未来形というのは助動詞をつけて表して、未来形というのは変化は英語はないわけですよね。
他のヨーロッパ語と違って。
ところが当時の中英語まではですね、このサブジャンクティブ家庭法変化というのがあったんです。
そしてその屈折がですね、消失していって、そしてまあよりアナリティカル分析的な用法として助動詞がそれに変わるようになったんですね。
ちょうどこの15世紀のその過渡期をちょっと過ぎたあたりだと思います。
もうかなりこのサブジャンクティブはもう消えているので、ただ揺れが少し残っているということで。
だいぶじゃあ現代に近づいているという感じがあるわけですね。
後英語などはもっとしっかりといますかね。
比較するともっとしっかりした家庭法のサブジャンクティブの体系があったわけですが、
もう現代に向かって過剰を切っているという感じがあるわけですね。
揺れを残しながらということですね。
そして駆動詞なんですけれども、この本書では駆動詞というのが一つの定点観測的なものとして、
先ほどの家庭法もそうでしたよね。
駆動詞、Phrasal Verbと呼ばれるものに関しては、
現代は非常によく使うわけなんですが、この時期というのはもう使われていたんでしょうか。
そうですね。実はこの本調査ではですね、
最も現代で頻度が高い動詞として駆動詞で用いられる、
Take、Get、Bring、Put、Turnというものを調べたんですね。
それにつきましてはですね、かなりしっかりと根を下ろしつつあるという時代だと思います。
駆動詞としてもう出来上がってきていると。
そうです。この今対象とした動詞についてはですね。
意外と現代的といいますか、もう使われているんですね。
はい、出ています。ただ今のように比喩的な広がりでどこまで使われているかというものは、
より調べる必要はあるんですが、ただ起きてはいるんですよね。
必ずしも語だけの意味ではなくて、駆動詞としてセットとして新たな意味を振る。
イディオム。
はい、イディオムですね。は現れています。
その点でも突きやすそうですよね。やっぱり15世紀はまだ。
その前に遡るとやっぱり駆動詞はまだそんなにないということを言うと。
そうするとこの本の趣旨として、私最初思ったんですよ。
近代語なんで、16世紀から1500年ぐらいからっていうのが一般的なんですが、
その前の世紀を含めるという方針で書かれたら面白いなと思っていたんですが、
ちょっとずつその意味がわかってきたようなところがあります。
ありがとうございます。
そしてですね、進行形。
ここは私、とても面白く読ませていただいたんですけれども、
現代であると進行形というのは一つの大きな文法事項として、
必ず我々も学ぶっていうぐらいよく使うんですが、
これは15世紀は出ていたんでしょうか。
実はですね、意味の点は先におきまして、また文体的効果というのは横におきまして、
形式としては現れ始めた時代と。
現れ始めたという感じなんですね。
中英語にもあるんですが、本当それは進行形と言えるのかどうかというレベルだと思うんですね。
近代の観点から見た進行形としては、15世紀、存在しています。
15世紀は進行形の発達において節目となる時代というふうに書かれているわけなんですが、
今のように本格的に現代の使うような意味、役割で使い始められたのが15世紀ということですかね。
かなり南部なんかでは標準形式というふうに15世紀にはなっています。
そうなんですね。
複合的な進行形、例えば現在官僚進行形であるとか、このあたりの複雑な形というのは。
そうですね。官僚時世の進行形が頻度を、存在はしているんですが、
頻度を増してくるというのはやっぱり15世紀が終わってからかなということはですね、
先行研究、中尾先生の1972年英語学体系という大きな本があるんですが、
そちらの方ではそのような指摘がされています。
ただですね、be going to現代は、
未来を表す。
はい、そうです。その方が、出始めのようなものがですね、
ヘルシンキーコーパスという、電子コーパスがあるんですが、
たくさんの資料を集めて電子的に検索できるコーパスなんですが、
そちらでは見られるんですよね。
本の方にはそちらの方にも挙げております。
また書簡ですよね。手紙文。
先ほどちょっとお話ししたthe Stoner Lettersなんかには、
実際be going toプラス動詞の原型というのがありまして、
進行形はまだフォーマルな分配体としてではなくても、
実は存在していたのではないか。
そして一般的にないというのは、実は現代に残るということで考えるとですね、
やはりフォーマルな文学作品とかフォーマルなものが多くなってくるわけですね。
インフォーマルなもの、それからコロックやらなものには、
資料を調べると起こっていっている。
つまり進行形の方がの時代ということが、
このでいいんではないかと私はこの調査をついて思いました。
なるほど。じゃあその口語レベルでは、おそらくもっと使われていて、
一般化しつつあったのではないかというような、
そんな段階が15世紀ということですかね。
だということを調べた途中ではそう感じます。
ただ今のように自然に皆さんが使うかというと、
そこまでは言っていなかったと思うんですね。
そうなってくるのは、やはりこれもゆっくりだと思うんですが、
16世紀以降というか、近代動きをかけてということでしょうかね。
そうですね。会話文では既に調べてきた調査テクスト、
デジコーパスでは存在しています。
面白いですね。
全てが会話文ですね。
ゲスタロマのルームという作品、皆さんなじみがないと思うんですが、
これもともとはラテン語なんですね。
ところが、これは英語的なスタイルをかなり入れているんですよ。
英語的なスタイルが多くて、
その中で6例、Be Going Toというのがあって、
全て会話文にそれが記されているということですね。
面白いですね。
それ個別に深掘りしていくと何か面白い発見があるかもしれませんね。
ありがとうございます。
進行形という話題だったんですけれども、
続いてですね、自動詞化。
こちらも私は面白い話題だなと思ったんですけれども、
再起動詞の変遷ということですね。
いわゆる再起代名詞、MyselfとかHimselfという形なんですが、
これはもう正規はしていたんですか、15世紀。
ただですね、これは今と違いまして、かなりエンパティックな意味なんですよ。
強調的な意味、強める意味ですね。
あったんですが、今のように文法的な働きの中のOne Selfというのはあまり、
語彙語、中英語ではあまりなかったんですね。
ところがこの15世紀以降はですね、その強調が薄れていきます。
これは他の先行文献についても、この本では触れてあるんですが、
この転換点なんですよね。
ちょうど15世紀から16世紀。
今、Selfというのはもちろん強調、意味のある意味で使うこともあることはあるんですが、
それだけのイデオマティックな意味のOne Selfというのはあるわけですよね。
それの転換点が15世紀から16世紀だと言えると思うんですね。
なるほど、15世紀面白くなってきましたね。
実はその前の時代は、中英語らしい中英語だったのが、
むしろ16世紀じゃなくて15世紀くらいから近現代的な雰囲気が現れているというような
ご指摘が何回か続きましたけれども、ありがとうございます。
続きまして、動詞の補文という話題なんですけれども、
これについては15世紀、どんな振る舞いを示しているんでしょうか。
そうですね、動詞の補文ということなんですが、
例えば前代英語とは、一番馴染みの近いアジュレイはアボイド、
A-V-O-I-Dですね。
これを皆さんがINGを従えると動名詞というふうにお考えになっていると思うんですが、
実は15世紀の時代、名詞を直接取る例が最も一般的なんですね。
例えば、アボイドロングライティングなんて言い方があるんですね。
これは要するに動名詞と取れないこともないんですが、
多分これは名詞的なものだろうというふうに思います。
ロングがありますしね。
はい、そうなんです。
つまり、他の先行文献、これ本の方には先行文献、
ちゃんと誰が書いた本だって書いてあるんですけども、
16世紀末あたりに動名詞を取るというふうに言われているんですね。
しかし、実際にはよく見ると、注意深く各コーパステキストの料理を見ますと、
動名詞本文が出ている先例みたいなものは伺えるんですよね。
例えば、喧嘩を止めるアボイド・コーレリングですね。
これは、形容詞を取らない、直接コーレリングという形で従えている例ですね。
そのような例も見られたりですね。
または、動名詞を伴う受動態アボイド・ビーング・プレストとかですね。
という例も、もちろん現代にたくさん出てくるわけではないんですが、
よくコーパスを見ていると出てくるということなんですよね。
ですから、あかまでも現代につながる用例の方書きになってくるんだと思うんですね。
現代ある形が、そのまま使われている例があるぐらいの感じですかね。
そうですね。
たくさん使われていないという感じですかね。
そういう感じですかね。
そして次は、否定というこれも大きな話題かと思うんですが、
否定の仕方、ノットに相当する語の使い方だと思うんですが、
これは現代とはやっぱり違うんですか。
かなり違いました。
特に、小英語、中英語はですね、皆さん否定と言いますと、
ドーンと何々とか、ダズンと、ウィルノットなど、
そういう形の否定を想像すると、その後動詞が来ると。
そういうものは存在しておりません。
直接動詞をノットで否定するんですね。
そういう形が中英語までは普通でした。
また、15世紀においてもそうでした。
ただそのノットもですね、いろんな実はバリエーションがありまして、
NEというふうに書いて、それを動詞の前に持ってくるとかですね。
そのようなもの、それからNA、NONとかですね。
最後は省略しますが、他にもそのようなスペリングバリエーションがあったということなんですね。
スペリングバリエーションだけではなく置き場所?
はい。
前だったり、後だったりとか。
そうなんです。
これ大変な動きをですね、現代から考えると。
挟むのもあるんですよね。
そうなんです。
いろんなものが出そろって並立している状態っていう感じですね。
15世紀は。
それがまた書き手によってどれを選択するかというある程度傾向がありまして。
これスタイルというか書き手の癖とか習慣みたいなところなんでしょうかね。
そうです。現代語では文法的に決まっているので、そのようなものが一般的には出てこない。
ところが当時はまだ文法というものが存在していないと言ってもいいと思うんですね。
一つの標準的なものが固まっていないということですね。
プレスクリプトプログラマーとか出てくるのもこの後の時代ですので。
ですから作者の個性とかですね。
たぶん写辞性の癖もあるんでしょうが、そういう意味のバリエーションは存在しているし。
今、ホッター先生がおっしゃった位置ですよね。
これも実は面白くてですね。
古英語では動詞の前にNEを置くのが一般的だったものが、15世紀以下は動詞の前にNOTを置く。
大雑把に言えばですが、そういう形が一般的になってくるということが言えるんですね。
そしてその後に右元形ですよね。
ペリフラスティックドゥというものがこの後の時代に出てくる。
その前なんですよ。
ですから否定については非常に面白い時代で、選考文献をたくさんやっている方がいらっしゃいます。
そうですね。
いろいろなバリエーションがあって、それを個人が選べるというような時代ですかね。
今は決まってしまっていて選べないですからね。
作り方が。
そういう自由さとか大らかさというのは15世紀あたりはあるのかなと思いますね。
はい。そして次は非人称動詞ミッフィンクスというものなんですけれども、
現代では実情を使わないというか普通には使わないと思うんですけれども、
15世紀以下がどうだったんでしょうか。
ミッフィンクスというのはごく普通でしたね。
かえってこの方が古英語、中英語では多かったと思います。
ところがですね、これが特別なマークとの表現というか、特別な意味を持つI thinkとは違うよという意味で現れたのが、
これが出始めが15世紀だろうと考えられるんですね。
それで他の実は中英語まで非人称動詞たくさんあったんです。
たくさんというか結構数は多かったんですよね。
ところがですねミッフィンクスだけ残ったということで、
理由としてはこれがグラマティカライゼーション、文法化として残ったんじゃないか。
つまり動詞として私が思うというよりか、
副詞的なミッフィンクスで一つのミは要するにMEですよね。
愛の目的語の形なんですね。
そしてthinkは動詞の後がミッフィンクスという形にSを伴うんですが、
これが15世紀に証拠性というか、
それを表す意味で文法化していった。
つまり一つの文法標識としてミッフィンクスが機能したのが15世紀だろうというふうに言っていいんじゃないかと思います。
いわばそういう形の一つの副詞なんだっていう。
一文副詞みたいな。
そうです。非人称のthinkというのは急速にこの時期減少してます。
この一つの固まった表現として生き残ったという感じでしょうかね。
はい。それからですね、動詞派生全知詞というものでING系のものが多いと思うんですけれども、
例えばconcerningとかtouching、duringなんかよく使うと思うんですが、今でも。
この辺りは15世紀にできたということなんでしょうか。
そうですね。既にもう使われてます。
例もたくさん見出すことができますし、意味的にもかなり全知詞化してる例がこの3動詞に限ってですが、もう多いと思います。
INGがつく動詞派生全知詞を一覧されているページが33ページにありますが、
今ではあまり使わないというか一般的には見ないものも結構使われていたりして、
当時生産的というほどではないかもしれませんが、いっぱいできてたんだなということですね。
そうですね。これはFischerからの引用で33ページに載せたんですが、これについては現代が一般的でないものも残ってますね。
そして最後の本になりますが、メタディスコースという。
ここも面白いんですが、メタディスコースってそもそもどういうことか。
そうですね。これは非常に興味深い。私も面白いなと思って調べたんですが、
これは要するにテクストの中に物語がありますよね。そこに書き手が開催してくるんですね。
そして読み手との関係を築くというものですね。
つまり具体的に言いますと、ある辞書があった場合、それをザリーズということで説明を加えたりですね。
いわゆるネームリー、What is to sayとかですね。
作者が顔を出してコメントを加えるというような。
そうです。読み手を意識して、そしてわかりやすくしようという伝達内容。
これは15世紀という背景で、私は切らなさいと思っていまして、
実はテクストの種類がですね、この時代はですね、いろいろ中山会見の台頭ということもあって、読者層が広まっているんですよね。
ですから実用書なんかも実はありまして、私の中にも魚釣りとかですね、あとは鷹狩りの本なんかもあるんですよ。
そういう読み手を想定すると、やはりわかりやすく読み手の立場でですね、メタディスコースで開催してくる。
これは中英語の中ではあまり、あることはあるんですが、一般的ではないんですよね。
面白いですね。物語をそのまま進めていくという文章だけじゃなくて、
中にカッコみたいな形で作者が補足を加えるという、説明してあげるというようなことですかね。
そういうダテイズのような表現、ネイムリーのような表現が多くなって、バリエーションもいくつかあるようですけどね。
そうです。これはあまり中英語時代では一般的なかったですね。
ですからもちろん15世紀は中英語の時代ということで、英語史上はそういうふうに言われているんですが、
ただし、こういうところは近代的だなということを感じました。
ありがとうございます。
この第1章につきまして、片見先生にざっとですね、サマリーのようなものを伺った形になるんですが、
この15世紀の文法的・公文的変化をこの章を執筆するにあたって、いろいろと研究・調査されたと思うんですが、
その中で一番印象に残ったと言いますか、意外だったとか面白かったという点をお聞きしたいんですけど。
皆さん多分印象として15世紀というと、ちょっと遠いな、シェイクスペインより前かという印象。
中英語だなというふうに感じる方が多い。もちろん中英語なんですが、
ただですね、この時代はかなり近代とつながる英語が始まっていた時代なんですね。
私、大学院の修士論文はトーマス・マロリーで書きました。
最初学部を出て修士で入ってそれを読んだ時に、これは難しいぞ、中英語だというふうに思ったんですが、
そこで諦めなくてよかったです。
実は読み進めていくうちに、あれかなり読めるぞと、現代英語の知識があれば結構楽しめるということに気づいたんです。
つまり一般的に15世紀の英語というと難しい。
もう一つから、もう一つの理由はフランス語の原点、翻訳の影響が多いんじゃないのということを考えがちなんですが、
実は英語独自の文体というものを磨き上げている時代なんですよ。
ですから各作家ごとに創造的、クリエイティブなものがある。
そして各種の文体、先ほどトーマス・マロリーの話をしましたが、マロリーにはカクストン版というものがありまして、
調査もカクストンが印刷しているんですね。
そしてこのカクストンの文体というのは、明らかにフランス語の影響は多いんですが、
しかし関係代名詞の使用方法とか、文を並べて並列的にパラタクティックというんですが、これを使う用法、
あと実はコメントクローズなどの使用も論文を調べると出てきます。
またはハカク公文と言いましてアナコルーサと言って、文法的ではちょっとない文なんですが、
実はこれもある程度英語的なですね、癖を反映して現れている。
これはフランス語の影響じゃないぞというものも出てるんですね。
その意味でクリアリーイングリッシュとまで言われている人もあるぐらいでして、
談話標識なども実は現れ始めているんですね。
その意味で15世紀は遠い時代、中英語の時代というふうに考えがちなんですが、
実は読む方においてもある程度現代の知識で読み進むことは楽しめることができる。
それから現代に通じる英語のホットなトピックですね。
その方書きが実は15世紀にあるということで、実はとてもお勧めの私自身も含めてですね、
勉強していきたい分野だなと思いました。
私も盲点で15世紀というのも、14世紀のものは調査のものも含めて、
やはり一つの中英語文学の花と呼ばれる時期ですので、読む機会がありまして、
片道先生も14世紀もたくさん読むかと思うんですが、
確かに14と15って同じ中英語でも違いますよね。
違います。
何と表現するべきかと思っていたんですが、
今日具体的に色々お聞きして、やっぱり一方近代に近いっていうのが、
両方14、15を読み比べると実感としては分かりますね。
ただ、どの部分が近いんだろうっていうことについては何となくだったのですが、
今回具体的な方法であるとか、そういうことで示していただいたのかなというふうに思います。
そうしますと、一つの提案というか考え方なんですが、
中英語は1400年でもう止めてしまって、
166年から1400年くらい、
1400年から、せめて過渡期とか近代英語に向けての、
近代に向けての助走期間みたいな感じでもいいのかなと見る側面によってだと思うんですけどもね。
今回の講座は本当に限られたものでございまして、
より広く勉強して教授する必要があると思うんですが、
ただ今、ホッタ先生もおっしゃったようにですね、
ある程度この時代は英語という文体を磨き上げている時代だと言えると思うんですね。
しかもそれにクリエイティビティ、創造性も発揮されてきている。
そしてフランス語原点というのをモデルとして存在しているということを片隅に置きながら、
その英語を見ていくことでより楽しめる、味わえるんじゃないかと思います。
15世紀の魅力がとてもよく伝わりましたし、
私も改めて15世紀、そういう目線で見ていきたいなというふうに思いました。
このお聞きの方もですね、中英語はちょっと手強いというふうに思いの方多かったと思うんですが、
今熱弁されたようにですね、片見先生が、割と頑張れば読めるというところはありますね。
慣れてしまうと、そこそこ思った以上に読めるというところがあるので、
せっかく15世紀の3文という話が出たんですが、
どれか一冊、何かこれから始めるといいんじゃないかというようなお勧めというのがあります。
そうですね。実はこの時代、実用書なんかも結構多いんですが、
県内の実用書には使えないものなんですね。
そして俗人向けのテクストというのがこの時代に結構出始めているんですよ。
でも皆さんが一番楽しめるものとしては、やはりアーサーオ伝説ですね。