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2024-03-24 27:00

読書ラジオ『藪の中』芥川龍之介

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00:07
こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は芥川龍之介の『藪の中』という話について話してみようと思います。
ある一人の侍が藪の中で殺された。犯人と目される盗人、被害者の妻、そして巫女の口を借りて語る被害者。
当事者3人の言い分は、それぞれに心理的必然性とリアリティを持ちつつも決定的に違っていく。決定的に食い違っていく。
根着物語2題を取った、最も芥川らしい短編と言われる『藪の中』ということで。
私はもう何度も言ってますが、芥川龍之介が好きですね。
その中でも『藪の中』はすごく物語として面白いですね。
真相は藪の中という言葉の語源にもなったこの藪の中。
登場人物は、木こり、旅の法師、ほうめん、今で言う警察官ですね。
あとは、妻の父親、そして主要人物の一人である多情丸、これ盗人ですね。
妻、死んだ夫ですね。
これ登場人物で、それぞれがこの被害者夫の死について独白するというか、自分が見聞きしたことを語るという、それぞれの語りで構成されている物語です。
木こりから妻の父親までは参考人の発言ということで、ここは事実関係を確認するための証言として読んでいけばいいかなと思うんですけれども、
肝になってくるのは盗人の多情丸、そして夫を殺された妻、そして殺されたっていうのが正しいのかわかんないですけど、そして死んだ夫、この3人の証言がそれぞれが食い違っているという点。
03:01
それが明らかにされない、まさに真相は矢部の中であるという部分が、この小説の面白いところなんですよね。
ちょっとその辺を話してみようかなと思います。
まず事実としてはですね、男が死んでいるという事実がありますね。
それは最後に巫女の口を借りて、資料として語る被害者のことなんですけれども、その人が死んでいると。
何かの刃物で胸を貫かれて死んでいるというその事実はあります。
もう一つ事実としてありそうなことが、その死んだ男の妻が盗人の多情丸に強姦されたという、それも事実としてありそうだということになります。
多情丸の言い分としては、まずあの男を殺したのは私です。
しかし女は殺しませんということで、この時点では妻、死んだ夫の妻は行方知れずになっているということですね。
そしてこの多情丸は、自分が女を強姦したということをこの多情丸の白状の中で言います。
昨日の昼過ぎに、あの夫婦と道先で行き交った時に、あの女の顔が女房札のように見えた。
そしてその咄嗟の間に、男は殺してでも女は奪おうと決心したということを話します。
うまくいってですね、古塚の先に鏡とかタッチをたくさん埋めてあるから、どうですか買いませんかということで夫を誘い出してですね、
矢部の中へ多情丸、盗人の多情丸は夫婦を連れ込んでいくんですね。
矢部の中に入った時に夫の方をですね、組み伏せて縄でくくって杉の根へくくりつける。
その目の前で妻を強姦する、それが多情丸の証言になります。
もともと男の命を取ってでも妻を自分のものにしたいということで行為に及んだわけですけれども、
多情丸はですね、夫を殺さずとも女を手に入れることができたんですね。
ああ良かった良かったということで逃げ出そうとした時に、多情丸の証言によると、
女、妻がすがりついてきたと。
06:07
何を言っているかといえば、あなたが死ぬか夫が死ぬかどちらか一人死んでくれ。
二人の男に恥を見せるのは死ぬよりもつらい。
そんなことを言ってくるわけですね。
それによって多情丸は、男を殺さずに女も殺さずに逃げようとしていたところなんですけれども、
女にすがりつかれたため、男を殺したいという気持ちになった。
ただ俺は卑怯な真似はしたくない。
だから男の縄を解いて立ち打ちをしろと、せいせいどど戦おうぜと言ったという主張をするわけですね。
そして縄を解いてせいせいどど切り合った結果、23号目に相手の胸を貫いたと言ってますね。
俺と25号以上切り結んだ者は天下にあの男一人だけだということで、ちょっと自尊心を掻き立てるような語りをするわけです。
男を倒した女の方を振り返ったところ、女はもう逃げてどこにもいなかったということで。
最後この多条丸がですね、他にもこの人は罪を犯しているので、死罪を免れない状況にあるわけですね。
それを自分も知ってか知らずか、私の白状はこれだけです。
どうか後継に合わせてくださいということで、公然たる態度でこの白状を終えます。
次に描かれているのが清水寺に駆け込んだ女の懺悔ということで、
合間された妻の証言になります。
合間された後からこの妻の証言が始まっていて、
その男は私を手紙にしてしまうと縛られた夫を眺めながら、あざけるように笑った。
夫はどんなに無念だったことか。
そして、ただその時私は夫の目に引用のない輝きが宿っているのを悟った。
何とも引用のない。私はあの目を思い出すと今でも身震いが出ずにはいられない。
怒りでもなければ悲しみでもない。
ただ目の前で合間された妻を見て、そんな私を詐欺すんだ冷たい光だったということで、
それがショックで私は気を失ってしまいましたと言っているんですね。
気がついてみると合間をしたヌスットはもうどこかへ行っている。
ただ目の前には夫が縛られているだけだと。
夫を見ると、やっぱり憎しみの色が見える。
09:05
冷たい蔑みの底に憎しみの色を見せている。
恥ずかしさや悲しさ、腹立たしさ、その時の私の心の内を何と言えばよいか分からないでしょう。
あなたには分からないでしょう。
そして私はこう言ったと。
私はこうなった以上、あなたと一緒にはいられない。
私は一思いに死ぬ覚悟です。
あなたも死んでください。
あなたは私の恥をご覧になりました。
そしてですね、足元に落ちていた小刀、さすがを振り上げて夫に、
ではお命をいただかせてください。
私もすぐにお供します。
その時、夫の口の中には笹の葉がいっぱいに詰まっていて、声を上げることができない状況にいたんですけれども、
夫は声は出さなかったが、口を動かして殺せと言ったように聞こえたと。
私はほとんど夢うつつのうちに、夫の胸へずぶりとさすがを差し通しました。
そしてまた気を失ってしまって、また気がついた時には夫はとうに息が絶えていた。
死のうとしたんだけれども、死にきれずにいるということで清水寺に駆け込んだ。
夫を殺した私は、ぬすっとの手込みにあった私は一体どうすればいいのでしょうと、
すすり泣きをしてこの証言が終わるんですね。
ぬすっとの多情丸と妻では全く証言がすでに食い違っているということで、
それぞれが真実を語っているようではあるんですよね。
嘘っぽい雰囲気はない、本当にこれが真実だと思って語っているが、実際起きた事実は何だったのかというのが全くわからない状況にあります。
そして最後、御子の口を借りたる狩猟の物語ということで、
亡くなった夫が御子の口を借りて狩猟として語る最後の証言が出てきます。
夫は妻を手込みにすると妻を慰め出した。
もちろん俺は真草の葉が口の中いっぱいに押し込められているので口は聞けない。
しかし俺は妻へ何度もめくばせをした。
この男の言うことを真に受けるな。
そんな意味を伝えたいと思ったが、妻はぬすっとの言葉に聞き入っているように見える。
俺は妬ましさに身悶えをした。
ぬすっとは孔明に話を進めている。
一度でも花見を汚したとなれば夫との仲も折り合うまい。
そんな夫に連れ去っているより自分の妻になる気はないか。
12:04
愛しいと思えばこそ大それ玉でも働いたのだ。
くどき始めたわけですね。
驚くことに妻はうっとりと顔を持たげた。
俺はあの時ほど美しい妻を見たことがない。
そして妻はこう言った。
ではどこへでも連れて行ってください。
妻の罪はそれだけではない。
あの人を殺してください。
私はあの人が生きていてはあなたと一緒にはいられません。
気が狂ったように何度もこう叫び立てた。
あの人を殺してください。
この言葉は嵐のように今でも遠い闇の底へ真っ逆さまに俺を吹き落とそうとする。
一度でもこのくらい憎むべき言葉が人間の口を出たことがあろうか。
一度でもこのくらい呪わしい言葉が人間の耳に触れたことがあろうか。
それを聞いたヌスットはですね。
俺の方に向かい合ってこう言ったんですね。
あの女はどうするつもりだ。
殺すかそれとも助けてやるか。
返事はただ頷けばよい。
殺すか。
俺はこの言葉だけでもヌスットの罪は許してやりたいということで。
ヌスットはですね。
そんなことを言い始める女にこの女やべえんじゃねえかということで。
ミサゴを立てないという部分に関してですね。
夫を殺せという女一気に正義に戻ったような雰囲気ですね。
そうすると妻は俺が答えをためらううちに矢部の奥へ走って逃げたと。
ヌスットは妻が逃げ去ったのち一箇所だけ俺の縄を切って今度は俺の身の上だということで姿を消した。
一人残された俺はじっと耳を澄ました。
まだ誰かの泣く声がする。
いやその声も気がついてみれば俺自身の泣いてる声だったのではないか。
そして俺は妻が落としたさすが小刀を手に取ると一つ一息に俺の胸へ刺した。
何か生臭い塊が俺の口へ込み上げてくるが苦しみは少しもない。
ただ胸が冷たくなると一層あたりがしんとしてしまった。
ああなんという静かさだろう。
そんな風に話すわけですね。
3人目の証言当事者である死んだ夫資料として巫女の口を借りて語った言葉は自死したということだったわけですね。
つまりヌスットの多情丸は俺が殺したと言っていて妻は私が殺した。
15:00
当事者の夫は自分で自害したと言っている。
全員が全員自分が殺害したと言っている。
全く食い違っているわけですね。
じゃあ何が真相なのかっていうのは矢部の中なのでそれは分からない上でそれぞれの心情がどうだったのかというのを少し思いをめぐらしてみると
まず夫からするとですね資料になって証言している以上おそらくほとんど本当のことを言っているんだろうなと思いますよね。
その中で面白いのは妻のことを全くかばっていない部分ですね。
本当に薄情な女だという気持ちがありありと見えてくる。
合間されたその直後俺の女になれと言われてうっとりと顔を持たげた。
本当に寝たましい詐欺すむような発言を夫はしているわけです。
ただその中にあってもその時の妻ほど美しい妻を見たことはない。
これが忘れられなくて主要となって出てきて話しているんでしょうね。
ただその女も逃げたとそんな話をしていますね。
でも死ぬしかなかったわけですね自分はねおめおめと生き恥を晒すのではなく自分自身の手で自分を殺したということですね。
その後妻がどうなろうが知ったことではないと。
あの時ほど美しい妻ともう忘れられない憎むべき言葉を同時に聞いた。
自分としてはもうこれ以上生きている必要はない。
そんな風な思いがあったのかなと思います。
そして多情丸ですね。
この人が嘘を言うその動機としてはですね。
おそらく自分は他にも罪を犯していてこの殺人がどうであろうが自分は死罪になるということが分かっているとすれば自分のプライドを守るためだけに嘘をついた可能性はありますね。
つまり武勇伝として最後にいい女を合間して強い腕の立つ男と斬り合って最後に俺は勝ったということを武勇伝として話した。
そのための嘘だったという可能性はあるかなと思います。
一番わからないのが女ですね。
私が夫を殺した合間されていることはほとんど事実なんでしょうからこの人は夫のように死を選ぶわけではなく生きてそして夫を殺害した女として生きることを選んだわけです。
18:14
その感情はその動機はその証言をした理由は何だったのかということで。
ここが人によって解釈というか考察が分かれる部分なんじゃないかなと思いますが、私は私が考えるこの女の気持ちというのはですね、生きるための嘘だったんだろうなと思いますね。
夫に合間された可哀想な女、ただ自分の自尊心というか味噌を立てるために死のうとしたというその事実。
そして夫と一緒に死のうとしたという妻として美しい美男に仕立てたかったという部分で世の人にどうしようもなかったと。
死のうとしたけど死ねなかった。可哀想だね。
まあそれでも生きていてよかったね。
まあそんな風に言われたい。相当世間を気にして自分を美男にするためについた嘘だったんじゃないかなと私は思いますね。
なのでまあ多分この人気を失ったりしてないと思うんですよね。相当神経ずぶっとい女の人だと思うんですよ。
それ最後にですね、夫が縛られたまま息が絶えていたと。
その青ざめた顔の上には竹に混じった杉村の空から西日が一筋落ちている。
そんな風にうっとり話すんですよね。
ショックで夫が死んで死のうとしている女が西日が一筋夫の顔の上に落ちているなんてことをうっとり話すかなって思うわけですね。
なのですごく自分に酔っているんだろうなと思うんですよね。
で最後、夫を殺した私はヌスットの手紙にあった私は一体どうすればいいのでしょう。一体私は私はということで泣くんですけれども、これも演技だろうなと思うんですね。
ただこの小説の面白いところは、この女は確実に演技だろうって読んでいる方に思わせない部分ですね。
21:04
本当に真実を語っている真実味がある語りの中にちょっとした疑惑、それがどんどん膨れ上がってくる。
前後の証言と照らし合わせた時に、この女が一番嘘を言ってんじゃないかという疑惑が読者の中にムクムクムクッと大きくなってくる。
そういう部分がこの小説の上手いところだと思います。
私はこの女が一番嘘を言っていて、したたかなというふうに思ったんですけれど、人によってはですね、本当に器用で本当にかわいそうな女性だという見方をする人の方がほとんどだと思うんですよね。
そんなふうに書かれてもいる。
それが芥川龍之介の小説の書き方のめちゃくちゃ上手いところで、面白いところでもあるなと思います。
だからこそ真実、真相は矢部の中というこの小説が成立している、そんなふうに思います。
そして最後ですね。
巫女の口を借りて語る狩猟の物語の中に、一番最後にですね。
自害して、もう杉や竹も見えない。
俺はそこに倒れたまま深い静けさに包まれている。
死んでいく俺で終わるのではなく、最後ですね、その時誰か忍び足に俺のそばへ来たものがある。
もう一個ですね、別の事実を語り始めているわけです。
これがあることで、どういう話なんだろうって。
さらにですね、この読み進めていく中で、自分の中に少しこういうことだろうと考察が固まってくる読者に対して、いやまだ、まだもう一枚あるよという最後の4行ですね。
もうこの4行があることで、もう全く真相はやぶの中、解明することは難しい。
そんな締めくくり方をされているなと思います。
本当にね、やぶの中って短編で、短い物語なんですよ。
なんですけど、こんなにいろんなことを考えさせてくれる。
どうなのかな、こうなのかなって。
そして人間の奥底にある物事を認識するっていうものの能力の、何とひ弱ですり替え可能なのかっていうことに気づかされるんですよね。
繰り返しになりますけど、ここに出てきて証言している人たちは、全く嘘を言ってる風じゃないんですよね。
24:01
多情丸はちょっと調子に乗ってるなっていう感覚はするんですけれども、
妻と夫はですね、何一つ嘘を言ってる風ではない。
真実を本当に語っているようで、自分自身も99%それを見聞きして自分が体験したことだと言っているかのように思わせるんですよ。
それって演技力が素晴らしいとかではなく、人って同じものを見ていても認識の仕方って人それぞれだし、
そしてさらにその認識したものを自分の思い込みだとかによって簡単にすり替え可能なんだなっていうことを思わせます。
そう感じさせるのがその妻の証言ですね。
この人はきっと自分の記憶をすり替えて話しているんだろうなという風に私は思いました。
そこに何かこう人間のなんていうか、末恐ろしさがあるなという感じたというよりかは、
女性が、妻が生きていく上で自然と自分に備わっている記憶のすり替え機能というかですね、
自分の認識する能力、そして周りから自分がどう見られているかという立ち振る舞いを瞬時的に判断する能力が備わっている。
すごく恐ろしく、そしてそういった能力はこの物語に出てくる妻だけではなく、
女性、世の女性全般にそういう能力が備わっていて、女って恐ろしいんだということを芥川龍之介が思っているようではあって。
相当痛い経験しているのかな、この人はと思う。
どうでしょう、ヤブの中めちゃくちゃ面白いので、ほとんど私今日はネタバレで話してしまって、
ただですね、ネタバレをわかっていても、読んでみると人によって感じ方が違うと思うので、
私はこう読んだけど、他の人が違う読み方をすると思うんですよね。
ちょっと読んでみてもらって、自分はどういうふうにこのヤブの中を感じるのか、
試してみてほしいなと思う小説です。
ということで今日は芥川龍之介のヤブの中というお話しついて話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではでは。
27:00

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