はい、ちょっと前回の終わりに予告していた通り、ちょっとお悩み相談をね、ここからさせていただきたいっていうので、別にリスナーから募ったわけじゃなくて。
ワークショップとはみたいな話にちょっと寄与できるといいなという話でもあるんですけど、僕と福原でやろうとしているアートプロジェクトの一つで、ワークショップをやりたいって思ったんですよね。
ただ、対象者を、さっき誰に向けてって話があったと思うんですけど、絵の素描がそんなにない人とかそういう人たちに一緒に絵を描こうって言ったら、絶対制限時間の中で、例えばじゃあなんでもいいんですけどクレヨン渡しますでも絵の具渡しますでも、それこそシルクスクリーンでも、だったらわからないんですけど。
そんなに自由に手が動く人っていないと思うんですよね。
いきなり言われて。
そういう中で、ある種のルール設定とか、人がどういう時にこれもっとやってみたいとか、これ面白いなっていうのを引き出す、なんて言うんでしょうね、ツボっていうほど単純なものでもないと思うんですけど、
そういうものをご経験上、プログラムを作る時に何か気にしているところとかをちょっと伺ってみたいなって思ってますが、やり始めた頃と今でもやり方もしかしたら違うのかもしれないですけど、どうですか?
なんか、私も最初ワークショップを参加する人間ではなく、最初からやる側に立ったんですよ。
なので、本当に私何すればいいんだろう?みたいに最初思ってた時もあったんですけど、本当にそれこそ星野さんの手法というかやり方を見て学んでいったって感じで、やっぱり星野さんの最初の滑り出し、ワークショップの滑り出しがすごい好きなんですけど、いつも。
いつ始まったかわかんないんですよ。星野さんのワークショップって。今から始めますよ。はい、みんな来て。ゼロなんですよ。もう始まってるんですよ。その場にワークショップに体験しに来ました。何すればいいんですか?っていう人だらけなんですよ。でも誰も説明しないんですよ、星野さんとか。
で、そこで一番最初に結構動き出す子が絶対に子供なんですよ。で、子供が星野さんのところにタタタって言って、何やってんの?みたいな。で、星野さんがこれをこうやってるんだとかって言いながら、そこでワイワイって始めると、そこに子供がえ、何?みたいな感じで言って。
で、そんなのやってるんだって食いつく子もいれば、なんかそういう輪の中行きたくないっていう子も現れ、もっとなんかこうもじもじしちゃうとか、すごい特徴的にそれぞれの感覚がもうそこで出てるんですよ。で、それから始まるって感じなんですよ。
なんで、もういきなり描ける子はほっといても描けれるんで、全く相手にしてないんですよ。で、本当は描きたいけど、この場じゃ描きたくないっていう雰囲気の子たちもいるんですよ。そういう子たちは描きたいと思えるような空間がちょっとあったりするんですよ。
その空間の中にみんな同じように机が並んでるんじゃなくて、なんかちょっといい感じな駒野の前に一対一になれるような、人を遮断できるような、人には背しかむせなくていいような、その場所がそこにあるよって言わずともなんかあったりするんですよ。で、なかったらささっと作ってたりするんですよ。
だから、絵を描くって思ってるとやっぱ描けないのは大人がすごい多くて、私絵なんて描いたことないですからっていうお母さんとかいっぱいいるんですけど、でも絵を描かなきゃ描けますよねっていう。
紙とペンあってまっすぐ線引くだけでも何かしらになりますよねっていうぐらいのなんかすごいこう素材に触れるっていうとこからみんなスタートしていくと、なんか割と描けないんですって言ってた人、お父さんがめっちゃいいキャラとか最終的に描いててギャーギャー笑ってるとかね。
なんかそういう一番最初の滑り出しみたいなのがすごく私はその星の竜のなんかすごい好きだなって毎回思います。
それは例えばシルクスクリーンとかだったら、ある程度僕がグッドジョブセンターさんで参加したやつとかだったら、なんかパターンの素材とかツールとかっていうのがあったりしたわけなんですけど、それがなかったと例えば本当に色の出るペンがあるだけとか、
そういうところとかでも今のお話だと、なんかじゃあ丸描いてみるとかそういうところから始めたりする大人が夢中になっていく感じなんですかね。
そうですね。なんか割とテーマとか与えたりとテーマがあったりすると書き出しやすかったりするんですけど、そのテーマがすごい抽象的だったりすると、もう一回そこで混乱が生まれるので、人の中で。
そのやっぱり答えが全くもって見つからないっていう、もっと混乱させるみたいな手に打ったりしますね。
混乱させる手に打ったり。
だから分かりやすくさせるというよりは、混乱させることですごく何でもやってみる、見れる環境になるというか、絵を描かないという方向にスッとシフトチェンジできる、余白っていうと余白が嫌いっていうから。
逆に考えてしまいますね。混乱しないように分かりやすいプログラムにしないとみたいな。
今僕そういう思考回路でお悩み相談に至っているわけなんで。
それはものづくりイストだからですよ。
だからそこを僕は感覚的に脱却できないと思ってるんですよ。
しなければいいじゃないですか。
じゃあ目的のあるものをこの時間内に作るワークショップをやればいいじゃないですか。
それを死ぬまでやればいいじゃないですか。
僕とあなたの作り方は全然違うワークショップだけども、僕はそれがダメだとは全然思ってないですよ。
それもそのはずだよね。そういうのって学校の教育の単管の教育の中に組み込まれやすいので、いろんな応用も生まれるんじゃないですか。はい、パターンですよね。
確かに今ちょっと星野さんの話を聞いてて思ったのが、頭が僕が学校に行ってた時に教職員の資格とかも取ってるから、その指導要項とか指導まで書くんですよ。
そうそう、俺も書いた。俺も持ってるんだけどね。
そういうのが邪魔するんですよ。
そこはね、それに囚われちゃうとね。
いちいちに決め込んでくるわね、いつもね。私全くノープランだから。
僕は逆に言うと決め込んでってうまくいかないっていうことでちょうどいいと思ってる方ではあるんですけど、そうは言っても滑り出しですよね、さっき言ってた。
そもそもがペンが進まないとか、そういうのってやっぱり状況としてつまんないなって思ったりするんですよね。
まあそう、状況としてはね。
学校としてとかとか。
聞いてると素材をまず、これなんかこういう風にできる、なるほど、みたいな。
一旦はその線を描いてみるとか、インクのるねとか、転がしたらできるねとか、
砂場で砂ついてもこれはこれで面白いねとか、その時の周りにあるものでスパークするみたいな。
これも使えるかもしれない、いいじゃん、やっちゃえみたいな、なんか雰囲気を話聞いてて、なんとなく想像したんだけど。
あんまりぎっちりこれだけ使って、ここにあるところでここだけでやってって言ったら、やっぱりちょっとそういうのが緊張しちゃうタイプだから。
緊張するよね。
緊張してくれて固まっちゃうタイプだから。
なんかすごい細かい話だと、画用紙とか持っていくじゃないですか。
星野さんが版画で使わなくなった屋根とか余った結構いい紙を自分で切ってくれて持ち込むんですけど、私たちのワークショップの時。
その版画用紙のサイズがだいたい正方形なんですよ。
で、なんで正方形しか、それ以外もいっぱいあるんですけど割と正方形が多くて。
9割ね、8割9割正方形。
そう、なんで正方形なんだろうなって思った時に聞いたら、よくある市販で売ってる画用紙はちょっと長方形型なんですよ。
そうすると、もらった人はどっちかを天地を決めちゃうんですよ。
で、その時点で紙がもらって置く時点で自分で紙によって天地を決め、紙のその形状によって天地を決めちゃった故に
描く絵が自分で無意識のうちに決まってきちゃったりするんですよ。
で、まずそれを取っ払うって言って、正方形は描いてたけど、やっぱりこっち天地みたいにいつでも変えれることができるし、
最初の想像する空間すらもすごく自分で何か分かんないけど迎えられる。
そういう本当にちっちゃいところをものすごく気にするんですよ、星野さんは。
いつも言うのがワークショップを始めますって言った時に全て私たちの仕事は終わってるっていう。
準備段階で。
準備で全て。
いろんな想像をするわけですよね。こういう場所でこういう人たち来るしとか。
そうですね。
もう結構ほぼ7割くらい片付いてきちゃったんですけど。
本当だよ。
具体的な手法まで僕今頭の中思い浮かんじゃったから。
いいですね。楽しみですね。
こうしたら良さそうだなっていうのは。
私丸い髪がいい。
丸い。
丸い髪もいいんですけど。
さらに言うと丸い枠があって、もっとたとえば今ここにめちゃめちゃ大きいボールが置いてあるんですけど。
大きさとかがでかすぎて縦か横か分かんないくらいのところに体を動かすように描いて、
あとで丸い枠を当てて好きなところで丸を切るとか。
そういう感じでもいいかなってちょっと思いましたね。
そうすると今の正方形も確かにその通りなんですけど、
縦と横でもないところもしかしたら見つかるかもしれない。
そういうのもいいかなって今ひらめいたんで。
大人になると次これくるなとか予測しちゃうじゃん。
しちゃうからね。
それを覆す。そこまで強く言わなくてもいいかもしれないけど、
あ、そこ切っちゃうんだみたいな。
そうそう。
なんかね、思い出した。
一応学校行ってたんで、美大の私も。
2時間かけて外で頑張ってスケッチして、
その時は長方形で私は縦で描いてたんですけど、
学校帰ってきたらいきなり版画の部屋に連れて帰って、
シャワーがあるじゃないですか、版画の部屋の溝で、
そこに絵を立てて帰ってきて洗いなさいって言われて。
えー!
すごいね。
木炭で描いてたんでちょっと流れちゃう。
そうでしょ、2時間かけたのに。
で、ショック。
いや、ショックだよね。
だってシベリア浴流されてた人が掘った穴埋めさせられるみたいな。
そう!
拷問みたいな。
頑張って廃棄してって言われて。
ダメってことか。
そう思って、でも全員やらされて。
その後に今度は乾かしてって言って乾かします。
じゃあそれを床に今度置いてくださいって言われて。
床に置いて次何来るのかなって待ってたら、
その描いた絵、流れた線も全部床から地下に落ちてると想像してって。
何だろうな、描いた絵が平面なんだけど、
その平面を床に置いた時にその平面に描かれた線が下にこう、
床にこう、地下に落ちていくという立体を描けって言われて。
もう訳分かんない。
何でこれをやらされてるのか訳が分かんない。
今まで描いてきた、外のブリ、私橋を上手く描けたと思って、
橋上手く描けたぜと思ったら全部流されて、
最終的には3D、ありもしない3Dの絵を描かされて。
イギリスの美大。
そうやって壊してこいって。
結果は型を学校が壊すためになっているのがイギリス式なのかもしれない。
日本はちゃんとデッサンできる人が入るんでしょう。
そこは似てるかもしれないけど、そこの無意味さを入った後に、
ちょっとさっき岩井さんと喋ってたんだけど、
大学入った後に目隠ししてピーマンを触りながら粘土で作るっていうのをやったんだけど、
大学入るまでにやったことは色がついてないだけで、
ピーマンそのものを粘土で作る鍛錬をしこたましてきた人たちとかが、
目隠し開けたらぐちゃぐちゃなものができるわけだよね。
そしたらちょっと違うところのスイッチ音が体の中に入らざるを得ない。
技術を虐待化して一回自分の中から剥がさなきゃいけないんだなっていうのとか、
そういうのはすごい思わされるっていうかね。
しかもそのぐちゃぐちゃになった粘土をそれだけだったらいいんだけど、
型取ってFRPで結構カッチリ残すことになったんですよ。
うわぁマジかと思って。
自分のアドリブみたいな手跡とかがぐちゃっとしてカッチリ残ってるんで、
それを苦々しい気持ちで撫でたりとかし続けないといけなかったりとかしてその後も。
そうすると色々と手作業ってなんだろうなって、
その後ずっと考えさせられるきっかけがあり続けるんで。
っていうことも岩手さんと喋ってて今思い出しましたね。
そんなのあったなとか思いましたね。忘れてただけで。
ワークショップって結局は決まった枠を正しくちゃんとやるっていうんじゃなくて、
そういうこともやっていいんだとか、自分を解放する場所?
機械を作ってもらっているんだなって思った。
なのに解放できない?参加者が多すぎるってどういうこと?っていうのも、
つまりにもかかわらず何から始めればいいですかって質問される?
これいやいや、解放ってね難しいんだよって目の前の人に言ってもね、
は?みたいになるじゃないですか。子供だったらなおさら。
何から始めていいかって僕に聞かないでって言ってもさ、
だったらできませんになっちゃう。
これ拉致が開かないじゃんって風になっちゃダメなわけで。
だからすごく最初からグッと引き寄せる感じと突き放す感じっていうのは、
あらゆる手を尽くすっていう感じなんですよ。
あらゆる手を尽くしながら無防備にやるっていう感じなので、
全てはここの場にいるのならば、ワークショップをやりたいんで来てくれたのならば、
あと何時後かに起こる出来上がりのことまでグッと想像してあげてしまうって感じかな。
ケースバイケースで。その子がどう想像するかじゃないですよ。
わしが想像してしまう。で、こう出せばいいのかなみたいなところを、
その子その子その子でやってあげるっていう感じかな。
全ては生成、生きる、なる、生成のためのプロセスなんですよ。ワークショップっていうのは。
その生成のためのプロセスを一緒の場で作っていくぞっていう覚悟と実践なので、
ボブさんは大変だったらご自覚とかそういうことはあられる?
ご自覚ですか?
あれは変な聞き方でしたけど。
絶対あるはずよ。
自覚していなくて周りに迷惑をかけていると思いますけど。
かけてるよねきっと。
そうですね。
でもかけても許される世界ってなんとなく現実の世界にはあるじゃん。
これ数学の法定式関係とか理数の質問解くプロセスとちょっと違うじゃん。
わかりやすく例えば絵に没頭してて家族がほったらかしになっちゃった時に
家族に迷惑かけてるとも言えますよね。
そうだよ。
一生懸命夢中になっちゃってることが将来何になるのあんたみたいにさ。
何かにならないといけない前提でいい加減にしてよねみたいな言い方あるじゃないですか。
だから夢中になっていることを規制かかると嫌だよっていうのはわかる。
それは一日にゲーム3時間までですかとか2時間までならいいと思われますかみたいな。
今ゲーム規制の話でしたっけみたいな話を急に持ち込んでくる人もいるわけですよ。
好きなことを夢中になるのはいいことですね。
あれ?でもゲームは2時間までですよね先生みたいな。
好きなことでしょ。好きなことだったら限りなくでいいと思いますよって言ったら
やりますみたいな。
だってそんなこと言ったら朝5時までやってますよあいつみたいな。
かわいいみたいな。
いいんじゃないですかって言った時にこの議論は崩れてしまうわけですよ。
だから何かの答えを何かに当てはめようとした時に何かに当てはめられてしまった不幸ってあるんですよ。
そこをなるべくワークショップの現場ではないようにやりたいなと思うので
こだわりが持てない子はこだわりの持てない子の多分良さがあるですよそれは。
だから音楽もある造形もある立体もあるし人形もあるよね絵も描けるしシルクもできる
俺なんかは素材ゴミだけなのでゴミで何かやろうかもある
何だろうかここは一瞬のカオスって本当の意味のカオスではないですけども
偽カオス状態を作ることによって多分ね子供たちの自由度っていうのは何十倍にも上がってるはず
その自由度があるために縛られたい子供がそこから外れてしまったり
いろいろが全部が自由じゃないよねっていうフィールドはないで
自由から自由になることはできんで本当に
だから規制から自由になることはできるんですよ
でも自由から自由になるってことはあり得ないこと
だからすでに自由が保証してしまっているために
じゃあ人の作ったものを足で踏むのも自由なんですねみたいな
もちろん自由ですよ壊してみ?みたいな
壊せるかお前に言って僕は壊せるとか言って
みんなが作ったやつをこうやって踏んでる子供が現れた時に
周りの大人やアーティストはどう彼に対して声掛けするのか
作った本人の友達やめろお前よっていうか
アーティストはそれはいけないよっていうのか
やれやれって言うのかやれやってみろって言うのか
さあどういう風な視点をあなたは持てるのかってことなんですよ
そんなこと想定内だわって思っちゃうわけ
だからそれはやめろとも言わないしやれとも言わないし
そうねどうするかな
その時になってみんとな
でもそれ子供だけじゃないしね
大人だけじゃない
そういう暴走するの大人の方が
暴走大人手に負えないやついるのよ
手に負えないのは大人の方で
ママな
これだけいろんな人が来て
いろんなものがあって自由に作れるけど
それ全部自分で使う気っていうぐらいガッて
欲しがりママな
15人ぐらいはそれで遊べそうなぐらいの素材をガッて最初に
本当なんですよね
後で家でやるんでみたいな
ガッて持ってく
持って帰っていいですか
そういう人もいれば
シルクもほぼほぼ好き放題なんで
びっくりするぐらいガッて持ってきてるみたいな
それにバンバン吸ってたりとか
みんな使う紙50枚ぐらい使ってるやつもいるし
結構すごい暴走になってるなっていうのは大人の方が
大人暴走多い
嬉しいけどもね
でもそれもダメとは言わずに
さすがにでもうちらが作った黒板は
引き取らせてもらったけどね
素材じゃない備品のように作られて
自分のものにしよう
備品を持って帰ろうとするってやっぱりちょっと言わないとね
それはね
さすがに備品はちょっとなると
その線引きはちょっと備品で持ってきてるので
そこの自由度が限りなくくじけてる現場なので
うちらの黒板って
いいようにとったら自由なんだけど
いいようにとったらやられよう
やられたまんま
だからお伺いする限りは
別のルールだったり規制に直面してるがゆえに
大人が別のとこで自由を感じてる不自由がある
聞いてて思いました
そっかそっか
確かになっていう話でした
暴走気味の大人の人も
白い目で見てる時もあるんですけど
意外とそんなに持っててどうすんですかとか
単純な質問をすると
意外とこうしてこうしてこうしたくてとかっていう
構想を練ってる人もいると思うんですよ
作りたいとかあったな
それを聞いてると
いやだったらこっちの方がいいですよとか
こっちがあれでこうしてこうしてっていう
思いに対して
その倍ぐらいなので返すと
あそうかじゃあこれと
さらに自分のやりたいことをキュッとしていくんで
結果そこまで大暴走してたのが
大きい暴走のまま丸にはなるみたいな
それはありますか
マージ疲れるんだよね
本当に疲れる
多分やること全部終わってるから
特に泣きやすいことはないんだけど
気づかれが相当ない
6時間ぐらいのタイムでやる
今お聞きしたみたいに
ワークショップみたいな場を作ってやると
人間の子供から大人まで
いろんな人の振る舞いを見ることになると思うんですけど
さっき星野さんが冗談半分で
教育改革がおっしゃいましたけど