映画『グリーン・ナイト』の背景
英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。 英語史の面白さを伝え、裾野を広げるべく日々配信しています。
11月27日、日曜日です。 皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
英語の語源が身につくラジオheldio。 本日は、昨日生放送でお届けしました
【再】【ヴァナキュラーなグリーン・ナイト 岡本&堀田の対談】と題しまして、 立命館大学の岡本博先生と、映画【グリーン・ナイト】と、その原作
【サー・ガウェイン&グリーン・ナイト】の時代背景、英語史的、英文学史的な観点からの時代背景について、1時間
みっちりお話ししました。 朝10時からだったんですけれども、ライブで参加していただいた皆さん、ありがとうございました。
大多数の方は、こちらのアーカイブという形で聞くことになるかと思いますが、 映画【グリーン・ナイト】の見どころ、ネタバレはできる限りしないような形で、見どころを教えていただきました。
岡本先生は字幕監修という立場で、この映画に関わっていられるということで、原作との移動であるとか、当時の14世紀後半、イングランドの言語事情ということも含めて、かなり濃密な議論ができたかなと思います。
最初の10分くらいですかね、マイクの調子で岡本先生の声が小さく聞こえてしまうということで、これは私自身のマイク設定のちょっとしたミスに起因するもので、すみませんでした。それ以降はだいぶ大きな音になっているかなと思います。
映画関連の情報は、このチャプターにリンクを貼り付けておきます。次のチャプター本編になりますけれども、そちらには岡本先生に関連する情報へのリンクを貼り付けておきますので、ぜひご覧ください。それでは、チャプターを変えまして、生放送の様子をお聞きください。
おはようございます。本日は、ワナキュラーなグリーンナイトと題しまして、立命館大学の岡本裕樹先生と私、ホッタとで生放送をお送りします。
すでに予約済み、予告済みなんですけれども、今日はですね、映画グリーンナイトが昨日公開になったということで、全国労働省ということで、こちらの字幕監修を担当されました、岡本先生とたっぷりこの映画について、そしてその背景にある原作についてですね、今日はお話ししたいと思います。岡本先生、おはようございます。
おはようございます。
今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
いよいよグリーンナイトが始まりまして、昨日ですね、今ちょっと前に雑談してましたが、さすがに岡本先生はもう行ったと、行かれたと。
そうですね。
京都の方に、京都シネマというところにですね、学生を連れて。
昨日ですよね。
そうですね。
昨日の夕方だったので、まだちょっとあれですけども、非常に会場が盛り上がってました。
ポスターとかものすごいでかい、カペストリーみたいな。
そうですか。私もね、昨日の今日なのでまださすがに行ってないんですけど、来週、大学院の学生と見に行く予定なんですね。
私も非常に楽しみにしていて、このためにといったらあれなんですけど、今季はですね、この原作を中英語作品を授業でも取り上げているということで、圧が高まっている感じで。
今日の対談でいろいろと伺った上で、来週来たいなと思っているんですけれども。
ということで、今日はそのグリーンナイト映画上映開始記念ということもありますし、この作品の原作ですね。
主にその背景ということであるとか、字幕監修されたということで、その際のご苦労であるとか、どういう問題があったかというような、ネタバレはしすぎない程度にいきたいとね。
思うんですけども、これから見られるという方が大半かと思いますので。
まずですね、岡本先生のご紹介と言いますか、簡単にお話ししたいと思うんですけれども。
岡本先生はすでにこのオボイシでも何度か対談させていただいていまして。
前回は夏9月ぐらいでしたかね、お話しさせていただきました。
で、だいたいですね、今回のそのグリーンナイトの字幕監修ということで、前回も関連する話題ということだったんですけれども。
ある意味ではその第2弾というような、今日は回となります。
岡本先生は、この顔円鏡と緑の岸ですね、この原点にあたるものなんですが、これは広くアーサー大物語の一環と考えていいわけですよね。
そしてこのアーサー大物について本を書かれておりまして、岡本博紀先生とそれから小宮真季子先生が編で、いかにしてアーサー大は日本で授業されサブカルチャー化に君臨したか。
長いのでイカアサと呼び名をしているわけですがね。
こちらが2019年に水木書林から出ています。
それからですね、先生は中世英語英文学研究ということで、広く専攻されている研究分野の名前なんですが。
菊池清明先生と岡本先生とで、中世英語英文学研究の多様性とその展望という本を旬風写より2020年に出されています。
このように中世英語英文学研究でとりわけ、最近ではアーサー大物ということで非常に活発に研究活動と。
中世英語の特徴
あと今回もそうですけれども、広く一般の人々にこの中世英文学とかアーサー大物ということを広めていらっしゃるバリバリの研究者ということなんですが。
このイカアサの方は反響というかどうだったんですかね、2019年に出た時の。
そうですね、非常に多くの方に呼んでいただいたようで。
こんなに日本のある種文化、影響を及ぼしているのかというか。
ゲームアニメとか。
いろいろ西洋の伝説とか神話伝説というのは使われていると思うんですけど、その中でもアーサー王とか国王神話というのはすごく日常風景的なものがありました。
そうですよね、やっぱりサブカルチャーとしていかに需要されたかというぐらいで、需要もあるんですよね。
需要があるから需要されたということで、日本人が好きなタイプの話と言いますかね、文化があるのかなという気がして。
今回もこの映画グリーンナイトもですね、そのような文脈の中で見るとですね、日本でどう見られるのか。
このあたりは非常に面白い問題だと思いますよね。
物語の内容そのものはどこまで、映画版ですよね。
多少その原作からとは完全に一致しない部分であるとか、もちろん映画ですのであるわけなんですが、どこからいきましょうかね。
まず今日の話としては、原点がいかにして生まれて、そして今まで読み継がれ、そして映画化もされということかということで。
大きくこの生まれた14世紀後半ですけれどもね、このあたりであるとか、原作についてはほとんど知らないという方が多いと思うんですね。
ですので映画を見る際の立ちになるようなと言いますか、いうことを色々と今日はお話ししたいと思うんですけれども。
まずこの作品はもともとはサーガウェイン&グリーンナイトという、このタイトル自体は近代になってから学者がつけたもので、原作にはないわけなんですけれども。
これが14世紀後半で生まれたと。このあたりの背景と言いますか、何かお話しいただけますでしょうか。
映画も実は冒頭でですね、これ予告で出てる。この土地で語られてきた言葉で、大胆な武勇を語ろうっていうような、そこに背景に王様がいるような形で、
たまに火がパッとつくような予告編なんですけど。実はこの土地で語られてきた言葉でっていうようなところというのはまさにこの原点の暗号島の部分にあります。
そうですね。
つまりそれが英語ではあると思うんですが、この作品っていうのは14世紀後半末に書かれてるんですけども、今の英語の状況とはだいぶ違ってですね。
中世の英語というのは、それこそ今日バナピュラーという言葉もありますけども、土着言語、地方言語というのは、今みたいにこのある意味、威信というか威厳というかそういったものをまとってない、特権がされていない言語であったっていうところは非常に違いという意味では重要かなと。非常にマイナー言語。
そうですよね。ここがたぶん現代の読者だったり、映画もですね、見る方に分かりにくいところで、まあ600数十年前っていうことですよね。
600数十年前には英語は今のような世界語では全くないし、世界語というよりもイングランド、一国の中でもまだですね、一発の言語ではないというか、いわゆる国語として自信を持って言えるかどうか怪しいというような位置づけだったわけですよね。
やっぱり当時はまだフランス語とかラテン語っていうのがイングランドでは主流であったということ、ヨーロッパ的にはラテン語というか、東洋言語でありラクカク式語であったということで、やっぱりローマカントリックの影響下にあるので、ラテン語というのが今の国際英語っぽいような機能を果たしていた。
英語というのは本当に中央の敵地の一民族の話し言葉であったというのが前提でありました。
そういうことですよね。
この作品でさらに、先ほどこの土地でって言ったときに面白いのはですね、イングランドの中でも英語自体がマイナーなので、イングランドの中でもこの作品は実は敵地のと言いますか、北西の地方言語で書かれているっていう、そういう二重のローカリティーはあるし、ヨーロッパ的に見ればですね。
そうなんですよね。その二重のローカリティーの話に絶対今日持っていきたいなと思ってたんですよ。早く出ましたけどね。
ワナキュラーなグリーンナイトというタイトルで、今回の生放送なんですけれども、ワナキュラーについてもう一度、前回もこのテーマで話したんですが、おさらいしておくと、今岡本先生が言われたような土着の言葉で通常話し言葉ですよね。
書かれるっていうことは普通ないというのが前提で。
もう一つわかりやすくなるように述べると、要するにラテン語に対してワナキュラーっていう関係ですよね。
ラテン語はとにかく偉い威信のある言語で、他の言語はもう敵わないぐらいに中世では影響力、威信があったと。
これに対してその配下の言語はすべてワナキュラーと考えて基本的にはいいんですよね。
なのでヨーロッパ中で今では名立たる英語とかフランス語とかドイツ語スペイン語イタリア語ですけれども、これは当時はまだワナキュラーズと言いますか、しもじもの言語の一つという。
英語もそうだったわけで、かつその英語の中でもロンドンの英語っていうと、たとえば少しずつ14世紀後半って、少しずつですが標準の芽生えみたいなものの種みたいなのがまかれていて、
その際にやっぱり偉いと言いますか、それなりに見栄えがするのはロンドンの英語だっていうことになっていて、
全くの同時代人なんですが、ジェフリーチョーサー、カンタヴェリ物語、彼はロンドン英語で書いてるわけですよね。
それに対してこの原作者、ちなみに今回のガウェイン京都ミドの騎士ってわかってないわけなんですけれども、
方言からするに北西イングランドあたりじゃないかということですね。
なので当時の発想からしてもやっぱり田舎も田舎というところなんで、
威信のない英語の中でもさらに田舎臭い言葉で書いているという。
その冒頭でこの詩人がやっぱりこの土地の言葉で使われてきたっていうか、みんなが話してきたこの物語を語ろうって言ってるのに、
非常に自信とか矜持も垣間見えるんですけど。
ありますよね、確かに。しかも詩という形で書かれてるんですね、原作は。
同時代人であるジェフリーチョーサーも同じように詩で基本的に書いたんですけれども、
使っている詩の形式のタイプっていうんですかね、これがもうまるで反対というかアンチなんですよね。
スタンザの最後のほうにもちろんチョーサーが使ったような脚印もあるんですけど、
基本的には、いわゆる頭の音を合わせた音韻という、そういう技法を用いている。
実はこれが英語、元来の脚印の見方であった。
そうですね、今となっては洋楽の歌詞もそうですけれども、ライムっていう脚印のほうが英語では一般的というイメージが強くて、
印といえば脚印でしょうというような発想になってますが、これ自体は大陸から入ってきた、
元来の英語のものじゃないんですよね。
元来のものはゲルマン系の詩音がよく響く言語群なので、ゲルマン語っていうのはね。
英語では本来、後英語から中英語にかけて、この頭音ですよね。
頭の詩音で踏むということが使われてきたわけなんですが、
もうこの時期と言いますかね、中英語の後半ですけど、14世紀後半ですと、
もう頭音も本来的には下火になっていたと言いますかね。
頭音の最盛期はやっぱり後英語ですよね。1100年ぐらいまでの。
それ以降は廃れるかなと思いきや、ちょっとリバイバルというようなね。
あるいはサバイバルというべきか。
ヴァナキュラーの魅力
この時代にまで残っているんですが、かなり当時としても古臭いというか、
その土地、ローカリティへの凶事ということは確かにあるんだと思いますが、
なぜこの北西イングランドという田舎で古めかしいこれが残ったり、あるいはリバイバルしたりして、
この詩人はそれを利用したのかっていうのは、この辺はかなり大きな謎だと思うんですけれども。
非常に中央部で、ロンドンのほうで調査というのは客員を保護について、
それがある種主流と言いますか、国際的スタンダードにある種調査は、
英語という言語を押し上げたいという気持ちもあったと思うんですが、
かたや一方で、地方でガワイン詩人と言われているこの詩人が、
自国の伝統的な陶韻を使いながら、
しかも実はアーサーお物語というジャンルを用いているというところも、
一つ興味深いところなんですよね。
ちょっと待ってくださいね。
音声が少し聞きにくいという声もあって、
マイクのほうを調整してみますね。
これでいけるかな。
私の声大丈夫ですかね。
全部。
これでいかがかでしょうかね。
少しボリュームも上げて。
ではそうですね。
陶韻とかローカリティというお話なんですけれども、
中央へのアンチと言いますかね、
そんなこととかローカリティへの境地という話なんですけれども、
今の例えば日本の音楽シーンで例えると、
ポップスと民謡とか演歌みたいな、
そんな感じで捉えているんですけれどもね。
古臭いというか。
調査はどうも、
アリタレーション、陶韻というのは、
たまに使ったりはしてもですね、
やっぱりちょっと茶化しているところがあって、
登場人物、カンタヴェリ物語で、
陶韻を使ってルム、ラフ、ルフとか、
こういう陶韻を踏むなんてことは、
私にはできませんと登場人物に言わせていたりして、
ちょっとね、
斜めに見ているという感じがあるんですけれども、
逆に言えば、
ガウェインの詩人なんかもですね、
都市の年上がりの調査、
都市で流行っている大陸由来のものには、
ちょっと抵抗が持っていたとしても、
杉じゃないなという。
非常に今ローカリティーが強いという話なんですけれども、
実は陶韻というのも、
イングランドが原来のある種、
手法ということなんですが、
ただこの作品は、
フランス語もたくさん使われていまして、
そうですよね。
客韻も最後の部分で使っているということ。
あとですね、
ガウェイン郷という、
ガウェインが旅先、
地方のベルシラックの居場というのは、
旅をしていくんですけれども、
その旅先の宮廷の風景というのが、
フランスの流儀に従って何か人々が動いています。
通常アーサー王宮廷の方が、
豪彩に鮮やかに豪華に描かれてもいいんですけど、
むしろガウェインが壁地に向かった、
それこそイングランド北西部のあたりに向かった先の宮廷の方が、
なんかより詩人は力を入れて描いていて、
しかもそこが全く野蛮とか、
そやな雰囲気ではなくて、
むしろそこで初めてフレンチという言葉がですね、
出てきましたっけ?
そうですか。
日本の方がフランスのそういったものを継承しているかのようにですね。
なるほど。
それを皮肉と言いますか、
そういった地方性は高いんですけども、
この詩人は決して地方のところに留まった詩人ではないだろうと言われていまして、
そう考えていくと本当に意図的にこういう遠いんとか、
伝統的なものと新しいものっていうものをうまくブレンドさせているんじゃないかとは思うんですよね。
アーサー王の物語
そうですね。
そもそもが、
まずいくつかの要素がやっぱりこの作品には詰め込まれていて、
まずアーサー王ですし、
舞台がね、
ウェールズあたりを旅するっていうこともありましたし、
映画もアイルランドで撮影ということを聞いたんですけどね、
この辺も含めて、
ケルト的なものっていう土台がまず題材としてあるわけじゃないですか。
一方、このアーサー王者が大流行りしたのは大陸で、
つまりフランスで非常に盛んにフランス語で書かれ、
それに影響を受ける形で、
英語でもアーサー王者というか、
舞台としてはスタートはイギリスの地なんですけど、
一回外に出て流行ったものを戻したみたいな感じなので、
そもそもがフランス的な風土で発展して、
面白がられた作品なんですよね。
ありながら、
書かれている言語はこの先の場合、
英語というゲルマン系のまた言語ということで、
ケルトとロマンスっていうんですかね、
フランス的なものと、
それからゲルマン的といいますか、
英語みたいなものがミックスして、
このミックス度合いが面白いし、
しかも書かれている言語は先ほども意図的なのかもしれませんが、
ちょっと引きこもったような田舎の、
ゲルマンっぽいわけですよね。
ロンドンよりもずっとローカル色豊かなところで、
ところの方言で書いているっていうあたりが、
このミックス度合いっていうのが面白いなと思ってるんですけどね。
こういうミックス度合いがあるし、
バナキュラ的活力といいますかね。
なるほどね。
作品の活力なんじゃないかっていう気はします。
全部バナキュラですね。
ケルト語にしても英語にしても、
フランス語ですらまだ当時は、
イングランドでは地位が高いとはいえ、
ラテン語から見れば赤ちゃんみたいな存在ですよね。
ゲルマンの一部ですけど、
北欧ですね、コート・オブドゴっていうのも、
200、300ぐらい用いられています。
そうですよね。
緑の騎士は最後はデンジンの斧を持っているっていう。
そういうことですよね。
気になったんですけど、
やっぱり北西部はバイキングの影響もあったっていう。
そうですね。
イングランドの北部、
北東の方がより強いですけれども、
北西も含めて、
北の方は、
さかのぼること4、5世紀前ですけどね、
その原作ができたその時代に、
8世紀後半から11世紀ぐらいに、
北欧のバイキングに襲われたという地域なので、
その時の言語的遺産っていうのも色濃く残っている、
そんな地域の方言で書いたということで、
北欧色もちらちらと見られるっていうところはありますよね。
本当にミックスということなんですけれども、
逆にラテン系っていうか、
ラテン語の遺産みたいのって、
あまりこの作品では言われないと思うんですけどね。
どうですかね。
少ないですよね。
もちろん教会のミサとかそういった場面の、
キリスト教は思うんですけども、
もちろんラテン語はたくさん、
フランス語になったものが入ってると思うんですが、
でも確かに基本的にはやっぱり、
この騎士っていうのはキリスト教徒なので、
そういうキリスト教徒のガウェインと、
やっぱり緑の騎士っていう異様な、
異教的な面が対峙するっていうこと、
ラテン語はちょっと関係ないかもしれませんが、
そういった構図は基本的にはあると思って、
先ほどのケルトっていうのが異教的なものとして、
当時そんなケルトなんて言葉はないんですけども、
やっぱりそういう対峙っていうのはあるのかなと思います。
なるほど。ラテン語というよりはキリスト教という背景が、
強烈に当然入り込んでいて、
それを第4のミックスの要素の第4のものと見ると、
やはり少なくとも4つとか、あるいは北欧語も入れて5つですか、
ぐらいなものが混じっていて、
現代への影響
その辺りがバナキュラ、ラテン語の場合はあれですけれども、
それ以外多くはバナキュラのものが、
合わさって活力になっているっていうのは、
いわゆるロマンスですけれども、この作品も、
だいたい全て本当にロマンスに含まれているべき要素っていうのは、
かなり入ってますよね。きれいに。
最初の旅出しとか契約みたいのもそうですし、
色こいもあり、
最後に怪物退治みたいなモチーフもあり、
旅立ちもありということで、
騎士道ですか、霊説とかね、
だいたい入ってますよね。
その中で頂上現象といいますか、
グリーンライトそのものが頂上なわけで、
この辺が受けるんですかね、
いい感じに色んなものが詰まっていて、
誰が見ても楽しいっていう。
やっぱり映画がこれだけ、
結構色んな映画とか本案が出るのは、
そういった騎士道とか、冒険物的な要素っていうので、
いわゆるモンスター退治とか、
ゲームのRPGの素人の、
土台のような物語でもある一方で、
この作品は、
いわゆる騎士がモンスターを倒したりとか、
悪徳の騎士をバトルフィールドで倒したり、
ほとんどなくて、あるんですけど、
それはスキップされて、
むしろこの主人公が苦しむ、
気候に苦しんだりとか、
自分自身の内面の葛藤に苦しむというか、
ジレンマに陥るっていうようなところが、
非常に近代的な要素を兼ねているんですね。
敵は外じゃなくて、家にあるみたいな。
なるほど。
全部内包しているので、
まさにその辺りをこの映画では上手くついているというか、
中世の物語を現代風にした映画だと言われるんですけど、
中世の作品そのものに、
現代性が既に内包されているので、
現代の人がそういったものをある種リクリエイトしやすい土壌が、
このテキストにはあるんですよね。
なるほどね。
その辺り、確かにテキストを読んでいると、
冷静、内面的なものがすごく伝わってくるんですが、
映画化するって難しいですよね。
演技も含めて、内面の葛藤みたいな。
内面の葛藤ですね。
そうですよね。
最終的には、端みたいな、我々にもよく分かるようなテーマに繋がっていくっていうのも、
この作品はなかなか日本での需要っていうのはあり得るかなというような。
それ僕やりたいんですよね、正直。
端の文化とかが非常にこれ…
近いですよね。
通常のロマンスでここまで端を…
普通、端すべきことをやったりしたら、
騎士とかってある種の森に駆け出していって、
発狂するといいますか、
狂った、それこそウッドみたいなのがあるんですけど、
この作品はガウェインが端を内面に押し留めて、
それで一人赤面して身もたえするといいますか。
そんな感じですよね。
ここが非常に…
中世の作品、少なくとも、
中世イングランドのロマンスとかではなかなか見られないんじゃないかっていう気がするんですね。
そうですね。やっぱり異色ですよね。
当時書かれていたような、中英語国語での文学っていうのをいろいろ読んだりする中で、
明らかに異色といいますか、
いわゆるキャノンといわれる調査の物語とかをだいたい読んだ後に、
このような作品に移っていくという順番で読むことが、
我々の世界だと多いのかなと思いますが、
明らかにテイストも違うし、
先ほど述べたように言葉も同じ英語かと思えないぐらいに異なっているし、
詩の形態も違うっていうようなことなのでね。
対立はさせやすいですよね。
とりわけ調査のようなものと。
そういうふうに、だいたい論じられてくることが伝統的には多かったのかなとも実際思いますし。
そういう感じですよね。
もう少し時代背景を広げて考えてみたいなと思うんですけれども、
バナキュラー文学の復興
14世紀後半に一気に中英語の文学っていうのが花咲くわけなんですよね。
なぜこのタイミングなのかということとか、
しかも複数の、ラングランドとかガワーとかいろんなタイプの作家といいますかね、
物書きが現れてくるんですけれども、
それぞれ個性的で何が共通しているのかよくわからない。
英語で書いてあるってことは共通だと。
ただその英語とてだいぶね、方言が違う。
この時代に、英語文学といいますかバナキュラー文学が、
申し合わせたかのように一気に現れてくる感があるんですよね。
特に今の観点からよく読まれているものがっていうことなんですが、
この時代背景についてはどう考えればいいんでしょうかね。
そうですね、本当に14世紀末とか復権ということで、
もちろんフランスとのいわゆる百年戦争とかが起こったりとか、
国死病とかっていうところで、
庶民の人たちの言葉、その労働力に伴った彼らの日常言語っていうものが浮上してくるっていう中で、
国王も初めて英語で、自分の某が英語だったっていうのがこの後ぐらいに出てくると思うんですけど。
もう一つあると思うのは、調査を例にすると、
いわゆるイタリアのルネッサンスとかの流れで言えば、
俗語論っていういわゆるラテン語ではなくて、
その地域に根差した言葉を擁護するっていうような、
ある種その地方言語っていうのが、
逆説的ではあるかもしれませんが、
国際的なスタンダードになり得るというか、
少し調査がなんで、
他の詩人たちはある種マルチリンガルで、
フランス語とかラテン語でも書いている中で、
調査が英語でこだわったっていうところはある種、
英語にこだわることこそが、
これから国際的になるんで。
ヨーロッパの地方言語っていうか、
土着のその国々の生まれ育った人たちの言葉を使うことというのを、
主流にしていくっていうような流れが、
ヨーロッパ的にあったっていうのは、
一つあるんじゃないかなと思います。
なるほどね。
属語論、ラテン語という維新の言語に、
言語の多様性と文化の融合
下から立てつくと言いますか、
突き上げるかのような動きが各地に動いていて、
その一つの走りが属語論という形で、
イタリアから発生られ、
少し時間を置いてって言いますかね、
実は田舎なんで島なので、
発想が大体100年ぐらい遅れたりすること多いと思うんですが、
確かにそんな時期と符号するなということはありますかね。
世俗の王が、
法王ではなく世俗の国王が、
自らの言語を母語ですね、
英語に乗り換えて、
ある意味国民っていうのかな、
人々に英語を使っていいよっていう、
お墨付きを与えたみたいな、
ちょうどそんな時代ではありましたよね。
今の文脈でちょっとあるんですけど、
ワールドイングリッシーズっていうのもあるし、
スタンダードイングリッシュから派生したものっていうのが、
今後はむしろ重要で、
その土地土地で変化、変容した英語っていうのも、
もちろん尊重されるべきものだっていうような、
そういった流れと似たような。
めちゃくちゃ似てますし、
そこまで話を今日お呼ぶとは思わなかったんですけど、
そもそもが1年ほど前ですよね、秋に、
川本先生にお呼びいただいて、
大学の世界英語ということで、
私お話しさせていただいたんですが、
その時ぐらいから、
結構温めていまして、
中世の言葉の多様性、
中世ヨーロッパのと言ってもいいですし、
中世イングランド内でも、
ダブルローカリティって話があったと思うんですけど、
維新の順序、上から下までっていうふうに、
固定的にピラミッド型に固まっていたものが、
ちょっとずつ下からの突き上げみたいのが、
この14世紀末、イングランドで起こっていて、
それと今、英語の世界、
むしろ英語という言語が、
ピラミッドの頂点に立ったわけなんですが、
その下にうごめく世界の言語もそうですし、
英語内部でも、
例えばインド英語とか、ナイジェリア英語とか、
いろいろあるわけなんですが、
その辺が主張し始めてるじゃないですか。
ものすごく似ていて構図が、
中世と現代で6世紀ぐらいの差があって、
むしろその間に入ってる近代って、
こういう動きがなかったんですよね。
なので、我々から見ると、
現代から見ると、
近代を踏み越えて、
中世まで遡ると、
ものすごく似てるところがあって、
今後の英語がどうなっていくかっていうのは、
600年前は英語はまだ全然下の言語ということで、
逆に600年後の今は英語が一番上じゃないですか。
立ち位置は全然違うんですけど、
全体として起こっていることとか構図みたいなのが、
すごく似てるなということで、
かなり我々にとっても直接関わる話っていうか、
面白く解釈できることになると思うんですよ、
中世を参照すると。
はい、ここまで話を及ぶとは思わなかったんですけど。
それを無理やり、
無理やりって言ったらあれですけど、
グリーンナイトにある種、
やっぱりその中世のものがこうやって受けてるっていうのも、
非常にやっぱ、
早ような、
それこそバナーキュラーが先ほど言った、
いろんな民族とは言語とかがある種、
混じり合っている状態っていうか、
そういったものをもっと紹介していく、
見直していこうっていうようなことで、
このグリーンナイトの映画もやっぱりそういう、
民族的、言語的遺産がやっぱり入り込んでますし、
そういったものが、
近代を踏み越えていってからですけど、
中世のそういったものが復元してくるっていう、
英語の多様性も含めて、
なんかあるのかもしれない。
パラレル、いろんなところがパラレルだと思うんですよ。
今、実は温めてると考えているところで、
当然、パラレルっていうのは限界もあるじゃないですか。
時代が違うしとか、
コミュニケーションの規模もね、
今だと地球規模だし、
そこのあたりの移動って言いますかね、
どこが比べられて、
どこが比べられないかっていうのを、
今、いろいろまとめてる感じなんですよ。
これは似ているところを取って、
中世と現代を比較することはとても面白いと思うし、
一方、何が違うのかっていうことで、
それぞれの時代の特性が浮き彫りになるっていうかね、
特に現代を知るきっかけになるっていうか、
ここは面白いですね。
しかも、ダブルローカリティーの中でも一番下なんですよね、
ガウェインの言語っていうのは。
バナキュラーの中のバナキュラーみたいな、
一番下っ端みたいな。
な気がするんですが、
ちょっとその辺も、
今後もしかしたら見直されるかもしれない。
ただ、やっぱり写本的にも、
奇跡的に一つしか残ってないっていうのもあります。
基本的に中世の作品っていうのは、
現代への影響と比較
写本が残っている多さで、
その人気といいますか、
を測るっていう部分はあるとは思いますので、
そういう意味で、もっとローカルなものはあったとは思うんですけど、
残ってないだけでっていうことですかね。
このガウェインも結局、
奇跡的に残っている唯一の写本っていう、
ほんとにちっちゃめの写本で、
大抵はどっかの歴史の段階で、
焼かれたり噴出したりっていうことで、
この写本も、
あれですよね、
1731年のコットンライブラリーというところに入ってたんですが、
火事にあって、
かなり多くのものが消失して、
かろうじて、ベオウルフっていう写本も同じところに入ってたんですが、
ベオウルフの写本とかガウェインの写本も、
たまたま生き残ったといいますかね。
そういう意味では奇跡と言っていいと思うんですけどもね。
バナキュラという観点から見ると、
だいぶ見方変わってきますね。
それに維新が付されていない言葉と言えばいいですよね。
バナキュラって。
いつも役に困るんですよ、バナキュラって。
なので横文字でそのままバナキュラって言っちゃうんですけど、
ラテン語とそれ以外の言語という対立構造の中で、
下の方をバナキュラと呼ぶぐらいの定義で、
当時に関してはいけるのかなと。
その維新のなさとか特権に保護されていないが、
故に庶民の生活に近いので、
いろんな変化変容のエネルギーをある種内包している。
その部分を今、我々は非常に興味深く見ることができる。
それ面白いですよね。
構図としては、現代は英語一教に近いね。
有力な言語があったとしても数少ないですよね。
スペイン語とか中国語とかフランス語とか。
河川状態にあって、
日本語だってある意味1億2千万いるといっても、
国際的なわけではないので、
強力なバナキュラぐらいな感じで、
ほとんどの言語とか方言はバナキュラっていう。
強い一教的な言語があるとこの構図になるので、
かつてのラテン語バナキュラみたいな、
バナキュラという言葉が生きてくるのかなと。
もともとがすべて平等な状態であって、
一教みたいなのがいなければ、
バナキュラっていう表現自体も生まれないのかなっていう。
そもそも上に対して立て尽くした側っていう雰囲気は、
もともとこの用語に宿っているのかなっていう気はしますけどね。
パモ先生あれですよね。
バナキュラ文化研究会でしたっけ?
そうですね。
立命館大学の。
そちらの企画として、
昨年も読んでいただいたということなんですが、
あちらはどういう活動をされているんですかね。
いろいろ研究会とかも、
小規模ではありますがしたりして、
もう少し年に1回大きめの研究会をしたりとかもしようと思っているんですが、
その辺も含めてまたいろいろ企画をして、
バナキュラは本当に幅広く使えるというか応用可能な。
そうですね。
だと思いますので、言語文化を中心に。
それだけでももちろんないですので、
少し発信していけたらなと思います。
一つ切り口としては、
とてもエネルギーの源という言い方をされていましたし、
その対応性というキーワードともつながってきて、
上に対して権力に対して立てつく力みたいなね、
がんいっていうのもあったりして、
割と時代を、
社会を切り取るキーワードの一つにはなるのかなっていう気はしますよね。
だから日本語の中にあんまりそういう表現とか訳語が育ってこなかったのは、
何か違うのかなっていうところがね、
せいぜい日本語である標準語と各地の方言とかいう言い方で、
あんまり下から立てつくみたいな発想がやっぱり少ないのかなという、
日本国内ではという感じはしますけどもね。
非常に現代を読み取るのに面白いキーワードだなと僕も思っていまして、
この先生、論文を書かれて読ませていただいたんですけれども、
あれもバナキュラーの切り口からだったと思うんですよね。
すいません、すぐにタイトル出てこないんですけど。
今、バナキュラーでいろいろと論行されているということで、
私もワールドイングリッシーズみたいな話題、
今、わりと集中的に話したりする機会が多くなりまして、
英語史を研究しているものなので、
中世あたりと引っ掛けたいなっていうところがスタートで、
比較したら結構面白そうだぞということになってきたと。
そんなところですけどね。
グリーン・ナイトの挑戦
お聞きの皆さん、ライブでお聞きの皆さんも、
何か岡本先生にもし質問等があれば、
Voiceアプリより寄せていただきたいと思うんですけれども、
事前に2、3点質問をいただいていますので、
字幕監修という観点から岡本先生への質問で、
ネタバレにならない程度でお答えいただければと思うんですけれども、
字幕監修をされた際、特に言語的な観点から、
これは面白いあるいは難しいと感じられた点などございましたら、
教えてくださいっていうのがまず1つ目なんですけれども、
まずグリーンナイトが突きつける挑戦というのが首斬りなんですけれども、
要はクリスマスの時期に緑の大男がやってきて、
アーサーを宮廷陣に向かって、この一撃を
アーサーを首斬りにして、
要はクリスマスの時期に緑の大男がやってきて、
アーサーを宮廷陣に向かって、この一撃を
互いの首をかけた一撃のゲームをしようと言うんですけども、
その時の一撃という表現が、
ブローとか使って、原文でもそういう風にもちろん
一撃とか、斧を振り落とすとかっていう表現ですね。
これはたくさんあるんですけど、
実は首を全部切れって言ってるかどうか微妙と言いますかですね。
緑の騎士の挑戦、これが映画の方ではうまくいろんな表現が使われてるんですが、
そもそもこの一撃っていうのがどういう内容のものなのかっていうのは、
原文でもこれ研究があるみたいなんですけど、
片方の手には平和の象徴であるひいらぎの氷を持ってる、
片方に斧を持ってるっていうことで、
その一撃っていうのはもちろん斧を使うことなんでしょうけど、
片方の斧を使ってもいいんじゃないかっていうのも一つある。
振り落とすっていうのも、首を全部切り落とすって言ってるのかどうか。
この首切り自体、ゲームっていう扱いの中で、
それを受け手の解釈なんじゃないかっていうところがあるなと思って、
その辺の首切るっていうのが当たり前なんですけども、
もちろんそういったものがあったんですけども、
実はこれゲームなんで、
切り方は委ねられていたんじゃないかなっていう気がします。
なるほど。そんな議論があるんですね。
映画の脚色と実際の設定
知る必要があるんじゃないかなっていうか、
やっぱゲームなんですよね。
ある種のこのアーサー王陣営の、
要はこういう状況になったら人を殺めるというか、
もう切り裂いてしまうというような、
これがその後の風景とかの、
森を切り裂いたっていうのがいろんなところに繋がってくると思うんですけども、
なるほどね。
その辺の用語とか出てくるところは少し。
あとはやっぱりもう、最後ですね。最後の部分。
最後のセリフとか要注意というか、
ぜひ着目してもらいたいなという気がします。
この絵が最後の最後まで目が離せない。
最後がすごくクライマックスが秀逸だと思いますし、
ぜひその辺の、
決してセリフは多くないんですけど、
今から見ればニュアンス、暗示に飛んでいるセリフが多いなという気がします。
最後の最後というのはガウェインが発するっていうこととは限らず。
限らないです。
はい、後半のね。
じゃあその辺はお楽しみみたいな。
なんだって気になりますね、私もね。
作品解釈というか、首切りゲームの解釈って、
どこまで首を切ったのかっていうあたりですか。
それの動詞といいますか、
その辺をうまく映画では配音にしている気がしますね。
ありがとうございます。
もう一ついただいていまして、
映画の公式サイトに載っているあらすじや予告映像などから、
映画グリーンナイトは所々で原点とは異なる設定をされているように思います。
その中で特に面白いと感じられたものについてお話を伺いましたら幸いです。
はい、いかがでしょうかね。
最後の脱色。
道中にもいくつかエピソードがありまして、それは脚色。
なんかでも研究士の中でも議論になっているような、
キャラクターが出てきたりとかもあるんですけど。
ただやっぱり見どころとしては最後のあたりですね。
首切りの挑戦をどのように画面は最後に迎えるのかというところが非常に脚色が強くて、
まあ、ハクビというか。
なるほど。
そうなんですね。
基本的には本当に予告編も含めてネタバレがないですよね。
出てないので、やっぱり見に行くしかないという。
そうなんですよね。
逆に原点を忠実に反映していると感じられた点もございましたら、
ここはある程度もうちょっと話しやすいのかもしれませんが。
これはやっぱり大筋はやっぱり変わりません。
あとやっぱり力というかこの映画、映像ということで言えばやっぱり風景描写とか、
そういった側面もこの映画は踏襲してますし、
そのガウェインの地方への旅の光景というのがアイルランドで撮影されたというところも含めて、
まあ岩山であったり洞窟であったり、沼地であったり、
ある種そういう感じで、
そういった気持ちというのがある種、
孤独な旅が非常にそういう風景美によって演出されている。
その辺りは私も予告の文章なんか作ったことがあるんですけども、
じゃあこの中のこの先の動画で、
この元のキャラってちょっと字幕が難しいんで、
edayかなんていうのが残念なのかもしれないですね。
解釈の多様性と原作の魅力
もうおかしいですね、
そのあたりは私も予告の文章なんかを見て きっと見どころなんだろうなと思っていまして
作品の物語で言うと第2フィットっていうんですかね 第2幕に相当するようなところで
ガウェインはやられるの分かって旅をするわけですからね そのあたりが
作品的にはウェールズってことになってるんですかね
実際の撮影はアイルランドということで ここは楽しみに私もしてるんですけどもね
ありがとうございます それからですね 公式サイトの徹底解説キーワードっていうのがあったと思うんですよ
これ私も入ろうとしたらネタバレになるので 気をつけて入ってくださいみたいなのがあって
そこ入ったんですが これは特に岡本先生は絡んでいない感じですかね
基本的にそこはではないというか 拝見はしてますけど
ここも私も読んでしまったんですが 確かにネタバレっていうかどういうふうに原作と設定が違うかみたいなものも含めて
そういうことなんですね ここはキーワードという解説の部分なので もしかしたら関わられていたのかなみたいなところなんですが
そこはないっていうことですね
パンフレットもサイトで映画のですね
気に入られたら買って 僕も買いました
すごく豪華で そこにちょっとした文章は書かせていただいてますので
僕なりのこの映画のさっき言ったような 一番面白いところですか
それをある種書いてまして
本当ですね ネタバレを含む記述がございます
思わず読んでしまいましたけれども
ありがとうございます
ますます見どころを教えていただいた感じなので 楽しみに
来週 数日後になってしまうんですが 行きたいと思っています
この放送 生あるいはアーカイブでお聞きの方の方が圧倒的に多いかと思うんですが
こういった形で25日 11月25日に全国公開ということで 映画グリーンライト始まっています
その始まった翌日にあたる 今日ですけどね 26日に
映画の広告ということも含めてなんですけれども 時代背景
映画まではですね 見ても原作をね 読むっていうところまではいかないことが多いかなと思うんですが
日本語訳もあります それから現代英語訳もいろいろと出ています
これ結局 ネイティブの英語を読む方でも読めないですよね 原点は
調査だと頑張って読めるんですけど 同じ題ですね 同じ題なんですけど
今日もずっとお話ししていたようにですね だいぶ異なる 現代につながらない方言なんですよね
現代の我々が知っている英語に 調査の英語って直接大体通じるっていう風に
現代のロンドンベースの標準英語につながるので 読みやすいんですけれども
時間差は同じ600数十年でも こんなに読めないのかって 愕然としますよね 原文見ると
なので そういう距離感ではありますけれども 映画にご関心の方は
この時代背景であるとか あるいは日本語でも出ている訳と参照して
ぜひ読んでいただくといいですよね やっぱりだいぶテイストもね
違うくなっているっていうか 変わっている部分もあるようですので
楽しみが増えるんではないかと そんなふうにも思いますね
岡本先生 時間も迫ってまいりましたが 最後に何かありますでしょうかね 一言 この映画
そうですね この作品は本当に評価の高い作品で
それは やっぱり現代的に読んでも 読むに耐えうるといいですよね
あらゆる解釈が可能だっていうことが 一つ この作品の魅力だと思いまして
映画自体も これ何だったのとか これちょっと訳分からないなっていうところはあると思うんですけど
そのあたりはあるし 意図的に聴衆に考えさせるっていうか 解釈を委ねている部分だと
その究極なものが最後の場面にもあるとは僕は思うんですけど
そういうふうに この作品の最も原点を踏襲しているのは
いろんなモチーフとかキャラクターとかもちろんそうなんですが
全体的に見たときには解釈っていうか この作品がやっぱりさわさわに解釈できるっていう
そういったことを挙手的に見て 開かれた解釈を継承しているという
そういうオマージュの仕方が 本当にこれはこの監督さんがこの作品を学生時代から読んで
つけているところに現れてるなというふうに思います
なるほどね
クリスマスゲームなのでまさにこの時期からの
一つのクリスマスゲーム余興を この緑の騎士がしにやってくるということで
なるほど そういう狙いですか
そういう狙いであるということも 伝統によってホラー映画だとあるかもしれないんですけど
その一面で骨平なものとシリアスなものが同居している
その辺が音楽的にも音響的にも表現
そこも楽しみなんですよ ちょっと前評判を聞いたりして
見どころとか聞きどころみたいなのを含めて いろいろご解説いただきました
大きなネタバレはなかったかなと思いたいわけですけどもね
ぜひ映画館の方に聞きの皆さんも 足を運んでいただければと思います
岡本先生は同じこのガウェイン関係で
ニール・フィリップ町ガウェイン郷の物語に アーサー王の円卓騎士の回想という本の翻訳ですね
翻訳をもう間もなく出されるということですかね
これもこのクリスマスシーズンに クリスマス前には出ます?
出そうですか
そちらも皆さんお楽しみにして お読みいただければと思います
今日はダブルローカリティみたいな話から バナキュランなグリーンナイトの話になりましたかね
今まで2回ぐらいやってるんですが そこまでたどり着かないで終わっちゃったり
対談もしましたが 今日はいけたかなというところと
とても嬉しかったのはワールドイングリッシーズみたいな 現代との中世との比較って面白そうだなというところは
意見の一致を見ましたので またいろいろとお話しさせていただいたり 研究したりとかしたいと思います
それでは目一杯時間使いましたが 岡本先生本日は対談3回
エンディングです
今日も最後まで放送を聞いていただきまして ありがとうございました
60分みっちりの岡本先生との対談でしたが いかがでしたでしょうか
みっちりすぎてですね 最後岡本先生のありがとうございましたというお礼の挨拶もですね
プチッと切れてしまった形なんですが こちらで改めて対談いただいた岡本先生には感謝いたします ありがとうございました
グリーンナイトますます見てみたくなったという方も多いと思います
対談の内容と視聴者への呼びかけ
私もですね まだ見ていないということですので 対談を経て見どころを教えていただいたということで
本当に楽しみになってきました そして 今日の対談の中で私もとても嬉しかったのが
ダブルローカリティとかダブルバナキュラという部分ですね これは面白い切り口だなと思っています
それからワールドイングリッシーズという極めて現代的な21世紀的な話題と このガウェインの話 あるいはその原作の背後にある言語事情ですね
当時の言語事情 イングランドのみならずヨーロッパ全体の この辺りが十分に比較に値するというところに
岡本先生も共感してくださったというか 指摘くださったというのが大変心強くて 同じようなことを考えていましたので
また改めて論点を引き下げて対談したいなというふうに思った次第です
リスナーの皆さんにおかれましては 対談を聞き終えた後に思いついたコメント 意見であるとか あるいは質問も含めてなんですけれども
ぜひコメントをお寄せいただければと思います
また映画も見られた方は この放送会に戻ってきていただいて ここのコメントに投げていただくという形にすると
コメントがたまってきて コミュニケーションも活発になるかなという気もしています
いろいろお寄せいただければと思います
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ホッタリウイチがお届けしました また明日