COCOAトーク。シェア活で活力みなぎる人生と社会をつくろう。この番組では、人生・社会という畑を実り豊かにするために、理想の相棒関係を共に探求していきます。
こんにちは、パーソナリティを務めます、シェア活コミュニティCOCOAオーナーのNarminです。
同じく、パーソナリティを務めます、旦那のふくみんです。
COCOAトーク第25回目、始めていきます。
よろしくお願いします。
はい、Narmin'sオープニングホールが戻ってきました。
久々やったね。
シリーズもの、なんだかんだ、1ヶ月ぶりぐらいになるんじゃない?
陸走シリーズぶりだもんね。
そうね、ちょっと色々、今日から区切りよくというか、配信曜日も木曜日から月曜日に変わり、そして今回からまたシリーズの回というか。
でもね、なんかぴったりだと思う、今日という日に。
え、なんでなんで?
だってさ、月曜日じゃん。月曜日ってやっぱさ、なかなかエネルギー湧かないじゃん。
あ、もうテーマいっちゃいますか?
いっちゃう。
今回のシリーズのテーマは?
エネルギー変。
なに?私たちもどうなるかね、ちょっと。
わかんない。
わかってない部分もあるんだけれども。
エネルギーっていうのは、そもそもココアのオープニングコールでも言ってるけど、活力みなぎる社会と人生を送ろう。
作ろう。
じゃない?ただその活力のことよね、エネルギーは。なんかガソリンとかさ、電気とかそういうエネルギーではなくて、このみなぎる活力のエネルギーのことを今回は扱っていきたいなと思います。
人間のエネルギーについて、ちょっとシリーズとしてテーマにしていきたいなと思います。
お願いします。
早速、今回はいろいろなアーミンの方から俺にアウトプットをしていただいて、それに対してなんか俺が質問だったりとか、これってどうなの?だったりとか、なんかそういうのをさせてもらうっていう流れで。
させてもらうっていう流れで。
進めていけたらなと思ってます。
緊張してる?大丈夫?
やっぱりシリーズもの久々だからさ。
ちょっと調子取り戻すのにね。
ちょっとした台本みたいなのじゃ。あれに縛られそうだなっていう。
不器用な男ですよ。
そういうギクシャクも楽しんでもらえたらなと思うので。
じゃあよろしくお願いします。
はい、お願いします。
じゃあまず、人間のエネルギーについて話しますとなってはいるものの、なんかちょっと1回目っていうのもあって、ちょっとこう、なんでこのテーマなの?みたいなところがないと、ちょっとその何の話してるの?っていう風になっちゃうかなと思ったので、
ちょっと今回のテーマ、シリーズのテーマに設定した背景みたいなところを簡単に私からお伝えさせてもらうと、なんかね、すっごい深い理由があるわけではないの、今回は。
ただ、私エネルギーって言葉をよく使うなっていう自覚があるの。
そうなんだね。そんなに、なんか、俺は意識して聞いてないかもしれないけど、いや、ナーミンめっちゃエネルギーエネルギー言ってるわ、みたいな感じではない。
そうなんや。なんか、自分の感覚として、使ってる言葉をどういう意味で使ってるのかっていうのを、結構なんか言った後、喋った後に、今私はこの言葉をどういう意味で使ったんだろうって結構考えることが時々あって、
で、エネルギーって言葉を自分が使った時に、なんかすごくそう思う多分回数が多くて、エネルギーっていう言葉を自分はどういうふうに捉えてるんだろうっていうことに結構問いが立ったのね。
で、そのさっき言ったように、なんか電力とかもエネルギーだし、物理的なさ、エネルギーみたいなさ、なんか電気が使えて火が使えて、火もエネルギーなわけじゃん。
で、エネルギー定義で調べたら、なんか物理的なね、何か物を動かす時のことをエネルギーっていうみたいな定義が出てきたんだけど、なんかそれを私は火力とか電力とかでエネルギーってあんま使わなくて、どっちかっていうと自分自身が、
今日1日をエネルギッシュに過ごせたかとか、あとはコミュニティにエネルギーが循環してるかとか、なんか言葉変えると血が通ってるかみたいな、なんかそういうイメージでもあるかもしれないけど、なんかそういう時にエネルギーとかエネルギッシュ、日本語で言うと活力とか、なんかそういう言葉をすごく自分は使うなと思っていて、
でもなんかそれに対してすごく深めたことがないなっていうのも同時に感じたのよね。
なるほどね。なんか無意識で使ってるけど、どういう意図でこれを使ってるんだろうとかは深く考えたことがなかったってことか。
で、そもそもココアで言ってる活力がみなぎる人生と社会って何なんだみたいなこともそうだし、相棒関係っていうのが今探求テーマに設定してるけども、これが結局社会とか人間、自分自身の畑っていうメタファーでそれを実り豊かにする、すごく循環してる状態っていうのを私の中でイメージしたときに、
これを良い状態っていわゆるエネルギーが循環してる状態っていうふうになったときに、それが相棒関係によって達成されるというか近づいていく、なぜっていう。
なんかこう自分の中では言語化されてない感覚的な部分ではすごく一貫性があるんだけど、でも自分でじゃあそれを整理できてるかとか、一個一個がちゃんと紐づいてるかって言われたときに、実はあんまり深めたことがないなって思って。
エネルギーってなんなんやろうっていう日々があって、それでなんか本とかないかなーみたいな探して、なんかそれっぽいのを見つけたりとかしたので、ちょっと今回はそういう感じで、ちょっとエネルギー、人間のエネルギーというものをテーマにしてみたいなっていうふうに思い入れました。
国民がよく感じている、発しているエネルギーっていうものの定義だったりとかっていうのを言語化していくみたいな感じってことね。
ちょっと一緒に深めて、なんか国民の解釈とか国民がどう感じるかみたいなのも聞きながら、なんか私自身も、だから私エネルギーってこういう時に使ってたのか、こういう意味で使ってたのかみたいなところが、実は台本あるってさっき言ったけど、結論は出してなくて。
そう、こういうテーマで4回話せたらいいねっていうのは言ってるんだけど、そのそれぞれの結論はまだ何も設定しないから、このポッドキャストのやり取りの中で自分の中でどういう結論に至るのかなっていうことをちょっとチャレンジしてみたいなと思って。
おもろいね。ライブ感大事ってことね。
何しゃべるかわからんもん、自分で。そんな感じなんでちょっとガイドお願いします。
オッケーです。任してください。
じゃあ、エネルギーをナミの中で言語化していくみたいなところの中で、エピソード的な感じで話していくイメージ。こういう時はエネルギー巡ってたよね。じゃあそれはどういう時なのかとか、そんな感じのほうがやりやすいかな。
そうね、なんかココアを中心に見ていけるといいかもね。なんか自分がエネルギーが高まったタイミングとか、逆にあんまりエネルギーが出なかったタイミングとか、なんかそういうところを中心になんかふくみんのエピソードとかも聞きながら話していけるといいかな。
オッケーです。じゃあ、ナミがそのエネルギーになるものがみなぎってる時ってどういう状態なの?
みなぎってる時は、なんか基本テンション高いよね。みなぎってる時とか、なんか動きたくなってる状態?自分自身。
動くっていうのは何?筋トレみたいな?
筋トレも一つだし、例えばなんか、私がエネルギーが滞ってるなって一番感じるのは、やらなあかんことは山ほどあるのに、全然そこに向かって行動してない時っていう、それを自覚してる時に、なんか淀んでるなとか、滞ってるなって感じるのよ。
それエネルギーなんだ。
エネルギーなの、私の中で。よく見てるでしょ?なんかあれもやらなあかん、これもやらなあかんって口でずっと言ってんのに、早くやれよって思う時あるでしょ?
やればいいやんって思う。
ね、なんか多分みんな思うのよ。でも私の中では、いや、それできたらやってるんだよっていう風になるのよね。
それなんかエネルギーがすごく循環してないから、なんかため池の水みたいな感覚。
ぼうふらわいちゃうみたいな。
ぼうふらわいちゃう?
かの子供みたいな、要はそのなんか水の流れがないため池とかに、要は卵を産んで、そこで卵がかえってみたいな、ぼうふくふらがわくっていう。
そうなんや。でもそういう感じかな。なんかこうさ、とどまってるとさ、動いてないとさ、なんか汚れがたまったりする。なんか家でもさ、ほこりとかってさ、何もこう、誰も。
なるほど。
そう、なんか毎日動かすものの上ってほこりたまらないけど、ずっとその置いてはいるんだけど触ってないものの上にはほこりがたまるじゃん。
たまるね。
動いてないからよどんでいって、結果的に邪魔なものってあれだけど、そのほこりみたいな不純物が付着していくみたいな、なんか私の中でも動けてないときなり、動きたいってならないときって、なんかエネルギーがうまく循環してないなって感じる。
なるほどね。
っていうのはなんか一番自分の中のエネルギーって言葉をよく使うときのマイナスサイクルというか、うまくいってないなってときの状態かなって思う。
なんか今の話だけ聞いてると、循環してるかしてないかなのかなって思ったけどね。
何が?
なんかその、流れ。
ふんふんふん。
その、例えば顔の水みたいなのも同じような感じだと思うんだけどさ、流れ続けてるから綺麗ですと。
うんうん。
で、それが要は止まっちゃうとさっき言ってるみたいなため池みたいな形になって、流れないからどんどんどんどん汚くなっていく。
うんうん。
要はこれって流れてるか流れてないかの違いなだけじゃん。
うんうん。
そのナーミンが言う、こういう状態がエネルギーないよっていうのは、流れてるか流れてないかだけなのかなって。
確かに確かに。
だから状態としては、流れてるときってエネルギーが、なんかまずあるから流れられるっていうところと、流れてるからこそエネルギーが乗るみたいな。
なんかあるから流れ始めれるし、流れてるからこそ乗っていくみたいな、なんかこの2点がある感じがちょっと違う気がした。
そういう意味で、なんかそのエネルギーって言う言葉を結構私のなんかエピソードとして出てくるものかなって。
なるほどね。
なんか俺の中で、今の文脈で言うエネルギーは、もう完全に体力。
なんかその疲れてるか疲れてないかっていうのが一番大きい、俺はね。
はいはい。
その、含みにとってのエネルギーってこと?
そう。なんかその精神的なものとか言うより、生命力みたいな感じ。
体力、スタミナみたいなね。
そうそう、スタミナみたいなイメージ。
だからマラソン選手は42.195キロ走るだけのスタミナがあるけど、一般人はないよねみたいな。
そうそう。
総量が違うよねみたいな。
だからそれがなんか例えば仕事をするもそうだし、運動もするもそうだし、やっぱりなんか全てのこの源っていうイメージだよね。
だからそのナーミンみたいに、例えばそのなんだろう、溜め息状態だからエネルギーを感じないとか、なんかそういうのはない。
ない。
ないんや。で、なんかその体力の意味合いも分かるんだけど、ただそれだけ、私の結構陥ってた今までの状態としては、なんか体力はまだ使い切ってないの。
だからHPはあるのよ。あるけど、じゃあそのHPを使って一日を終えてる日がどれぐらいあるのかってなった時に、なんかいろんな他の滞ってるみたいな要因があって、
HPを使い切らずに毎日を過ごしてるなみたいな感覚があって、で、最近はそれこそいろんな活動が確立してきた中で、ちゃんとHPを使い切って一日が終わってる感覚がすごくあって、
それはすごく充実感があるの、私の中で。ただじゃあ次、でももっとやりたいことがあるってなった時に、このHPのそもそもの、何、尺というか、その総量を増やしていかないと、もうこれ以上のことできない。
で、その体力がないってなって、今体力を増やしたいってなってる。
なるほどね。
けど、この体力を使うか使わないかっていうことを判断するため、判断というか、なんかその自分が何かやりたいってなる上での源って、なんかまた別の観点があるような気がするなと思って。
なるほどね。なんかさっき言ってたさ、なんかその2人だったらやれるみたいなのって、なんかこう100の運動エネルギーが必要だったら50、50使いましょうねみたいな話じゃない。なんか俺の中では、その50、自分の50が×2になるみたいなイメージなんだよね。
自分の50が×2になる。
そう、なんか50、50使おうっていうわけじゃなくて、なんか誰かのパワーをもらうっていうよりかは、誰かとやると自分がパワーアップするみたいな。
へー、面白い。
そういう感じだけどね。
なんかこれさ、逆に、その1人でやったほうが100パワフルで使えるけど、誰かと一緒にやると、なんか自分のパワーがなんか阻害されるみたいな人もいるよね、きっと。
いるいる。だから本来は100でいいのに、なんか150ぐらいずつ削られながら、なんか誰かと一緒にやるみたいな。それはだから多分その人と相性が悪いみたいな。
相性が悪いとか、なんか誰かとやるよりも1人でやるほうが、実はその燃費がいいというか、その人にとっては。
なるほどね。
うん。なんかまあ少量のエネルギーで同じパフォーマンスを出せるみたいなイメージなのかなと思ったときに。
確かにそういうのあるかもね。
なんか私はすごく1人で出せる出力が弱い感覚があるの。
はいはい。
でも、一気に誰かと掛け算したときに、なんか私って結構エネルギーあるんやなって思うことが多くて。
なるほどね。
で、それが実際多分周りからの見られ方ともなんか一致してる感覚がある。
なんかナーミンはすごいパワフルだよねみたいな。
はいはいはい。
なんかすごいいろんなことしてて、いろんな人と関わっててしんどくないの?みたいな言われたりするんやけど、私は逆に1人でやるほうがエネルギーめちゃくちゃしょぼくなるから。
だから掛け合わせられて初めて活かされるなんかエネルギータンクみたいなものがなんかあるような感覚が。
なるほど。いやなんか電気と一緒なのかもね。
え、どういうこと?
なんか電気ってさ、その電圧と電力と抵抗みたいなのがあって、なんかそれぞれの掛け算がなんか何かになるとかなんか。
何かになるとか。
あんまりそこらへん詳しくないけど、そういうなんかいろんな要素が組み合わさって最終的なナーミンのエネルギーになってる。
はいはいはい。出力としてね。
そうそうそう。だから抵抗がなんかそこにはあって、その抵抗がプラスとかマイナスとかに働くと途端にエネルギーしょぼくなるみたいな。
確かに確かに。だからその必要な要因として、私はその環境要因が結構大事だなっていう。そのさ、才能の取説とかでもさ。
はいはい。発動条件。
自分の才能が発動するためにはなんか他者の何かが必要みたいなのはすごく感じてて、それってきっと私だけじゃないなっていうのは見てても思うのよね。
例えば仕事だったら頑張れるけど、プライベートになるとあまり活動的じゃないみたいになるときって、仕事だと関係者がいるからちゃんとやらないみたいな気持ちも働く。
ある種プレッシャーがあったりとかするけど、なんかプライベートで自分が何かいつかやりたいなと思ってることって、それをやろうと思うだけの動機づけがなかったりとか。
なんか例えば、今私バンドやりたいみたいなことをめちゃほざいてんねんけどさ、歌が好きだから、歌うことが好きだから、歌うことをもっと自分の人生の中に取り入れたいな。
でもなんか一人で歌っても面白くないな。ミセス・グリーンプルの大森くんと私同い年だから私もバンドやればいいかみたいな、なんかそういう思考のあれでバンドやりたいっていうことだけを言ってるねんけど。
それも、じゃあやればいいじゃん。他人から見たら。でも私はやってないのよね、今バンド活動は。
でもやりたい。これってなんか他のやってることと何が違うのかっていうと、自分だけがやりたい、もしくはやらなくても誰も困らないみたいなものなのか、やらないと誰かが困ったりとか、やることでめちゃくちゃ喜んでくれる人がいるってわかってるとか、なんか私がやるのを待ってるとか、
なんかそういうその外的条件が、なんかある種自分のエネルギーをどこにどう使うかみたいな、なんか配分をオートでやってる感覚もあって、だからそれをなんかもっと自分自身の喜ぶこととか、後悔のない人生にみたいな言うとちょっと重くなるけど、
なんかよりその実り豊かな人生にするためのエネルギーの使い方ってなった時に、そこの何にどのように使うのかみたいなところの考え方って、なんかすごいエネルギーを考えるの大事なのかなっていう。