ヴァイキング時代の背景
おはようございます。本日は、普段と異なって、対談という形で10分お届けしたいと思うんですけれども、本日対談という形でお呼びしましたのは、東京都市大学の和田忍先生です。よろしくお願いします。
和田先生はですね、ご専門が英語文献学、とりわけ古英語の時代ですかね。ヴァイキング時代と呼ばれているような、古英語後期の時代がご専門で、この分野で様々な論文を発表し、そしていくつかの大学で英語史の講義、授業を担当されているということで、同分野ということでお付き合いさせていただいております。
お久しぶりです。なかなかお会いすることもできなかったんですが、今回対談が実現しましてありがとうございます。本日は、和田先生のご専門の分野でですね、ヴァイキングエイジのアングロサクソン時代、英語史で言うと古英語の後期あたりになるんですかね。
8世紀後半から11世紀半ばのノルマン征服に至るまでの間ですね。そこそこ長い期間なんですが、この時代のイングランド史なり英語史というのはなかなか激動ですよね。
このあたりについて、今日は和田先生に背景をお話しいただきたいと思うんですけれども、実は今日のお話もですね、私の大学のゼミなんかでも和田先生にお世話になっていることがありまして、先日9月ですけれどもね、ゼミ合宿みたいなことがあって、そこでお話しいただいた話題がとても面白くてですね。
その内容で今日も伺いたいと思います。
この話題というのは、戦争と平和というタイトルで、この時代の歴史状況、イングランドの、ざっくり言いますと最もヴァイキングの活動が激しくなった10世紀あたり中心ですかね。
900年ぐらいから1050年ぐらいまでということなんですけれども、この時代、一体イングランドで何が起こってたのかということですね。
そして英語史上、これはどういう意義を持つのかみたいなことも含めてですね、お話を聞きたいと思うんですけれども。
まず和田先生、この900年から1050年って、およそ1150年間なんですが、これはこのヴァイキングという観点から見ると、どういう時代なんでしょうかね。
ヴァイキングは活動が活発化して、そのヴァイキングの人々がイングランドの地に定住し、イングランドに住んでいたアングロサクソン人と同化が進むという時代になります。
この同化が進むというのは、その前の時代はいわゆるヴァイキングの襲来って言いますか、イングランドに襲いかかる時代って言いますかね。
簡単に言ってしまうとそういうことで、定住せずに、いわゆるヒットアンドウェイの形でやってきては攻撃して金品を奪い、そして本国、デンマークとかノルウェーなんかに帰っていったみたいな。
文化活動の変遷
そういうふうな、まず段階が8世紀後半から9世紀くらい続いて、その後ステージとしてちょっと違う雰囲気になるわけですね。
定住家ってことですかね。本国に帰らずにイングランドの主に北部とか東部だと思うんですけども、そこに定住したと。
そういう時期として位置付けられるっていうことなんですが、150年間といってもそこそこ長いので、その中での空運みたいなのがされてるんじゃないかなと思うんですが、そのあたりいかがでしょうか。
そうですね。900年から950年頃に定住家や同家が進んでいくんですけれども、その後の950年から80年あたりになると、この時代は逆にバイキングの活動が停滞する。
その停滞するというのはアングロサクソン人たちの、いわゆる反抗にあたるわけです。アングロサクソン人たちの土地を取り返していくっていう時代になっていきます。
なるほど。その後はどうなったんですかね。
そうですね。それ以降はまた再びバイキングの活動が活発化していきます。最終的には一部征服という形にもなります。クヌートであったりっていう人たちにイングランドが征服されるという時代が一時代ですけどもありました。
なるほど。そうするとこの150年の中でも900年から始めて950年ぐらいまでを仮に第一期と呼ぶと、ここはいわゆる定住家、同家が進んでバイキングの活動が活発だったと。
その後の30年間はむしろアンチでアングロサクソン人が反抗するっていう感じで、少しバイキングの側から見ると活動が停滞する。
そして980年から1050年までは再びバイキングの活動が活発化して、最終的には王朝を乗っ取るっていうね。イングランドのアングロサクソン王朝を乗っ取るということで、この中でも割とやり合いっていうのがあったわけですね。どちらが強いか相対的に。
この3期ですね。この150年の中でも3期に分かれるって言った時に、これは非常に面白いなと思ったのは、今バイキングの活動ということで政治的軍事的な側面なんですが、これと連動していわゆる文化活動っていうんですかね。
イングランドにおける英語を用いた執筆活動であるとか修道院の動きとか、この辺は先ほどのこの3期のバイキングの活動の側面とどういうふうに連動しているかっていうことなんですが。
その点に関しては、まず最初の900年から950年頃のバイキングの活動が活発化した時代においては、修道院の活動は壮大的に下がっていきます。
SXというイングランド南西部の地域以外の、そういった修道院の活動が激減していくわけですね。
なるほど。バイキングの活動によって修道院の活動、修道院っていうのは文化的教育的学術的な場所だと思うんですけれども、バイキングの活動が活発化すると逆にこの修道院の文化活動っていうのは停滞するっていうことになりますかね。
基本的にアンチの関係っていうことでいいんですかね。バイキングは修道院とかキリスト教的なものを破壊したり、いわゆる文化的なものを破壊するというようなイメージがあるわけですが、それは連動してるんですね。
次の比較的バイキング活動が停滞したっていう第2期、950年から80年、この時期はどうなるんですかね。
それはその時代には逆にその修道院の活動が活発化していきます。こうした時期に多くの文献が作成されることにもなります。またこの時期に重要なのは修道院改革が発展していくというところですね。
なるほど。そうするとこの修道院での文献作成っていうのは、いわゆる英語で書かれた文献っていう、古英語で書かれたっていうことが多いわけですよね。
特にこの時期のいわゆる修道院改革によって多くの英語話者が現れたっていうことで、古英語後期にあたるんですが、たくさん実際この時期書かれてますよね。そして次の時代も含めてなんですが。
最後に再びバイキングが盛り返してきた980年から1050年という第3期についてはどうなんでしょうか。
またやはりこのバイキングの活動が活発化するにつれて修道院の活動が鈍っていきます。文献作成に関しては当初は持続されていた部分がありまして、その持続した部分もあるんですけれども相対的に低い状況というふうに言えると思います。
ただこの場合文献作成は完全になくなるっていうことまではならなかったってことですね。比較的続いたと。実際1000年前後にはなかなかの文筆家、執筆家が出て、古英語文献を実際残してますよね。なので完全停滞したわけではないという話ですかね。
英語史の重要性
そうすると950年から980年の時期と、その後も多少停滞したとは言っても英語は書き続けられて、かなり多くのテキスト、古英語テキストが残されたっていうことかと思うんですが、まさにこの時期の英語が古英語の典型として現代にも残されて、
いわば英語史を描けるっていうのは、この古英語時代の文献があったからこそなわけですよね。そういう意味ではこのバイキングの活動との連動っていうのがなかなか面白い相関関係だなと思いますね。お話ありがとうございました。