CRA出しRADIOは、様々な手法で物を生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
コンクラの岩田です。
海です。
潮です。
今日は、静岡県まで我々が来ています。
浜松市です。
どこインターの近くですか?浜松北インターの近くかな?
ゲスト会なんですよね。
S4は原田さん、常さんと東京からお話いただいて、引き続き、静岡は関東になるのか?東海?微妙なところですね。
関西じゃない。
チューブですね。
ゲストをお招きするというか、我々が工房にお邪魔して、今日は収録しているんですけれども、ちょっと細かいお話は早速、まずお二人なんですけど、紹介してから話をお聞きしていきたいと思いますので、早速ですが、まずはお二人それぞれ自己紹介をお願いいたします。
ボブ・ホウホウというワークショップユニットをお二人で組んでいるボブのほうです。
ホウホウのほうの星野です。
ボブ・ホウホウさんお二人、今日お話伺っていくんですけれども、まずは僕のほうからお二人のプロフィールを紹介させていただきます。
グラフィックデザイナーの上田智美さんとすり氏の星野雅治さんによるワークショップユニットです。
静岡県浜松市を拠点に、素材を集め、グラフィック、プリンティング、木工など様々な技法を使い展示やワークショップを行っています。
主な技法として、シルクスクリーンプリントを用いながら、プリンタブル、可能性のあるプリントである状態を作り出す。
素材ラブゆえに多方向な視点を持って活動を展開されています。
というわけで、浜松までやってまいりました。
どういう縁があって今日来ているのか、リスナーの皆さんにお話ししておいたほうがいいかなというところなんですけれども、
今収録しているのは11月、今日16日ですけれども、ちょうど1年前にこのプラダシラジオにゲストにお呼びしたのが、
グッドジョブセンター柏の皆さんだったんですけれども、そのグッドジョブセンターつながりなんですね。
ボブ・ホウホウさんが今年の3月でしたっけ、グッドジョブセンター柏でやったワークショップに、
そこは塩さんいなかったんですけれども、僕と海さんが参加して、
僕はその時に作ったTシャツを着てきているんですけれども、この辺の話はこれから詳しく聞いていくんですけれども、
というご縁があって、ぜひお話を聞かせてほしいと、その時チラッとお話をしていたんですけど、ようやく叶って今日伺っておりますというところでして、
倉田市ラジオ的には工芸を軸に物と人との関係、物を作ることについて考えるという趣旨で番組をやっているんですけれども、
結構ワークショップに参加させてもらって、物を作るということをすごくいろんな方が物を作るということに参加しやすいワークショップをされているのを、
実際に僕たちも体験をしたので、そこのところのお話を伺いたいなというのがまずはありまして、
あとはちょっとシーズン4的には、この間の常さんのお話からの流れで。
そうですね、たまたま掘りの話をしていて、掘りって版画の技法ですけど、それだけではもちろん解決しないので、
周りの方のスペシャリストで一つのものを作っていく上では、スリシーっていうことってどういうことなんだろうって話がちょうど出ていた中での、
ボブフォーフォーさんへのお伺いっていうのが、流れ的にはたまたまそういう感じになっているんですけど、そんなわけで早速聞いていこうかなというところですかね。
ということで、最初にプロフィールでワークショップユニットというふうにご紹介したんですけど、ワークショップユニットってどういうことですか?
それぞれ、星野さんは星野さん、私は私で、活動していた時期が随分個人でありまして、
ワークショップっていう言葉を使って、地域とか子どもとかいっぱいの人に体験型なのか、表現っていう活動を広めていく、体験してもらうみたいなのを
ずっとやってたのは星野さんなんですよ。本当にいろんなアーティストの人に声をかけて、ちょっと独創的なワークショップを考え、ディレクションして、
子どもたちとかを巻き込みながらワイワイってやってたのをたまたま私が知って、すごい面白いことやってる人いるみたいなのを知ったのがきっかけだったんですよ。
私はそれまでワークショップっていうことも知らなかったし、本当に10年以上前なので、ワークショップって言葉が今こんなに使われてるんですけど、
その時は本当に日本ではワークショップって言葉を一回も聞いたことないぐらい、ワークショップって何?っていう感じの時から星野さんがずっとやっていて、
それを見て体験して、なんだこの世界?みたいなのがワークショップっていうのを知ったきっかけなんですよ。
上田さんはそれまでは?
普通にグラフィックデザイナーとして、仕事を会社員として、デザイン事務所に入って仕事をしてて、それとプラスで自分の作品としてシルクスクリーンプリントを使って自分の作品を作ってたんですけど、
作品として?
後々も出てくると思うんですけど、私のシルクスクリーンの作り方がめちゃめちゃヘボいっていうかボロいっていうか、技術もなければ資材も買えないぐらい高いんで、シルクって。
なんでもできるだけ自分の家でできる最小限のものでシルクスクリーンをやろうって思ったんで、紫外線観光機もなければ本当に暗室もないので、全部紫外線観光機は本当に太陽の光で。
太陽の紫外線でシルクの版を。
プリントごっこでもないですね。
技術的なことを言うと、太陽の光で窓ガラスにベタっと開けて空気の圧着も抜いてみたいな、そういうところも全て一人でやって、版もしっかりとしたアルミの版とか買えないんで、自分で枠も木材で作って。
スクリーンも自分で手で貼ってとか、本当にボロいのを作ってたんですよ。
むしろすごいなと思うんですけど。
そうなんです。でも本当にDIYっていう言葉もないぐらいの時にやってたんで、それで作品をちょこちょこ出してたら、それに星野さんが引っかかって、何やってんの?みたいな。
あんた何やってんの?みたいな感じで。
イラッとした。何だろうこれ。最初の印象イラッとした。
何だろうこれ。
でも擦り方も下手だし、半合わせもなってないし、ずれずれだし、みたいな。
たぶんめちゃめちゃ技術的なところからすると、本当にシルクの特性としての表現というものとはかけはぐなれたところをやってて。
でもそれがやりたかったんですよ。私は。
重ねて半合わせして一枚の作品を作るんではなくて、全部その時の気分で全てを変えられるように作りたかったので。
一回ここの星野さんの工房ではなくて、都内に住んでた時があったんですけど、その時に版画工房に作りに行かせてもらったんですけど、やっぱめちゃめちゃ厳しいんですよ。職人さんなんで。
そこから動かすな、みたいな。もう色を勝手に混ぜるな、みたいな。
すごい圧。私、それをやりたいんじゃない、みたいな。そういうのもあって、全部自分一人でやろう、みたいな感じになったんですけど。
それを黙々とやっていたら、星野さんとたまたま知り合いになり、私の技法というものを技法と呼べるか分からないようなそれを、もっとワークショップでやろうよ、みたいな感じで声をかけてくれて始まったって感じです。
それが大体10年くらい前です。
最初、星野さんは見て、ボブさんを見てイラってきたんですよね。何やってるのっていう。
なんですけど、一緒にやろうよってなるまでが、どういう経緯があったのかな。
忘れちゃったけども。なんだろうな、この人やってるのとは思ったいね。
要するに、シルクスクリーンの原型みたいなもの。シルクスクリーンとは言わずと、こうハンガーですよね。
穴の開いている部分に布を通してインクを押し出して、下に圧力で加圧して定着させる。
こうハンガーにしては、あまりにもインクの糊圧が荒いし、布でも紙でも平気で同じ色でどんどん吸っていく様っていうのは、
結局、紙だったら紙用のハンガーの作り方ってあるじゃないか、みたいな。
そこのところを全部飛び越えてしまう感じっていうのが楽しそうなんだよね。
それは、技術技術技術で追いかけてきた、研ぎ澄ます感じで生きてきた。
湿度までも相手にしながら、今日の擦りをどうするか、インクの練りをどうするかを決めてきた私のプライドや自尊心を砕くわけですよ。
むしろ突っ跳ねたいわけですよ。何これへぼいなって突っ跳ねて見なかったことにしたいんです。
技術の自尊心のある人にとっては。でも引っかかっちゃうんですよね。
その引っかかりは自分の中で、技術って何かね、みたいなところを多分問題提起にしてた時期なんですよ。
それが障害者芸術に出会ったり、子供と一緒に作品を作り始めてた時期と重なるんですよね。
そうすると、この世界の中で私は表現者になれるのだろうか、みたいな問題を自分の中に突きつけるわけですよ。
作家さんと組んで、作家の仕事を成功に100%満足してもらうために技術の全てを使い切る。
これで現代美術の中でやってきた自分と何か方向をずらさない限り出会えない世界があるわけですよ。
そこを予測してるんですよね、その頃の時期ってね。
だから早くこの工房を終わらせたいと、どこかで思ってたと思うんですよね。
それは変革したくてもできない自分を未熟な子娘によって変えられる自分っていう出会いがそうさせたんですよ。
その出会いがないと、たぶん結構いいところに家を建ててるんじゃないかな、俺みたいな感じで仕事を継続してたに違いないと思う。
さっきのブブーさんの学校で色勝手に混ぜるなとか、そういう感じの世界にむしろ星野さんずっといらっしゃる?
これは日本の伝統の工芸を支えてきた構造の問題なのかなと思うんですね。
だけども技術っていうのは少しずつ時代のエネルギーで変革していくわけですよ。
この変革ぶりが今のシルクスクリーンの業界の中にも現れてきてて、製版所がもうなくなっている。
使えるインクがどんどん廃盤になっていく。
手摺りの工房が少なくなっていく。
シャバリやってくれる専門店も少なくなってくる。
4色物解をカメラでやってくれるところがほぼなくなっている。
グラビア製版できるところがほぼゼロだ。
こうなってくると今まで使えていた技術がストップしてしまうんです。
ストップしてしまうと伝統である技術が生き延びられないんですよ。
生き延びるために何か策と方策をしないと技術者は生き延びられない。
というところでそれぞれの変革をみんな持つでしょう。
リットグラフと一緒にシルクをやろうとした人、デジタルプリントと一緒にやろうとした人がいっぱいいますよ。
その中で7、80年、100年くらい前に戻る。
江戸の沖縄の瓶型や江戸の古紋だとか、
ああいうシルクの原型みたいなところまで戻ったところに
僕さんの太陽でやってまわすみたいなのがいるわけですよ。
つまり原型質としての技術というものに職人は触れることによって蘇生するんですよ。
生き返るんですよ。
その時の生き返り方が問題で、生き返る時に必要な
まだ出会ったことのない子供だとか、障がいを持った人だとか、
もうリタイアメントしてしまいそうなおじじとかのエナジーですよね。
バイタルアフェクト、正規浄土みたいなものをグッと掴むことによって
いやあ、技術って何だったんだろうねみたいな。
もう一回そこで自己提起するわけですよ。
技術というものに対して。
だからボブ方法の中に技術がない。これはデタラメなんですよ。
あるんですよ。ボブ方法の中には圧倒的に技術があるんですよ。
だけどその技術というものをプライドみたいなものとして持ってないよね。
ボブさんがそうだと思うんだよね。
ボブさんが言うことは多分ほぼ正解だと思うんだけども
星野さんは後付けで何度でも言えるの。
おじいさんになりかけてるし、もう年上だし、
なんとなく経験も40年、50年あるとするとね。
もうね、何とでもなっちゃうの。言葉の使い方で。
ところがボブさんみたく、ついこの前ですよ。
ついこの前、20年くらい前ですよ。
15年かそのくらい前に始めた自分のやり方みたいなのが
今やあらゆるところでワークショップをやる機会になっていってるので
これが続くと面白いよと思うんですよ。僕はね。
だからいろんなところに行商に出かけるっていうね。
青森も行ったね、坂も行ったね、九州も行ったねとか
大阪は毎年呼んでくれるよね、今年から見ると始まりそうだよねとか
あらゆるところでボブ方法が刑事証書にインク積んで出かけていく様
これがやりたかったんだろうなみたいな感じは
後藤さんはこの工房に掃除をしない代わりにそれを手に入れてるので
ますます若返るわな。マジで若返るっていうか
年取ってる場合じゃないんだよねっていう風な気持ちになっていく。
ボブさんはボブさんで足りないものを手に入れられる。しかもタダで。
こいつから金もらったことないよ、マジで。金もらったことないよ、こいつからは本当に。
だけども優しい言葉とか、肩は揉むぐらいはある。
肩は揉むぐらいはあるけども、家に来てご飯を作ってくれるとかないわな、それは。
プラスアルファがないわな。だけどもボブさんは着実に自分の言葉を持ち始めてますよ。
だから今一緒に作ってる団体でも今副代表になっておかげで
昨日、おとといまでは女性勤のホームでヤワヤになってたっていう。
だから面白い出会いだったんじゃないのかな。
出会って、今おっしゃったようなワークショップの行商みたいなことをやるっていうアイディアにはすぐに結びついたんですか。
いや、呼んでくれたんだよね。最初柴子だよな。
そう、ワークショップ自体を私がまだあんまりよくわかってないけど、
ホジノさんはもう多分構想的にはちょっとあったと思うんですよ。
ボブさんに出会う前から構想はあった?
僕はワークショップにこだわってた。
カルフォルニア時代にずっと11年いましたけども、ずっとワークショップをやり続けた。
ワークショップってなんとなく肌の感覚でもって気がついちゃったことがあるんですよ。
ワークショップっていうのは、僕のような版画専門にやってる人は一つの部屋の中で起こる出来事なんです。
これが、実は版画にとって大敵なのが外気である。湿度である。直射日光である。
いろんなものがマイナスになっていくんですね。版画をやる時に。
きちんとしたものができないんですよ。外でやっちゃう。
ところが梅田は。
私はカナダに留学してた時もあったんですけど、その時も持てれるだけのシルクを持ってたんですけど、
ストリートシルクをやってて、日本だとパッション的に無理だなと思ってたんですけど、
海外だと着てたのを脱いで、吸って、肌につっこうか、乾かせずに着て帰っていくみたいな、すごいイージーなんですよ。
そういう何かを買うとかじゃなくて、痕跡に残していくようなことを自分の作品としてやりたいなみたいなので、
今は模様が全部違う版が100パン以上あって、
100パンどころじゃないよ。300パンぐらい。
星野さんの技術と体力のおかげでできてるんですけど、
本当に自分でやった時はそれが6パンとか7パンとかしかない世界と色数も6色とかそれぐらいの世界の中でやってたんですけど、
そういうすごくイージーに放出するみたいなのをやってた私っていう。
全く正反対のモチベーションなんですよ。
なのに辿っていくとシルクスクリーンっていう版の型の姿が見えるんですよ。
広範だよね。お互いに広範なんだけど、使い方と感じ方とやり方によって、
その使われているマテリアルが全く違った効果を示していく。
広範って何ですか?
広範っていうのはシルクスクリーンの版の形。
オーハンはホリーとか。
一番近い、倉田社長で一番近いのは板雄生さんの広範画家っていう穴ですね。飛行の穴。
傾きでシュッて上から吹くのも実は広範なんですね。
ステンシル。
ステンシルも広範です。
で、同範画はオーハンですね。オクセットは平範ですね。
っていうその範画の複数プリントをするための4つか5つあって、その1つです。
だから広範画にきつくんですけども、効果とあれが違うために、僕はスタジオワークがめっちゃ好きで、
スタジオの室内感とかライティングの持ち方とか空間の移動を考えながらワークショップのエリアを作っていくみたいな。
そこにあれ置いちゃダメだよ。こっちのほうがいいかな、こっちのほうがこれかなみたいなのを、
気持ちよく空間アレンジするのもワークショップの空間を作る仕事の1つだと思ってたところで、
ストリート派ですよね。
砂も入るしね。
オバマさんのワークショップというか、する相手は行く、買う人、
例で方々さんがやられたらどういった方に向けて?
美術館とかナショナルミュージアムですとか、あとは学校か、中学校と高校の学校もやってたんですよ。
じゃあその美術を志す人が来るワークショップというか。
最終的には24時間オープンのハンガースタジオをオープンするんですね。
そしたらここからピーになっちゃうんですけども、なんかよからぬ人が集まってくるんですよ。
よからぬ人がよからぬものを使ったりするんですよ。
で、よからぬものを使うとやる人があるので、
よからぬもののちょっと時制みたいなのがあって、
24時間やるリスクがものすごく高まってきちゃったので、
LAですかね。
LAですからね。ペンタハウスですからね、僕のスタジオ。
屋上でバーベキューの煙、何の煙っていう状態でやってましたから。
煙の王様になってしまったのでは、これ違う方向行っちゃうよね、みたいな。
気づき、なんかひらめきですよ、こいつやめた方がいいだろうみたいなところで、
そのグラントというか助手席をもらうのをやめて、1年して日本に帰ってきちゃったっていう。
そういうこともあったかな。
詩を読みながら、詩を読むのもずっとやってたので、詩を書いて読むってこともあったので、
詩を読む限界も感じちゃったんですよね。
言語の問題もあり、いろんな問題かな。
それは今日のメインのテーマとはちょっと違うから、細かくはいかないけれども、
要するに理想的な現場を作ろうと思って作ったんだ。
24時間誰が来てもいい現場を。
そしたら理想とはかけ離れた状態のもう一つの理想に飲み込まれようとしちゃったんだ、こういう感じ。
これは自分の理想と相手の理想がいかに違うか、その時にいかに場所っていうものがうまく機能しないのか。
だから本当はストリートでやったら、ストリートでずっと生涯を持ってストリートシルクをやり続けたら、
またスタジオワークにボブさんがいつか戻ってくるのか戻ってこないのかわからないんだけども、
ストリートでのひらめきっていうのは、もっともっと今より高いものに行き着いたんじゃないのかな、いろんな経験をしたんじゃないのかな。
途中でもしかしたら、全部機材を壊されたとかね、
とんでもない不確定力、効力によって潰されたとかね、道の所有権の手入れをくらったとかね、
いろんなものがボブさんを潰しにかかってきたっていうのと戦わなきゃいけない。
いつもそうなんですよ。理想的な現場っていつもそうなの。移行できるかな、潰れるっていう感じをやるので、
今ボブ4でいろんなところに出かけているのは、たまたまラッキーなんですよ。
たまたま運が良くて、たまたま良い階段の登り方をしている。
あそこ危ないよっていうのをうまく外しているのかもしれないし、
だから逆に言うとね、毎年どういうモチベーションでやろうかみたいな。
今年はこういう感じだね、ああいう感じだね、ついこの前も話し合ってたの。
自分で色を持っていくのをやめようと思うみたいな。
黒と白だね。
白、黒、灰色のみみたいな感じで、なんかね、そのギザっていう感じ。
スーッと行きそうなところをギザギザっていう感じ。
それをボブさんが時々すごいでかい刃も持っていったりとか、言葉をバーッ入れていったりとか、
ニュアンス感を毎年変えよう、変えよう、こっちの方向、こっちの方向ってやるから、
だんだんこのままいけばうまくいくのに、そこにストリート感を入れてどうするの?みたいな感じの、
ギザリ感を入れて始めるんですよ。
木にすってみようとか、組み立ててみようとか、
あれ?なんかどんどんストリートに近づいていっちゃうなみたいな感じを、
ボブほうは二人でアイライラってやるので、すごいバランスいいから。
一応リスナーの方に実際のワークショップの空気感みたいなものが伝わるように、
僕と海さんが実際に参加したワークショップの話、
簡単にお話しすると、
グッドジョブセンターにお二人が来られて、
これ今目の前に石にピンクの。
これは遺跡の前でワークショップをやってほしいって言われて、
素材としてはいろんな素材があるんですけど、
シルクとかできるんですかみたいな感じで言われたんで、
石にももちろんプリントとかできるんですよ。
でもやっぱり陶器とかにもシルクって円形になっているものとかもできるんですけど、
技術的にはめちゃめちゃ難しいんですけど、
その難しい技術を私たちの持っている簡単な技術でも擦れないかなみたいなので考えてたら、
普通はんを対象物の上に置いてスキージという板で上からグッと圧をかけて模様を下に転写させるっていうシルクなんですけど、
それを反対にしてはんをインクをのせてちょっと擦ったら裏返しにしてちょっと斜めにするんですよ。
そこにコロコロって石を転がしたり。
指示体を改正させるすごい発想。
擦れてるとかボコボコしてると擦れてないんですけど、
なんかちょっと色ついてるとかガラスとか缶はめちゃめちゃいけるねとか、
半分子供でも転がしてみみたいな感じで、
遊んでるけどなんか模様ついてるとか、
なんかそういうのでいいんじゃないみたいになって、これは石にちょっと。
普通に紙にするようなインクの粘土だとつかないんですよ。
少しインクの中に白分を入れてあげて、コシを持たすみたいな作ってあげないと、
後ろにインクを押し出した時にふわっと崩れちゃうんです。
崩さないようにするためにインク作りの技術が必要になってくる。
インクを作るためにはそういう技術が。
この技術っていうのは見えないようにする。
でも技術者はそこを頑張るわけですよ、俺としては。
だからできたのは嬉しいんだけど、俺だって嬉しいんですよ。
やっぱりあのインクダメだっただろうみたいな。
こっちのインクだったら絶対いけるかなみたいな。
あとはステンシルには線数があって、そんな細かくしちゃ絶対ダメだよ。
もうそれ以下じゃないとダメだよとか。
使う線数自体を間違えちゃうとこんなことできないっていうのが
明らかに分かってるから、そういうお手軽移籍、
シルクスクリーンには向かない、これは向くっていうのが分かるからできる。
で、喜ぶ、できたにつながる。
そういうことなんじゃないかなと思うんですよね。
だから、これ面白いよね。
くじ浜でもやったね。
漂流物とか落ちてるものを見つけて、漂流物にもシルクしてみようみたいな。
海沿いになると漂流物いっぱい拾って、洗ってそれにするみたいな。
ちっちゃい子だと、大人だと感覚で擦れそうかなとか、いい感じになるかなみたいなので拾うんですけど、
子ども貝殻とかやってるんですよ。貝殻か?貝殻にするの?みたいな。
どうする?ってそこで子どもとか障害を持ってる方がいると
こっちに投げかけてきて、お前たちの技術どうすんだ?みたいな。
はい、みたいな感じになるから、それもまた面白いっていうか。
で、ほら、去年ミトでさ、あったじゃん。ミト芸術館でワークショップやらせてもらったんですよ。
で、その時に5年前?6年前?参加してたボランティアの。
そうそう。
びっくりしたんだよ。
6、7年前に漂流物を探してワークショップやるって言った時に参加してくれてた人が、
6、7年後のミト芸術館でやった時にそれを持って。
プラスチックボトルにしつつあるんだよね。
これやったんですって。
言うてるのはゴミみたいなもんですよ。ゴミのようなプラスチック漂流物ですよ。ボトルですよ。
ハイターの瓶みたいな。で、そこにこういうものがプリントされてるんですよ。
で、それを6年持たせるかっていう。
ライフステージがそん中いろいろ変わるって言われるのに。
掃除も何回もしただろうのに。
こうやってやれるのに。
やれるのに、なぜ君は生き延びたのかって思う出会ったみたいな。
それがまたやってた私たちのところに、目の前に持ってこられる。
これ作ったんです、ボブホーさんみたいな。あの時みたいな。
この版もボロボロで、もうないねみたいな。
新しく作らないとこの模様はもうないねみたいな。
その人の顔となりは覚えてないんだけどさ、作品を目の前に出されるとさ、うーっと戻っちゃうのね。
それがやっぱり表現の一番下のところにあって、底辺になって。
なんかね、全部を持ってくるんですよね。
あの時作ってた記憶だとか、そういうものを全部。
そして捨てなかった自分の経験も経緯も全部そこまで繋がってる。
でまた今年ね、行けるかもしれないね、三戸芸人って行った時にはもう一度会えるその人にね、きっと。
人間の関係性みたいなのがその土地と土地でどんどん繋がっていって、
諦めるにはまだ早いぞみたいな感じになるんですよね、出会い。
だから面白い。
どれほど楽しかったんだろうね、そのワークショップ。大事に撮っとくってことですね。
もちろん、ごみにされるところに自分の手が加わって、サプライズが起きて、こんなものにもインクが載せられてできたっていう嬉しみで撮っといたけど、
本人たちが来るから、やったと。店に来たって。
そう、店に来たって。ほらほらってね。なんかご自慢のいっぺんみたいな感じで。
でも、いいよね。
話聞いてるだけでちょっと今まで感じてなかった脳みそにいろんなところに電気が走ってて、結構ゾッとしてますね。
俺も。大地の頭脳。
ストリートと技術はこうカチャンってなるとこういうことになるなってね。
でも多分シルクスクリーンのワークショップをビーチでやるって、砂まみれのところで、
やっぱりどうしても水場がないとシルクって洗わなきゃいけないので、ビーチ海しかない。
海水浴場ですよ、しかも。
舞台設定はオファーした方から?
そういうこと全く分かんない。で、できますかって言われて、ビーチって一緒に思ったけど、できるよねみたいな。
さすがのストリートファンさん、ストリートファンのボブさんでもちょっと。
ビーチ砂まみれになるなみたいな。
みちでもね、すなっちでもね。
みんな水着で吸ってるんだよね。
ビショビショで海から上がってきた子供がビショビショになりながらシルクとか吸ってて、全然乾かねえみたいな。
その建物にガンガン吸ったな。
建物の柱とか床とか。
柱とかにも吸っていいって言われてないけど。
みんな吸ってる。悪いよね逆に言うとね。失礼だよね。
でもあんま怒られたってことはないね、そこはね意外と。意外と良識派なのかな。
許してくれてるのかな。
あーあーって思ってる。
毎年使う海の家の資材なんですかね。
違うと思う。テンパラに建てたと思う。アートビーチくじ浜っていうプロジェクトだったと思います。
名前がアート作ってるからいいんじゃない。
懐が深そうな。
じゃあやっぱりオファーがあるのはアートイベントとかそういう文脈でお願いしますってことが。
でもそれに参加してた学生さんとか大学生とかがうちの文化祭でできませんかって。
文化祭みたいな。結構お金かかりますけど。
学生には出せんぞみたいな。
出せないぞって思いつつも。
人間かかるぞみたいな。
頑張りますって言って一生懸命貯めて。
これこの金額だよみたいな。
でもしょうがないかみたいなので行ったりします。
技術の話っていうのはどこかに切れずに残ってるじゃないですか。
今こう話してる中でも。
人と物をつなぐ。
今最初におっしゃられた。
人と物をつなぐって何によってつなぐんだいっていう。
何によって人と物はつながれていくんだろうかっていう。
基本の命題みたいなのをどこに置くかで。
人と物のつながりがいろんな方向から解きほぐせると思うんですよ。
ところが技術ってものをボブ方法が持ってて。
ボブさんの技術、僕の技術。
それが合わさった形でワークショップという形に展開しながら
人の出会いをこんな形で出会いってあるんですよみたいな話まで行って。
だけども元にあるのは技術の部分がどこかに潜んでるんですよ。
海でやると目の技術、何とかの技術。