オッタントットのカウンターラジオ
ミチクサ醸造所を作るにあたって、クラウドファンディングをしていたと思うんですけど、あれが何年?2022年とかでしたっけ?
そうでしたっけ?もう忘れちゃいました。もうこれあれですか?もう撮ってる?
まあ、音は撮ってるんで。
わあ、知らんかった。ドキドキする。どこから撮ってたんだろう。
あとはもう、どこから使うかみたいな。
怖い怖い。なんか変なこと言ってないかな。
大丈夫、大丈夫。
いや、いいっすね。このドキドキ感もいいっすね。
ヒリヒリした感じかな。いや、ヒリヒリはしてないと思います。
多分まあ、僕もちょっと前にノートをまた見返したかったんですけど、
ああ、ありがとうございます。
2022年か、確か思ったと思うんですけど、
そのクラウドファンディングで一応支持者が250人近くでしたかね。
結局、結果的には300%以上、約7、80万円の資金が集まったということで。
クラウドファンディングに至るところ、至る思いとかなんかあったんですかね?
いや、シンプルに開業難になっちゃって、やるしかないという感じでした。
銀行の融資とかもあったんですかね?
そうですね。銀行の融資をしていて、一応計画通り融資ができるってところまでいった後に、
コロナの影響で為替が、まだギリギリ何も動いてなかったんですけど、
資金調達が確定した直後に為替がガッと変わって、
1ドルあたり150円近くにワッと上がったぐらいみたいなタイミングだったんですかね。
それで、資金調達の計画がそこで一気にパンと足りないっていう状況に急になったみたいな。
為替の影響っていうことは、要は設備。設備を輸入しないといけない。
機械を海外で作ってもらったものを輸入しなきゃいけないけど、
その全てがバーンと上がって、あれいきなり開業できなくなっちゃったみたいな感じですね。
そのタイミングだと、銀行から追加で融資みたいなのはちょっと難しかった?
はい。もうできない。
うわ、それいきなりハードな感じ。コロナ自体もそうやね。
コロナが2020年とかですもんね、確か。
そうですね。
2020年とかなんで。計画はもっと前からあった感じですよね。
ちょうどその計画中に、ちょっとでも顔をうっとかなきゃみたいなところで、
福津市の海沿いのカフェを曲がりして、
クラフトビール専門のお昼専門のバーみたいなことを、飲食業みたいなことをずっと半年間くらいやったんですかね。
じゃあそのカフェに行けば、そこのクラフトビールが飲めるっていう。
そうですね。その曲がり営業の営業初日に緊急事態宣言が起きてましたね。
2020年の3月とか4月とかその辺りでしょうね。3月くらいか。
プレオープンか。プレオープン日って言って代々的にめっちゃ告知しまくってて、緊急事態宣言ってなって、
おーどうしようみたいな感じから。
いやこれ今はこうやって笑えてるけど、当時は僕ももうやっててちょうど1年経ったくらいだったんで。
そうですよね。
当時はこんなん笑えないですけどね。
本当にね。みんな誰しもこんな感じだと思いますけどね、あの当時。
いやすごい。なかなかまたちょっとこう鈴木な運命というか。
いやそうですね。でもなんか不思議なことに生きてるとあれだけ大変だったものも全部ネタにできるのいいですよね。
いや確かに。確かに。今だから5年くらいも経ってると結構笑えちゃうっていう。
むしろ武勇伝みたいな感じで語れる。
あの時はなーって。いやいやそんなダセイジジイみたいに言いたくないから。
そっか。まあでも2020年にそういうことをもうやってるってことは、
えーとどのくらいですか。2年くらい前からはやっぱりやってた感じですか。その計画自体。
そうですね。もう全然覚えてないです。あ、でも2018年にそのキャリアブレイクが起きたんですよね。
そうですね。さっきの話で言うと18年くらいでしたね。
でもキャリアブレイク起きて3ヶ月経ったあたりにはもう至高品産業ってなってビールだってなってたんで。
たった3ヶ月でじゃあそこまでたどり着いた。
相当その時期コアに勉強というか自分のことを見つめ直しててましたけどそんな感じでしたね。
でそこから水面から準備をしてた感じですかね。
はいはい、なるほど。でまあ2020年頃にはその曲がりで営業をしてて、
でまあそこで開業準備いろいろそのね有志のあれとかをしながら、
2022年にクラウドファンディングという感じですよね。
で、あの浄土所の場所がすごいとこじゃないですか。
ありがとうございます。
僕はもう2回行ってるんであれなんですけど、古い旅館なんですよね。
そうですね。
その玉乃居っていう旅館なんですけど、その玉乃居の話をねもうちょっと聞いてみたいなと。
はいはいはい。
まずじゃあその玉乃居っていう旅館がありましたと。
はい。
それはまああったからあれなんですけど、なんでそこに入ろうと思ったのかみたいな。
そことの玉乃居っていう旅館との出会いとかっていうのはどういう感じなんですか。
そうですねあの私生まれ来た九州なんですが、ずっと東京で暮らしてて東京で仕事をバリバリやってて、
で結婚期に妻が大分県出身ってこともあって、九州で結婚後の生活は送りたいよねみたいな話から福津市っていう街に移住したのがそもそも最初なんですけど。
で自分たちの仕事っていうのは暮らしの延長で仕事作りたいっていう欲があったので、
福津市に限った話ではないですけれども近い場所で考えてたんですよね。
でその中で移住してまだ2、3ヶ月くらいの時にですね、今ビール工場を構えさせていただいた玉乃居っていう元旅館の木造の建物の中でですね、
映画の惑うっていう映画作品の上映会みたいなものがイベント的に行われてて。
映画の上映会。
そうですね。自主上映みたいな感じですかね。自主上映会みたいなものが行われてて、そこに行ったのが一番最初ですね。
それが玉乃居旅館との出会い。
出会いですね。でもその時に、たぶん2017年とか。
お、なるほど。
ビールのだからことを本格的に考えるよりちょっと前なんですよ。
前なんですね。
あまりにも衝撃的だったんですよね。っていうのはずっとあって。
で自分たちがビールをやるってなった時に、そのものを作るっていう時に、もう自分の中の感覚ではどこで作るかとかどう作っていくかってその全ての意思決定が全てものづくりだと思っている。
ちょっとさっきも出たけどクラフトって聞き詰めた結果、背景みたいなところも含めてっていう感じですね。
ですね。文脈というか、物語って言うとちょっと僕の中ではちょっとチープというかペラペラに感じるぐらいもっとこう深い人間性に紐づく何かの文脈みたいなものがきっと大事だなとか。
独人的というか。
そうですね。
江藤さんがやる意味みたいなところですね。
江藤さんじゃない、アッキーがやる意味。
アッキーが何でそれをやるのかみたいな。
背景というか文脈までやっぱり意識してクラフトっていうところに向き合いたいというか。
そうです。なのでもうどこでやるか。やるなら絶対に自分たちの心が動いた場所で作りたいっていうのは強かったんですよね。
私たちはその当時ビールをやろうってやる前に結構福津市に移住してきたばかりでわからなかったので福津市のことを取り上げるブログみたいなものをずっとやってたので福津市のいろんなところに足を運んではいたんですけど
自分でそのブログやってたってこと?
そうですそうです。いわゆるワードプレスとかありますよね。ウェブサイト作るやつ。そういうので夫婦でなんとなくゆるーくやってて。
そのブログきっかけでいろんな飲食店さんとか作家さんの元とかなんとなく足を運んでたので
割と移住者の中では福津のいろんなことを詳しい。深いことはわかんないですけどいろんなスポットっていう意味では詳しい状況だったんですけど
そんな中でも圧倒的にたまのいが僕ら家族の中では一番刺さってた。