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LISTEN to me! Presented by Campus!
オンラインサロンのメンバー
ちょっと難しい話をします。
実は、noteというSNSでオンラインサロンを始めて、
これ4月から始めたんですけど、
メンバー、数名ですけど参加していただいてるんですが、
結構、いろんなメンバー参加していただいて、
ポッドキャストをもう20年近くやってきた方とかね、
それから、あとは、
まあ、医学部の、医学部というか、
厳密には医学部じゃないんですけど、
某東京の有名大学の教授の先生ですね、
衛生学の先生なんですが、医学に近いところなんですけど、
学生時代の、私の大学時代の医学部の先輩なんですけどね、
その方も参加してくれて、
他にもちょっと芸術系の大学の先生とかね、
結構、大学教授、准教授などの方が参加してくれてる、
立派なオンラインサロンなんですが、人数は少ないんですけどね、
まあ、それはいいとして、
その医学の、衛生学の先生がね、大学教授ですけど、
社会科学、
まあ、衛生学ってのはちょっとね、やっぱり社会性も強いところなんですね、医学と。
純粋な医学というよりも、やっぱり社会との関係を探求する部分がありまして、
そこで、もともと社会科学に興味のある方なんですけども、
学生時代もいろんな議論をしたんですが、
最近特に、いわゆる事実判断と価値判断という、
分かりますかね、事実を、いわゆるファクトを確定するということと、
もう一個は価値ですよね。
人間がいろんなことを考えるときに、
一つは事実は何かという事実判断の問題。
もう一つは価値へのコミットメントですよね。価値判断の問題。
これがぐっちゃぐちゃに混在しちゃうと、おかしな話になるわけですね。
事実が何なのか、それから価値、
要するに事実判断の時に価値を持ち込むと、
それはバイアスがかかってしまうし、
逆に価値判断をするにあたっては事実判断が必要なんだけど、
この腑分けとか、あるいは事実判断と価値判断の関係がどうなっているのか、
特に事実を判断していく、
これは客観性の認識と言ってもいいんですけど、
事実判断していくときに価値判断というのを入れていいのか、入れちゃいけないのか、
でも入れちゃいけないと言っても入ってくるだろう、価値判断はね。
そこをどう考えるのかというあたりが非常に気になるみたいで、
これは何でかというと、自然科学の場合には実験ができるわけですよね。
実験をすると因果関係が、原因と結果がはっきりするわけです。客観的に確定できるわけですね。
ところが社会の場合は実験ができない、あるいはしにくいという問題があって、
だから事実の認定が非常にしにくいんですよね。
あくまでも仮説にとどまって、その仮説が実証できないと、実験による実証ができないという部分が、
やっぱり自然科学との大きな違いで、
そういう意味では社会科学といったときにどうやってそれを実証していくのか、
社会科学における事実判断と価値判断
全ては結局、価値判断、価値と価値の争いになっちゃうんじゃないかという問題もある。
社会科学における客観的な認識、事実判断をいかにして可能かという、
社会科学の方法をめぐる議論は昔からありまして、
それが自然科学をやってきた立場、
しかも医学と社会的な問題意識との接点にあるような衛生学という領域で研究されてきた方なので、
そこがすごく気になると。
もう還暦迎えたんだけれども、とても気になって、このままでは落ち落ち、
死ぬに死ねないというと言い過ぎですけれども、そんな話もあって。
たまたまそういうフェイスブックのあるグループでつながっていて、
そんな話になって、社会科学についてちょっと勉強したいと。
どうしたらいいですかと僕に聞いてくるもんだから、
それはもうどっかの大学院に社会人入学で入るか、
大学院は入りやすいですからね、そういうところで入って研究するか。
何なら私のオンラインサロン入りますかと言ったら、
オンラインサロンぜひ入れてくださいという話になって、
それでオンラインサロンに加わっていただいて、
結構濃い議論が行われていて、私もとても勉強になって、
今さら昔のいろんな本を引っ張り出してはね、
私もちょっと学び直しをしているということで、
とても知的な刺激を得て嬉しいんですけれども、
やってよかったなと思っているんですが、
特に社会科学における事実判断、価値判断という話で言うと、
一応今日話題になったのがヘーゲルという人と、
あとはマルクスですよね、ヘーゲルをひっくり返した人ですけど。
もう一つは、一番重要なのはマックス・ウェーバーですね、ウェーバー。
ウェーバーの議論がやっぱり一つ、
この事実判断、価値判断ということに関しては、
やっぱり我々にとってはベースになるんじゃないかなと話をして、
ところがカントとかヘーゲルとか、私たちが学生の頃は、
私今、今年60なんですけど、
私たちが学生の頃はカント読めよ、ヘーゲル読めよ、
ウェーバーと日本の研究者
マルクス読めよとか言われていた時代があったんですよね。
そこまで読むんだけど、ウェーバーはあまりちゃんと読む人はまだ少なかったんですよね。
社会科学をやっている方はやっぱりウェーバーを読まなきゃダメだという話で、
私も大学院に入ってからですね。
大学院に入ってからウェーバーを相当読まされましたね。
読まされたというか、面白かったので私も読みましたけど、
やっぱりこう、いろんな社会認識に関わること、
これは研究だけじゃなくて実践的に社会に関わる人、
やっぱりマックス・ウェーバーはちゃんと読まないとダメですね。
ヨーロッパの社会科学者というのは、あるいはヨーロッパで教養を持っている人たち、
あるいはヨーロッパの知識人たちは、やっぱりそういうベースを持っているんですよね。
カント、ヘーゲル、ウェーバーというね。
ところが日本の人たちはないんですよ、その素養が。
これは一般の方はもちろんですけれども、
自然科学、社会科学やっている方もそういう素養、哲学的な素養、教養がないから。
だから意外とそういう教養的なベースなしに研究者になっちゃっているもんだから、
結構薄っぺらい研究が多いんですよね、やっぱりね。
これは非常に困ったことで、
自然科学と社会科学はどこが違うのか、その時における事実判断、価値判断、
どういうふうに絡んでいるのかということについて、
やっぱりね、特にヨーロッパの研究者はそういう意識を持っているから、
そういう話ができるのに、日本の研究者はそれが一切できないという。
だけど研究はやっていると、狭いテーマでね。
もちろんそこで成果をあげる人もいるんだけれども、
やっぱり最近の、特に社会科学系の研究とか見ててもやっぱり面白いのがないというか、
なんか薄っぺらいのが多くて困ったなと私は思っているんですけど、
つまらないなと、だったら自分で書けばいいんじゃないかと思うかもしれないんですが、
私は私でちょっとそこから外れた人生を送ってしまったので、
今更ね、書く気力もないのでやりませんけど、
せいぜいこうやってノートに書いたり、ポッドキャストで喋ったりとかいう話なんですが、
でも今喋っているような話はさすがにね、
ポッドキャストとかでもね、他の番組二つありますけど、
喋った瞬間にもリスナーみんな引いてしまいますので、話せない。
なので、リスントゥーミーで話しているということなんですが、
ちょっと今日は中身に入ってないですけどね、その辺の中身の話はまた今度しましょう。
事実と価値、これをどう考えるのかっていうこのテーマについては、
リスントゥーミーで深掘りしていこうと思っています。
ということで、10分たったのでここまで。
それではまた。