1. オッタントットのカウンターラジオ
  2. #18 【対談回】ミチクサ醸造所..
2025-06-27 38:04

#18 【対談回】ミチクサ醸造所の江藤さんと対談!2/5玉ノ井旅館との出会いから

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今回はミチクサ醸造所がテナントとして入っている玉乃井旅館との出会い、クラフトビールの歴史的背景、地ビールのライジングと衰退の流れなどのお話しが聴けました。だんだんとアッキーの力が抜けてきて乗ってきています!笑



オッタントットのカウンターラジオ


この番組は福岡県糟屋郡篠栗町(かすやぐんささぐりまち)にあるオッタントットというビストロのオーナーシェフkojiが、カウンター越しに常連さんと会話している気分で話すラジオです!

お店のメニューや使っている食材、懇意にしている農家さんの話しなどライトな話題でお店を紹介しています!この番組を聴いてワインや洋食に興味を持ってもらえたら嬉しいです!

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サマリー

ポッドキャストのエピソードでは、ミチクサ醸造所の開業プロセスやクラウドファンディングの成功について語られています。また、玉乃居旅館との出会いがビール作りに対する情熱や地域への思いに与えた影響についても詳しく述べられています。江藤さんは福津と玉ノ井旅館との出会いや、ビールの歴史、クラフトビールと自ビールの違いについて言及します。特に福津の地域特性やビール事業の立ち上げに伴う期待値の変化について深く掘り下げています。このエピソードでは、江藤さんが自ビールブームとクラフトビールの歴史についても触れ、福津市でのビール事業開始に際して地域貢献への思いを述べ、作り手の理想と現実について考察します。ポッドキャスト第18回では、江藤さんが道草醸造所と玉ノ井旅館の出会いやクラフトビールの歴史について語り、地域貢献に対する考え方が深まる様子が描かれています。

ミチクサ醸造所の開業
オッタントットのカウンターラジオ
ミチクサ醸造所を作るにあたって、クラウドファンディングをしていたと思うんですけど、あれが何年?2022年とかでしたっけ?
そうでしたっけ?もう忘れちゃいました。もうこれあれですか?もう撮ってる?
まあ、音は撮ってるんで。
わあ、知らんかった。ドキドキする。どこから撮ってたんだろう。
あとはもう、どこから使うかみたいな。
怖い怖い。なんか変なこと言ってないかな。
大丈夫、大丈夫。
いや、いいっすね。このドキドキ感もいいっすね。
ヒリヒリした感じかな。いや、ヒリヒリはしてないと思います。
多分まあ、僕もちょっと前にノートをまた見返したかったんですけど、
ああ、ありがとうございます。
2022年か、確か思ったと思うんですけど、
そのクラウドファンディングで一応支持者が250人近くでしたかね。
結局、結果的には300%以上、約7、80万円の資金が集まったということで。
クラウドファンディングに至るところ、至る思いとかなんかあったんですかね?
いや、シンプルに開業難になっちゃって、やるしかないという感じでした。
銀行の融資とかもあったんですかね?
そうですね。銀行の融資をしていて、一応計画通り融資ができるってところまでいった後に、
コロナの影響で為替が、まだギリギリ何も動いてなかったんですけど、
資金調達が確定した直後に為替がガッと変わって、
1ドルあたり150円近くにワッと上がったぐらいみたいなタイミングだったんですかね。
それで、資金調達の計画がそこで一気にパンと足りないっていう状況に急になったみたいな。
為替の影響っていうことは、要は設備。設備を輸入しないといけない。
機械を海外で作ってもらったものを輸入しなきゃいけないけど、
その全てがバーンと上がって、あれいきなり開業できなくなっちゃったみたいな感じですね。
そのタイミングだと、銀行から追加で融資みたいなのはちょっと難しかった?
はい。もうできない。
うわ、それいきなりハードな感じ。コロナ自体もそうやね。
コロナが2020年とかですもんね、確か。
そうですね。
2020年とかなんで。計画はもっと前からあった感じですよね。
ちょうどその計画中に、ちょっとでも顔をうっとかなきゃみたいなところで、
福津市の海沿いのカフェを曲がりして、
クラフトビール専門のお昼専門のバーみたいなことを、飲食業みたいなことをずっと半年間くらいやったんですかね。
じゃあそのカフェに行けば、そこのクラフトビールが飲めるっていう。
そうですね。その曲がり営業の営業初日に緊急事態宣言が起きてましたね。
2020年の3月とか4月とかその辺りでしょうね。3月くらいか。
プレオープンか。プレオープン日って言って代々的にめっちゃ告知しまくってて、緊急事態宣言ってなって、
おーどうしようみたいな感じから。
いやこれ今はこうやって笑えてるけど、当時は僕ももうやっててちょうど1年経ったくらいだったんで。
そうですよね。
当時はこんなん笑えないですけどね。
本当にね。みんな誰しもこんな感じだと思いますけどね、あの当時。
いやすごい。なかなかまたちょっとこう鈴木な運命というか。
いやそうですね。でもなんか不思議なことに生きてるとあれだけ大変だったものも全部ネタにできるのいいですよね。
いや確かに。確かに。今だから5年くらいも経ってると結構笑えちゃうっていう。
むしろ武勇伝みたいな感じで語れる。
あの時はなーって。いやいやそんなダセイジジイみたいに言いたくないから。
そっか。まあでも2020年にそういうことをもうやってるってことは、
えーとどのくらいですか。2年くらい前からはやっぱりやってた感じですか。その計画自体。
そうですね。もう全然覚えてないです。あ、でも2018年にそのキャリアブレイクが起きたんですよね。
そうですね。さっきの話で言うと18年くらいでしたね。
でもキャリアブレイク起きて3ヶ月経ったあたりにはもう至高品産業ってなってビールだってなってたんで。
たった3ヶ月でじゃあそこまでたどり着いた。
相当その時期コアに勉強というか自分のことを見つめ直しててましたけどそんな感じでしたね。
でそこから水面から準備をしてた感じですかね。
はいはい、なるほど。でまあ2020年頃にはその曲がりで営業をしてて、
でまあそこで開業準備いろいろそのね有志のあれとかをしながら、
2022年にクラウドファンディングという感じですよね。
玉乃居旅館との出会い
で、あの浄土所の場所がすごいとこじゃないですか。
ありがとうございます。
僕はもう2回行ってるんであれなんですけど、古い旅館なんですよね。
そうですね。
その玉乃居っていう旅館なんですけど、その玉乃居の話をねもうちょっと聞いてみたいなと。
はいはいはい。
まずじゃあその玉乃居っていう旅館がありましたと。
はい。
それはまああったからあれなんですけど、なんでそこに入ろうと思ったのかみたいな。
そことの玉乃居っていう旅館との出会いとかっていうのはどういう感じなんですか。
そうですねあの私生まれ来た九州なんですが、ずっと東京で暮らしてて東京で仕事をバリバリやってて、
で結婚期に妻が大分県出身ってこともあって、九州で結婚後の生活は送りたいよねみたいな話から福津市っていう街に移住したのがそもそも最初なんですけど。
で自分たちの仕事っていうのは暮らしの延長で仕事作りたいっていう欲があったので、
福津市に限った話ではないですけれども近い場所で考えてたんですよね。
でその中で移住してまだ2、3ヶ月くらいの時にですね、今ビール工場を構えさせていただいた玉乃居っていう元旅館の木造の建物の中でですね、
映画の惑うっていう映画作品の上映会みたいなものがイベント的に行われてて。
映画の上映会。
そうですね。自主上映みたいな感じですかね。自主上映会みたいなものが行われてて、そこに行ったのが一番最初ですね。
それが玉乃居旅館との出会い。
出会いですね。でもその時に、たぶん2017年とか。
お、なるほど。
ビールのだからことを本格的に考えるよりちょっと前なんですよ。
前なんですね。
あまりにも衝撃的だったんですよね。っていうのはずっとあって。
で自分たちがビールをやるってなった時に、そのものを作るっていう時に、もう自分の中の感覚ではどこで作るかとかどう作っていくかってその全ての意思決定が全てものづくりだと思っている。
ちょっとさっきも出たけどクラフトって聞き詰めた結果、背景みたいなところも含めてっていう感じですね。
ですね。文脈というか、物語って言うとちょっと僕の中ではちょっとチープというかペラペラに感じるぐらいもっとこう深い人間性に紐づく何かの文脈みたいなものがきっと大事だなとか。
独人的というか。
そうですね。
江藤さんがやる意味みたいなところですね。
江藤さんじゃない、アッキーがやる意味。
アッキーが何でそれをやるのかみたいな。
背景というか文脈までやっぱり意識してクラフトっていうところに向き合いたいというか。
そうです。なのでもうどこでやるか。やるなら絶対に自分たちの心が動いた場所で作りたいっていうのは強かったんですよね。
私たちはその当時ビールをやろうってやる前に結構福津市に移住してきたばかりでわからなかったので福津市のことを取り上げるブログみたいなものをずっとやってたので福津市のいろんなところに足を運んではいたんですけど
自分でそのブログやってたってこと?
そうですそうです。いわゆるワードプレスとかありますよね。ウェブサイト作るやつ。そういうので夫婦でなんとなくゆるーくやってて。
そのブログきっかけでいろんな飲食店さんとか作家さんの元とかなんとなく足を運んでたので
割と移住者の中では福津のいろんなことを詳しい。深いことはわかんないですけどいろんなスポットっていう意味では詳しい状況だったんですけど
そんな中でも圧倒的にたまのいが僕ら家族の中では一番刺さってた。
福津市への移住
そこすごいインパクトありますね。初めて行ったときすごいワクワクしたんですよね。もっとここのこと知りたいなって思ったのがあります。
本当にいいところというか、よくぞ残ってくれてたなみたいなところですね。
なんか軽な存在っていうかもう他にない感じ。ロケーションにしろ建物自体にしろ。
多分ああいう場所ってほとんど残ってないと思う。そういう希少性みたいなところもあるのかもしれないですね。
福津市の海沿いって福津市自体が今全国の中でも人口が爆増しているものすごく人口増えてる分地下って言うんですかね。土地代とかがめちゃくちゃ上がってきてるんですよね。
海沿いとか特にわーっと値段が上がってるから。
人気のエリアですかね。
そうですね。だからみんな買いたい買いたいって依頼は来るんですけど、たまの栄を代々引き継いでた方々っていうのはやっぱりそういうなんか
流行りすたれとかそういうのではない誰かに紡いでいきたいというか、受け取っていっていただきたいみたいなところとかがあるようなそういう力が溜まってた場所ですよね。
なるほど。パワースポットじゃないけど。
そうですね。エネルギーは明らかにありますね。
なんかでも今の話だとちょっと気になってきたのが、
アッキーが北九州出身で、奥様陽子さん大分県出身。
基本的にその福津市にはあまりゆかりがないように感じます。
はい、まさしく外物。
なんでそこでその福津市に移住することになったのか。そっちもちょっと気になってきた。
福津はですね、妻が元々東京にいたときに実家がある大分県にですね、帰るときに友人夫婦が福津に行って、それで大分に帰る前にその友人夫婦の家に一泊して大分に行くみたいなことを結構繰り返してたんですよね。
何度かそういうことがあった。
そうなんです。それで妻の中ではものすごくここがいいっていうのがあって、私は正直北九州出身ですけど聞いたこともなかったんですよね。
街のことを。何言ってるんだろうみたいな感覚だったんですけど、
福津との出会い
妻が勝手に賃貸物件の家用のですね、賃貸契約を結んで東京に帰ってきて。
もうじゃあ契約勝手にしちゃったっていう。
なかなか責めますねそこは。
これからの人生福津で過ごすんだみたいな。
まだ全然知らない土地だから。
全然知らなかったです。びっくりしたけど、妻には逆らえない。
そこのパワーバランスもあって。
結果は私は海が好きなので福津に一応視察で来たんですよね。住み始める前に。
決まってるけど。
そうしたらものすごく良かったんです。気が良かった。シンプルに。細かく見たとかそんなのではなくて、なんとなくの雰囲気が良くて。
福津っていうエリアは海岸沿いのエリアになってて。
福津って聞いたこともないみたいなこと言ってたんですけど。
福間っていうエリアと艶崎っていうエリアが合併して一つの市になったみたいなところで福津市っていう名前に変わってるから。
それで聞いたことないみたいなところもあったかもしれない。
福間にしても艶崎にしても海沿いのエリアになって。
サーフィンする人もいたりとか海水浴場もあるし。
海岸沿いにはおしゃれなカフェとかレストランとかもたくさんあるし。
そうですね。
っていう街ですよね。
そうです。
確かに福津は良い気が流れてますよね。
のんびりした感じもあるし。
それでいて、街並みも結構綺麗というか新しい建物も結構建ってるし。
それでいて玉ノ井みたいなね。
玉ノ井はちょっと極端に古いけど。
古い街並みなんかも残ってたりとか。
神社もいいしね。宮城岳神社も。
そういうエリアですよね。
そういうエリアですね。
なるほど。奥さんが勝手に契約してきちゃったということなんですね。
暮らしの拠点は福津に強制的に決まったんで。
なるほど。
でも結果的に気に入ったんで良かったなって。
そうですね。
でもそこでブログっていうか。
自分たちで移住日誌じゃないけど、
移住してきて福津のことを知りたいというところから
自分たちでいろいろスポットを回って
そこをブログにしていったという感じですか。
そうです。本当シンプルにブログですね。
そのブログもちょっと気になってきた。
後で見たいなって思って。
削除しちゃったんですよ。
消しちゃったんだ。
理由があってですね。
またちょっと余談というかそれちゃうかもしれないですけど。
ブログの名前は福津の音を自分たちが感じたいっていう意味で
福津ノートっていうノートって
メモ帳みたいな意味合いのノートに変えて
本当は福津の音っていう意味合いから取った
福津ノートっていうブログを作ったんですよね。
めちゃくちゃいいじゃないですか。
そこから福津のことばっかりだから知っていこうとしてた分ですね。
僕らはなんか自分たちで言うとめちゃくちゃ気持ち悪いですけど
その当時福津とか福津市って検索すると
福津にイオンがあるんですけど
イオンさんとか福津市役所の自治体のホームページよりも
上に必ず検索1位でヒットするようなブログになっちゃったんですよね。
その結果福津を盛り上げる人みたいな風に
周りからの期待値がものすごく高くなっちゃって
でも僕らビールは福津の街作りの目的とした
ビール事業をやりたわけでは決してない
そことは最初つながってはなかったんですか?
全く関係ないんですよ。
だけれども僕らの期待値として
なんとなくその当時道草って名前でもなかったので
江藤さんたちかけるビールってなると
福津の地ビールっていうようなことを期待されまくっちゃって
これはまずいなっていうのがあってですね
それでもう思い切ってブログの方は
全部メディアごと削除した
ビールの歴史とクラフトビール
なるほど。もったいない気もするけど
でもその話聞くとしょうがないなという
やむなくっていう
結構難しい問題でやっぱりここはですね
ちょっとまた気になるワードが出た
地ビールっていうワード
最近そういえば聞かない気もするけど
ちょっと前はね結構聞いてたと思う
地ビールとクラフトビールの違いみたいなの
あるんですかね?
ありますね
もともとは全く同じ言葉です
もともと一緒
もともとはクラフトビールって言葉で統一されてたというか
クラフトビールっていうものが
もともと歴史上
メソポタミア文明の頃からあった
めちゃくちゃ遡る
ワインとかパンとやっぱ同じような時代を経ってきてるんですよね
ビールって
ビール時代が昔からあったっていう
そうですね
今のビールとは全然形は違うと思うんですけど
今の人たちが整理すると
その頃の時代からありました
みたいなものがずっと続いていて
ビールといえば
家庭サイズでみんなが手作りで作っているっていうのが
普通だった時代から
産業革命が起きて
世界が高度経済成長
機械化っていう世界に行った時に
いわゆるビールメーカーと呼ばれるものが爆誕したんですよね
産業革命によって
ビールも大量生産をするようになった
そのとおりですね
その結果
手作りでビールを作ってたっていう
小規模な作り手の方々が
世界中から完全に淘汰されて
消え失せたっていう時代があるんですよね
その時はほぼなくなった
ほぼ全くないレベルですね
でもそれで言うとやっぱ
生活スタイルがガッツリ変わっちゃって
産業革命によってみんな忙しくなって
自分の家でゆっくりビール作ってる暇なんかないよみたいな
取れる働きがないと
ビールは買えばいいじゃんみたいになっちゃったって感じですかね
その当時は工場の
労働力が必要だった時代だったので
グビグビっと飲めるビールで
栄養補給をさせるっていう
ある種そういう背景もあったりして
大手のメーカーの安いビールが
世界的にも需要が膨らんだりとか
元々薬じゃないけど
需要競争みたいなんで飲まれてたみたいな話も聞いたことある
それで手作りビールっていうものが
産業革命中に淘汰されちゃって
それに対するカウンターカルチャーとして
今一度手作りのもっといろんな選択肢があった頃の
いろんなタイプの甘い苦い酸っぱいとか
いろんなビールがあっていいじゃないかっていう人たちが
もう一度爆誕したんですよね
爆誕って言ってもまだまだあれですけど
そういうところから始まったのが
そういう時にもともとあったビールのことを
クラフトビールって言い出した
わざわざその手作りっていう感じの言葉をつけたという感じですね
小規模で
今の国際的な定義としては
小規模でかつ独立しているとか
大きな資本産化にいないみたいなこととか
そういうのがいろいろありますね
自己資本でやってるみたいな感じですかね
そうして作り手の小さな規模感で家庭サイズで作ってる
みたいなイメージから来てるカルチャーですね
それこそ顔が見える
それが世界の先進国で大体広がってきたんですけれども
その後日本にクラフトビールとして入ってきたんですけど
日本には自酒っていう言葉があったんですよね
それの影響でSNSとかもなかったので
マスメディアの方々がクラフトビールを
自ビールという名前を使って発信し始めて
なるほど面白い
ありそうまたそれ
そうか自酒があるから
それの地方のビール版だったら自ビールだろうみたいな
そうですね
なるほどね
そこから日本ではクラフトビールという言葉は使われなくて
自ビールとして広がっていって
だから最初は入り口は一緒なんです
全く同じ意味合いだったはずなんですけど
自ビールという言葉に変換されて広がった結果
地という漢字の地元の地ですよね
この力漢字の一文字が持っている力が結構強すぎて
結果的にですね
地元に貢献しているビールとか
地元の農作物を使っているビールとか
そういうカラーがどんどん強まって強まって強まっていって
結果的には作り手が作りたいビールではなくて
地元のコンテンツになるようなビールっていうのが
自ビールっていう風にちょっと路線が変わってきたような感覚が
でも自ビールって確かにそういうイメージありますよね
そうですよね
っていうのが大きな分かれ目になっていった
クラフトビールの方が概念として広いようなイメージですね
でも自ビールになったんで
その広い概念じゃなく狭い概念で広がっていって
1990年代ぐらいに自ビールブームっていうのが
自ビールの発展
爆誕して日本でですね
っていうのがあったっていうそういう違いですかね
日本で自ビールが生まれたというか
メインストリームになっていった中で
その中でもクラフトビールっていう言葉を
使っている人たちっていうのはやっぱりいたんですか
ほぼいなかったらしいですね
やっぱり消えちゃったんですね
その当時の新聞とか取り寄せるというか
国の図書館とかのあれとかで
ウェブ上で見たりとかしたところほぼなかったですね
ていうかそんなとこまで調べたんだね
好きで
調べ力やばい
好きでって言ってるけど
普通の好きじゃない
自分の中の納得感だけが欲しかった
確かにやばいな
すいません
でもそうか
自ビールブームの影響
一旦そのクラフトビールっていう言葉はほぼ消えちゃって
日本では
で自ビールがずっと来てた
でもどっかでまたね
そのクラフトビールという言葉が
今特に多いかなと思うんですけど
どっかでその転機がやっぱあったのかな
そうですね
自ビールブームが5,6年続いてからですね
もうほんとビール業界の皆さん全員
地獄の時代っていう
日本どころか世界中から注目される
地獄のような時代があったんですけど
そうやってクラフトビールというものが
自ビールという言葉として広がっていった結果ですね
さっき言った通り地元のネタになるようなビール
もっと言うと
マスメディアの方々が扱いやすいビール
みたいなものじゃないと
認められない感じになっていって
SNSとかがやっぱなかった分ですね
生きていくためには
作り手の方々も
そういうビールを作らざるを得ないみたいな
雰囲気になっていて
作り手がこう作りたいビールではない感じになるとですね
結果的にこう
美味しさよりも
コンテンツ力みたいなところに走らざるを得ない
考えない工夫になっていって
自ビールブームが5,6年続いた時に
日本中の中で
自ビールイコールマズイという雰囲気が出てきて
あんまり名前を挙げるとあれですけども
本当ある大きな新聞社さんが
新聞の一面トップに
自ビールイコールマズイという
ドーンという記事とかを出し始めて
そこからその当時
自ビールブームだけで
500社ぐらい会社ができたんですけど
めっちゃできましたね
9割が1年間で倒産するっていう
1年間
廃業なのか倒産なのかまではちょっとわからなかったですけど
なかなか先制じゃん
っていう
ちょっと地獄のような崖崩れというか
みたいなことがあって
その当時から
自ビールって言葉しかなかったから
自ビールって言葉を使ってたけど
流行りされじゃなくて
自分たちが作りたいビールを作るんだみたいな
結構魂を持った
その当時は逆に
あんまり有名ではなかったような人たちが
逆に生き残っていって
今のレジェンドみたいになってるんですよね
その方々が
今一度クラフトっていう言葉を使い始めて
そこからクラフトビール協会みたいなものとかも
出てきて
僕らみたいな第二世代みたいな人たちに
今一度そういう歴史とかも伝えてくれたりとかしつつ
って感じですね
クラフトビール協会っていうのがあるんですよね
僕が結局入ってないから名前忘れちゃいましたけど
なんかそういうことをやってる方々とかやっぱりいらっしゃいますね
これは結構エモい話というか
時代的にもマスメディアには結構影響力あるというか
言い方悪いけど踊らされてしまうではないけど
ジビルイコールまずいっていう一面が出た
っていうだけですよね
言ったらもうそれだけで何か一個
きっかけとしても全部崩れてっちゃうんだよな
なんかそういうのも結構激しいなと思うけど
でもやっぱそこで生き残ってたその作り手さんたちも
地域貢献への思い
いるというか
やっぱその人たちは細々とかもしれないけど
やっぱりその人たちのことが好きとか
その人たちのビールが好きっていう
ファンがやっぱいたんじゃないのかなという
そうですね
言うてもやっぱすごかったんだと思いますね
派手さがなかったっていうだけで
ある意味熱狂的なというか
この人のビールじゃないと嫌だみたいな
人がしっかりいたから
その時にちゃんと生き残れたんだと思います
でもそんな一気にジビルいなくなったんですね
今ももちろんジビルって言葉使われてますけど
多分その当時からやって
今も続いているジビル会社さんと
ここ最近新しく入ってきたジビル会社さんとでは
もう根本的に多分違う感じだと思いますね
もう誰がどんな世界を目指しててもいいと思うんですけど
やっぱ昔からやってた
そして今も残っている方々は僕らからすると
先輩方って感じですね
でもジビルの地っていう地が
強すぎる引っ張られすぎるということで
やっぱり地元の食材というか
特産物みたいなものを使ったビールであったりとか
なんか街おこしみたいなのに使われているビールみたいな
そういう意味で確かにジビルという言葉にはあるなと思うんですけど
さっき言ってたブログを結局消しちゃったっていう
結局そこが怖かったっていう話なんですかね
街おこしに使いたいわけではないとか
そうですねというよりもですね
僕らも福津市のこと大好きだからこそ引っ越してきてるので
貢献はめちゃくちゃしたいと結構本気で思ってるんですけど
そこが目的でやっているビール会社っていうのは
しかも何もやってない今から開業の僕らがそれを言っちゃうと
むしろ福津の力にあやかるような感覚になるというか
そうじゃなくて本当に貢献しようと思うんだったら
自分たちは自分たちの大事にしているところに旗を立てて
それで実績を作るその結果として福津に貢献するみたいな
その順番矢印が大事だなっていうのは結構
私も妻もずっと言っててですね
それでビール事業をスタートするという時に
いきなり福津の名を語るにはあまりにもおこがましいというか
そんな感じですかね
生活と仕事の延長
全然誰がどう地元の名前を語ってビール作っても全然いいと思うんですけど
自分たちの中ではものすごく違和感があるって感じですかね
でもそれわかるな
同じようなことを考えてそうな気がします
だから町を起こし福津を盛り上げるために
ビールを作るという順番ではなくて
ビールを作っていってその結果的に福津が盛り上がればいいなと
そういう順番という感じですね
そうですね
もっと言うと福津というよりも
自分たちの中では暮らしの延長で仕事を作って
その暮らしの先に仕事を作ることが営みに変わると思ってるんですけど
その営みが次の暮らしを作っていくと思ってるんですよね
次の暮らしを作るってことは
つまり自分たちの身近な住んでいる町とかにも
もちろん関係してくる話だと思うから
結果的に暮らしを作っていこうとすると
福津に貢献するのは当たり前だよねみたいな
そんな順調って感じですかね
営みっていうのはどういう意味合いで営みという言葉を
何なんでしょうね
ちょっと抽象的だから分かりづらいかなと思うんですけど
具体的にこういう感じっていうのは
ぼんやりでもいいんですけどありますか
大人の背中を自分たちの子供たちに見える仕事を作るような感覚
なるほどかね
暮らしの延長にあるっていうのは
何回か今日だけでも出てきたなと思うんですけど
仕事と生活があんまり明確に切り離されていない
そうです
僕なんかも多分そうだと思うんですけど
実際家と職場っていうのは離れてはいるんですけど
僕が働いているというか料理作っている横で
たまに子供たちが学校が早く終わるとかの時に
ご飯を食べるためにお店に来ているみたいな
その時ってやっぱ僕がやってることっていうのを間近で見てるから
料理を作っているなり
お客さんがすると食べていて
お客さんとのやりとりを見てるとか
そういうことあるんですけど
それがつまり生活の延長線上みたいな話なのかな
いやもうほんとそうですね
まさしくそうです
よかった正解してる
ありがとうございます
素晴らしい言語感
要は生活はそうか
だから今結構職場っていうか
切り分ける
子供たちからするとお父さんお母さんがどういう仕事をしているか
例えば職場でどういうことをやっているのかとか
知らない子がまあまあ多いと思うんですよね
だから結構職場見学みたいなのをしたらいいよって話も結構聞くんですけど
まあ確かにそれで言うと
ビール作りなんかも家の近くでやるとかであれば
お子さんたちも見に来ることもあるだろうし
実際見るとお父さんどういうことやってるか
お母さんどうやってるかっていうのも見えると思うんで
そうですね
それはやっぱなんかしらインプットにはなってると思う
子供たちにとっても
いやもうほんとそれこそ今開業して
だいぶ上の子は大きくなって今小1になったんですけど
やっぱ会話の節々で
世の中の働いている大人目線も持ってるというか
そのなんかお金とかそういう話じゃなくて
大変さに気遣いができる言葉がちょいちょい出てくるんですよね
なんか最近もご近所さんで車いじりの
車を修理するお仕事をされている方々が近くにいらっしゃって
その方々が最近ちょっと忙しかったか何かで
夜も街灯ガーッとつけて修理一生懸命してて
悪気があるとか文句をつけたわけでもないけれども
ちょっと寝るときに眩しかったから
なんか眩しいねってポロッと私が言っちゃったんですね
そしたら小1の娘が
でも多分仕事が大変で遅くまでやってるから頑張ってるんだよね
とか言っちゃってくれて
なんかすみませんみたいな
眩しいとか言っちゃってごめんなさいみたいな
なるほど優しい
でもそういう目線ができてるっていうのは
もしかすると生活の延長線上に
もしかしてあるんじゃないかなとは思いますね
地域貢献の意義
だからその仕事と生活が切り離されてないっていうのを
自分たちだけじゃなくて
他の人たちにとってもそうなんだっていうのを理解してる
みたいなことかもしれないですね
いや素晴らしいじゃないですか
小学校1年生でなかなかそういうことを言わない気がしますけど
いや本当びっくりしました
子供はね時々びっくりすること言いますからね
そうですね
なるほどそういうことか
それが営みそうですね
その結果暮らしがまた作られていく感じで
そうなってくると結局地元
福津市に行っての貢献していくみたいなのも
一部になるみたいな感じですかね
そうですね
目的にかけげなくても当たり前だよねみたいな感じですね要するに
そうですねミッションとしてみたいな
それを貢献するんだとかしなければいけないとか
そういうことでもなくて
自然ともう横にあるみたいな
そういうイメージですよね
それも生活の一部として捉えているみたいな
なるほどそういう感じなんですね
なんかわかったかも
良かったですね
でも同じようなことを考えているのかなと
そうですよね
町にはやっぱり貢献したいなっていう気持ちは当然あるし
地元でもあるし
かといってそれを目的にもしていないし
ここで頑張っていれば結果的に
一部貢献にもなっているだろうとも思うし
そうだと思います
康二さんのラジオ聞いてると
ポッドキャスト聞いてると
ちょくちょくささぐりささぐり
単語が出てくるところに愛を感じます
それで言ったら毎回自己紹介で言ってますから
毎回言ってる
あのラジオポッドキャスト経由でささぐりって言葉を
頭に残る人は絶対いてくれるはず
だと思って毎回言うようにしてるんですけど
本当にビビってるものではあると思うんですけど
リスナーさんがわざわざささぐり町に訪れてくれたりすると
すごく嬉しいし
ありがたいですよ
どこから来られてるんで
まあまあそういう感じで
普通に構えているという感じですね
たまのみもいろいろ振り返れば
面白い話がいっぱいあるなと
まだまだ話はつきませんが
今日のところはここまでです
道草醸造所と玉ノ井旅館の出会い
第2回目のお話は
道草醸造所がテナントとして入っている
たまのみ旅館との出会いや
クラフトビールの歴史的背景と
自ビールのライジングから衰退までの経緯
または生活の延長線上に仕事を置く
というお話をしていただきました
奥さんが勝手に家の契約をしてきた
というお話などが面白かったですね
次回はフォクという道草醸造所で作っている
ビールのお話を伺っていきますので
お楽しみに
ということで
5回にわたり道草醸造所の
えとーあきひろさんをゲストにお迎えして
お話を伺っています
ぜひあなたの感想を聞かせてほしいと思いますので
Xでハッシュタグおかん
ハッシュタグひらがなのお
カタカナのかんでおかんですね
それとお便りフォーム
またはスポティファイのコメントなどに
メッセージをお願いします
また道草醸造所さんのホームページなどの
リンクを概要欄に貼っておきますので
そちらもぜひご覧ください
最後までお聞きいただきありがとうございます
またお会いしましょう
バイバイ
38:04

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