2025-12-13 23:51

#100 懺悔する1日と出版への想い

#きゃっと出版への道
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サマリー

このエピソードでは、絵本作家のきゃっとえいぶるが心の内面と向き合い、自身の価値観を再確認する重要性について話しています。また、大阪でのカリンさんとのお茶会を通じて得た気づきや、自己投資を振り返りながら懺悔の方法を紹介し、出版への情熱にも触れています。今日のエピソードでは、懺悔を通じて自己理解を深める重要性が語られ、出版に向けての考えや自己表現の大切さにも言及されています。

心の大事にすることの重要性
こんばんは、絵本作家のきゃっとえいぶるです。
今日はですね、結局自分の心が何を大事にしたいかって思うことがすごく大事なんだなぁと思ったという話をしたいと思います。
今日はですね、カリンさんでですね、カリンさんのお茶会に大阪まで行って、
それで2時間ぐらい大阪でお茶会をした後で、トンボ帰りで関東に戻ってきて、
お急ぎでご飯を食べ、お風呂に入り、夜はカリンさんと福本春さんの年末リセットをする会みたいなものに参加したんですよね。
なんかそのね、昼間にカリンさんから、なんかその懺悔の方法というか、
なんかこう自分の心とか体とかお金とかが大きく動いたものに関して、
なんか自分がそれを、なぜその時にそれをやろうと思ったかって最初の期待値って言ってたんですけど、
自分が最初にやろうとするってことは何か期待してやろうとしているっていうことじゃないですか。
それがいい結果の時はまあいいけど、それが期待通りじゃなかったものとかに関しては、
それがどうして、どこからそれが間違っていたかとか、
何が期待していたのが自分のこう、なんていうのかな、
外れパターンというか、なんかこう負けパターンというか、
なんかどういうところが、なんか自分がよく失敗してしまうところなのかっていうのを、
心のエネルギーのロスとかを考えながらね、それを見ていくっていう懺悔の仕方を習ったんですよ。
それでね、今日はね、昼間の回はリッツカールトンでね、ビュッフェを食べるっていう感じだったので、
すごいおいしいものがいっぱいあったので、いっぱい食べて、その時は食べながら、
なんかこんなふうにやるんですよ、みたいな話を聞いてたんですよね。
それで帰りの電車の中で、そのワークをもとに、
なんか私はその1年間、今年1年間ね、少し前の配信でも話したかと思うんですけど、
ちょっとありえないぐらい自己投資をしまくってしまったんですよね。
それでそれを一つ一つ振り返って、
これは自分にとって良いと思える投資だったか、それとも後悔しているか、それともいいと思っているか、みたいな感じのことをね、
一つ一つ確認していったんですよ。
時間の都合でね、全部、1年の全部はちょっと振り返られなかったんだけど、
ほぼほぼ1年、11月半ばぐらいまでのほぼ全部の、
1年間の活動をまとめた紙を作ってたので、それを一個一個検討してたんですよね。
それで金額だけの話でいくと、
今年すっごい本当に自分でちょっとバカじゃないのって思うぐらい自己投資しちゃったんだけど、
それのうちの8割は、私これやってよかったってすごい心から思ったんですよね。
すごい金額が大きいんだけど、
これは私に必要な学びだったって心の底から思えるっていう感じがあったんですよね。
5%ぐらいは、良いとも悪いともちょっと判断どうしても効かねるなみたいなものが5%ぐらいあって、
残りの15%ですよね。
15%って聞くと少ないような気がしちゃうかもしれないんだけど、
元々その母数というかが大きいので、15%相当あるんですよ。
逆に今8割方は自分で納得した出費だったっていうのにちょっと安心はしたんだけど、
15%ははっきり言ってちょっと無駄だったかなっていうか、
無駄って言ってもね、
例えば自己投資だったら投資する講座とかセミナーとかあったりすると思うんですけど、
その人そのものがすごく悪かったっていうのではなくて、
私がそれをちゃんと受け止められるだけの時間とかそういうものが作れなかったとかそういうことなんですよね。
いろいろそれがどういうところから起きているかっていうのを見たら、
結構それが割とその15%のものはだいたい一致していて、
これが敗因だなっていうか、すごくそういうのはありましたね。
共通するものみたいなものはあったなと思って。
やっぱり中途半端にやったらダメだなってすごく思いましたね。
ちょっといいなって思うとすぐに飛びついてしまう私の悪い癖があるんだけど、
でもちょっといいなぐらいで始めてしまうと、
結局その後でもっと本命のこれをやりたいっていうものが出てきたときに、
結局それだけちょっといいなっていうのが無駄になっちゃうんですよね。
例えば、今年後半というか今年3ヶ月間出版をやるって決めたので、
出版にすごいリソースを割いたんですよね。
それはすごく徹底的に出版にコミットしたというかっていうのがあるんですけど、
そうすると結局その間にやってた他のこととかが結局リスキリスキみたいな感じになって、
それは相手にも迷惑をかけてしまったなっていう思いもすごいあって、
私が中途半端な気持ちで始めてしまったことが他の人にも迷惑かかって、
自分もちゃんとそこから受け取れなくてっていうのもやっぱり良くないなっていうのをそう思ったんですよね。
出版への情熱
いくつかこういう傾向がこういうパターンがあるなっていうのを思ったんだけど、
まず、いつでもできるって思っているものは一生やらないっていう私の意思の弱さというか、
これは多分きっとできる方はできるんだろうなと思うんだけど、
いつでもできると思っているものって全然やらないんだなっていうのはすごい感じましたね。
本当これ私の悪い癖だなと思うんですけど、意思が弱いっていうのもあるのかもしれないなと思うけど、
あとね、なんか結構私なんかでその羨ましいっていう気持ちがなんかすごくあるなと思っていて、
なんかこういう風になったらいいなとか、なんかすごいキラキラして見えるというか、
なんかすごく楽しそうに見えたりとか、
楽しそうに見えるっていうのはまあいいことなんだろうけど、
表面的なものを見ている時っていうのは結構失敗しやすいんだなぁと思ったんですよね。
なんか表面的になんかこう、
なんていうのかな、なんか、
なんて言ったらいいんだろう、なんか楽しそうな、全部楽しそうと思ってやってるんだけど、
それがなんていうのかな、動機がちょっと不純だったり、動機が不純って言ってないかもしれないな、なんて言うんだろう、
なんかその表面的なものしか見てない時っていうのはやっぱりなんか失敗しているなっていうのがあって、
であとすごく、これはねちょっと悲しいことでもあるんだけど、
友達の友達は友達とは限らないっていうのが結構衝撃的な事実となって、
私ストーリングファインダーとかでは共感性とかが1位にあったりするから、
すごい人との関係っていうのをすごく大事にするタイプなんですよね。
すごく、なんていうのかな、人の気持ちとか結構考えるというか、
共感しちゃうというか、常に考えてしまうっていうのがあるんだけど、
だからそのみんなと仲良くしたいとか、そういうのすごくあるし、
この人がこの人のことをすごくいいって言ってるから、きっとこの人は素敵な人なんだろうなって思うとかあったりするんだけど、
でも結構私、あんまり心が広くないなって思ったりするんだけど、
なんていうのかな、なんかこう、やっぱ、なんていうのかな、
人の、この人がこの人のことをすごくいい、仲良くしているっていうのがあっても、
なんかちょっと違和感感じる人だったりすると、
なんかそこに対する違和感って結構残ってしまうんだなっていうのは、なんかすごい思ったりして、
それはね、誰が悪いとか、なんだろう、とかね、なんかそういうものとはちょっと関係なくて、
でもそれが、なんていうのかな、そういうことってあるんだなっていうのに思ったんですよ。
なんかだから、なんだろうな、なんかそう、
なんかこう、自分の大事にしたいものを大事にしていけばいいし、
なんかその、他の人の意見を見なくていいって言うとなんか語弊があるかもしれない、なんかうまく言えないんだけど、
なんかその、自分の心の本音に素直になればいいんだなっていうふうになんかすごい思ったんですよね。
なんか結構つい人止めとか禁止しちゃったりしちゃったりするんだけど、
なんか結局は自分がどうしたいかなんだなっていうのがすごい思ったんですよね。
なんか、その、そういうふうに思いながら、それで帰りの新幹線の中でね、なんかそういうことを思って、
で、それで、なんかこう、なんだろう、今出版のこととかね、今頑張ってやっているんだけど、
なんかそのね、なんかその出版のね、課題図書、課題図書というわけではないか、
なんか参考としてあげてもらった本が3冊あって、で、その3冊が割と衝撃的な内容だったりして、
まだ最初の本しか全部読んでないから、なんかもしかしたらいろいろ違うかもしれないと思いつつも、
なんかその結構衝撃的なところがあったので、
え、私、これ、これを私は目指されているというか、これこうだって欲しいと思っているの?みたいな感じがあって、
すごいこうショックを受けたりとかもしてたんですよね。
それで、で、なんかそれとはまたちょっと別件で、なんかあの、レターをね、いただいたんですよ。
ちょっと匿名の方だったので、あの、なんだろう、あの、どなたが送ってくださったのかっていうのがちょっとよくわからないから、
どういう方がおっしゃっているのかとか、どこを見てどうそうおっしゃったかとか、それはね、ちょっとわからないことなんだけど、
アンチコメントとかそういう感じじゃなくて、なんか通りすがりのものですか?みたいな感じで、
なんかお話しされてたというか、レターをいただいたんだけど、なんかその、その出版は確かにすごい大きいことかもしれないけど、
その私の心の、こうなんていうのかな、心に、なんか、あの、で何が作りたいかが大事なんじゃないですか?っていうようなレターをいただいたんですよね。
懺悔を通じての自己理解
ね、それがちょっと今日一日引っかかってて、なんか、なんかその、なんて言うんだろう、確かにその通りだなって思ったりもしたんですよね。
ね、なんかそう、そういう、いろいろな、いろいろなというか、その、今日一日懺悔をしたことによって、なんかその、なんだろう、
自分で大事にしたいものを大事にすればいいんだなと思ったとか、なんかそういうふうなことの上でね、なんか、なんかこう、
ちょっとこう、心の距離を離して、その、そもそもその課題図書というか参考にしてみてほしいって言われた本が、
自分がこう、何を求められてその本をいいと言われたかっていうのを、なんかちょっとちゃんと読もうと思って、
で帰りのその、その新幹線から降りて最寄りの駅まで行くまでの間、その本を読んでたんだけど、
そしたらね、なんか、あ、そっかって思ったんですよね。その、内容を同じような内容にしなきゃいけないとか、語り口を同じようにしなきゃいけないとか、そういうことじゃなくて、
なんかその、たぶん、その、本の作者の人が、その本音を話しているっていうところ、
で、その本音がすごい強化を呼ぶっていうことなんだなっていうのは、もしかしたら違うかもしれないけど、私そういうふうに解釈して、
まあちょっとまだ、まだ全然読み途中なので、これからも読んでいかなきゃと思ってるんですけど、
結局その心の動き、自分がこうどういうふうに思って、どう思ってるかっていう、心の動きっていうのが、なんかすごく求められていることなのかなって思ったんですよね。
で、私結構、昔から自分は何で生きてるんだろうとか、何で生かされてるんだろうとか、いろいろね、あの、結構小学生の頃から、なんかすごい考えていて、で、ずっと生きていくのが辛かったんですよね。
たぶん、30、32、29とか、20代ではあったか、20代、27、8ぐらいまで、小学校4年生ぐらいの時からも、なんか死にたいっていう気持ちがすごい強くて、
で、それで27、8ぐらいまでそういうのずっとあったんですよね。で、それで、でも、そのぐらいの時から、なんか生きようって決めて、で、まあそこからもいろいろ迂々曲折を経て、
で、それで、数年前に、なんかすごい生きるって素晴らしいって思うようになって、今に至るっていう感じなんだけど、で、なんか結構その、何ていうのかな、その、何で生きづらかったのかとか、なんかその、生きてて素晴らしいって思うのは何でなんだろうとか、
そもそも何で生きてるんだろうっていうのって、たぶん答えて、なかなか答えてあるようでないようなものかなとは思うし、今何で生きたいと思ってるかっていうのも、なんか自分でまだ答えて出てないのかもしれないなって思ったりするんだけど、
でも私にとってやっぱり制作することが生きることだなって、なんかすごく思ったりするんですよね。だからそういうのを、そういうことを私の言葉でちゃんと伝えるっていうことを、その求められているのかなと思ったんですよね。
で、それは、求められているっていうだけじゃなくて、私のメッセージとしても伝えたいっていう思いがあって、まあでもそういうことを求めているかどうかっていうのがわかんないからなんとも言えないんだけど、でも、なんかその、何て言うんだろうな、なんか、
まあもちろんね、本って商品だから売れるものを書かなきゃいけないとかね、なんかそういうのはもちろん制約としてあったりとかはすると思うんだけど、そういうものの以前にこれを伝えたいっていうものをやっぱり、
これを伝えて、これがちゃんと伝える意味があるものですっていうのがあって、なおかつそれが読み手の心を引きつけるものだったりするっていう、それの要素をどれもかけちゃいけないんだなと思っていて、
今まで割とその、商品だから売れるものを書かなきゃいけないっていうプレッシャーがすごくあって、プレッシャーといってもまだ全然書く段階じゃないんだけど、そういうものを作らなきゃいけないんだっていう焦りみたいなものがすごくあったから、
売れるものってどういうものなんだろうっていう思いがあったりとかしたんだけど、もちろん売れるものを作らなきゃいけないっていうのは大前提としてはあるけど、結局何を伝えたいかっていうか、私がなぜ生きるのかとか、なぜ生きていこうと思っているのかとか、
そういうところをね、なんかもっとちゃんと深掘りして、自分の心の本音を、本音の部分がないとやっぱり、本音がないのに本音を書けないなっていうのもすごい当たり前のことかもしれないんですけど、なんかすごい再認識したなっていう感じがあって、
なので、なんか、すごくそう思ってますっていう感じですね。
出版への思い
今日すごくね、だから1年振り返ってね、本当に良かったなぁと思って、なんかその、1年前はね、なんかその今年リリースしたまつげの長い猫のお話自体はできてたんだけど、それをどこの印刷会社さんに持っていこうかとかそういうのもね、なんか決めてなくて、色々こう悩んでたりしたりしたんですよね。
で、それが、なんか、そういう、それからね、なんかその出版をどうするかみたいな話とかをしているっていうのは、1年でのね、なんかこの変化の大きさっていうのはなんかすごい感じるんだけど、
でも、まだ全然その出版スクールには行ったけど、結局まだ出版の目処は全然立ってなくて、なんかちょっと、なんか、なんていうのかな、焦りとか落ち込みとかあったりとかもするんだけど、
でもね、なんかその、私はその、自分の描きたいものっていうものをしっかり描くとしたものを持って、それで自分の心のままにというか、自分が、自分がこうしたいって方向に生きていく。
もうそれは、他の人の目とかを気にしないで生きていくっていうことが大事かなとか、なんかそんな風に思ったんです。思ったんですね。なんかすごい長く話してしまったんですけど、なんか今そんな風に思ってますっていう感じです。
というわけで、今日も最後までお聞きしてくださってありがとうございました。生きているといろんなことありますよね。でも大丈夫なんです。今生きている。それだけで今までの自分は大正解。今日も明日も明後日も自由に楽しく伸び伸びいきましょう。それではまた次の配信で。またね。
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