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2022-11-06 27:09

霜月の回「近代文学の夕べ」1

ガチャを回して出てきたことについて語る「文ガチャ」

霜月の回のお題は「近代文学の夕べ」
らい堂さんが近代文学を読んでの読書感想文を書いて、それについて語っています。

今回の作品は芥川龍之介の『藪の中』
青空文庫さんにも掲載されていて、気軽に読める作品でありますので
らい堂さんの感想文を聴いてから読むもよし、
先に作品を読んでから聴くもよし!です。

どうぞよろしくお願いいたします。


青空文庫『藪の中』

底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
   1996(平成8)年7月15日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
初出:「新潮」
   1922(大正11)年1月
入力:平山誠、野口英司
校正:もりみつじゅんじ
1997年11月10日公開
2011年5月22日修正

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/179_15255.html

00:10
文ガチャは、ガチャを回して出てきた番組について、のんびりおしゃべりするポッドキャストです。
文ガチャ、霜月の回、椿雷道です。
昨夜です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今月はね、もちろんいつも通り前回回したガチャの結果に基づいて、新シリーズの近代文学の夕べという新しいシリーズが開始するわけなんですけれども。
はい。
今、収録前にも愚痴を聞いてもらってたんですけれども、自分で企画しておいて、なんて無茶なことをって後々ね、思ったんですけれども。
これね、ちょっとね、そこの言い訳みたいな話もしながら、コーナーの説明もしていくんですけれども。
はい。
短い近代文学にあたる作品を読んで、その読書感想文を実際に私が書いて。
はい。
で、それを元にお話をしていくということと、その次の回には作家さんのその元の本を、本というか小説を作家さんが朗読する回っていうのが入ると。
はい。
で、4章ありますので、これが2セットっていう構成になってまして。
はい。
読書感想文を書いてみたいなって思いはあったんですね。
この番組を、コーナーをセットする前にそういう思いがあったからこういうのを作ったんですけど。
はい。
思った時は、1回の配信に対して1タイトル書くイメージだったんですよ。
はいはい。
でも構成のことを自分で考えて、これは2ついるなってなっちゃって。
はい。
ガチャで回して出てから約1ヶ月の間に、小説自体は短いので読むのはそんなに苦じゃないんですけど。
2つの小説の感想文を書くっていうのはなかなかなハードルだったなと。
そうでしょうね。
思いましてね。
次回に備えて1作目は早めに手をつけようかなと思っているのが今の気持ちです。
ガチャが出る前に用意してやろうかと思っていますけれども。
はい。
そして、今回紹介するというかね、僕が読んできた本というところなんですけれども。
はい。
芥川龍之介の「やぶの中」です。
はい。
この作品はですね、映画にもらったりしていて、もともと物語としても有名といえば有名なので。
はい。
これ感想本の中でも書いたかなと思うんですけれども。
いわゆる、なんて言うんですかこれ。
寛容句的な表現で、真相がわからないことを真相はやぶの中みたいなことを今でも普通に使う言葉で。
僕は正直なところどっちだかわかってなかったんですよ。
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この作品があるからそんなと言われるようになったのか。
はい。
やぶの中って言葉はもともとあって、それをモチーフにこの本が書かれたのかっていうところは知らなかったんですけれども。
どうやらこの作品ありきということのようだと。
へー。
いうことでしたね。
で、初出がちなみに1922年。
はい。
新潮という雑誌の1月号に載ったそうです。
はー。
1922年ですからね。
そうですね。
えーと、大正なのかな。
大正ですね。昭和直前くらいですね。
ですね。
はい。
そんな時代に書かれていて、なおかつ面白く読めたというところで。
はい。
えー、ちょっと嫌なんですが、その独特感想文を自ら読んでいこうと思います。
はい。
やぶの中を読んで、椿雷道。
この本を読むことにしたのは、実は一度読んだことがあるからです。
正確に言うと、一度読んだことがあり、強い衝撃を受けたこと。
それなのに、その内容を大雑把にしか覚えておらず、もう一度読んでみたくなったのでした。
では、前回は、なぜ読んでみたいと思ったのかと思い返してみても、昔のことで定かではありませんが、
関陽句になっているやぶの中の元になったと聞いたからか、あるいは他人からあらすじを聞いて興味を持ったか、そのどちらかではなかったかと思います。
物語は平安時代ごろと思われる大昔で、7人の階層だけで構成されています。
前半は、蛇医師という、現代でいう刑事のような役人に、4人の人物が、ある殺人事件について供述していきます。
死体の第一発見者。
事件当日に被害者を目撃した者。
容疑者を捉えた者。
被害者の謹慎者。
供述が重なるにつれ、謎が生まれて解消し、事件の概要が把握できるように思われますが、
後半、事件の直接の関係者による白状、懺悔、物語によって、事件はより一層混沌に至り、物語全体が閉じていきます。
やはり読んでみて最初に抱く感想は構成の斬新さです。
前半はケビ医師に尋ねられて4人が答える形になっていますが、ケビ医師自身は、招待のみの登場で本文中には出てきませんし、作中の現在も一切出てきません。
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このような形式で書かれたものが作品として成立していることに驚かされます。
また、この物語は、作者の芥川龍之介の生きた時代から見ても何百年あるいは千年以上昔の舞台としているという点で時代小説とも呼べるし、事件が起こり謎があり真相に迫る作品であるということからミステリー小説とも言えます。
美しい文体、散りばめられたメッセージ性から純文学でもありますし、最終章に至ってはファンタジーでさえあります。
このように多面的な要素を内包しながら一つの作品にまとめ上げているということにも感動を禁じ得ません。
そして最大の特徴であり、この作品の面白さの本質でもあるのが、事件の直接の関係者3人の話が全く一致しないところです。
普通の話なら、自分が罰を逃れるためにその罪を隠し偽るのでしょうが、この3人は3人ともが自分が殺したのだと主張しているところも興味深いです。
後半の語り手となる3人というのは、捉えられてきた容疑者多条丸、被害者の妻政子、被害者金沢竹博でこの順番で登場します。
事件は道すがらに多条丸が政子を見染めたことから始まります。
多条丸は策を練って夫婦に近づき、まず夫である竹博の不意を継いで拘束し、続いて妻の政子を強引に手込めにします。
ここまでは3人の話に不一致はないのですが、このこと自体が3人の話の分岐点になります。
妻は見知らぬ男に手込めにされ、余伝えその一部始終を夫に見られています。
夫もその惨状を目の当たりにしながら手も足も出せなかった。
悔しさ、悲しさ、恥ずかしさが思考を乱し、目を曇らせたように感じられます。
そんな中に、とても印象的なシーンがあります。
妻と夫で話している内容は異なりますが、共通して出てくるシーンに、夫竹博が妻に向けて思いを込めて見つめるというものがあります。
2人が共通して語っている部分なので真相の一部と事柄なのだと思いますが、
2人の心が乱れているため、送り手の思いと受け手が感じたものとが全く逆になってしまったのです。
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夫はこの惨状にあってなお変わらぬ愛を送ったのに、妻は羞恥と混乱からその目に自分に対する無別を感じ取ったのです。
この物語は3人の話の食い違いが主題だと思いますが、その根底にこのような悲しいすれ違いがあることを思うと、とてもいたたまれない気持ちになります。
物語の最後、死霊が自らの死に行く様を語ります。
その意外にも穏やかな死への流れの中で、視覚や聴覚はゆっくりと失われていき、暗く静かで騒音さすら感じさせながら死に向かっていきます。
この印象深いシーンの直後、急激にかつ無慈悲にその死はやってきます。第三者の手によって。
このような幕引きは、とてもミステリー的で、現代ではミナとカナエなどと通じるように思えますし、
視点による祖母はイサカ・コータローラの中に今も息づいているように思います。
この物語を読んで改めて感じることは、人にはそれぞれ立場や思いがあり、そこに寛容さがないと、それは他人にも自分にも、
それがないと悲しい結末しか待っていないのではないかということでした。以上です。
読んでいて、これ文章ちゃんと書けてるのかなと思いながら、ちょっと頭の中がぐちゃぐちゃしたんですけれども。
ひとまず、好評というと大げさですけど、感想というか、聞いていただいてどんな感じでしたか?
普段は本当に小学生の感想文しか読んでいないので、やっぱり子供が読んで書くものだから、
主人公のこの気持ちだったら、僕だったらこうしたいとか、誰かの気持ちを自分が感じてみてどう思うかっていう感想なんですけど、
雷道さんの感想文は物語の構成そのものに視点が置いてあって、そういう感想文もあるんだなって思いました、まず。
なるほど。ちなみにそれって小学生がそういう論点、今まで1年生とか低学年担当されてるけど今年4年生担当してるっていうところも踏まえて、
そういうような視点で書いてくる感想文があっても、それはそれでありはありなんですかね?
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ありはありでしょうけど、でもやっぱり雷道さんが最後のところ、最後の1枚、5枚目に、4枚目から5枚目にかけてかな、
夫婦のすれ違いの部分のことについてお話しされてるところを、そこを膨らませてって多分指導すると思います、小学生になったら。
寛容さがないと悲しい結末が待っているっていう感想を、どこでどんなふうに感じたのかっていうのを膨らませてくださいって多分小学生になったら言います。
なるほどね。面白いですね。書いてて、やっぱり読書感想文書いた記憶っていうのは小中学生ぐらいの時だし、
ちょっと、咲夜さんが小学校の先生っていうのもあって、なんか気持ち的にはちょっとそういうニュアンスで書いたほうがいいのかなみたいな思いもちょっとあったんですけど、
正直普通にそれができなくて、難しい言葉も出てくるし、語彙があるからこそ、的確な語彙を選んでしまうので難しい言葉になっちゃったり、寛容さとかもそうですけど、
なんかその辺があったり、あと作品的に言うと手褒めっていうのが出てくるので、もともと小学生向きじゃないんだなとか思ったりもしたんですけど。
まあまあまあそうですね。
そんな感じでしたね。なるほどなるほど。
それで、ひるがえって作品そのものについては、咲夜さんも朗読もされているのでもちろん読んでいるんですけれども、作品そのものについてはどんな感想とか。
私の感想ですかね。
そうですね。
すごく質の高いミステリーだなと。
やっぱりミステリーはミステリーですよね。
ミステリーですね、思いました。
犯人が結局わからないんですよね。
そうなんですよね。これなんか僕すごいいろいろ考えちゃって、これやっぱり文章、感想も書こうと思っているので、
考えに考えて、最終的にはこれ7つの証言やら懺悔やらが出てくるんですけど、
全部が全部じゃないにしても、実は全く関係ない事件のことなんじゃないかと思ったんですよね。
ああ。
なんか切り張りすると一つのストーリーに見えるようになっているだけで、別々の事件の記録を寄せ集めただけとかね。
ああ、その可能性がありますよね。
そこまで考えちゃうぐらいその後半の噛み合わなさとかが強烈なので。
あとやっぱり読みながらこれでも真相はどうなんだろうとか結構真剣に考えたりね。
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ね、そうなんですよね。
多数決が全てじゃないけど、ここは多条文があると夫が言っていることが共通しているよなとか思いながら。
そうですね。
なかなか興味深いですよね。本当にまさにその矢部の中という言葉が今も使われるのが納得いくような作品でもあるかなと。
ええ。
そういう意味でも上質というのとも繋がるんですけど、矢部の中っていうもの自体が、矢部の中に何があるかが見えづらいっていう意味合いもあるのと、
その事件の真相が見えないというのがちゃんと掛かってたりとか、それで現場が矢部の中だったりするわけだし。
関翼みたいな話に引っ張ってくると、矢部を突いて蛇を出すみたいな言葉もあるような、触れなくていいところに触れちゃうと嫌なことが起こるじゃないけど。
そうですね。
そんなようなことのようにも思えたりとか。
あとやっぱり、これ僕感想の中でも書いてますけど、大正末期に描かれているのにおそらく平安時代、初期から後期ぐらいかなと思えるような時代の物語だったりするっていうのも、
この人、他の芥川龍之介っていう人は羅生門なんかもだいたい同時代ぐらいのことを書いてるんですよね。
そうですね。
平安時代のことを書いてて。
ちょっとやっぱりこれ感想文を書くのも含めてなんですけど、調べたりすると、映画の羅生門っていうのがあるんですけど、これもちろん芥川龍之介の羅生門をベースにしてるんですけど、
たぶん名前が設定されてない盗人が出てくるんですけど、盗人っていうのかな、が出てくるんですけど、その映画は矢部の中とも重ねて、大正末として出てくるんですよ。
で、この事件のことを自慢話のようにして話すっていうような設定があるらしくて、ちょっと映画見てないんでわかんないんですけど、
そんな解説を読んだりして、なんか面白いことするなーなんて思ったり。
時代があっていればこそできることなんでしょうけど。
そうですね。
多丈丸自体は、他の作品でも名前は出てくるみたいですね。
へー。
あちこちの大物の盗賊の中の一人としてどこぞこの多丈丸みたいな、
セリフの中で取り上げられてるだけで本人が出てくるわけではないんですけど、そんなようなシーンがあるものもあるらしいとだけ調べてて出てきましたね。
やっぱりアプローチが、そういう意味で言うとミステリー小説っぽいですよね。
そうですね。
あの頃そんなに確率、海外にもあったんでしょうけど、日本の中でそこまで確率されてないジャンルだったのかなと思うと。
18:07
そうですね。
だからこそ、いわゆる純文学とか近代文学とか言われるような、文豪みたいに言われる人が書いてるにもかかわらずミステリーっていうのはちょっと今だとね、
芥川賞なのかな、沖賞なのかみたいになっちゃうところですけど。
そうですね。
そこが一体になってる。面白いですね、考えてみればね。芥川賞っていわゆる純文学の賞なんだけど、
もしミステリーが受賞するとしたら直木賞なんだけど、その賞の名前になってる芥川隆之介自体が直木賞を取るような作品を書いてるってことですよね。
そうですね。
いやーでも本当に面白くて、あとちょっと余談なんですけど、僕が好きなアニメーション作品でテレビシリーズであったオッドタクシーっていうアニメ作品テレビシリーズがあって、
これが総集編プラスアルファみたいなものが劇場版として出されて、これがオッドタクシーin the woodsっていうタイトルなんですよ。
まあin the woodsやぶの中なんですけど、そんなに完全にトレースしてるわけではないんですけど、いろんな人の証言を聞くっていうシーンは出てくるんですよ。
テレビシリーズのエピソードを単純にそのまま短縮版で描いても面白くはないので、
部分部分をこの人に話を聞いてみたらこういう証言だったっていうものを構成してそのテレビシリーズの総集編みたいな形にしてるんですね。
やっぱり登場人物が俺に聞いても真相がつかめるわけじゃないぜとか言ったりとか、見る人によって物の見え方は違うからとか言ってたりするのも、
ちょっとこのやぶの中を意識してるからこそだと思うし、もちろんそのサブタイトルにin the woodsって付くのもそういうことなんだろうなぁと思ったりして。
で、オッドタクシーそのものがもともとミステリー的な作品なので、そこも合わせて。
ブサ可愛いような主人公だったりするので、ほのぼのしたアニメかなと思うと全然そんなことなくて結構なミステリーテイストなんで、それが受けたりもしたんですけどね。
そんなところにもやぶの中のヨハというようなものが残っているのかなと思ったりもしました。
いやー、感想文書くの大変でしたね。
ですよね。
芥川らしい小説だなとも思っていて。
あーなるほど。
ラショウモンなんかもそうなんですけど、割と人のエゴイズムっていうか自分勝手さが出る感じがあるじゃないですか。
はいはい。
このメンバーもほとんどみんなそんな人たちで。
うーん。
21:02
第一発見者と被害者を目撃した人の2人だけはフラット、割とフラットなんですけど。
割とフラットですね。
はい。
容疑者を捉えた者、訪面っていう書き方してましたが、訪面ってもともと犯罪人が許されて警備の手伝いをしているみたいな人たちで。
あーなるほど。
だから自分が手柄を挙げないと許してもらえないわけなんですよね。
うーん。
だからいろいろ多条丸の別の罪のこともギャーギャー言うし。
そうですね。過剰に悪人だっていうようなアピールしますよね。
はい。で、政子の母親、事件の禁止者の人は旦那はまだしも娘だけは何とか探してくれみたいな言い方もするし。
そうですね。
で、多条丸も政子も竹広も3人とも自分が犯人だっていう言い方をするんですけれど、そこの言い方が自分が主人公であるような話し方をする。
はいはいはい。まあまあね、自分目線なんだよね。
はい。自分目線なんだけども、私が一番のヒロインなんですとかヒーローなんですっていう言い方をするじゃないですか。
はいはいはい。
そこがああ、なんか芥川作品だなって思いましたね。
ああ、なるほど、なるほど。
やっぱそこは。で、告白っていうのは捉えられた犯人、容疑者が告白する。
はい。
で、これはだからおそらく蛇意志かそれに近い人に向かってしてると思うんですよね。
そうですね。全部蛇意志に話をしている形で書いてあるので、蛇意志に対して白状をしている。
はい。で、次に出てくる政子は懺悔なんですよね。で、清水寺で懺悔をしてるんですよね。
はい。
だからこの点から見ると蛇意志は政子の発言は聞いてないってことなんだろうなっていうふうに読んだんですよね。
ああ、なるほど。
で、最後の竹博も霊媒師みたいなのが魂を下ろして喋ってるみたいな設定で、それが誰に向かって喋ってるかとは言ってないので。
ああ、はいはい。
そこもしかしたら蛇意志が聞いたわけではないのかもしれない。
ああ。
ってなるとなかなかミステリーとしての面白みがさらに深まって。
そうですね。
我々は知ってるけど、逆に言うと、我々も結局真相はつかめないんだけど、
逆に言うと蛇意志が多状丸の白状しか知らなければ多状丸犯人で終わりなんですよね。物語の中の現実世界としては。
ええ。
でも蛇意志から見えてないところまで見ると、まさに矢部の中でこれだけで多状丸犯人じゃまずいんじゃない?ってなるっていう。
24:03
はい。
面白い構成になってるなぁと思ったり。
はい。
本当にね、最後に言ってる竹広の話が本当であるならば、本当にいわゆる今で言う嫌ミス。
ええ。
感想文にはそぐわないと思ったので作者を例に出して言ってますが、要は嫌ミスって言いたかったんですよね。
嫌な気持ちがするで終わるミステリー。
はい。
最後、本当に感想文でも書いたのが、すごいゆっくり死んでいく様が、言葉としては感想文でも書いた草言ですらあると思えるような、
死ぬにしても本人はやりきった感があってみたいなところも含め、ゆっくり血液の流れが止まっていくような雰囲気があるのが、台無しにされるっていう、何とも言えない嫌な感じと、結局それが誰だかわからないっていう嫌な感じと。
非常にね、だからこそ面白いのかなって思いましたね。
はい、そうですね。
ということで、次回はこの物語、この僕が感想文を書いたこの矢部の中を、咲夜さんが朗読してくれます。
朗読というよりは、読み聞かせのような感情たっぷりにちょっとしてみたので、遊んでみました。
演じるまで言うと言い過ぎかもしれないけど、7人のキャラクターを際立たせるような形で、いろんな証言が聞けて、皆さんもね、気分としては、答えは出ないにしても、誰が真犯人なのかなとか考えながら聞くのも楽しいんじゃないかと思うので。
ぜひお願いします。
よろしくお願いします。
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