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2025-03-21 35:10

# 53 バンジージャンプの儀式性について

RITUAL(リチュアル): 人類を幸福に導く「最古の科学」という書籍を読んだ/儀式の社会レベルと個人レベルでの効果/共同体の結束や自己認識の強化/儀式の役割/現代社会における新たな儀式の形/通過儀礼的な意味合い/組織における儀式の可能性/コミュニティ形成における儀式の重要性

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サマリー

このエピソードでは、バンジージャンプを通じて儀式の重要性やその社会的・個人的な効果が探求されています。特に、儀式が人間のアイデンティティ形成や感情調整にどのように寄与しているかについて、多様な視点から考察されています。バンジージャンプなどの儀式性について、参加者が精神的・肉体的な負荷を感じることがコミュニティや自己アイデンティティの形成に寄与することが語られています。また、儀式を通じて仲間意識や帰属意識が醸成され、組織における価値観や歴史を重視する重要性が示されています。バンジージャンプは、恐怖を乗り越えるための儀式的な行為としての意義についても語られています。このエピソードでは、儀式の重要性や現代社会におけるその欠如についても触れられています。

バンジージャンプの魅力と儀式性
この番組、バンジー中毒では、一度は空を飛んでみたいあなたへ、バンジージャンプの魅力をご紹介していきます。
パーソナリティは、移動式VRアトラクション、どこでもバンジーVRをプロデュースしていて、
50回以上バンジージャンプを経験している私、野々村と、20年来の友人であるマッツアンと、2人でお送りします。
今回、第53回目は、マッツアンが最近読んだ書籍をもとに、成人の儀式が元となるバンジージャンプについて、
そして、儀式的な行為が失われつつある現代社会について、などを幅広く話していますよ。
本日のトークテーマに移りたいと思います。
はい。
トークテーマは、バンジージャンプの儀式性についてです。
これですね、私がちょっと最近本を読みまして、リチュアルっていう本で、
儀式ね、リチュアル。
英語で言ったら儀式、リチュアル、そう。
で、ディミ、ディミ、ディミトリスクシガラタスさん。
何人の人よ。
ディミトリスクシガラタスさんでして。
子供が適当につけた名前みたいな。
っていう人が書いている。
まず、クシガラタスさんっていうのが、人類学と認知学、これ2つでバックグラウンドを持っている人で、
人間が儀式を行う理由について、すごい深い研究をこれまでしてきた人で、
例えば、ギリシャとかだったらさ、昔から伝わるので、日渡りの儀式。
ああ、テレビで見たことある、そういうの。
日本でも暑いところを裸足で渡ってガーって走るような儀式とかもあるけど、
本当に火の中を歩く儀式とか、アマゾン部族の儀式とかも、歌ったり踊ったりとか祭りとかあるじゃないか。
世界各地の多様な儀式を集めてて、ちゃんと観察して、観察するだけじゃなくて、
心拍数とか、そういうのも測定して、身体にもたらす影響とか、
あと社会にもたらす影響、心理テストとかもちゃんとして、
儀式が人間にどう作用しているかというのを研究している人の本を読みました。
僕その儀式が体験できるテーマパークあったら結構お金払うわ。
やってみたい、いろんな儀式。
すごいよね。そういうふうにちゃんと定量化してる人いたんやと思って。
面白いなと思ったけど。
ごめん話を腰折っちゃいました。
全然。大きく社会レベルにおける儀式の効果と、
個人レベルにおける儀式の効果が大きく二つあるんですけど、
社会レベルにおける儀式の効果で言うと、
共同体の結束。
村の人たちがこの村の俺たちはメンバーだと結束するとかって昔からあったと思うし、
その祭りとか観光招待。
みんなでみこし家族ぞえい!みたいな感じとか結束力が上がるだろうしね。
もうその共同体の価値観の共有。
だから祭りはすごい分かりやすいね。断じ利き者の話とかも分かりやすいし。
あとは社会規範の維持っていうところで、
観光葬祭とかもなんでまだ結婚式とかも儀式的やけど、
儀式的に行われるかっていうと、やっぱり社会的な
ちゃんとこういうふうなことを遂げましたよっていうことをやることで、
社会全体が安定するっていう効果があるから、きちっと儀式的にやる。
なるほど。
観光さんも葬式とかもね。
確かに葬式なんかも悲しみに暮れてなんかね、ああいうのがなかったら、
社会がどんどん崩れていきそうなイメージはあるよね。
グリーフケアになるみたいな話はあるもんね。そういう儀式自体が。
だと紛争の解決。これは儀式をすることで謝罪とか和解とかっていうことを、
まあそういうあれもあったと思う。火破りの刑とか見せ締めみたいなこともあったと思うけど、
当事者さん間で関係修復をするようなために儀式をやるっていうので、
社会を安定させてたっていう役割があったのが社会レベル。
なるほど。儀式の効果の社会的な役割の部分、3つありましたと。
個人レベルでいう儀式の効果っていうのが、さっき言った心理テストとか心拍数とかちゃんと測って見えてきたところで、
まず感情の調整。これさっき言った結婚式とか葬式とかでも、
幸福感とか高揚感とかを高める、ないしは悲しみをみんなで忍ぶことで、
ある種の調整してるよね。感動、感情。いきなりバーンと上がったりとか下がったりとかしないようにして。
あとは自己認識の強化。これは自分がこのアイデンティティというか、
そのコミュニティに属するんだっていう風にアイデンティティを持つことで、
成人式、卒業式、入学式、この辺も通過儀礼やけど、
ものすごい所属意識を生むよね。
めっちゃ大学卒業の時とかめっちゃ思ったけど、卒業式の時に。
どうした大学辞めるんやと思って。終わりなんやこれって思って。
めっちゃ悲しくなった。入学式の時とかは、
もうやっぱりこの学校の一員になるんやと思うし、
あそこであれなかってそのまま行ってたら、ただ単に何?みたいな。
電車の乗ってる時間長いだけやんけど、こうやんけみたいなね。
デジタル的な所属意識にしかならなさそうやね。
で、あと最後に集中力とかパフォーマンスが向上するっていう儀式。
スポーツのルーティーンみたいな。
あとは特定の動作をするとか、演奏前、
例えばオーケストラとかだったら深呼吸とか。
すると集中力パフォーマンスが上がるからそういう儀式、
小さいルーティーンを入れるみたいなところがあって、
そういう効果がありますよと。
現代においてはその役割が伝統的なもの、観光葬祭とかはちょっとずつ衰退していて、
儀式の現代的変容
逆にスポーツイベントとか音楽フェスティバルみたいなところが
新たな儀式みたいになってるんじゃないかっていうふうに書いてたりとかしてて、
確かにオリンピックとかワールドカップでサッカー日本を応援するとか、
そういうのもある種の一定の儀式みたいな感じだったし。
信者ビジネスみたいな言葉聞くけど、アーティストのファンダムみたいなところで言うと、
CD買って発売の時にはもう握手会で並んでとか、
フェスはファンクラブ入ってアリーナで見て振り付けをしてとか、
割と儀式性によって。
鈴鹿儀礼、フミエ的なCD買わないとそれをやってないみたいなね。
アップルが好きだったらパソコンもスマートフォンもアップルウォッチも
全部アップルブランドで揃えてとか。
アップル信者って言われるしね。
確かにね。
で、発売日には並ぶんだとか、発表会はオンラインで、
アメリカ時間でオンラインで見るんだとか。
なるほどなるほど。
ある気もするな、そういうときでも。
そういう風になってきたりとか、
あとはちっちゃいヨガとかっていうのも
ある種精神的なルーティンみたいな儀式だったりとか、
現代でいうところね。
あとはバーチャルとかオンラインとかでも
巡礼、イスラムの教徒の人がああいうのをやったりとかするらしいんだけど、
新しい携帯も生まれてますみたいな紹介をしてくれました。
バンジージャンプもあるし、
昔からの通過儀礼、儀式みたいなところだったから、
そこと絡めてこの儀式とバンジージャンプの
関係性をちょっと話せていけたらなと。
なるほどね。
もともと聖人の儀式だったから。
そことバヌナーツ共和国のペンテコスト島っていう離島で
豊作を願う、あるいは収穫を祝う、
どっちかちょっと正しく微妙に分からないんだけども、
そのいわゆる収穫祭的な感じで、
もう一回言えばペンテコスト島で
豊作を願う儀式として
ナゴールっていう名前のお祭りがありましたと。
その時にヤグラを作ってそこから飛ぶっていうことを、
そういう行為が生まれて、
この村で聖人、大人と認められるためには
そこから飛ばなければいけないっていう通過儀礼になった。
聖人式としてランドダイビングが作られたわけではどうやらなさそう。
自然発生的にそういうのが生まれて、
意味付けとしてそうなったっていうことだと思うんだよね。
けどそれはその村、その島かな。島の儀式だったわけでしょ。
今も続いてる。
今も続いてるよね。
それが商業化されて
それで言うとその島では全然商業化されていなくて、
それを触発された人が商業にしたっていうことですね。
A.J.ハケットさんが。
日本の竜神バンジーとか日本にも商業出口ができて、
結局その竜神大吊り橋と竜神バンジーとかさ、
聖人式の日にさ、
神聖人がね。
飛ぼうってなってるじゃん。
あれはなんかある種儀式的なところにまた戻ってきている。
戻ってきているって言い方があれですけど、
こういうルーツがあるんだよって紹介されて、
じゃあみんな飛ぶってなったりとかしてるやんか。
そうね。
それはどういうことですか。
そうよね。何か日本人の特性なのかな。
ルーツを辿って遊ぶって結構好きな気がするんですよ。
最近で言ったら聖地巡りみたいな、
スラムダンクで小北高校に通う時に通ってたこの電車の線路とか、
ルーツを辿るみたいなのを突き詰めて、
何かただこのバンジージャンプっていうアトラクションも、
起源を辿るとそこに聖人の通過儀礼としての、
役割があったっていうところを今一度現代に取り入れて、
意味付けをまたしているっていうことだと思うんだよね。
さっき言った個人の変化で3つ言ったけど、
感情の調整か、自己認識の強化か、
集中力パフォーマンスの向上で言うと、
何かどれに当たるんだろうね。
そうね、ルーティン的な日常の中でできる儀式で言える話と、
1日かけてやるバンジージャンプっていう話が、
ちょっと視点の高さが違うような気もするんだが、
だけど例えばバンジージャンプを飛んだことによって、
本当に自分は人から向けて大人になった感覚が得られているっていうことが、
もしあればそれはやっぱり儀式の効果って言えそうだなって思ったな。
さっき言った成人式とか卒業式の時の通過儀礼っていうのが、
いわゆる通過儀礼みたいな感じで、
それで実行認識が強化される。
ここに所属してるんだっていうものとか、
自分のアイデンティティが強化される。
そうだね。
なんか集団の中でのアイデンティティって言うと、
周りの人たちと友達とかとのグループの中で、
俺飛んできたって言った時に、
えーお前飛んだん、すげーとか、
なんかそういう認識に多分変わるっていう効果はあると思うんですよ。
俺絶対無理とか、
すげーお前飛んだやつなんだ、おめでとうみたいな。
個人で言うとどうなん?アイデンティティを強化するって言うと。
で、それはなんか自分が怖くて、怖かったけどもやったっていうのが、
多分忘れない経験として残ったらば、
それは誇らしく人にも話せるだろうし、
すごいなって周りから言われたら、
ありがとうみたいな気持ちにはやっぱなるんじゃうかな。
そうか。
通過儀礼的にじゃあ今後もやる人は多くなるかとかって言うと、
例えばね、例えば無理やり、
昔はなんか飲み会とかがあったやんか、
俺らサラリーマンの20歳の時とかさ、
会社で会社の忘年会とか、
3月の何か起床の年始の飲み会、
絶対参加なみたいな。
若手が店取って飲み会するぞみたいな。
儀式性と帰属意識
ある種、そこで飲んで先輩とかと一緒に時間を過ごして、
ちょっと若干嫌やったけど、
それがある種会社に対する帰属感をすごく高めたと思うよね。
無理やりやることによって。
今はそういうのは結構なくなってきて、
来たい人だけ来ればいいよっていうのをやったとしても、
どんどんその儀式性が薄まっているようなとこもあって、
とはいえ儀式を、
それでもなんか儀式をやりたいっていう風に思う人も
いっているんじゃないかなと思う。
何の儀式かっていうのは重要だね。
所属意識とかコミュニティの中での
自己アイデンティティとかっていうことで言うと、
なおさら自分がそこで、
そういう一員として役割を果たしたいと思っていなければ、
何でわけわかんない、自分のアイデンティティもしたくない組織の中で
そんなことさせられないといけないのかっていうのはなるなって思ったかな。
あと今そういえば儀式の中で要素としてあるなって思ったのが、
儀式を体験する人が少なからず精神的にとか肉体的にとか
負荷がかかったりとか変化を感じることが
儀式になっていることが多いんじゃないかなってちょっと思ったんですよ。
バンジーなんてそれは象徴的なもんだし、
三越を担ぐとかも肉体的に負荷がかかるし、
さっきの飲み会のあれだったら、
僕も新入社員なんて飲み会仕切れるようになったら一人前だとかって言われて
飲み会の仕切りとかやらされたりとかもあったりとか、
皆さんの前で乾杯の発声とか感じとしてのね、
飲め!みたいな感じで一気飲みするとかっていうのも
完全に負荷かかってるじゃないですか、精神的にも身体的にも。
だけどその負荷を乗り越えた後に、よくやった!ってなることが
やっぱり、これでよかったんだとか
不安だったんだけどこれでよかったんだありがとうございますみたいな
やっぱりどうしても帰属意識には繋がるんじゃないかな
仲間意識そこで芽生えるよね
芽生え、身体的に何か汗かいたり声出したりとか
して乗り越えた先に何かしら確かに
仲間意識は作られるし
無理矢理でも何かだからやった方が
コントロールしたい側をもしかすると
その儀式だからとかこれもう
なんていうんですか、恒例行事なんで
理由とかじゃなくてもうとりあえず来てくださいって
言った方が、言って何かやって
めちゃくちゃ嫌だったかもしれないけど
とにかくその一員になったっていうことにはなる
ことなんかな
逆にコミュニティの共同意識を上げようとかって
考えてる側の方に視点を移したら
そんな風に儀式作るのも違うけど
どうすればみんな巻き込んでちょっと負荷かけられるかなみたいな
それを乗り越えてもらえるかなみたいな
それを乗り越えてることが良しとする価値観を
まさに宗教的な話やけど
負荷が生む仲間意識
これ乗り越えてるやつがいいよねっていう
勝手に物差しを作っちゃうっていう話なんかな
まあやりすぎは良くないけど
ただそうやなけどちょっとだけ
宗教的とか悪い面じゃなくて
いい面で言うと
それで一応その組織はずっと
ここまで成長っていうか続けてこられたし
何かしらの歴史はちゃんとあって
それをやってるわけだから
全否定もできないなとは思ってて
どれだけ個人にとって嫌な経験とかになる可能性も
若干あるかもしれないけど
そこのそれを乗り越えてきた一員が
今の仕事だったりとか
事業だったりとかっていうのを
築き上げてるから
そこに対する若干のリスペクトというか
歴史に対するものは何かあってもいいかもしれない
なるほど
全部そういうのが通過儀礼だから不明だからって言って
ダメっていうのも何か良くないかなって
そうやね
だからもう本当に
儀式って別にそんな薄っぺらい
何かをすれば合格とかっていうものでもないから
やっぱりそこに本当にどういうバックストーリーがあるかとか
そのストーリーのある出来事を体験した人が
精神的とか肉体的にどういうふうな感情になるのかみたいな
ちゃんとした思想のもとに
作らないといけないもんなんだろうなとは思ったかな
なんかこの本でも串柄多数さんは
今言ったようなことを集団的沸騰って言ってて
そういうメカニズムはあると
人が儀式に参加すると
高揚感一体感共有して強力な共同一体意識を
作るっていうことで
集団的沸騰って言葉を使ってるんだけど
なんかねその沸騰が
昔のほう伝統的なもので
治安とかいわゆる集団を
調整するために
使われてきた面で働いてきたっていうのは
一定は絶対あると思うね 祭りとか観光祭も含めて
なるほどね
コミュニティ作ろうとする側の今目線で言ったけども
バンジージャンプの意味
1組織とか
コミュニティに属する人として
地域の防災訓練がありますから出てくださいとか
なんかね
自分は待ったんだけどもこういうことになってるから
参加してくださいってなって参加して
結果的にそこの余白のところで
人間関係が生まれたりとかっていうのはあるわけだし
なんか入りやすくもあり出やすくもある
っていう今のコミュニティの状況だし
特にオンラインコミュニティとかもそうだから
昔よりもその儀式の重要性が実は高まってたりとかする
そうかもね
踏まず自然にちょっと踏んでもらう
ぐらいのことをしてもらわないとすぐ出ちゃうっていうのもあるしね
そういう意味ではやっぱ
ポッドキャストでオレオンラインコミュニティ2つ入ってるけど
やっぱそこに入ろうと思ったのも
ポッドキャストで話してる内容とか面白くて
その後スラックみたいなディスカードってやつあんねんけど
スラックにいたやつ ディスコード
ディスコードでそういうコミュニティあるからって入って
そこに通知とかチラチラって見たら同じような
ポッドキャストで喋ってるコンテンツとか
こういうの買いましたとかこういう情報ありましたよとか
社内でそういう いや全然違うポッドキャスト自分が好きな番組やけど
ディスコード入ってたりとかしてて
やっぱそこで多分もう価値観がある程度
そのポッドキャストで聞いてるから共有された上で入ってて
そこでだからそういう踏み絵にはなってないっていうか
自然な感じでそこのノリに入っていけてる感じがしてる
ポッドキャストがある種を聞き続けることが踏み絵になってるけど
儀式的になってるかもしれないけど
確かにそのコミュニティが何か目的を持ってる
何か活動していこうこっちに動いていこうっていう組織なのか
あるいはただただ同じ共通点が持ってる人たちが集まって
内輪で話しましょうなのかによっても違うから
どっちにおいても内輪の仲間意識を高めるための儀式とかもあるかもしれないし
踏み絵みたいなところで言うとある一定の方向に進んでいくために
その進む方向を力強くしていくための儀式とかっていうのもあるんだろうなとかって思ったかな
それこそみんな例えばリモート完全リモートしてますみたいな会社があったとしてさ
じゃあお前らオフィスないけど踏み絵だと
この今から家にステッカーを送ると
全部共合他社のブランドだとそれを地面に貼れと
踏みつけて生活しろみたいな
それ結構儀式っぽくない?
大分そうだね
気持ち悪い話だけど
大分そうだねしかも意味ないしね
1円も儲からんしね
分かんない
それやって
分かんないけどそういうところでちょっとでも心理的抵抗感ある
なんでこんなことやらないとあかんねんって
気持ち悪いわってことをやらされてるとかって思ったけど
やってなんかね
一般全員やりました
二般全員やりましたとか
そんな風に
言い方がなんで反対やん
ある種そういう気持ち悪さを乗り越えて
なんかそれが当たり前になってきたなっていう風に
どんどん人の認知が変わっていくってことで
気持ち悪さを乗り越える
なんか身体性
身体的に汗かいて
声出したりとか叫んだりとか
乗り越えたら
共通行で意識を持てるっていうのと
気持ち悪さ
ちょっとこれ
俺らなんか変だよねみたいな
うへへへへみたいな
気持ち悪さを乗り越える
気持ち悪さを乗り越える
気持ち悪さを乗り越える
気持ち悪さを乗り越える
みたいな
たしかに多少あるかもしれないな
その行動を移す
た時に
何かしらの感情は
動く
あると
こんなことを私してるんだ
それがある種
けどみんなしてるから
あ、この意識がみんなのと一緒なんだ
一緒なんだ だから大丈夫だみたいな
あるかもね 確かにね
深井・ヤンヤン・ヤンヤン・ヤンヤン
バンジーに話戻すと
バンジーが精神の儀式っていうのは
もともとの起源を辿ってるわけだけども
やっぱりね 僕仕事で
つながりのある組織さんで
なんか今年度のテーマはチャレンジだと
そうそうそう
それを早朝してリーダーが
バンジージャンプ飛んできました
この映像を見てくださいみたいなことは
やっぱりやられてるんですよ
世の中的に
びっくりした
え? びっくりしたわ
そうそうなのよ
どういう意味を投影するか
っていうことが
まあね
何かその 飛ぶとか
あるいはなんか
手を合わせるとか
そういう行動する内容と
意味合いみたいなことを
いかに紐づけていくか
その紐づけた意味とかを
関わる人たちで
共有するかっていうのが
多分儀式が
機能するかしないか
っていう話で
ポイントになってくるところなんじゃないかな
思い出してきたんだけど
私前の会社でね
昭和
歴で言うと100年ぐらい続く
伝統的な会社だったけど
営業のトップの人
高卒叩き上げで
トップになって
今すごいでっかい会社に
転職されたりとかして
すごい売る力があって
トーク力がある
元祖昭和みたいな人の研修を受けたのよ
それで
商品
家電商品を売ってたんやけど
家電商品のノベルティを
があると
これは天然の
素材で作ったタオルだって
これをお客様に
あげるから
テレビ買ってください
っていう話を
説明をするんやけど
その人はそれをいきなり
食べ始めて
天然素材だからこれ食べれるんだよ
って言って
うおーって食べ始めて
うおーってなるやん
けどベテラン社員は同時だよ
バンジージャンプと儀式
こんなの当たり前でしょ
あの方だったら
これぐらいやるでしょみたいな
すごいね
すごいやん
リーダー自ら
それだけ
すごいものを
お前たちみんなで
ノベルティとしてお客様に
プレゼントすることで
喜んでもらうんだと
あとは
こうやって肩組んでさ
営業の子たちは
俺は営業じゃなかったけど営業の子たちは
肩組んで
二人一組で
お前の肩組んで
できるできるできるできる
って3分言い続けると
それで
一人できるげぼーって吐いたやつが
深井・ヤンヤン・ヤンヤンヤンヤンヤン
深井・ヤンヤン・ヤンヤン・ヤンヤン
ヤンヤン・ヤンヤン
深井・深井・それもねだったやん
思い出したわ
会社転職してよかったね
深井・よかったよかったよ
深井・ほんとよかったよそれはないからねさすがに
深井・凄いなぁ
深井・それはないけど儀式だから
深井・それも儀式やね完全に
その儀式的な研修の効果ってどうやったんやろうね
深井・いやこれがね
高揚するのよ
できると思うねんてマジで
売れるって
家電製品売れるって思うのよそれが
へえ〜
やったあとなんか
うわあっていう勇気にして
やるぞ〜お〜とかやんねんけど
できるって思うのよ本当に
すご〜い
すごいよ
うん
あの〜
体調って言われる人が前に出て
うん
鉢巻きもいてや〜ってやんねんけど
ちょっとちっちゃいねんけど背が
うん
はいはいはい
それも印象的めっちゃ覚えてる
へえ〜
うん
面白いね
あのなんかそういうと
なんかやっぱり分かんない
何のために誰がって話やけども
うん
なんか仮に
いい儀式を新しく作ろうと思った時に
えっとそれを
まあ宣教師じゃないけどさ
なんか意味を伝えたり
うわあってみんなコブする
はいはい
うん
ねえアジテートするっていうんかな
扇動するっていうんかな
うん
そういう人の役割ってめっちゃ大切やね
う〜ん
まあそうやんなあ
うん
儀式の内容を考えましたこういう内容でとかさ
うん
なんかバンジージャンプの意味合い
こういう風に提案するのどうでしょうかとか
なんか仮になんかねデスクワーク的に考えるんじゃなくて
最後は結局もう情熱のパフォーマンスで
うん
うん
なんか政治家の演説のように
皆さんこうですとかって
今からこういう儀式をすることによって
こういうことを目指していくんですみたいな
うん
騙されたと思ってまずはやってください
こっからみたいなさ
でどんどんその気になっていくみたいな
う〜ん
まあいやうんそういう体験サービスを売るとかだと
結構なんかそのそうやねなんか
あのデジタル系だとあんまりそのね意味がないと思うけど
現場でなんか物を売るとかだと
うん
もう研修だったりとか学習ってめっちゃしないと
うん
説得力増さない
まあそうよねそうよね
とは思うな
ねえちゃんとしないと危なくなるかもしんないしね
松岡修造さんのコーチが
なんか一時なんか世の中の話題になった時あったじゃないですか
なんだっけ気合だ気合だみたいなやつ
はいはい
熱血の
アニマル浜口
ああこれ確かに混じっちゃった
アニマル浜口と気合だ気合だもだし
松岡修造さんのもう熱血のなんか指導みたいな
ああやれるやれるみたいな
そうそうそうそうそう
なんかチャットGPTじゃ絶対できないことだしそういうのって
はいはいはいはい
自分も多分そう思い込まないと多分相手に対してできないし
なるほどね
なんかむしろ今ちょっと思ったのがさ
バンジージャンプ絶対飛べませんみたいな人をさ
そういう儀式とか研修とかで
もう本当にもう情熱でわーってなってプログラム作って
もう飛ぶしかないあなた絶対飛べるって勇気づけて
本当に絶対無理だと思ってた人が
飛べるようにするような何か一連のプログラム作るとかって
うーん
なんかやろうと思ったらできんのかなって思った
うーん
あんまりやろうとは思わんけど
まあその時代がね否定されそうな感じするけどねそういうのね
本当だよねあれも10年前ぐらいのことなのかね
いやー
松岡修造さんのああいう熱血の感じのやつとか
10年以上前
なんやった昭和のパワハラしやがってみたいな
なるよね
なんか出てきそうな気がするな
なるよね
うーん
とはいえなあ
なんかすごいなんか大切なものをみんなやってないのかなと思うよね
うーん
この話どこに着地したらいいんやろ
「漢字ジャンプは恐怖を乗り越える儀式みたいな形になってるけど
それそのものの行為っていうのは伝統的なものは割とみんな避けてはいるし
ある種その共同体に入ったりとか出たりとかいうことはあるんだけど
もうあえてそういう儀式に飛び込む
やってみることで何かしら別のその 高揚感だったりとか
達成感が得られる ポジティブな 感情を得られるっていうのもあるし
無理やりそれをやって まあその
失敗することもあるんだけど なんとなくこの現代社会では
儀式的なものが欠けてるなって思った っていうふうなとこでいいんじゃないですかね
現代社会の儀式的欠如
分かりました
はい
はい
それではここまで聞いていただいて ありがとうございました
はいありがとうございました
35:10

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