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たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん たん た
老後の楽しみ
足が弱くてすぐ転ぶ 耳は遠いし目はかすむ
毎日危ない綱渡り 決死の冒険サスペンス
これぞ老後のお楽しみ もう一つあります
オウホウ オウホウ オウホウ
仕方がない みんな私が悪かった 身から出たサビ
オウホウ インガオウホウ
以上です
何の本ですかこれは
これはですね
柳瀬隆さんの黄昏詩集
あそっかこれはあれですね 黄昏詩集 柳瀬隆さんです
アンパンマンの
大好きな柳瀬隆さんの本です
では今日はこんな感じで 朗読の回始めていこうと思います
人はそんなに悪くない ほっこりするつながりを思い出そう
人間関係知恵と園
それでは今日の朗読会始まります
知恵と園
はいということでですね 今日は私から始めさせていただきました
なんかあの柳瀬さんだっけ 柳瀬隆さん
柳瀬隆さん
なんかわかった気がしますね ちょっとアンパンマン
本ですかオウホウとか
アンパンマンってすごいリズムがいいじゃないですか
これがタンタンタンっていうのと同じでしょ
なんかねあの漫画のキャラクターって 音が面白いね
そうですね
メロンパンナちゃんとかさ
ロールパンナちゃんとかね
そうそうそう
なんかそういうことかって思いましたね オウホウとか
これはね黄昏詩集っていうのはです 柳瀬さんが90歳の時に書かれたもので
柳瀬さんが94歳で亡くなられているので
ちょうど4年前ぐらいですね 書かれていた本
なんかこう昔から柳瀬隆さんはすごい好きで私
当時すごくやりたくないけれども
生きるためにやっていかなければならないという仕事をしてた時に
ちょうど20歳ぐらいの時ですね
東京出たばっかりでです
本当に右も左もわからん感じで
20歳の本当に若い女の子がですよ
仕事に行く前にアンパンマンのマーチを歌ってたみたいな一人で
そういう柳瀬さんにはすごい強い思い入れがあって
その流れで詩集とかも読み始めて
最近またちょっと読み返したいなと思って
次いきますか
はい次お願いします
聖子ちゃんが読んだ本
じゃあ聖子ちゃんお願いします
今日はですね
前回星野王子様紹介しましたが
その同じサンテグジュペリーが書いた
星野王子様が生まれるきっかけになった本で
人間の土地というすごくいい本があるんですけど
これちょっと先に説明したほうがいいと思うんですが
これで実際に飛行機乗りだったサンテグジュペリーが
もう一人の飛行士と一緒に2人で乗っている飛行機が砂漠で不時着して
本当に命が危なくなるっていう体験をしてるんですね
だから星野王子様が出会った私と同じ体験を彼がしていて
遊牧民に偶然助けられて
命が助かったっていうのがあって
飛行機に乗っているっていう
それも命といつも死との背中合わせじゃないですか
実際にもう今にも死にそうだっていう状況を砂漠の中で体験したのと
あとその軍隊にいるっていう中で
自分が自分の上司である軍曹とのいろんな話とか
人間についてすごく考えた考察した本なんですね
これがこの体験の後に星野王子様が生まれたということで
これの本の一番最後の章のタイトルが人間っていうタイトルなんですね
それのちょっと途中から読んでみたいと思います
人間とその様々な欲求を理解するためには
人間をその持つ本質的なものによって知るためには
諸君の本然の明らかな相違をお互いに対立させ合ってはいけない
そうなのだ
君らは正しいのだ
君らはいずれも正しいのだ
理屈はどんなことでも証明する
世界に起こる不幸を背虫たちのせいだと片付ける男にも理屈はあるのだ
僕らがもし背虫に対して宣戦したとしたら
僕らはやがて彼らに対して没効する理由を見出すのだろう
つまり僕らは背虫たちの罪悪に復讐して戦うわけだ
それに背虫たちとても必ず何かの罪悪感を犯すのだから
この本質的なものを引き出してくる試みとして
しばらく人様々な相違を忘れることが必然だ
なぜかというと
これは一度認められるとなると動かしがたい多数の本然を
公乱一冊分ほども招来し
それに立脚する狂信までも招来するからだ
もとより人間を左翼の人と右翼の人
背虫と背虫じゃない人
ファシストとデモクラートに区別することはできよう
しかもこのような区別は非難しがたいものなのだ
ただ本然というものは
諸君も知られる通り世界を単純化するものであって
決して混沌を想像するものではない
本然というのは全世界に共通なものを引き出す言葉なのだ
ニュートンは決して謎の解みたいに
長く隠れていた法則を発見したのではなかった
ニュートンは想像的な仕事を成し遂げたのであった
彼は牧場に落ちるリンゴを表現し得ると同時に
太陽の昇ることも表現し得る人間の言葉を作り出したのだ
本然というものは決して事故を証拠立てるものではなくて
物事を単純化するためだけのものなのだ
イデオロギーを論じ合ってみたところで何になるだろう
全ては立証し得るかもしれないがまた全ては反証し得るのだ
しかもこの種の論争は人間の幸福を絶望に導くだけだ
それに人間はいたるところ僕らの周囲で同じ欲求を見せているのだ
つまり僕らは解放されたいのだ
つるはしを人打ち打ち込む者は自分のそのつるはし人打ちに
一つの意味があることを知りたく願う
しかも時計宗を侮辱する時計宗のつるはしの人打ちは
探検者を偉大ならしむる探検者のつるはし人打ちとは全然別のものだ
つるはしの打ち込まれるところに必ずしも時計上が存在するわけではない
行為の中に醜さがあるのではない
それを打ち込むものを人間の共同体に結びつけもしなければ
また意味もなさないつるはしが打ち込まれるところにこそ時計上は存在するのだ
しかも僕らはそのような時計上から逃れたい念願のものだ
という感じですね
いいですねこれ
この本の一番最後の一行も一つだけ読みたいんですけど
精神の風が粘土の上を吹いてこそ初めて人間は作られる
なるほど
というふうに終わっている本なんですね
これは体ではないってことですね
そうですね
私は知らない言葉が結構出てきたのでです
翻訳が堀口大学さんだから古いんですよね
でも今見てもAmazonで見たら堀口大学さん版しかなかったんで
新しい信訳はないみたい
内容を途中までわかったんですけど途中から全く内容がわからなくて
それを教えていただけるとすごい嬉しいなと
どんなことを話していたのかというか
それがちょっと理解できてないです
その人間本善というのは本に自然の善
本来あれがままの姿ってことだね
自然なままである
人間をその持つ本質的なものによって知るためには
諸君の本善の明らかな相違をお互いに足りさせ合ってはいけない
つまりこれは違いを見たら理解できないよっていうことを言ってるんですね
僕らの違いを超えたところにおそらく人間の本質というのがある
だからみんな正しいんだよって言ってるわけです
だから相違も何にもないんだと
さっき何だったっけな
左翼右翼とかファシストデモとか
この区別も意味がないということですね
一番多分大事なのは
本善っていうのはどう言えばいいのかね
多分ある意味この真理じゃないかなと思うんですよ
真理を知ろうとする真理を探求するということは
単純にすることなんだって言ってるんですよ
ここであれが正しいこれが正しいっていうことをみんなが言い出したら
どれも立証もできるし反証もできる
だから彼はこのような議論には全く意味がないって言ってるわけ
そうするとただ混沌が生まれるだけでね
たくさんの正しいものとたくさんの間違ったものが生まれるだけで
これは真理を理解する道ではなくて
もっと単純にすることが大事だったって言ってるわけですね
いやーこれあれですね自分で言葉
ディズラ見てそのディズラを調べながら読む方が何か良くなってきそうですね
そうですね
本善の漢字そりゃ浮かばなかったですね
本善ってお寺?お寺?
でも全然違いましたね
将来って漢字だと未来とかの将来って書いてあるんだけど
将来って言った方がいいの?
それがまた本の面白さですね
なるほどなるほど
ありがとうございます
罪を投げるとかね
ちょっと私がよく言ってること
そうなんですよ近いなと思って
もっと深い言い方なんだなっていう感じがしたので面白いねっていう
ありがとうございます
最後の言葉は
これは比喩なんですけどね
精神形のないものですね
この風が粘土の上を吹く粘土っていうのは形があるものでしょ
これがたぶん体を比喩してるんですね
目に見えるものだと思うんですね
この間のニュースでサンテグジュペリーが墜落して行方不明になってたんですけど
その機体が発見されたってニュースがあって
70年ぶり?
そうなんだ
確かにサンテグジュペリーが追撃されて戦死したってことが証明されたんですよ
飛行機乗りなんだね
郵便を届けたりする仕事が多かった
通信兵みたいな
でもドイツの爆撃にやられたのかな
そんなことでした
それで星野王子様が生まれたという
なるほど
そうするとちょっと星野王子様にいろんな人が出てくるじゃないですか
王様みたいな人とか
ああいう人たちの奥に含められてる意味を考えたくなってくるかなという気がしました
はいありがとうございます
私がやりましょうかね
じゃあ次は
養老孟司さんの『真っ赤な嘘』
ちょっと待ってね
まだねちょっとどこを読もうかなっていう
ここがいいかな
養老たけしさんの本を持ってきました
真っ赤な嘘っていう本で
ちょっとね一時期僕はこの養老さんにはまったっていうのも変ですけどね
読んでた時期があって
もうずっとなんか養老さんの本ばっかり読んでた時があるんですね
いつぐらいかな
20代の後半ぐらいだったかな
そのぐらいの時ですね
これも多分その流れで買った本だと思うんですよ
これ何年の発売かな
でもこれは新しいね
2004年だから20年前なんで
40歳ぐらいになってるね
そうか
この本は割と最近なんですけどね
頭に個性があると困る
それに加えて頭に個性があると簡単に言いますね
私は科学の世界の人間で
基本的に日本の科学者の理想はノーベル賞です
ノーベル賞をもらうような人というのは
頭が非常に独創的なのだと思いました
だけどちょっと考えてみてください
本当に独創的な意見というのは
他人には分からない意見のことなんです
他人に分かる意見ならば別に独創的ではない
人から聞いて分かって理解できるということは
その人がいつか思いつくかもしれないということではないですか
他人が理解できない意見は意味がないんですよ実は
突き詰めて考えていきますと
頭に個性があったら困るという話をよくするんです
近代社会特に今の日本の社会に非常に強くある誤解は
自分自身に独自の心というものがあるという考え方であります
西洋の近代的自我と独自の心
だけど自分自身に独自の心があると
それは定義によって他人には理解できないということになります
そこからノーベル賞クラスの考えが出てくるのだと
若い科学者は思っています
ではノーベル賞クラスの論文を書いて
どうしてノーベル賞がもらえるかといったら
他の人がそれを分かるからでしょ
他の人が分かった段階で考えが共通になってしまいます
ではそういう特殊な頭というか
特殊なものがあるという考え方はいつできたのか
西洋の19世紀です
だから1900年にノーベル賞ができているんですよ
つまり19世紀の最後にできているんで
それを西洋の近代的自我と日本では言うんです
次の見出しがなんで私が死ななきゃならない
ではどうしてそれが問題かというと
私はここに仏教を衰退させてくるものが
極めて深く関係していると思います
なぜかといいますと
同じ私つまり同じ心がずっと死ぬまで残ると考えると
死ぬのは変なんです
だって同じってことは変わらないことでしょ
変わらない私がなんで死ななきゃならないんだ
っていうのが現代人の暗黙の了解なんですよ
だから医療は徹底的に殺さないようにせざるを得ないんです
よく医者が儲かるという人がたくさんいますが
必ずしもそうじゃない
いくら医者だってこんな患者さんを生かして
どうするんだよと思うこともあるんです
だけれども現代の人が考えているように
もし自我っていうものがちゃんとあって
それはいつも同じで
それこそが自分の個性であって
死ぬまでそれであるんだと考えると
なぜ死ぬんだという疑問が当然出るんです
そうでしょう同じ私なんですから
ところがこれを諸行無常だとすると
自分も諸行無常に入りますから
同じ私がないんですよ
同じ私がないのなら死ぬのは当たり前でしょう
死んでも別に当然でしょうという話になるんです
同じ私があった瞬間から死ぬのがおかしいってことになった
実際に今はそうなっている
なんで俺が死ななきゃならないのかというのが
かなりの人の暗黙の考えになっている
それをよく考えてみると
変わらない私なんていう前提があるからです
じゃあどうしてそんなことができたかというと
西洋の科学が社会学尋問学が
近代的自我を立てたわけだから
つまり西洋思想です
西洋でどうしてこんな思想が出てきたのでしょうか
シン・カノンを唱えたダーウィンは
19世紀の真ん中にいた人です
シン・カノンを掲げて教会とぶつかりました
そのくらい教会の力が強かったんです
そういう教会の力
宗教の力が非常に強い社会で
宗教の言う真理や教義が違うということを言うためには
ガリレオの苦労が必要だったんです
というお話ですね
これはどうですか千恵さん
その方は何の方なんですか
作者の方は
いわゆる学者思想家みたいな方ですよね
思想家
バカのカフェの人
そうだね
バカ
お医者さんというか
医学部に卒業されてますね
東大の先生でもあるし
名誉教授かな
すごく有名な人ですよ
NHKでも今番組ありますね
思想家というかね
何でその本を今日は提出されたんですか
これはですね
これさっきの千恵子ちゃんの話と
実はリンクしてるんですよ
相違というのがあってね
つまり僕らはみんな人それぞれ
異なってるんだ違うんだって言ってるわけ
さっきのサンテグジュペリも
そのことについて話してましたね
でもこの養老さんはね
仏教もそうだけど
独自の心なんてものはないんだ
って言ってるんですよ
もし独自の心みたいなのがあったら
そのノーベル賞を取るような
文学者が作る論文
これを誰にも理解できないだろう
仏教の諸行無常と死ぬことへの疑問
って言ってるわけですよ
この人が発明したものだとしても
みんなが後で読んで
すげーって思うってことは
すでに知ってたってことでしょ
っていう話なんですね
つまり一つであるという意味なのかもしれない
っていう風に僕なんかは受け取るわけね
でもほら個性が大事とかさ
人と違うことをやらなきゃいけないとかさ
あの人はちょっと人並み外れた発想を持ってるから
すげーみたいなことを言うじゃん
それは西洋の19世紀にできた考えなんですよ
って言ってるわけですね
そうなんですよ
これによって仏教が衰退していく
なぜか
仏教は諸行無常だから
同じ私とかそういうものはいないんですよ
っていうことになったわけね
この同じ私
私の独自の心というのが
強く持てば持つほど
死ぬというのはそれがなくなる
変わるということじゃない
独自の心
この同じ私っていうのが
死ぬことによって変わってしまうでしょ
これはおかしいだろうっていうことで
この19世紀の
近代的時学みたいなのが出た瞬間に
人は死んではいけないということになっていったんですよ
そういう話
消えた?
そうなの?
ちょっとショートしてますね
私たちは
でもまだまだぜひぜひ
そういう本をたくさん読んでほしいです
私に遠慮せずに
なんて言うんですかね
そう思います
全然遠慮してないから大丈夫です
私の教養がちょっとあれやから
言葉が知らんのばっかりであれですけど
表現がちょっと馴染みがないだけで
多分別の言葉に言い換えれば
誰でもまさにこの先生がおっしゃる通り
知恵さんも知ってることなんですね
要はみんなそれぞれ違うのか
だから違うということはやっぱりバラバラなんですよ
なぜバラバラかというと
それぞれがみんな独自の私
変わらない私というのを持っているので
それを守ろうとすると
そうではない人が現れたときに
やっぱり対立したり争ったりするしかないわけですね
私は変わらない
私のアイデンティティはこれだ
みたいなのを持っていると
消えてなくなることがものすごく怖くなるということも
そこに発生してくるわけね
そもそもみんな同じじゃん
一つじゃん 心なんて
みんな共通してるじゃん
だからノービル賞の新しい論文が出たときに
おおっつって分かるんだ
それは同じだからでしょっていう
同じ方を指してるわけね
それを仏教は諸行無常
そもそもそこには実態はない
っていう風になっていくんだけどもね
いくつかこれによってバラバラになったり
相対立する人と争ったり
もしくは自分がこの世から消えていくことが
非常に怖くなったり
そもそも消えることは許されないんだ
バラバラなアイデンティティと共通性への不安
みたいな風になっていくという
そんな感じ
めっちゃ最後の分かりやすかったです
すいません ありがとうございます
これがさっきの成子ちゃんの読んでくれた話と
多分ほぼ一致してるんですよね
単純にしようよって話だと
真理とは単純なんだ
みんな違うよ バラバラねっていうのは
非常に混沌として複雑じゃん
じゃあどれが本当の人間なのとか
っていう話になっていくじゃん
そうじゃなくてそんな違いはないんだよ
つったら一個になるから
非常にシンプルになるでしょ
多分真理というのはそういうものだよね
って繋がってるね
いつも時代も全く違う国にいる
時代も違う人がやっぱり
同じこと言ってるって面白いですね
そうなんですよ
本がそういう本を選んできたのも不思議だね
もちろんそうしてないですけどね
そんな感じですかね今回は
ぜひ皆さんも読んでみてください
このポッドキャストでは
あなたからのご質問ご相談
こんな本読んでほしいなどなど
お待ちしておりますので
概要欄のお便りから
お送りいただければと思います
では今年もほっこりした夜をお過ごしください
さよなら