仕事でもそうですし、プライベートでもですね、
AIっていろんなとこに使えるなと思って、
その今試してるような感じですね。
なるほど、なるほど。
ちょうどあれだよね、俺が辞めるぐらいの時ぐらいからもうハマってたもんね、確か。
はい、もうドハマリしててですね。
ドハマリしてたよね、確かね。
あれからもうだいぶ進化が早いので。
だよね、だって俺辞めても1年以上経ってるわけだからさ、
もうだいぶ変わってるよね、そっからすぐですね。
もう別物になってますね、当時。
なるほどね、まあちょっとね、AIの話はね、ちょっと時間にするとしてね、
管理職についてね、じゃあ俺の方も聞いていきたいと思うんだけども、
村口くん管理職に改めてなって、おめでとうございますということで。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
村口くんね、管理職になりたかったもんね。
そうなんですよね、なりたいなっていう、その楽しさ面白さみたいなのも経験したいなというふうに思っててですね。
素晴らしい。
そうなんですよね、それこそ北海道で生まれて北海道で育ってて、
全然出たことがないぐらいの形だったので、
今回この単身赴任で東京に呼んでいただいて、管理職に指名していただいたというところでですね、
本当に光栄に思ってますし、もうやりがいしかないですね。
やりがい、出た、出た、その言葉。
やりがいしかない、それもよく俺聞いてたな。
本当ですか。
なるほど、やりがいしかない。
そうかそうか、なるほど。
じゃあちょうど管理職になって今2ヶ月ちょっと経ったぐらいかな。
どう、なんか最初にイメージしてたのと、今実際やってまで2ヶ月だけれども、
なんかそのあたりギャップがあったりとか。
そうですね、今の2ヶ月間管理職としてやらせていただいてますけれども、
その半年間前ですね、半年間の間は課長代理としてで活動させてもらったときに、課長が言ってみるといなかったんですよね。
そうだよね、そうだね。
課長がいなくて課長代理で課の中を見させていただいたという形なので、
割と課長に踏み込んだ一部の仕事はできていたのかなというふうに思うんですけれども、
今回改めて課長になってみてですね、それこそ課長研修なんかも初めて受けるんですよ。
なんとなく課長とはみたいなところは自分の本を読んだりとかの勉強があったとしても、
とはしてもやはり課長研修受けてみた中で、知らなかったこととか意識が足りてなかったこととかばっかりだったんですよね。
そうだったんだ。
それでまだ学びがいっぱいあるんだというところもやっぱりワクワクしてきますし、
なるほど。
課のメンバーの会員の皆さんとの接し方というところでも、やっぱり自分がその責任を持たないといけないなというところですね。
私生活も含めてですけれども。
仕事の分だけではなくて、その人の人生に関わるようなところ、そこに責任を持つ立場になるんだというところは、
非常に何でしょうね、気が引き締まる思いというか。
ありがたいなと思ってます。
こんな経験をさせていただいているというところで。
なるほどね。そっかそっか。
そうだよね。実際に課長代理のときはほぼ、そっか、課長がいなかったから村松くんがある程度もう課長の役割をやってたわけなんだね。
はい。
なるほど。でも実際に課長となって、課長の研修とかそんなのもやって、いろいろ築きがあったということなんで。
そうですね。本当にいかにできてなかったか足りてなかったかみたいなところも気づかされましたし、それもなんかワクワクしてきたんですよね。
こういうことを新しく身につけられたらまた違う自分になれるかなというふうにも思いましたし。
本当に貴重だなと思います。なかなかそこに行きたいと思っても、行けるものではないとはもちろん思ってはいますので、
その場にいさせていただいているというところが本当にありがたいなと。
一生懸命やるしかないなっていうところの気持ちですね。
いい感じだね。
めっちゃいい感じだね。
村松くんと話してるとね、いい感じのことしか出てこないっていうのは昔からあるんだけどさ。
基本ね、これ多分聞いてる人みんなびっくりするんじゃないかなと思うんだけど、これが村松なんですよっていう感じなんでね。
普通に。
なるほど、そっかそっか。じゃあワクワクしてるんだね。
そうですね、ワクワクしてますね、本当に。
そっかそっか。なんかその研修の時とかで特になんか印象に残っていることとかあったりする?
はい、研修で、そうですね、いろんなことはありますけれども、会員の方との接し方というところもそうですし、
本当に全く知らなかったところがですね、当たり前の話かもしれないですけど、
管理職ってなってみると、労働基準法関係ないみたいな形もあるじゃないですか。
あるね、あるね。
会員の方には絶対残業させちゃいけませんよ、もちろんそれはあると思うんですけど。
ただ、課長の皆さんご自身は無限に働けますよみたいなところも、そこもある意味えっと思いながらですね。
あ、そうか、そういう目線で働いたりもできるんだみたいな。
いやいや働かされるとかではあれば、いやかもしれませんけども、
まだやりたい仕事がある、こういうことをやってみたいというところで、もう自由自在にできるというところもですね、
ありがたいなと思いますし、それこそ工夫をしがいがあるなと思ったんですよね、その課の分野に関しても。
なるほど、なるほど。
本当に課長になってみて思いましたけど、研修の中でも言われましたけども、これだけできることの権限が広がるんだというところもですね、
感じたところでもありまして、割と課長代理の時も課長のお仕事を部分的にさせていただいたところもありましたけれども、
あくまでも基本的には上位下達の、これをやるべきだというところが降りてきて、それをどのようにこなしていくかというところの目線だったんですけれども、
それではダメだと、自分たちで本当にやらなければいけないことをやりたいことっていうのを作っていって、
仕組みをゼロからでも構築できるっていうところ、その立場になったのが管理職ですよっていうようなところの話をされてですね、
これはワクワクしないのか嘘だろうと。
そんな言われ方したらこれはもう飽き立つなっていう、そういう気持ちになりましたね、新たにね。
なるほど、もう今すぐやらせてください、それみたいな、そんなぐらいの勢いになっちゃう。
そうですね、本当に。
なるほどね、そっかそっか、確かにね、課長になるとね、そういったやれることがすごく増えるよね、責任がもちろん出てくるというのはあるんだけれども、
やっぱ、課っていうこのユニットってね、結構かなり大きな存在だからね、やっぱこの人たちが動かしてなんぼというか、
この人たちがやってくれてるからっていうところが、その組織の一番ね、そういった意味での最終的にといったところにおいてね、やっぱりかなりでかいので、
それを指揮できるというか、自分のね、完全に思った通りというところまでいかないかもしれないけれども、
ある程度はもう自分の裁量の中でね、仕組みを作ったりとかね、いろんなことができるっていうのはね、
そしてそういうことを、課長に言われたことに対してこう答えようというメンバーがいるっていうのはね、なかなか大変なことだよね。
本当ですね。ありがとうございます。本当におっしゃる通りで。
仕事しててもまだ2ヶ月間ぐらいですけど、課長としてはですね。
接し方のところですごい感謝が溢れてくるような感じを今自分で感じててですね。
一つ一つこういうことをやりたいと思うんですけどどうですかっていう話をしたときに、やっぱりその支持というよりかはその共感していただいて、
自走していただくっていうところですね。
木村さんが部門長されてたときも、自走する組織って当時おっしゃっておられたのがあったと思うんですけれども、
あれって本当にずっと続くなと。そうなんですよね。
なので支持のもとで動いていくというところはやっぱり限界がありますけれども、
自分自身でこれやりたいなとやった方がいいかなっていうところの意識に一人一人持っていければですね。
もう見たこともない組織になってくだろうなっていうのは思っててですね。
それがまあ最小単位が課だったとしても、課の中がこんなに変わっていくんだっていうのを目の当たりにできるっていうのはですね。
もう嬉しいですよね。本当に自分がやらなければいけないこと、もっと変わらなきゃいけないことってところに意識が変わってきますよね。そういう意味では。
なるほどなるほどね。そっか。やらなきゃいけないところと。
意識が変わっていくっていうことね。
でも木村さんを見ていたからこその、こうあるべきだろうなっていうところがあったのでやっぱりやりやすいというのはありますよ。
そうだね。
こういうのを目指したいなっていう目標感というか、そういうところがあるとやっぱり動きやすいと思うんですけれども。
課長になったときにどういう課長になろうか。どういう責任者になろうかってなったときに、やっぱり浮かぶ方がいらっしゃるとやりやすいと思うんですよ。
辛くて嫌だ的なものはないです、基本的には。
なるほどね。
はい。
全てがそういうふうに繋がるものだと、自分の成長になってあるとかプラスになってくるものだと。
そうですね。
大変は大変だけどねっていうね。
大変は大変ですけど、もうこれだけで大変なことを経験させていただけるっていうのも、
もう望んでもなかなかそういう例は得られるものなどありませんので、
それはできてよかったなってありがたいなって嬉しいなっていう気持ちですよね。
すごいな村松くんはいつも。
そんなないですけど。
必ずそういうマインドなんだけど、これってさ、でもさ、昔からなの?
昔から。
少なくとも俺が知ってる村松くんはもうずっとこれなんだけどさ。
俺もう何回も嘘でしょって思ったんだけど、本当に最後の最後まで嘘じゃないっていうのがよくわかったんだけど。
そうですね。でもやはり今の仕事をやらせていただく時間結構長いんですけれども、
それこそ今インサイドセールスっていうところの仕事でずっと長くやらせていただいてますけど、
もう10年以上ですね、その中で新規開拓ってところをやっていこうみたいな。
ここに関して転職だっていうのを感じられたのがもうそれこそ10年以上前なんですけども、
こんな楽しいことあるんだなっていうお客様とも非対面でオンライン面談を重ねたりですとか、
メールでやりとりお電話をしたりみたいなところで関係構築して取引につながっていくんだってところを作れるっていうところですね。
もうこんな楽しい仕事ないなっていうところで始められてから、もう感謝する気持ちがすごく芽生えてきててですね、その部分で。
なかなか望む仕事で転職だと思える仕事、巡り会えるってなかなか難しいところもあると思うんですけども、
そこに今接しさせていただいてるっていうところはありがたいですし、
たまたまなのでインサイドセールスですとかのオンラインでコミュニケーションを取るみたいなところに向きがあったっていうのが大きいのかもしれないですけどね、そういう意味では。
そこからも明るく全部やっていこうっていう気になりましたし。
そっかそっか、そこからそういうふうになっていったんだね。
その前まではそういうふうに思わないこともあったの?
ありましたありました。
あったんだ。
その時はそうですね、私今だから言えますけど、その入社して数年ぐらいの時はもう会社いつ辞めようかなぐらいのことぐらい考えたこともあったんですよね、当時は。
それこそ当時、もうほんとだいぶ昔なので時代変わってますけども、それこそその飛び込みセールスみたいな感じですよね、当時は。
それが前世の時代だったっていうのはありますし。
私入社してすぐの時にリーマンショックがあってですね、こういう時代になったんだみたいなところもあって、結構厳しいなってこれをでもずっと定年までやっていくってことを考えたときに先が見えなかったってこともあったんですけども。
そんな中でもいろんな働き方がやっぱりありますよね。
この仕事だけが一つではないっていうところもあったりするので、その目線の中で電話で営業を取るですとかっていうところの、そういうこともあるんだっていうのを試させてもらって、
すごく向きがあったので、お前じゃあこれずっとやってみろっていうふうに言っていただいて、今に至るみたいな感じですよね。
ブルームス君そういうことがあったわけなんだね。
ありましたね。
ちょっともう辞めようかぐらいで思ってた。
思ってましたね。
同期もほとんど残ってないぐらい辞めちゃってますけども、私もその限りではなかった可能性はやっぱりありますので。
いろんな転機があるな、やっぱりな。
ありますね。
ちなみに俺も純風満帆じゃなかったからね、最初。
そういう話したっけ。
自分紙とかでやったか、ちょっとやったかもしれないけど、俺なんかもう最初俺もうやばかったからね。
そうなんですか。
やばかった、3年ぐらいやばかったからね。
いろんな転機あるなと、なんかちょっと思ったね、聞いててね。
木村さんがその辛い時期3年間ですとかあったときって、何をもって乗り越えようっていう形になったんですか、ちなみに。
それはね、でもやっぱ仲間のおかげだね、全ては。やっぱり俺にとって新宿っていうのが相当でかかったから、そこにいたやっぱり。
先輩とか同僚同期とか、マジでほんとそこに助けられた感じ。
あれが、あの環境がなかったらたぶん辞めてたろうね。
本当にあの酷い扱いをくらったから、そのとき。
時代もあっての。
そうそうそう、そういうのもありましたから。
そういうのもあって、なんかもうこれはまずいなって、全然実績も出てなかったから。
でももう本当にそのメンバーには本当にすごく感謝してたし、そこに助けられてたから。
そこでうまくね、なんかわかんないけど、俺もうこの野郎、スイッチが入ったんだよね。何でかわかんないけど。
それもそういう人たちがいたからかもしれないけど、そういう心配してくれたりとかして、なんとかここにいたいとか色々あったのかもしれないんだけど。
もうふざけんな、この野郎もういいやって、なってもおかしくないようなとこあったんだけど、負けねえみたいな感じの、
なんか俺こんな気持ちあったんだみたいなのが一回出てきて。
そこからだったんだけどね、俺はね本当に。
やっぱり仲間に恵まれていたってところもあったということなんですね。
めちゃくちゃそれが俺はでかかったと思う。
木村さんの、それこそ私は上司だった頃の木村さんの像がすごく大きいんですけども、
その当時の木村さんってどんな感じだったのかなみたいなすごく気になったりもするんですよね。
苦労されてた頃の、今と変わりがないような形の雰囲気だったりですとか、そういうところだったのか、
全く違ったよってご自身で思われるようなところがあったりですとか、それはいかがですか。
雰囲気は別に変わってないと思うんだよね、基本的には。
基本的にはこんな感じだったと思うけど、ただやっぱり俺も管理職になって、
そこから自分なりによりみんなが働きやすくなる環境をどうやって作ればいいかなとか、
そういったコミュニケーションであったりだとか、いろんなことを考えるようになったのは管理職になってからだと思う。
そこは元々の基本的には変わってないんだけれども、ちょっとやっぱりやり方変えたりとかいろんなことはしてた。
それこそ一番最初管理職の時とかは普通に詰めちゃったりとかいっぱいしてたよ、俺。
そうなんですね。
多分もう村松くんとかと仕事してる時は一切そういうのないような感じのスタイルになってたから、あれだったと思うけど、
結構そういう感じのこととか起きてて、俺もそういうふうなことでずっとやってきたからさ、
なんかちょっと厳しくあるべきというか、本当は全然そんなにショーに合わないのに、もう声震わせながら、
そういう年上の部下にちょっとこう強めに言うとか、結構そんな感じで自分で頑張ってやってたみたいなのがあったけどね。
途中から変えたんだけどね、そういうのね、全部ね。
そうなんですね。
そうそうそうそう。
それは結構長い間その詰めスタイルもされている中で、変わった天気となったのってどういうところだったんですか?
僕ののは、そうだな、特に一番大きかったのは、組織がさ、ガラッと結構変わった時があったと思うんだよね、恩者で。
なんだろう、で、従業員の大きい層をやるのと、小さい層をやるのと、この2分くらいだったのが3分くらいに分かれるようになった組織があったと思うんだけど、
その組織作った時って、結構なんか優秀な人をどんどんそこに入れていくみたいな最初の立ち上がり方が、東京は特にそうだったんだけど、なったのね。
で、そこの課長になったんだけど、その時だね、一番は。
で、その下には課長代理、トップセールスの、もう常にこう社長賞とか取るようなトップセールスが3人並んでるみたいな、なんか歪な課だったね。
で、その下に係長もいて、みたいなところで、もうなんかヤバいじゃん、それ。
そうですね。
それまではどちらかというと、自分より下の後輩とか、まあそういうのが多かったんで、自分のこともよく知っている新宿のそういう後輩だから、なんか教えるというか、
なんかそういう感じが結構やっぱりどちらかというと多かったみたいな感じが、自分の中でしてて多分そういうスタイルになってたのかもしれないんだけどさ。
まあ、その中でのそういう厳しい詰めみたいな感じを多分やっちゃってたんだけど。
どんな売れるやつにさ、やっても意味ないしさ、やる必要もないわけでしさ。
はい。
どうすると自分ができること何かなみたいなことはすごく考えて、めちゃめちゃ勉強した、そこからは。
初めて勉強したと、それまで何にもやってなかったから。
そうなんですね。
そうそうそう。
いや、勉強になります。それをお聞きするだけでも勉強になりますね。
いやいやいや、でも村松くんはね、もう十分勉強しているしさ、もともと勉強熱心だから、本当に素晴らしいと思うよ、それは。
いや、そんなことはないですけど。
意外に勉強してる人いねえから、オンシャー、オンシャーの人。
そうですか。
いやいやいや、本当に思ったよ。だから俺がちょっとやっただけで、全然周りと差がついたなってぐらい勝手に思ってた。
もちろん俺がハマっていることが、俺にとってハマりやすいフレームとか、そういうのとかもちょうど良かったとかっていうのはもちろんあると思うんだけど、
いや、みんな何もやってないんだなぐらい思ってて。
だからそこから結構スタイルがね、もう村松くんとかは知ってるような、そういうスタイルに結構なってて、
これが俺らしいし、これが一番大事だなみたいな感じでやってた感じはね。
本当にちゃんと人を見てやるっていうか、何ていうか、何かそういうところを大事にしてやるみたいな。
なるほど。
そうそうそうそう。
いや、そうなんですね。
結構ね、ゴリゴリ言えばさ、何か残ってるじゃん、今でも多分現場とか多少あったりとかすると思うんだけどさ。
はい、はい。
それを横目で見ながら、絶対俺はそれやらねえと思ってた。
まずはそういった関係性というか、人柄だって言って。
みんなやりたいんだって、そういう気持ちは絶対持ってる。
みんな苦しんでる。
それをちゃんとこう自分も理解してあげて。
で、そこに対してサポートしてあげるって、やっぱそういうスタイルにしなきゃダメだと思って。
いや、震えますね、何か聞いてても。
本当にね。
さらっと話しされてますけど、何か本当に今自分事として聞いていても、心が震えるというか。
まあまあ、そうそう。何かいろいろ、俺もそういう転機があって。
だからもうあの、村松くんとかのところに行った時はだいぶ仕上がってる状態だったよ。
だからもう本当に、もう東京でやることないぐらいに思っちゃってたから。
出たいですって言ってたね、もう。
そうそうそうそう、それまでは居心地よかったから、
はい。
新宿でね、何かいいメンバーに恵まれて、楽じゃん、はっきり言ってさ。
はい、はい。
もうね、俺のことを知ってるし、客もよく知ってるしさ。
はい。
これじゃ何かね、最初はそれが出たくないぐらい思ってたけど、
自分も自信ついて、そういう風に自分のマネジメントっていうのも何となくこうやっぱ確立できてきて、
挑戦したい気持ちもできてきて、で、移動したいって言ってる時に、そっち行って、
インサイドセールスじゃん、もうワクワクしたいだから、最初。
あー。
何インサイドセールスってやってろって言って。
めっちゃ勉強したもん、最初。
あー。
インサイドセールスとか。
なるほど。
何で俺の話してんだよ、こんなん。
いやいやいや。
気づけば。
いやいやいや。
でもほんとそう、それだいぶ仕上がってたから、何て言うのかな、そういった、いろいろこう、
でもあの環境でもそうだな、でもほとんど初めてだったのが、やっぱり年上の人が非常に多いような環境だったじゃん。
はい。
あれは初だったから、はっきり言って、それまで新宿で。
はい。
まあ年上って言ってもほんと1個しか変わらないとかっていうぐらいの部下しかいなかったんだよ。
はい。
初めてあれだけこうベテランの人とか。
はい。
また職種も変わって、職種もバラバラの人たちをまとめるってなった時に、
自分なりのそのやってきたことが、なんかちょっとうまくできるのかもってなって、さらに自信だったのかもしれない。
あー。
俺のやってくるの間違ってねえみたいな感じで。
なるほど。
いやもうじゃあ確信を得たのもその時期で改めてあったってことなんですね。
そうね、たぶんね。
だからそこで確立していったものっていうのが、なんかやっぱり自分にとっては一番フィットするし、
あとなんかこう自分、自分なんかブレないような感じのそういう軸がもうできてたんだろうね、きっと。
あー。
まあ俺のスタイルとして。
いやすごいですよね。
でもほんとに木村さんが所属長されてらっしゃった時も、今おっしゃってたみたいにその都市弁の方々が非常に多くてっていうところで、
その方の木村さんへの反応というか、接し方っていうところで、すごく好きの、何でしょうね、その最上のところで、
キムって呼ばれてたのを、よく私は呼んでないですけど木村さんのことは。
だから、いやキムはさあとか、キムはねえみたいな。
あーそうだね。
すごく愛情を持って皆さんそういう話をされてるのよく聞いてたんですよ。
はいはいはい。
で、何かあった時、いやキムが困らないようにしてあげたいからさあって言葉を話を聞いていたりだとか、
いやキムのためだったらみたいな、そういう言い方をされてる、ほんとに大先輩の方々だったりですとか、
見ていて、すごいなあっていうのと、でもどうやったら木村さんみたいになれるかなっていう、そういう目線も一つ持つような形になったりですとか、
ちょっと話戻っちゃいますね。
そこでやっぱり木村さん目標になるような方だなっていうのも改めてつながる話ですよね、そういう意味では。
なるほどなるほど。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。
いやでもね、村松くんはね、今いろいろ、でも自分でね、そういうことをこれから頑張っていこうってやってるわけだからさ、
村松くんだしくやっていけばいいんじゃないって気がするけどね。
ありがとうございます、ほんとに。
まあなんか俺はね、俺のスタイルがあって、村松くんは村松くんのスタイルが多分あると思うし、
盗めるところは盗んでいいと思うし、俺もそんなこといっぱいやってきたから、
きっと村松くんになるようないい形ってのがね、あるだろうし、
まあそういうのを今ね、見つけていくみたいなところが作り上げてってるとか、そんなところなのかなっていうふうに思うけどね。
ありがとうございます。
楽しみだね。
もうこれからこれからもっと楽しいと思うよというのは、やっぱり俺課長になってよかったなと思うのは、
本当にその直接的に部下から感謝されることがめちゃくちゃ起こるから。
たまらない、これは本当に。
本当にたまらない。
やべえと思ったもん。
なるほど。
それはやっぱね、すごい重いね、本当、責任とかはあるんだけどさ、大変なところもあるんだけど、