表現者としての生き方
はい、こんにちは。
私は、人生を生き生きしていれば、みんな表現者だと思っていて、
たとえ会社員でデスクワークだったとしても、
でも、何かやりがいとか、夢中になって取り組んでいたりとか、目標があったりね、
すごく前向きに仕事に取り組んでいれば、その時点で表現者だなって思うんですよね。
これが義務みたいな、自己犠牲的な感じでやっていると、
仕事をしないといけないし、会社員の方がいいし、お金必要だから嫌だけど仕事はやるみたいなね、
苦行に耐えるみたいなさ、
そういう状態だと、そういう人は表現者としては違うかなって思っていて、
私が表現者を増やしたいなって思って、
今、ヒューマンデザインっていうツールと、それに旧正規学の見方をミックスして、
あとはカードの絵を使った潜在意識にアプローチするコーチングセッションっていうのかな、
こういうのを通して、心地いい感覚に沿って生きる生き方っていうかさ、
自分にとって心地のいい生き方っていうのを、そこを進んでいけるヒントみたいなものを見つけられるガイドっていうのをやっています。
いつもこれって私にとっては、もうこれですって決まっていなくて、
たぶん次、私はこんなことしていますって言うとしたら、またちょっと違う言い方をしていると思います。
もうそれでいいって思って、言い方は毎回毎回変わってもいいって思えるようになって、
逆にこれって決めてしまうと、私は苦しくなってしまうなって思ったんだよね。
それはやっぱりヒューマンデザインとか旧正規学から見た時に出した答えっていうのかな。
自分にとって心地いい表現っていうのが、別に昨日と同じ表現じゃなくていいっていうね、
その時の口から出た、降りてきた言葉っていうのかな。
それでいいって今は思えて、でも大体の世界観っていうのは同じなので、言い方が言葉遣いが違うだけで、世界観は同じです。
ライフワークの転換
明日になったら、自分らしさで生きたい人のためのセッションですとか、
仕事とか労働とかそういう働くっていう意識を、
活動とか夢中になって取り組んでいる活動とか、あとはライフワークにマインドシフトしていくセッションとか、
あとは私の根っこの部分っていうのは、
私がこういうのをずっと気づかないで見てこなかったから、
ミッドライフっていうのかな、40代。
私の場合は38、39歳ぐらいからじわじわ来たんだけど、
ミッドライフの転換期っていうのかな、
生きやすい方に自分を持っていけるようになったんだよね。
私は仕事っていうのは、今はライフワークって言っているんだけど、
生きるレベルと生きるところとライフワークっていうのが、
割と同じお皿の上にあるような感じ。
線引きがはっきりしていないっていうか、境界線があやふやで、
それでいいって今は思っていて、
以前だったら、仕事は仕事、割り切って、
それがやっていることが好きとか興味があることとはかけ離れていても、
仕事は仕事、お給料もらえるんだから、
不安定な社会情勢とかいろいろあったから、
変に動くとまた私はさまよっちゃうから、
ここにいた方がいいっていう、そこで自分で縛っちゃって、
ずっといたんだけど、何なら定年までいくなって思っていたんだけど、
やっぱり良くなったり悪くなったりって、
自分のっていうよりは周りのバイオリズムみたいなさ、
空気感、経済状況っていうのかな、
そういうのもあるから、変に動かないほうがいいだろうって思っていて、
それでずっと割り切って、仕事が終わったら解放しようとか、
土日は仕事のことは忘れて好き勝手やろう、やりたい放題やろうみたいなね、
別にそれはそれでいいと思うんだけど、
本質的な自分と会社で貢献している自分のギャップが激しすぎると、
やっぱりどこかで苦しくなる、そういう時が来るんだよね。
今は本当にいろんな意味で自分を救えたから、
本当に自分らしさで仕事がしたい、ライフワークをしたいっていうのがあります。
これを聞いてくれている人がもしいたら、どんな活動をしているのかとか、
ライフワークはどういうのか、私は知りたいなって思っていて、
体が喜んでいるとか、本当にソウル、魂のレベルで天職ですって思っているとか、
そういう人は素敵だなって思います。
私はそこは閉まってたから、体は耳を貸さなかったんで、
めちゃめちゃ抵抗してたんだろうなって今だったら思えるけど、
当時は完全に無視して頭痛薬をお守り代わりに持っていたし、
あと夕方の低血糖に備えるアーモンドチョコレート、
これをいつも持っていないと不安というか、
そうやって体から出てくるSOSだったり、
そういうサインを完全に無視していたから、
でも一生懸命言ってはくれていたんだけどね。
これからの人生っていうのは、体が喜んで、ソウルが喜んで、
それを表現したいなって思っていて、
今はとりあえずこうやって声に出して表現するっていうのを練習しています。
だいぶマスク生活が長かった分で、
ただでさえ声で表現するっていうのを避けてたっていうか、
抵抗感があったのに、もっともっとマスクでシャットダウンしてたんだよね。
口っていうのを塞いじゃうと声なかなか出さなくなるんだよね。
あんまり話すのも控えてって言われていたぐらいだから、
マスクしてさらに声を出さないみたいなね。
今はそれを取り戻そうとしている。
もっとさらにそれまで抑え込んできた思いとか、
そういう気持ちっていうのをこうやって出していきたいなって思っています。
でも私はいろいろ自分なりに分析したけど、
こうやって話すのに間が多いんだよね。
それは私は今はネガティブに思っていなくて、
それもすごい良さっていうか、
ブワーってものすごい勢いで話されるの苦手な人もいるじゃないですか。
本人は好きでやってるんだけど、受け取る側の人ね。
私は本当に間の多いのを生かしたいなって思っていて、
波を漂ってるような感じ。
これが私の良さでもあるって思っていて、
全然ネガティブには思わないようにしているんだけど、
みんな上手だからね。
それには比較しちゃうと自分の劣ってるみたいな風に思いがちだけど、
でも言葉は好きだし、興味があるんで大切に使いたいっていうのもあるし、
思いを乗せるっていうのが、
私は単に出してるんじゃなくて、やっぱり思いを乗せるように意識していて、
だから詩とか、詩ってポエムね。
そっちの方が合ってる気がする。
そういう降りてきたことをそのまま出すっていう表現が私には合ってるんじゃないかなって思っています。
話すこともそんなにまとめないで、こんなことを話すかみたいなノリで始めちゃってるんで、
いきなり終わっちゃうし、よくわからない話になっちゃったりするんですけど、
たくさんの人に知りされたいとか思ってないから、
全然聞きたいなって、たまには聞いてみてもいいかなって思われるような、
そういう存在感でいたいなとは思っています。
そろそろ学校が終わって、一人目が帰ってくると思うんで、
私は集中モードが途切れるので、この辺で終わりにします。
では、良い一日を。