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こんばんは、「明日はきっと晴れ。」のそらめぐです。
今日も夜の配信になってしまいました。
皆さんは、週末はどのようにお過ごしでしたか?
私は、今日はとある教会の礼拝で、
オルガンを弾く日でしたので、大阪市内にいていました。
その後、父と母ともランチを一緒に、
そう、親子水いらずという名のランチです。
そこから思いついたんですが、
親から何を繋ぎ、何を選ばないかの話を少し。
お盆に顔を合わせた依頼だったので、
父は、「久しぶりだな。」の一言。
父の優しそうで、実直な話し方は変わらないけれど、
一緒に並んだ時、歩くスピードも変わって、
後姿も急に年老いたように見えるし、
強くてスポーツマンの姿はどこへやら、でした。
母は、色白で明るくて、お茶目な部分は変わらないんですが、
威勢のいい、にぎやかな、勢いのあるところは弱まって、
まだ保育士として働いている疲れもあるんですけれども、
すっかり動きもゆっくりになって白髪も増え、
時の流れを感じました。
私はそんな二人から、一人で行動できるようになるように、
まずは自分で考えられるように、と育てられました。
文言も厳しく、長電話も許されず、ということに始まり、
結婚しても、母親はこうあるべき、食事はこうするべき、などなど、
出汁の中に枠がたくさん作られていって、
人に頼ることもうまくなくなっていく、そんな時間がたくさん流れました。
私の両親は自由にしてくれたよ、という友人たちの言葉さえも、
羨ましいを通り越して、恨めしかったことも覚えています。
でももうそんなことは大昔のこと。
この5、6年の間に、そんな苦しい枠は溶けていってはいたのですが、
今日はなぜだか、さらに自分自身に許しが出せたような気がしました。
老いていく姿をより感じたからかもしれません。
まだ生きてくれていることに急に感謝の気持ちがあふれて、
自分でもちょっと不思議でした。
それは、私自身も年を重ねたということなんですよね。
そうすると思い出してきたのが、
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父からはどんな相手の話にも耳を傾け、
相手がわからなければわかりやすい言葉で書いたり、
手間ひまかけて作ったり、行動でやってみせるということを
ずっと見せてもらっていたということ。
母からは、相手がどんな立場の人であっても、
人としては同じであるのだから、
全くどうすることなく迎え合えばいいということを、
どんな幼い子どもたちにも、その気持ちを察し、
汲み取り、手を差し伸べる姿を見せてもらっていたということ。
それは私が、変わらず娘たちや周りの人につないでいけばいい、
いえ、つないでいきたいことでした。
だから苦しいと思ったことは、自分自身でそれを選ばず、
違う形に変えて行動すればいい。
たったそれだけのことをできずに、
握りしめたまま生きていた何十年間があったんだなと、
今さらですが、後悔ではなく、
そんな自分も愛おしくなるような時間でもありました。
何を次につないで、何をしないと選ぶか、
これは自分自身でしか決められないんだよね、
と改めて感じています。
皆さんが大事にしているご両親の姿はどんなものなのか、
お聞きしてみたいな。
もう寝る時間です。
明日も皆さんの心の青空が広がりますように、
おやすみなさい。