映画鑑賞のきっかけと映画館について
始まりました。今日も配信していきたいと思いますが、今日は久しぶりのビデオポッドキャストということで、撮っております。
昨日、映画館に行って、映画を見てきました。昔は、映画館で映画を見に行っていましたが、最近は行けて3ヶ月に1回です。
今回は、どうしても見ておきたくて、手当る梅田に行き、兼老地のオールド・オークという映画を見てきました。
見てよかったなというのが、率直な第一に思ったことというか、それはちょっとこれから話していこうと思うんですけど、映画評論をしたいわけではないので、とにかくよかったなというのが感想なんですけど。
兼老地を知っている人はどれくらいいるかなと思うんですけど、有名な監督ではありますよね。
作品としては、私はダニエル・ブレイクと家族を思う時というのが最近の作品で、ちょっと僕もそれ以外は見たことなくて、もっと前からいろんな作品を撮られてきていて、
オールド・オークはもう兼老地監督の遺作というか、もうこれで最後ですみたいなことを言われていて、それもあるし、オールド・オークを見たという、青木さんとかの良かったよとかを聞いたりして、
教職がテーマだというふうにその時も聞いたので、僕自身もハム横山のタクさんと3年くらい共に食卓というイベントをやってきていて、
あれはちょっと有料でお金を頂いてやっているので趣旨とかは違うんですけど、やっぱり何か共に食べる時間を共にするというのは、何かこう思いがあってやっているところがあるというか、
この前ノマディックさんでやったイベントも、一緒にご飯を食べるという時間をとったりとか、教職を一緒に食べるという時間を作りたいなという気がしていて、
ちょっと見てみたいと思って、青木さんに無理を言って行かせてもらった感じなんです。
テアトル梅田は多分2回ぐらい行ったことがあって、僕好きな映画館で割とマニアックな作品を放映してくれているので、ありがたいなという上映感、気がしております。
前もめちゃくちゃ良かったインドの映画を見たんですけど、名前忘れちゃったんですけど、あんまり大々的にやっていない映画をやっていたりするので。
あとね、本題に入る前にいろいろ話したいんですけど、イヨシコーラというクラフトコーラが飲める数少ない場所というか、僕もたまたま知ったのかな。
ポッドキャスターでイヨシコーラのことを知っていて、テアトル行った時にイヨシコーラがパッと売っていたので、ラッキーと思って。
イヨシコーラ飲むのも楽しみに行っているんですけど、もちろん今回も頼んで、クラフトコーラも美味しくいただきながらというところだったんですけど。
「オールド・オーク」の背景とあらすじ
この映画が、ウォールドオークは2023年に公開されていて、だから日本にはかなり遅れて入ってきたんですよね。3年越しの公開ということらしいです。
いわゆる社会派の監督で、私はダニエル・ブレイクもそうだし、家族を思う時もそうなんですけど、家族を思う時というのはいわゆるギグワーカーと呼ばれるような、ウーバーとかね。
これは多分Amazon系の配達員だったと思うんですけど、その男性のストーリーだったり。私はダニエル・ブレイクは、高齢男性が行政のシステムだったりというところから弾き出されてしまう、みたいな姿を描いていて。
ずっと労働者階級の、リアルなイギリスの労働者階級の方々のストーリーを撮ってきた監督ではあるんだと思います。僕もこの2作しか見たことがないので、詳しくは言えないんですけど。
イギリス北東部の3部作みたいですけど、もうそれの最後だという感じで、オールドオークということで。実際モデルとなっている場所があるみたいですけど、もともと炭鉱で栄えていて。
それが、いわゆる新自由主義的な政策、イギリスなんでサッチャリズムですよね。によって、そういう産業がどんどん圧縮されていったというか、ちっちゃくなっていって、町としてはすごく貧しいんですよね。
大きなあらすじとしては、主人公がTJという、いい感じの中年のおっちゃんが経営しているパブの名前がオールドオークという、パブを経営しているという感じで。
町の人も経済的には困窮していたりとか、日本みたいに引きこもりのような、家を出ていないんだみたいな描写もあったりとかしつつ、話のスタートはシリア難民がやってくるというところから始まるんですね。
ヤラという、難民の家族、ヤラ家族、ヤラのお母さんと兄弟、弟、妹とか、他にも複数の家族がこのイギリス北東部の貧しい町にやってくるというところから映画はスタートするんですね。
やっぱりそこにはフリクションが起きるというか、イギリスのことはよく分からないですけど、北東部は結構貧しいんでしょう。多分現実にも貧しさがあって。
そのパブで、男性たちだね、元炭鉱夫の人で、今どんな仕事してるとかっていうのは全然語られてはないんですけど、4,5人が集まって、管を巻いているというか、いろんな話をしているわけですよ。
そこに、ムスリムの家族がやってくるという感じで、その時にごちゃっとするというか、ヤラがやってきた時に、現地の若いお兄ちゃんとトラブルがあったりとか、
ヤラがお父さんから譲り受けたカメラ、一眼レフのいいカメラだと思うんですけど、それを取られちゃって、取り返そうとした時に落ちて壊れちゃうみたいな、そういう小競り合いがあったりして。
町の人もすごく警戒しているわけですよね。とか、いろんなそういう描写、人自由主義的な政策によって貧しくなってしまったりとか。
あとは、あれは詳しく調べないとわからないんですけど、家は家なんですけど、日本でいうと長屋みたいな、アパートメントなのかな、縦に区切られて家が建っていて、同じような家が繋がっているように見えたんですけど。
というところにみんな家を買って、昔買ったんでしょう。そこに移民が入ってきたりとか、外資がその部屋を買い取っていたりとか、それが買いに行かないよりもとても安い値段で買い取っていたりとか。
家主としてはね、そういうお金持っている人にボンボン売っちゃうんでしょうね。しかも高くは売れないから、当時より低く値段をして。
誰が入ってくるかわからないとか、移民政策として使われたりしているような描写もあって。
よくアメリカとかだとジェントリフィケーションといって、地価が上がっていって、現地住民というか現地コミュニティの人たちが住めなくなって追い出されていくみたいな、ブルックリンとかはそんな感じだったみたいですけど、今も進行中なのかな。
そういうジェントリフィケーションが起きているという現状があるみたいなんですけど。
国からちょっと見放されていて、あまり注目も集まらないから移民政策に使われたんだみたいな表現も映画の中では出てきましたけど。
舞台は2016年らしいですね、設定がね。これはあれですよね、イギリスがブレグジットって、家を脱退したような時らしいです。
映画のストーリーをね、県の内の映画って別に、映画の筋を追っていったら、特にストーリーがすごくあるという感じではないので、すごく語りづらいところはあるんですけど。
ざっくり言うとTJはパブのオーナーで、昔は単行で盛り上がっていたけど、その産業が閉じられていって、当時労働組合がストーライキをしたりとか、みんなで戦ってきたという歴史があるんですね。
だからTJのお父さんとかお母さんとかは、みんなで団結して、何かが減らされていったんでしょう、きっと補助金的なものだったり。事業自体が多分国策だったと思うんですよね。国策として単行をやっていたけど、それを閉じていくみたいな、という時に抵抗運動があったということですよね。
そういう街に移民がやってきて、どうやって暮らしていくか、自分たちがどうやって暮らしていくか、受け入れるのか、たまたま世界で起きているようなすごく排斥的になっていくのか、逆に排除運動みたいなものに展開していくのか。
どうやって生きていくのか、どう私たちのコミュニティだったり、住む領域を作っていくんだ、みたいなのが根幹的なテーマとしてはある映画ですね。
メタファーと登場人物の葛藤
主人公はこのTJと難民の女性の矢良だと思うんですけど、兼老地の過去2作に比べると、割とメタフォリックなというか、表現を使っているような気がしていて、
オールドオークルのパブの奥に1個閉ざされた部屋があるんですよね。大きな部屋があって、そこは多分何十年と鍵をかけてTJが開けていなかったんですよね。
これは結構わかりやすいメタファーで、このTJの心の中みたいなのを割と投影しているんだろうなと思ったんですけど、そのTJの奥の部屋には、おじが撮ったっていうことになってましたけど、おじが撮った抵抗運動をしていたときの写真がすごく飾られているんですよね。
そういうみんなで戦った歴史っていうのは、きっとTJの中でもとても誇りとして持っていて、それが枠に入ってしっかりキャプチャーみたいなものを下につけられて、これは何とかの時とか、
これは記憶そのものだと思うんですけど、TJの昔の栄光の記憶。でもその記憶を封じ込めているっていうことだと思うんですよ。
ずっと閉ざしたまま居てたと。廃墟みたいに、廃墟というか埃まみれだし、全然使えない状態になっているという、そんなストーリーなんですけど。
同じ炭鉱婦の旧友たちはパブで管を巻いているわけですよ。移民が入ってきて、ないあいつらみたいなのとか、SNSの描写とかも出てくるんですけどね。
やらの弟が学校ですごく暴力を受けていじめられるような描写もバーンと出てきたりして、その映像をSNSで流しているんですよね。
どっちかというと、現地民の男の子たちがSNSにアップしたやつをパブで。
これもね、すごい難しい設定で、俳優さんたちも難しい役どころだと思うんですよね。
そういう映像を見て、なんかこう、少年たちが言っているぞと。
これは理由があるに違いないとか、なんか言うんですよね、少年が。ちょっと忘れたけど。
それを聞き取って、こいつがこう言っていることは、この男の子、移民の子が何かやったはずなんだとか言って、あることないことを尾ひれをつけて言い出したりするわけですよね。
そういうことをパブでやっていると。
でも、この人たちはこの人たちで、なんていうか、居場所がないんですよね。
このパブぐらいしか自分たちの居場所ってなくて、すごく鬱屈とした日々を送っていて。
その中の一人が、名前が何だったかな、チャーリーだったかな。
チャーリーはそのTJの主人公の、いわゆる親友で、実はこれもすごくメタフォリックなんですけど、奥の部屋で結婚式もあげたことがあって。
親友なわけですよね。
チャーリーたちは、ここの奥の部屋を使わせてくれと。
町で集会を起こして、いろんな人、有識者とかメディア集めて、ちょっと集会をしようと。
どっちかというと、排斥運動を起こそうみたいなことを言って。
それをTJは拒否するんですね。そういうことはしないと。もう使えないし、開けないんだと。
実はTJは、もともとはすごく運動家だったり支援みたいな活動をしてたんですけど、今はバーンを運転して物資を届けるぐらいになってるっていう感じで。
すごくSNSも含めた抑圧的な人の心情みたいなのを表現してるんだろうなと思うんですけど。
過去抵抗運動をしたっていうことも自分の記憶の中に、すごく誇りとしてあるんだけど閉じ込めてたりとか。
かといって、自分が過去はめちゃくちゃ時間を使ってやってた支援活動みたいなものも、何かやりづらくなっている。
多分、その管を巻いている友達たちにも、本当は言いたこともあるんだろうけど、グッと折られて、ただただパブを回しているっていう感じなんですけど。
実はそのチャーリーも奥さんが病気をしていて、その介護をしてたりするんですよね。
だから本当にそれぞれが簡単には割り切れない。
じゃあその現地の男の人たち、排斥運動を起こそうぜとか言ってる人たちが悪人なのかというと、そうじゃないっていうか。
でも、どこにも行き場のない気持ちって、自分たちより弱い人に向かうというか、そういう描写化されているという感じですね。
主人公TJの苦悩と希望の象徴
一方で、やらとシリア難民の人たちをサポートする活動をしている女性がいるんですけど、
ちょっと考えたんだけどみたいな感じで、奥の部屋を使わせてくれない?みたいなことで、また奥の部屋を使わせてくれっていうのが来るわけです。
で、それをTJは結構怒って反発して拒否するんですよね。
もういいんだ!みたいな感じで、もう使えないからとか、保険も入ってないねんっていうので、すごく突っ跳ねるんですよね。
だからもう、何も抗えたくないというか。
で、TJはTJですごく傷ついていて、そうやって一生懸命、そういう社会運動的なことをやってきたわけですよね。
単行を含めて。ただそれが結局失望に変わってしまって、お父さんはすごく団結することで成果を、成果というか自分たちの思っている世界を実現することができるんだって言ってたんですけど、
現実はそうはならなくて、結局荒波に飲まれていくというか、今は街も貧しくなっているという中で、ちょっとある種失望しているというか、という感じで、ざっくりとそんな感じで物語が展開していくんですけど。
で、TJの話をすると、今回めちゃくちゃネタバレです。
これ聞いてから見に行っても全然面白いと思うんですけど、今更言うんかいという感じですけどね。
で、TJも奥さんがいて息子さんがいるんですけど、そうやって自分を顧みずに、家族を顧みずに社会活動をしていた結果、奥さんも離れて、息子とも会ってなくてみたいな状態に。
息子は話聞いてくれないんだみたいな。すごく孤独で、一回自死をしようとするんですよね。
で、その時に、これも何かのメタフォアなんでしょうけど、マラっていう小さいワンちゃんがワンワンワンとやってきて、それによって一回踏みとどまって、日々の生活に戻っていくんですけど。
このワンちゃんが何なのかっていうのは分からないんですけど、多分明確に何かっていうことはないんですけど、ずっと最初の冒頭からTJに寄り添ってくれてるんですよ。
で、一緒に散歩行く描写とかもすごくあるし、自分自身の何かよりどころとなっている何かだと思うんですけど、分からないんですけど、両親なのか、生きるということにTJが引き止めているちっちゃな何か。
こういうものって絶対誰しもあるはずで、生きることに対して持っているちっちゃな希望みたいなものだと思うんですね、多分このマラっていうワンちゃんは。
このマラちゃんがいることでなんとかTJは生きてきたんですけど、マラが現地の若い男の子たちが、なんか知らんけどブルドックですよね。
ブルドックみたいな両犬みたいなのを飼ってて、全然コントロールできてないんですよ、綱を引っ張るんですけど引きずられてたりとか。
一回接触して危ないみたいな描写もあって、そのマラを餌だと思っているじゃないかみたいなことをTJがバーッと怒って、僕はごめんごめんみたいな感じでやってたんですけど、
最終的にはお墓参りにマラを連れて行った時に、両犬にやられちゃって、このマラが亡くなっちゃうんですよね。
これはメタフォアなんですけど、そういう自分が大事にしているものっていうのが、わりと糸も簡単に世の中から抹消されちゃうんですかね。
これがすごく剣道家か脚本の人が上手いなと思ったのは、むちゃくちゃ悪意があるってわけじゃないんですよね。
暴力性とか攻撃性みたいなものは両犬みたいなものでコントロールできないんですよね、その人たちもね。
ただそういうコントロールできない暴力性みたいなものによって、自分が唯一、自分を繋ぎ止めて生きることに繋ぎ止めてくれていた何かが失われるっていう最後の希望みたいなものがね。
またTJは海に向かうわけなんですけど、ここはあえて糸はぼやかされているっていうか、また自死に向かっていったのか、そこまでの描写はないんです。
なんかすごく際どい感じっていうか、なんですよね。
コミュニティの再生と連帯の可能性
そこで、これはすごいストーリーだなと思ったんですけど、そのパブで働いている女性が、TJが海で歩いているときに大具合上げてやってきて、
で、TJ戻ってきてみたいな感じで。
すると、オールドオークの奥の部屋が水浸しになっていて、ちょっといろいろストーリーすっ飛ばしてますけど、この部屋を使って結局は日本でいう子供食堂みたいな活動をするわけです。
そしたらいろんなところから寄付が集まってきて、教会とか消防団とかいろんな人が集まってきたと。
だから場を開いて、ヘルプを出してたところ、すごくみんなの全員が集まってきたわけですよね。
で、子供食堂的な活動が始まっていくと。
そのTJのお母さんがよく言ってたんだというか、これも実際表語だったのかなと思うんですけど、英語で言うと、
When you eat together, you stick togetherという言葉があって、
共に食べて団結しようみたいな言葉だと思うんですよね。
そういう発想のもとというか、場を開いていて、たくさんの子供たちが来て、そこにはやっぱり現地の人たちも来るわけですよ。
で、現地で本当は参加してるってバレたくないみたいな男の子も、中だったらバレないわよみたいな感じで引き入れて、ご飯を食べたりして、すごく恒例が深まっていくんですよね。
で、やっぱりこの写真とかっていうものも、映画の中では軸になっているというか、やらがカメラを持ってくるわけですよね。
で、いろんなものを記録していくと。
これはもしかしたらケンローチが映画みたいなもの?
反ドキュメンタリーみたいな感じなんですよね、ケンローチがやっていることって。
で、今回オールドウォークに出演している俳優さんもいれば、ローラーだったかな、名前が違ったらあれなんですけど、支援団体をやっている役の方も実際に支援団体に所属していたりとか、
で、その移民役の人は本当の移民なんですよ。
だから本当に半分ストーリー仕立てだけど、半分もドキュメンタリーみたいなもので、ケンローチの作品って。
そうなんですよね。
で、何が言いたかったかというと、そういう活動をやっていて子どもたちも集まって期待しているというところで、急にその場所が水漏れして使えなくなったみたいな描写があって、
どうするどうするみたいなところで、ストーリーはもう実は終わっていくんですよね。
で、どうにもならへんなみたいなことをやってて、で、マラのこともあって、もうもう疲れたっていう感じで、もう終わりにする、これで終わりだっていう感じで、
これはもうストーリー終盤なんですけど、でもそのちょっと前にマラが撮った写真を使っていると思うんですけど、
なんかスライドショーみたいなのがあって、で、それをみんなで見てるんですよね、移民の人と、移民の人も現地の人も含めてみんなでそのスライドショーを見てて、
で、そのスライドショーの伴奏は多分シリアの現地の音楽なのかな、なんか楽器を弾いてて、いろんなその文化が混ざり合って、
写真って多分記憶のメタファーでもあって、そういう一緒に記憶を作り上げていけるんだっていうメッセージだと思うんですよね。
で、そういうスライドショーをみんな見て、なんかわーみたいなんで、で、あれが何かわかんないんですけど、そのオールドウォークの、
なんていうんですかね、タペストリーみたいなものをでっかいのを作って、で、こう連体音とか強く連体音とかっていうのを標語が書かれたタペストリーを作って、
で、多分TJはもう全然行かなくなったんですけど、教会があって大聖堂があって、やっぱり地域のお祭りみたいなのがあるみたいなんですよね。
で、最近はもう行ってないんだーみたいなことをTJは言ってたんですけど、そこで掲げてみんなでコミュニティーが、いろんなところにあるコミュニティーが集まって、
で、こう、まあその多分大聖堂から続く道を歩くみたいなのが多分あるんでしょう。
で、その時に使うようなものをわーんって作って、でも結局始めた運動は立ち消えてしまうようなところで終わるんですけど、
シリア難民の過酷な現実と死の意味
で、これ僕ちょっとシリアのことを調べたりして、本を買ったんでこれから読もうと思ってるんですけど、
まあその本当にアサド政権の時の、本当独裁政権で、後はロシアが入ってたりとかイスラム国があったりとか本当に複雑な力関係の中で動いてるんですけど、
まあとにかくこう人道的にも本当にありえないようなことをしてて、収容所があってお父さんはそこに入ってるんですね。
ヤラのお父さんが。で、なんか目撃したっていうことを聞いたよとかって言って、ヤラはもう亡くなってるって思いたいから。
それすごく印象的だったのは、やっぱこう希望を持つってこともとっても辛いんだっていうことをヤラが言っていて、
まあそれは本当そうだよなって思うというか、希望を持つことの辛さもあるっていうか、
うん、なったんですけど、そのいろいろあった後に、もういいんだって活動をやめるってなった時に、そのヤラのお父さんが亡くなったっていう不法が届くんですよね。
で、不法が届いた時に、TJとローラも会いに行くんですよね。
で、ちょっとマナーはわかんないけどって言って、とにかく会いに行って、でTJも家に招き入れられて、葬儀みたいなもの参加して。
で、そのヤラはすごくいいキャラの設定なんですよね。
自分の権利はバンと主張するし、すごく聡明な女性として描かれていて、勇気のある。
で、そういう写真っていうものを使って、地域のコミュニティに貢献したりとか、すごく多分信頼を得てたと思うんですけど、で、続々とその葬儀に人が集まってくるんですね、最後。
現地の人含めて、わーって集まってきて、みんな喧嘩をしたりとか、いろんなものを持ってきて、で、なんか人が繋がっていったんですよね。
で、これはいろんな読み解き方があると思うんですけど、なんか結構詩というものも扱われているわけですよね。TJも自分で詩を選ぼうとしたりとか、
シリアではとても清算なことが行われていて、その収容所というのも一部屋に40人ぐらいが集められて、それは映画の中で語られていたことなんですけど、座ることもできないから、座るのも順番に座っていくとか、本当にすごい清算な状態で、
だからお父さんが生きているっていうのは聞いたけど、そういう惨状を知っているので、そこから生き残った人もいるけど、もう多分何万という単位で、その収容所で人が亡くなっていて、
これは本当にあることなんですよね。日本にいるとそんなことって本当に全然知らずに生きていけるんですけど、本当に中東ではそういうことが起きていて、
TJもそういうことを知ったからこそ、やっぱりシリアの方は本当にそういうところから逃れてきてやってきているわけなんで、そういう意味もあってオールドークを開いたわけですけど、
でもどういうことなんだろうっていうのをちょっと考えていて、ある種究極の人間の弱い部分というか、絶対亡くなっちゃう人ってそういうことでもあるし、
そういうものを開けたときに人って繋がっていけると思うんですよね。だから死っていうのは誰にも絶対に訪れるものじゃないですか。
そういう意味だと、死者を弔う気持ちって本当にみんな一緒で、だから変な話、死って失望ではあるんですけど、それによってまた人が繋がって、それがまた希望をもたらすみたいな終わり方をしていて、
これはすごいなというか、ケンローチが最後の作品だっていうこともいろいろ編み込まれているっていう気がしましたね。
監督のメッセージと自身の社会運動観
デビット・ボーイのブラックスターみたいな感じで、そういう自分が癌に侵されてとか、そういうものもケンローチは89歳らしいんで、自分の命のこととかももちろん考えていると思っていて、
でもそこには希望があるんだってことですよね。また新しい命が生まれてとかね。なんかすごいラストシーンでしたね。なんかポツポツと人が集まってくるんですよね。そのシーンがすごく感動的で。
はい。ちょっとすごい作品だなって改めて思ってもう一回見に行きたいなとは思っているんですけど、最後にそのタペストリーを掲げて、みんなで歩いているところでスタッフロールが流れて映画が終わっていくっていう感じでしたね。
だからなんか決して明るい終わり方ではないんですけど、TJもオールドオークを開いたことでまた地域が連携したんですけど、連帯したんですけど、いろんな現地住民の裏切りとかもあったりとかして、
結局オールドオークは続けていけたのかいけなかったのかっていうのは分からないんですよ。映画上は。ただなんか希望は残されているっていう気がしますね。
だからそういう意味で僕もこのケアラジ含めてリベラル批判みたいなものをしていて、そのことも改めて今考えているんですけど、半ば失望していたところもあると思うんですよね。
リベラルは生き残っているんだけど、それを推進していくべき左派的な人たちがとにかくセクト化していっちゃうんですよね。それはもう左右関係なく。
そういうものを人ってとても嫌いし始めているし、世の中を良くする気はしないっていうか。だからこそ僕はセクト化しないための何かをやっていかないといけないと思っていて、
そういう意味で一緒に食べる場を作りたいっていうのを思っていたので、見てよかったっていう話を冒頭したかもしれないんですけど、それはやっぱり僕は失望していたからで、
うまいことやっていかなきゃいけないと思っていたんですけど、ケンローチは紛れもなく左派ですよ。左派的な、伝統的なイギリスの左派っていう感じなんでしょうね。
僕も左派を辞任していたんですけど、とても今苦しい状況というか、もういいかなみたいな。もうしんどいわみたいな。別に僕は左派として論人を張っているわけではないし、
やっぱりそこに託してきたものがあるというか。なんですけど、ケンローチからすごいメッセージを受け取ったなという気がするんですよね。希望を捨てるなというか、まだ連帯できる可能性あるぞというか。
もちろんシリアのこととか、中東のこと、パレスティナのこともそうですけど、SNSとか見るとデモって意味ないとか、意味ないとまでは言わなくても、ちょっと50歳くらいの人たちはそういうことを言ったりするわけですよね。
それは確かに僕も一理あると思っていて、具体的に行動することが大事だし、やっぱりそのとなりにできるアクションというのをやっていけばいいと思うんですけど、それすらもちょっとしんどく考えてしまっていたというか。
自分のできることをやるしかないよなとか、それも大事だと思いつつも、今の自分にとっては。でもなんかドンと揺さぶられて、諦めかけてたそういういろんなものを閉じてきたものをさらに開かれたというかね、という気がしますね。すごい作品を見たなという気がしています。
いろんな受け止めがあると思うんですけど、僕にとってはそういう映画だったということですね。なのでいろいろ考えてるんですけど、そこからまたいろいろ考えすぎないための合気道的体作りを土曜日にやるんですけど、なんだかんだいろいろ考えてて。
でも今考えてるのは、やっぱりなんだろう、TJもそういう昔ながらの労働組合みたいな運動をやってたわけですけど、それは多分僕には合わないし、時代にもなかなか適応しづらいと思うんですけど、
僕らしいなって思うのは、やっぱりプラグマティックにやるってことと、すごく実用的であるっていうことと、あとはセクト化しないってことなんですよね。プラグマティックにアナーキーにやるっていうのが、なんか自分らしい社会運動のやり方なのかなって今は思っていて。
僕は好きに生きていきたいんですよね、やっぱり。それがすごい強くて、なかなかうまく社会に適応できずに、今もそうなんですよ。今もそうっちゃそうっていうか、何とかかんとかやってるけど、すごく消耗してるし、いろんなものがまどろっこしくて、
もう一人にしてくれっていつも思ってるし、そうなんです。みんなが各々好きにしたらいいと思ってるんですよ。だから、そういう意味でやっぱり僕はリベラルで、結構リバタリアンに近い側面もあると思うんですよね。
だし、今まで頑張ってきたからちょっと自由にしたいっていうのもありつつ、ただやっぱりセクト化しちゃうと、例えばですけど、相手の手法を批判したりとか、例えば新自由主義に抵抗していくときに、じゃあゴリゴリ稼ぐっていう手段が取れなくなったりするわけですよね。
でも、別に企業的な営利活動をして、それをすごくいいことに使ったらいいわけだし、そこはプラグマティックにっていうか、SNSも使えば、AIも使えば、自分に有利になるものを使ったらいいと思うんですよね。そういう意味でプラグマティックにやればいいっていうのと、
あとはアナーキーにっていうのは、いろんな立場の人が来ていい場を作りたくて、それが繋がれるのがやっぱ食だし、別に対話しなくてもいいし、一緒に食べてグダグダ盛り上がるだけでいいと思うんですよ。
そういうあり方を模索していきたいなと思うし、今ちょっとケアの利等っていう、オンラインコミュニティ的な、こういうケアラジで話してるようなこととかも集約していこうと思ってたときに、ちょっとAIを使ってていろいろできそうだったんで、
そういうウェブサービスをスタートするんですけど、なんだろう、ちょっとそういう自分なりの運動のあり方っていうのを模索していたところであったんで、
あとはどんどん閉じて閉じてと思ってたんですけど、そこはいろいろ僕も揺れてる部分であったんですけど、閉じていかないとしんどい部分もあるんだが、
まあでもやっぱり知りたいことは知りたいなと思って、その帰りに梅田のキノコ乳に行ってシリアの本をちょっと探したりとか、まあなかったんでね、ちょっとアマゾンで買ったりはしてますけど、
まあまあ、ちょっとね、いい映画を見ることができたなと思います。ちょっとぐだっと話してるしネタバレなんで、まだ見てない人は気をつけてくださいねっていうのをちゃんとキャプションに入れていこうと思うので、
はい、とりあえず今日はそんな感じで終わりたいと思います。興味がある方はぜひオールドオーク見に行っていただけたらと思います。それでは。