1. 人間関係ちえぞの
  2. 努力という言葉をつかわない世界

「努力の種類」という話から始まり「いまの時代、努力という言葉は古いんじゃないか」という話に発展し、最後は「努力という言葉をつかわない世界」に辿りつきました。  


「やりたくないけどやらなきゃいけない」と自分を奮い立たせるために「努力」という言葉が生まれたのかもしれません。 「やりたくないこともやってほしい」と従業員を奮い立たせるために「努力」という言葉が広まったのかもしれません。


でも、こころの中に「葛藤」がある限り、私たちはそこに楽しみを見出しにくい。どうしても、喜んで動くことができないものです。昔どこかの居酒屋チェーン店が「よろこんで!」と言っていましたが「言わされている感」が醸しでている人もいたように思います。

  

もしあなたが「夢中になりたい!」「夢のために苦しいことも乗り切りたい!」「実行力の源泉が欲しい」と思うなら「葛藤を手放す必要があるんだな」と、あらためて実感できた回でした。


きっと「葛藤」が多ければ多いほど「迷い」が増殖していき、迷いは「不安」に繋がり、不安は「疑心暗鬼」に繋がり「こんなことやってて意味あるの?」という気持ちを引きよせてしまう。


最初に抱いた「純粋な夢」すら疑ってしまうものが、葛藤なのだと思います。そう考えると「葛藤」を手放せる【努力という言葉をつかわない世界】は、居心地のいい捉え方だな~と思えてきます。


あなたも、努力という言葉を使わない世界の住人になってみませんか?  もし、努力というゲームの世界に疲れているのなら。


番組の最後に話していた12月23日(金)19時~@大阪「ちえぞの年末特番トークライブ」詳細ページはこちらです。 ゲームの世界に疲れているなら、癒されに来てくださいw。いい感じにやる気も回復しますよ^^

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ちえぞの公式サイトは、以下の概要欄よりアクセスできます。

https://podcasters.spotify.com/pod/show/chiezono


00:03
人間関係や恋愛を一つ一つ丁寧に学び直す
一杯のみや、知恵と
努力の種類についてお話しできればなあなんていうふうに思っています。
努力の種類です。
さて、人間関係と恋愛を一つ一つ丁寧に学び直す
一杯のみや、知恵と
この番組は、人間関係や恋愛にまつわるあれやこれやの
お悩みや雑学をコラムニストの知恵と
グッドバイブストレーナーの倉園がわちゃわちゃと話していく
心地よい人間関係をつくるポッドキャスト番組です。
知恵と
はい、ということでですね。
努力の種類という
ちょっと一見人間関係と一人で完結しそうな話なんですけれども
ただでもすごくこうやっぱり関係するのかなというところもあって
このテーマを選んでみました。
どういう意味ですか、これは。
努力の種類というのは。
これですね、ちょうどです。
昨日
ある方と話しているときに
この努力の話になったんですね。
その方が
ピンクの像が出てくる有名な本
ご存知ですか、倉園さん。
夢を叶える像
夢を叶える像
その本をシリーズもので結構出てるみたいです。
読んでいて
その中で
いろんなことを
小さなことを積み重ねていくのが大事みたいな話が
確かあったみたいな話になったんですよ。
靴を磨くとか
一見
これ何のためにやるねみたいな
ことを結構
いろんな角度から像が教えてくれる。
そしてそれは夢を叶えることにつながっているみたいな
そういう話らしいんですね。
私ちょっとちゃんと読んだことないんですけど。
靴を磨けって
像が主人公に言うときに
なぜならという形で
例えば
あの有名な松下
なんちゃらはみたいな
こうしてたんだよ。
だから君もそれをやればみたいな
03:03
例を出して
解説をしてくれるそうなんですね。
ピンクの像さんが。
それつながりで
その本
ピンクの像の本を読んだ
私の話し相手はですね
松下さんの本を読み始めたりとか
いうようなことをして
いろいろといろんなものに興味を持っていった
いうような話をきのうちょうどしてたんですよ。
なるほど。
その過程で
私がポロッと聞いたんですね。
彼女なんです。
20代前半くらいの女性なんですけど
そういう成功願望があるの?
みたいなことを聞いたんですよ。
成功したいとか
そういう感じで読んでるのではなく
でもやっぱり
今自分のやってることだったりを
しっかり努力して
叶えていきたいみたいな
例えば
もともとそういう才能に恵まれてるとか
環境に恵まれてるような話
人の話は別に全然聞きたくなくて
自分自身と似た環境で
もしくはちょっと
劣悪な環境っていうんですかね
そういう環境に
いた人が
何か自分自身で試行錯誤しながら
自分の目標を達成していったみたいな
話を聞きたいみたいな話に
派生していったんですね
努力の仕方が
努力の仕方を模索してるんだね
みたいな流れになって
努力って種類があるのかな
みたいなちょっと説明長くなっちゃいましたけど
みたいな話になったってことですね
なるほどね
やっぱり努力という言葉は
僕は未来志向なのかな
って気がするんですよ
やっぱり
未来にある種の目標を決めて
それを達成するために
今という時間を
その努力する時間に使うというね
これが合ってる人は
別に僕はいいと思うんですよ
それで
これゲームなんですよね
要は未来に目標を決めて
1年後にこれを達成したい
だからその間
1年頑張るんだ
努力するんだっていうのは
ものすごくゲームっぽいと思うのね
でも受験勉強とかって
このやり方で
僕らでやってきたでしょ
だから成功体験があるわけさ
でも
大きな違いはね
学生の頃っていうのは
まだ仕事がないわけよ
何でやりがいとか
生きがいとか
手応えを感じるかっていう
そこの課題が
一つ大きく抜けてるんだよね
それはしなくていいってことになってるから
勉強だけしときなさいって
全員が勉強するわけだからね
じゃあ自分が何か
仕事を手掛け始めた時に
06:03
そこに
この仕事をやったら
最後ほら
知恵さんがさ
今日の収録の一番最初の回で
とてもいいウェブサイトができたって喜んでたじゃん
今日今
その喜ぶ瞬間っていうのは
今ここでしょ
そこに僕は幸せがあると思うのね
だからここに
努力みたいな概念は入れない方がいいと思うんだよ
何で一生懸命作るのかと
それはいいものが作りたいからじゃん
そうですね
それを何かやってる最中に
私努力してるなとか思わないでしょ
思わないですね
ただただいいものを作りたい
一番適切な表現を見つけたい
いいタイトルを探したいって言って
時間をかけ
いろんなものを調べたりとか
いろんなことをしながらね
それこそ何度も何度も
コンテンツを見直したりするという
それは努力ではないんだよねきっと
その自分が表現したいものを
お客さんに渡したいもの
そのいいものを作りたいという
その何ていうのかな
思いが
その瞬間その瞬間に
出しているだけで
何か僕はそれを努力と呼ぶ必要が
あるんだろうかなって気がするわけ
例えば
それをやろうとしたら
仮にだよ
英語版があった方がいいよね
ってことになって
じゃあちょっと自分の英語力だけだと
さすがにそのコンテンツは作れそうにないから
少し英語も勉強しようかなと思って
その英語の勉強は
努力ではないんだよね
その英語版のコンテンツを作るという
その思いを実現するために
普通にやるべきこと
やりたいことになるから
なんか僕はその
努力と夢というのを分けないほうが
絶対にいいと思うんだよ
努力と夢を分けるというのは
夢に向かうために
自分のコンテンツを
それを手にしている
時期が違うってことですか
そうですね
というよりも
ゴールというのが一つあって
日々のやることは
その手段という
この考え方だよね
努力というのは手段だからね
そうですね
像さんの話はそうでしたね
例えばスポーツ選手だと
もっと分かりやすいね
スポーツ選手だと
もっと分かりやすいね
オリンピックで金メダル取りたいって言って
毎日の練習
これを努力と呼ぶっていうね
僕はこれ全然違うなと思ってるわけ
オリンピックで金メダル取ろうという人は
例えば柔道だったら柔道家じゃん
そうでしょ
柔道家として日々生きてるわけよ
そしたら畳の上にいて
練習したいに決まってるわけじゃん
09:00
柔道家なんだから
だからこのように日々
私は柔道家として生きているという
毎日が続いてるだけなんだよ
それは努力でも何でもないよね
だって柔道家になりたくて
柔道家になったんだし
これからもずっと柔道家でいたいんだから
朝起きたら
柔道家として生きればいいわけじゃん
生きたいわけじゃん
柔道家なのに
10日も20日も
一度も道場に行かないなんてことは
柔道家として嫌なことじゃん
こんな風に考えたら
自分が柔道が好きで
柔道をやっています
柔道家として生きています
その先に
大会が待っていて
金メダルを取るっていうのは
全部一直線につながってるよね
同じことがずっとなされていく
そして毎日
柔道家として日々道場に行くことによって
手応えとか
なんかいいね今日はとか
ハッピーな幸せを
その瞬間に
瞬間に感じてるわけよ
もちろん大変だけども
辛いなとか思う時もあるかもしれないけど
それは柔道家だからやるんだよ
こんな風に僕は捉えたほうが
すべてがプロセスから結果までが
ハッピーになる感じがするんだよね
そしてきっとこれは続くと思う
このやり方をすればね
動力って
結果
努力っていう言葉を
最初に使い始めた人というのは
もしかしたら
結果論から
過去を振り返って
あの時努力してたよね
っていうことを
言うために
努力っていう言葉が生まれたような
そんな感じもしました
お話聞いてて
そうですね
もっと深読みすると
あんまりいい話じゃないんだけど
社会が望むゴールというのが
あったんだよ
人はこういう風にして
こうやってこうやって
例えばこういう風になると
社会が豊かになるとか
経済力が上がると
でもそれは誰しもが望む
ゴールではないわけね
そうですね
だから努力しろっていう風に
そういう発想にしたんだよ
つまり僕らは日々
努力をしなくちゃいけないと
そういう風に持っていけば
嫌なことでも
これは努力なんだって思えるじゃん
そうですね
努力することって美しいですからね
そうそう
努力が何であろうと
努力してるって実感さえあれば
自分が正しいんだっていう感じになれるでしょ
そうすると
どんなゴールでも設定可能になるわけよ
これが正しいんだから
ここを目指しなさいって言われれば
はいっつって
それになるために
努力ですね
つってやるわけよ
そこにさっき言った
私は柔道家みたいな発想もないから
12:00
そもそもなぜそれをやるのか
やりたいのかとかっていうのも
置いとかなきゃいけないわけ
そうすると
でもやらなきゃいけないんだよね
日々
努力というしかないよね
僕はこれは人生をつまらなくしてしまった
一つの大きな要因だと思ってるんだよ
何の話か忘れましたけど
なんかその子と話してる時も
それは努力って呼ぶみたいな
でも一生懸命頑張ってるよね
みたいな
言われたんですよ
知恵さんもそういう努力とかしてきたんですか
みたいなことを言われて
振り返ったら努力っていうのもあったけど
みたいな
そうそうそう
少し前に話した
なかなか販売ページにいい言葉が浮かばなかった
っていうのも
くるくると
努力というか
ただやってたみたいな
感じが強かったみたいなことを話したんですよ
それはじゃあ
やりたかったからやってたんですね
みたいなことを言われたんで
そうだねみたいなことを言ったら
これは努力と呼ぶのか
みたいな話になってですね
名前のどんどん話になっていったりとか
あと
身になる努力と身にならない努力っていう
なんか気になる
気になる
身になる努力と身にならない努力っていう
なんかキーワードが出てきたりとか
結構ごちゃごちゃっとして終わった話だったんですね
うん
うん
だから身になる努力
身にならない努力っていうのが
もしあるとすればね
身にならない努力というのは
えっと
例えばだけど
本当に自分が必要かどうかわからないのに
みんながそれをやってるから
私もこの海に着けなきゃいけないって言って
やろうとするもの
うん
だから自分の役割とかね
自分の仕事とか
自分のやりたいこと
みたいなことと
関係ないようなことも
僕らはやらなきゃいけないと思ってしまう
まさにさっきのね
これをやっといた方がいい
っていうゴールがこう
別のところで決まっちゃうっていう感じだよね
うん
それをやろうとしたら
努力と呼ぶしかないんだよね
そうですね
これもまたあれですね
言葉に惑わされてるというかです
うん
なんて言うんですかね
この感じ
うん
なんかすごく世知辛い感じがします
この話
うん
例えば僕が
グッドバイブスご機嫌な仕事っていう
緑の本をね
作っている時に
そうだなあ
どのくらいかなあ
48回くらい書き直してるんですよ
あれね
構成してるんですよ
普通は3回か4回で構成終わりなんだけど
はい
積んでいったのね
なんかいっぱいになりそうだから
48束ぼーっと積み上がるわけ
15:00
ものすごい時間もかかったね
3、4ヶ月かけてそれをやってたんだけど
うん
もう書き終わった後のね
最後の編集というか最後の構成
これ努力じゃないんですよ
全然
ただただ自分がイメージした
この作品に近づけるために
まだここがちょっと違う
この言葉がまだわかりにくいとか
っていうことを一生懸命一生懸命
吟味しながら
研ぎ澄ましていくような感覚ね
なんかこう
木の掘り物で言うならば
最後にものすごい細かいペーパー
紙やすりでさーっと
磨きをかけていくような感じ
まだこのカーブが違う
みたいなことで
何度も何度もやるっていう
これは努力と呼ばないですよね
うん
思いました
努力ってです
ワードはです
一生懸命やってる人を見た人が
言ったんじゃないかと思いました
それはそうなのかもしれない
努力してるよねみたいな
そうそう
本人が努力してるって言う時に
使う動詞というか
そういうものではないのかもしれないな
思いました
努力しようと思って
するものではないというか
これ時代もあると思うよ
だから僕らの頃は
スポコン時代だからさ
努力努力努力なのよ
何か夢を叶えるには
努力しかないって
発想なのよ
違うと思うね
僕今は随分とそれが変わった
と思います
自分がいて
自分が何かを作る
その人をハッピーにしたいな
と思ったら
アウトプットは
良いものにしたいと思う
そこを磨いていくっていう
そういう感じじゃない
結果を外から見たら
すごい努力家ですね
って言うかもしれない
努力じゃないんですよ
やらずには折れない
やらずには折れない感覚しない?
しますね
するでしょ
このやらずには折れないものが
努力というのは
どっかに本当はやりたくないんだけど
仕方ないやるしかない
っていう感じがあって
葛藤があるわけよ
心の中にいつでも
やりたくないっていう自分と
やらないと困るよね
っていう自分があって
どっちもハッピーじゃない
感じがするよね
葛藤があるから
努力やりたくないことを
やるからそれを努力
って言ってくるのかもしれない
寄せ寄せになったら
やりたいことをやってるなんて
そんなのは努力じゃないよ
みたいによく言うじゃん
やりたくないことをやるから
努力なんだよって
なんでやりたくないことを
やるのかって理由がわからない
そうですねそうなってきますよね
でもそれは目標を叶えるためだから
みたいな話にまたなっていくんですよね
18:01
だとしたらおそらくその目標は
本当は好んでないんじゃないかって
さっきの話になってくるわけよ
誰かが作った目標なんじゃないですか
っていう疑いが出てくるよね
それは社会で認められてるとかね
これをやれば成功者と言われるとか
っていうことで決まった目標の
可能性があるわけよ
僕はそこと心がもうそろそろ
一致した方がいいんじゃないかと思うわけ
これがやりたい
これを使って僕は人の役に立ちたい
みたいなものがしっかりとあってね
そこを磨いていくんであれば
何時間かけても
それほど辛くはないと
大変だよ
めっちゃ大変だし
さっきちえさんも言ったように
苦しいよやっぱ
早くできてほしいなって思うさ
なんでできへんのやみたいなことで
自分も責めたくなるさ
でもそれは全く自分が
目指していない目標に向かうこととは
全然違う感覚だよね
大沢さん私ふと思ったのが
例えば会社が
例えば会社に勤めていたりすると
これやったらええねみたいなこと
言われるじゃないですか
もしくはアドバイスされてくれる
それが例えば自分の中で
腑に落ちていなかったりすると
そこでさっきおっしゃってた
葛藤が生まれるじゃないですか
その葛藤が本来の目標に行く
努力やと思ってなかった行動が
どんどん努力になっていく
みたいなこともあったりするんですかね
そうですよね
それはそうだと思いますよ
やっぱり真面目な人ほど
やらなきゃならないんだって
思うんじゃないのかな
みんな勝手なこと言うからね
まずは名刺100枚配ってこい
とか言うわけじゃん
それ100枚ってなかなかな感じですけどね
そうそう
だから自分の成功体験が
やっぱり正解だからさ
それがやっぱり
後輩とか部下とかにも
やっぱり指導しようとするよね
だからそんなのが
いっぱい溜まってくれば
その他に本読んだり
セミナー受けたりするとさ
もっともっとこれをやらなきゃだめだ
これをやらなきゃだめだってことを
詰め込まれるわけじゃない
そうですね
その一個ずつが
全部努力になっていく
っていうことなんだと思うよ
あれですね
やりたくないけどやらなくて
いければならないことを
努力してるっていう風に
捉えるのはすごくしっくりきます
確かにそれは
努力性の出来品だと思いますから
うん
たとえばアイススケートが大好きでさ
もう24時間滑ってても
飽きないんですよ
という人にとって
アイススケートの練習することは
努力ではないからね
多分この努力の話になったのは
もちろん
自分のやりたいことを
現実にしていきたいから
形にしていきたいから
21:00
っていう夢を持っているから
そこにその話に興味を持ったんだ
と思うんですよ
それをするために
一番求めてるものは
努力を努力と思わないようになりたい
みたいな話だと思うんですよ
きっと
そうですね
でも先輩方だったり
とかそういう本だったり
を読んだりすると
みんなこういろんなことを
やってきたんだよ
みたいなやりたくないことも
やってきたんだよ
みたいなこともおそらく書いてるんだ
と思うんですね
やってくるとやっぱり
やりたくないことも
やらなければならないのか
みたいな
よう分からなくなってきましたね
私今
一つ一つの仕事の中に
どれだけそれが好きだとしても
苦手な要素とか
本当はやりたくない要素っていうのは
8割ぐらい僕はあると思ってるわけよ
結構多いですね
多いよ
例えば
僕が例えば
本を書くとするじゃない
そのためには各種の打ち合わせを
しなくちゃいけない
その打ち合わせは僕にとって
心地よい時間なのか
ちょっと微妙だったりもする
そして
編集者がこういうふうに書いてくれ
って言われるそのコラボレーション
これも僕にとってはかなり
抵抗のあることだったりする
ここ書けるのかみたいなね
そして本が出たら
例えばだけど
以前だったら書店回りみたいなことを
してたね
これは僕はあまり嫌いではないんだけども
そういう書店回りみたいなのは
嫌だなっていう人もいるかもしれない
そして自分の本が出たら
ソーシャルを使って
他のこともやらなきゃいけない
もうさまざまなことが
そこにまとわっているわけ
まとわりついているわけよ
文章を書くっていうのは
とっくの昔に終わっちゃってるじゃん
文章を書くのが好きだっていう人が
この本を作ったら
その後の本が多いわけよ
これは努力かってことですよ
せっかく自分が一生懸命書いた本だったら
やっぱり多くの人に読んでほしいしね
たくさん売れたほうがいいじゃないですか
全部この一つのセット
8割くらいはあんまり好きではない
苦手なことかもしれない
ここで努力してるんだよ
俺はって
言いたいかって言ったら
僕は言いたくないなって感じがするよ
それは
なるほど
自分の捉え方みたいな話になってくるんですね
きっとね
だから言葉のね
僕はちょっと鮮度というかね
もうそろそろ努力という言葉の
意味を持つっていう
その時代じゃなくなってるような
気がするんだ
なるほど
だってさ
youtuberとかさ
僕も今ポッドキャストやってる
僕らも2人で知恵園やってるでしょ
24:00
めっちゃ大変なのよこれ
はっきり言って
そうですね
放送を続けて発信を続けていく
これをさ
毎日を
30分とかのyoutube番組を
撮り続けて
配信するのって
本当に大変なんだって
そうですね
これを努力と呼ぶかってことなんよ
要は
そうですね
違うよね
やりたいんだよ
大変だけど
やると決めたんだよ
大変なんだけどやりたいんですよ
そうなんですよ
本当にそうなんですよ
そして
なぜやるかって言ったら
おそらく毎日楽しみにしてくれる人がいるからでしょ
そうですね
視聴者が一人もいなければ
毎日やる人なんか絶対いないんだよ
やればなるほど伸びていって増えていって
応援してくれる
前々回みたいな
コメントが返ってくるじゃない
ありがとうございました役に立ちました
これがたまらんなと思って
空虚をやりたくねーと思いながらも
バチッとビデオつけて
こんにちはーっつって撮るわけでしょ
テンション上げて
これのどこが努力なんだってことですよ
そうじゃないよね
たぶんこれはね
与えるということをやってるんですよ
努力というのは自分のためでしょ
自分が何か夢を叶えたり
何かをするためにやること
自分自身のために
やってるのが努力なんだよ
だからずーっと辛いわけ
苦行なわけ
これが報われる日っていうのは
夢が叶ったその日しかないんだよ
受験の発表があるとか
金メダルを取った
その瞬間にしかないわけ
毎日youtubeの配信ができるという人は
お客さんのために
視聴者のために
これは毎日与えてるんですよ
しんさんがいいコンテンツを作ろうとして
苦悩の中にいる
これは届けたいと思う思いでしょ
このいいコンテンツを
これは与えてるんだよね
この与えの方も
命令大変なのよ
でも努力と違って
これは相手がいるんだよ
僕がこのアウトプットを良くすれば
相手が喜んでくれる
この関係
これは努力じゃないんだよ
これは与えてるっていう
この違いですよ
自己完結すると
しんどくなるっていう
あれなのかもしれない
しんどくなるのは決まってるんだよ
求めてるのは自分だけだしね
自分だけが
求めてるのは自分だけだしね
そしてそのゴールが
本当に自分に合ってるかどうかも
実は不確定だし
そんなものに向かって
この大変な
YouTuberが毎日配信するようなことを
同じようにできるはずがないよね
当然
頼りになるところ
寄りどころがないわけだから
27:01
こちらの方は
自分しかいない
自分が諦めた瞬間にやめちゃうじゃん
努力という言葉をそこに盛り込んだんだよ
思いました
努力っていう風に
努力 努力 努力って
自分に言い聞かせると
本当に自分のからにからにからに
っていう風になっていくので
自己完結していくっていう
クラウドさんがおっしゃった方向に
まさに行くと思うんですよ
発表しちゃった
与えるっていうことがなくなってくるので
誰ともコミュニケーションを取らない
みたいな話に
取ってるようで取ってないみたいな
上司ともそうですし
お客さんともそうだし
同僚ともそうだし
っていう風になってきて
本当にやりたかったことなのに
やりたくないのにやらなきゃいけない
みたいになっていく
義務感みたいなのが先に立っていって
まさに本当に努力してるみたいな
なんていうんですかね
しんどいやり方だな
って思いました
だと思いますね
この話はうまくまとまらないのです
またこう
次の機会にね
まとめなくてもいいと思うんだよね
そうですね
だからといって
今ある目標を持って
すごく努力してます
っていう人に
僕はそんなのおかしいよ
というつもりは全くない
最初に言ったように
このやり方が合ってる人もいるんですよ
僕がずっと今
今日お話ししたかったのは
そこに合わない人も
もっといっぱいいるってこと
そういう人は
努力とは別のね
例えば僕が言ったような
自分が役に立てる人に与える
自分のコンテンツなり
を与える
その仕事を磨いていくんだ
っていう別の発想で
同じようにいろんなことを
やっていくこともできるわけ
だからその
努力一辺倒だったから
僕が若い頃は
基本的に努力の世界だった
でも今はちょっと違うんだよね
もう少し別のモチベーションを持って
この自分の能力を
誰かに役に立てたい
役に立てたいんだから
もっと磨いていこう
そういうことができる
ということがお伝えしたかった
だから努力という言葉を
使わない世界があっていいよ
というたったこれだけなの
僕が言いたいことはね
これでこのお話は
いいんじゃないかなって
努力の種類って始まったじゃん
努力の種類ではなくて
努力ではない努力のような
ものがあるっていうことだね
つまりね
そういう意味で
ありがとうございます
30:01
はいもちろんでございます
はいはい
では今回はこんな感じで
終わろうと思います
さて今日は最後に
とっておきのお話があります
それはです
12月23日
大阪でです
この知恵園の
年末特番トークライブを
開催する運びとなりました
これ嬉しいですね本当に
倉殿さんがね
倉殿圭三さんが
大阪の中野島ですね
最寄駅は彦橋だったりとか
あと中野島駅
っていうのがあるんですね
そういうのだったりとかになるんですけれども
梅田のすぐ近くぐらいですね
そこでです
そこのです
ヒーリングサロンクリアというね
クリアヒーリングサロンか
というです
ところのラウンジを借りて
この知恵園の
トークライブを
行う運びとなりました
おそらく
2時間か3時間ぐらい
トークライブがあってです
その後
懇親会になっていくと思います
先日ね
倉殿さんからいただいたです
紹介ページがあるので
ちょっと紹介したいと思います
こんな時だから
真面目に愛について
語ります
人間関係と恋愛について
語り尽くす
ポッドキャスト番組
知恵と倉殿恵三が
大阪は中野島で
生トークライブやります
何をテーマにするか
2人で考えていたところ
知恵さんから
こんなメールが届きました
23日の
トークライブのテーマ
愛はいかがでしょうか
壮大すぎますかね
倉殿さんや
皆さんと愛について
話してみたくなりました
私たちは
自分に対しても
他人に対しても
仕事に対しても
友達や家族に対しても
お客さんに対しても
同僚や部下 上司に対しても
創作に対しても
大好きな趣味に対しても
愛がなくなった
なくなりそうだ
と勘違いした時
おかしな行動を
とってしまうのだと思います
愛を取り戻す
自分の中にある
愛を回復させる
再発見する
愛を見に行く
そんな回になれば
素敵だなと思いました
何を隠そう
私が提唱する
幸せなメソッド
幸せのメソッド
グッドバイブスも
愛そのものである
本来の自分を取り戻す
ここをゴールにしています
ただ多くの人にとって
33:01
愛という言葉は
様々な先入観や
良くない思い出によって
色あせたり
うさんくさくなったり
しているように思うのです
そのあたりを考えて
私も長いことこのテーマについて
真正面から語るのを避けてきました
でも何となく
そういう気遣いは
もう必要ないのかもしれない
と感じています
なぜならば
愛の力を借りないと
解決できないように
見えるからです
今回の
トークライブのテーマは
愛です
世界は愛を求めている
これが今回
倉園さんが
このトークライブの
タイトルとして付けていただいた
ものなんですね
素敵なタイトルですよね
倉園さんが大好きな
バードバカラック
の名曲が
あるんですけれども
その放題が
世界は愛を求めている
というやつだそうなんですね
この紹介ページ
概要欄にも
貼らせていただきますけど
そこに世界は愛を求めているの
youtubeのリンクが
貼っているので
ぜひ聴いていただきたいな
と思います
すごく耳心地のいい音楽で
それ聴きながら
心がほっこりするな
と思ったりもしました
今回私は
すごく
愛するということ
愛されるということ
これは対人間だけじゃなくて
愛というと
まず浮かぶのが
パートナーだったり
恋愛だったり
自分が愛を注いでいる
大好きなワンちゃんだったり
すごく親しい何か
家族だったりも
友達だったり
そういう対象のことだけ
と思いがちかもしれない
そうではなく
例えば仕事に対しても
お客さんに対しても
部下や上司
同僚に対しても
創作ですよね
何か作り出している
お仕事とか
そういう創作をされている方
そういうものに対しても
趣味もそうだと思うし
人生全てのことに
関係していると思うし
それっていうのは
自分が発信の愛
自分から湧き出る
愛もあればです
自分以外の外から
湧き出る愛っていうんですか
それが愛するということであり
愛されるということだと
思うんですよ
これが
何でしょうね
私たち日本の
そういういい文化みたいな
ところもあるのかもしれない
でもなかなか使わないので
36:01
気恥ずかしいというか
そういうものを直で
体感しなくなった
っていうんですかね
体感する機会がなくなったというか
本当にもう
対面で話す機会も
すごく昔に比べたら
どんどんどんどん減っていっている
じゃないですか
いいと思うんですよ
デジタルネイティブっていうか
どれぐらいでしょうね
今でいうと
25歳以下ぐらいなんですかね
もうちょっと若い世代になるのかな
ちょっとあれですけれども
それぐらいの世代だと
デジタルの中で
アバターを使うことにも
何の抵抗もないと思いますし
どんどんどんどん
オンラインとオフラインっていうのが
融合していくような感じじゃないじゃないですか
今その時代の流れとしてね
だから会わずに
どんどん友達も作るし
っていうことが
一回もあってないけど
すごい仲いいみたいなね
それがすごくこう
自然にすっと入ってくる人はいいと思うんですけど
そうじゃない感じの
ところにいるとね
すごくやっぱりね
愛に対してです
人の愛っていうんですか
人を愛することもそうだし
外から愛されるっていうことも
そこをすごく実感しにくい
時代っていうと
大げさに
取られるかもしれないけれども
毎日になったのかな
っていうふうに思っていて
もう本当になるのかな
じゃなくて
もうなってるんだと思うんですよね
結構前からね
なってるんだと思うんですよ
そんな中で
私たちは生きていると
すごく不安とか恐れとか
倉殿さんがよくおっしゃってるような
ざわつきっていうのを抱えながら
毎日を過ごしているわけだけれども
そこをね
軌道修正してくれるものっていうのが
自分の中から湧き出る
その愛に気づくことだったりとか
愛するという
その行為に気づくことですよね
それは人間が自然とできることだから
おそらく
してるんだと思うんですよね
日々日々日々日々
でもそこに気づいていない
もしくはもうできなくなって
忘れちゃってる感覚を
忘れちゃってるみたいなことも
あると思います
外からそれを愛されるっていうことを
されているけれども
でも本当にそうだと思うんですよね
だから
そういう私の思いっていうかね
自分がこれまで
生きてきた苦しんできた
人間関係だったりとか
仕事に対してだったりとか
創作に対してだったりとか
そこに対してこう
愛するということ
愛されるということが
すごく遠い世界のように
遠い捉え方概念のように
思えてならなかった
それが今はすごく
身近に感じることができて
いい循環が
39:03
起こりつつあるなっていうのが
私の中でも結構すごく
強い確信を持ってあって
だからこそ
今このタイミングで
なんかちょっと壮大すぎるかな
って思ったりもして
ちょっとなんか遠慮気味に
倉園さんに提案させていただいたんですけれども
やろうということをね
言っていただいてね
すごくよかったなっていう風に
愛について
あなたはこのタイミングで
愛について語りたいでしょうか
どんな風に愛を捉えているでしょうか
私はね
すごくね
ほっこりさせてくれるもの
この言葉
なんかすごい気に入ってるんですけど
本当にそんな風に思っています
ぜひ12月23日
金曜日19時から
中之島です
知恵図の年末特番
トークライブですね
世界は愛を求めている
ぜひご来場いただいて
みんなで愛について
真面目に楽しく語れたら
楽しいだろうな
いいだろうなっていう風に
思っています
ぜひあなたとお会いできることを
心よりお待ちしています
では今回はこんな感じで終わります
また次回お会いしましょう
さよなら
さよなら
40:38

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