1. LISTEN to me!
  2. #4 LISTEN to think!

LISTEN to Think!

「リスントゥーシンクは、疑問に思うことを突き詰めることや客観的な認識の重要性について話しています」と話しています。この話題を三つの事柄に分けて次回から詳しく語る予定です。

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サマリー

「リスントゥーシンクは、疑問に思うことを突き詰めることや客観的な認識の重要性について話しています」と話しています。この話題を三つの事柄に分けて次回から詳しく語る予定です。

リスントゥーシンクにおける疑問と客観的認識
LISTEN to me! presented by Campus
これが4つ目の放送になるんですけど、LISTEN four!ですね。
LISTEN to think!というタイトルにしようと思っているんですけども、
考えるために聞くということで、
この前の放送では、LISTEN to society!ということで
今、オンラインサロンでの出来事、今時、
古色蒼然たる認識論の話というか、社会の認識、客観的認識、事実判断、価値判断などの話を
1980年代くらいまでに終わった議論かもしれないんですが、そんなことをしていたわけですけども、
ただ、これは依然として大事な問題で。
そこで、3つですね。その問題を考える時には3つのことが重要だと思うんですが、
3つのことが重要というより、その3つに集約できると。
いわゆる社会とか客観的世界というか、世界の客観的な認識、
あるいは客観的な認識と主観的な認識を巡る問題と言ってもいいですし、
事実認識と、事実判断と価値判断を巡る問題と言ってもいいですし、
それは社会科学の方法論とかにもつながる問題なんですけど、
この問題を考える上で、私は3つのことが関わっているし、
その3つのことを理解していけば、大体のことはわかるんじゃないかなと思っているわけですけど、
その話は実は次の話、放送でしようと思っています。
ちょっとよく考えたらね、ちょっと調子こいて1,2,3と放送を入れたんですけども、
あんまり考えずに、リスナーのことは考えずに、好き勝手本音で喋りまくるなんてね、
始めた番組なのであんまり深く考えもせずにやり始めたんですが、
思いのほかたくさんの人が聞いてくれると。
よく考えたらハテナですよね、ブログのハテナ。
私も2006年ぐらいからやってたんですけどね、いまだに残ってますけども、
これはハテナの世界だ、ハテナのポッドキャスト版だなというふうに思って、
だとするとあんまり中途半端というか、中途半端じゃないね、
生半可な気持ちで適当にやっちゃいけないのかなってね、
そんな気持ちもでてきてしまいましたけども、
でもそういうのを考え始めるとまた手足縛られるんで、
もう言いたい放題、放言しまくろうかなという基本スタンスは一応維持したいなと思います。
それでこれ4本目の放送になるんですけど、
リッスントゥーシンク、要するにハテナ、疑問符ですよね、疑問に思う、そして考える。
やっぱりこの疑問符、ハテナって思うことはすごく重要で、
我々はこう、普段ある、何でしょうね、信念とまで言わなくてもいいけど、
やっぱりある程度世界や世の中を信頼しているから日々生きていけるわけですけれども、
だけどふと疑問に思ったり疑念を持ったりする。
この疑念とか疑問というのはとても重要なことなんですよね、人間にとってはね。
進歩の原動力にもなるし、ハテナがつかなければ進歩はないし成長もないと思うんですが、
社会における表層的な考え方
ただね、最近そのハテナをちゃんと突き詰めたりね、
ハテナをやっぱりある程度ハテナにこだわって、疑問にこだわって考え抜くということをむしろせずに、
結構表面的に次へ次へ行ってしまう、表層だけで行ってしまう傾向がやっぱり強いような気がするんですよね。
それはやっぱり理由があって、あんまり深掘りして疑問符考えて抜いても、
実際の現実の生活は変わらないと、考えるだけ無駄だと気にもなっちゃう。
つまり考えるメリットというかモチベーションというかね、
やっぱりそういうのがなかなか働きにくい世の中にちょっとなっちゃっているのかなという気もするんですよね。
それだけ社会に対して、社会ってのはそう簡単に動かせるものではなくて、
その中で生きていくしかないし、あとはその中でどううまく生きていくかという、
ことの方が重要で、それに対して疑問符をつけたりしているとね、むしろ道を踏み外すみたいなね。
そんなこともあるのかなとかね、思ったりもしているわけですけども、
ただやっぱり考えるっていうね、疑問に思う。
その疑問に思ったことを考え抜くということを失っちゃうとやっぱり人類ってのは退化していくし、
滅びの道に入ると私は思ってますので、
もうこの考えるっていうのはホモサピエンスの本質ですので、考えることで進化してきたわけですから、
やっぱりそこをやめちゃいけないだろうと思うんですよね。
まあそんなことで、少しね、ここはもう本当にあんまり考えずに始めたリスントゥミーなので、
とにかくリスナーのことは意識せずに話していこうと思うんですけども、
それでさっきの最初の話に戻ってリスントゥソサイティでちょっと話したことで、
要は我々は世界の客観的な認識に到達できるのかできないのか。
もうそんなことを考える人も今いなくなって、そんなことできるわけないだろうとみんな主観を持って生きてるんで、
それはあなたの経験でしょうとか、あなたの感想でしょうとか、あなたの主観でしょうといって、
全てを切って捨てる時代になってしまっているような気もするので、空気感としてね。
だけどやっぱり大事なのは、最終的に客観的な認識には到達できないんですが、これは。
そのことははっきりしてるんだけど、だけどより客観的、より普遍的な認識っていうのは常に求めなきゃいけないわけですよね。
そうじゃなくて、もう自分の主観でみんな生きててうまくいくやつと失敗するやつがいるんだっていう、
そういう話では私はないと思うので、やっぱりより普遍的客観的で、それをちゃんと共有シェアできるっていうことが人類の知恵だったはずなのに、
人類の知恵と考えることの重要性
なんかその部分がちょっと弱っちゃってて、それぞれの主観で生きてうまくいくやつ、いかないやつに分かれていくみたいな。
で、みんなそのうまくいったやつのいうことを聞くという話になっちゃって、むしろ世界を疑問に付すとか、何か疑問に思ったことを突き詰めるってことは、
そんなことやってる暇あったらちょっとお金稼ぐこと考えろよみたいな話になっちゃってるような気がするんですよね。
なので、還暦親父の戯言ですけれども、そういうところにはやっぱりちょっとこだわってね、そもそも考える疑問符をつけるということを失った人類はやっぱり、
もう退化の道というか滅亡の道というかね、絶滅危惧される道に入っていくというぐらいの、結構本気の危機感を持ってこんな話をしているわけですが、
ということで、この辺で前振りは終わりにして、三つですね。三つ。事実判断、価値判断、あるいは世界の客観的認識、主体的認識に関わる三つの事柄。三つです。
これを次と次と次ですね。5回目、6回目、7回目のところで三つ、一つずつ話していこうというふうに思っています。
それぞれ10分ずつで語るということで、この放送をもし聞いた人はですね、三つって何だろうとね、ちょっとリッスントゥーシンクで考えてみてください。
ハテナーでね、考えてみてください。そんなことで、なんかリスナーを意識しているぞ。まあいいか。ということで、三つ。私なりに色々30年40年考え抜いてきて、やっぱりこの三つに集約できると。
この三つだけ抑えときゃいいんで、過去の難しい古典の議論はほっといて、この三つだけ認識していれば、次の思考に行けるぞっていうのをしゃべります。
とりあえず、この回はその前振りということで、リッスントゥーシンク、リッスントゥーミー、プレゼンテッドバイキャンパスの四つ目の放送はこれにて終了。
ご静聴ありがとうございました。やっぱりリスナー意識してるね。よくないね。やめよう。
09:29
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