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2022-11-20 24:08

霜月の回「近代文学の夕べ」3

ガチャを回して出てきたことについて語る「文ガチャ」

霜月の回のお題は「近代文学の夕べ」
らい堂さんが近代文学を読んでの読書感想文を書いて、それについて語っています。

今回の作品は梶井基次郎の『檸檬』
青空文庫さんにも掲載されていて、気軽に読める作品でありますので
らい堂さんの感想文を聴いてから読むもよし、
先に作品を読んでから聴くもよし!です。

どうぞよろしくお願いいたします。

青空文庫『檸檬』

底本:「檸檬・ある心の風景 他二十編」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
初出:「青空 創刊号」青空社
   1925(大正14)年1月
※表題は底本では、「檸檬れもん」となっています。
※編集部による傍注は省略しました。
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年8月31日公開
2016年7月5日修正

https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/424_19826.html

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ということでですね、前々回に僕が読んだ、芥川雄之介の「やぶの中」っていう作品の感想文を読みまして、それについてあれこれ話しまして。
で、前回はその「やぶの中の読み聞かせ」というような形のものを、作家さんがやってくれたのをお聞きいただいているかと思います。
で、今回は別の作品、近代文学から別の作品を持ってきているんですけれども、今回の作品は、梶本二郎の「レモン」という作品を読んでみました。
読書感想文を書くこと自体は、もう何十年ぶりとかなので、「やぶの中」も苦労はしたんですけれども、「レモン」の方は、「やぶの中どころではない苦労」をしまして。
これね、一応一晩で書いてるんですけれども、3、4時間とかかかってると思うんですよね。
きっぱだと思います。
読んで、別の日に読んで、電車の中でプロットじゃないけど、この辺を書こうかなとか、こういう順番で書くのかなとかって思いながら、考えたりしてて。
そういう下準備があった上で、そのぐらいかかる、というようなことでしたね。
はい、というぐらいで、言い訳はそのぐらいにして、感想文を読んでいこうかと思います。
はい、お願いします。
レモンを読んで、椿雷道。
私がこの作品に初めて触れたのは、学生時代のことでした。
その時は、この作品がなぜ高く評価されているのか分かりませんでした。
それを知りたくて、読み返してみたり、音読してみたりしましたが、音読したことで文章の読みやすさや耳心地の良さを実感する程度に留まってしまいました。
その経験が、今回この作品を選んだ理由の一つであることは間違いないと思います。
この作品の魅力は何なのか、それを知りたいと思い、再読しました。
しかし、私にとって難しい作品であることは変わりませんでした。
表層的には理解できるのですが、それが作者が伝えたいことの確信とは思えないのです。
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私にそう感じさせる何かがこの作品の中にある、たどり着けなかった何かについて書いていこうと思います。
最初は表層的なことについて触れていこうと思います。
この作品は主人公である私の回想として書かれています。
そして、作中で登場人物と明確に言える人物は主人公しか出てきません。
親や友人といった身近な人でさえ、記号的に表現されるに留まります。
当然の季節として、カギカッコ付きのセリフもありません。
極端なまでに詩的な作品といえます。
そして、回想の中の主人公が何をしたかといえば、
何もしていないと言っても構わないほど小さな行動しか起こしていないのです。
鬱状態の主人公が京都の街をさまよい、やがて一つのレモンを手に入れ、最後に何をしたのかというただそれだけのことです。
あらすじだけ追っても、何も見出せない作品でもあります。
たったこれだけのことしか起こらない物語の中で、作者がどんな事柄に心血を注ぎ、時数を割いたかといえば、
主人公の精神状態、主人公の思考の変化、そして街の情景の3つが挙げられます。
これらを表現するための言葉は、まさに心血を注ぐという言葉がふさわしい力のこもったものになっていると思いました。
作品の冒頭から語られる主人公の精神状態は、一般的に鬱病と言われるものに近いように思えますが、
作者は、そんな既存の言葉で片付けられるような簡単なものではないと言わんばかりに言葉を尽くしてきます。
この熱量は、結末に向かって連なっていくテーマを必要なものだろうと強く感じました。
続いて、その精神状態をより酷明に伝えるため、主人公の思考の変化が語られます。
以前の主人公は、まっすぐに芸術を愛し、美しいもの、キラキラしたものに素直に憧れていました。
それが精神状態の変化によって、これまで思考してきたものに対して嫌悪感に近い感情を抱くまでに至ります。
そしてその代わりに彼が見せられていくのが、ミスボらしくて美しいものです。
私個人の体験としても、今まで好きだったものが急につまらないものに思えてしまうこともあったので、これは共感できるのですが、ミスボらしくて美しいものというのは難しく思います。
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現代の作品でも類似した表現が字幕に触れることがありますが、そんな時には装飾によらない本質的な美しさと捉えています。
しかし本作の文章からは、そこに留まらないものを感じます。だからこそ、負に落ちないものが残ります。
暗く重苦しい心持ちの主人公が見出した光明はまさに、ミスボらしくて美しい焦点の中にありました。
この八百屋の描写は、とても丁寧で光と闇の演出もあって幻想的ですらあり、読者までもその世界に引きずり込むような力を感じました。
次に主人公はレモンと出会い。もちろんレモンについても丁寧な描写がされるのですが、それは単に美味しそうだとかみずみずしいとかいうところに留まらない、主人公にとっては存在そのものが異常なまでに価値を持ちます。
その証拠に彼を悩ませた彼の中の不吉な塊も姿を消します。晴れやかな気分になった主人公は以前好きだったマルゼンという店に入ります。そこでまた気持ちが落ち込んでしまい、再びレモンに救われていきます。
レモンと遭遇してからの下りこそがこの作品の真骨頂なのだと思いますが、あまりに詩的で言葉を尽くして書かれた前段を踏まえても十分には理解できなかったというのが正直な感想です。
それでも前回読んだ時に比べると、こと細かく説明された心のありようや幻想的なまでの八百屋の描写には大きな感動がありました。また、いつか読む機会があれば、より深く楽しめるのではないかと思いました。以上です。
先に言い訳させてください。
要はわけがわからなかったっていうのを2000字近く使って書きました。
いやー、そうですよね。
本当に難しくて、だからわりとあらすじを追いながらの感想の表現みたいな形になってるんですけど、途中で出てきたようにあらすじにすると2、3行で済んじゃうようなことしか起こらないんですよね、ストーリー上は。
一方で、暗く重い大塊みたいなものについてはすごい文字数が下がれたり。
本当に八百屋の描写はすごく好きで、光と影のバランスみたいなところで描かれて、その薄暗い、光もあるけど薄暗いような、そこに自分が立ってるかと思うようなぐらい引っ込まれる文章だなと思ったんですよ。
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ここが良かったっていうところを引っ張り出すならそこかなと思ったっていうのが一番大きかったのが、こういう表現になってるかなとは思いますね。
感想もそのものについて、一応感想をいただきたいと思います。
すごく、これほど共感できない作品にここまで描けるっていうのがまずすごいなぁと思いました。
やっぱそういうもんなんですね。
そうなんですよね。
子どもたちに作品、感想文書くための本を勧めるときには、自分に似たものとか、自分の気持ちに似てるものを選んでね、その方が絶対書きやすいからねって言うんですけど、真逆じゃないですか。
そうですね。少なくとも僕にとっては真逆でしたね。
そうですよね。共感できてなさがすごく見えてきて、面白いなって思ったんですけど。
そうですね。
ちょっと前回のヤブの中に引っ掛けるわけじゃないですけど、ミステリー的に言うと、その謎に迫りたかったけど、答えはヤブの中だったっていう感じですね。
そうでしょうね。
中でもここまではわかりますがみたいな表現してますけど、いいと思ったものは急につまんないものに見えるみたいなのは、いわゆるあるある的な部分が感じられてるんですけど。
これ単純に咲夜さんに聞いてみたいところなんですけど、ミスボらしい美しいものってニュアンス伝わります?
ミスボらしいっていう言い方をしてますが、途中で値段の話をしていたので、高価じゃないけれどもっていうことかなって思ってました。
これあと裏路地みたいなところの方がむしろ良くてみたいな表現とかも出てきたりして、わりとチープなものみたいな雰囲気は確かにありますね。
そうですよね。
本当にここも悩んだので、共感できないまま文字を書くことになるのはわかってたので。
あるいはこういうのが近いかなと思ったのは、わびさび的なものとか。
それは思いました。
あと、ミスボらしくて美しいものって表現で思った、現代でもあるけどって書いてるのは、単的に言うとザ・ブルーハーツのリンダリンダなんですけどね。
冒頭の歌詞が、ドブネズミみたいに美しくなりたい、写真には映らない美しさがあるからっていう歌詞から始まるんですが、
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単純に考えて、写真に映らない美しさがあるとしてドブネズミにあるのかいっていう気もするっていうぐらい、
これもやっぱりかっこいいけど意味はわからないんですよね。わからないとか共感はできない。
純粋、動物なので邪心がないとかいう意味で言えば、まあまあそうとも取れなくはないんですけど。
なかなか嫌な言い方をすればわかりにくい表現をすることで、聞き手の気持ちを引っ張ってるのかなというふうにすら思えちゃう表現だなって思ってたりもするんですけど。
ただね、熱意とかね、心血を注ぐみたいな表現で書きましたけど、梶本寺の作者が何かをめちゃめちゃ伝えたいんだなっていうのがすごい伝わってくるんですよ。
自分がどん底な黒い塊かなんかに押しつぶされそうになっているような表現が出てくるんですけど、これがどんなものなのか。
僕が書いてるので言うと、簡単なうつ病みたいな簡単な言葉で片付けられるものじゃないから言葉を尽くして、なるべく正確に伝わるように書いてるんだぞっていう気持ちの表れだと思ってるんですね。
同じように、みすぼらしくて美しいものっていうのがどういうものなのかっていうのもすごい実装されてるのもそういうことだろうし、レモンの描写もそうですね。
レモンに至ってはもうわけがわかんないです。なんであんな救われるのかさっぱりわかんないんですけど。
逆に言えば、気に入ったとはいえ、たった一つレモンを買ったことでそのうつの状態から、もう言ってみれば相状態まで引き上げられちゃうっていう。
現象としてはそこがありきで、その前後にそれがより伝わるような表現をたくさん盛り込んだんだろうなってことにはなるんですけどね。
あと、結末についてはわざと触れなかったんですけど、一応ちょっとトリッキーな結末が待っているので、ネタバレ感がちょっと強いと思ったので、観察本でも書いてないですけどね。
いかがですか?作品そのものについては。
ブルーハーツの例えでふと感じたのは、自分とレモンに自分を投影している。
ミスボらしくて美しいものもそうなんですけど、ブルーハーツの例えでいうと、気高いもの。美しくはない、見た目が美しくはないけれども、気高く生きているものっていうものなのかなと思ったんですね。
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自分にも今お金がなくて、贅沢ができないし、健康もないし、何も美しいものが自分にはないけれども、心の中は美しいんだぞって言いたいのか。
でもそんな感じはしますね。
で、マルゼンと裏路地の果物屋の対比とかが、美しい香水瓶とレモンとの対比にあるのかなと思ったんですよね。
当時レモンもそんなに安いものではないはずで、カリフォルニアから来たって書いてあったので。
そうですね。博来品ですよね、いわばね。
感想文に盛り込まなかった点で言うと、デカダンスっていうんですかね。
堕落的と言ってもいいのかもしれないんですけれども、そういう作品っていう括りでいいとは思うんですね。
身を持ち崩しているような。
ただそういう作品にありがちな、女性に逃げるみたいなことが出てこないんですよね。
そういう意味でも、本当に自分のことしか考えてないみたいな話だなと思うんですよ。
愛するものがいるということすら出てこないっていう言い方もできると思うので。
でも高潔と言えば高潔なような気もするし。
一方でちょっと疑問っぽいなって思ったのは、自分が苦しんでいるのは借金なんかのせいじゃないみたいなことを書いていながら、
マルゼンで気分を悪くする、中断で出てくる、ラストシーンじゃなくて。
中断で出てくるときには、周りの人間が借金取りに見えるって言ってるんですよね。
だから関係ないんだって言いつつ、いざとなると借金のことが頭でいっぱいなんだと思うんですよ。
借金のことが頭から離れずにいるんだと思うんですよ。
その辺が、自分の気高さを表したいような思いがありつつ、それが取り繕ってるにしかすぎないというような表現にも思える。
そこ結構指摘するポイントのような気はするんですよね。
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意図的なものならそういうふうに捉えるべきだし、そうじゃないんだったら作品としての欠点なんだろうって言っても過言ではない。
不思議なことがいろいろあるところがあるんですけどね。
読んでみたこと自体が良かったと思います。
僕はこれ、素直な感想というか記憶で書いてるので、対はないんですが、自分が一人誰も聞いてない状況で朗読してみて、
読みやすく耳心地、自分の読んでる声の耳心地として耳心地の良い文章だなっていうふうに感じた作品でした。
それは本当に孫子となき話なんですけれども、その読みやすくて耳心地の良い朗読が次回聞けます。
こういう嫌味を言うために言ったんじゃないですよ。
それライノさんの方聞きたいですよ。
いや、そんなことない。とんでもないです。こんな嫌味を言うために書いたつもりはないんですが、そういう繋がりができちゃったなって思ったので、ちょっと言っちゃいました。
聞いてみるとね、もしかしたら、もし嫌々共感できるよっていう方いたら是非お便り欲しいです。
普段あまりそういうこと言わないんですけど、これは単純に興味があります。ここがよくわかるよっていう人がいれば。
ということで、今回はこの形になりまして、次回の朗読、今度の朗読は朗読って感じですかね。
そうですね。かなり淡々と読んでみました。
ではそちらをお楽しみに。
はい。
はい、それでは今回は3週目なんですけれども、4週目が朗読なので、朗読だけ前後に何もつかない、ただ完全なパッケージとしての朗読なので、ガチャを今週3週目に回していこうと思います。
はい。
出ました。開けてみます。
勘弁してほしいです。
嘘?
近代文学のようです。
大丈夫ですか?
なんとかしますよ。中1ヶ月だったら月1本ずつでいけるなと思ったんですけど、それはやりますよ。
咲夜さんもね、2ヶ月連続をやってくれていますのでね。
はい。
一応でも作品のチョイス自体はしてあったりはするので、至急読んで、宿題は早めに片付けようっていうね。
21:10
今回収録の前々日ぐらいに開けてるので、しかも一晩で片付けてるみたいになっちゃってるので、宿題は早めにと思っております。
ちょっと意外な展開ですね。2つずつ続いた形になりましたね。
そうですね。
なんか不思議なことになりました。
ただ、近代文学は僕も大変なんですけど、本来だったり今までのやり方だったら、僕がメインの回ってある意味咲夜さんは聞くだけでいいような構成になってたんですけど、半分咲夜さんが朗読するってことで、咲夜さんにも負担がかかってるっていうこともありますし、
今度選ぶ作品が咲夜さんにとって読みやすいのか、読みづらいのか、あるいは作品によっては嫌悪感を感じるのか、分かりませんが、どんなことになるんでしょうかというと。
今回の文の近代文学の夢を聞いて、うーんって思った人は来月聞いてくれない可能性高いなってちょっと不安になりましたが、ぜひそこはそうは思いつつも、近代文学作品の紹介でもあるので、そういう意味ではいいきっかけになるかもしれないと自負しておりますね。
そのぐらいの気分で聞いていただければと思います。来月もお楽しみにしていただきたいと思います。
木の葉がすっかり散り、冬の訪れを感じる頃となりました。皆様、お風邪を召されませんように、暖かくしてお休みくださいね。それでは、ごきげんよう。
ごきげんよう。
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