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2023-07-09 22:46

令和五年文月の回「私の好きな言葉です」2

ガチャを回して出てきたお題について語る「文ガチャ」
今月のお題は「私の好きな言葉です」です。


2週目の今回は「物語の中の言葉」から好きなものを二人で二つずつご紹介いたします。

リスナーの皆さまのお好きな言葉も、ぜひ教えていただけたらなあと思います。

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ということで、続いてはですね、物語の中の言葉というのに行きましょうか。はい。
はい、じゃあ今度はさくやさんから行きましょうかね。はい、わかりました。
一つ目ですが、物語の中の言葉というか、思想家の書いた著書の中の言葉です。
デンマークの哲学者キルケゴールの本より、「死に至る病とは絶望である。」です。
よく言われている言葉とか、知られている言葉ではあるんですけど、絶望すると死んじゃうよっていう意味では実はなくて、
キルケゴールが言うには、絶望とは死にたいけれど死ぬこともできずに生きていく状態のこと。
ああ、なるほど。
肉体の死も超えてしまったような苦悩が絶望だと言っているそうです。
結局、それが、だからキリスト教を信じて楽になりなさいっていう結論にはなっちゃうんですけど、本の内容としてはね。
ちょっと和風な言葉に置き換えると、生き地獄みたいなこと?
そうですね。
辛くて仕方ないけど生きているしか仕方ない。
そうです。
キリスト教は自殺を否定しているので。
そうだね。
余計にそうですよね。
なんか、くしくも前回の男子さんの話をしたところで、
僕が正確な言葉を覚えてないけどっていうので話した、
若者と男子さんの会話の中で、男子さんは辛いもの、病そのものを受け入れるしかないっていうことと、
でも生きていくしかないわっていうような趣旨だったと思うんですよ。
本当に正確じゃないんで、もう1年以上前に見た映像だったので正確じゃないけど、こういう趣旨だったと思うので、
なんかちょっとこれもまた通じるところがあるような。
もうちょっと、そこに宗教的な寄り所を求めないので、もうちょっとハードな選び方な気もするんですけど。
そうですね。
でもやっぱり自殺を否定はしてるんだと思ったんですよ、僕それ聞いたとき、その映像を見てたとき。
辛いよな、でも受けるしかないよな。
受け入れて、極端なことを言えば死を選ぶのも自由だよって言葉として言えちゃうじゃないですか。
映像が回ってるときに言えるかとかそういうのはまた別としてですけど。
でもそうではなくて、でも生きるしかないよなっていうふうになっていったっていうところは、
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これ難しいけど大事な、いいことあるよじゃないけど死ぬなよっていう感じがすごくいい言葉だと思ってたんで、
ちょっとそこと通じるなって思ったんですね。
そうですね。
死に至る病はキルケゴールの哲学書のタイトルとして、絶望までいかないと死に至る病っていうところが署名になっている。
そうですね。
ある意味でキャッチなので、非常に沿用されるというか、他で使われることもあって。
僕たぶんね、もちろんキルケゴールの方を先に知ってたんですけど、
あって思ったのは、たぶんテレビシリーズのエヴァンゲリオンのエピソードっていうか、
その各話の中のどっかで死に至る病。
死に至る病そしてとか、ちょっとついたと思うんですけど。
なんかそういうのもあったなーなんてことも思い出したし、
やっぱりアニメとかでもちょいちょい使われてるみたいですね。
そうですね。
この絶望が、他人との関係ではなく、
自分に対しての関係がうまくいかずに自暴自棄になった時に絶望が生じるって言っているようで。
ほー。
そうかそうだよなーってちょっと思ったんですよね。
他人とうまくいかなくても自分がしっかりしていればまあいいやとか、立て直せるけど、
自分が立ち行かなくなってしまった時は確かにそうだなーって。
なるほど。確かにな。
自分のことでどうにもならないは、人にはどうにも手伝ってもらえないことなんですね。
難しいですよね。
確かに絶望というところとつながってくるように感じますね。
じゃあ次は私の番でいいですかね。
これは物語に出てくる言葉です。
僕はこれを映像作品でしか知りませんが元は小説でして、
このね、文ガチャらしく言葉っていうテーマも関わってくるワードを選んでみました。
ちょい長めですね。2文ぐらいに分かれるんですが、
言葉で伝わらないものが確かにある。
だけどそれは言葉を尽くした人だけが言えることだ。
これはヤン・ウェンリー氏のセリフですね。
どうにも聞き覚えがあると思った。
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やっぱりそうですか。
銀河英雄伝説っていう長編小説でアニメにもなってて、アニメもめちゃめちゃ長いんですけど。
そうですね。
ヤン・ウェンリーは本当にこういう名言みたいなことをよく言ってる人が多いので、
いくつもあったんですけど、その中から言葉に関わることを選んでみようと思ってて。
これ僕の感覚ともすごく通じるところがあって、
僕は言葉っていうものに対する信頼が元々若い頃すごく強かった、高かったので、
言葉で伝えられないものはないっていう考え方をしてたんですね。
なぜかというと、ない言葉なら作ればいいと思ってたから。
だけども、年を重ねるにつれてそうもいかないなっていうか、
むしろ言葉として相手に伝わっても、理解として同じじゃないってことが多いよなとか。
よく全然違う次元の話になっちゃいますけど、
僕がこの花赤いねって言った時に、さくやさんがそうだね赤いねって言っても、
赤の視覚的認識が同じかどうかはまた別の話みたいなことも話としてはあるじゃないですか。
さくやさんには、僕からしたら紫って思ってる色に見えてるけど、
さくやさんはその色を常に赤と呼んできてるんだったらそれは赤なので、
赤という言葉で通じてるけど認識は違うみたいなことって、
もっと違うところに寄せて話をすると、
あの人いい人だよねっていう時に合意が得られたとしても、
そのいいと思ってる要素が違うとかってことも当然あるじゃないですか。
いい人の解釈は頭がいいみたいなことなのかもしれないし、
見た目がいいって意味なのかもしれないし、性格がいいってことなのかもわかんないっていうことで、
ただいい人だよねって言っちゃうと合意が得られちゃう場合もある。
みたいなこともあったりするので、
言葉っていうのはなかなか通じるようで通じないなとかいう思いが元々あってね、
このセリフとは関係なしに。
でもだからといって、どうせ通じないんだからいいやじゃないんだよねっていうところもあって、
それがこのセリフの後半にある、
だけどそれは言葉を尽くした人だけが言えることだっていうところにもつながっていて、
なるべく伝えようとして頑張って、それでも伝わらないことは仕方ないというか、
そういうことがあるって事実は受け入れるしかないっていうところに行き着く。
言わないで諦めちゃうとか、一言で通じなかったからお前にはわかんないんだとか言うんじゃなくて、
言葉は可能な限り尽くすべき、みたいなことかなと思っております。
09:00
我々の番組のスタンス的にはこういうところでありたいなと思っております。
どうでしたこのヤン・ウェンリーの言葉は?
ヤン・ウェンリー語録本当にいっぱいあるので、私は銀エイデンで一番好きなキャラなんですけどね。
あーなるほど。わかる気がします。平和主義者ですね基本的に。
そうですね。自身が歴史を本当に学んでる方なので、
だからこその重みっていうのがやはりあるなっていうのと。
そうですよね。だからやっぱり名言としても歴史の歴史とはとか歴史の解釈とか、
そういうとこの名台詞もあるし、なんか細かいこと言うと、
運命って言葉を養子のユリアンが使った宿命かな?
っていうのを使った時に良くない言葉だと言った上で、せめて運命と言ってほしいだろうなっていうような言葉が出てきたりするのも。
そうですね。
それも多分、人類の努力とかっていうものを無視する言葉?
はい。
要するに神が用意したものみたいに考えちゃうと、人間離れてもしょうがないみたいなことになっちゃうから良くないよっていうような趣旨だったかな?
そうですね。
もう破りというか、銀エデン語録でも1回できそうですけどね。
そうですね。
3ヶ月分くらいやれちゃいそうな気はしてきましたけど。
ということで、さくやさんの2つ目いきましょうか。
2つ目は自動書から引っ張ってきたものなんですが、
ルドルフと一杯やってなという自動書がありまして、
猫が主人公のお話なんですけど、
まずルドルフっていう猫がトラックに乗っちゃって東京に来てしまうんですよ。
どこか地方から。
そこで親分猫の一杯やってなっていう猫に助けられながらちょっと生きていく、暮らしていくお話なんですけど、
実は自分のお家が岐阜だっていうことが分かって、
じゃあ帰る手段考えなきゃってなった時になかなかいい手段がない。
猫が新幹線に乗れるわけもなく、貨物列車に乗れるわけもなくっていう話でちょっと、
じゃあ僕は一生帰れないんだって言った時に、
親分の一杯やってなが言った言葉です。
絶望は愚か者の答えである。
私さっきのキルケゴールの言葉がずっと頭の中にあった時に読んだものなので、
あーなるほどねってその時には思ったんですね。
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どっかの根底にキルケゴールの言葉があったんじゃないかなと思いながら、
大人なんでそんなことを考えながら読んでいたんですけど、
後々調べてみるとどうやらイギリスの政治家ベンジャミン・ディズレイリーっていう方の言葉だったようです。
絶望するのは愚か者だけである。賢い者は決して絶望したりせず、希望を見つけ出すという意味で言ったそうです。
自分自身にうまく折り合いがつけられないから絶望してしまうけど、
だからといって諦めてしまうのは愚か者だよっていう反論なのかなと思ったんですね。
なるほど。繋がってるわけね。キルケゴールと繋がってる。
ちょうど同じぐらいの時代の人なんですよ。
あーなるほど。じゃあ知ってた上でっていうことかもしれないですね。
なるほど。
私はこっちの方が好きだなと思って。
あーなるほどね。前向きというか。
さっきのちょっとヤンウェンディーの言葉とも通じる、
難しい要素はあるにしても、だからといって諦めちゃいけないっていうようなところも含まれてるかなと思って。
組み合わせ的にも良かったですね。
そうですね。
紹介の順番的にも良かったかな。
はい。ちょっとセットで選んでみました。
で、私のこの物語の中の言葉の最後は、
今回のね、今月初めてこのシリーズやってるんで、
意図的に落語に寄せてはいるんですが、
ヤンウェンディーは落語関係ないですけど、
これは別に僕好きな言葉ですけど、
これだけ言ってみんなにわかる言葉じゃないんですね。
とりあえず言ってみましょう。
予想。また夢になるといけねえ。
っていうセリフです。
えっと…。
知ってそう?
柴浜?
そうですね。
ですね。はいはいはい。
柴浜という落語の一番最後の言葉ですので、いわゆる落ちのフレーズですね。
ざっくり言うと、酒が好きでだらしない生活を送っていた旦那さんが、
ひょんなことから、財布を手に入れてとかっていう経緯もあるんですけれども、
やり直すことになって、酒を辞めて真面目に働いて、
もう十分に生活が立ち行くようになって、
人を雇ったりしてできるぐらいまで行ったときの大晦日に、
その主人公が憤起するきっかけになったところに、実は奥さんの嘘があって、
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その嘘の告白をするんですね。最後のラストシーン。
で、それを聞いた上で、嘘をつかれたことに最初は腹を立てるんだけど、
よくよく話を聞いてみると、
その起点を聞かせて嘘をついてくれた奥さんのおかげで今があるんだっていうことを理解して、
若いというかね、奥さんの謝罪みたいなものを受け入れて、
むしろこっちが謝らなきゃいけないみたいになって、
その時に奥さんの方から、もう心配ないだろうと思えたから、
辞めてたお酒も飲んで大晦日だし、飲みませんかっていう話になるんだけど、
もともと酒好きだからいいのか、お前から言ったんだからなとか言いながら飲もうかって口元まで持ってくるんだけど、
予想また夢になるといけないっていう最後のフレーズになるんですが、
これ今説明の仕方が完全に失敗してて、
その嘘の内容、奥さんがついた嘘の内容っていうのが、
財布を拾ってきたってエピソードが入ってるんだけど、
その後そのお金があるからって安心して酒をいっぱい買ってきて、
友達も呼んで酒を飲んで酔い潰れちゃう。
起きたところで、財布なんて拾ってきてないよっていう嘘をついてるんですね。
で、財布なんて拾ってきてないよ、それは夢で見てたんじゃないのって言われて、
財布拾ってきてないのに大晩ぶるまいしちゃって、お金がなくてどうしようってなって、
これはもう酒やめるしかないって言って頑張るっていう原因だったので、
酒を飲むとまた夢になるかもしれないっていうジョークが効いてる作業なんですけど、
話がね、こういう笑いの要素ももちろんありつつ人情味もあるような話で、
割と落語好きな人は、さっきの男子の語の肯定もそうなんですけど、
落語好きはこのフレーズだけです。
作家さんもね、わかったのもすごいなと思うんですけど、
柴浜という落語の酒の言葉。
良いフレーズなんて、割とみなさん共通で知っていると思う。
要するに江戸落語の気の利いたセリフという一例として選んでみましたって感じかな。
あのオチはいいですよね。
クソ真面目に考えると、
ある意味で言えば、うまくいったからよかったものの、やっぱり禁酒は続けようっていう真面目な話とも取れるし、
単純に気が利いてる。
夢だって嘘にされたっていうのを、もう許してるからこそ冗談でもう一回天丼的にいじれるっていう風にも取れるし、
そこにあたる奥さんに対する優しさというか、もう許してるんだよっていう雰囲気も漂ってるし、
ワード自体も洒落ててスッと入る背景には実はこういうような理屈もあるのかなという気もしてね。
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これが縦顔男子さんが演じると、奥さんの告白のシーンがね、壮絶なんですよ。
奥さんは旦那さんのことが腕のいい魚屋さんなんですけどね。目の利く魚屋さんで腕がいいのがわかってるから、
好きなんだけどお酒でだらしない生活して何日も仕事を休んでてってところから話が始まって、
働いてほしいからきついことも言ってたんだけど、
この嘘だったっていう告白をする時に、それで怒られて利縁にされるかもしれないけれども、
利縁にだけはしたくないっていう演出をめっちゃするんですよ。
だから殴るなり蹴るなりしてくれて構わないけど、利縁にはしないでくれって泣きながら訴えるみたいなシーンがあって、
そういう演出って男子さんがすごい練りに練った結果なので、他の人が一切やってない。
しみじみ話すんだけど、どっかに自分がやったことがいいことだっていう思いもあると思うんですよ、奥さん側。
結果的に旦那さんが構成してるので。
そういうふうに演じることが多いんだけど、男子さんが演じる奥さんは、
嘘をついてた後ろめたさをずっと抱えてきたっていう感じで描いていて、
独特な面白さがあるなっていう気もしますね。
その上でのこのセリフとも言えますしね。
夫婦のことなんでね。僕より多分咲夜さんの方がいろいろ思うところはあるかなとは思いますけど。
そうですね。
ちなみに一応メモに書いてたんですけど、この主人公の名前、勝五郎っていう名前ですね。
ハッツァンクマさんじゃないっていうのも特徴といえば特徴の話なんですよ。
そうですね。ハッツァンクマさんって言うと割と言葉が悪いですが、ポンコツな方々?
まあそうですね。っていうことが多いし。
あとは魚屋ってケースがないわけでもないと思いますけど、大抵大工というか職人であることが多いですね。
そうね。確かに。
この人もなかなかポンコツですけどね、前半とかは。
そんなお話も落語の聞くきっかけになればいいかなと紹介してみました。
そうですね。ぜひ柴浜は聞いていただきたいですね。
柴浜は一応エピソードラストシーンが大晦日なんで、年末になると聞く機会が増えると思うので、年末に来たなとは思いますけど。
いい話ですよ。すごい人気のある話なんで、いろんな人がやってるんでね。
ぜひよろしくというところです。
ここもなかなか面白い。
作家さんは2つセットで来るというシリーズで来てるわけですね。
1回目、2回目とね。
私は思いつきの2つでしたけど、それなりに。
21:02
ヤン・ウェンリーの方が作家さんの話と絡めたのが結果的に良かったかなと思いましたね。
そうですね。
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