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2025-03-11 07:39

東日本大震災から14年も経ちました。いろんな思いがあります。

#介護 #震災 #備え
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サマリー

東日本大震災から14年が経過し、当時の状況や恐怖感を振り返りながら、さまざまな思いを語っています。介護の視点から防災意識の重要性も強調されており、これからの備えについて考える機会となるエピソードです。

震災の思い出と影響
おはようございます。TAKUです。今日も配信を撮ってまいりましょう。
ということで今日は3月11日火曜日ですね。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私は朝からですね、ホームがぎっちり詰まってまして、ちょっと収録もね、早めに撮ってまいりたいと思ってます。
3月11日ですね、東日本大震災から14年経ったってことですよね。
もうね14年も経ったのかというとこで、すごく時の経つの早いなと思ってます。
今日はですね、当初のことをちょっと思い出してお話しようかなと思ってます。
当初ですね、私はデイサービスの管理者として働いてました。
で、ちょっとね外で車を止めてね、ちょっと仕事の電話をしている時にね、揺れが襲ってきました。
すごく揺れてですね、電柱が倒れるんじゃないかっていうね、これ以上強くなったら本当に命の危険あるんじゃないかと、地割れがするんじゃないかっていうとこで、
本当どうなるんだろうってとこで、まず第一印象をね、思ったことを記憶してます。
で、まぁちょっと揺れが収まったので、まぁ大丈夫かなと思って、自分のね経営する、運営するですね、デイサービスに戻ったらですね、なんとこう電気がね消えてたんですよね。
で、道の周りもね、見てみるとね、これ信号がね、おそらく消えてたっていう記憶があるんですよね。
消えてたことは間違いないんですけどね。
で、消えてましたね。で、これどうしようかってところで初めてのね経験でしたので、事務所のスタッフとね話し合って、
まずね、ちょっと落ち着こうと思いました。まぁなかなか落ち着けなかったんですけどね、停電してしまうとね、トイレもちょっと流れなくなったりね、
します。エアコンもね、切れてしまいます。で、まぁ3月11日、まず寒かったので、どんどんね、その施設内の気温が下がっていたって感じだったと思いますね。
で、これ普通通り営業してたら、夜暗くなってね、これどうな、どうしようかって感じになると思ったんですよね。
で、まぁ復旧するかなっていうような、ちょっと考えもありました。しかしね、
まぁ当時ね、テレビもあんまりつかないですよね、電気切れてんで、携帯のね、ラジオとかXの情報を見たって感じだったと思うんですけど、なんかすごい感じになったなっていうので、
漠然としてね、なんか恐怖を感じて、危機を感じたんですよね。なのでちょっとスタッフと話し合ってね、すぐにリオさんを送ろうっていう形で送りました。
で、これ後の話になるんですけどね、そしたらあるスタッフはね、そのエレベーターが止まってたので、ちょっとどうしてもね、高層階の人とかをおんぶしてね、戻したとかね、送る途中にね、信号がね、私も送ったんですけど、消えてたんですよね。だからこれどうしていいかっていうのでね、
これひょっとしてもう暗くなったらさらに危ないんじゃないかっていうので、そういったね、早く決断して送るってこと良かったかなと思いましたね。
本当にイレギュラーなことで、電話もね、ほとんど繋がらないという状況だったので、本当に当時ね、何の備えもしてなかったような感じだったと思うのでね、気持ち的にもね。なので、本当に困って、困惑したっていうのを覚えてますね。
で、事業所に帰ってきてですね、なんとかみんな送り届けてね、自分たちこれどうやって帰ろうかってなった時に、もう外真っ暗だったんですよね。街灯も消えてですね、もう暗黒だったんですよ。
で、車もノロノロ走ってる。信号もついてないのでね、そんな感じでした。で、なんとかね、私は車で家まで戻ったんですけどね、本当その晩はね、寝れなかったかなっていうような感じですね。
もう恐怖というかどうしていいかっていうので、思ったっていうのがまず一つでしたね。でも、みんなをね、リオさん送り届けてね、良かったなと思ってます。
で、本社にも連絡したんですけど、電話がね、なかなか繋がらなかったんですよね。だから結局自分で判断して自分で動くしかなかったっていうところですね。
しかも多くのリオさんね、抱えてましたのでね、もう本当に自分一人でどうしようかって悩んで待ったことを思い出しますね。
で、次の日もおそらく営業したと思うんですけどね、ただあんまり記憶がね、もう恐怖で抜け落ちてる部分もありますよね。
なんとか本当に頑張ったっていうことしか覚えてないですね。あと気持ちがね、動揺して、不安になって、本当どうしていいかわかんないっていうような時でしたね。
だから本当はあまり思い出したくない思い出ですね。なので、まあよく頑張ったってね、私自身は思い出を書き換えるというか、そんな感じかと思ってます。
もっとね、映像を見るとショッキングな映像ね、今でも私思い出したくないんですけどね、そういったものも流れてましたし、
防災意識の重要性
今考えるとね、本当今の平和な今がね、すごくありがたいなって毎日がね、思うような感じになってますね。
はい、まあ皆さんもね、3月11日いろんな思いでね、過ごしてきたと思いますけどね、
まあね、この記憶をね、一つ忘れないで、風化させないでね、次の備えとかね、判断にね、自分自身
つなげていければなぁと思ってます。 まあね、本当にショッキングというか、この日が来るたびに何か辛い思い出を思い出しますね。
皆さんもね、しかしながらね、前を向いてね、頑張って生きていかなきゃいけないので、
なんとかね、周りの人を大事にしながらね、
やっていこうかなっていうところしかもないですよね。今でもね、いろんな災害とかありますので、
介護をする身としてはね、もう本当に早期のね、日々ね、考えておくってことですね。避難経路とか、避難の仕方とか、こんなところにあるんだとかね、こうなったらどうしようっていうね、
想定しておくこととか、あとご高齢者ね、すぐには避難できないので、これどうしていこうかっていうところをね、
さらにね、突き詰めて考えていく必要があるかなと思ってますね。
日々ね、考えていかなきゃいけないっていう風なね、
思いを変えるそのきっかけというか、非常に辛い思い出が残ってますね。
で、この日を迎えるたびに思い出して、ちょっとね、
なんと、なんかね、ちょっと恐怖をね、感じてしまいますね。皆さんもね、
いろんな思いがあると思いますのでね、その辺は気持ちをね、しっかり持ってね、協力しながらね、生きていくっていうのが大事かなと思いますので、
忘れないでいくことがね、私自身、皆さんもね、大事かなと思ってます。
はい、今日ね、ちょっと3月11日ということで、あれから14年も経ってしまったっていうことでね、
いまだに、毎年思い出しますけど、そういったことでね、介護のね、現場はどうだったかってね、ちょっと私自身ね、
振り返りでね、配信してみました。皆さんもね、それぞれ思いがあると思うので、
あればね、また教えてくださいっていうことで、今日の配信は以上になります。ではね、また次回の配信でお会いしましょう。
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