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#61  新しいことをしがちな人と、繰り返すタイプの人のちがい。新しいことをしたいってどうして思う?そもそも「新しいこと」の定義や、人によって違う不安の話まで。(2026.2.15収録)
2026-04-28 52:42

#61 新しいことをしがちな人と、繰り返すタイプの人のちがい。新しいことをしたいってどうして思う?そもそも「新しいこと」の定義や、人によって違う不安の話まで。(2026.2.15収録)

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私の目から見て、常に新しいことをしている人というのは存在して、そんなとき手癖のように物事を繰り返しがちな自分に対して、劣等感や罪悪感をもつときがあります。

そもそも、新しいことへの挑戦はいいことだとされているけれど、みんなどういうモチベーションやきっかけで新しいことをしているのだろうか。どの程度の勇気や不安があるのだろうか。まず新しいことをしているって認識はあるんだろうか。

自分に対しても、友人の話を聞いていても、こういうことを時々考えることがあります。

 

個人的には、今が良いとか悪いとか関係なく、現状にしがみつきたくなる不安感を常に抱えているような切実性があります。同時に、安定しだすと逃げ出したくなる性質もあり、でもこれは不安由来なような気もします。どうしてなのかももう、わからない。

全員がこの感覚をどれくらいの強さで持っているのかも気になります。

不安の強さや物事の捉え方は人それぞれだけど、やっぱり共通する何かはあるはずで、それでも分かり合えない感覚があるのも事実で。

この2人の話がうまく噛み合ってるかどうか分かりませんが、あーだこーだと色々考えられた時間になったかなと思います。

 

#あきさめpodcast

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サマリー

このエピソードでは、「新しいことをしがちな人」と「繰り返すタイプの人の違い」について掘り下げています。新しいことに挑戦することが推奨される一方で、既存のものを繰り返すことに安心感を覚える人も多く、その違いや背景にある心理について語られます。新しいことを常に求める人に対して劣等感や罪悪感を抱くという話から、新しいことへの欲求が内発的なものか外発的なものか、また変化を恐れる心理や、変化できないことへの不安についても考察します。さらに、新しいことへの挑戦が健康や長寿に繋がるとされる一方で、繰り返すことへの不安や、対人不安の強さ、そしてそれらを言語化することの難しさや、自分自身への向き合い方についても議論が展開されます。最終的には、不安の感じ方や捉え方は人それぞれであり、その多様性を理解することの重要性が示唆されています。

00:00
スピーカー 2
はい、どうぞ。
新しいことと繰り返しの傾向性
スピーカー 1
はい。何かね、何かを話そうっていう時に、私は今ノートの下書きから話そうかなと思ってて。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
ノートって結構最近考えてることとか、最近うーんって思ってることとかについてまとめたいことを書こうと思って、書き出すんですけど、まとめきれずにトンザしてるものがいっぱいあって、
その中からちょっと話そうかなと思って、今日は見てたんですけど、
なんかそう、なんかすごい最近考えてるのが、なんだろうな、なんか新しいことをすごい常にやるタイプの人と、
はい。
なんか結構、なんか既存というか、自分が知ってるものを繰り返すっていうタイプの人がいるじゃないですか、傾向的にね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
はい。
ねえ、なんかゲントクさんは、なんか自分のことをどっちだなって思いますか?
スピーカー 2
あー、えーどうだろう、でも、でもまあ言うてどうだろうな、いやまあ、まあでも、相対的に見れば新しいことをやってる方の人なのかな。
スピーカー 1
うーん。
スピーカー 2
全体から見たら、ちょっと新しいことやってるよりかなとは思うけど、
うんうんうん。
でもやっぱり繰り返してる要素の方が基本的には大きいかなとは思うけどね。
スピーカー 1
うーん、そっか。
あー全体、その自分の全体要素を見たときに繰り返してる要素の方が大きいってことですか。
スピーカー 2
自分がやってることを全部で100%としたときに、まあ7、8割方は繰り返しのことなんじゃないか、まあ動画投稿みたいなことも含めて。
スピーカー 1
うーん、うんうんうんうん。
なるほどね、いやすごいね、なんかどっち、なんか両方の人が、まあそのグラデーションですよ、もちろんね。
だけど、なんかこう傾向的に分けると、なんかすごい二手に分かれるなみたいなのを、なんかすごい考えることが多くて。
うーん、なんか私もどちらかというと要素的に繰り返しが多いと自分では思ってるんですよ。
スピーカー 2
はいはいはい。
うーん、で、なんだろうな、本当に昔から同じ音楽を聞くとか、同じアニメを見るとかをめっちゃやるんです。
スピーカー 1
はいはいはい。
あのー、なんか本当に気に入った音楽はずーっと聞いてるし、もう小さい頃からそうで、なんかもう気が狂うほど島次郎の同じDVD見るみたいな。
おかん聞い狂うで、みたいな。
そう、とか同じCD何回もかけてっていうとか、あとささやさんを録画してひたすら見るみたいなとか、なんか繰り返し。
同じコンテンツを繰り返し見るのレベルだったら、多分自分はそんなにそれはやらないな。
うーん。
スピーカー 2
なんか行動のレベルで同じことやってるのだったらあれだけど、中身はやっぱり毎回違うかなっていう。
スピーカー 1
いやでもそれもね、グラデーションというか、私もその行動にも結構つながってる気がするんですよね。
スピーカー 2
なるほど。
なんか私自身もそのコンテンツもあるけど、行動も結構なんか行ったとこあるところに行きがちとか、なんかレストランに行ったら同じものを頼むとか、
あーはいはいはい。
スピーカー 1
なんか回転寿司で大体決まったものを頼むとか、なんかそういうことをやりがちなんですけど、なんかこの、でも常に新しいことをやってる人っていうのはいて、
なんか例えばこう、なんか会うたびに違うものを好きになってるとか、いつもなんかこうチャレンジ精神、チャレンジ精神というかなんか新しいものをやってみたいみたいな気持ちがある人。
で、なんか例えばその、なんだろう、まだコンテンツの話になるんですけど、なんかYouTubeとかでも、なんか新規開拓をめっちゃして、新しいものを見てる人とか、
私本当に昔から決まったものしか見ない人で、決まったチャンネルだけを見て、で、まぁ時々その人の影響でちょっと広がったりとかすることあるんですけど、またそれもハマるまでが結構厳しくて、私の門が厳しくて、
新しいことへの欲求の源泉と不安
スピーカー 1
で、ハマったらもうそればっか見るみたいになりがちで、だから常にこう新しいことをしてるというか、そのどんどんYouTube新規開拓したりとかネットフリーで違う作品いっぱい見たりとか、なんかしてる人とかは、なんかそれはそれでまた別回路だなと思って、なんかこう思うんですけど、
でもなんか個人的には、その新しいことを常にしてる人に対して劣等感があるというか、なんか何だろうな、繰り返す瞬間に罪悪感があるんです。
なんかこう、また自分知ってるものを選んだなみたいな、なんか罪悪感みたいなのがあって、でなんか、どっちがいいとかないと思うんですけど、なんだろうな、新しいものを、新しいことをしたい、新しいものを見たいみたいな欲求って、なんだろうな、なんか内発的なものなのか、
なんか新しいことを、なんだろうな、私は結構新しいものを、ことをしないといけないなって時々思うんです。結構エネルギーがかかるし、その、でも、なんかこう繰り返したり、繰り返しをしたりとか変化を嫌う、嫌うようになると、なんかだんだんこう守りに入っていってどんどん身が固くなっていくんですよね。
はいはいはい。
で、なんか新しいことを次々にやってる人って、なんかその感情というか、その欲望はどこから来るんだろう、みたいなのをすごい思うことがあるんですよ。
スピーカー 2
どうなんやろうね、いやもう完全な偏見だけで言うと、新しいことをポンポンやるっていう人も、大体はそういう外発的なというか、まあその、ねえ、なんか幅広く知識を吸収しないといけないみたいな空気感は、まああるかなとは思う。
自分は大体、そうね、あの、なんだろう、外発的なというか、そういう理由で、何か新しいことやったり、っていうのが多いから、自分も基本的にはね、閉じこもるタイプではあるから、まあ自分なりにバランスを取らないといけないなと思って、そうやってるっていう傾向が強い。
スピーカー 1
そうですね、うんうん、私もそうなんですよね、なんかこう、気を抜いたら閉じこもっちゃうから、なんかこう、なんだろう、そうならないためにしないとって思うんですけど、なんかそれがやっぱりこうエネルギー的に弱ってるときとか、まあ別に弱ってるときにしなくていいんですけど、でもやっぱこうしんどくて、なんか新しいことをやんなきゃいけないのに繰り返してしまうみたいな罪悪感があったりとか、
なんかこう、でもこう新しいことをやることに抵抗がない人っていうのはやっぱなくて、なんかどんどんやっていく、その、うーん、ような気がするから、それもね、その、あの、外発的な病院でその新しいことをやっとかないとっていう人も確かにいるとは思うんですけど、その新しいこといっぱいやってる人の中で、
はい。
だけど、なんかやっぱりこう純粋な興味に基づいて、なんか逆にじっと捨てられないみたいな人もいるなあっていうふうに思って。
スピーカー 2
それはそうだろうな。
スピーカー 1
うーん。
スピーカー 2
なんかどんどん新しい刺激を入れたいっていう人がいるだろうなっていうのは、うん、確かに思った。
スピーカー 1
うーん、そうなんですよね。
うん。
だからなんかそれがすごい、うーん、私なんかその純粋な興味で動いてる人に対して、なんか自分がこう、なんかある一定のものにしか興味を持てず、閉じこもりがちなことに対してすごい劣等感があるんですよ、昔から。
スピーカー 2
まあでもどうなんやろ、でもやっぱりさ、そのどんどん新しいものを見ますとか、そういう人は、やっぱり逆に繰り返し1個の作品をこう見続けるとか、そういう深掘りをするっていうのが、なんかなかなかできないみたいな、そういうところがあると思うから、なんかそれはそれで、なんていうか、そういう人から見たら羨ましいみたいなのがあるんじゃない?
自分たぶん両方、そっちも気持ちとしてはわかる?
スピーカー 1
確かに。
スピーカー 2
なんかそういうのはちょっとあるかなと思うけど。
スピーカー 1
確かにね、両方の要素はありますね。確かになんか自分もその、なんか同じことを、例えばその同じことをずっと続けてる天文職技術の人っていうじゃないですか、天文職っていうか職人技術?
なんかああいうのではない。ずっと同じことを極めるみたいなのは結構苦手で、なんか新しいことをしたくなるけど、なんかそれはその留まるのが嫌。なんだろうな。確かに。なんかすごいそれがね、ずっと最近気になってて。
スピーカー 2
なんか今の話の感じだと、なんかなんだろう、ぼやっとしてるというか、例えば映画を見るのが好きな人が、映画好きとはもうたくさんの映画を毎週違うのを見ることなのか、なんかお気に入りの映画を繰り返しある程度見ることなのか、そういうのをバランス化でやることなのかみたいな、
そっちの話をしてるのか、なんかそういう仕事的な文脈において、同じことを職人的にやれる人がすごいのか、なんかもっとそういう林京編に立ち回ってるのが得意なのかみたいな、そっちの話なのか、そこだけでも全然話が違うような気がするし。
えーっとね、確かになんか好きなもの、例えばめっちゃ映画が好きとかだと、なんかいろんなパターンの好きがあると思うんですよ。その同じ作品を何回も見るのが好きとか、あとなんかそのいろんなものを見るのが好きとか、なんか楽しみ方はその映画好きでもそれぞれだなと思うんですけど、なんか何らかのこうめっちゃ好きっていう分野じゃないところ、
なんかこう例えばそのYouTubeとかでもめっちゃ好きっていう分野でもなく、みんながこう手軽に暇つぶしで見るものとか、手軽に暇つぶしで聞く音楽とか、あのなんとなく帰りのルートとか、そういうものがひたすら同じものを選びがちなんですよ。
スピーカー 1
なんだろうな、めっちゃ好きだったら確かにその楽しみ方多様だなと思うんですけど、なんだろう、ちょっとした変化が怖いみたいな、なんだろうな、なんかいいのかなどうなんだろう、でもそのちょっとした変化をつけないとって思って頑張ってつけてるんですよ。でもなんか自然につけれる人もいるじゃないですか、なんか逆にこうじっとしてられない人とかもいるから、
仕事とか分野に分けるのもそうだけど、たぶんやっぱどっかこう一本つながってる気がして、こうそういう人たち、例えば職人キストの人といろいろやる人は帰りのルート変えるんかなとか、なんだろうな、音楽とかどれぐらいバラバラで聞くんかなとか、そういうのが気になるんです。
あーそういうこと、それは考えたことないな。
スピーカー 2
どういう観点で、自分がどれかの類型にピタッと当てはまるわけでもないから、自分の話をしたらいいっていうわけでもなさそうやし。
スピーカー 1
いや確かに確かに、いやでもね、それは、え、でもなんか玄徳さんはそういうふうに自分のことを捉えてるんやなっていうのはすごいなんか共通点は感じましたね。
あの、なんだろう、こう一般的にというかその、は新しいことをしてるように見えるかもよけど、自分の中では繰り返しが大きいみたいな。
うーん、そうね、まあでもほんと、なんかやってることは結構繰り返しなんじゃないかな、自分動画投稿とかもやってるけど、動画の中身は違うけど、動画を作る上でやってることって流れはそんなに変わんないから、そういう意味では一緒だし、
スピーカー 2
そういうのはあるけど、なんか作品を見るとか、そういうのに触れるっていう部分で言ったら、あんまり繰り返しで見ることはないかなっていうのと、日常生活的なところで言うと、例えば帰り道をいつもと違う道にするとかは、割と自然にできるタイプだと思う。
そこはあんまり固執しないし、そんなに距離が変わらない程度やったら、その日の気分、ここ10回ぐらい同じ道で帰ってるから、今日はこっちで帰ってみようみたいなのが、なんかできるぐらいのタイプ、あんまり気にしないタイプかなとは思う。
スピーカー 1
はいはいはい。私もね、帰り道は大丈夫ですね。帰り道は大丈夫で、でも他にこう、なんか人に、いつも声をかけないところで人に声をかけるかとか、なんだろうな。
スピーカー 2
音楽は、音楽、そもそもあんまり聴く時間取れんくなっちゃったからっていうのもあるけど、でも元々は結構、元々っていうか昔から好きになった曲は結構聴くタイプだと思うから、
まあね、思い出したら、今やったら自分スポティファイ開いたら、その時の好きな曲をとりあえず再生するみたいなことはあるかな。
スピーカー 1
はいはいはい。確かに。そうですね。そうですよね、確かに。なんかコンテンツによっても違うかなっていうのもあるんですけど、なんか。
でも確かになんか自分が、例えばその玄徳さんも今、なんかコンテンツ?そのコンテンツは同じだけどチャンネルはチャンネルじゃないな、その内容、話は全部違うの見るって言ってたじゃないですか。
スピーカー 2
はいはいはい。
スピーカー 1
でもなんかそれも私もそうなんですよ。で、そのコンテンツは結構狭めなんですけど、まあその多分、例えばYouTubeとかで10チャンネルめっちゃ気に入ってる人と、なんか2チャンネルめっちゃ気に入って何回も見る人って多分幅も違うじゃないですか。
でそれもなんかどこまで繰り返して呼ぶかも多分違うと思うんですけど、でもなんかこうなんだろうな、でも例えばその同じ話をずっと見るでも、なんだろうな。
例えばなんかその私が大学生の時にバイトしてた、なんか障害のある子?なんか知的とかのある子と一緒にお出かけする外出支援のヘルパーとかやってたんですけど、なんかもう家帰ったら絶対になんかお母さんと一緒の何秒の何々のシーンを見るみたいな決めてる子とかもいて、
スピーカー 2
はいはいはいはい。
なんかもう家帰ったら絶対にそれを見るんですよ。もう毎日、毎日お出かけしてそれを見てみたいな感じで、でもそれは例えばそのめちゃめちゃ範囲が狭いじゃないですか、同じお母さんと一緒のチャンネルの中の35秒から45秒みたいな話じゃないですか、めっちゃ狭いし、
スピーカー 1
で、それはでも繰り返し過ぎやろうっていう人とかでも、そのお母さんと一緒のその話を何回も見る人もいるじゃないですか。何回も見る人もいて、で、別にそこまでではないけどお母さんと一緒っていうチャンネルだけをずっと見てるよっていう人もいる。ここが私たちだと思うんですよ。
例えばそのこのチャンネルの違う話だけど、同じなんだろう、同じチャンネルのものをずっと見るっていう人。だからなんかここはグラデーションな気がして、なんかこう、どこに位置づくかみたいな話だなーっていうふうに思ったんですけど、なんかこう根源的なのは変わらない気はして、どうなんだろう、
なんか知ってるものを見たいっていう、知ってるの範囲なのかなーみたいな。
スピーカー 2
なるほどね。で、ヤギニンさんはその知ってるものを繰り返し見たいっていう部分が、まあ多くの人類にどれぐらい共通して持っている概念なのかみたいなのが気になるということ?
スピーカー 1
あーそうです。知ってるものを繰り返し見たいのか、その新しいことをしたいって思ってる人は本当にそう思ってて、なんか外発的なものに侵されていないで純粋に。でも純粋に思ってる人たくさんいるので、身の回りにも。だからその差がすごい気になるなーみたいなのを思ってたんですよ。
スピーカー 2
いやその繰り返し見る、今の話で言うとその繰り返し見るのところの中にそのグラデーションがあるわけじゃないですか。なんかそこの違いな気がする。要は繰り返し見てますの、なんていうの、それぞれ一人一人に繰り返し見てますのスコープみたいな範囲みたいなのが自分なりにあって、それが狭いか広いかみたいななんか違いで、
新しいものにいっぱい手を出してるように見える、みたいなのが生まれるのでは。
スピーカー 1
なるほどね、繰り返してると思ってない?繰り返し、なんだろう、その範囲が広いものを繰り返してるだけなのか。
スピーカー 2
だから例えば自分とかが、この人なんか新しいこと全部、なんかずっと新しいことばっかりやってんなーみたいな感じで、この人がいたとしても、その人にとっては、いやこれはこの文脈でこれを繰り返してるだけ、これはこの文脈でこれを繰り返してるだけ、みたいな、そういう捉え方が違うんじゃない。
なるほどね。
やっぱり基本的に全く新しいことをやるっていうのは、やっぱストレスじゃないですか。
スピーカー 1
確かにストレスなのかな、ストレスの度合いも結構違うのかなとは思いますけど。
スピーカー 2
本当に全く繋がりがないこと、それをちょっと具体的に定義することは難しいけど、そういうのが概念的にあったとして、それをやるのは誰だって負担が大きいっていうのはそうなんですよ。
で、そこからグラデーションが始まってきたときに、自分にとってこれは今までの自分がやってきたこととは全く別の文脈にあるものだっていうふうに感じるのか。
それとも、ここのところを取り出してみたら、今まで繰り返しやってきたことと繋がりが30%ぐらいあることだっていうふうに捉える人と同じものでも捉え方が違うっていうのがあると思って、その違いが生むんじゃないですか。
そういうのが範囲が広い人が他の人よりもいろんなことにチャレンジしてるように結果的に見える。
スピーカー 1
なるほどね。
繋がりを見出す力というか、でもなんかこれで言うとまた見出せないみたいな話になってくる。
スピーカー 2
見出すっていうか、そこに意識が介在しているかどうかわかんないよね。
スピーカー 1
無意識にそれをやっているっていう可能性の方が高そう。
確かに。
確かにな。
その捉え方によって全然違うなと思って。
例えば、YouTubeチャンネルの違うチャンネルを見るっていうことを新しいこととして必要な勇気と、例えば来年からブラジルに住むっていう勇気とが全くエネルギー的に同じな可能性があるじゃないですか。
そういうもんなんですけど、なんて言うんだろうな。
なんかその、なんだろうな、この捉え方が本当に人によって違うというか、その勇気の量みたいなのか、勇気の量じゃないけど、新しいこと、なんだろうな、うまくまとめられなくなってきた。
スピーカー 2
新しいことっていう部分も、なんか曖昧な気はするよね。
スピーカー 1
うんうん。それはそうですね。
確かに。
新しいことと本人は認識してないかもしれないし。
新しいことへの適応と年齢、気質
スピーカー 1
だって新しくないことって、今まで話の文脈からいくと、自分たちがそれぞれ繰り返しやっていることの延長線上にあることが新しくないわけでしょ。
うんうんうん。
スピーカー 2
例えば、
スピーカー 1
どうだろうな。
スピーカー 2
まあ、それもまた結局捉え方によるけど、こればっかり言ってこれしか思いつかないからなんだけど、
ヤギリンさんがノートを押し続けていて、
で、じゃあ本を出版しますってなったら、それがまず要はさ、新しいっていうふうに言えるのか、
どれぐらいの温度感で新しいと言えるのか、そこ自体が結構、人によって感覚違いません?
スピーカー 1
確かに。
そうですね。
確かに確かに。
ああ、なるほどね。
スピーカー 2
アルソコミンでは確かに新しい。商業出版なんて、もちろん全く無なわけだから新しいんだけど、
でもヤギリンさんがやってることはそんなに変わってない可能性がある。
もちろんプロの編集者が入って打ち合わせがあるかもしれないけど、文章を書くっていう根本的な仕事の部分は変わらないじゃないですか。
スピーカー 1
確かに。
なるほどね。
なんかそれと、例えば、どう繋がるかわからないまま話し出すんですけど、
例えば、お年寄りとかが新しいことに適応できないとかあるじゃないですか。
例えば、新しいことに適応できる人は割と健康に長生きしがちというか、ぼけないとかあると思うんですよ。
例えば、うちの祖父とかはツイッター使ったりするんですよ。
スピーカー 2
すごい。
スピーカー 1
ツイッター使ったりとか、あと何にでも最近はこうらしいなみたいなんで話してきたりするので、
割と新しいことに適応するタイプ。
あとは母方の祖父とかは割と保守的というか、どうなんだろう。
祖父と祖母と違うかもしれないですけど、
割と新しいことへの恐怖心、不安が強いみたいな感じで。
よく言うじゃないですか、セルフレジーにできるお年寄りとできないお年寄りみたいなのとか言うと思うんですけど、
でもそういうのでも、新しいことをやれる人の方が健康で良いとされる。
でも、何だろうな。
例えば、私がバイトで関わってた自閉症の子とかで、
同じことを何回も繰り返すっていう気質の人もいるじゃないですか。
お母さんと一緒の何秒から何秒を毎日見るっていう気質の人もいて、
でも新しいことをやる方がボケないとか健康に良いとされる。
でも気質って色々あるんだろうなと思うんですけど、
でも新しいことをやる方が良いとされる価値観に私も染められてるというか、
しまって、繰り返すことに対する罪悪感っていうのがあるなってすごい思うんですけど。
でも新しいことをやっているように見えるお年寄りっていうのは、
それも新しいことだと認識してないのか、
要するに興味があるのか、
その辺りの新しいことをやるとこに恐怖がない人と恐怖が強い人っていうのがいて、
お年寄りとかも新しいものに適応しないのは恐怖が強いんだと思うんですよ。
それは年を取れば取るほど多分強くなっていくものだと思ってて、
自分が今まで生きててやってきたこと変えたくない、否定したくないし、
変えられたくないから、だからどんどん恐怖が強いから閉じこもっていくっていう、
年齢に関するものもあると思うんですよね。
そこの恐怖感の差みたいなのが、文脈はありますよ。
人が新しいと捉えてるかどうかっていうのもあるけど、
そこの不安感の差みたいなのが、
気質によって全然違うなみたいなのがすごい気になってて、
不安との向き合い方とセルフケア
スピーカー 1
よく言うじゃないですか、入学式の時とかに、
皆さんは不安と期待を背負って、不安しかないよみたいなのを思ってたんですけど、
そこに対して不安を感じない人っていうのは、
やっぱりこれやってみたいっていうのを思えたりするんだろうなみたいな。
すごい思うんです。
スピーカー 2
あんまり自分も理解している自信はないけど、
聞いててちょっと思ったのは、新しいことをやるのが不安っていうのは確かにそうで、
分かると思う。
ただ一方で逆に見方によっては、
同じことを繰り返しするっていうことにも、
不安とか恐怖感みたいなのってあるんじゃないかなと思って、
っていうのも要は極端に言うと、
同じことを繰り返すとか、新しいことをやらないっていうことって、
やっぱりどこかで孤独につながっていくものがあると思って、
何言いたいことがあっているか分からないけど、
それを考えた時に、新しいことに手を出さないっていうこと自体が不安である。
だから新しいことに手を出すみたいな、
思考回路ももちろん存在はしているんじゃないかっていうのは。
スピーカー 1
分かりますよ。でもそれはそうなんです。
それは私もそうなんです。
なんか新しいことをやらないと、
なんかこう、なんだろうな、不安?
なんかずっと同じことをやってるだけだと、
もう人から置いていかれるかもしれないし、
誰かともつながれないし、
何より自分が現状に固執してどんどん腐っていくんじゃないか、
みたいな不安があってやってるんですよ。
でもそれは疲れるし、しんどいんですよ。
純粋にこれが気になるからやるとか、
やってみるチャレンジみたいな前向きな気持ちではなく、
腐りたくないっていう恐怖心から逃げてるみたいな感じがあって、
すごい苦痛なんです。
だからそれを苦痛だと思わない人とは結構決定的な差があるな、
みたいなのは思ってしまうんですよね。
ちょっと分かんないんですけどね、そういう人の。
スピーカー 2
そこまで意識的に考えちゃってる、考えちゃってないのも
違いな気がするけどね。
漠然とそういう不安感みたいなのがある中で、
そこを意識的に考えてしまうと、
よりしんどいみたいなことってあるじゃないですか。
スピーカー 1
意識的に考えずに腰を動かせられるというか、
立ち上がれるのは一種の才能。
嫌すぎて立ち上がれないので、
やったほうがいいんだろうなみたいな、
でもしんどい、やりたくない、
でもここでやらなければ腐るみたいな気持ちから、
めちゃくちゃ頑張って立ち上がってるんですよ。
だからそれをやるとしんどいし、
それを考えずに立ち上がれる人っていうのは一種の才能というか。
抵抗が違う。
抵抗の大きさが違うなみたいなのをすごい思って。
スピーカー 2
でも翻ってみれば、
そこがヤギリンさんの個性なんじゃないのっていう気もするけどね。
むしろそっちのほうが、
だって多分ヤギリンさんから見て、
無意識に腰を上げてやれる人いいなみたいなのって、
多分名前は出せないけど、
具体例が多分たくさんあるんですよ、多分ね。
だからなんかそれは逆に、
ヤギリンさんの強みみたいな話なんじゃないですか。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
それがフロキャンのあれにも現れてて、
フロキャンのポッドキャストがちょっと伸びてるんでしょ。
スピーカー 1
人類がみんなフロキャンをしたいという兆候ですね。
スピーカー 2
そういうことなんじゃないの。
だからそれをポッドキャストとか別にノートでもいいし、
そこで書いていったりとかしたらヤギリンさん。
スピーカー 1
じゃあそう思ってる人は意外と多いっていうことですね。
新しいことをやらない不安っていうのがある人っていうのが一定数いて、
確かに考えない人も存在はするけど、
意外と多いんじゃないかっていうことですね。
スピーカー 2
それはそうなんじゃない。
やっぱり何て言うんだろう。
要は可視化されてる大衆と、
あんまり可視化されてない大衆というか、
その考え方みたいなのが多分あって、
多分校舎の方がいろんな教官を集めたりするわけじゃないですか。
なんかそういうところにつながっているのかもしれませんね。
スピーカー 1
はいはいはい。
スピーカー 2
よくわかんないですけど。
スピーカー 1
なるほどね。
確かにな。
なんか不安を感じる人っていうその不安を言語化することに結構意味があるというか。
スピーカー 2
それはそうじゃない。
そもそもやっぱり不安を言語化しようとする人って多分あんまりいないんですよ。
不安を言語化することにあんまりメリットがないので。
スピーカー 1
だし、なんか不安を感じない人がやっぱ強すぎるって思いますね。
不安を感じてる人、なんだろうな、
不安を感じない人が不安を感じてる人を黙らせるというか、
不安なんだよねみたいな言っても、
いや自分も不安だよみたいな、
なんかでもそれを考えてても意味ないじゃんみたいな、
考えすぎだよみたいな人が、
なんか強いというか覇権を握ってるというか、
それ以上何も言えんくなるやんみたいなんで、
その不安の大きさは人それぞれなのに、
その不安がそこまで感じないやつ、
いやと言うても、感じない人とかが、
なんだろうな、
大きな不安を感じてる人をねじ伏せがちみたいなところはすごいあるなと思って。
スピーカー 2
すごく雑に言うと、
対人不安と信頼の難しさ
スピーカー 2
それはなんかその不安なんて見て見ぬふりして、
やることやりますみたいな形の方が、
全体で見た時に楽な可能性はあって、
実際どうかは分からないけど、
楽かもしれないっていうのはあって、
それが一つのライフハックとして、
多くの人にとって内面化されてるっていうところはあるだろうと。
たぶんヤギリンさんが言ってるのは、
要はそのことを分かっていてもなお、
不安を言語化せざるを得ない、
いろんなものがあって、
特定のトピックだからなのか、
そういうことを考えないと気が済まない立ちなのか、
いろんな形なんだけど、
そういうことを考えざるを得ない、
考えないとやっていけないよっていう人がいて、
まずその人たちの存在自体があんまり、
社会の中で可視化されてないんじゃないかっていう話もあるし、
スピーカー 1
そうですね。
その話、そこが言いたいのかなっていう気はしたかな。
確かに。
そうですね。
スピーカー 1
なんかなんだろうな、
すごい本当に、
自分のこともそうだし、
自分がこの不安が大きくて、
やりたいことが出てこないのもそうだし、
新しいことを嫌うというか、
しんどい性質にあるっていうのもそうだし、
私よりひどい人とかグラデーション的にいるなっていうのを考えると、
そこはグラデーションなんだろうなって思うし、
私でもこんなふうに気にしてる私でも、
ヤギリンはいつも新しいことやってるよね、
みたいな言ってくる子とかもいて、
全然グラデーションというか、
結構本当に不安が強い友達とかだと、
めちゃめちゃ本当に、
多分ちょっとしんどいだろうなっていうぐらい不安が強い友達ってのもいて、
すごい鍵をかけたか何回も確認しちゃうとか、
情報漏洩的なところが怖くてどっかに登録できないとか、
そういうしんどさみたいなのを持ってる子とかもいて、
それを思うと、
でもそれを考えすぎというか、
そんなことないよっていうのは簡単だし、
でも本当にそこまで不安が強いと、
きっとしんどいだろうなというか、
何もやりたいことをやろうっていう次元にないだろうな、
みたいな思うときがあって、
自分の気持ちに正直になるとか、
やってみたいことを見つけるみたいな次元に多分ない。
だから前、いつか玄徳さんが言ってたと思うんですけど、
キャリアの話かな、
不安っていうのは外発的に植え付けられたものみたいな、
スピーカー 2
言ってた気がするんです。
スピーカー 1
何が不安、例えばその時に出したたれいだと、
何回、3回生のうちにインターンに行っておかないとやばいよとか、
そういう不安っていうのは外発的に植え付けられたものだから、
スピーカー 1
そこを深めてもあんまり深まっていかないみたいな話をしてた記憶があって、
それはそうだなと思って、
不安が強い子っていうのはノイズ、雑念みたいなもの。
どこかから与えられたノイズが多くて、
多分自分の新しいことをやってみたいみたいなところに行きついていない。
行きつけないよね、不安が強いんだよな。
だって1日そうやって不安で鍵閉めたかなって思ったら、
それは友達とも遊びたいとも思えないし、
どっかに行きたいとも思えないよねって思うんですよ。
だからそこの不安の強さみたいなのは、
本当に気質によるし、
それを本当に楽になればいいなと思うんですけど、
感覚が違うというか、一律に言えないなみたいな、
新しいことを、これは私の思い込みですけどね、
新しいことをやるのがいいよって既存のものを繰り返すよりも、
バランス的に新しいことにチャレンジする人がいいよね、偉いよねみたいなのと、
そこからはみ出してくる不安の大きい人の扱いはどうしたらいいんだろうみたいなのが、
自分も含めてですよ。
すごい思うんです。
うーん、
スピーカー 2
なんていうか、あんまり自分もしっかり理解できてるわけじゃないけど、
そういう不安を強く感じてしまう人のセルフケアの話だと思って一旦話をすると、
とりあえず周りの人がどういうかとか、それに対してどう答えるかみたいなのって、
ある程度どうしようもないんで、
自分が不安に感じるみたいなもので、
やっぱり不安を感じている自分がいますと、
で、それをどうしようっていう風になると、
その、なんていうの、2段階の不安みたいなのが一番良くないなって感じで、
スピーカー 1
はいはい、そうですね。
スピーカー 2
自分は一番、どんだけ効果があるかはともかくやけど、
一つ良いのかなと思うのは、不安である自分を受け入れる。
認める。
自分はこの局面でこうだから、こう不安なんだっていうところから、
スタートするっていうか、ある意味では諦める。
すごく極端なことを言うと、家に出て何回も鍵がかかってるか気になる人がいるんだったら、
もう気になった段階で一回帰ってみたらっていう手もある。
で、確認してからもう一回出てきて、
で、その不安の中で全部やってみて、
その残りの範囲で楽しめる範囲があるのであれば楽しんでみたらいいし、
もうそれが本格的にできないっていうのであれば、
それはそれで一つ、もしかしたらスタートラインなのかもしれないし。
スピーカー 1
確かにな。
何らかの不安、物質に対する、例えば鍵かけたかなとかに対するは、
そうしたらってすごい思うんですよ。
確かにそうする道もあるのかもしれない。
同時に対人不安が強いというか、
すごいこう思われたくないみたいな、
こう思われるんじゃないか、結構言われますね。
でもみんなこう思うでしょとか、こういう行動をしたらこういうふうに思うやんかみたいなんで、
身動きが取れなくなってるみたいな、
自分の不安を優先できたらいいんですけど、
それと同時に対人不安みたいな、どう思われるかみたいなのが強すぎて、
なんかムズイなって思うときがある。
不安の多様性と共感
スピーカー 2
それがある意味一番どうしようもない部分やからね。
スピーカー 1
そうですね。
確かに物質不安だけだとなんとかなりますね。
スピーカー 2
それが一番どうしようもない部分だから、
それは多分本当の意味で考えても仕方がない部分なんだよね、
そのある一定以上は。
スピーカー 1
だから多分ね、なんかすごいもう開き直るしかないんですけど、
その開き直りが難しいんですよね。
確かにそうですね。
不安なことに対して不安になる。
これはおかしいんじゃないかと思うっていうのが多分よくあると思うので、
その子がこう言ったら周りの人が変やと思うやんっていうのもそういうことだと思うんですよ。
何かに対して不安とかしんどいっていう気持ちがあって、
でもこれはおかしいことなんだっていう気持ちが余計にしんどくなってると思うので、
なんかそれはね、
それはおかしくないよとは、おかしくないというか、
なんて言うんだろうな。
だから少なくとも不安に感じている自分がおかしくないよっていうことだよね。
スピーカー 2
そうですね。
なんか自分で自分にそういうメッセージをかけてあげるっていうセルフケアはあると思うけど。
スピーカー 1
確かにね。
そうですね。
スピーカー 2
とりあえずこれが最初何の話か全然わからなかったけど、
ヤギリンさんのソーラーになることはわかったから。
スピーカー 1
いやでもそうですね、私の普段感じるちょっとした劣等感から、
なんかこう、なんだろう、ちょっとした劣等感から、
スピーカー 1
なんか一般の人っていうかいろんな人はどう思ってるんやろうって思ったときに、
なんかやっぱずっと話聞いてる友達の話が繋がってきて、
でそこをまとめて文章とかに書こうかなと思ってノートに書こうと思ったんですよね。
でももう広がって全くまとまらなくて、
で今も同じ状態になってるんで多分結構難しいと思います。
書くことへの諦めが生まれたもん今。
スピーカー 2
それはそうね、まあ難しい話ではあったと思うけど。
スピーカー 1
そうですね。
いやちょっとなんかその不安が強い人、
でもなんか分かる、なんか気持ちとしてはすごい理解できるんですよ。
だからこそ多分こう肩入れして聞いてるんやろうなっていう感じは、
今話しててしまった。
スピーカー 2
そうなんじゃない?
まあ自分はセルフケアの話なのかなと思いながら聞いてはいました。
自分にどういう言葉をかけるのか。
でまあどういうふうにね、
まあやっぱり自分が不安になってるときに自分で自分にかける言葉が、
やっぱり厳しい言葉をかけてしまうと、
やっぱりもうなんか終わりのない負のループみたいな感じになってしまうと思うので、
一生準備をし続けるみたいなこととか、
そういう感じになると思うんで、
そこは、
まあそこで一つ自分との向き合いが必要になるのかもしれないね。
自分で自分に優しい言葉をかけるっていうことも、
それなりの勇気が必要だと思うんだよね。
スピーカー 1
そうですね。
不安の強さも本当に人によるので、
それを感じてない人が、
前半の話で劣等感っていうのもありますけど、
感じてない人がすごいみたいに思っちゃうし、
やっぱり感じてないこと、感じすぎる?感じてないことがそうあるべきなのかなって、
やっぱり不安の強い人ってどっか劣等感があるんだろうなみたいなのがあるので、
本当に数審査は別々。
スピーカー 2
大体のことはそう見えてないだけな気はするけどね、
特に対人不安の部分に関しては、
やっぱり原理的にそれを全く不安を感じないっていう人は、
多分あんまりいないと思うよね。
だって全く想定がつかない要素は絶対に残るから、対人の部分って。
スピーカー 1
でもね、たぶんね、もともとの対人不安が強いというよりか、
気質もありますよ、もちろん不安を感じやすい気質とかはあるんですけど、
補修的とか。
でもやっぱり嫌な思いをしてきてるんだろうなとは思いますね。
不安なんだろうな、やっぱり人に対する全面の信頼がある人。
大体この、まあまあ、ウェルカム気質な人じゃないけど、
大体自分の話を聞いてくれるし、
真面目に向き合ったら、ちゃんとレスポンスが返ってくるっていうふうに、
人のことを信頼してる人と、
それこそ友達とかだったら、
え、でもこう言ったら言いふらされるかもしれへんし、
え、それってかわいそうって思われるかもしれへんし、
なんかどうせこうこうこうっていうふうに言われるから、
言わへんみたいな感じで一切人と喋らない、
なんだろうな、本音の話をしないっていう子がいるので、
なんだろうな、まあまあそういう経験を積んできたんだろうなと思って、
なんかこう、人に対する不安、対人不安はなんかその、
うーん、なんかみんな多少なりともあるけど、
でもやっぱりこう、なんか、
まあ信頼できる人、まあこれも幅の話なんですけど、
信頼できる人っていうのがいる人と、
なんか人はみんな敵やと思って生きてる人と、
結構なんか違うというか、
うーん、なんか不安、
うーん、どうなんだろうね、
みんな不安だと思うけど、
絶対こう思うやん、みたいな、
絶対誰も助けてくれへんやん、みたいな、
考えを持ってる不安症の人っているなって思うから、
スピーカー 2
あ、そう?そうか、なるほどね。
いや、なんかそのね、ヤギリンさんの友達の話で言えば、
そのヤギリンさんの友達は、
その、何?本音をヤギリンさんに言ってるってことでしょ?
スピーカー 1
そう、だから私にめっちゃ頼られてるところありますね。
なんか私は他の、なんかいろんな人と話したらいいんじゃないかなと、
結構思ってて、
はいはいはい。
スピーカー 1
なんかこう、あの、だれだれちゃんにお話してみたら、
まあ、あの、言うんですけど、共通の知り合いとか、
あと、なんか職場の人にちょっとこういうふうに言ってみたらとか、
もう時々思うんですけど、
いや、でもなんか、でもこういう人にはこう思われるし、
だから家族と私みたいな、家族というか、
あの、親かな?
うん。
スピーカー 1
みたいな感じで、結構狭いから、
まあ、幅なんですよ。
だからいるっていうことは強みなんですよ。
だからありがたいことだなと思うんですけど、
でもすごいその考えは、
強いなと思うんでね。
なんか知らない人でも、だいたいこう職場の人とかでも、
なんだろうな、例えば4月から新しく行く職場とかでも、
まあ、上の人に話せばちょっとわかってもらえるかなみたいな希望はあるじゃないですか。
なんだろう、こう話してみようかなみたいな。
それが、まあどうせわかってくれへんみたいな人はいるじゃないですか。
うん。
なんかその行きづらさというかな。
うんうん。
スピーカー 2
まあ、そういうふうに、なんていうの、
人に相談できなくて閉じちゃう人に関しては、
まあ、その閉じちゃうがゆえに不安がなくなることがなく、
スピーカー 2
大きく続けてしまうでしょうみたいな、そういう話ですかね。
スピーカー 1
そう思うんですけどね。難しいなと思って。
でもこう思われて、でもこう思われたりこう言われるやんって言って、
それはわかんないよって言ってみて、そう言われたら余計にたぶん気づくのが嫌だから。
うん、それはね、そのシチュエーションでいえば、
スピーカー 2
どうしようもない。
そのシチュエーションでいえば、たぶんその、
ヤギ議員さんがちゃんとその人の本音を聞いて、受け止めてしてあげることで、
時間をかけて改善して、改善っていう言い方あるやけど、
時間をかけてちょっと他の人に話しかけてみようかなみたいなのが、
発生する、そういう土壌があるんじゃないかっていう気はしましたけどね。
スピーカー 1
そうそう、本当に私に話してくれることは正直に話してくれるし、
ありがたいことだなとはすごい思ってますけどね。
うん、それでいいんじゃないかなっていう気はしますよ。
スピーカー 1
なるほどね。確かにね、私の中ではたぶんその、
実受けなんですよね。私が不安に思ってるっていうことは、
不安に思ってるっていうこともなんかあって、
なんかその子はそれがより大きい形で出てるから、
たぶんなんかちょっと共感するなっていうことで、
なんかいろいろ考えてしまうのかもしれない。
スピーカー 2
まあでもやっぱり人を信頼するっていうのは難しいですよ。
スピーカー 1
難しいですね。
スピーカー 2
やっぱり原理的にね、100%信頼するっていうのはなかなかできないし、
逆にじゃあ0%の信頼で生きていけるかっていうと、
そういうわけでもないから、そういう。
スピーカー 1
なんか元々人の信頼、人への信頼がすごいなっていう人いますけどね。
まあそれはね本当になんか、言葉を選ばずに言うと、
なんだろうな、なんか洋客的な人は割とそういう人が多いと思ってて、
なんだろうな、人への疑いがないとか、
スピーカー 1
人に対して常にオープンで開かれていて、
みんなのことを好きだと思えるからやっぱり人に好かれるみたいなのがあるなと思って、
それは本当にもう生まれ持ったものもあるし、
家庭環境とかもあるだろうけど、
なんかこうなんだろう、オープンでオープンマインドな気質の人っていて、
スピーカー 1
その真逆の人もいて、難しいなと聞けば聞こうと思って。
スピーカー 2
でも自分としてはセルフケア的にはそうだと思うし、
人へのケアっていう意味ではそういう感じだと思うけどなっていう感じですかね。
そういう話がしたかったのかあんまりわかんないですけど。
スピーカー 1
いやわかんない、でも私もこの着地点がわかんないから良かったです。
スピーカー 2
一旦そんな感じで、こんな感じでおきますか。
スピーカー 1
そうですね、一旦切ります。
52:42

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