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【ふつうの人インタビュー♯3】満ちかけ社 石渡はぎ乃さん
2026-03-22 47:56

【ふつうの人インタビュー♯3】満ちかけ社 石渡はぎ乃さん

私の周りのすごい人のお話を聴く
「ふつうの人インタビュー」
決してふつうではない方々のお話を聴いています。

3回目の「ふつうの人インタビュー」は
満ちかけ社の石渡はぎ乃さん。
お一人で出版社を立ち上げ、本にまつわるお仕事をされています。
はぎ乃さんと私は月に一度、オンラインで読書会を開催しています。
はぎ乃さんの本に対する思い、本を介して広げたい世界のお話、長尺ですが最後までお聴きいただけると嬉しいです。

ふわっとしたやさしい雰囲気をまといながら、
内側に熱いものをもってらして、どこか体育会系的な感じもする方です。
柔らかい中にしっかりとした芯をお持ちだなといつも思っています。

📖満ちかけ社Instagram
https://www.instagram.com/michikakesha

#コラボ収録 #ふつうの人インタビュー
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00:06
こちらは、アウトプット雑談プログラムとして、書くことで穏やかに暮らしたい私が、ジャーナリングのように雑談をするラジオです。
本日は、ふつうの人インタビュー3回目になります。
今日は、私が2年ぐらい前からお世話になっている、はぎ乃さん、満ちかけ社のはぎ乃さんのお話を伺いたいと思っています。
では早速ですが、はぎ乃さん、自己紹介と今のお仕事などをお伺いしてもいいですか?
はい、よろしくお願いします。
はい、えーと、満ちかけ社の石渡はぎ乃と申します。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
私は、満ちかけ社という名前で、図書室を開いたり、読むこと、書くことについての対話の場を開いたり、読書会とかですね。
あと今は時々マルシェなどで、本の販売をしたり、あとインクやガラスペンなどの販売もしたりしています。
時々本も作ったりしています。
本にまつわるあれこれをしているんですけれども、これをまとめて本と言葉を届ける営みと呼んでいます。
はい、えーと、小学校3年生の野球を始めた丸米の母、甘えもの保護犬大吉の母でもあります。
はい、よろしくお願いします。
お願いします。ありがとうございます。
本と言えば萩野さん、私の中で。
ありがとうございます。
萩野さんと私は月に1回だけオンラインで読書会をさせていただいたりとか、いろいろとご教示いただいたりとか、文章に励まされたりとか、刺激を受けたりとかしています。ありがとうございます。
そんな萩野さんの話を私が聞きたいと思ったのは、萩野さんと言えば本、いつから読んでるとかあるんですか?
いつから読んでる?そうですね、一番初めにページをめくる喜びを知ったのは、あの幼稚園の頃。
タイトルが正しいかわからないんですけど、初めてのお使いとかの作者の林明子さん、今思うと多分あの方の絵だったと思うんですけど、
僕は歩いたまっすぐまっすぐっていう絵本があって、それが気になって手に取ったんですけど、幼稚園にあって、周りはいろんな遊びをして、すごいにぎやかなんですけど、
03:08
片隅に座って本を開いた途端に、その本の世界に自分が入って、その子がどこに行くんだろうって一緒に歩いてるような感じで、次が気になってページをめくるっていうのを、今でもすごいその時のことをよく覚えてるんですね。
これは幼稚園?
幼稚園。
くらい。
4歳とか5歳。
5歳かな。
すごい。
特にご家庭に本が山穂だってとかいう感じでもある?
全然ないというか、そうです。
そうなんだ、意外。
父は割と本を読む人だったんですけど、家にそんな本棚があるわけでもないし、母はむしろ本が苦手で、今でもネタでよく話すんです。
母が唯一読破できた本が、先が気になって一生懸命読んだ、冬のそなたのノベライズ。
いいですね。
そうなんだ。
父は本をいっぱい読んでました。
おじいちゃんのお家には、そんなにたくさんというわけではないけど、やっぱり本棚があって、おじいちゃんが読んでる本はどんな本だろうっていうのを見て、そこから広がった世界とかもあるなって思いますね。
すごい素敵な話です。
そっか、じゃあそこから幼稚園ぐらいで本をまずくりおろこびみたいなのを作られて、そこからもずっと本好きなんですか?
そうですね、本好きで、図書館に連れてってもらうのが本当に好きでしたね。
幼稚園の近くに公民館があって、その中に図書館があったんですけど、そこに行くのが本当に楽しみで、図書館、家にも絵本あったけど、あと幼稚園にも本もあったけど、もっともっとこんなに本あるんだと思って、感動して。
それはお母様が連れてってくれるってことですか?
そうそう、母が。
じゃあお母様読まないけど、萩野さん本好きなんだってことが分かって。
そうですね、連れてってもらって。でもなんか、連れてってもらった記憶よりも、自転車が乗れるようになって、自分で自転車漕いで行ってた時の記憶の方が今振り返ってみると多いかもしれない。
06:09
小学生ぐらいってことですか?
小学生です。
図書館に通う小学生。
今でもそこの道を自転車で走ると、すごいその時の自分を思い出します。
いい思い出。
いい思い出。
そこから私の中では文学少女だったのかなと思って、校内で本読んだでしょみたいなやつもらっちゃう人って思ってたんですけど、
クラスとかで一番本読む人、この人みたいなやつのランキングとかだったら入っちゃう人かなと思ってるんですけど。
どうなんだろう。やっぱり本はよく読んでましたね。
学級文庫、クラスが変わると、学級文庫に何の本あるのかをまずチェックしたり。
あと休み時間に読んで入り込みすぎちゃって、かわいそうな象を一年生の時にうっかり休み時間に読んだら涙が止まらなくなってて、
大変。
どうして泣いてるのって言われて、象さんが、象さんが。
いやーすごい。三人数も豊かですね。
なんかそういう感じでしたね。
小学校に入ったら、小学校の書室の本とかも結構楽しみで、
江戸川乱歩の少年探偵団シリーズとか、すごい好きでしたね。
おーすごい。
奥の方にあるんです。ちょっと図書室って、私の小学校はちょっと薄暗いところだったんですよ。
校舎の外れの方にあって、ちょっと薄暗いちょっと締めっぽい感じのところで、さらにそれの奥の奥にあって、背拍子にちょっと、多分怪人二重迷走の仮面だと思うんですけど、
仮面の絵がそのシリーズを通して書いてあって、すごい怪しげな雰囲気だったんだけど、なんか不思議と惹かれてしまって、読んだりとか。
えーすごい。やっぱり読んでますね。小さい時からものすごい。
小さい時から。お話が好きなのかも。
そんな本との出会いもあって、萩野少女はどんどん成長していくわけじゃないですか。
09:02
はいはい。
萩野少女的には、今は今でこそご自身で出版社立ち上げられてますけど、
いやいやいや。
例えば学生時代、もうちょっと上になった大学時代とかはどんなことをやったとか聞いてもいいですか。
大学の時は、心理学を勉強してました。
えーそうなんですね。
そうですね。で、なんか多分今私が本を読み続けるのも、そこにちょっとつながってると思うんですけど、
人間とは何かにすごい多分興味があって。
哲学的ですよね。
なんでしょうね。
大学でなんで心理学かっていうと、不の感情にすごい興味があったんですよ。
負けるってこと?負けるって言うの?
負ける、そうそう。負ける。ネガティブな感情。
えーはい。
で、なんだか私小さい頃から、日本は第二次世界大戦以降、一応戦争というものは経験してなくて平和な時代で、
そんなに貧しい、私はたまたま普通に暮らしていける家にも生まれて、
でもそれってすごいたまたまだなっていう感覚があって、
たまたまこんなに幸せで周りの人も優しい、平和に暮らせてるのに、
一方で戦争をしてしまった過去もあるし、戦争もどっかで起こってる。
で、人、犯罪とかも決してゼロにはならなくて、
それってなぜだろうって。そこを知ることができたら、もしかしたら防げるかもしれないみたいな。
それで心理学を志しました。
心理学っていっぱいあるじゃないですか。教育心理学とか犯罪心理学とか、分野的にはどのあたりになるんですか。
私は最終的に人のパーソナリティとかにフォーカスする認証心理学と、
あと、人との関係性からが与える影響を研究する社会心理学っていうのがあって、
私パーソナリティに関しては、もしこういう人が犯罪を犯しやすいとかいうのが分かるのも難しいし、
分かったとしても防ぎたいっていうのがやっぱり最終的にあったので、そこを考えるとちょっと難しいなと思って、
12:02
当時、宗教団体の大きい犯罪とかもあったから、やっぱり社会が人間に、
犯罪とか人との関係性が人間に与える影響をもっと知りたいと思って、最終的に社会心理学を専攻しました。
今まで聞いたことないから、この話。
たぶん。
そうですよね。
とても興味深い。
いろいろ話してるけど。
そうですね。今のことは話してるけど、昔のことって確かに聞いてないかも。
大学時代は社会心理学、その後はすぐにご就職されるんですか?
大学の時に研究してたテーマが、
街の防犯活動、やっぱり最終的に防ぐ。
何か防ぎたいんですね。
みたいなところに焦点を当てて、
私最終的に犯罪の防止、犯罪をどうしたら防げるかっていうので、
いいところに焦点を当てて、
街づくりとか住民が街づくりに参加することで、
その犯罪を抑止力につながるかみたいなところを研究していったら、
街づくりっていう物理的な、
人がソフトとハードっていうか、
住民が街を守っていくっていうソフトなやり方だけじゃなくて、
街の道の作り方とか、
家の配置とか、公園の配置とか、
そういうことを考えていくことで犯罪を抑止するっていう考え方があるっていうことを知って、
それってより実用的なんじゃない?って思って、
そっちを学びたいと思って、
都市工学、工学系の理系の分野に就校して、
進学したんですね。
大学院の方で。
それで、ソフトとハード両方わかったら、
より実践できるよね、みたいな感じに。
で、ちょっと方向転換をしてみました。
そうですね。そこから委員卒業して就職される?
15:05
そうなんですね。その時にですね、リーマンショックがあったんですよ。
リーマンショックがあって、
大学院の卒業するときに、
警察庁が外国団体の都市の防犯に関する研究する研究室に内定が決まってたんですけど、
リーマンショックでその研究室がなくなるか、
もう新規募集はしないってなってしまって、
一回内定がなくなっちゃったんですね。
それで私はやっぱり研究を続けたいっていうふうに思ってたんですけど、
両親に初めて反対されたと思うんですけど、
何かこういうことしたいって言ったら、
あなたがやりたいことだったらいいんじゃないって言って、
言ってくれてたんですけど、
でもこれから勉強してて、
博士課程進んだとしても、
研究者の道はすごく狭きもんだから、
生きていけるかわからないから、
一回社会に出て、
社会のことを知った上でまた研究に戻るっていうのも、
知見が広まっていいかもしれないし、
それでもやりたいと思ったらまた戻ってくればいいから、
一回ちょっと離れたらどうかみたいなことは言われて、
それで一回ちょっと断念したんですよね。
はいはい。
そうするとそこから、一回は就職するってことなんですかね。
そうなんです。一回就職して、
一貫生リーマンショックの後だったので、
なかなか厳しくて、
就職のエージェントさんとかにも、
ちょっとお力を借りたりしたんですけど、
やっぱり経験したものじゃないと難しいって言われて、
私ずっと塾の講師をしてたので、
学習塾の会社に就職しました。
そうなんだ。
面白い。
これもじゃあ続ける?何年か続けらして。
そうですね。でもね、ちょっと恥ずかしい話、
体調壊して半年で、
半年で何の書き講師を超えたら、
体を壊してしまって、
しんどいですよね。
昼夜逆転。
夜にお仕事ありますもんね。
東京の方の会社があったので、
通勤長いし帰りも深夜で、
18:01
この時、同居してたおばあちゃんも認知症になって、
母が介護をしたりとかしてたので、
母にも結構、
負担もかかっちゃってたから、
私の生活スタイルがちょっとみんなとずれてる。
そういうストレスとかもあったのかな。
それで、9月で、4月に出社して。
そうなんですね。
でもね、1回は社会に出るって約束は、
お母さんとお父さんとの約束は果たしたわけで、
その後、かげなさんはどうするんですか?
その後、まず体をちょっと整えなきゃと思って、
あとこれからの生き方どうしようかなって思った時に、
要所要所でね、
父が結構いいアドバイスをくれるんですよ。
さっきの社会に出たら見たらどうかもそうだし、
父がよく私に言ってくれて、
いいえって妙だなと思ったのは、
すごい不器用な完璧主義者なんですよ。
完璧に目指したいけど、
不器用だからできなくて、
もがいたり苦しんだり傷ついたりしがち。
そういうところもすごく分かってくれたり、
私のいいとこ悪いとこもちゃんと分かってくれた上で、
本が好き、本とか物語の世界にずっと生きてたっていう
少女の時も踏まえたり、
そこから自分が研究してきたところとかも含めて、
あなたはずっと目に見えない世界を生きてきたから、
法律とか明確な基準を武器として、
目に見えない世界と対峙できる、
対峙するっていうのもありなんじゃないみたいな。
お父様のアドバイスがすごい。
アドバイスをしてくれて、
法律、司法処置とか、
父が実際会計系の仕事をしてたので、
税務とか税務会計とか、
法律にのっとって処理をする、動く仕事なので、
そのあたりとか一回覗いてみたらって言われて、
それでなんとなく募金を始めました。
募金を始めたら結構面白くて、
療養しながら、
本を原とかが出している、本屋さんで売っている問題集とかを買って、
武器の検定とか受けて、
21:01
取って、そしたらこういう方法もありかなと。
で、ちょっと体がまた働けるかなっていうタイミングで、
監査法人に就職をしました。
これ、ちなみにおいくつのときとか聞いてもいいですか?
ちょっと待ってください。
もしくは2007年。
えっとね、
いくつだ?
2011、あれ?
2000、
わかんなくなった。
30兆円前なんですよね。
あ、30兆円前でもいいか。
27とかかな。
あ、27、8。
なんですね、年齢にすると。
27くらいかな。
そこからしばらくは監査法人で働いてるってことでいいのか?
そうですね、監査法人で働いてます。
お子さん生まれても働いてた。
心がここですか?
また天気が訪れます。
そうなんだ、来るね。
2011年の東日本大震災です。
私、住まいは茨城なんですけど、実家も。
父も、母が東京の出身で、父も東京に勤めに出てたので、
地元で働くっていう感覚はなくて、母規とか外勤の仕事って日本全国どこでもできるんですけど、
なぜか選んだのは東京の大きい会社で外勤勧奏する監査法人だったんですけど、
東日本大震災が起こって帰宅困難者になって、
次の日には東京に勤めてる父と一緒に帰れたんですけど、計画停電とかあったじゃないですか。
それで福島第一原発の事故とかもあって、電力供給不足してるから、電車も間引きされて、
すごい寒い車内の中で、私はどうして地元の、茨城県で被災した方とかもいらっしゃったりもしたこともあって、
どうして私は自分が持ってるエネルギーを自分がいる場所じゃなくて、東京で使ってるんだろうって思ったんですね。
それで、地元で働きたい、地元というか茨城で働きたいなって思って、
24:02
転職をしました。
なるほど、そのタイミングでまた転職。
そうですね。
茨城の会社なんですね。
茨城の会社の会計事務所に勤めました。
その間に結婚とか出産とかされるってことですか?
転職して、2011年の12月に転職して、
違う違う、2012年の12月に転職して、引き継ぎとかがあったからやっぱり1年かかって、
2013年の11月に結婚しました。
転職した時には実は結婚すると思います。
なるほどね、そういう時だったんですね。
そうそうそういう感じですね。
結局というか、お子さん生まれてもしばらくやってるけれども、退職されますよね。
10年勤めたかな、10年勤めて。
そうか、辞めたの2020、最近でしたよね。
3年かな、はい。
2023年ってこと?
2023年です。
じゃあ今から3年ぐらい前にお辞めになって、
で、あれなんですね、今の自分で出版社を立ち上げようみたいな。
その時って何かご決断されたことあるんですか?
安定した給料と。
私はそう考えちゃうけど、萩野さんは違うかもしれないけど、
働き方とか諸々あったと思うんですけど、きっかけは何だったんですかね?
一番大きかったのは、やっぱり子どもが小学校に上がったタイミングですかね。
なるほど。
私、妊娠して出産した時には、当たり前に子どもが保育所に預けられるようになったら、すぐに預けて会社に復帰するって思ったんですね。
だから、そこに預けることへの葛藤みたいなのがあんまりなかった。
育児休暇もブランクじゃなくて、ブラッシュアップの期間にするわみたいな感じで、勉強したりしてて、
はい、寝ました!やっと私の時間!みたいな感じでやってて、
27:04
ブランクで忘れちゃったんじゃなくて、ちゃんと休みの間にいろんなことを学んで身につけて帰ってきましたみたいな、
そういうふうにありたいって思ってね。
でも、いざやっぱり子どもを預けるってなった時に、すごい自分の中で毎日カウントダウンが始まって、
保育所も絶対入れるところっていうのじゃなくて、自分でやっぱり全部見て回って、
やっぱりできるところだけ2つだけ書いて、落ちたら落ちたで、みたいなところだったんですけど、
幸いにして第一基盤のところに行けたので、普通にゼロ歳で4月から入ったんですけど、
そこからずっと仕事を一生懸命やってきたんですよね。
実家の母が迎えに来てくれて、
お子さんを?
そうそう、迎えに行ってくれるので、私は結構遅くまでやってて、
夜ご飯はおばあちゃん家で食べて、子どもだけ食べてっていうこともちょっとあったりしたんですけど、
だんだん子どもが大きくなってきて、
お母さんと一緒に夜ご飯食べたいなって言われたんですね。
それでふと、小学校に上がるタイミングで、
私、この子との時間、ちゃんと過ごせてるかなって、一旦立ち止まったんですよ。
もしかしたらコロナも挟んでるから、余計ちょっと思ったのかもしれないんですけど、
それで、会社にちょっと働き、すごく良い会社で、
良くも悪くもやりたいことをやらせてくれたんですね。
子どもいるお母さんが関係なくやりたいと思ったら役職もつけてくれるし、
責任ある仕事も任せてくれるし、一方でちょっとペースダウンしたいって言ったら、
それに対してちゃんと尽くしてくれる。
自分で働き方を設定、相談、提案できる。
それにちゃんと耳を傾けてくれる会社だったので、
子どもが小学校に上がるにあたり、
ちょっと今ぐっと傾いてる仕事に傾いてる軸足を家庭に戻したいって言って、
30:00
在宅の費を増やしてもらったんですよね。
そしたら、なんかこういう生き方もあったんだって。
子どもの話をゆっくり聞いたり、一緒にご飯を食べて、いろんなお話をしたり、
一緒にゴロゴロしながらゲームしたりとか、ほんとたわいもないことなんですけど、
そういうの、こういう生き方もあったんだなって思った時に、
っていうのが大ききっかけと、
本の活動で言うと、2020年の6月からシェアスペースで図書館を始めていたんですね。
それは一応、最初は一箱本棚として始めたんですけど、
途中からもう一箱本棚ではなくて、私の蔵書を置く、
私が読んで、その場所にあってほしい本とか、
届けたい本とかを置く図書室になったんですけど、
それはフルタイムで働いている、
お育てをしながら、フルタイムで働いているときから始めていて、
月に2回くらい有給を使って、2回だけ開くとか、
こんな感じでやってたんですよね。
だけど、それは絶対やめる気はなくて、
なんとかして情報をやっていけるやり方はないかなってずっと思っていて、
そっちの本の図書室とか、ずっと好きだった本で、
働いているときも好きでやっている仕事ではあるけれども、
やっぱりすごい疲れちゃったり、心がすり減ることもたくさんあって、
金曜日の夜とかは、むさぼるように本を読んでたんですね。
疲れてるんだけど、本を読むってことですね。
そうなんです。振り切れた心を埋めるように、
マイナスだったことをゼロに戻すように、
本から言葉をいっぱいいっぱい吸収するみたいな、
金曜日ってあって、
33:02
あんまりちょっと疲れて眠れない日とかは、
深夜によく読んでましたね、本を。
だから本とはずっと共にあって、
だから今までマイナスを埋めるために読んでた本だけど、
子どもとの時間を大事にするっていうのが第一の目的で、
それプラス、今まで細々やってきた本の活動っていうのを、
思い切ってやってみてもいいかなって思って、
すごい悩んだんですけど、
本の活動を始めた当初から、
会社を辞めてこっちに本越し入れてもいいかなって。
2020年の段階でってこと?
そうですね。
だからね、すごい悩んでた。ずっと悩んでた。
辞めようかな、どうしようかな。
だけど仕事も好きだし、一緒に働いてる人が本当に好きだったので、
ずっとずっとずっと悩んで、
だけどやっぱり子どもの、小学校に上がる子どもとの時間が、
まさに赤の子だし、もしかしたら、
もうあと数年なのかもしれないなって思ったときに、
それがもう最後の一押しになって辞めようと思いました。
すごい、でもその決断、
私が会ったのが多分もう本屋さんになってからっていうか、
お仕事されてるときも本屋もお仕事なんですけど、
何かに属してる萩野さんじゃなくて、
身近け者の萩野さんとして出会ってるので、
それまでの、今までのお話が今日は聞けたなって思ってます。
だから色々、そうか、色々屈折あって今のお仕事をされてるし、
そうですね、いろいろ屈折あって。
いろんなことが生きてて、
私がいつも萩野さんの言葉をインスタとかで拝見すると、
すごい人間味があふれてる。
すごい優しい言葉なんだけど、
すごい一本芯が通ってるなって私はいつも感じてるんですね。
ありがとうございます。
そういう理由が分かるような感じではあったかなと思いました。
本当ですか。
それって本当、読んでるからこそ出てくる言葉だったりとか、
そういう力とかが多いなって私は思っていつも見てるから、
多くの人に届いてほしいなと思うんですけど、
これ、萩野さんは本も書けるんじゃないかなって私は思ってるんですけど、
あえてそこを自分で出版社にするっていう、
例えばですけど本にまつわる仕事だったら、
エッセイストになるとか、小説家になるとかっていう道もあったわけじゃないですか。
それをあえて出版社っていう形にしてるのって理由があるんですか。
36:03
いくつか多分理由はあって、
そこが始めた時と変わってることもあるんですけど、
一番自分が書くんじゃなくて、
出版社という誰かの声を届けるお仕事と私は思ってるんですけど、
そういう形にしたのは、
本って人との出会いって人との出会いにすごい似てるなと思っていて、
人はその人が生きていて、その人に会える範囲でしか出会えないけれども、
本という形にその人の思いとかを吹き込めば、
より遠くに届けられるし、
その人がいなくなったとしても、
その人がいない場所でもその人と出会えるように、
その人の存在を感じることができるなって思っていて、
その声を届けるってことをしたいなっていうのが一つ。
もう一つ、これは今も思ってることですね。
出版社って言えるほどのものは全然作ってないし、
商業出版で出版社という形でやっていくってなると、
結構今の私の力状量じゃ厳しいなと思うので、
最近あんまり出版社とはなってないんですけど、
でもそれは今も変わらず思ってます。
そこは出版社ではないけれども、
何か作りたい、届けたいものはあるんだけど、
どうしたらいいかわからないっていう方のお手伝いとか、
そういう形で続けていける、
そういうやり方もできるなっていうのを本当に最近気づいたので、
それをもっと形にしていけたらいいなって思ってます。
もう一つの理由は、これは結構今ちょっと変わってきてるところで、
自分の文章というか、
多分私、読むこと、書くことは、
私にとって食べること、眠ることと同じくらい生きることにすごい必要で、
読むだけでもいいんですけれども、
あと読んで受け取ったこと、本だけじゃなくて、
日々暮らしている中で感じた心の動きとかを、
私はきちんと言葉に乗せるっていうことで生きている実感を感じたり、
すごい喜びを感じるので、
39:02
それは誰に読まれるっていうわけじゃなくても、
多分ずっと続けていきたいと思うんですね。
ただやっぱり、よくこれは言うのは、
自分の中だけでととめておくと、
言葉の精度が落ちるというか、
石ころのままというか、
原石のままだけど、誰かに差し出すっていうことを念頭に置いただけで、
ちょっと磨こうとする意思が生まれるので、
やっぱり何かしら外の話すってことはしたいなと思っていて、
でも自分の書いたものを出すっていうのは、
すごく、なんていうんだろう、
私は恥ずかしかった。
そうなんですか。
恥ずかしかったし、あと最近すごく自覚してきたのは、
表現者になるっていうことで、
なんかこの優越を拗がれない、
そこに生まれる優越が怖かったんだろうなと思って。
だからそこはちょっと自分の本を出す、
自分の文章を本にするっていう、じゃなくて出版社にしたっていうのは、
誰かの声を届けたいっていうのはもちろんあるけれども、
自分の声を届けることへの怖さの隠れ身のだったかもしれないなと。
なるほど。
それに最近気づいて、
だからなんか、
いつか、もし自分の本を作るとしたら、
誰かが声をかけてくれて、
それを誰かが本にしてくれるっていう時だと思ってたんだけど、
それはなんか、そこは私が逃げ道だったなと思って。
はいはい。
自分で出したいものを形にして出すっていうのも、
ありだなって最近思ってます。
ありがとうございます。
今のが今後の展望にも私には聞こえたんですけど、
だんだん時間もいい感じなのでまとめていきますけれども、
今、里野さんがやってらっしゃるお仕事が、
これから、今ちょっと自分の書いたものも出すかもみたいなお話もされてましたけど、
今後どういうふうになっていったらいいなとか、
どういう世界を作りたいなみたいなお話が最後に聞ければいいなと思います。
そうですね。
42:03
なかなか一言で言うのは難しいけど。
確かに。
展望、野望とかね。
どんな世界を作りたいなったらいいなって思うのは、
これは短けさを創業したときから言ってるんですけど、
誰もが行きがしやすい世界がいいなと思ってて、
それは今まで強いたけられてきた小さな声が小さい人たちにもっと光が当たって、
その人たちの声がもっと届く社会であったらいいと思うし、
一方で、もともと声が大きかった人を削り下ろすんじゃなくて、
いろんな生き方があっていい。
ただそこにはお互いを思い合ったり尊重したりっていうものが大事に、
そこを土台にしていろんな人がいろんな生き方ができる社会になったらいいなと思っていて、
小さな声を届けるとかいうときに、
いろんな伝える手段がありますけど、
インターネットもそうだし、
やっぱり本ってすごくそういう小さな声と相性がいいなと思っていて、
だからそういう自分自身の気づいたところも日々感じることを言葉にして伝えていくっていう営みもそうだけど、
誰かが伝えたいって思うことを本っていう形にして届ける。
あと本にこだわらず、やっぱり言葉がすごく私にとって大切なものっていうか、
なので、誰かが胸の内をぽつりぽつりと言葉にできる、安心できる場所として、
対話の場所だったりとか、自分と静かに向き合えるための本のために、
本から本と向き合ったり、
ジャーナリングもそうだけど、
45:01
言いながら自分と向き合ったりする時間と場所を提供できる
道かけ者であったらいいなと思う。
そうですね、とても素敵。
ありました。ありがとうございます。
なんかいい話が聞けた、私の中では。
私にいつもこれ聞いて、私が一番楽しくなっちゃうんですけど。
良かったかな。大丈夫かな。
良かったと思いますよ。
そんなわけで、今日は道かけ者の石渡萩乃さんのお話を聞かせていただきました。
はい。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
今後もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
というわけで、今日は道かけ者の石渡萩乃さんのお話を伺いました。
萩乃さんと私は冒頭にも申し上げたように、出会って2年かな、2年半くらいなのかな、なりますね。
最初に出会った時から、勝手に親近感を、似たものを持っているなって。
例えば文房具が好きとか、インクが好きとか、そういうところもあるんですけど、
ノートが好きとか、紙物が好きみたいなところで、共通項が私は勝手に多いなと思って、
すごいお友達できたみたいな感じでいたんですけど、本当はすごい方で、
皆さんが聞いて思ったと思うんですけど、本当に勉強されてきた方だなというのをまた改めて感じました。
萩乃さんが紡ぐ言葉が私は大好きで、
中でも言ってますけれども、
言葉はものすごい分かりやすいんです。表現力もものすごいおわりなので、
想像力、想像力、想像することがものすごいできる文章を書いていただくんですね。
それを私みたいなちょっとわからない人、国語力のない私が読んでも、
その情景が思い浮かぶっていうのをいつも書いてくれるなと思ってます。
かつ、芯が通っている萩乃さんの言葉の一つ一つに、萩乃さんの思いがいい意味で載っている文章を書かれるなと思ってます。
リンクね、萩乃さんの、萩乃さんというか道駆け者さんとして出しているインスタグラムのリンクを貼っておきますので、
ぜひ皆さんの方でも見ていただければ嬉しいなというふうに思います。
今日は普通の人インタビュー3回目でしたね。
普通の人と言ってますけれど、皆さん普通じゃない人ばかりなんですけれども、
あえての普通の人インタビューというところで送りました。
今日はそんなところで失礼いたします。
最後までお聞きくださりましてありがとうございました。
ではまた。
47:56

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