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あれから25年。同時大学生だった私はアラフィフになりました。
2026-09-12 10:49

あれから25年。同時大学生だった私はアラフィフになりました。

アメリカ同時多発テロから25年。
同時大学四年生だった私は、友人と四国旅行に行っていて、
帰ってき時でした。
今だったら瞬時に得られる情報も当時は得られなくて、
電車て新聞を読んでる人の紙面から何が起こったのか心配になったことを思い出しました。
四半世紀(書いてびっくり)、いろんなものが進化しました。
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サマリー

語り手は25年前のアメリカ同時多発テロ発生当時、大学4年生で四国旅行中だった。帰りの夜行バスで新聞の見出しを見て事件を知り、情報伝達手段が限られていた時代に不安を感じた経験を振り返る。現代ではスマートフォンで瞬時に情報が得られるようになったが、情報の取捨選択やデマへの対応など、自分で判断する能力の重要性も増したと語る。

アメリカ同時多発テロと当時の状況
おはようございます。こちらはアウトプット雑談プログラムとして書くことで穏やかに暮らしたい私が、ジャーナリングのように雑談をするラジオです。
さて今日は9月12日ですけれども、昨日9月11日は今から25年前になりますかね、アメリカ同時多発テロが起こってしまった日になりますよね。
で、25年経って、あの時のことが思い出されたので、
まあ自分がね何をしてたかとかも含めて、ちょっとね今日はこの話を残しておこうかなと思います。
四国旅行中の出来事
ご興味のある方は最後まで聞きください。 2001年9月には私は大学4年生でした。
就職も決まって、あとはまあ卒業論文を書いて、卒業するだけみたいな夏休みだったと記憶してます。
その時には詳しい日程は忘れてしまったんですけれども、
9月の多分、7日とか9日くらいから、地元の友人と一緒に
四国を一周しようみたいな感じで、旅行の計画を立てて、
実際に行ってたんですね。 私は小学校3年生から6年生までを四国の松山、
愛媛県の松山で過ごしていて、その友達と久しぶりに、10年ぐらいぶりだったのかな、会いたいっていう話になって、
じゃあ行こうみたいな話になったと思うんですけど、友達が付き合ってくれる感じで、せっかくだからあの
四国回りたいねっていう話になって、四国を半週ぐらいかな、していた時でした。
学生なので夜間バス、夜行バスで東京駅の八重洲口ですかね、からバスで朝高知入りして、
高知城を見て、 高知は本当にちょっとしかいなかったんですけど、その後徳島に移ったのかな、
アンパンマン列車みたいなやつに乗って、多分徳島に行って、 徳島はどうしたか覚えてないけど、ナルト大橋行ったけど、ナルト大橋行って、
渦も大して見られずみたいな、ちょっと計画性のない旅でしたね。
香川も行ったけど、こんぴらさんはちょっと登るの無理って諦めて、
最後松山に行くんですけど、2泊3日だったか3泊4日だったかちょっともう定かではないんですけれども、
学生の旅なのであまりお金もかけずに、まだ暑さが残る時期だったなぁと思っています。
四国半週かな、最終的に松山からまた夜行バスで帰ってくるんですけど、
目的は私が小学校の時にいたお友達と会うっていうのが一つ目的だったので、
その友達とも10年ぶりぐらいに会えて、一緒に行った友達は全然関係ないんですけど、
そういうところに放り込んでも本当に楽しんでくれる友達で、楽しんでくれました。
そんな楽しい思いをして松山から夜行バスで帰ってきてたんですよね。
帰京時の情報との遭遇
やっぱり同じように8時か9時ごろ松山を出る便で、翌朝東京の八重洲に着く。
私はその時から茨城県に住んでいるので、東京駅から今度は茨城まで帰ってくる。
電車の下り線なので朝だからガラガラだったんですよ。
多分平日だったと思うんですけど。
ガラガラだったんだけど、当時は携帯も今みたく情報がたくさん得られるものではなくて、
本当に電話とメールとiモードとかがあったけど、
ニュースとか見れたのかな?私のやつはiモード対応してたのかな?思い出せないんですけど、
そんなにスマホでニュース見たりとか情報を得るっていう感じではまだなかったように思います。
乗り合わせた電車で向かいの人が新聞を広げてたんですよ。
スポニシとかああいう新聞だと思うんですけど、
そういう新聞の見出しがテロか戦争かとかいうすごい文言が踊ってて、
友達とどういうこと?みたいな。
8時か9時ぐらいに松山を出た時は何もなかったのに、
朝夜行バスで愛媛から帰ってきてる間に何が起こったの?って思うくらい、
常磐線に乗りながら、下り列車に乗りながら不安に覚えて帰ってきたのを今でも覚えています。
翌年就職する4年生だからね、都市で。
このまま何かが起こってしまったらどうしようとか、
私たちの生活って今電車に乗ってていいの?みたいな。
でもみんな普通に過ごしてるよね、大丈夫なんだよね、みたいなのを2人でやんやしながら帰ってきたなと思っていて。
情報伝達手段の進化
帰ってきてテレビを見るとアメリカで同時多発テロ、同じ時刻にテロっぽいことが起きていたっていうのを知るんですけど、
今だったら多分みんながスマホ見てて分からなかった情報だし、
自分も情報取れるじゃないですか、あとは速報で入ってくるとかいろいろあると思うんですけど、
当時はもう情報がそうやって取ることがまだできなかった時代だったんだなっていうのを、
今その25年前の自分の記憶を手繰り寄せて思っていました。
それが2001年ですね。
そこから25年、今だったら多分そういうことが起こったらスマホに情報が入ってくるだろうし、
誰かの新聞見なくても自分の携帯でそれが確認できちゃう。
これどうなるんだろうねっていうのを夜行バスに乗りながら確認できるような時代になったんだなって思ったりしました。
今そもそも電車に私平日乗ってますけど、新聞広げてる人っていないなと思って。
昔折りたたんで読んでる、すごい上手に読んでるおじさんとかいたけど、いないなと思って。
みんなスマートフォン見て、動画見たりとか、ニュース見たりとか、SNS見たりとかいろいろやってる人がいて、
25年後はこうなるのかっていうのを感じた気もします。
でもあの新聞がなかったらきっと私たちは平和ぼけしたまま帰ってきて、
何もないまま、結果的に日本には直接的には何もなかったからよかったですけど、
帰ってきて何も知らなかったから大変にはならなかったかもしれないけれども、
あの新聞のおかげだったなっていうふうに思ってます。
その友達とちょっとビクビクしながら帰ってきて、でも降り立った駅は特に変わりはなくて安心するみたいな。
大丈夫なのかなみたいな。
多く情報は取れない時代だったから、多く不安になることもなかったと思うけれども、
情報がないことでやっぱり心配になることもあったなっていうふうに感じますよね。
人生の節目と情報化社会
2001年の9月、皆さん何されてましたか?
私はこの後東日本大震災も3月11日、あれは2011年の3月11日ですかね、なるんですけど、
ちょうど子育てが終わってはないんですけど、子どもを産んで1年ちょっと経って、
その4月から復帰しようと思っていた年に震災が起こっているんですね。
だから結構自分のもしかしたら人生の節目節目で覚えてられるような大きな何かがあったんだなっていうのを今お話ししてて思いました。
まとまりないですけどね。
ただこの25年で個人が取れる情報ってものすごい進化したなと思っていて、
と同時にやっぱり不要な情報、自分に必要のない情報も入ってきてしまうのも事実じゃないですか。
なんかデマみたいな、東日本の時にもあったけど、デマが飛び交うとか人の不安を煽るようなことがあったりとか、
それによって悪いことをする人がいたりとかいうのもあって、
便利になった反面、自分で選んでいかなきゃいけないことも増えたし、
自分の判断基準みたいなやつをしっかり磨いていかないといけない時代にもなったなと思います。
情報はたくさんあって、どれを正しい情報として選択するかっていうのはやっぱりその人に委ねられているなと思ったんで、
こういう時とか、有事だったり災害だったりとか今後も起こると思うんですけど、
どの情報を自分が信頼していくのかとか、
自分の中のいろいろ情報を集めるけれども、どれを選択するのかみたいなのはやっぱり磨いていく必要があるかなと思いましたね。
こうやってまとまりなく話しているんですけど、いつも。
これが私の中でも気づきになったりとか、また明日以降への選択する判断基準になったりするので、お話ししています。
今日は何が言いたいか分からなくなっちゃったんですけど、
四半世紀の経過と自己認識
アメリカ同時多発程度から25年も経っていて、当時大学生だった私はもうすっかり50に片足を突っ込んだ、50代目前のところまで年を取ってきたんだなということで、
四半世紀経ったんだなと思うのを改めて感じたところでした。
そんなところで今日は終わりにしようと思います。
最後までお聞きくださりましてありがとうございます。
今日も良き一日となりますように。
ではまた。
10:49

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