。
何があるんですか?
僕は技術を本当の意味で追っかけてきた人ですよ。
その人に技術を教えられる唯一の方法があるとしたら、
そこにくさびを打つ方法があるとしたら、
技術と全く正反対のところから盗みに来なさいってことですよ。
だからボンボンさんはやがて盗んじゃうんじゃないですかね。
たぶん盗まれちゃいますよ。
でもいろいろさっきワークショップで表現の
このすりの技術の未熟さに片手を開いたかのような
オープンソースを持っているかのような方法のワークショップって
実はまだ不十分なんですよ。
実はこういう開いたワークショップをやっていると
そこに参加できていない人たちがいることをよく知っているんですよ。
参加者間の交流の重要性
つまりみんなと一緒に仕事ができない僕はっていう人、子供
必ずいる。絶対いる。
僕はその子を頭から信用する。
その子のためにやりたいと思う。
だからみんなでこんなのできちゃった、わーわーわーとか言って
めちゃくちゃ頭いいよね、なんて言ったらもうほっといていいわ。
それよりもいじいじしているの。
一人で何も発言できないの。隠れちゃうの。
人前でいるときはやれない。こういう感じ。
そういう子を見つけるともう気持ちよくてしょうがない。
自分がそうだったから、いじめられっこで
ずっと人前で発言できなくて
同じでも6年生までしてたし、小学校ね。
どんでもなく人とうまくやれない子だったんですよ。
遠足もいけない子だった。
そういう子が大人になると、こういう大人になれるので
まあ頑張れと。一人っきりでやれることたくさんあるからなって
一人っきりで向き合っていくと
ワークショップの期間中、今日は一人か二人しか相手にしなかったな
みたいな時は俺の中にはあるんですよ。
それは自由にさせてくれているワークショップの作り方をしているので
うちらはすごいありがたい。本当に面白いこのワークショップの見方はね。
実は今日お悩み相談持ってきてるんですよね。
そうですね。
ちょっと次のエピソードに持ち越したいんですけど
いいねお悩み相談。大好き。
じゃあ来週も。
10分後じゃないか。
10分後に会いましょう。
10分後に来週で終わります。
というわけでお聞きいただいている方には来週なんですけど
このエピソードの
来週の火曜日にまたボブホーゾンのお二人と
お会いしたいと思います。
感想はハッシュタグでcolcrmlで
フォームもあるので質問・感想をお願いします。
というわけで来週10分後ですけど
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
50:33

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