雨の日だから髪伸びちゃったよね、
じゃあ済まないっていう世界で保守的なんですよ。
めちゃめちゃ保守的ですよ、アメリカって。
アメリカの技術者って。
その保守が絶対的な資本を支えてしまうんですね。
僕はそう思う。
ところがアメリカの最後の4年間5年間は、
障害者と犯罪を持った子供と地域のコミュニティアートに、
時間を使っちゃったら、
その世界とはまるで反対の世界があるんですね。
要するに、ボクさんのストリートシルクに近い状態のシルクに、
あの当時の4,5年って触れてたんですよ。
違法薬物だらけのうちの工房も、そこに触れてたんですよ。
だけども、昔取った金塚の技術が、
そっち側の方向にグッとシフトさせることを拒んでたわけですね。
ある意味、革新的に歩いて新しい物事に対して、
ひらめきと直感で、こっちだねって言える感覚。
これがめっちゃ大事なんですけども、
それをね、技術が邪魔しちゃうんですよ。
本当に邪魔しちゃうんです。
いや、そうは言ってもらうね。こうなってきたからな。
でも、ものすごく技術者としてのプライドとかが、
本当に高い人だったら、
そもそも子供向けとか障害のある方向けとかの
犯罪行政施設みたいな、
そういうところとの接点自体がそもそもない生き方をする気がするんですけど、
そこになぜ星野さんが繋がったのかっていうのは、
アメリカにいる間に。
それは僕がもらってたカルフォーニアアーツカンシルっていう、
女性菌団体があるんですけども、
カルフォーニアナショナルエンドロスメントオブアートっていう、
NEAっていう国家組織の芸術の基金を集めている団体があるんです。
そこから地方に、地方再生じゃないんだけども、
交付金という形でカルフォーニアアーツカンシル、
カルフォーニア芸術評議会、ここにお金をNEAから落とすわけですよ。
この予算額は毛と違いなんですよ。何億円なわけです。何十億円だったかな。
詳しくはあれだけど、僕がもらってた90年の終わりぐらいの女性菌といったら、
すごいものの金額を僕はもらってたんですね。
そのことが、つまりカルフォーニアアーツカンシルが出す女性菌って、
全て市民のために使ってくれっていう女性菌なんですよ。
孤立したヒアルキーのトップにいるようなアートの業界で、
何十人かのアーティスト、上の何十人かのためだけに使わないで、
公共性を相手にしなさいと。
だから、僕は今までの仕事をカルフォーニアの中でやるわけにはいかなくなっちゃったんですね。
それと同時に、コミュニティを相手にするアーティストとしてやりなさいと。
そのためには、女性菌をもらうためには試験を取らないといけないんですよ。
カルフォーニアアーツカンシルの表議員の前でインタビューされるんですよ。
テストされるんですよ。あなたのやってきた技術をまず見せてくれみたいな感じで、
作ってきたものを見せて、私はこういう技術を持って日本からやってきて、
僕はその頃もA受験を持っていたので、
そういう資格を受ける権利もあったので、
質問されるんですね。いろいろ。
もう何年やってんだ、こういう技術を。
最後の質問なんですよ。
この最後の質問というのは、実は後でわかったんだけども、
必ず同じ質問をするらしいんです。
どの人を選ぼうかっていうインタビューなんですよ。
その最後に必ず同じ質問を全てのインタビューしている人に投げかけてるんですね、質問者は。
その質問が素晴らしくて、
つまり、Why? あなたは何でアーティストなんだ?
Why you are an artist? って言われる。
Why you are an artist? お前は何でアーティストをやってるんだ?
こういう質問を最後にされるんですね、表劇院のメンバーに。
その質問に、僕はね、I love to painting。絵を描くのが好きなんだ。
だから、アーティストがやってるんだ。
もし答えたとしたら、ブブーなんですよ。落ちちゃうんです。その時点で。
その後わかったんですけども、そういう答え方をしたアーティストはいらないって言われる。
必要ないんだ。僕はね、技術を持ってるんだ。
でね、僕はこれを一般の人にまで浸透させるために、
いろんなコミュニティの中で、こういうプリントを使った表現活動のチャンスを数多く広げていきたいんだ。
そのために自分の工房をオープン、開いていこうと思ってます。
そのために僕はアーティストになってるような気がするんですよね。
で、これ何を言ってるのかって言ったら、アートは誰のものかってことを言ってるんですよ。
誰のものかって言った時に、日本の都定制度や、修行や、試練や、追求や、いろんな仕方でもって、
自分一人で表現を追い込むようにして、自分を追い込みながら表現ってものを作ってきた人たちがいっぱいいるこの国と、
まるで違う政治的なモチーフを持ちながら、この地域の中に芸術ってものをどうやって広めていこうかってことを考えないと、
私たちポリティシャル、つまり政治団体、芸術基金ですから、これを使ってどうやって広めればいいのかってことを考える人たちとは、
表現についての考え方がまるで違ってるんだ。
僕はもう、みんなとなんだかんだやるのが、専門のアーティストをやってるよりも気持ちがいい時期に入ってきたので、
カルフォルニア最後5年間っていうのは、そうなってきちゃったので、有名な高名な作家さんを全部相手にしなくなっちゃった。
だからいろいろ来たんだけど、それ全部断っちゃってるっていう。断んなきゃよかったなーみたいな人もいるんですよ。
ダムタイプも来ました。奈良吉利さんも来ました。力専師さんも来ました。事務隊も来ました。
もうそれこそ信じられないアーティストがいっぱい来てるんですよ。
だけどもう全部断ってる。断ってる理由が、そういうことに行ってしまうと、
もらってた助成金の使い方が間違った方に行ってしまうので、結局は地域のためにどう使うかっていう、
一番そこに行かないといけないんだよなっていって、いろんな自分のガレージを開放したり、工房を開放したり、
学校に出向いて行ったり、街中でポスター展やったり、ポリステーションとかいろんな場所で始まるんですけど、
その最後の5年間の流れが、実は帰ってきてすぐに始めた仕事とは全然正反対なんですよ。
ここをまず何千万かかけて作ってるので、収益出して返していかなきゃいけないっていうので、
初めの15年ぐらいは、13年ぐらいか、作家さんやって、買い物やって、お金を入れて借金返し終わった後、
ここ10年ちょっとぐらい僕さんと始まったあたりで今につつ上がってるので、ようやくその技術のしばらみ感じからは少し離れたところでね。
今は面白いよね、ほんとにね。ただ技術がなくなったのかな、欲しいのは。
時々思うことがあるんですよ。昔のような技術持ってんのかな、みたいなさ。
ちょっと目も白内緒気味だし、手もうまくいけるのかな、ナイフ持てんのかな、みたいな。
あえてチャレンジしないんですよ。それをまだモテてるなんて思っても、何か意味あんのかな、みたいになっちゃってて。
それよりも違った、お坊さんとやってる中で生まれる次のモチーフどうしようかって考える方が、よっぽど枠付くわけね。
枠付いていくので、今はすごい良い感じですよ、すごい良い感じ。
それを象徴するように、さっき配信の中では目の前にある大きい機械の話をしましたけど、実はその上に荷物がいっぱい積んであって、ほとんど動かせる状態じゃないっていう。
たぶん動かせるとは思う。動力はエアーコンプレッサーで動かせるんですけど。
今の星野さんのライフスタイルの中では、これは必要なフェーズではなくなったっていうことですね。
もう一回使って何かあったら面白いかもしれないけどね。機械が、まずは今のところはないみたいな。
どんどん逆行していっちゃってるっていうのかな。シスクツリーのプリンティング技術からも逆行していってるっていうのかな。
ここで使うゴムベラのスキージってやつも使わないで、今はプラスチックの板になってるので。
ボブホーで使ってるのは、ボブさんが使ってたスキージなので。
ペラペラの板だね。
それはボブ式っていうことですかね。
今ボブホーでやっているワークショップのシルクは本当に簡易なものなので、それは星野さんの技術ではなくて、どちらかというと私のボロい技術の方で。
ゴムの方が圧着もしっかり、下の印刷物と圧着もしっかりして変な摩擦も起きないし、きれいに擦れるんですけど、
それを扱える人は限られてきちゃうんですよね。
手が不自由な人は持てないし、結構重たいし。
ホールド感が必要。
私のやってたシルクは3歳くらいの子供からでもできるくらい全部が軽いんですよ。
初めて何かを持てるようになった1歳とか2歳でもお母さんと一緒でもできたねみたいな。
それくらい軽いものなんですよ。
ゴムでやった方がもちろん作品としての色の濃さだったり、圧だったり、シルクのいいなっていうものができるのは十分わかってるんですけど、
それよりももっと軽く流れるくらいにサラッとしたもので表現をしたいみたいなのも自分でやってた時にあるし、
あと丁寧に扱わなくていいみたいなのも自分の中でもあって、ゴムだと劣化しちゃうんで、
きれいに拭いたりとか、インクがそこに残ってないようにとか、アフターケアもめっちゃ大切なんですけど、
プラスチックだったらバケツの中にボンと入れとけば、ワークショップとか全部終わった後に自分でちゃちゃっと洗っちゃえばいいし、
最後まで工程がきっちりできる子供だったら洗いまでできるけど、そうじゃない子、
次行きたいとか集中力がいろんなところに散漫になっちゃう子だったらそこのバケツの中にほっといて入れとけば後で私洗えるしみたいな、
それくらい幅が広い方が自分のスタイルに合ってるなっていうのもあって、技術とは呼べないんですけど、
私の中ではそういう技術っていうところに落とし込んでいるっていう感じ。
面白いな、面白いって言うってあれですけどね。
なんかちょっと思って、アーツカウンシルの面接の話が結構ぐるぐるしてるんですけど、
なんでかっていうと質問者のやりとりが、見せるものは技術だけど振る舞いとかがアーティストの振る舞いも問われていて、
よくあるのは、なんでアーティストなのかっていうのと、なんで技術者なのかっていうところの問題が一緒に喋られているような印象があったので、
結構その話って、僕の周辺だと分離しちゃってるんですよ。
どこの技術に対してどの技術が最適かみたいな話は、今のボブさんの話とかでもそうです。
別に技術同士に優劣がないような、そういう話とかに、星野さんが言ったような話の流れがめちゃめちゃ興味深いというか、
フェーと思って聞いてます。
圧倒的な技術は、やっぱりボブコンの中には星野さんっていう人が圧倒的な技術でそこを支えてくれてて、
やっぱりパッと見がすごい軽くて、3歳でもできるんで、よくこれどうやったら作れるんですかって聞かれるんですよ。
お家でもやりたいですって、やりたいですよねって思うんですけど、それはね、みたいな意外とすごく準備的に。
プラスチックのスキー地でも綺麗にするためのインクの粘土の作り方とか。
単純な細かい模様も細かい模様が出るようにセットアップしてくれてるし、星野さんが。
さっき言ったインクの乗り方も、本当にTシャツ、木、石、全てに対応できるぐらいいろんなバリエーションを持たせてくれてるから、私たちが持ってくインクって80種類ぐらいあるんですよ。
それぞれの特徴が全部違ってて、ワークショップやってる時見てても子供たちがワーってやって、Tシャツ吸ったけど次木いくとかってなると、
あー木いけるかな、でもこっちの方がいいかもなみたいな感じで、ほんのちょっとした手助けみたいなのをちょこちょこ入れたりしてるんで、
すっごい軽く見えるそこを星野さんの培った技術がめっちゃどっしりと全てを活かしてる。
でもそれを超えていくよな、タムラとかね。
そうそう、それがグッドジョブセンターで。
タムちゃんはね、軽く超えるで。
50回も30回もずっと同じことをバーって。
なんかの動画でタムちゃんがめっちゃ何回もスキーでやってるのを見てて、
そんな必要あるかって。
でもめちゃくちゃノリが良かったですけどね。
そうなんですよ、不思議なんだよね。
なんで私も星野さんも考えてた技術をやっぱり軽く飛び越えてくれる存在としてグッドジョブセンターさん。
裏返しにするとかな。
そうすると逆さんになるので、用意したイメージとは逆のイメージになっちゃうんですよ、裏からすると。
でも擦れちゃうんですよ。
それは普通、小学校の授業でもそれはやらないよね。
やらないし、羽の厚みとか考えちゃう。
そう、そう、そう。
マジですか?みたいなところを堂々とやっちゃうところが、
それ違うよとも言わないんだよ。
それは反対反対とも言わない。
出来ちゃうんだ、みたいな。
すっげーな、みたいな。
で、逸話としてそういう引きずるじゃないですか。
逆に捨ててさ、みたいな。
で、それを楽しむみたいな。
すげー、みたいな。
だからやめれないっていうのかな。
また次なんか来るぞ、みたいな。
好きじまえ、縦で捨てるやつに捨てる前な。
正しい位置じゃなくて、こういう位置でな。
面積が少ないところで。
そっちの方が身体の動き的にしっくりいったんでしょうね。
握り方とかも分かるんでしょうね。
いったんですよ、そうなんですよ。
すごい感覚的にさ、
する技術を使いやすいんだよっていう技術は、
技術的に劣ってんだろうかってさっきの話なんですよ。
劣ってんだろうかと。
その人にとってはすごい使いやすい、
このひらめきにも近いその使い方こそがあなたの技術だよね。
そこから生まれたものは綺麗じゃないって誰が言えるの?って感じ。
綺麗って何?みたいな。
元々の用意したものがきちんとした形で擦られなければ、
綺麗じゃないなんてどこにも誰も言ってないよみたいな
世界で活動しているので、より広くなるわけですよ。
綺麗の幅が広くなっていく。
擦れもいいよね、にじんもいいわ、みたいな。
そんな感じの現場っていうかな。
これが気持ちいいぞ、みたいなところかな。
みんながこうやったらとか、わざわざやってみたいって言っても、
普通だったらそれはちょっと違うからって言われちゃうのが、
やってみなよっていう。
向こうも勝手にやるし、
方々さんもそんなやり方でできるんだって驚きもあって、
寛容と需要が新しい革新に出るんだなって受け入れてあげるってこと。
確かに日本で技術だったりとか教育の場で、
需要ってすごい少なくなってきちゃってるから、
みんな正解を求めてさ、
効率よくやるっていう方向に、
資本って、さっきおっしゃってたら資本って言ってるから、見失ってきてる。
これは何を求められているんだろうとか、いらんこと考えちゃって。
課題があった時にどう答えたら点数上がるんだっけとか、そういうことを考えちゃう。
だからAIみたいなものが最近流行るんだな。
正しいことを言おうとする。
正しさを最大公約数を出しているものですよね。
僕、ボブ方々さんワークショップに参加させてもらった時のイメージ的には、
吉野さんがルック的にも破天荒な感じがするんですけど、
お話聞いてるとボブさんの方が圧倒的に破天荒だし、
それこそ、
人の娘。
そもそもレールにはめようとしたところから早い段階で、
それやったらいいですっていう理由にアレンジしたところから、
自然に始めるみたいなことをされていったわけじゃないですか。
逆に、吉野さんがカリフォルニアの助成金とかの話で、
だんだんワークショップに行く前の職人的な技能を磨く間っていうのは、
むしろ、かなり都定性的な厳しい世界の中で技術を鍛えてきた。
美学校だったからね。
美学校っていうのは、典型的な左側の思想の学校ですけど、
現代思想者が作った。
そこの美術の学校の専門のシルクスクリーニングで、
岡部先生に就いてしまった。
で、助手で3年やった。
それこそ、技術者としてどう振る舞うべきかみたいなのは、
先生の工房にうかがったたんびに学ぶわけですわ。
その学びも美学校の学び方なので、
自分で盗まないといけないんですよ。
本当に都定制度みたいな。
都定制度の基本は、教えてもらう気持ちになったらもうダメなんです。
とにかく教えてもらうよりも、自分で盗むことを考えろ。
盗むことをやれっていうふうに言われるので、
盗んで手に入れたものしか身につかんぞっていう、
その美学校の基本構想みたいなところに、僕は今でも引きずってる。
今でも引っかかってる。
それは、あの当時付き合ってた色んな美術家さん、
吉谷勝郎さんも含めて、今さんや岡部さんやっていう、
色んな現代美術家の人との付き合いの中で、
自分この人が何盗めるのかなっていうのを、
しょっちゅう企んでるわけですよ。
横尾さんと仕事した時には、横尾が何盗めるのかなみたいな。
横尾のアトリエとこれ、何が盗めるのかなみたいなことをやって、
なるほどってやるわけですよ。
だから、その当時から草間弥生なんかと付き合ってたので、
彼女が精神病院に入院してた頃から付き合い始めて、
82年くらいから付き合ってますから、
その頃のマンハッタン・ジェスミス・イジオシルファンの
あの草間から、俺たちはとんでもない遊び方を開発しちゃったんだね。
きっと、草間さんと一緒にワイワイとシルクスクリーンを吸っては、
できたぜ、草間!っていう感じの遊び方を身につけちゃったために、
あの当時の俺の楽しみっていうのは、
作家さんのためにどうやって作家さんを驚かしてやろうかっていうところで、
技術を磨いていくっていう。
だから、草間の前にアイオーっていう人がいて、
フルクサスにいたニューヨークの、
アイオーさんなんかフルクサスの最前線に来てたけども、
アイオーをするときのインクは、油絵の具をまず全部油抜きするんですよ。
油抜きした、要するに残った色素の部分だけを
シルクのインクに溶き直すんですよ。
油絵の具の、ちょっとカチカチになったもの。
伸ばしながら、もう一回シルクで擦れるように、
油絵の具の色を、シルクスクリーンの色じゃ出ないので、
作り直すと。
そうすると、これ、科学的に見ると、
油絵の具よりもシルク絵の具の方が、規制が厳しいんですよ。
規制が厳しいと、要するに、
二酸化、三化、第二鉄、赤。
三化、第二鉄の成分は、
これ以上増やしちゃいけないよっていう、
インク会社のマニュアルによって、
インクの赤は作られるんですよ。
ところが、そうじゃない赤ってあるんですよ。
カドニウムレッドだとか、カドニウムイエローだとか、
舐めたら死にますよ。油絵の具。
一本飲んだら死んじゃいますよ。
そのくらい有害物質なんですよ。
そのくらい、発色がいいんですよ。
めっちゃ発色がいいんですよ。
発色の良さに惹かれると、
インクはすべてメキシコ製だねって、
こうなってくるんですよ。
アメリカ時代にメキシコまでインクを買いに行くんですよ。
そうやって、貴重だ赤を手に入れたぜってやるんですよ。
油抜くと。
日本ではそういうインクが、
測りにかかれないんですよ。
規制を外したインクなんて、
油抜き禁止になっちゃったりとか、
そもそもインク会社さんは作ってないので、
暗闇でも見える赤って、
どんな赤かな?みたいな。
薄い20ワットの光でも赤と近くする赤を作れ、
みたいな感じで指示を受けると、
本当に日本のインクなんかは暗くなっちゃうんですよ。
で、そうやって発色自体が、色相自体から
持ってるような強い赤をどう手に入れるかみたいなところで、
やる、みたいな。
草間さんは夏田インクでやったかな。
アメリカのインクで多分やってると思いますけども。
そういうふうに、何だかんだの技術にまつわる
ちっちゃい隙間の部分を一生懸命やる、みたいなのが
美学校の初期時代だったんですよ。
技術を教えられた後、その技術を
どのように考えていけばいいのかっていった時に、