名残の夢とひな祭り
どんな生き物も単独では生きることができないから、生態系の中で関わり合いながらつながっていて、
世界中で作られている農作物の多くは、蜂、ハエ、蝶、昆虫、コウモリ、鳥などの生き物が、受粉を手伝う働きによって育まれていて、
野菜や果物を食べている人間も、自然の一部で自然界の循環という大きな愛に生かされている、ということ。
これですね、世界は愛でできているという、高野照子さんという方の小冊子の作品なんですよ。
いきなり朗読から行ったね。
はい、いきなり行ってみました。ちょっとバージョン変えてみて。
どんな本なんですか、今。
今こんな感じですね。
これね、YouTubeで同時に配信できたらいいんですけどね。概要欄にリンクも貼っておきます。
こういうちっちゃい自主出版されてるんですね、これ。
なんで自主出版なのかって本人曰く、出版社通すと高くなるって。
500円で売りたいみたいなことで、ワンコインの本ということで自主出版されてるやつです。
それはどこで買えるんですか?Amazonとかで売ってるんですか?
これAmazonで売ってたはずです、確か。
はい、という本から今日は入ってみました。
いいですね。いい内容だったと思いますよ。
ということで、今回も引き続きいろいろな朗読を試してみようと思います。
人はそんなに悪くない。
ほっこりするつながりを思い出そう。
人間関係知恵とゾノ。
それでは、今日のお話し始まります。
知恵とゾノ。
ということでですね、引き続きいろいろな角度から朗読をしておりますが、
今日も引き続きですね、セイコさんにもお越しいただいてます。
よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
では早速いきましょうか。
じゃあ今日はセイコちゃんからいきましょうか。
何を言いますか?
名残の夢?
これ、想定がとっても素敵で、ちゃんとケースに入っていて、
布の金字のサイトルがちゃんとついている想定の本で、
かつら川保守さんって、朗読者として幕末に有名だった人の娘さんが、
昭和12年までご存命でいらして、
その幕末からずっと大正の間に、
いわゆる明治のすごい人たち、大熊重信さんとか、
あとケーキさんも、徳川西郷隆将軍ケーキさんとの触れ合いとか、
そういうのを晩年に講述で出した記録なんですけど、
その明治とか幕末のこの人が体験した日常が語られている、
すごく貴重なんですよ。
面白いので、ちょっと持ってきました。
一ついいですか?
どうぞ、いいですよ。
朗読者って何の学者さんなんですか?
花の朗読ですか?
朗読って、オランダ語。
昔は幕末までは、江戸幕府は、
ちょっと耳を取らないと喋れない。
江戸幕府は鎖国をしてたじゃないですか。
だから、オランダ以外のいろんなものが入ってこなかった。
だから、朗読というのだけは江戸時代も認められてたんですよね。
で、そのオランダ語の通訳ができる人たち、翻訳ができる人たちで、
この桂川さんの2代前から、ひんおじいちゃんからが、
解体心象、ターヘルアナトミアって、あれの翻訳に関わった人なんです。
で、その代々この桂川家っていうのは、そういうお医者さんの家系。
つまり、お医者さんであり、翻訳家であるっていう感じの人たちを、朗読者。
で、それがだんだん幕末になって、兵法とかも翻訳するようになってて、
だから軍事学者にもなっていくみたいな、枝分かれしていくんですね。
この中で桂川家っていうのは、草分けみたいなお家の女に生まれてるんで、
お嫁に出てるんですけど、その間にいろんな人と交流があるっていう、いろんな人が。
面白いですね。
これ3回目ですけど、まず手に取らへん本やなっていうのが出てきます。
面白いですね。
このね、語り口がとても、そのおばあちゃんの語り口が素敵なんですよ。
はい、そんな本です。
はい、楽しみです。
はい、じゃあ私がやりましょう。
バラバラバラバラバラバラ。
ストップ。
ちょっと待ってくださいね。
はい、じゃあ、ひな祭りの話のとこでした。
いきます。
ひな祭りとお手習い。
一時は陰に潜んでいたようなおひぬえさまも、だんだんその世の中になってきましたね。
ひな人形の言われを昔聞いたことがありましたが、忘れてしまいました。
なんでも代理さま、御代さまは、こんなものだとひな人形の形を作ったものなのでしょう。
宮中の集まりのときは、五人林がどうだとか、舞姫がいいとか、
つづみや笛を見てみんな想像したようでございます。
絵に描いてもいいが、お人形にしてみせたほうがなおいい。
まあ、こんな教えもあったのでしょうね。
ひとつは行儀の見本に、着付けだのを着付けをした人形だのを飾ってみせたのが、
だんだんああいうふうになったということが何かに書いてありました。
今は遊びになってしまいましたけれど、
昔はお嫁に行くときはきっと持って行く引き品のひとつで、
昔の女子教育はそんなふうだったのでございましょう。
ひな祭りはよっぽど古い世のことでしょう。
田舎源氏に三月ひな祭りの下りがあったように覚えていますが、
ああいう古式が大根となっているのでございましょう。
やっぱり源氏物語に紫や何かがおひな様を持て遊んでいるようなところがありますが、
あの夫人たちの遊びにやっているひなの作り方が古いんでしょうね。
後のひな人形は源氏物語にある紫だとか青いだとかいう夫人をひな形にとっているように思われます。
面白いのがですね、いろんな昔からあるものの話をたくさんしてるんですけど、
このひな人形もそうで、この人の明治初期の時に
今時っていう、昔はこうだったっていうのを語っているのがすごく面白いですよね。
いつの時代も今時の若いものはって感覚はあったってことだね。
そうです。
日本語が綺麗ですね。
それがこの本の一番素敵なところです。
こういう言葉を今も使おうとか、使ったほうがいいとか、そういうことは一切思いませんが、
耳ざわりがとてもいいというかね。
それすごく思いました。
たぶんわかんないですけどね、僕はあんまり外国語に詳しくないので、
いろんな国にもこういう日本語のていねいな言い回しみたいなのが各国語にもあるかもしれないんだけど、
英語とかにはあまり僕はそれがない感じがしていて、
これがやっぱりこの差がね、同じ言葉なんだけどあるというところが、
やっぱり日本語のちょっと奥深さみたいなのを感じるかな。
この人が情報の確かさとかをどうでもいい感じで喋っているのがいいねと言われていましたが、
よくわかりません。
なんかもう今だとそういうのアバウトでダメっぽいじゃないですか。
もっとしっかりとさ、誰に聞いた、どういう話でとか、
エビデンスがないみたいな、もう全然そんなん関係なくてと言われていましたが、
よく本当のことはわかりませんがとか、
そういうところがいいね。
タイトルをちゃんと言ってなかったね。
名残の夢。
男威勝浦川家に生まれて、今泉美音さん。
今の文章は美音さんが書いてたってこと?
美音さんが話した、口実。
私は内容もあれですけど、
聖子さんの鼻に抜けた声って言うんですか。
それがすごい心地よかったです。
本当ですか。
なんかちょっとキョンキョンのラジオをすごい思い出しました。
トイズム・キョウコの。
ため息というか、吐息混じりのしゃべり方って言うんですか。
息がすごく、なんていうのかな、うまいこと言葉で言えないですけど。
ありがとうございます。
じゃあ私行きますね。
お願いします。
パウロ・コエールの短編集
僕が持ってきたのは今回は、パウロ・コエールという人の献人の視点という本です。
これは若い頃ね、アルケミストっていう本があって、
これがなんとね、3億2千万部売れてるんですよ。
3億!?
170以上の国で3億2千万部売ってる世界的ベストセラー。
マイケル・ジャクソンみたいにしたね。
ほんまですね。なかなか3億聞かへんな。
この人が、これ最近だったと思うんですけどね、この本出たの。
その人が書いた短編集というか、これもメッセージ集なのかな、を持ってきました。
じゃあいいですか、これはもう。
ぱらぱらで。
ぱらぱら、ぱらぱら、ぱらぱら。
すべてが備わっている。
ニューヨークに住むサンパウロ出身の画家に招かれ、彼のスタジオに集まった時の話だ。
天使や錬金術といった話題について議論になった。
誰もがその内面に全宇宙を抱えているがゆえに、世界に対する責任を負っているのだという錬金術的理念について
同席者に説明しようとするがうまくいかず、私は苦心していた。
明確なイメージを伝えるための的確な言葉を私は見つけあぐねていたのだ。
黙って会話に耳を傾けていた画家が口を開き、私たちに窓の外を見るよう促した。
何が見える?
グリニッチビレッジの通りが見えるね、と誰かが言う。
画家は大きな紙を持ってくると、それで窓を覆い隠してしまった。
当然のことながら外はもう見えない。
画家は手にしたナイフで小さな四角を切り抜いた。
この穴からは何が見える?と画家が尋ねる。
さっきと同じ道だね、と別の誰かが答える。
画家はさらにいくつかの小さな四角い穴を切り出す。
どの穴からも同じようにグリニッチビレッジの道の景色が見えるだろう。
つまり我々の誰もが同じ宇宙を宿しているとはそういうことさ。
彼の生み出したイメージに一度は簡単のため息を漏らしたのだった。
と言う話。
これは深いね、面白い面白い。
窓から見る、大きな窓から見る景色も、小さな穴を開けた景色も同じだろう、と言うね。
もう一個読もうか。
妨害に立ち向かう。
スペインのオリテという街の近くに廃墟と化した城がある。
城の立ち入り禁止を無視して城に入る
その城を訪れたことがあるのだが、城の前まで行くと入り口にいた男性が立ち入り禁止だと私を遮る。
ただNOと言いたいだけではないかという印象を受けた。
遠くからはるばるやってきたことを伝え、チップを払い、できるだけ丁寧に一切したつもりだ。
この城がすでに廃墟となっているのは知っていることも説明した。
男性のせいでこの城に入ることが私にとって重要な問題に思えてきた。
立ち入り禁止なんだ、と男は繰り返す。
こうなったら選択肢は一つしかない。
とにかく足を踏み入れ、それでもなお彼が私を阻止できるのか確かめるのだ。
私は入り口に向かって突き進んだ。
彼の彼は私のことは見ているが、何をどうするわけでもない。
城の見学を終えて出ようとすると、新たに二人の観光客の姿があって、彼らも城へ入っていった。
老人はもう彼らのことを止めようとさえしない。
私の抵抗が老人の馬鹿げたルールに打ち勝ったのだ。
この世は時に理不尽な戦いを私たちに強いる。
この本自体は、ちょっとさっきも教えていただいたかもしれないんですけど、
全体的には何の本なんですか?
この人の、だから、
なんか小説みたいなことですか?
メッセージ集です。
さっき、前回私、桜井翔一さんの本を読んだじゃないですか。
一つのテーマがあって、それに対して、そのテーマについて、
本当に短く1ページ、2ページぐらいで、
エピソードだったり、メッセージが書かれているという、そういう感じ。
この方の日常だったり思ったことが、メッセージの文面として、
何個もたくさん入っているみたいなことなんですか?
そうですね、いろんなエピソードから何かのテーマだったり、
メッセージだったり、
視察というのかな、そういうのがこの中に入っていると。
一つは、なんだろうな、謎々みたいな感じでもあるよね。
この話から何を感じる?みたいなね。
結論が書かれていないから、どれも。
そういう意味で、感じる本、まさに要因をね。
おお、みたいな。
言葉にできないメッセージだから、
エピソードだったり、例え話とかで語られているんですよね。
だからそういうものは、そのまんま受け止めて、
漠然と曖昧に心の中に置いておくというのがいいような気がするよね。
これはこういう意味でしょ、みたいな話はね、せずにね。
一途中で何かの小説かなと思ってしまってです。
続きを知りたくなりました。その後はどこだったの?みたいな。
これ全部、細切れに切れてます。
全部続いてなくて、今のお話でもう完結、一個ずつ。
面白いですね。
だからこの3億2000万部のアルケミストもよかったら読んでみてください。
はい。
もうどうしましょう。もう一巡行くとちょっと長いですもんね。
ちえさんだって冒頭のやつはおまけみたいなもんでしょ。
ほんまですか。
だからちえさんやって終わりにしましょうよ。
エピソードから感じることを大切にする
じゃあ私、もう一回タカノテレコさん。
同じ本で行く?
タカノテレコさんのこの500円の小冊子みたいな。
シリーズなんだ。
が4冊あるんですね。
どれがいいですか。
じゃあ真ん中のやつ。
笑ってバイバイ。タカノテレコさん。
これはタカノテレコさんのご友人だったかな。確か。
が、治らない病気にかかられていて、死ぬのが怖いというお話を病院で確かされたみたいなことだったと思います。
うる覚えなんで違ってたごめんなさい。でもそんな感じだったと思います。
そんな友人に向けてこの笑ってバイバイっていう本を書いたというふうにおっしゃってます。
では行きます。
ストップ。
行きます。
毎日は当然のようにやってくるから。
日常の重みを忘れてしまいそうになるけど。
本当はいつだってかけがえのない時間が絶え間なく流れていて。
そんな中で私たちは生きているのだということ。
奇跡の贈り物である一日一日よ。
700年前アフリカで人類が誕生して以来、世界中に散らばって生きてきた私たちの先祖100億人以上も、みんな命を全うして旅立っていたことを思うこと。
700万年かけて生命をバトンタッチし続けて自分にたどり着くまで。
愛をつないでくれた人たちのもとに向かうだけで、
誰もが通る道である人生最後の船出を恐れる必要はないと心に留めておくこと。
命を全うして人生を卒業するのは素晴らしい瞬間で。
蝶の幼虫がさなぎから脱皮して空へ羽ばたくようなとても自然なことで、どんな形で旅立っても安らかな死だということ。
終わりです。
まだまだどんどん続いていくんですけれども。
いいですね。
そういう一文一文が、この方、どこかの回で知恵園でも話してたんですけど、旅行をすごくたくさんしてる方なので、
旅行で出会った人たちの、
前に知恵さんがお話しされてた方。
旅行で出会った人々、いろんな人たちの写真が綴られながら、この言葉が一つ一つ綴られてるっていう感じですね。
そっか。
僕が読んだ本と同じ形式ですよね。つまりね、一個ずつ。
そうですね。一応これ繋がってるんですけど、全部文章が。
そうなんですか。
今日も面白かった。
知恵と。
そうなの?
いい本でしたね、みんなね。
なんとなくもうこれは本当にこんな感じでいいのかな。
これっていうのは朗読のことですか?
別にまとめたりとかね、総括したりとかしなくてね。
ただただこの文章が流れていく、朗読が流れていくという、これでちょっといいのかなっていう、そんな感じがしてきた。
すごい思いました。本当に歩道橋とか大きな駅のちょっとしたところで、よく路上のミュージシャンがいるじゃないですか。
本当あんな感覚です。なんか聞いてるとき。本当に何かが流れてるみたいで、耳の中に入っていくのか入っていかないのかわかんないけれども、でも何か心地よい何かが流れてて。
たまに自分が歌う番も回ってくるみたいな。本当にそんな感じだよね。
ジャズみたいですね。
ということで今回も終わろうと思います。
この知恵園ではあなたからのご質問ご相談ご意見こんなテーマ取り上げてほしいなどなどお待ちしておりますので、概要欄のお便りからお送りいただければと思います。
では、今夜もほっこりした夜をお過ごしください。さよなら。さよなら。