新体制の発表
はい、ということで、令和七年弥生の回、5週目で雑談会という感じになりますけれども。
久々でね、昨日試をやってもらって、なかなかいろんな意味でご苦労されたかなと思うんですけれども。
失礼いたしました。
前々から、今年入ってからぐらいかな、ちょいちょいチラチラ言っている通り、4月からちょっと体制が変わりますよという話をしていこうと思うんですけれども。
大きく変わることがいくつかありまして、まず配信のペースの話からいこうと思うんですけれども。
これまでが、1つのガチャの出た番組で、4回分で、1ヶ月に4週で流すという形でやってたんですけれども。
まず、ガチャを回しません。今まであった既存の番組というものを任意でやっていく形になります。
配信ペースとしては、配信が月に1回で、3月で1セットという形になります。
背景としてはね、私も咲良さんも講師ともに忙しくなってきて。
文ガチャっていうのは、僕もそうだし咲良さんもそうだし、準備に結構パワーがいるので。
そうなんです。
収録時間だけあればいいってわけじゃないので、なかなか今のペースを保つのが大変だということで。
どのぐらいいるのか把握できていませんけれども、楽しみにしていただいている方には申し訳ないんですが、月1回ペースということになってきまして。
月1回になりますし、それで3回が1セットということになりますので、その分ちょっと1回あたりはね、今まで20分目安だったのを30分目安という感じで、少し拡大してやっていこうかと思いますという感じになりますね。
南宗さとみ発見伝について
基本的な方針の話としてはこんなところでいいですかね。
そうですね。大体1回分30分から40分ぐらいでいけるかなとは思ってますが。
はい。で、ガチャを回さないっていうのの一つの理由としては、この3月までが異常に私の目に偏ったっていうのもあったので、アンバランスかなっていうのもあったので、ガチャを回すのをちょっとやめるっていうのもあるのと。
年間単位でいうと4番組っていうことになるので、ガチャで回すっていうのもなっていう気もしたので。
それでですね、4月からC56ですね。の回は私が担当いたします、また。内容というか、番組的に言うと古典文学のさわりをやります。ガチャを回さないで決めました。
予告的に言っておくと、せっかくなんでね、こういうタイミングなので予告をさせてもらうと、南宗さとみ発見伝をやります。これまでが竹取物語と取り替え早物語ということで、平安とかそれ以前のものだったんですが、今回は急に江戸時代の作品になりますね。
で、ちょっと今、タイガがこの配信のタイミングでどうなってるかわかんないんですけれども、ベラボ、つたやじゅうざぶろうさん、南宗さとみ発見伝の滝沢馬琴、曲亭馬琴とも絡みがありそうだという話は聞いているので、そういう時代ので合わせてもいいかなと思ったっていうのもあって、今回は南宗さとみ発見伝でお話をしようかなと思ってます。
ただね、南宗さとみ発見伝ってめちゃめちゃ、この話はたぶん当日というか4月とかにもすると思うんですけど、めちゃめちゃ長いし、原点は覆えないので、この番組としても触り、あらすじを晴らすっていうテーマでやりますので、参考にする書籍もあらすじみたいにはなっていってるんですよね、ダイジェスト版みたいにはなってしまうので。
細かいところまで全部話すというわけには当然いかないよっていうのは先に言っておこうかなと思います。
そんなところかな。だからその次、夏のパート、7、8、9は咲夜さんが担当になって、その後、今の予定通り、計画通りにいけば、また秋の10、11、12が私、来年1、2、3月が咲夜さんという感じになっていくかなと思います。
今、咲夜さんという名前を出して思い出しましたけれども、月1日になりますので、今までは日曜日の夜8時ってことだったんですけれども、月1日、何日が的確かなと思ったところ、咲夜さんのお名前にちなんでね、
昨日の夜という意味ですので、昨日っていうのは1日のことなんですね。毎月1日を指す言葉で、夜8時に今まで通りやると、咲夜ということになるかなと思いまして、毎月昨夜の日に配信してます。
昨夜の時に配信するということにしようかなと思っております。
はい。ライドさんが絡まないので心苦しいんですけれども。
いいえ、大丈夫です。僕はこれまでの半年くらいで押し出しすぎたくらいなんで、大丈夫です。
この後の夏、秋、冬というのは何やるかというのは、その時のお楽しみにしていただこうかなと思うんですけれども、ということで。
基本的なコンセプトとして、この文ガチャの文は文系の文なので、文系のテーマというのは今までと変わらずでいこうかなとは思っておりますよ、というところですかね。
そうですね。
という意味で言うと、このガチャを回して毎月やってっていうのが、これで終わったわけなんですね。先週で終わったわけなんですけど。
このスタイルでなんだかんだで、3年弱くらい?2年8ヶ月くらいとかやったのかな?
はい。
振り返ってみてどうです?
ガチャのドキドキ感が結構好きだったので。何が出るかなとか。それこそ作人一緒が2回続いてみたりとか、雷動さん何連発だったりとか。
そういうのが楽しかったので。だから、文ガチャっていうタイトルどうなるのかなっていう、ちょっと心配はあるんですけど。楽しかったですよ。
そうですね。やっぱりお互い時間が、なぜこんなに今取れなくなったかわからないんですけれども、取れてた頃はそれなりに時間を割いて準備もできてて。
そうなんです。手書きでメモずっとしてたはずなんですけど、あの時間はどこへ行ってしまったんだろうと。ほんと不思議です。
一方で、咲夜さんは作人一緒とかが特にそうですし、言葉のこととか、最初からずっとやってるやつが多いのに比べると、僕は割と年ごとにガチャの中身を変えてったっていう気がしていて。
面白いんですけど、長くするには難しいものとかも多くて。専門的な知識があるわけじゃないので。やってみて、これ続かないなって思ったのは漢字ですね。漢字の漢字とかは。
面白いんですけど、楽しいんですけど、テーマ出しが難しい。そういうところが結構違う。言葉のことなんかもテーマ出し難しいと思うんですよ。ジャンルが限定されてないので。
一方で、作人一緒とかはもう100人一緒から選ぶのが前提なので、何本やるかとかっていう問題とかはあったかもしれないけど、割とまだまだ選ぶ余地があったりとか、逆に言うと終わりも見えている。いずれ終わるっていうのもわかってるっていうのもあるなって思ったり。
あとまだ残念ながら1回しかできてないですけれども、六畳間神話体系とかもすごくいっぱいあるわけじゃないけど、神話の数だけできるわけじゃないですか。選択肢がどの神話を選ぶかっていう選択肢になるんですよね。
そこ行くとね、漢字の漢字とかね、あと昭和語とかね、ジャンルが広すぎて何に絞っているかわかんないみたいな感じもあったかな、なんてことを思い出したり。
たかちん 漢字の漢字でお話ししていたこと。ちょうど先日、国語の時間に部首の話をしたんです。編と作りと冠と足と。あと、尿とかもあるよって話をしたときに、大童さんが尿の話いっぱいしてたなと思って。思い出しながら授業やってましたけど。
そうですね。尿を先に書くか後に書くかみたいなのもありましたからね。あれも面白かったよ。調べてて気になり始めたりして面白かったところですね。尿の書く順番とか。あと変な名前だよね。無尿とか変な名前のやつもあったりして面白かったですよね。
たかちん あとは何だろうな、物々なのには好きでしたけど、やっぱりネタ詰まりになりやすい。一回でいっぱい使っちゃうんで。なかなか難しかったかなっていうのもあったりしたけど、それなりに楽しんでやってきたかなと。
たかちん あれはクイズを答える方もヒヤヒヤしながら。 そうなんですよね。僕のターンっていう形でやってたけど、割と咲夜さんの負担が大きかったり。あとね、近代文学の夕べも、一応もともとは僕のターンとして始めたんですけど、半分咲夜さんの朗読なんで、申し訳ないなと思って、そこは僕のターンって計算にはしないように書いたりしたんですけど。
たかちん あれもでも、20分程度の朗読っていうことから作品を選んでいくってなると、なかなか選択肢が難しいってところもあったりした。
たかちん そうですね。 そこ行くと、切り方にもアプローチによりますけど、何の日本史でしたっけ。大体の日本史か。大体の日本史は割と切り口とか変えたりとかすればいろんな時代の話ができたり。
たかちん 要するに、いわゆる歴史として一般的に出てくる政治史みたいな部分と文化史と二通りあって、日本史なんで日本史の縄文時代から現代までっていう話になるんでしょうけど。
たかちん 最近ネットで見たやつで、何々時代っていう言い方があるじゃないですか。室町時代とか江戸時代とか。近現代のところって、わりと明治時代、大正時代、昭和時代、平成時代っていう言い方になると思うんですけど、たまたま見たサイトは東京時代っていう表記になってて。
たかちん だから明治以降。あれって基本的には政治の中枢がどこにあるかで表現されてるので、古墳時代とかより後はね。
たかちん だから奈良、奈良っていうか平安ぐらいからか。政治の中心地を指してるっていうふうになってくんで、そういう意味で言うと東京時代が正しいっちゃ正しいのかなって思ったり。
たかちん ただね、やっぱり戦前と戦後で分ける方が歴史的に見ると正しい気がするんですけどね。政治対政治対が変わってるんでね。何てことを思ったりもしたっていうのもあったり。
たかちん あともうこの話と離れてて完全な雑談なんですけど、なんか人から質問されて答えたことで、なんか体験としてちょっと面白かったことを今日たまたま思い出した話をするんですけど。
たかちん 競争馬っているじゃないですか、競馬の馬ね。競争馬って数え年なんですよ。つまり生まれた年が、生まれた時にすでに1歳で、お正月に1歳年を取る。これって江戸時代までの人間の年の数え方も同じなんですけど。
当時競馬場に競馬を見に行ってる時に聞かれたんですよ。これ同じタイミング?競争馬、競馬界が現実に何歳から年を上げてるか知らないけど、たぶん正月だと思うんですけど。
正月に年を上げるっていう統一の仕方って、いわゆる早生まれ遅生まれ的問題として、不公平じゃないかって言い出したのね、その一緒にいた人は。
だからよく学校、人間の話で学校の話で言うと、例えば4月生まれと3月生まれって、ちっちゃい子は特に一切、事実上一切違うみたいな感じになると、成長具合が違うとかっていう話あるじゃないですか。
っていう風な意味で、不公平じゃないかって言い出したのね、そのたまたま一緒にいた人が。で、僕はそんなこと考えたことなかったんだけど、即答で、いやでもほら、繁殖期って決まってるからさ、で言ったら、あ、そうか当たり前だ、バカな質問しちゃったみたいな反応だったのね。
疑問を持つことの重要性
で、僕はそれ、そんなにバカな質問とは思わなかったのよ。その答えが出せなかったことを恥じるほどのことではないと思ったのよ。で、似たような子と同じような感覚の話があったのが、西暦2000年に偽演説が出たじゃないですか。
で、その時に、また別の人と一緒にいた時に、なんで3000円じゃなくて2000円なんですかねって聞かれたのね。で、僕その時もそんなこと考えたことなかったけど、パッと出たのが、いや5枚で1枚になるからじゃない?って言ったら、あ、そうか変なこと聞いちゃったみたいな反応だったのよ、やっぱり。
それも別に、3枚で9000円で1枚に足りないからってダメじゃないとは思うのよ、逆に言えば。
でもやっぱりそれ聞いたほうが、聞いた恥ずかしい間抜けな質問しちゃったみたいな反応してたのが、その2回が似ててさ。
そんなでもないけどな。僕が結果即答してるから余計そう思わせちゃったのかもしれないんだけど。
でもそんな、そういう疑問を持つことの方が大事っていうか、気がしたので、そんななんか照れたりするようなことでもないのになって思ったっていう話をたまたま今日、この収録に向かう帰り道でふと思い出したんで。思い出したっていう話だけなんですけど。
すごく大事ですよね、疑問に思うことって。今の子たち本当に疑問に思わないというか。
そうなんですね。
そうなんです。今の私のクラスが本当に顕著で、1年間ずっと言い続けてきたんですけど、問題を読んで、読んでないんです、そもそもがね。
読まずに選択肢だけ見るとか、数字だけ拾って、今掛け算の勉強してるから掛け算だろうとか。で、やって式を立てて答えを出すんですけど、ちょいちょいトンチンカンなことをするので、
例えば2×3だとして、そこに60とか書いても平気なんですよ、間違えて。で、2個ずつお皿にのってて3皿分だったらいくつですかっていう問題なのに、60って書いて平気なんですよ。
で、問題文も読んでないから、例えばA君の学校までの距離がなんとかでかんとかで、計算出していって、計算途中で間違えて600kmって書いても平気なんですよ。
はいはいはい。通学路みたいな話なんだからそんな距離になるわけじゃないじゃんみたいな、いわゆる常識で引っかかるみたいなところがないっていう。
そうなんですね。それが全く引っかからなくて。とにかく問題文を読んで、続けて答えの文を読んで、違和感持たないのって聞いたらないって言われちゃうんです。
なんだろうね。なんでなんだろう。わからないね。
想像してないらしいんですよ。
なんかよくそういう話でさ、前にも話したことあるかもしれないけど、これ例えが本来のものと違うかもしれないけど、農夫のおじさんが羊とヤギを合わせて100頭飼っています。
おじさんの年齢は47歳です。羊は何頭でしょうって言うと100-47計算しちゃうらしいですよね。
そう、するんです。
何の思考なんだろうな。でも現代っぽいなとは思いますけどね。
そうですね。
ちょっと発想がゲーム攻略っぽいんじゃないかなって気がするんですよ。
そのポイントだけ。
要点を押さえて、世の中が親切なんですね。たぶんゲームとかもそうなんですけど。
必要な情報だけを与えるようにもともとしておいて、答えだけ出せるようにしておく。
100-47っていう数字があれば、もうそれは子族演算するしかないって思わせるみたいな話じゃないですか。
そういうのに慣れてるっていうことなのかなって。
引っ掛け問題とか、逆に言うと我々の世代とかはクイズとか謎々でも、引っ掛け問題っていうのを割といっぱいやってきてるかもしれないですよね。
そうですね。
そういう意味で言うと、小学何年生とか学年誌があったじゃないですか。
あれについての付録にあった、あれは謎々というかクイズというかわかんないんですけど、
イラストでね、ウルトラマンが鉄の塊と綿を右手と左手に持ってて、
問題が鉄10万トンと綿10万トンどっちが重い?っていうクイズみたいなのが出てるんですよ。
はい。
で、多分最初はそのぐらいの年頃でわかんなくて、っていうか勘違い。
っていうかあっさり騙されて、鉄のほうが重いんじゃないかなと思ったりしたわけですよ。
で、答え見て、なんだズリよって感じはしつつも、そういうことってあるんだなっていう経験をしてるんですよね。
そうですね。
で、それがやっぱりちょっと悔しいにつながったと思うんですよね。
はいはい。
そういう意味で言うと、さっき言った競馬の話と2000冊の話が恥ずかしいって思うのも、そういう意味で大事なことなのかもしれないですね。
そうですね。
そこに頭が回らなかったっていうのが恥ずかしいとか悔しいとかって思えると、次は考えるようになる。
はい。
だからお皿にリンゴが3つ乗っています。そのお皿が2つあります。
はい。
合わせていくつでしょうっていうときに、なんか60って書いて、1桁とかせいぜい10ちょいぐらいだなっていうイメージを沸かせて、
前、なんかバカみたいにでかい数字書いて、失敗したなっていう感覚が思い出せれば、変な数字出したら引き寄せるとかにつながると思うんですよね。
はいはいはい。
ある意味では、今の教育的には難しいんでしょうけど、笑われたっていう経験があると恥ずかしくて、今度は間違いないぞってなるかもしれないし、バカにされたりとか。
ただ、やっぱりどうしても現代の教育の感じからすると、笑われるとか、笑う、人の間違いを笑うとか、バカにするっていうのはそれ自体がタブーでしょうから、なかなか難しいのかなと思いますけどね。
そうですね。笑うっていうか、面白いけど、あなたは学校に来るのに600キロ歩いてくるんですかって言っちゃうんですけど、
教育の変化と想像力の欠如
みんなもね、そんなわけないしとか、頭のいい子であれば600キロもあったら東京からここまで行けちゃうよとか、想像が今度できるじゃないですか。
だけど、笑われた子、間違えちゃった子も、よっしゃ受けたくらいの気持ちでいて。
ああ、そういうことか。
いや、あの、納得しないでください。
いやいやいや、納得はしないんだけど。
その子にね、受けたじゃないからねって。
でも、そういうことなんだろうな。受ける、その辺もね、難しいよね。
あれとかとも関係してくるよね。いじめじゃなくていじられキャラなだけです。いじめられっ子じゃなくていじられキャラなんですみたいな理屈とかを通じるような、お笑い好きだけどお笑いの悪い部分だと思ってるんですよね。
はい。
受けたからいいじゃなくてっていう話?
そう、そうなんです。
先が見えてないか。子供だからしょうがない部分もあるけど。
でも、僕とか咲良さんの頃の子供の頃と感覚的に違うのは、そこがやっぱり恥ずかしいとか悔しいとつながらなくなってるってことに尽きるんじゃないかな。
そうですね。
将来のために勉強ができた方がいいなんてそんなに思ってなかったと思うんですよ、当時。
はい。
でも、間違えたら悔しいとか、検討違いな数字書いたら恥ずかしいとかみたいな感覚はあったもんな。
そうですね。
あと、算数みたいな話です。これも前に話したことあるかもしれないんですけど。
はい。
100割4割って言われると算数が苦手な子ができない話?
はい。
これは元のエピソードに話すと長くなっちゃうので割愛しますけど、僕の友達の奥さんがそういうのすごい苦手なんですよ。
ええ。
勉強が苦手って意識は元々ある人なんですよ。
はい。
で、100割4割って言うと分からないって答えるんですよ。
ちょっと考えるんですよ。
はい。
で、2ぐらいまでいって分かんないみたいになるんですよ。
はいはい。
で、旦那さんはその人の、もちろん奥さんのことだから分かってるから。
じゃあ、100円を4人で割り勘したらいくらって言ったら即答するんですよね。
へえ。
これどういうことかっていうと、100円を4人で割り勘って言われたら、半分の半分みたいな計算というか間隔はあるんですよ。
ただ、100割4割って言われたら、頭の中で割り算の筆算始めるんですよ。
へえ。
だから、2は思いつくんですよ。
頭の中でそこまではかけるから。
で、2×4が8で、この0の下で8が来てとかなると、もうパンクしちゃって諦めちゃうみたいな感じらしいんですよね。
はいはい。
で、なんていうのかな。
そういう感覚、勉強っていうことに対するアレルギーとか、
間違えるっていう、我々が感じた間違えるに対する恥ずかしいとか悔しいはポジティブな方に働いてるんだけど、
そこが引っかからないアンテナのある意味低さ、受けたからいいですんじゃう低さみたいなのは、
今の例えば逆の方向に働いてる感じなんだけど、やっぱり価値観の違いとかみたいなところで、難しいですよな。
そうですね。
例えばが思い浮かばないんですよね。
ああ。
その旦那様みたいに。
そうそう、だからその奥さんの方も、100割4って言い換えれば100円を4人で割り勘かって思えればいいだけですもんね。
そうなんですよ。
そういうことが思いつかない、そうか。
そういう置き換えみたいなこととか、さっきの通学路の距離の計算をしてるはずなのに600キロとか出ても違和感を感じないっていうのは、ある意味では想像力の問題なのか。
そんな気がします。
想像力とか発想力とかね。
はいはい。
これも教育者に言いづらい話になるけど、赤信号だからといって車が来てないのに渡らない奴はバカだっていう話もあるんですよ。
一般論の話ね。
逆がもっと怖くて、青信号だからって車が来てるか確認しないで渡る奴はもっとバカだっていう話なんですよね。
どっちも想像力とかの問題だと思うんですよ。ルールだからただ守るみたいな話。
さっきの100と47が出てきたら引き算しちゃうっていうのと通じてると思うんですよね。
そうですね。
何のためになのか、何をしようとしてるのかっていうことがわからないっていうことなのかな。
本当に何のためにはないですね。
言われてるからやるとか。
でもそれって広い意味では僕らの世代で大人にあってもあることで、今でも多分社会的にもいる。
佐藤さんの周りももしかしたらいるかもしれないけど、仕事のことなのにこうやると怒られるから、こういう手の抜き方したら怒られるからっていう発言で出るんですよね。
出ますね。
いや、怒られるからじゃないじゃんって話じゃないですか。仕事なんですから。
そう、そうなんです。
それってさっきの算数の問題でも、問題が出されてるからやってるだけっていうのと同じ感覚なんですよね。
教育と想像力
それが何のためにやってるのかとか、最終的な目的が何なのかとか、考えない人は考えないからな、でも大人になっても。
でも考えられる人のほうが絶対いいしね。
本当その、さっきの信号の話は本当にそうで、本当にそれでもその子たち、佐藤さんの教え子たち、今のままだと青信号だからっていうだけで渡りかねないタイプですよね。
そうですね。
車がもうスピードで近づいてきていても。
はい。
っていう話をしたらどうですか。想像力っていう意味で。
話はするんですよ。いろんな話をしてて、こういう時にはこう考えようとか、例えばどういうことって聞き返したりとか、考えさせようとするんですけど、結局こっちがどういうこととかどういう意味とか、聞き返さないと考えないので。
あー。
トリガーがこっち側なんですよね。自分でトリガーが引けないとか。
なるほどね。
はい。
トリガーを、説明っていうかね、教えたいのはトリガーを自分で引かなきゃいけないんだよって話をしたいんだよね、本当はね。
そうなんです、はい。
でもそれをそのまま伝えてもわかんないだろうしな。
そうなんですよね。
難しいですね。大変ですね、お仕事。
大変です。
聞いてるとね、聞いてるとってかあんまりそんなに詳しくは聞いてないですけど、子供に接してる時も大変だろうけどそれ以外が大変そうなイメージの方が強いんだけど。
そういう方々がだんだん保護者になられるとね。
なるほどね。
まあでもそういうもんですよね。一般の商売、今会社とかも含めて、ユーザーたちのクレームってわけわからんこと多いからね。
そうですね。
僕は仕事柄、区役所とか市役所とか、あるいは他のいわゆる抗議の役所に行くことが多いんですけど、いまだに僕より年上ぐらいの世代はあれが多いです。
偉い、自分が偉い、自分はお客様だから偉いみたいな、もしくは相手は公募だからしたと思ってるのかわかんないですけど、本当に存在な人っていまだにいるんだなっていうのは時々思います。
多くはなくなりましたけど、昔に比べたら。
昔は不動産関係とかだと、本当にヤバい人みたいなタイプの怖い人もいたんで、そういう人はもう偽装されてるんですけど、ただの存在な人。
役所に行って役所のルールで書いて提出しないと欲しい書類がもらえないみたいなのって、その人の道理にあってないっていくら主張したって変わらないに決まってるんですよ。
欲しいんだったら言うこと聞いてやるしかしょうがないんですよ。
例えば住民票を取りたいんだったら、言われた紙に書いて申請しなきゃもらえないんだから。
そこでいくら、税金払ってるんだから、そんなこと口頭で言ったやつをお前が書いて出してくればいいじゃないか、みたいなことは通らないわけじゃないですか。
簡単に言えば。そんなやつはいないけど。
でもそういうのと同じようなことを言ってる人って、少ないながらもいまだにいるなとかは思ったりしますけどね。
そういうののグラデーションの中で、咲夜さんにご迷惑かけてる人もいるんだろうなっていうのは想像に硬くないですよね。
大変です。
ポッドキャストの今後
さあ、こんな雑談をリスナーさんはどう思って聞いてるんでしょうか。
本当にどうしてこうなった。
やっぱり言っても、この番組って、このポッドキャスト自体って、好きでやってることなので、性格性とかが十分じゃないところとかはあると思うんですけど。
でもやっぱり、ジャンルとしてお勉強系はお勉強系だと思うんですよ。
はい、そうですね。
なので、まあまあ教育みたいな話は全然ありかなとは思うんですけど。
これ難しいとこなんですよね。これを聞いて勉強になって、それをそのまま使えるとか思われたら怖いなって部分はあるんですけど。
ジャンルとしては勉強系だなと思うんで。
なかなか難しい感じですけど、今後もね、続けてはいけるかなというところなので。
ちょっとペースがゆっくりめになりますけど、よろしくお願いしますということで。
じゃあ、今回の雑談会は終わりにしましょうか。
はい。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ごきげんよう。
ごきげんよう。