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こんにちは、「明日はきっと晴れ。」のそらめぐです。 どこまでも広がる青空は、誰にも変えることのできない、大きく広がる、可能性を信じる心の空。
誰からも自由でいられる心。 その日が晴れていても曇っていても、明日はきっと晴れと思える、私の見つけた小さな幸せの種のお話しラジオです。
昨日、久しぶりに話した母との話題から思いついたことなんですが、 今日は、普通って何だろう、の話を。
普通約束した日時を当日の朝に変更してほしいって、人の予定や気持ちを考えてないよね。
普通は1週間以内にできてないといけない。 などなど、人に対しても自分に対しても、普通はという枕言葉のついたことを口にしたり、聞いたこと、考えたりしたことありますか。
私はありました。特に子どもたちが幼かった30代半ばまで、 普通任されたことはできるだけ不備のないように、ちゃんと準備しなければならない、と自分へ向けた普通はというフレーズが。
さて、普通って何でしょう。 私たち人間は何かと基準を持ちたがるような気がします。
普通はこうだろう、という基準。 この基準は、あの人も言ってた、この人も言ってた、とか、せいぜい周りの2、3人、5、6人かな、共通していたりすると、自分の中で普通を決めてしまいがちです。
そして厄介なのは、こんな普通を基準にすることで、自分自身にダメ出しして、勝手に自信をなくしてしまったりすること。
私の場合は、年が丸2年も違わない子どもたちの子育てはもちろん、地域の子育てサークルの役割も、学校講師の仕事も家事もすべて一通り、誰かが困ることのないように、自分も不備がないようにしないと、と、追い込んではうまくいかず、イライラして負のループになっていたり。
でも、このちゃんと準備ということは、本当にそこまでできるようになることが普通なんでしょうか。周りはそれほど完璧なものを求めていたんだろうか。そもそも、ちゃんと準備って何なんだろうか。
私のこのちゃんと準備の呪縛から解放されたのは、子どもたちが変わる変わる病気や怪我、同時に2人、いえ、私も含めて3人同時にインフルエンザになったり、物理的にできないことをたくさん経験したことです。
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そして家族はもちろん、とても親しいわけではないのに、近所の方たちがそっと手を差し伸べてくれたことがあったからでした。
そしてこれが、私が人にお願いする、任せるということの出発点でもあります。
冒頭の、普通約束した日時を当日の朝に変更してほしいって、人の予定や気持ちを考えてないよね、という人に向けての普通は、相手にとっては、もしかしたらギリギリに悩んで、当日の朝でもきちんと連絡しようと申し訳ないという気持ちがたくさんあったかもしれない。
など、相手の普通、相手の基準があったのかもしれません。
私たちには、自分の基準、軸があるように、相手にも基準がある、軸がある。
ただ、目の前にある事実を受け取って、それが異なっただけ、というところからスタートしたいものです。
基準を持つことは決して悪いことではなく、目標みたいなものですし、そこを目指して頑張るという動機づけの一つにもなります。
ただ、その基準だけが正しいわけではない、適正ではないかもしれない、と心しておくことは大切です。
人に対しても、自分に対しても、「普通は?」と言いかけたら、「普通って何?」で声をかけてみましょう。
私も忘れずに、自分に声をかけます。
今日の後半も、皆さんの心の青空が広がりますように。