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2022-12-18 23:40

師走の回「近代文学の夕べ2」3

ガチャを回して出てきたことについて語る「文ガチャ」

師走の回のお題は「近代文学の夕べ」
らい堂さんが近代文学を読んでの読書感想文を書いて、それについて語っています。

今回の作品は江戸川乱歩の『赤い部屋』
青空文庫さんにも掲載されていて、気軽に読める作品です。

今回はようやく!らい堂さんの読書感想文をお届けいたします。
みなさんもぜひ、読後の感想を教えて下さいね。


底本:江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者

出版社:光文社文庫、光文社

初版発行日:2004(平成16)年7月20日

入力に使用:2012(平成24)年8月15日7刷

校正に使用:2004(平成16)年7月20日初版1刷

底本の親本:江戸川乱歩全集 第七巻

出版社:平凡社

初版発行日:1931(昭和6)年12月

入力:門田裕志 校正:岡村和彦

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はい。ということで、前回前々回と赤い部屋、江戸川乱暴の小説をね、作家さんの朗読で聞いていただいたわけなんですけれども。
今回は僕が下手な朗読をする番で、赤い部屋の読書感想文ですね。
前回同様で、1作品に対して400字詰め原稿用紙で5枚。
まあ5枚と言っても、5枚目は6行ほどは余らせてはいますが、まあ5枚ということになっておりますので、これを読んでいこうと思います。
では読みます。
赤い部屋を読んで、椿雷道。
この作品の独了直後の感想を一言で表現するなら納得いかないというものでした。
この作品を知ったのは落語からでした。
柳屋京太郎師匠がこの作品を翻案して作られた新作落語があります。
この新作落語を今年の夏に聞いたことがきっかけとなっています。
落語に魅了されて原作を読んでみたくなったのです。
本作の登場人物である私は語り手ではあるが主人公ではないだろうと思います。
言うなれば私たち読者の代理人のような存在ではないかと考えます。
同じ赤い部屋の中には私や読者とまるで立場の違わない5人の人物がいて、もう一人新入会員のT氏がいる。
四方を見てもテーブルや椅子を見ても真っ赤なその部屋にはもともとドアも窓もありますが、
壁同様に赤い垂れ衣に覆われて目にすることはできません。
一面真っ赤なその部屋は実際にはそうでないにしろ密室を思わせるのではないでしょうか。
この赤い疑似密室はここで話される話の話しても聞きても狂わせるのではないかと思われます。
その赤い部屋の主人公はT氏であり、赤い部屋はT氏のステージだと感じました。
そもそもこの集まりは経済的に余裕があり、時間をもて余しているであろう、いわば勇敢の氏の集まりで、
メンバーの誰かが持ち込んだ話を残りのメンバーが聞くというものらしいのです。
そして通例として、新入会員がいるときは新入会員が話すことになっているということなので、必然的にT氏がその日の主役となるわけです。
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先にストーリーを最後まで書いてしまえば、T氏は、いわゆる密室の行為に限りなく近い、直接的には手を下さずに事故を誘引する形の殺人を繰り返してきたことを告白し、
そしてその100人目の被害者に自らを選び、この赤い部屋で実行します。
実は落語の方はここで終わりでした。
原作であるこの小説には続きがあり、T氏の死はもちろん告白自体が創作であったことが明らかにされます。
私はこの結末があまり好きではなく、落語の下げの方が好きです。
それでも小説の方の結末に魅力を求めるのなら、
なるほど他人を介した狂言自殺は嘘だったけれど、告白の方は本当のことだったのではないかと思わせてくれるところかと思いました。
異様な空間で異様な話を聞く心境というものはどんなものだろうか。
この集まり自体が怪異な話を聞く場ということなので、他のメンバーも慣れているのかもしれませんが、今回のT氏の話はどうでしょうか。
自らの手を直接的には使わずに、他人が死にゆく様を眺める愉快犯というだけでも相当に不快であるのに、標的の選び方が一層不快で、
老人、子供、障害者、怪我人といった一般的に言うところの弱者で、それ以外の人物としてはT氏に絶対的な信頼を寄せている友人、そして逆にT氏の存在すら知らない列車の乗客と、およそ一般的には想像することすら恐ろしいような対象たちです。
そして、この被害者たちの心持ちに思いを馳せてみると、実は衝撃しかなかったのではないかと思うのです。
他人の悪意で死を迎えながら恨むことすらできずに死んでいったと思うと、読者として不快感はより増していきます。
読者や作中の私、そして同席している他のメンバーも感じているであろう不快感は、T氏のすべては嘘だとの言葉を信じるのであれば無意味ということになります。
では、この虚構の事件を語り、表現を演じたT氏の思いとはどのようなものだったのでしょうか。
赤い部屋の集まりの存在を知っていて、そのようなバカバカしいことをやめさせようと思ったのかもしれません。
実際、ラストでは、それまでの幻想と狂気に満ちた赤い部屋は伝統の下に晒されてみそぼらしく見えたとされています。
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もしそうなら立派な人物のようにも思えますが、やはりどうしてもT氏が話した物語の異常性が飲み込めないのです。
確かに、後に来る緩和のためにその前の緊張の高まりは異常であればあるほど効果的だとは思えます。
しかし、そんなことのために架空とはいえ、子供を騙し老人の狂気、障害者を欺くような物語を次々と繰り出せるでしょうか。
あれこれ考えを巡らせても、どうしてもT氏の狂気は払拭できません。
それほどまでに彼の話した物語が印象が深く、またこの作品の根幹なのだと感じました。
以上です。
ちょっと前の時に話に出ていた感情の部分、登場人物の感情に共感できるとかいう話題が出てたので、そういうところは一応意識はしてみたんですけれども。
なんかね、共感がしづらい作品なので、ちょっと批判めいたというか、そんな感じの文章にはなったかなとは思っているんですけれども。
感想文自体についてはお聞きいただいてどうでしたか。
そうですね。共感できなかったっていうのも感想の一つなので、これはこれでとても良いものだと思います。
なるほど。
そうですね。落語がきっかけっていうのは、「へー!」って思ったんですね。
で、結末が違うんですね。
そうですね。
落語の方は、その前段の説明というか確認として、「死神」っていう落語って知ってます?
はい。ろうそくの話ですよね。
そうですね。最後、死神に連れられて、短くてもうすぐ消えそうなろうそくの火を、他の大きい長いろうそくに火を移せると、その人はまだ生き続けられるんだけど、これが移せないで消えてしまうと、その人は死んでしまうという状況がクライマックスに現れて、その火がどうなるかっていうのは落語家さんによって結構バリエーションがあるんですけど、
普通は結局は最終的には消えてしまうんですね。
で、落語には珍しい見立て落ちという種類になる落ちの付け方で、炎が消えた瞬間に落語家さんが正座している座布団の上で正座している状態から、普通は前か横にバタッと倒れるんですね。
で、そのまま終わっちゃうんですよ。
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で、撮りとかだったり演出によってはそのまま空が咲かれることもあるかもしれませんが、通常はそこから体を起こして、もう一度改めて一礼して終わりというような感じになる、かなり特殊な落語があるんですけれども、これとちょっと似ていて、落語の方ではさっきの感想文にも書いた通り、狂言であることを告白するシーンがないんですよ。
つまり、狂言の自殺でそのまま終わりなんです。
なので、とある人物を騙して、自分におもちゃのピストルだと思って自分を撃たせる。実はそれが本物で自分が死んでしまう。
で、たぶんちょっと落語の演出上どうなってたか覚えてないんですけど、最後にそれに撃たれてまだ息があるときに一言言ってバタッと倒れて終わりみたいな形の終わり方だったと思います。
ですので、その方がどちらかといえばイヤミス的な感じにはなるんですけど。
そうですね。
ただ、この最後に種明かし的になることに、僕は狂ザメな感じがしたんですね。
全部嘘でした。ある種、夢オチ的な終わらせ方が狂ザメだなと思ったので、あんまり好きじゃないっていうようなことを書いてるんですけど。
っていうところですかね。そのオチの部分に関して言うと。
落語の方は割と衝撃的な終わり方っていうところで、落語としてはよくできてる。落語の中でも怪談にあたるものなので、怖いなと思って終わるっていうのが一番いいんじゃないかなとは思いますけど。
というところなんですけれども、あとはストーリーの方についてはどうでしたか。
朗読もされて、なかなか残酷なことを次々読んでいかなければいけないっていう、咲夜さんみたいな方には申し訳ないなって気持ちがあったんですけれども。
さすがに、子供を殺すところはオウってなりましたけど。
小学校の先生されてるような子供がお好きな方にあれはちょっとなとは思う。しかも子供らしいところがまたつらいですよね。
そうなんですよね。やんちゃんな子だったらそうするだろうなっていうところで。
そこに気づいて見てみると、感想本でも書いたように弱者が多いんですよね、対象は。
そうですね。
皆さんこれを今聞いてる方は、咲夜さんの朗読を聞いた後であるという前提で話しちゃいますけれども。
私の感想本では障害者っていう表現をしたんですけど、目の不自由な方がね、出てこられて。
いわゆる心理戦みたいな形で、その人を事故に遭うようにまさに誘導する。
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みたいなのは本当に悪意しかなくて、本当に気分が悪いなっていう。悪いなっていうのは笑いが悪いのもどうかと思うんですけど。
これ感想本に入れるかどうか迷って入れなかったのが、この終わった後の部分から書こうと思ってたんですけどやめにしたのは。
これってT氏が次々、架空のこととはいえ、いろんな弱い人たちを主に殺していくっていうような設定を次々上げていくっていうのは、
やっぱりこの人の狂気がっていう表現をしてるんですけど、イコール江戸川乱法なんですよね。
江戸川乱法はまさにその狂気をかけ続けた人なわけなんで、読み方によっては江戸川乱法批判になる。
T氏を批判するっていうのはイコール江戸川乱法を批判するってことになるっていうのがあったり、
あとはその小説をあえて好んで読む人間である自分とか、もっと言うと落語の方がいい終わり方だって言ってるってことは、夢落ちですらない方がいいって言ってるわけだから、
よりブラックな感覚だなっていうふうに自分に返ってきたんですよね。
うまく文章にすると、もってもあった言い方になっちゃうので、そこはもういいかって思って、書かなかったんですけど。
これってもっと広く言うと、ミステリー小説を読むことって何なのかみたいなところまで広がってっちゃうかなと思って、なかなか複雑な気分にはなった。
同じようなことが言えるのは、例えば戦争映画みたいなものに関しても言えると思うんですよね。
別に戦争が起こってほしいわけじゃないけど、戦争をしている人たちが登場する物語を読んで、主人公を応援したりするっていうのは、
それをフィクションだと思ってるから許されることではあるけど、感覚としては、やむを得ないにしても人を殺しまくることを応援してるってちょっと気持ち悪いというか、
変に考えちゃうと不快な話のような気もしてきて。
今までそんなこと考えたことなくて、それはフィクションじゃんとか、例えば歴史の戦争のこととかを考えても、
それは歴史上の戦争とかを研究することとかっていうのは、別に戦争がしたいとか、戦争が好きだとか言ってることとは違うよねって普通に思ってたんだけど、
趣味であれ研究であれ、積極的に関わろうっていうところに、どっかその狂気みたいなものがないって言い切れないんじゃないかみたいな、
迷宮に入っちゃうような感じが自分の中にありましたね。
読んでみたこと自体は良かった。いろんなことを知れたという意味では良かったかなと思った。
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このポッドキャストで近代文学の夕べをやるときは、もちろん著作権のことを考慮して、著作権フリーのものを選んでるので、
だいたい青空文庫にあるわけですよ。
今回の赤い部屋は青空文庫のアプリの方には見つからなかったんですけど、
ブラウザ版っていうのかな。要するにインターネットで検索すると出てきますよということだったんですけど、
ブラウザ版が僕読みづらくてすごく、僕が見つけたやつが。
そうですか。
かつ字が小っちゃくなって、ルビーがいるときにかつ字が小っちゃくなって二段書きみたいになってたりもして、
それを字が小っちゃくてスマホで読むには難しいなと思ったんで、コピペしようと思ったら、
そのルビーと漢字がレイアウトが変な感じになっちゃったりとかして、それで読みづらくて結果的に文庫版で買いました。
あー、なんてこった。
短編集。江戸川乱法傑作戦っていう新潮文庫のやつを買って読んだんですけど、
ただこれには有名なところで言うとD坂の殺人事件とか、心理試験、もちろん赤い部屋が入ってて、
屋根裏の散歩車、人間椅子っていう、今5つ言ったんですけど、このうちの4つが初期短編集の中でも、
4大短編、初期の4大短編みたいに言われるものが全部入っているので、
近代文学の有名でこれ以上は江戸川乱法を取り上げることはないんですけど、
これはこれで一つの楽しみとして、他の作品もせっかく文庫版で買ったから、読んでみようかなーなんて思ってたりはしますね。
人間椅子も同じぐらい後味が悪いですからね。
僕ね、多分映画化なんかで見たことあるんだと思う。
そうなんですね。ちょっと狂気なんですよね、やっぱりね。
いわゆる殺人事件とかとも違うし、
最近、21世紀以降ぐらいに多いサイコパス犯罪ともちょっと違うじゃないですか。
狂気って言えば似てるように思えちゃうけど、ちょっとそれともまた違うみたいなところがあって、
だからそういうところもあったから、今まで読んでこなかったんだろうなって自分でも思うんですけど。
この落語がね、好きなもので落語をきっかけて、まさか江戸川乱法を読むことになると、みたいなところもあったんですけど。
ちなみに落語の方は柳田京太郎師匠の持ち演目というのかな。
あんまり他の人がやることはないみたいですね。
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前作を赤い部屋っていう小説から撮ってるけれども、柳田京太郎師匠が落語にした、言ってみればオリジナルなので。
落語の世界だと著作権的なものがちょっと独特な文化があって、その師匠に教わりに行って、師匠からOKが出るとやれるようになるので、
他の方が習いに行って、京太郎師匠がOKを出せば他の人がやることもあるとは思うんですが、
なかなかハードルの高い演目なので、しかも夏ぐらいしかやる機会がないし、
普通に子供も来てるような寄せてやるような演目でもないしっていう、なかなか条件が難しいかなと思うので、習う人も少ないかもしれないですね。
夏場の京太郎師匠をめがけていくところに当たることもあるかもしれません。
僕がやってる別のポッドキャスト番組みたいになってきちゃいましたけど。
というところなんですけれども、この作品、朗読のことも含めて、何かお話しときたいこととか、感想も含めて何かありますか。
感想文ではないんですけど、解説とかっていう感じで、どうも乱歩さんご本人もこれに関しては最後の部分は反省しているようで。
あまり自分の書き方が良くなかったって自分でおっしゃっておられたようですね。
最後の部分、ピストルの手品は幼稚であったっていう言葉が残っているようなので、自分でもどうかなって思いながら書いたみたいですね。
だからきっと、ピストルのトリックみたいなものが幼稚だから、あれで本当に死んだにしないで、実は嘘でしたにしたくなったんでしょうね。
なのか、推理小説、オールドタイプのものだと、だいたいですけど、完全懲悪じゃないですか。
ああ、そういうことか。はいはいはい、そうですね。
だから、それのスタイルにしようとすると、どんでん返ししかなかったのではないかなという予想ができます。
なるほどね、そっかそっか、確かに。今でいうイヤミスみたいなことってあんまりなかったからっていうことね、なるほどね。
そっかそっか、確かにそれはそうかもしれないな。
なんかね、これ前回のヤブの中にとも通じるイヤミス的なものを、僕がこういうのが好きなんだなっていうのはもちろんあるんですけど、
ちょっと、近代文学の夢ってタイトルにしといて、3つの文字2つこんな感じかみたいなところもあったり、
あと作品自体も、レモンも含めて階層だったりとか、レモンは一応基本的には階層として書かれてる感じだし、
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ヤブの中は証言とか告白だけで構成されてるし、今回の一応小説、いわゆる一般的な小説の形にはなってるけど、
圧倒的な大部分がT紙の告白で構成されてるってことで、なんかもうちょっと普通の物語を読むべきじゃない?って自分で思いました。
本当に好きなやつ読んでる。読む上で好きな作品を読んでるせいで、感想文が書きづらいみたいなところもちょっとあるかもしれない。
ああ、そうですね。好きな作品と感想文が書ける作品は別ですからね。
そうですね。非常に感想文に向かない、先月合わせて3タイトルだったかなって思いました。
はい、じゃあそんなところで、ここまでの近代文学の夕べは終わりにしまして、次回もありますのでお聞きください。
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