1. 空き地、トリップ、毎日小雨
  2. #12 軽く社会の話していきたい..
2024-04-22 28:25

#12 軽く社会の話していきたいよね。社会ありきの人間っていう捉え方に納得がいかない2人。

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私の友達の話からだんだん深まって、社会の話をしてます。

友達の話って社会であり宇宙だなともはや思います。こういうのが好き。

 

今の社会って、社会ありきで人間をそこに合わせようとしてる。そのせいで人間に厳しすぎる。回復しなくても乗り越えなくてもいいのにそう思わされてることが多すぎるねという話をしています。

私がずっと気になっている、依存する人としない人の違いについても。これも、だんだん個人の話ではなく社会の話になります。

こういう雑談から社会の話ができるのが個人的に理想です。楽しい。

00:01
スピーカー 2
なんか、さっき収録外にしてた話の続きをしたいんですけど、いいですか?もちろん。
スピーカー 1
そう、なんか、あの、
私の友達の話をしてたんですけど、なんか、友達の相談事とかを、なんか、これはわかるけど、ここの感覚はわからんなー、とか、なんでそうなるんやろう、みたいな話を、
なんか、第三者と共有するのってめっちゃ楽しくないですか?
あー、まあね、はいはいはい、わかりますよ。
なんか、私は割と好きで、そう、なんか、友達から聞いた話を、なんか、お母さんに、え、これってなんでやと思う?とか、聞いたりとか、そう、割と知ってるんですけど、
そう、なんか、さっき話してたのは、なんか、
あれです、あの、私の中高の友達で、ごろうして、なんか、大学に入った子がいて、っていう話で、その子が起立性障害で、っていう話をしてて、
そう、なんか、すごい、まあ、体、やりたいこととか、自分の希望に体がついていかないっていうのはそうなんですけど、そもそも、なんか、やりたいこととか、希望が、
まあ、ストイックすぎるみたいな話だよね。
ストイックすぎる、なんか、あまりに、なんか、本来の自分はこういうのじゃない、みたいな、なんか、私ならもっとできる、みたいな、なんか、変な自己効力感みたいなものが高すぎるというか、なんか、それでしんどくなってる人は、なんか、多そうだな、みたいな。
スピーカー 2
で、確か、自分が、やっぱり、その、まあ、できないことを、まあ、理不尽に周りの大人、まあ、教育の段階で怒られるっていうのが重なると、やっぱり、その、できないのは悪って、できるようにならなければならないっていう価値観を、まあ、完全にインストールする。
まあ、もしかすると、これを聞いてる人も、それ当たり前やんけって思ってる人いるかもしれないですけど、そこの感情が強くなりすぎると、やっぱり、自分のできないも許せなくなるし、できるこそが正しいことで、周りの人もこれはできてくれないといけない、自分でもできるんだから、みたいな、そういう考えの押し付けに至ってしまう、みたいなケースは結構あるだろうなと思っていて、
で、やっぱりそれがね、いわゆるその体質の問題、規律性障害っていう、そういう体質の問題の人もいるだろうし、その場合はやっぱり本当に理不尽な怒られでもあるし、そうじゃなくてもね、診断がつくつかないに関わらず、やっぱり体質的なものとか、そういう天性的な先天的なものとかはね、あると思うので、
だからそういうところでね、理不尽に怒られるみたいなことがなくなったりとか、あとはね、そもそもなんて言うんだろうな、自分の言葉ではその乗り越えって言うんだけど、これ収録外にした話でもう一回リフレインしてるんですけど、
03:10
スピーカー 2
できるようになろうとしてできるようになっちゃったっていう人はやっぱりどうしても自分はできたのに人ができてないっていう主観を持ちやすくなってしまうっていうのは結構大きいなと思っていて、
やっぱりその背景にはその乗り越えを要求する社会がやっぱりある、その乗り越えないと社会人としてとかやっていけませんよっていう仕組みになってるっていうこと自体に問題があると思っていて、やっぱりその意味で今の社会は厳しすぎると思う。
スピーカー 1
いやーそうなんですよね。
そうそう、なんか本当に乗り越え、そうさっきも収録外で話してた、私が大学院の時にインタビューした薬物依存症の人が、なんかその人の使ってた言葉をそのまま借りるとちょっと強いんですけど、なんか回復に殺されるっていう言い方をしてて、なんかいいなと思ったんですけど、
なんかその世間が求める薬をやめて、なんか真っ当に生活してるみたいな回復像みたいなのに殺されて息苦しくなってもう一回薬を使うみたいな、だからその、なんかしんどくなってすごい自分が壊れそうだったから薬を使ったのに、それをやめることだけが要求される。
その薬物をやめたら退院できるし、病院の規制も緩くなるし、薬物をやめたらすべてが解決するよみたいな、何も解決してないけど、なんかその考えはすごい強いなと思って。
スピーカー 2
本当にそう。だから依存してるものをやめるっていう時に、やっぱり蓋をするイメージを持っちゃいけないんだろうなと思っていて、たぶん何らか依存してるものがあるじゃないですか。
だからそこの対象を変えるっていう風に、たぶん考えた方がいい。
だからその依存をやめようと思ったら、同じぐらいって言ったら厳しいかもしれないけど、要は他に依存できそうなこと、要は熱中できる趣味とか、そういうものを2、3個見つけられるのが一番ベストっていう考え方をした方がいい気がする。感覚値でしかないけどね。
スピーカー 1
でもなんか自分でコントロールするのって難しくないですか。依存してるな、執着してるなって思った時に、他にも目を向けるべきやとか、他にもいろいろやってみるべきって思って行動してみたりとかいろいろするんですけど、それも基本的に脅迫観念みたいな。依存しそうやから他のものにも目を向けないといけないみたいな脅迫観念になって。
06:10
スピーカー 1
行動はコントロールできるんですけど、気持ちの傾きはコントロールできないんですよね。
スピーカー 2
もちろん薬物やっちゃった人だったら薬物でしか得られないものがあるっていうのは多分そうだろうし、そこの部分はやめる以外究極どうしようもないところではあるけど、現実的な話で言えば、例えば薬物をやめましたっていう時にめちゃくちゃ食べてしまうとか、そういうことになった時にそういう自分を許してあげることなんだと思うんだよね。
タバコの本数が増えるでもパチンコに足しげくかようでも、そこはもちろんお医者さんとの相談の上で、自分の中で今は薬物をやめているからっていう意味で都合よく許してあげるっていうのが必要だし、
多分病院側ってそこの受け皿的なものはある程度コミュニケーションの中でそれはちょっとありにしましょうかとかってあると思うし。
スピーカー 1
それが意外となさそうですよ。
あまりないんだ。
そうなんですよね。私この話ずっと個人的に関心があるんですけど、依存執着っていう感覚が強い人と弱い人の違いは何やろうっていうのがずっと関心があって、
友達とかと雑談している段階でも結構違いに気づくことがあるんですよ。
例えば恋愛のこととかで悩んでるとして、私は執着しててあの子はしてないなとかそれは結構表面上のことなんですけど、依存執着しやすい人ってもっと生活習慣みたいなものに違いがある気がしてて。
生活習慣っていうか考え方の癖。
なんだろうな。私結構切り替えが下手なんですよ。
嫌なことあったらずっとしんどいし、明日仕事なら休みの夕方ぐらいからしんどいし、
思考を自分で切り替えられないんですよ。気分に支配されちゃうみたいなところがあって。
だから結構調子悪くなるとお風呂にも入れないし、しんどくなって考え続けちゃって、それ以外のことができなくなったりとか、
帰ってすぐご飯食べたりお風呂入ったり行動できずにダラダラしちゃうみたいなのとかあるあるかなと思うんですけど、
09:05
スピーカー 1
でも意外と依存執着がない子ってそういうの全然しなかったりするんですよ。
お風呂入れるけどみたいな。早く入りやーみたいな。
友達の家泊まりに行ったりとかしても、ご飯食べてすぐ洗い物する子とか。
すごいなーって思うんですけど。
スピーカー 2
それはすごい。
すごいんですけど、その子は私の中でも依存執着全然しない子なんですけど、
スピーカー 1
そういう細かい考え方とか脳の違いの癖みたいなのがすごい繋がってそうで、
なんで私がここまですごいしんどい思いをするのに、あの子はすぐまあいいかって思えるのかみたいなのが、
依存執着する人としない人の違いがすごい関心があるし、
しかも私も別に病的なレベルまではいってないんですよ。
そこからずるっと病的なレベルまで落ちる人もいるじゃないですか。
なんだろうな、こう嫌なことがあってすぐ買い物依存にバーってなって、
病的なほどカードを使っちゃうとか、なんかお酒に溺れちゃうとか、
なんかそこまでにはいかない。
なんかその一線も何かありそうで、
でもなんか私は結構しんどくなるとすぐ何時間も同じものを続けちゃったりとか、
なんか買いすぎちゃったりとか結構あるので、
なんか下手したら、これ以上誰の助けも受けられなくなったりとか、
なんかしんどくなったらすぐそっちに滑っていきそうやな、みたいな感覚はずっとあるんですけど、
なんかその依存執着する人、しない人、グラデーションだと思うんですけど、
どういう違いっていうのはずっと考えてます。
スピーカー 2
自分はその話聞いて思ったのは、違いの原因がまずあるとしたときに、
それが先天的なものだって立場を取るか、後天的なものかっていう立場を取るかで結構議論が変わりそうだなと思った。
スピーカー 1
確かに。
スピーカー 2
どう思います?
スピーカー 1
どっちもあると思うんですけど、
先天的なものに関しては脳の特性みたいな、それこそ切り替えができないみたいな、
なんかよく言う発達障害とか言われるじゃないですか、
ASDとかADHDとか、
なんかああいうのってずっと感じてたんですけど、違和感として、
なんか症状がテンプレなんですよ。
集中力が続かないとか、空気が読めないとか、予定が立てられないとか、
なんかテンプレなんですよね、症状が。
よく言われる特徴が。
なんですけど、一回脳のブレインクリニックみたいなところがあって、
そこに行ったことがあるんですけど、
12:01
スピーカー 1
なんかそこで脳波みたいなのをとってもらえるんですよ。
で、そこで言ってもらったのが、
その症状っていうのは、人の特性とかその好転的なものと絡まり合って出てくるものやから、
例えばASD傾向のある女の子がいるとするじゃないですか、
その子は例えばASDの特徴として空気が読めないと言われるんですけど、
なんか女の子ってすごい空気を読む必要があったりするじゃないか、ジェッター的に。
そう、なんかそういうのを経て、
なんか周りの人にえ?っていう目で見られたりとか、
なんかグループから外されたりとかいう経験を経て、
過剰に空気を読むっていう戦略を取る子もいる。
だからなんか空気を読みすぎて疲れるっていうのもそういう症状の一つ。
だからその、例えば空気が読めないっていうのじゃなくて、
空気を読みすぎて疲れるっていうのは、
曇った眼鏡で物を見ようとしてるから疲れるのと同じで、
空気を読むっていう能力に対しては低いわけじゃないですか。
だから疲れる。
だからそのよく言われるテンプレの空気が読めないっていう症状からは当てはまらないように見えるじゃないですか。
だからその脳の特性から何が起こるかっていうのは結構人それぞれで。
だからそのテンプレはあんま当てにならないみたいなことを言ってて、
私はそれを聞いて、なるほど、それはそうだと思って納得したんですよね。
切り替えができないっていうか、脳の特性なんだろうなと思ったんですけど、
でも私はそこで納得いかなかったのは、
そのクリニックでは、だから脳に電磁波みたいなのがあって、脳の血液を良くしましょうっていう考え方なんですよ。
スピーカー 2
アプローチ自体がそうってことね。
スピーカー 1
私はそれ全然納得いかなくて、
その考え方まではわかるんですよ。
スピーカー 2
障害に対する捉え方は解像度が高くてめっちゃいいなって思ったんですよ。
スピーカー 1
空気が読めないってことは、空気を読みすぎる人も含まれるとか、
その特性から何が起こるかっていうのを言語化していくのがすごいなと思ったんですけど、
そこからじゃあ脳みそ自体を電磁波で何とかしましょうっていうパワープレイになるのなんでって思ったんですよ。
スピーカー 2
そこからの考え方のベクトルが圧倒的に合わなくて、私は嫌だなと思ったんですけど。
そこはそういう考え方する人がいるのはわかるよね。
もちろん自分もそれに賛成するかって言ったりしないけども。
まずテンプレで判断するっていうのは多分昔からの、
自分はあんまり医学とか詳しくないんでわかんないんですけど、
風の診断とか一方変の診断とかっていう症状ベースの診断じゃないですか。
15:03
スピーカー 2
それが発達障害とかに関してはあんまり当てはまらないんじゃないのっていう指摘で、
そこの部分はもうちょっと脳波を見るとか脳の働きを見るっていう形で診断するのが妥当じゃないかっていう話であれば、
それは方向性としては理解ができるところで、
そういうような考え方をしていくと解決アプローチも脳波の部分を測定しながら刺激を与えるとかでやっちゃったら一番効率的なんじゃねっていう、
そういう考え方の流れのような気はするよね。
スピーカー 1
たしかに。
そもそも発達障害っていうことが発達に関しての障害っていうよりかは社会とも不合和じゃないですか。
社会と合わない現状の。だからそこを発達障害っていうふうに現状してるだけじゃないですか。
だからこそ空気が読めないとか予定が立てられないとかがあったときに、
その人の世界の捉え方が違うんやなっていう前提に立つのはいいと思うんですけど、
そこからその人を何とかしようっていうアプローチに行くのが私的には謎だったんですよ。
スピーカー 2
そのアプローチ自体がってことですね。
スピーカー 1
そもそもだって、だって大多数が脳波が切り替えられるわけでもない。
脳波の結霊がいいわけでもないし、グラデーションじゃないですか。
なんかそれはみんな、そこからみんなが感覚が違うのねっていう共通理解を持てればいい気はしてるんですけど。
スピーカー 2
それはやっぱりアプローチが社会側に行くべきっていう感じだよね。
それは最もですよ。それは確かにそう。
そうなんですよね。分かり合えんと思って。感覚が。
医学の人はそれが仕事だっていう感じになるからね。
スピーカー 1
そういう人もいますよ。確実に。
でもそれにすごい納得する人もいるんだろうなと。
私の母とかはすごいそれ好きなんですよ。通ったりしてたんですよ。それがいいみたいな。
スピーカー 2
それ自体も乗り越えの話だよね。乗り越えのツールなので。
スピーカー 1
やっぱりその乗り越えを要求する社会と、その社会がそれでいいのかっていうこと。
スピーカー 2
やっぱり乗り越えちゃった人っていうのはどうしてもそこに、
本人が無自覚のうちにそういう弱者の排除であるとか、そういう強者のロンリーへ行っちゃうから、
18:06
スピーカー 2
やっぱそこに無自覚なのが一番良くないなと思うけどね。
スピーカー 1
確かに何でもそうですよね。有名な大学に入った人とか何でもそうですよね。
自分の力で何とか頑張ったと思ってると排除に繋がるじゃないですか。
自分でもできたのにみたいな。
スピーカー 2
でも自分はね、自分ができたっていう感覚自体は別にやっぱり間違ってないと思うし、
やっぱり人のおかげもあって、自分が頑張ったからでもあって、乗り越えたと。
別にその乗り越えたこと自体が悪いわけではないと。
結局これは自分に返ってくると思うんだけど、その乗り越えたっていう経験をした上で、
人に対してどういう眼差しを向けるか、自分に対してもどういう眼差しを向けるかっていうことだと思うのね。
それがやっぱり自分の中で問いとして、自分は少なくとも個人としては持っていないといけない。
持って行動しないといけないと思っていて、じゃないとやっぱり無自覚に人を傷つけてしまう。
ただやっぱり今自分の周りの人を見てると、そういう余裕がそもそもない。
それもやっぱり社会がそういうふうに人を借り立てているんだっていう理解をしていて、
スピーカー 1
やっぱりこれは社会問題なんだろうなっていうふうに思っている。
割とこう一つ、こうあるべきみたいなのがあるから、乗り越えて、こうあるべきじゃないけど、
病気は乗り越えて、フルタイムで働いててっていうまともな状態みたいなのがあるから、
そもそも乗り越えなくていいんじゃないかみたいな問いってあんまり立てられないですよね。
スピーカー 2
社会の側が乗り越えてない人は、この居場所しかないですっていうやり方をしてしまってるから、
だから根本構造の問題なんだよね。
スピーカー 1
そうなんですよね。なんかあれじゃないですか、障害者枠とかあれじゃないですか。
はいはいはい。切り込むね。
それとかも本当に、就労8時間フルタイムで働けないのであればおりましょうみたいなやつなんなんですかって思うんですよ。
スピーカー 2
自分もその辺の制度とかって、僕あんまり詳しくないのでやらせないこと言えないですけど、
ショックで勉強したっけ?
勉強してるじゃないですか。
スピーカー 1
覚えてないですよ。
21:00
スピーカー 2
全くともあれはいい意味での多様性のインクルージョンであったりとか、そういう方向ではないよね。
スピーカー 1
インクルージョンみたいな言ってるけど、一応その中に包摂したってるけどみたいな感じがありますよね。
スピーカー 2
インクルージョンっていう言葉自体が結構悪いよね。
スピーカー 1
包摂したらからこの立ち位置に降りないよみたいな。
スピーカー 2
まず包摂してあげるっていう明らかにそういう概念なので、それが良くないんですよ。
要は社会ありきの人間なんですよ。それがめちゃくちゃ自分は違和感ある。
自分はあんまりこのポッドキャストで喋りたくないなと思ってたんですけど。
スピーカー 1
喋ってくださいよ。絶対そんな話になるじゃないですか。
スピーカー 2
いつかはなる話だけどね。
一応自分社会学専攻だったんであれなんですけど、人間が複数にいての社会じゃないですか。
人間が複数にいた時に結果的にそこに生まれるものが社会であって、
例えば国が違う、時代が違うっていう時にどんな社会だったか、どんな人間だったか、どんな文化だったかっていうところでその社会が変わっているっていう。
要はその時代が変わることで、場所が変わることで、社会の構成員である人間っていうものがもちろん違うと。
その結果、そこで構成されている社会っていうものも変わるっていう、そういうことになると思うんだけど。
要は人間のための社会であって、社会が好転的にできるものであって、
社会がこうっていうものが決まった状態で、そこに人間が合わせていくっていう構図では決してないはずだっていうことが。
自分はすごくそれは思っていて。
社会に合わせていかないと生きていけませんっていうやっぱりあり方がおかしいし、
それでやっぱり逆に乗り越えた人たち、乗り越えちゃったっていうけど、乗り越えた人たちっていうのがこの社会やっぱおかしくね、乗り越えたけどっていう風に言えるのがやっぱり一番いいというか。
そういう人たちが増えてくるっていうことも絶対これからみんながちょっとでも楽に楽しく生きていける社会にしようと思ったら
スピーカー 1
必要なことだと思うので。
社会以前に集団とかにも言えますよね。そういう風潮多いですよね。
誰のための集団やねんみたいな。
スピーカー 2
集団の維持自体が目的化してしまうとか。
それはあるあるだし、それはそれで理由はちゃんとあると思うし、先人が卒業していった先輩方の伝統みたいなとかね。
24:11
スピーカー 1
それも含めてやっぱり社会だと思うし、それは一つありなんだけれども。
スピーカー 2
ただね、大人の社会なので今論じてる部分がね、そこに関しては考えていきたいし、
結局その多分これ収録前にも話したと思うけど、やっぱり意識の問題だと思うんですよ。
スピーカー 1
そうですね本当に。なんかベクトルがそっちを向いてるかどうかみたいな。
スピーカー 2
その頭のね。
スピーカー 1
なんか完璧にはいかないと思うんですけど。
なんかこういう集団のあり方とかの話すると、
なんか大体いやいやそうは言ってもみたいな来るじゃないですか。それは無理だよみたいなんですけど。
なんかそれ今の時点で完璧にはいかないのはわかるんですけど、
なんかそっちの方を向いてるかどうかみたいな話な気はしてるので。
スピーカー 2
だから極端な話、例えば資本主義が良くないと思っていますって言っている人って、
当たり前だけど資本主義社会の中で資本主義的な生活をしているわけですよ。
それを周りが批判するとしたとして、
それはやっぱり批判には当たらないと思っていて、
その中で生きていかざるを得ないのはどう見ても仕方がないので、
その中で生きつつ、その人が資本主義は良くないんじゃないかとか、
先ほど言った社会のあり方が良くないんじゃないかっていうのをやっぱり考えとして持って、
今みたいなこの場でもいいんだけど、そういうところでやっぱり話をする、発信をする、コミュニケーションをするっていう中で、
議論をする、行動に移っている、意見を表明する行動ができるような段階で、
適切に行動するっていう準備をするっていうことが多分とても大事で、
やっぱり国会前に行って2,3人でデモすればいいとか、それができるかできないかとか、そういう問題ではない。
スピーカー 1
本当にめっちゃそれは思います。
スピーカー 2
別にこのポッドキャストがそんな社会話になればいいって思ってるわけではないけど、
スピーカー 1
軽い場でそういう話ができるのは大事じゃないですか?
スピーカー 2
それはね、この番組は社会派の番組ではないけれども、たまにこういうことも喋ると。
スピーカー 1
それ理想です。
スピーカー 2
それが、たぶん元々ここの2人の関係性っていうのは、そういうのが軽くできる関係性で、
27:06
スピーカー 2
それがある種一番理想的なんで、いい人間関係だと思う。
スピーカー 1
自慢じゃないけど、自分はパートナーともそんな感じなので。
これを言っておかないとイラン妬みを生みそうな気がする。
先週からずっと殺されそうみたいな。
スピーカー 2
この間、何週間か前かな、パートナーと話してて、
これの収録を対面でしてるっていうのを言ったときに、ちょっとびっくりされちゃって。
スピーカー 1
そっか、オンラインでやってるのかと思ったって言われて。
させんって言って。
スピーカー 2
それこそ収録前に喋ったけど、パートナーとは自分遠距離なので、
3ヶ月とか、あえて3ヶ月に1回ぐらいなんですけど。
スピーカー 1
だからこれ月1で今撮ってて3回目とかじゃないですか。
何思われてても、こっちはすいませんとしか言えない。
スピーカー 2
気を使っておこうかなっていう、そういう心配りでした。
スピーカー 1
聞いてるかわかりませんが。
それは必要です。
一旦一区切りしますか。
28:25

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