1. くつろぐために生きている
  2. #51 へその緒が繋がったままで..
2024-04-24 14:51

#51 へその緒が繋がったままでした

📓今日の声日記の概要

母と子は特別な関係。

だからこそ拗れるときも人それぞれに“特別”。

長くに渡って苦悩して来た根源を、掘り当てたような確信がありました。

長くて私的(いつにも増して)ですが、ここに残します☺️

イイね、コメント、励みになります。

 

#声日記 #声でのこす #母と子 #へその緒

#共鳴 #100ニッキーズ #まず100

 

BGM『やくそく』

作詞: えぬ

作曲・編曲・うた: 生成AI Suno

楽曲のみの配信🎧 https://stand.fm/episodes/662149f38a76c14ccdb9ccd8

 

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こんばんは!

または、はじめまして!

えぬです。

聴いていただき、ありがとうございます。

このチャンネルは“思っていることを言葉にできるようになる”を目指しているワタシの試みを配信しています。

今は『声日記を100配信する』を目指しています。

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今日の思いは今日を生きた証し♡

明日には明日のストーリー。

一緒に一歩一歩。

00:01
約束だよ
声の日記
2024年4月23日火曜日
時刻はもう0時を超えておりまして、本当の日付は違うんですが
4月23日分の声日記を残していこうと思います。
今日は残しておきたいと思うのは、私とそれから母親の関係性について残していこうと思います。
一般的に言われている仲のいいとか、似た者同士とか、そういうものではなくて、もう少し複雑な背景を含んだ関係性です。
まず結論から言うと、今日残したいことの一番のポイントは、
大人になってから、いろいろと問題になってきた親子の間で、問題になっていたことの根源となるところを、
ようやく掘り当てたような、そういう強い、わりと自信のあるところに行き当たりましたので、そこを残したいなって思うんですね。
どの親子にも共通する、それは母親から生まれてきたということ。
あらゆるものを命の根源から全て、母親と共有していた時期があるということですね。
と月とお火と言われていますけども、大体その辺、みんな同じ期間ですよね。
そして生まれてからも、そうですね、体は別々になったけれど、母親というのは、
本能的にというのもありますし、母性、役割の上で、そして愛情でということもあると思います。
お父さんという存在とはまた違う、どうしても違うものがありますよね。
それがずっと続く、いわゆるそのへそのが切れないという表現があると思いますけども、
そういうことが続く、しかもそれには単に母親が子供にべったりということだけではなく、
いろいろな背景があると思います。家庭環境もあると思います。
お母さんや子供の性格もあると思います。
でもいろいろなパターンがたとえ違ったとしても、結果としてはいつまでもへそのが切れないような感覚というのが長く続く。
03:11
そしていつしかそんなことを忘れてしまう、そんなことあるわけがないと思えるような年齢に達する。
そこから問題が大きく表面に出てくるんじゃないかなと思うんですね。
ちょっと前置きが長いですね。
でもなかなか難しい、この話を要点だけ絞って言うっていうのは難しくて、
でも今日は残しておきたいと思ったんですね。
どこ一番言ったらいいかな。
そういう背景がある話でというところまではお伝えしました。
じゃあ今日の残したいポイントっていうのも言いかけました。
でもまだそこに行き着いてないですね。
結果だけを言っても伝わるもんなのかな。
かといって私と母親の親子関係というのを全部の方に全部わかってもらうというのも無理難題な話。
では本当に結果というか結論の部分だけ言います。
ようやく私は母親という存在の感情、それから雰囲気ですね。
私はそれを脳の脳波形で表現するんですけど、別に電極付けて測ったわけじゃないです。
でも表現は一番これがぴったりかなと思いまして。
思考とは違うんですよ。
思考ではなくてピリピリと動いているリラックスしているかそれとも神経が立っているかという脳の脳波の形動きですね。
感情とですね。
そういうものをやっと母親と切り離すことができたということがね。
今日は記念日というかそういう日だったんですよ。
自分で自分のことを分析とかするの好きなんですけど、私はどちらかというといわゆる繊細さんというね。
言われているところの特徴が自分にはあるなぁと思っています。
でもひときわそれが一番強いのはやっぱり家族ではなく母親だけなんですね。
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母親が何か心配事があるとして。
で私はその話を聞いてこれはちょっと取り越し苦労やなぁと思っていろんなことを説明してあげてそこまで心配せんでもいいんじゃないっていうことができます。
この時点で私と私の母親の一個人としての思考というのはちゃんと独立してあるんですね。
でもなぜかうまくいかなかった。
いつの間にか母親のペースに飲み込まれて、その心配事があるゆえになぜこの二人がなんか嫌なムードになっている。なぜか。
例えばここで完璧に一人一人の人間としてあらゆる面において独立している人間であれば、
たとえ私が母親にそれはそこまで心配しなくていいんじゃないって言ったところで母親の心配が解けなかったとしましょう。
よくあることですね。
それはそれでいいと思いませんか。
なのに私はそこから自分の意見は変わらないんだけど、そのちょっと心配事でオロオロしている母親にとてもイライラすると。
こんなにそんなに心配したくていいんじゃないのと説明しているのに、そうならない母親を見てイライラしてしまうという現象。
これはなんやろうなとずっと思っていましたし、こういうことがいろんな生活の中で結構生活の質というものを落としてしまっている。
ようは楽しい時間が減ってしまっている親子関係が良くなくなってしまっているとか、もっとここでは公には言えないようなことも起こったりする。
それにずっと苦しんできました。
でも今日気づいたのは、思考は完全に独立して、私は私の捉え方があってそこまで心配せんでいいんじゃないって言ってあげることができる。
でも実は感情と脳波が完璧に母親のそれとぴったり一致していたわけなんですよ。
そのことに自覚がなかったもんですから、だんだんだんだん影響を受けてか、思考は変わらないんですけど、なんかイライラしてくる、なんかもうそばに寄るのも嫌っていうような感じになっていました。
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通常だったら、ここまで説得してもダメか、じゃあしばらくそっとしておこう。きっとこれは取り越し苦労になるんだから。
そしたら母親もわかるだろう。そっとしておこうっていうのが普通のあり方ですよねって私は思考ではずっと思ってたんですけど、
なぜその通りにできないのかっていうのが、なんか苦しみの種でした。そういうことに結構時間をとって考えて、母親とも話をして気づいたんですね。
親子だけでなくてもしかしたら、その共感性の高い人っていうのは、本人の自覚なくて、人の感情やったり、目に見えない。
まだ感情だったら、少しは怒ってるな、悲しそうにしてるなってわかると思うんですけど、脳の状態、リラックスしているのかピリピリしているのか、そこまで見えないですよね。
でもそこまでも何かで感じ取ることができて、しかもそれを容易にね、自分の中に取り込んでしまうっていうことをしてしまっていて、もしくは自動的になっていて、それで苦しいのかなぁとか考えたりもしました。
まあでも今日のお話は、私と私の母親に関してだけなんですね。それ以上お話の枠を広げるのはやめておきますけども、なんか私はそうなってたんだなぁと。
たとえ仮説であっても、とても自分としてはリアリティのある仮説、納得してしまうような仮説だったので、とてもね、ストンとこう急にいろんなところが楽チンになりました。
私の背景、少しだけここで付け加えるとしたら、本当に私はそうでもなかったんですけど、もちろん生まれて何も知らないままの新生児ですから。
でも母にとったら、子供というのは本当に大変苦労している環境の中で、心のよりどこりプラス責任と、そして自分の存在意義というかね、意義と自分を一番勇気づけてくれるものだったのかなぁと。
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まあ想像というかね、するんですけど、母にちょこっとそれを聞いてみたら、言われてみたらそうやったかもしれんというわけなんですけど。
ここらへんはね、ずいぶん昔のことですし、それに母親がどこまでそうやって自分の気持ちを分析、自分で分析できるのかわからないですけど、でも本当にぎゅっと密接な関係性であったのは確かですね。
思考や価値観はちゃんと、一人一人、個人個人の人間に私は育っているのに、へそのをですね、そこは切れているのに、感情とリラックスしているかしてないか、苦しいのか、何なのか、
そういう脳の環境、脳の中の環境というものについては、へそのが切れておらず、強くほぼ一心同体というような言葉が大げさでもないなっていうような関係性。
それに気づいてなかったなぁと思いました。
今日の日記は本当に、へ自分だけにしかわからないかもしれないお話のように思いますがどうでしょうか。
でも親子って、特に母と子供っていうのって、理屈とか科学とか学問では片付けられないものがありますよね。
というところで、いつものように終わっていきたいと思います。
それではこのへんで失礼します。
14:51

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