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2024-11-10 28:40

令和六年霜月の回『近代文学の夕べ4』2

ガチャを回して出てきたことについて語る「文ガチャ」

霜月の回のお題は「近代文学の夕べ」 らい堂さんが近代文学を読んでの読書感想文を書いて、それについて語っています。

ご紹介する作品は小泉八雲の『耳なし芳一』 青空文庫さんにも掲載されている作品です。

2週目の今回は、らい堂さんの感想文回です。

一緒に感想を考えながら、聴いていただけると幸いです。

サマリー

今回のエピソードでは、小泉薬物の作品『耳なし法一』を題材に、日本の古典的な怪談を深く掘り下げています。物語のキャラクターやテーマ、特に法一の運命と彼を取り巻く霊魂との関係について考察が行われており、死と幸せについての哲学的な考えが展開されています。このエピソードでは、法一と安徳天皇の霊に関連するストーリーについて、取り憑かれることの意味や霊の苦悩が考察されています。また、有島武雄の作品についても言及されており、次回の朗読に向けた期待が寄せられています。

耳なし法一の物語
ということで、耳なし法一ですね。
はい。
読んでみました。小泉薬物の小説ですかね。
そうですね。
一旦、僕が書いてきた感想文を読んで、それから話していこうかと思うんですけれども。
はい。
いきますね。
耳なし法一を読んで、椿雷道。
今回この本を選んだ理由は、耳なし法一は日本の古典的階段として、特にクライマックスシーンがよく知られている作品ですが、前後の文脈を知らなかったことに気づいたからです。
作品を通読することで、私の知るクライマックスの印象も変わるのではないかと思い、興味を持ったからです。
ある寺に寄居する盲目の主人公法一は、住職の不在のある日、求められるままに招かれた場所で、銀杏と美輪を披露します。
後日、法一の様子に違和感を持った住職は、法一を救うために対策を講じました。
しかし対策に欠落があり、法一は耳を失ってしまいますが、命を取り留めることができました。
物語の構成上、法一の目が不自由であること、銀杏と美輪に長けていたこと、住職が慈愛に満ちていて、法一を大切にしていたことが物語の展開に効果的であり、故事の由来もあり、怪談らしい魅力もありました。
最後の一文まで読んで、最初に思ったことは、命を救われた法一は本当に幸せになったのだろうかということでした。
それは最後の一文による印象が強いからかもしれないのですが、そこを考えてみたくなりました。
住職によれば、また悪霊の言葉に従うようなことがあればやつ先にされてしまうというのですが、法一の銀杏をとても気に入っている安徳天皇をはじめとする霊魂が、法一に苦痛を与える気がしません。
常にそばに置きたいと思い、法一は死んで幽霊になって安徳天皇の霊に仕えることになるかもしれませんが、住職に世話になるまで貧しい暮らしを送ってきた法一にとって、貴人に囲まれて歌を吟じ、美話を演奏し賞賛を受ける日々も悪くないように思えてしまいました。
現に寺の男たちに引き戻される時には、この高貴な方々の前でそんな風に私の邪魔をするとは容赦ならんぞと、枯れらしからぬ憤怒を見せています。
一方で、安徳天皇らの霊に対立する住職の人物像や発言は、とても興味深いものがありました。住職は法一の偽量を高く評価し、寺に留め置くことにし、法一も寺に住みながら修行をするわけでもなく時々住職に吟唱美話を披露するだけだったので、
その点で住職は一種の水神であり、いわばバトロンのような存在だったわけですが、法へに出かけることも多く、僧侶として優れてもいたようですし、法一が霊に憑かれたことを指したり、悪霊に法一の姿が見えないように策を講じるなど法力にも優れています。
また、法一が悪霊に憑かれていると知った時も、最終的に法一が耳を失った時も、強く哀れみの言葉を紡いでいます。
また、耳を失った原因について、実際には助手のミスであるのに監督責任があるような趣旨で、法一に詫びており人格者であることも感じられます。そんな優れた住職が仏門に消えする者として、身近な者が悪霊に取り殺されるのを放置できるわけがないことは十分に理解できます。
耳を失いながらも命を繋いだ法一は、富も名声も得てハッピーエンドならそれで良いと思うのですが、最後の一文に載せた筆者小泉薬物の意図が読み取れず、奇妙な思考に陥ってしまいました。
この作品を読む以前は、これは怪談だろうと考えていたので、悲鳴の上がるような恐怖を感じることを楽しみにしていました。実際に読んでみると、確かに怪談らしい恐怖を感じさせるシーンはあるのですが、過剰な恐怖心を煽るようなことはなく、むしろ住職の言い付けを守る法一の住職への信頼と精神力に感嘆させられました。
そのためか、あまり怪談という印象はなく、民話的な印象の方が強く残りました。また、既に書いたように死や幸せについて考えさせられた点で、個人的には哲学的なものを感じました。
この作品を読んだことで改めて死と幸せについて考えさせられました。そのことの結論は出ていませんが、考えること自体が有意義だったと思っています。
ご実談に詳細はありませんが、呪われて死にかけた法一は、耳を失ったことで住職を恨むことはなかったと仰がることができます。
法一は命を救ってくれた住職に感謝していたように思います。
だからこそ、名声と富を得ることができたのだと思いました。
法一が幸せを感じて暮らせていれば良いと思いました。
ただ最後の一文。しかし、この事件のあった時から、この男は耳なし法一という呼び名ばかりで知られていた。
というのは、単純なハッピーエンドではない不快感を残し、ある意味では怪談らしさなのかもしれないと思いました。
以上です。
住職と法一の関係
はい。
えーと、ちょっと言い訳先にしていいですか?
はいはい。
毎回、文章が良いか悪いかじゃなくて、感想文としてどうかというところで何があるような気がしていたので、
感想文の書き方みたいなのをネットで検索して調べて、パートを分けて書いた結果、同じことを何度も言ってるなっていう風にはなりました。
それはあまり感じなかったですね。
なんかね、死と幸せについて考えさせられたっていうワードがちょっとしつこいかなっていう風に今読んでて。
まあでもそれが僕が一番言いたいことではあったので、まあいいんですけど。
まあそんな感じですね。
ちょっと一般的な解釈とも違うような気はするなと思いながら、自分の感想なんでいいんですけど、
そんな風なことも思ったりしながら、読んだり書いたりしました。
ひとまず感想文として、咲夜先生いかがでしたか?
ちょっとなんかね、嫌な感じのこと先に前段で振っちゃってるから言いづらいかもしれないけど。
あの、何でしょうね。
私これ最後の雷道さんの感想がすごい面白いなと思っていて、
ちゃんと最後の一部について疑問を呈しているっていうところが、ちゃんと読んで感じたことを書いていらっしゃるなっていう風に思ったので、
いい感想文だなって思ったんですね。
ありがとうございます。
それを読んだ私も、ああそうかって考える機会ができた。
なるほど。
先ほど娘たちとこの話をしてきて、話題にもなったので、
視点も目の付けどころとか、あと疑問の呈し方っていうのがいいなって感じました。
なるほど、ありがとうございます。
ちなみに娘さんたちとか、ちょっとどんな意見だとか、どういうこと言ってたとかなんかあります?
あらすじしか知らないって言ってたので、ザーッと説明して、
最後のこのミミナス・ホーイチという名前でばかりで知られていたっていうのがどうなんだっておっしゃってるんだけどねって言ったら、
最初長女が、要するに炎上っぽいよねって言ったんですよ。
さらに賢大っ子だな。
完全な本人が悪いわけではないから、炎上っていうのもおかしいかもしれないけれど。
自分に発端があるってことね、こういうふうに呼ばれてしまうことにはね。
というよりは、こういう良い話、ホーイチのリアが上手とか歌が上手とかっていうものより先に、
ミミナシっていうね。
ネガティブ要素の方が。
走っててしまう。
なるほど。
っていう話を長女としていて、そこに次女が加わってきて、
3人の結論としては結局、人の噂が一番怖いよねっていう話になりましたね。
面白いですね。
僕はこれ、途中でもあえて小泉悪夢の名前を出してるんですけど、
意図がわからないなと思ったんですよね。
この一文がなければ、一応ハッピーエンドなんですよ。
ミミアはなくなっちゃったけど、成功もしてるので、良かったんだなって思えるんだけど、
これつけられることによって、ちょっとイヤミスみたいな、後輪人の悪さみたいなのが残る感じをわざと出していて、
だから、死って言うなら怪談らしさを残したかったのかなっていう印象なんですね。
死と幸せについての考察
怪談ってどっちかっていうと、一般論で言うと助かる話もあると思うんだけど、
ちょっと恐怖体験感強めだったりとか、最後呪われて死んじゃうとかの方が怪談らしいのに比べると救われはしちゃうので、
ちょっともう一押し怖い感じっていうか、ネガティブな要素を入れようとしたのかなっていう感じかなっていうのは、
あえてつけるならそういうことかなっていうぐらいなんだけど。
あと僕、この感想文を書いた上でのことで言うと、
安徳天皇という名前を出すタイミングとか、めちゃめちゃ意図的にやってるんですけど遅めに出してるんですよね。
あと、悪霊って言ったり霊とか霊魂とか言い方がちょいちょい変わったりもしてるんですけど、
この辺はどうなんですか?
あの、物語の肝であるところ。
なので、悪霊っていう言い方は確か本文の中でもされていたように、幽霊とか鬼火っていう言い方をしてたと思うんですけど、
それってあまりよろしくないものじゃないですか。
そうですね。
だけども、雷道さんとしては、きっと安徳天皇に対して悪いイメージがないんだろうなって感じられて。
そうですね。もともとの歴史的にどうこうっていうイメージはそんなに詳しくは知らないっていうのもあるんですけど、
これに出てくる限りにおいては、ほうちに対して別に嫌なこととかやったり言ったりしてない印象があるので、
あんまり悪い印象は持ってないですね。
だから僕、どっちかと言うと前半のあらすじの説明みたいなところでは悪霊って言ってるんだけど、
安徳天皇は言っても天皇なので悪霊と書きづらかったっていうのもあるんですけど、
ここでは霊とか霊魂とかいう言い方になったっていうのもあるかなっていう。
安徳天皇とか平家側の話では霊って書いていらっしゃるけれど、
住職から見た時には悪霊って書いていらっしゃるので。
そうですね。そんな感じで書き分けてるかもしれないですね。
なるほどなって思いながら。
そうですか。っていうところがまず感想文としてはそんなところかなっていうところなんですけど、
お話としてもともと読んだことはありました?
今回の朗読の前。ありました。
どんな印象でした?普通に怪談っていう感じでした?
私が一番最初に触れたのは、小学校上がるか上がらないかぐらいに読んだジブナイルだったので、
あんまりこの安徳天皇がどうとかっていうのがなくて、
変な悪い奴らに連れてかれて可哀そうな人っていうイメージだったんですね。
大人になってちゃんと読んだ時に、読むと安徳天皇のことだったんだっていうのと、
そうであるとするならば、これは取り殺したいのはお殿様、この文で言うお殿様ではなく、周りの者?
武士とか周りの武士とか女中頭たちの意思であり、
彼らも彼らで安徳天皇を慰めようと法一を連れて行こうとしている感じは私もしていて。
ただ、耳取ってっちゃうのは変わらないですよね。
まあそれはそうですけどね。あれが肝ですからね。
そうですね。
実際に全身にお経をかかれてっていう下りのところは、階段としてのクライマックスシーンではあるわけで、
その前にお墓で発見されるとかもあるんだけど、
でもあのクライマックスのシーンで、法一がずっと耐える近くに、
あれが悪霊だって思ってるわけですよ、この時にね。
住職をとても信頼している法一だから、住職が言うなら悪霊なんだろうって思ってる中で、恐怖に耐えてるわけですね。
侍が来たところ、侍でいいのに。
で、行ったり来たりみたいなことをされたりするし、耳を見つけてちぎられるっていうのがある中で、
声を出しちゃいけないみたいなこともある、動いちゃいけないとかもある中でそこを耐え切る。
まあそれは恐怖心があるから耐え切るっていうのも逆にあるんでしょうけど。
このシーンは確かに階段といえば階段だし、クライマックス感もめちゃめちゃあるなと思うし、
法一の精神力もすげえなと思うし。
本当にそうですね。
一方でこれだけのことができて、落ち土があってしまったっていう住職たちの思いっていうのが残るっていうこと自体も、作品としての味ではあるんですよね。
これがちゃんと耳にもお経を書いて、救われましただと、怖かったけど助かっただとちょっと弱いかなっていう感じはしちゃいますよね。
そういう意味ではよくできてると思うし。
僕最初の方で概要的なところで書いてるところで、
法一の目が不自由であること、幻想と美話に長けていたこと、住職が慈愛に満ちて法一を大切にしていたことが物語の展開に効果的でありって書いてるんですけど、
この3つの要素って本当にうまく機能するなっていうふうには思っていて、
やっぱり法一が目が不自由じゃないと連れてかれる感じがちょっと強引に見えてしまうと思うし、
目が不自由ながらもこの距離感だとこんなとこにはないはずとか思ってるんだけど、
でもやっぱり目が不自由だからでもなんとも言えないなみたいな気分になるのかもしれないっていうのもあるし。
幻想と美話はやっぱりこれが優れてないことにはそもそもお呼びがかからないだろうし、
お呼びがかかった上でも安徳天皇を唸らせるものでなければ2回目は声がかからないだろうしっていうふうなこともあるから、
これも絶対的に必要だし、住職が慈愛に満ちてっていうのは物語の展開に関してそこまで強くは感じなくて、
霊と取り憑かれることの考察
どっちかというと僧侶として優れてるみたいなところのほうがそうなんでしょうけど、
ストーリーの展開としてはね。ただ物語の魅力としては住職がすごい法一のことをかわいそうにかわいそうにみたいな感じで言うところが、
このキャラが際立つっていう意味では慈愛に満ちてる感じっていうのはよく作品の、
その悪霊が取り殺すっていうのの反対側っていう意味ではすごくいいキャラ立てをしてるんじゃないかなっていう感じですかね。
で、故事の由来もありっていうふうに書いてるのは兵器があるとかの話が前段で説明があるんですけど前段というか、
小説の冒頭に出てくるところなんですけど、ここについてはこの一言で片付けました。
いいと思います。文字数もありますので。
制限的なこともあるし、要は幽霊たちが兵器の宇宙堂とか安徳天皇だよっていうためだけにある説明なので、
そこまでね、まさに書いてる通りで故事の由来もあり階段らしいっていうところの、
要するに階段に説得力を持たせるためだけの設定ではあるので、読書感想文としてはいらないところかな。
そうですね。
で、僕が展開したそもそもの中身としての取り殺されてもいいんじゃないっていうやつについてはどう思います?
あー、そうですね。
法一がどう感じるかだと思ったんですよね。
安徳天皇の霊だとか、それを慰めるものだっていうのがわかっていたとて、
じゃあ自分が取り殺されることが法一にとっていいか悪いかというところが一番の問題かなとは思いますね。
そうですね。なんか僕が現代の人間としていろんなファンタジーとかフィクションの作品を見る中で、
無限にこの状態が続くみたいになっていく話っていろいろな形であるじゃないですか。
ああいうイメージなんですよ。僕の中で取り憑かれて結果的に法一がなる状態って。
肉体的にバラバラにやつ先にされるとか、ものすごい苦痛を与えられるんじゃなくて、
エンドレスにリアを引いて減少して褒められて、明日もそれの繰り返しでなっていくっていうんだったら、
褒められてる限りにおいては、別に肉体的に死んじゃってて霊魂としてそのままいられるんだったら、褒められる環境にずっといられるんだったら、
あんまり悪くないかなっていうのが僕がこの感想文で書いたことの趣旨なんですよね。
ただストーリーの都合もあるんでしょうけど、住職はやつ先にされるって言ってるので、やつ先にされるんだったらそれはかわいそうだし、
法一としても望みはしないことだろうとは思うんだけども。
一方でそれはしないんじゃないかっていうのは、僕の論からすると安徳天皇が気に入ってるのに、
もしくはそのことで従者というか侍たち、平家の宇宙人たちも、安徳天皇が心安らかになるのであれば、彼らにとってもいいことだから、
そのために命を奪う、幽霊にするみたいなことはあるとしても、法一の魂を苦しめはしないんじゃないかなっていう気はしていて。
なるほど。
で、読み返してみたらそこまで辛かったようなことは書いてないけど、でもやっぱり貧しかったみたいだし、今の状況も貧しい。
食うには困らないし、働かなくてもいいみたいなところはあるけど、でも一段上みたいな感じするじゃないですか。
天皇の前で直接演奏してとかだから。
でも思うと悪くないんじゃないかっていうのが思えてしまうっていうのが、それが正しいとかっていうよりかは、そういう考え方もできちゃうなって思わせたのは、
結局最後の一文のイヤミス的な後味の悪さがあるから、これってもしかして不幸ってことって思ったから、生き残ったことが不幸なのかなって思わせされたんだよね、僕は勝手に。
なるほど。
有島武雄の作品紹介
だとすると彼にとって幸せってこういうパターンあるのかもっていうのは、安徳天皇のところに幽霊としていくことっていう、ちょっと強引と言えば強引なんだけど、
そっちの方が幸せだったっていう可能性、ifの世界みたいなのもあるのかなっていう風に考えましたっていう感じですかね。
そこは私逆なんですよね。
なるほど、面白いですね。
連れて行かれてる時に、ポイッチが一瞬、「これはチャンスなのでは?」みたいなシーンがあったような気がしてるんですけど。
これを機会にっていう。
今や自分の幸運を考え始めたっていう言葉があって、
それは大した身分の高い人が自分のことを知ってて聞きたいって書文をした。
これは俺有名になるんじゃね?ってちょっと思ってるんじゃないかなって。
ということは、この人はお寺の修行もしてない方ですし、ちょっとパトロンについて、ちょっと指輪を引いて歌って。
割と俗仏なのかなって。
俗仏は俗仏なんじゃないですか。俗仏であるということに否定する要素はない気がします。
そうなんですよ。だから、安徳天皇の霊を慰めるために自分が犠牲になるのは考えないんじゃないかなって。
なるほどね。なるほど、面白い。
この論を深めて議論し合ってもそんなにしょうがないんですけど。
僕は多分、咲夜さんは前提として生きてる方がいい。死ぬんであれば安徳天皇のために準じるっていうことですよね。
僕の考え方としては、自分の精神がより心地よい方に行くのであれば、成果は軽いっていう感覚なんですよ。この論点においては。
僕自身がそう思ってるっていうんじゃなくて、そう捉えられるっていう感覚。
住職のために引くのも悪くないけど、安徳天皇のために引こうがいいし、安徳天皇のために引いたほうが自分が心地いいのであれば、別に死んでもいい。
安徳天皇のために死んだんじゃなくて、自分が褒められて嬉しい。偉い人が褒められたほうがより嬉しい。
そこに生きてることにこだわってもしょうがないになっちゃうぐらいそっちが大事。多分、浮かれてるじゃないですか。
その浮かれ方ってそういうことかなって思うし、僕ここまで話してくると、それこそが取り殺されるってことかなっていう感覚もしてくるんだけど。
そうですね、確かに。
だから、案外単純な会談っていうよりかは、考えさせられるというか、我々大人なのでね、どんなテーマからでも考えようと思えば考えられちゃうってこともあるのかもしれないんだけど。
まあ、案外読みごたえがある話だったかなというふうに思いましたね。
そうですね。
はい、ということで今回はこんなところでいいかと思うんですけれども。
はい。
ちょっと次回の作品と次々回の私が何を書いたっていう話でもちょっと予告的なことを話すと。
はい。
次回のご紹介する作品は、有島武雄の小さき物絵っていう一応小説です。
で、私がさっきも言ったように読書感想文っていうのがなかなか苦手だっていうことがわかったので。
はい。
一本はなんとか頑張って書いてはみたものの、ちょっときついなっていうのもあって。
今回のあえて書評らしきものを書いてみましたよっていうのが4週目に出てきますよっていうことで。
はい。
まずは来週の作家さんの朗読小さき物絵をお楽しみにしてください。
文ガチャの案内
はい。
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