表現の文法的役割
おはようございます。英語の歴史を研究しています。慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも、辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
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今回取り上げる話題は、The sun shines bright. 副詞? 形容詞? という話題です。
この表題に挙げた、The sun shines bright. これは一つの決まり文句と言っていいほど寛容的なものですね。
Shines bright. これで、太陽が明るく輝いているということになりますね。
そうしますと、明るく輝いているっていうことなので、この最後のbright、これは副詞として用いられているんだということになりそうなわけですね。
もともとbrightっていうのは原義って言いますかね。もともとの使い方は、これは形容詞、明るいということなわけです。
ところが、shinesと合わさってbright、The sun shines brightのような寛容的な表現では、明らかにshinesにかかっているように見えるわけです。
なので、リーみたいなものはついていません。
brightlyのようにリーはついていないんだけれども、このbrightそのままの形でこれは副詞なんだというのが一つの解釈なわけですね。
実際、brightlyという副詞の単語もあるわけで、この場合、The sun shines brightlyと言っても十分わかる、通じるわけなんですけれども、寛容的に普通はThe sun shines brightというわけなんですね。
このbrightっていうのは、形としては形容詞なんだけれども、ここでの役割は副詞的であるということで、
どちらなのか、二者択一で選びなさいと言われると困ってしまうんですね。
形は形容詞だけれども、働き、役割は副詞であるということで、これ時に文法家の間では議論になったりするんですね。
語源の探求
ただ意味としては当然よくわかりますし、副詞か形容詞かという問い自体が議論としては意味がないというような、そういう考え方もあると思うんです。
このbrightという語形について少し語源と言いますか、小英語の形を遡ってみますと、これは小英語ではベオルフトという形容詞だったんですね。
これ明るいということです。
このベオルフトに語尾にeを付けると、だいたい形容詞に語尾にeを付けるとそのまま副詞になったんです。
今だとlyを付けて副詞を作るというのと似たような形で、形容詞にe語尾を付けることによって副詞を作るということが行われたんですね。
なのでベオルフトが形容詞でベオルフテが副詞だったということになります。
これが小英語の状況ですね。
ところが小英語末期から中英語期にかけて、この語尾のeみたいな小さい音は消えちゃうんですね。
消えるとどうなるかというと、つまり形容詞と副詞が同じ形に合一してしまう、つまり短い方の形容詞の形に合一してしまうということになりますね。
これがbright、両方に使える、形容詞にも副詞にも使えるというものの起源といえば起源です。
その後に、副詞であることを明示する目的で、ly、現代に伝わる副詞語尾のlyというのがしばしば形容詞にくっつくようになって、現代に至るということなんですけれども、
これをrefixと呼んでおきますと、もともとの形容詞にeを足しただけのもの、そしてこのeが取れちゃうわけで、形容詞と結局同型になってしまうものですね。
これを単純副詞と言っておきます。形容詞と同型のものですね。
香りを表現する例
refixと単純副詞が共存しているものというのはありまして、今回のbrightもそうですし、他には例えばfast、a fast runnerとも言えますし、
I run fastとも言えますよね。それからですね、例えばslowなんかもそうですね。slowとslowlyです。
I drive slowlyとも言えますが、特に命令文なんかでdrive slowというふうに、単純副詞の形で言うこともできるということですね。
さあ、もともとのこのthe sun shines brightの問題に戻りましょう。
これはbrightが結局形容詞なのか副詞なのかという問題は、これ簡要句ですから一種の。これ分析する必要がないんだという考え方もあるわけなんですけれども、
ただこのthe sun shines brightだけじゃないんですね。似たような例がいろいろと起こってくる。
例えばですね、the rose smells sweetという文がありますね。
これsmellsっていうのは、いわゆる第2文型を取る、svcの文型を取る動詞で、その後にはcに当たるところには形容詞が来るんだということで、
the rose smells sweet。バラが甘い香りを放っている。甘い香りがするということですよね。
じゃあですね、これをthe rose smells sweetlyと言ったらダメなのかというと、ダメじゃないんですね。ちゃんと通じます。
そして意味もほとんど違わないんですね。ただ文法家によってはですね、この2つは違うんだ、意味も違うんだというような解釈もあり得ます。
the rose smells sweetの方は、バラの香りが甘いということなんだけれども、
the rose smells sweetlyというのは、香り方、匂い方が甘いんだという意味になるって言うんですね。微妙に違うって言うんですね。
ただよくわからないですね、匂い方、香り方が甘いっていうことと匂いが甘いっていうことは、
言い方が違うんですけれども、最終的にやっぱりバラが甘い香りがするわけでしょということにもなるわけです。
実際にこの2つは意味ほとんど変わらない、特に違いを感じないというような感覚の人もいるっていうことなんですね。
さあ、他にDがあろうがなかろうがですね、両方文としてはOKで、しかも意味の違いがない、あるやほとんど感じられないというような例文をいろいろと挙げてみたいと思うんですね。
どうでしょうかね。
ですね。
こんなのもどうでしょうか。
いかがでしょうかね。
それから、
どちらでも文としては成立しますし、ちゃんと意味もほぼ同じものとして通じるっていうことですね。
これら2つのそれぞれの間に、どういう違いがあるといえばあるんだろうかと考えてみると、
文体であるとか、言葉の勢いであるとか、その意味そのものというよりは、どちらかというとそういった文体的な違いですね。
これに関係するような感じはするわけです。
形容詞形ですね、つまり理のつかない形を使うと、生き生きとすると、キビキビとした感じがすると。
それに対して理をつけると、その勢いみたいなものはちょっとそがれるという感じですかね。
例えば、
この2つを比べると、サイレントだけの形ですね。
She sat silentのものは、静かにもちろん座っているんですけれども、彼女が静かでもあるっていうことですよね。
彼女、主語である彼女とその保護的な役割も表すこのサイレントというものが直に結びつく感じですね。
それに対してサイレント理と理、明らかに福祉の形にすると、やはり座り方がというニュアンスが出て、
実際のところ、彼女自身もサイレントなんでしょうけれども、このつながりイコール関係というのが直接形容詞で結んだ場合よりは一段下がるっていう、そんな感じなんでしょうかね。
これは、形容詞形がキビキビして生き生きした感じを与えるっていうのは、やはり語形的にも一音節短いわけですよ。
理をつけると一音節長くなる。その辺りも関係してくると思います。皆さんはどういう印象の違いがあるでしょうか。