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2026-02-04 1:04:37

EP9:ドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』について1時間語り合う

ドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』について、観た人と一緒に語り合ってみたところ、1時間にもなってしまいました。


何回かに分けたり、聞きやすく編集したりということがどうしてもできず、ほとんどノーカットで配信いたします。


何を言おうか考えたり、迷ったりしているところもそのままですので、同じような呼吸で、なるべくおちついた環境で聞いていただけたらうれしいです。

サマリー

ポッドキャストでは、ドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』についての感想や関連する話題が議論されています。映画は伊藤しおりさんの物語を描いており、個々の視点から見ることの重要性に触れています。『Black Box Diaries』に関するメッセージや伊藤さんの立場についての議論が展開され、映画内での表現や批判に対する意見が交わされます。観客がどのようにそれを受け取るかの重要性も強調されています。このエピソードでは、映画のテーマや視点、社会との関連性が深く掘り下げられ、観る者の感情や意見の違い、ドキュメンタリーの特異性についても考察され、感想を共有することの難しさにも触れています。ポッドキャストでは、『Black Box Diaries』を通して、事件に関連する社会問題や人々の感じる辛さについても話し合います。また、視覚障害者に対する配慮や、個々の表現が他者に与える影響についても考えさせられます。さらに、映画のテーマや背景、公開に至るまでの制作過程についても語り合い、視聴者としての観点に加え、制作に関わった人々の意見も共有されます。

ポッドキャストの概要
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。真鍋新一です。
真鍋新一と誰かの話というポッドキャストをやっておりますが、
今日は渋谷道玄坂のモスバーガーからこっそりお送りしております。
前回、予告いたしましたが、今回初めてゲストの方をお招きして、ちょっと長めに話をしてみました。
先日公開され、現在も公開続いておりますが、
ドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』についての感想や、それを取り巻く周りの出来事について話をしております。
今回一緒に話をしているのは、Twitterで総合でフォロワーになっており、
かなり付き合いの長い毛利さんという方をお招きいたしました。
この方は日本のみならず、中国、韓国、いろいろアイドル全般を追いかけている方でございまして、
つい数年前のジャニーズ事務所の問題に関しても、いろいろと発信をされたり、スペースをやられたりしていた方でございます。
その方と今回、別々に同じ映画を見まして、なかなか文章にしたためたりとかして、
きちんとまとまった感想や見解を発表するのがなかなかちょっと難しかったので、
それはお互いにね、なので今回とりあえず話をして、それをポッドキャストにしてみようということになりました。
大変デリケートな話題でもありますので、ちょっと言葉を選びながら慎重に探り探りちょっと話をしているようなところがあり、
とても聞きづらいところとか、話がちょっと進みにくいところとかがあるかもしれません。
全体としては1時間近いボリュームになりましたので、一気に聞くのもなかなか大変だと思いますが、
あえて最後までほとんどノーカットで一気にお送りしたいと思います。
最近だったら聞きやすさを優先して間とかを、間合いとかをバンバン詰めて編集するというやり方もあると思うんですけれども、
何を言おうか迷っているところとか、どう言おうか考えているところとか、
そういう間合いみたいなものも大事だと思いますので、今回はそういったものもあえてそのままお送りいたします。
我々と同じようにお茶でも温かいお茶でもすすりながらゆっくり自分のペースで聞いていただければいいかなと思います。
それでは最後までごゆっくりお楽しみください。
映画の感情と視点
いい映画って言っていいんだよねっていうのがまず一つなんですよね。
例えば作品として素晴らしくて、アカデミー賞にもノミエートされて、それだけの映画だったっていうのはあるんだけど、
でも実際に起こったことは全然素晴らしくなくて、非常に見ていて辛かった。
そういうことも全部ひっくるめて、トータルがいい映画だったって私は思って出ていきました。
少なくともふざけるなとかつまらんとか。
全然そんなことは思わなかった。
気持ちよく終わるだけがいい映画じゃないですからね。
その過程がやっぱり道のりがありますよね。
いまだに状況はめちゃくちゃいいかって言うとそんなことはなくて、ネットで言われてるような感じだけど、
一応あの映画的には一旦ちょっとある程度区切りはつきましたよっていうふうなオチをつけてくれたから。
だから作れたんだということも言えるしね。
これがアルトナイトでは全然違うと思って。
でもね、自分すごい反省してるんですよ。
一応非常に同情的な気分で映画館に行って見ていたんですよね。
最初に辛いことがいろいろ出てくるから、
辛くなったら目を伏せてもいいですみたいな字幕があって。
すごいおごり高ぶりな言い方になるんだけど、自分は辛くならないと思ってたんです。
最初のその文も被害にあった方に向けた文章ではあるからね。
そうそう。だから自分は辛くない側っていうか、
もちろん同情的には見てるんだけども、本当のところで分かってやれないって決め込んで見てたら、思いのほか分かったっていうのが大きな発見だったんですね。
自分まで、別にそういう目にあってない自分でさえ、途中で目を伏せたくなってしまうところがあったっていうのがとてもショックで。
普通そういうふうに、男女関係なくあれを見た時に、自分だったらどうとか、それが被害者の面でも加害者の視点でもどっちもなんだけど、
自分だったらどうだったとか、自分はこうするとかっていう視点がやっぱりないといけない映画だと思ってるんだけど、
なんだけど、今のツイッターランドとかでやってる論争を見ると、みんななんかちょっと一個上のところから見てる。
自分が当事者ではないっていう前提でみんな語ってる感じがするのよ。
それって私結構逃げなんじゃないかなって思っちゃうんだけど、あの映画自体はそういう、実際にああいう事件が起きて、
まあすごく特殊な事件ではあるんだけど、別に誰でも被害者にもなり得る、加害者にもなり得る事件だと思うんだよね。
別にそういう事件に対してみんなどう思うんですかっていう。
そうそう、意見を表明するっていうことではみんな同じ立場だとあるはず、立場のはずなんですよ。
ところが、あなたはどの立場で物を言っているのかなっていうご意見があったりするのは確かによくわかります。
最初みんな手続きがどうとか著作権がどうとかって話をしてて、別に専門家ではないからそうなんだって思ってみるんだけど、
じゃあ実際あなたはこの映画を見てどう思ったんですかってところをあまり書いてる人が意外といなくて。
なるほどね、ただ言われてることの整理に終わってるみたいなことになってしまう。
だから実際の事件として、性犯罪としてとかっていうよりは、映画として、ドキュメンタリーとしてこの人はどうなんだっていう。
論調が多いですね、確かに。
それって違くない?って思っちゃうんだけど。
まずあなたの立場を聞きたいなっていうのはあるかな。
それで言うと、自分は本当にこれこそ自分の映画だと思ったんですよ。
自分にも起こりうる話。
なんだよね、何にも起こらない。
最初にこの映画について好意的なレビューを書いてたスポーツ新聞の記事を最初に読んでて、それを見る前に読んでたんだけど、
この映画はあくまでも伊藤しおりさんの個人の物語であって、あらゆる人に適応されることではないみたいなことを書いてあったわけ。
そうなんだ。別に自分が監督して、自分で出て、こういうことがありましたっていうことをまとめたドキュメンタリーだから、そういう考え方もあるのかなと思ってたんだけど。
実際見たらとんでもないと。
それはもう一人の日本に住んでる日本人が、すごい大変な目にあって、生活を脅かされる映画だったから。
細かいシチュエーションはともかく、これは全員が自分もそういうことになりうる危険とか恐れっていうものを見ながら感じる映画だったと思うんです。
親近感のあるシーン
これが自分の映画じゃなかったら何なんだろうっていうくらい切実なことがいっぱい出てくる映画だっていうふうに見てて。だから身につまされて泣いちゃったりするのも多分そういうこと。
泣いちゃうでしょあれは。泣いちゃうよ。
どんなところでお泣きになりますか。
やっぱりドアマンの最後のところとかは絶対泣くんだけど、あれはみんなどのくらいそういうことがあるのかわからないんだけど、
伊藤しおりさんっていう人が、結果的に事件でそういうふうになっちゃったのもあるんだけど、結局ずっとほぼ一人で戦ってきたみたいな人だから、ずっとみんなに批判とかされながらね、
自分の被害だったりとか、女性がこういうふうに目に当てるっていうことをずっと言い続けてたけど、あんまりみんなにずっと届いてなくて、ほぼ一人で頑張ってきた人で、
いろんな人に相手にされずにずっとやってきたんだけど、結局そういう活動を見ていた人が手を差し伸べてくれた。
だから自分の声が届いてないと思ってたけど、どっかにちゃんと届いてたんだなっていうのを実感できるシーンなんだよね。
だからそういうふうな、ずっと自分でほぼ一人のような気持ちでこう主張し続けて、自分だけがやってておかしいんじゃないかなとかって思ったことのある人は結構あのシーンは泣けるんじゃないかな。
一人っていうことで言うと、実際に支援している人たちはリアルではたくさんいたわけだよね。
だからこの映画を見ると、まるでこの伊藤さんがずっと一人で戦っているように見えるっていうのも批判の一つとして挙げられているんだけども、
でも映画を見ると本当にそうかって思うんだよね。
僕が見てて泣いちゃったのは、集会でお話をした時。
女性ジャーナリストの会みたいなやつ?
そうそう。あれなんかさ、やっぱり味方がこんなにいたんですねっていうシーンだったよね。
だってそれはさ、たくさん支援している人たちを全員出すわけにもいかないしさ、そういういろんな人の声っていうものを多分あのシーンに代表させてたと思うんだけど、
あそこさえあればそういう一人で戦ってたわけじゃないよっていうことは十分に主張できてるなって自分では思ってたから。
そうね。私もちょっと思ったのが、伊藤しおりさん自体が泣くシーンがいくつかあると思うんだけど、
主にいっぱい泣くシーンがドアマンのところと女性ジャーナリストの会のシーン。この2つが一番泣くのよ。結構強めな感じで。
しかも割と不意にね。
そう。ワーって多分泣くんだよね。
多分その2つが、この2つがやっぱりその一人じゃないって思った時なんだよね。
自分にもちゃんと味方がいるんだって思えた時、一人じゃないんだなって思えた時に一番泣けるっていうシーンなんだよね。
その2つのシーンがあってよかったなというか、もうちょっと少ないけど、
だいぶ救われた。
そう、ちょっと救いのシーンだなと思ったよ。
私もその2つのシーン好きですね。
だからちょっと言い方がどう言っていいかわからないんだけど、さっきも言ったように自分で監督というか自分で作って自分でも映ってる映画だから、それはもう主観だからさ。
だからそれを見てこの人が一人で戦っているように見えるっていうのはまあすごい当たり前じゃんっていう感じだし、
それにみんなあんまりドキュメンタリーを見慣れてないのかしら。
だってさ、人が映ってさ、カメラに向かって喋ってるわけでしょ。
自撮りじゃなかったらさ、誰かカメラ持ってついていってる人がいるに決まってんじゃん。
だからその時点でもう一人じゃないわけ。
だからこの人一人ばっかり映ってるじゃないかみたいなことを言うっていうのは、もうちょっと冷静になって言ってあげたいなと思ったりして。
あとね、これなかなかちょっとSNSでも言いづらかったんだけど、警察の偉い人の車に突撃するシーンがあってさ、それって当時ツイッターでも動画が結構出回っててね。
それはそれですごいなんか衝撃的というか酷いなっていう映像ではあるんだけどさ、あそこさ、私がよく行く銭湯と目の花の先だった。
あ、そうなんだ。
ほら一瞬さ、銭湯の看板出るんだよ。
はいはいはいはい。
そしたら、あ、と思って。
へー。
あそこだ、と思って。
あ、じゃあよく知ってるところ。
よく知ってるところだったから、それなんかわかんない。
だからそういう、まあ完全に意図はしてないけど、でもなんかそういう形でこうあの身近な感じ?
あの親近感が湧いてしまうとは思わなかったっていうのもちょっと不意打ちだったんですけどね、個人的には。
生活圏の中で。
そうそう、生活圏で行われる。
あー、と思って。
それもあれだったね。
で、ほら、あの見たのがさ、えーと、新宿の映画館、木野シネマで出たでしょ?
で、わりと最後の方でさ、新宿三丁目の交差点とか普通に出てくるでしょ?
出てきた出てきた。
あ、さっきまでさ、歩いてたとこだよね。
だから駅からさ、あの映画館行くときに絶対通んなきゃいけない道なんだよね、あそこ。
だからさ、あーやっぱりここにいたんだとか思っちゃうしさ。
思っちゃったねー。
映画の視点と感情
それは意図してるものではなくて、それは別に海外で見てる人とかそんな知ったことでは全くないんだけど、
まあ少なくとも自分たちは近くにいるんだなって思えたんだよね、そこを見て。
私もその言い方が適切かわからないけど、品川とかで最初見ようと思ってて、品川で見なくてよかったなって思った。
新宿で見てよかったなってちょっと思っちゃった、そこのシーンでね。
近くので身近に感じられるというか、でよかったなって。
同じ場所にいたんだよなって普通に思えるもんね。
そうそう、その方がなんかやっぱりあの映画の見方としていいんじゃないかなって思っちゃうよね。
なんか自分事として考えた方がいい映画な気がするから。
そう、だから自分いろいろなんかこの映画のバージョンとか修正とか、いろいろ何年も前から言われててようやく見ることができたわけだけど、
でも別にそんな顔にモザイクとかね、ちゃんとかけたりとか、
安倍晋三の名前になんかモザイクかかったらちょっとほとんどギャグみたいになってたけど。
そんなのいいじゃんって思っちゃう。
見りゃ分かるからね。
そうだよね。
いいけど、でもできることはちゃんとできてるじゃないかって見てて思いました。
そういう批判がもともとあって、日本ではこんな問題があるから公開されないし、アガデミー賞が絡んでも日本でこんなに騒げないんだよってもともとすごく日本で言われてたから、
いったいどんな過激な表現があるのかと待ち受けてるのかなって思ったんだけど、全然そんなことなくて。
むしろ伊藤さんっていうのは本当にめっちゃ穏やかな方で、人に怒りをぶつけることもないし、むしろ
なんなら笑ってさ。
むしろすごい辛いはずなんだけど、笑顔を交えて相手と喋りやすいふうに一生懸命作ろうとする人。
それもすごいと思うのと同時に、こんなことになってもね、被害者だったり女の人っていうのは私は無害なんですよっていうポーズをとっていかないといけないのかと。
そういうふうなポーズで女の人は振る舞っていかないと道を開けないのかなって思うと、それもちょっと残酷だなって思いながら見てた。
あとさっきの伊藤さんが一人で戦っているように見えるみたいな批判に近いんだけど、これができたことによって、これから同じ目にあってしまった人たちが戦いづらくなるんじゃないかっていう批判をしている人もいる?
それ言っていいかな、あの伊藤さんがそういう感じだったけど。たぶん彼女はそういう気持ちで言ってるんじゃないのって言ってる人がいて、それが一番理由として負に落ちたの。あの人の立場としてあんなに怒る理由がね。
社会の構造と伊藤さんの役割
なんでその立場でそんな言い方をするんだろうって思ってたから。そういうふうに言ってる彼女はきっとそういう理由で言ってるんじゃないのっていう人がいて、だったらまあよくないけど負に落ちるかなって。
でもさ、怒る相手って伊藤さんじゃないと思うんだよね。
そうなんだよね、普通に非加害者の方なんですよ。
でさ、見て一つ言えるのはね、ここまでの裁判をちゃんとやって、本書いて、映画まで作ってね、途中からちゃんと記録を取って、すごい入念というか、できることはもう全部してるっていうぐらいなものでしょ。
だからさ、それができる人って確かにそれはそんなにいないと思う。
いや、全然いないよ。
で、おまけにほら、ちゃんと何かあれば頼れる友達がいて、なんなら海外でちょっと一呼吸を置くことができて、英語ができて、映画を作るために海外に出資を求めるために行動することができる人なんて、そしてまあ自己肯定感が大変高いとか。
それは確かにオノ・ヨーコみたいな人だなと思ってみながら思ってたんだけど、そういう人は本当にいないよ。
だけど、起こるのは、いろんな意味で恵まれていた伊藤さんではなく、そこまで状況が整ってないと最後まで戦えないこの社会の構造に対して起こるべきではないのかと。
そうそう。でその、まあ例えば伊藤さんみたいな人っていうのは、そういう声を上げられない人を支援する立場の人なんだから、例えばそういう伊藤さんみたいな人がめちゃくちゃすごくて大人気だったとして、他に声を上げられない人がいたときに、あの人が言ってんのにお前は言わないのかって、例えば批判があったとしても、それを止める立場の人じゃないといけないじゃないか。
本当はね。
なんでそれを言わないんだろうって思ったんだよね。普通だったら、なんで伊藤さんの方に怒りを向けるのかがわからない。
そこがね、ちょっとわかんないんだよね。
そう、その人によってね、それが辛いことだっていう人と、伊藤さんみたいにそのね、
最後までやり抜ける人。
そうそう、ジャーナリストとして自分を見ることでちょっととか、なんとなく整理ができるとかっていう人もいるんだから、それは別に人それぞれじゃない。
あとね、批判でちょっと思ったのがね、映画の中でもそういう話出てくるけど、ジャーナリストとしての自分なのか、人間としての自分なのかの軸がぶれてるみたいなことを言ってる人もいたんだけど、
でもそれはちょっと根本的外れっていうか、ジャーナリストであり人間であるから本であり映像ができたのであって、だからそれはあんまり構造上の問題っていうか、
いろいろメディアとか雑誌とかでそういう論評なり対談なりみたいなものって活発に行われて、それ自体はすごくいいことだと思うんだけど、なんかどうもプラットフォームを用意する側がさ、
なんか煽りを狙ってるっていうか、いう感じがどうもするんだよね。やっぱり発言の機会が欲しい人たちはやっぱり自分の意見言いたいから、そういうところにどんどん上がっていくと思うんだけど、でもその提供した側の仕切りで、言わなくてもいいことまでいっぱい言わされてるんじゃないかなっていうような記事をなんかいっぱい読んだ気がするな。
だから事実をちゃんと言えばいいだけじゃない。例えば支援してた弁護士はちょっと途中で意見が合わなくなっちゃったとか、それは確固とある事実として主張すべきことだと思うんだけど、
それは作品作りの段階に入ってきちゃうと、そういったものってやっぱり避けられない部分があるから、それは全然どんどん公表してはいいと思うんだけど、その中にさっきのジャーナリストとしてのとか、映画としてドキュメンタリーだけど、
一人でずっと戦ってるように見えて他の人の姿が見えないとか、そこまで言っちゃうともうそれは映画の見方の話になっちゃうから。
私が読んだのも、やっぱりちょっと炎上もその人はしてたけど、多分ドキュメンタリー監督で色々やってる方なんだと思うんだけど、なんかそのドキュメンタリー監督としての彼女と被害者としての彼女は分けて考えるべきだって書いてあって、何でだろうって思っちゃったの。
そうそうそう。分けられてない状態で成立するものだよ。
そうそうそう。日記なんだよ。
人間として自分がどうだかって話がすごくパッと抜けている人だから、抜けてた。よくある彼女は頑張ったと思うしすごい人だと思うみたいな、割と上っ面の表面的な褒めはあったんだけど、それぐらいですごく人として自分が当事者としてどう思うかっていう視点が全く抜け落ちてるブログだったから、
なんでちょっとそのちょっと高いところから見てる感じなのかなって思ったの。
結局さ、外に向けて文章を書いたり意見を表明するっていうことはある程度の客観性がないとダメだっていう考え方もあるわけね。
映画をめぐる批判と受け止め方
だから自分の感情的になってはいけないとか、そういう気持ちが多分邪魔をして、後で旗から読んでみるとちょっと冷たいような内容になってしまうっていうことはきっとあるんじゃないのかな。
でもさ、この問題がさっきも一番最初の話に戻るけど、結局この映画を見ていろいろ映画の中で起こっていく出来事に対して、自分事として捉えられるかどうかっていうそこにもう全てがかかっているんじゃないかな。
小島 そうそう。そうなった時、たぶんあの映画的にそうなった時にどうなんですかあなたはっていう視点が一番大事なところなので、たぶん。そういう視点をいっぱいいろんな人に感じてもらう、無理がない範囲で感じてもらうっていうのもあの映画の大事なところなんじゃないのかな。
そう、だからさ、もう自分は、そういう事件が明らかになった時からもうなんか追うのも辛くて、あんまり興味本位であんまり調べたりしてなかったんだよね。
だからまあそういう意味でこういう映画を通して、きちんともう厳然たる事実としてこういうことがありましたっていうことがわかったからね。だからそれだけでも自分は良かったと思うんだけど。
今ですらそのねツイッターでいろいろ見てると、いや実はこの伊藤さんはこういうところを意図的に、このエピソードを意図的に映画から排除しているとかっていう人が出てくる。
で、お前が監督をやれってみたいな話でしょ。
そう、いやそんなの別に自分で撮ってるんだから、そんなのは自分の勝手だし、あの映画を見てそういうエピソードが、例えばその人の言うエピソードは本当に排除されたとして、何か支障があるような映画にも思えなかったわけよ。
そもそもまあこれ言っちゃうとあれだけどね、人の手で作ってるわけなんだから、完全なる中立、いろんな人から見て完全なる中立に一つの事件を中立に見るなんてのは無理で。
なりようがなくない?
無理。しかも被害者の方が自分で作ってるじゃん。
そうそうそう。それは私は大変でしたっていう映画になるに決まってんじゃん。そんなのさ。
当たり前だよね。それに対して、いやこの人は意図的にこういうのとかって、実はこんなことがあって、こんな嘘をついてるとか、なんかそういう人がいっぱい出てくるわけよ。
なぜだろうなあ。
なんでみんなそこまでして一生懸命さ、必死でやるわけよ。何の恨みがあるんですかっていう感じなんだけど。
できたものに対しての意見とはとてもちょっと思えないんだよね。
そうなんだよね。なんか本当に恨みがあるんですかとしか言いようがないような感じで。
なんだんだろうなあ。
必要に、いや彼女はとかっていうふうに、なんか一生懸命評判落とそうと一生懸命する人がいるんだよね。なんだろうね。
その辺がね、そういう部分も映画を見てれば、なんかその断片的にはわかるっていうか、なんだろうな、結構自分の人間性もそんなに包み隠さずに表現をされるじゃない。
オノ・ヨーコだから、あの人は。
いいんだよ、それでいいんだよ。
そうそう。だから、こういうところがこうなんかちょっと鼻につくのかなとか、ちょっとこれも上からになっちゃうけど、でもそれはそれも含めて本人のパーソナリティだからさ。
そういうものがあれば、逆に自分はドキュメンタリーとして生っぽいなって思うし。
そうだよね。しかもなんか、被害者なら何言ってもいいのかみたいな人も、そんなひどいことやってると思わないんだけど、っていう人もいるんだけど、別にそもそものドキュメンタリーっていうのもあるし、一般常識を超えて何かを訴えたいっていう主張のあるドキュメンタリーである以上、
そういうふうになるのは当たり前なんじゃないのって思うんだけど、そういう一般常識から見て、え?って思うようなことで訴えていかないと多分何も響かないと思うんだよね。しょうがないと思いますけどって思っちゃうけどね。
まずはそういう映画であるっていう受け止めをしてもらわないと話が先に行かないなって。
そうそうそう。信じられないっていうふうになっちゃって怒る人がどうしても何か出てきちゃうよくわかんないけど。
僕はだから、最後に結果的に民事裁判で勝って、それが一応映画としては良かったねっていう感じで向かっていくわけなんだけど、
その裁判の決め手になっていたものとは、最後のさっき言ってたドアマンの証言っていうのは実はそれほど影響はなかったらしいんだけど、
でも映画を見ている順番からするとその証言があったおかげで勝ちましたみたいな流れにはなっているから、それはミスリードなんではないかという意見もある。
ドキュメンタリー映画の特異性
実際の裁判の過程を知っている人が事実としてそういうことを言うのは全然構わないと思うんだけど、
でも別に映画を見てても順番がそういうふうになっているというだけで、それのおかげで勝てたとは実は一言も言ってなくて。
たしかに勘違いする人が出てくるだろうっていうのはわかる。
でもドキュメンタリーってなんだろう、そういう演出っていうのかな、あるじゃない。
たとえば安倍晋三と首相官邸周辺の陰謀があるから、結局逮捕が握り潰されてしまったみたいなのも別に証拠はないじゃないかみたいなね。
あと刑事で刑事裁判で不審になっているじゃないかとか、それは事実としてそれはそうですという感じなんだけど、
でも国会でああいうやりとりがあったっていうのはもう記録にちゃんと残っていることだし、
そしてその言われていることっていうのは、あくまでも推論ではあるけども十分に考えられることで、
何分そんなに口頭向けなことを言っているとは見ていては思わなかったんだよね。
たとえばドアマンと翔子の流れが意図的なミスギリドだったとしても、それでもだったら彼女が嘘つきなのかってなったら、そういうわけじゃないよね。
そういうふうに思う人、あの人は意図的にそういうふうにしているから、あの女はそういうことをするんだみたいな言い方をする人はいるんだけど、
そういうミスギリドとか意図的な演出があったからといって、あの人が嘘をついているだとか、自分をよく見せようと一生懸命しているとか、そんなふうには全く思わないけどみたいな。
だって自分をよく見せようと思っていたら、そんな自分が泣いているところとか映画に入れないよ。
言えないし、この事件がすごくめちゃくちゃ辛いものであるっていうのは、見てるだけでも何か分からざるを得ないじゃない、ある程度。
そういう事件をここまでセキュララにちゃんと映画化するっていうこともできないよ、普通は。
よく見せようなんて思っていたらさ、そういうことをちゃんと痛みを持ってやっている人なんだから。
こちらもその痛みに対して、まずは向き合うっていう。
そうそう、一緒に痛がってあげるぐらいの方が私はいいと思うんだよね。もちろん完全には分かってあげられないし、あの人の痛みを誰かが勝手に代弁したりとか、
逆に歪症化というか、しようとするというのは一番不誠実なことなんだけど、理解しようとすることはできる。
その歩み寄りの姿勢だけでもさ、あの人はそのジャーナリストの回の時に毛布をかけてもらったような気分で言わなげはしていたけど、
まさにみんなで毛布をかけてあげるように見てあげないといけない映画なんじゃないかと思いますよ。
あともう一個の完全にこれは場外乱党的な話なんだけども、意義を唱えている。事実ベースでね、こういうことが本当はこうだったんだよっていうことを言う人に対して、
映画にすごい同情的な人たちが余計なこと言うのは黙れみたいな感じで、過剰にね。
同情的な人たちが今度は他者を攻撃する側に回ってしまっているという状況もどうもあるようでございまして。
それもなんか良くないんだよね。
感情の揺さぶり
まあね、やっぱり言い方がうまく思いつかないけど、輝いている人にはやっぱり信奉者みたいな風になっちゃうモードになる人もいるからね。
それもまたすごく危険なんだけどね。良くないんですよ。
なんか競争みたいになっちゃうよね。
それも良くないというか、ちゃんとみんな自分の意見を持ってみようねっていう話なんだけど。
まあそうだね、それも結局人に依存してるからね。
人に依存しちゃいけないんだよ。映画の感想でも何でもいいんだけどさ。
なるほどね。
何でもいいんだよそんなのは。当たり前なんだけど。依存しちゃうとそういう風になっちゃう。
そうするとちょっとでも異論というかが発生すると、自分が傷つけられたように感じるのかもしれないしね。
自分がめちゃくちゃ否定されたような気持ちになって。
なんてこと言うんだって。自分の感動した気持ちに水をさされるっていうか、
じゃあ私が感動したのは嘘だっていうのかみたいな、多分そういう風になっちゃうんじゃない?
私が間違ってるって言うんですかっていう風になっちゃう。
そんなことは言ってないんですけどねっていうのはわかるからさ。
それすごい非常に辛いなと思うんだけど。
まあそんなのは正直ね、映画以外でも何でもそういう人はいるんだけど。
そうだよね。だって別にドキュメンタリーに限ってどんな映画だってさ、感想で意見の食い違いが起こるとさ。
そうなの。お前何言ってんだバカ野郎みたいな人もいるしね。そんなこと言ってないんだけどみたいなね。
だからまあ普通に映画に染まりきっちゃってる人と話をするのはすごい難しいんだよね。
それ映画に染まりきってるって言っていいのかちょっとわかんないけどね。
まあまあ確かに。
染まりきってるって言っていいのかな。
だいたいインターネットって同意を求めて共感し合う場だと思ってる人が非常に多いので。
違うんだよな。
ところがね、だからさ、みんなそうだと思い込んでるとそうじゃない人が一人でもいるとさ、え、あなたはそうじゃないんですかみたいなさになっちゃうじゃない。
エコーチェンバーってやつですね。
それもエコーチェンバーですか。
って言うんですよね。
なるほどね。自分にいいものいいものだけを求め続けていくとね、だんだん極端になっていくっていう話ね。
で、他のちょっと違う意見が入っていくと排除しようとする。
まあ自分もなんかクソリプとか来たらブロックしちゃうんで、あんまり大丈夫かなとちょっと自分のこと心配になったりもするけど、それとはまた違うか。
ちゃんとした意見を言う人とクソリプの人はわかるじゃん。
まあ確かにそれはね。
わかるじゃん。この人は意見は違うけどちゃんと伝えようとしてるなっていう人はわかるからね。
そうだね。
バーカバーカって言ってくる人は違うので。
反論されることを最初から想定していない。
いるね。
反論されると黙っちゃうとかさ。
反論するとツイート消すとかね。
そうそう。
鍵かけるとかね。平気でいるから。
それは困っちゃうよね。
己の言葉には責任を持たない。
持ってないってことだね。
ちゃんと自分の言葉で、もちろんバカでもなんでもいいんだけど、自分が言ったなら自分で責任を持たないと。
責任取らないんだよね。
はいすいません私がバカって言いましたって言える人じゃないとバカって言っちゃダメだよ人に。
なるほど。
そういうのも浮き彫りにしちゃうんですよね。
でもそういう意味では社会のブラックボックスをって言うね。
誰か言ってましたよ誰かが言ったのかって。
本当上手いこと言ってる人がいたけどね。
いやでもね俺本当にね色んな映画を今まで映画館でもテレビでも見てきたけど、
見終わった後や見てる最中にこんなこうなんか重い気持ちになったのは初めてで、
それってちょっとびっくりしてるんですよ。
そうか私もドキュメンタリーがそうかな。
でもそうねそれこそ。
今までに多分この映画自体が現実世界と完全に実続きになっている社会と実続きになっているからこそのことだとは思うんだけども、
映画だけでは完結しない部分もあるじゃないもちろん。
まあそうね。
だからこそのなんかすごい特殊な広がりをきっとしていたのかなっていう後になって考えてるんだけど、
でも本当に普通の映画を見ているのとは違う感情の揺さぶられ方をしたっていうことだけでも僕はこの映画をすごい評価したくなるんだ。
だからっていうのもなんだけどね簡単にその人に楽しいよって勧められる映画ではもちろんないんだけど、
無理のない範囲でできるだけいっぱいの人に見てほしいなとは思ったね。
でもやっぱり何か少しでもこう物を考える姿勢を持っている人には進めたいなって思う。
観る者の反応
そうね確かにねこれ見てどう思うんだろうねそんな考えてない人はちょっと逆にわかんないけどどうも思わないことはないじゃない絶対さ。
そうわかんないなんかものすごくバイアスかかって見てたらまたちょっと違うものが見えてきちゃうのかもしれないけど。
完全に他人事とかね。
結局さそれもねあの切断処理ってやつじゃないですか。
そうなんだよね。
そういう見方をしちゃったらもうそれはもうそれは人間の目ではないんだよねっていう話で。
普通にあのまあね例えば本当は正直そのドキュメンタリーじゃなくてもあの本当にちゃんとストーリーが創作ものだったとしても
なんかある程度自分と関係あるものだと思って見るのが私は普通だと思うんだけど
ドキュメンタリーっていう完全にもうそれこそ実際のもの実際に生きてて実際にそういう事件があってニュースでやっててそれを見てる人の
ドキュメンタリー映画を見た時にその完全に自分とは別切断処理っていうのをして
あのこの人は自分をヒーロー視してるんだとかなんかヒーローものなんでみたいな風に見る人がもしいたとしたら
それはまずい。
ちょっと怖いかな。
だからそういう感じの言い方を遠回しにしている人もやっぱり出てきてるんだよその批判の追加とか流れてくるとさ。
だからあれでしょ悲劇のヒロインぶってるみたいなやつでしょよく言う。
彼女は悲劇のヒロインぶってるとかなんかいいヒロインになりましたねみたいな
なんかそういう言い方をそういう人がいるんだよね。
なんでヒロインって思うのかなんか全くわかんない。
それはやっぱり自分のことだと思ってないからじゃない?
そうなんだよね遠いどこかの誰かの大変なストーリーだと思ってる。
それをめちゃくちゃ私は頑張りましたって本人で一生懸命言ってる人に見えてるんだろうね。
だから自分には関係ないっていう人ほどそう思うんじゃない?
なんで関係ないと思うのかわかんないんだけどさ。
テレビでやってましたけどね。
それは自分が同じ目にあってみろとは言わないけどテレビで実際にやってる、起こってる事件なわけだから。
すごいスケールの小さい話になるんだけど、でも代々将来で人間生きてれば嫌な思いして生きてるじゃないですか。
嫌な思いにさせられることってあると思うんだよね。
だから本当にそれの延長として見るべきだし考える問題だと思うんですけど。
それに男性もあると思うけど特に女性はそういう目上の男性とかそういう立場が上の人から
セクシャル的なものじゃなかったとしても何かしらの力を持って言いたいことを言わせてもらえないとか
やろうと思ってたことを止められてしまうとかっていう嫌な経験は絶対したことが比較的女の人多いんじゃないかなって思うんだよね。
だからもちろんセクハラ的なものも正直女の人でされたことがない人はほぼほぼいないんじゃないかな日本はわかんないけどね。
セクハラとか。
代々将来ということで言えばってことだよね。
そうそう大きい意味では近い経験をしたことがある人の方が正直多いわけなんだよね。
女の人は特に他人事に見れないでしょうと思うんだけどいるんだよね。
どうしてそうなのかはちょっとわかんない。
こればっかりは。
まあねだからまあ見た人の感想を一人でも多く聞きたいんだけどでもなんか
なんだよねスクリーンで映ってるからいけないのかな。目の前でまあダメか。テレビでも同じか。
そうだからさっき言った誰にでもお勧めはできないっていうのはそこもあるんだよね。
気軽に感想を聞けないと言いますか。
でもまあ興味がないっていう人がいるとは思うけどそういう人がいたらもうちょっと嫌なんだけど。
それはその時点でね。
ドキュメンタリー映画の影響
もう嫌だよねちょっとね。興味ないって言われたら。
ないんですかみたいな。
ではさよならみたいな感じになるんだけどね。
まあでも興味ないし見るのも別に興味ないから見ないみたいな人は絶対いるよね。
大部分もしかしたら悲しいから多分そんなかなと思っちゃうけどね。
そうなんでしょうね。だから別に私が行った時もそんなにスクリーンは人いなかったよ。
客席は土曜日か土曜日だったにも関わらず。土曜日の夕方だけど。
いやーでも結構その起こった事件以外のことも様々な問題を結構映像によってあらわにしていたなーと。
そうだよ。
社会構造だよねそれって。
完全にそうだと。
ちなみに言ったっけ私見た時は。
はい。
昨日シネマだけど。
はい。
あの裁判ぐらいのシーンかな。裁判が始まって。
ああ。
あのぐらいのシーンの時にめっちゃ大きい男性のいびきが響き渡りました。
フガーって。
そう。悲しくなりました。
なんで寝れるかなと。
まあ疲れていらっしゃったのかもしれないけどね。
疲れてたのかもしれないけどね。
寝れないけど。結構これ寝れないと思うけどなと思ったけどね。
まあ分かんない。なんか辛くて逃げたくなっちゃったのかも。
それはしょうがないかも。辛くて目閉じてから寝ちゃったのかもしれないね。
そうそうそうそう。
それはまあしょうがないかもね。
ああでも最後のとこだからね。
結構結構割と終盤目のところだよね裁判のシーンだから。
まあ民事で勝ったからいいっていうことでもないし、不起訴になったから何もなかったわけでもないし。
視覚障害者への配慮
だってね、山口さんは今でもね。
いやーきついですよ。
だって賛成とのなんかあれとかやってるでしょ。関係の仕事。
そうなの?
うん。やってるよね。
なんかさ、ほんとため息出ちゃいますよね。
たぶん賛成となんかしたよね。
ああこっちにもういるんだと思ったの。なんかで。
そうなって全然元気にしていらっしゃるしさ。
本人も一番最後自分でね。自分は犯罪を犯したとは思ってないってはっきり言ってたよね。
うん。
まあそう言うでしょうねっていうね。
まあね。わざわざこうなんか人の嫌なところとか、きもいおじさんの言動とか。
まあそういうのは確かに進んでみようと思わないけども。
まあいい気持ちにはならないからね。
うん。絶対いい気持ちはならないけどね。
スターウォーズ見てスカッとしたいぜって人の気持ちの方がわかるよ。それは。
わかりますけどみたいな。
でもそういう問題をなかったことにしないっていう気持ちはやっぱりこういう映画を見ることでやっぱりちゃんと持っていたいなってちょっと。
だからやっぱりそのまあみんなそうなんだけど何でもそうなんだけど自分の目の前で起きてないことは自分に関係ないと思わないと思っちゃダメなんだよね。
あとだって極端なこと言うとさ自分の目で目の前でさ起こってないことはさ全部本当かどうかわからないっていう言い方もあるよね。
あのねいるんだよねそういうこと言う人ね。自分で見てないからわからないみたいなね。
そうそうそうそう。
周りにそういう人がいないから本当かわかんないとかね。
この間も全然違うけど私が見てたツイッターランドでALTって機能あるじゃん。
ああはいはい。
視覚障害の方の。
その画像にコメントがつけれるってやつねその説明の。
そうそう説明の視覚障害の方向けの今この画像はこんな画像を表示していますよって説明を書く機能。
ありまして。
なんだけど結構若い子を中心にそこにいっぱい長文が書けるから。
要するに140字に入らないこといっぱいそこに書くっていうね文化がちょっと出来上がっちゃってるよね。
詳しくALTとかってなる文化があるんだけどそれに対して視覚障害の方がやめてくださいって言ってる人にやっぱり引用とかで
私のフォロワーには視覚障害者はいないから関係ないってはっきり言ってる人とか
私は視覚障害者に向けてツイートをしてるわけではないし視覚障害者の人のために私の画像に説明する義務はないみたいな。
視覚障害者の人がそもそもなんでツイートをしてるのかわからないみたいなそこまで言う人もいて
それはお前が決めることではないんだよっていうね。
見えてるお前が決めることじゃないんだよっていう話なんだけどそういうことを平気で言う人がいるわけよ。
自分の目の前って起きてないしもしかしたらフォロワーに視覚障害者がいるかもしれない。
ていうことをたぶん一味にも考えないんだね。
たとえばカギヤカで数人とかでやってるのはわかるよ。
本当に実際に会ったことある友達だけのカギヤカとかだったらまだわかるんだけど公開アカウントでそれを言いますかっていうね。
それをさ見た人の気持ちってのは考えないわけだよね。
実際にただしかもそれをやめてくださいって言ってる視覚障害者に向けて引用で
直で言うからね。
直じゃなきゃいいってもんでもないけどさ。
でも。
余計にひどい。
ひどいよね。
そういう人がいるからやっぱり自分の目の前で起きてることは完全に他人事で起きてないのと同じだと思う人が結構いるんだよね。
個々の意見の重要性
残念ながら。
あとはあれかな。
事実とそうでないものの区別はちゃんとこう映画を見ながら判断してってほしいなと思って。
これはちゃんと裁判で認められましたとかこういうことがこういう証拠が残ってますとかそういったものはかなり丁寧に映画の中で言ってたと思うんだよ。
だからあのここからはあのちょっとここ私の考えだけどっていうちゃんと切り替えは映画の中で多分されてたと思ってて。
それはちゃんと見てばわかるようになってるはずなんだ。
この辺だからあのやっぱりツイッターランドでちょっとひどいことがあってひどいっていうか。
結局ほらあの西暦なんてね。
あのほらあの西洋のキリストの中心の考え方なんだから別に何の信頼性もないんだみたいなこと言う人が言うわけですよ。
片山克卒がさなんかさ後期2600何年とかいうことを急に右翼しか使わないね。
あの神武天皇の数え方で急にあの年を数え始めたから大臣が何現役の大臣が何言ってんじゃみたいな話になって。
でその時にじゃあ西暦だって別に何の根拠もないじゃんみたいなこと言うやつがいて。
もう俺はもう口が開いた口が塞がらなかったんだけど。
それはさ誰もキリストをさ生きてるの見てねーよ誰も生きてねーよみたいな。
でもそれさあの自分が生きてない時代のことをさ全部本当かどうかわからないっていう風にしちゃったらさ。
それはもう何にもさ意見が言えない意見というか何の事実もさあのもうガタガタになっちゃうんじゃない。
だからさそれはちゃんと歴史的事実としてさあの動かしがたいものっていうものはちゃんと持ってないとさ。
そうなのよね。正直そのあれはもうレベルとしては地球が何回回った時と変わんないね。
レベルとしてはそのねその人の意見が。
まあまあそういうこと言ったらさ地球が丸になって誰が見たんだ俺は宇宙に行ったことないからわからんみたいなさ話になっちゃうじゃん。
そういう風なこと言ってるのと変わんないよね。
ダメだよそういう非理屈でさなんかそれっぽいこと言ったような気になってるのはさダメだよね。
ごめんなさいちょっと話がずれちゃったけどでもそれ映画見る時も大事だと思っててさ。
大事だよ本当にさまあ特に今回はねそのドキュメンタリーだからねっていうのもあるしね。
正直何だってそうなんだよね。
だからね例えばそのミスリードと言われようとあの画面のカメラで映っていること目の前で起こったことっていうのはかっこたる事実ですから。
例えば本当に完全にその捏造の映像があったらそれは批判しないよ。
芝居とかがさああったらさそれはさあの何やってんだお前って話になるけどさ。
そう、そんなこと一切あの人はしてないんじゃない?
何もしてなくてちゃんと最初から録音して証拠をめちゃくちゃ残してその上でやってるんじゃない?
そういう捏造とか自分のその意見とかその事実に対して人の見方を変えようとする捏造みたいなことは全くしてないじゃない?
うん。
なんでそんなみんな怒るのかなみたいなね。
だいたい言いたいことは言った感じですかね。
言ったかなあ。
言ったかなあ。
ちょっといろいろあまりうまくさあ言葉にできなかったっていうかノートの記事とかになんかうまくまとめらんないなあと思ってたから。
あ、そうなんだ。
一応感想はちゃんと書こうと思ってあの見終わった後に書いたメモみたいなことはあの今日の話でも最初の通りバーッとしたんだけど。
はいはいはい。
まあ要するに自分事で考えようって話ですけどね。
何でもそうよ。あの何の映画でもそう。
あのこれまたちょっとずれるけどさあ見てないんだよねズートピア2ね。
はいはいはい。
アントピア2もまあなんかそうまあ差別とかいろいろねズートピアが元々そういう話なんだけど私が周りにもよかったってこうみんなにこう風潮して歩いてたら見たよって人がこの間現れたんだけど全然面白くなかったって言われて。
あ、そう。
なんでって言ったんだけどなんか別に何が起こってるかよくわかんないみたいな言われて。
逆にどうやってすごい逆にどうやって見たんだって思ったんだけど普通にただのそのウサギと狐の冒険の話でつまんなかったみたいなこと言われてあれみたいななんか。
あー。
同じものを見ているんかいみたいなね。
まあそういう感じなんだよね多分見る人によってはそういう自分事だって思ってないあのファンタジーの世界の話だって思ってるから。
切り離してるね。
そうそう。
まあズートピア2よりは絶対に自分のことだと思いやすい映画だと思うんだけど確実にこっちの方がさなんだけどね。
そういう風に自分事だと思って何でも見ないとあの絶対何か含まれてるから作品には正直。
人間作ってる人間だからね。
そうそうメッセージ性がありますよ。
別にあのね宇宙の外は他の世界の人が作っているものではない同じ世界に生きてる人間が作っているものである以上ね。
そうなのよ何か伝えたい言葉さなんかあるでしょ。
全くないのもきっとあるけどさ。
まああるけど。
ぶっぱなしてはいみたいな映画もきっとあるんだけど。
そうかどうかってのはまあ見たらわかるよね。
わかるわかるそれはそう見たらわかるんだよ見ててこれはこういうふうにただただ楽しめばいい映画なんだっていう時とちょっとこれは考えなきゃなっていう映画って見ててわかるよね。
まあそれはあのいっぱい見てだんだん覚えていくもんなんじゃないですかね。
まあそうなのかもしれないけどね。
まあいっぱい見たってダメだったらダメだしさ。
そうなんだそうなんだ。
ごめんごめんそれはまあいろいろ自分はこうやって喋ったり記事書いたりとかしてるから少しでもそういう見方が広まればいいやって思いますよ。
そうね私もまあ割と思ったらすぐ書いちゃう感じのタイプだからそうなっちゃうけどね。
まあ私は正直そんなに偉そうなこと言えるタイプじゃないのでそのどっちかというと山口さん側の人間だからちょっと語弊があるかな。
語弊めっちゃあるんじゃない。
あるけどね。
好きなそのアイドルが捕まったからね。
ああそういうことね。
それちょっと説明しないとちょっとめちゃくちゃ危ないよ今の。
語弊があるね。
語弊ありすぎだよ。
映画のテーマと視点
大変有名な中国のアイドルで合間罪で捕まった方がいてそれのファンをずっとやっていてその人の事件が被害者から告発された時にその被害者の言うことをまず信じられなかったっていう。
まあファンだからね。
ファンだからね。
いやいやさすがに嘘なんじゃないのって言ったし思ったから。
で一回そう思った時にいやちょっとこれはまずい本当にこれは嘘だって言うのはまずいなっていうことで考え直して調べたりしたっていう経緯があるので。
ただ一回でもそういう風に被害者を疑ったことがあるそうから普通に今回映画を見てて私が疑ったりとかちょっと恨みたいってちょっと思ったことある人ってこういう辛い思いをしてた人なんだっていう気持ちで見てたのね。
それはまたちょっと普通の人とはまた違う視点だけどね。
まあまあね。
自分がそういう風に一回でも思ったことがあるからあまり本当は偉そうなことを言える立場では。
そういうことそういう意味でね。
そうそうない人なんだけど。
なんなら被害者を責める側に回りかねなかったっていうことだね。
だって普通に今でもてかそのまあ私のそのそのアイドルはそのまあ告発されていややってないって言った後すぐ警察に捕まって今でも獄中にいる人だからその例えば山口さんみたいな感じで出てきて会見でいや俺はやっていませんってもしはっきり言ってたら多分信じてたかもしれないかもしれないわからないけどね状況によっては。
さんづけもしたくないよもうあんな人にも。
まあそうで嫌だけどね。
まあきっと自分のまあアイドルが山口さんみたいに会って会見をしてたらいやあの好きな人の言うことを信じるって言っちゃってるかもしれない立場だから。
とかっていう風にだから自分は加害者として見てたんだよね。
なるほど。
だからみんなどっちにも何を言うんだよっていう風に見たほうがいいんじゃないかなかなか難しいだろうけどさ。
結局どっちに立つにせよ自分の考えっていうものを抜きにしては話せないよね。
なんかしら思うでしょって思うよね普通はね。
だから俺はっきり言ってほしいんだよねそのあのこの女が嫌いだから嫌だとかさ。
っていう風に思っちゃうよ見てて。
でもそうなんだよねでもでもさそう言ったらいけないのわかってるから色々理由つけてこの映画はダメだとかドキュメンタリーとしてどうなんだみたいな。
そうそう結局それは逃げだと思うんだよね。
わざとそういう映画を知っている。
不利をして。
不利をしてとかそうなんかその映画何性犯罪とかに知っている詳しい私の立場から見てこうですよっていうなんかちょっと上からの立場で物を言ってる人が多すぎて。
そうだからはっきりねあの気に入らないここが気に入りませんでしたって言ってくれたほうがまだ俺ははっきりする。
そうねなんか好き好きというか正直な方やなって思うけど。
まあ別に何でもかんでも要望しろなんて思ってないもんね。
そうそう。
それは事実は事実として。
そうです。
色々あるんで。
もう一回見ますか。
辛いからね。
ちょっとパンクレット買い忘れちゃったからそれも含めてちょっともう一回見に行かないかな。
あまりさっきも言ったけどあまり情報を入れないで見に行ったので色々なこう友達と話したり関連の記事を読んだりした上でもう一回見て改めてどう思うかっていうのはちょっとちゃんと自分の中で出したいなと思ってる。
そうねまあそうねあとはまあそうねあとはまあ考えるのやめないでみたいよねなんかね考えながらずっとね。
別に男性もそうかもしれないけどそのみんながいやそれは違うだろ違うだろって言ってるとこで一人だけこう違う主張して頑張ったことがある人はみんな辛いんじゃないかなあの笑顔。
なんかめんどくさい人だと思われたことはね。
そうめんどくさい人だと思われる。
思われるでしょ。
そういう人はさ特に女の人はそういうのめんどくさい女だと思われてるなってわかるからね。
そうなんだ。
あるからね絶対これめんどくさい女だって思われてるなっていうのはあるからそういう目にあったりとかそういう主張を一生懸命したことがある人はもう絶対見たほうがいいんじゃない。
なるほどね。
辛いですけどね。
いやいやちょっと次はあんまりこう泣いたりしたくないな。
今結構喋っててちょっと泣きそうだったけどね。
思い出し泣きするもんね。
そうね結構辛かったもんね。
でももうだから10年がかりだもんすごいよなと思って。
最後ねなんか20代だったのに30歳になっちゃったよってねあそこがね思うし。
いやいやでもだから個人的には今回映画オタクみたいな話になっちゃうけど配給に東映と日活が手を差し伸びているというところが時代よくあったなっていう感じでね。
そうねそれはちょっと思った。
片谷ピンキーヴァイオレンス、片谷ロマンポールの女性の性を売り物にしてきた会社じゃないですか。
そうねまあ。
言ってしまえばね。
そうね。
だからそれだけじゃないから普通に。
別に日活とかね見てるとわかるけど結構それだけじゃないよね。
それだけじゃないから。
割とファンキーな女の人も扱ってる映画会社なのよ。
あるし清純な映画もいっぱいあるしさ。
あるね。
小竹とかのがどっちかというと女性制服一生懸命女女女してるよね。
まあまあそれはまた別話になっちゃうからけど。
だからちょっとそれは心強かったのだから。
それはまあ映画オタクだからね余計にそう思ったんだけど。
そうねだって最初に日活のロゴ出た時ちょっと嬉しかったよね。
日活が助けてくれたって。
そうそうそうそう。知らなかったからさ。
知らないから。
日活って思ったもんね。びっくりしたけどさ。
それが嬉しかった。
嬉しかった。
映画のオタクはそう思うでしょ。
映画のオタク。こんな思い方はあまりしないと思いますけどね。
日活のロゴ見てちょっとホッとしちゃうっていう瞬間はあったわ。
じゃあまた見た後にちょっと聞いてみようかな。
2回見るかわかんない。見れるかな。
でもねソフトとかあんまなんないと思うから。
ちょっともう1回だけ見とこうかな。
なるとしても時間かかるだろうね。
配信もなかなかされないかもしれないねこれは。
でも見てほしいけどね。
見れるうちにね。
手に取りやすい状況というか。
見るようになってほしいけどね。
一番ね。
それもやっぱり運動が必要というか。
そういう声を出していくということがやっぱり大事で。
言っていかないとね。
必要だと思うことは必要だと言っていけばいいんじゃないでしょうか。
そうね。
終わり。
はい。
ということでちょうど1時間を過ぎたぐらいまで
長々とお話をしてしまいましたがいかがでしたでしょうか。
最後まで聞いてくださった方は本当にありがとうございます。
というよりもお疲れ様でしたというような感じでございますが。
最後の方はちょっと古い日本映画のオタク同士の会話みたいになってしまって
分かりづらかったところもあったかと思うんですけども。
それ以外の部分に関しては映画を見ていただければ
分かっていただける内容だったかと思います。
製作過程と交流
それ以外にも最近のSNS、インターネット周辺のことまで話が広がりましたけれども
それも今回の映画の話に関わってくることだなというふうに思ったので
そういったこともそのまま残してお届けをいたしました。
この後ですね、実は話には続きがありまして
同じ映画館、キノシネマ新宿で
伊藤しおよりさんご本人のトークショー付きで映画を見るという機会がありまして
そこではご本人のトークや質疑応答もありまして
私も直接質問することができました。
それはどういったことかというと
途中の話にも出てきましたが
一人でドキュメンタリーを作っているわけではないという話ですね。
同じ本人やその周りの人が回していたカメラの映像以外にも
風景、心象風景とか
そういったイメージショットというものが
映画の中にはいくつか挟まれているんですね。
なのでそれはどういう人が撮ったのかとか
あとはそういう場面を使うという判断も含めて
どういうふうに誰の意見を色々聞きながら
自分の作業を進めていったのかとか
そういったことまで話を聞くことができました。
僕自身そういうことが知ることができたのは良かったことだと思いますし
公開の形で質疑応答だったものですから
同じタイミングで一緒に映画を見ていた人たちにも
その情報を伝えることができた
そのことでもとても良かったなというふうに思っております。
視聴体験と今後の展望
最初の方で今自分は渋谷の道元坂のモスバーガーにいて
お話をいたしましたが
お話の本編が終わった後にどんな話をしようかなとか
いうことを考えているうちにお時間が来てしまいまして
あの後道元坂協会というところで
レコードを回すDJをやって
明け方に帰ってきてみたいなことで
また収録がのびどびになってしまい
今は池袋のグランドシネマサンシャインというところで
これから江戸川ライト監督のランニングマンという映画を見るんですが
その上映時間を待ちながらお話をしております。
またこの映画に関してもきっと見終わった後
いろいろと言いたいことが出てくるだろうと思いますので
それはまた今後のポッドキャストに
ご期待いただければいいかなと思います。
それでは次回お楽しみに。ご機嫌よう。さようなら。
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