ご紹介ありがとうございます。ついでにアトミックリーディングも読んでくださってありがとうございます。
あとは、前回ノリでブックカッタリストは何々である、何々ではないみたいなのを大喜利的なものを募集したら、数千件の感想を寄せられまして。
はい、その中でも。
全部を紹介すると死ぬので、いくつかなのと、まず例えば一つ目。
ブックカタリストは油豆腐的ではないが寄せ鍋的ではある。
その心はっていうのを聞きたいんですけど、寄せ鍋的、ジャンルがいろいろあるということかな。
かなたかぴさん。
やっぱりその心をどう考えたらいいか難しいですね。
できればその心も書いておいてほしいところなんですけど。
そうですね、これはちょっと読んだけど難しかった。
あとはですね、とりてんのほうが好きさん。
ブックカタリストは大食い美食家のようなもの。
これはちょっとニュアンスはわかるかな。
言いたいことはわかる。
大変美味いものを大量に食べている人っていう感じかな。
ただたくさん食べればいいわけじゃなくて、美味しいものをたくさん食べたいという合欲の極みみたいな感じですけど、そういう感じ。
ああ、そうですね。だからブックカタリストはジャンキーではないってことなのかな。
まあそうやな、確かにそうだ。
その言い方なら何かできるような気がする。
確かに。
あとはじんさんが、ブックカタリストはバーテンダーのようである。
これもね、文学的というか解釈がいろいろあると思うんですけど、バーテンダーって二つの文脈で受け取ることが多分できて、一つはお酒を混ぜて作る人ということで、
それはなんかいろんな本の知見とかを脱線しながら、枝付けながら喋っていることがあるんで、そういう言い方もできるでしょうし、
バーテンダーってそのバーにいるテンダーは優しいですけども、人の話をうんうんと聞く、その優しさに包まれた空間を提供しているというような解釈もできると思いますけど、
どっちなのか、あるいは全然違うのかわかりませんが、これもちょっとその心はというのを聞いてみたいですね。
あ、そうだな、俺なんか勝手にバーテンダーなんだけど、ソムリエみたいなものを勝手に想像していて。
ああ、なるほどね。ソムリエという言い方も、でもやっぱりソムリエ感はあんまりないんじゃない、このブックカタリストは。
そうですね、あなたの今の気分にぴったりな本を紹介します、ではないですね。
今挙げてもらった3つ思うんですけど、全部飲食、食べる系ですよね、なんとなく。
ああ、そうですね、みんな食材と絡んでいるものですね、飲食と絡んでいる。
だから読書というもののイメージが連想する、そのメタファー空間が食事とか食べ物っていうものに直結しているんだなということを、この例えを見ながら思いましたね。
それを深読みすると、なくてはいきていけないものなんだけれども、好みがものすごく分かれているし、
超高級で敗訴なものから超ジャンキーなものまで幅広く存在しているものである。
そうですね、読書というのはそういうことでしょうね、きっと。
プリズナートレーニングとかは、ジャンキーではないけど、だいぶ高級路線とは全然違う方向ですからね。
うん、確かに。
まあ、それを満遍なく食のデパートや、みたいな感じ。
やっぱり直線的に表現しようとすると、どうしてもよく悪い。
うん、なんか安易な感じになるね。
うん、面白いね。
やっぱりソムリエではないの方が、なんかこう深められそうな感じはする。
そうだよね、うん。だからこういうここにツイートしてくれた方もいろいろ考えた結果出てきた言葉なんですよね、きっと。
うん、でしょうね。難しい。
やっぱり難しいけど、面白くて結構面白いなと思って、今後あれですね、できればそういうのがやれたらいいかもしれないですね。
思いついたらお題を作りましょう。
いいですね、はい。
毎1エピソード1大切り目標。
それは難しいんちゃうかな、まあいいけど。
まあ、お互いどっかで思いついたらっていう感じで。
そうですね、はい。
はい、ということでですね、今回は第109回。
ゴリゴがノート音楽という本を紹介したいと思います。
はい。
以前、運動のシーマとかを2回に分けて、超面白かったから2回に分けて紹介するみたいなことをしたんですけれども。
はい。
今回もそのぐらいじゃないと言いたいことが言えんなと思っていて。
はい。
多分2回に分けて紹介したいと思います。
なるほど。
で、これですね、どうやら音楽業界では今割と売れている本っぽくて。
へー。
あくまで目測ベースなんですが、最近本屋に、自分の中ではここ10年で最もわししげく通っている時期で。
必ず音楽の本のコーナーとか見に行っているんですけども。
割と多くの店で平積み的な扱いをされている。
うーん。結構最近の本ですか?
24年の10月に出た本ですね。
なるほど。
極論言ったら、あんまり出ないから平積みされているという言い方もできるかもしれないんだけれども。
まあでも人気の本屋から並んでいるという方が確率は高そうですけどね。
うん。
で、著者がですね、伊藤浩介さんという方で、新潟大学脳研究所統合脳機能研究センター準教授。
おお。
脳の機能を研究している方で、専門が認知脳科学、無心臭脳機能計測学、霊長類学。
急にわからなくなったけど、はい。
脳みその機能と認知の話と霊長類のことについてが専門であるということで、それを深読みするとやっぱり人間が音楽とか脳みそでどう感じているのかみたいなので、音楽系の本をいくつか書かれている方です。
なるほど。
で、この本は全体で10章くらいまであるんだったかな。10章くらいまであって、音楽というものが脳と音楽の関係性と言えばいいのかな。
はい。
を解き明かしていき、最終的には人にとって音楽とは何かみたいな哲学的なところにまで踏み込んでいこうと。
なるほど。
という関係の話になっていて、まずいきなりおおって思ったところが、ラスタさんはすでに答えを聞いているからあれなんですが、音とは何でしょうかって言われて、皆さんはどういうものを想像するのかなと。
もうあれですね。知らんぽしで答えたら難しいですけど、よく哲学的な問題で誰もいない森の中で木が倒れた時に果たして音がするのかという試行実験があるわけですね。
答え方はいろいろあるんですけど、音というのは人間の知覚したものでを音と言って、物理的な現象としては音波しかないから、誰も人がいないところでは音はしないという答えるのが一つの哲学的な作法の一つだという話は思い出しますね。
で、著者も多分その話を踏まえてっていうことだと思うんですけど、よくある答えとして音って空気の振動ですよねっていう言い方をされるんだけれども、それは物理現象であって音ではないっていうのが著者の言っている主張。
音とは何なのかって著者が言う答えで言うと、音波によって脳に生じる感覚である。
そしてもう一つ大事なことは、つまりそれは物理学という客観的なものではなく、人間の脳が解釈する主観的なものであると。
だから音とは何かということを研究するときに重要なのは、物理学じゃなくて心理学なんだと。
なので、基本的には心理学的な観点じゃないと音とは何なのかというものがまず考えることができないよっていう話から始まっていきます。
つまり音波を波形にして表したところで、それは音についてはあまり迫られていないっていうね、そういう分析では。
うん、そうですね。さらに言うと、これは後からもうちょっと詳しくなんですけど、音波を波形で表すことはできなかないんだけど、めちゃくちゃ情報量が多くてね、結構ちゃんと分析するのって困難で、
分からないこともまだまだまだめちゃくちゃいっぱいある。
なるほど。
で、まずいきなり何が分からないのかというとですね、音の間隔って大きく3つあると言われてるんですよね。
一つが大きさ、一つが高さ、一つが音色。
音色か、なるほど。
で、大きさというものは説明簡単なんですよ。
空気がその1秒あたり何回ぐらい振動しているのか、それによって大きさと高さは分かる。
じゃあ音色は何なのか、それ以外全部。
なるほどね、否定的にしか定義できないと。
まあそうか。
確かにでもじゃあ音色って説明してくださいって言われても、
例えばそのピアノの音色とバイオリンの音色はどう違うかは意味がないけど、
音色の音色って説明してくださいって言われても、
それ以外全部は音色って説明しなくても、
うーんまあそうか確かにでもじゃあ音色って説明してくださいって言われても 例えばそのピアノの音色とバイオリーの音色がどう違うかは言えないよね
確かにねえっと少なくともかげあのだから詩的な表現はできるんですけど はいはいはいはい
えっと科学的な表現は非常に困難でなるほどね まああの全くもって絶対不可能ではあるかというとあの100パー不可能だとは言えないんだ
けれども そのまずそういう意味でさらに言うとこの音色というやつが非常に厄介で
簡単にその理解できるものではない
えっと 数学的な話になるんですけど
あの俺が大学で挫折した風利へ変換という技術がありまして えっと
波を周波数ごとに帯域ごとに分けて音を理解するという仕組み でえっと現在だと中の電波の送信とかにも使われている非常に重要な技術だって
いう以上深くは説明できないんですが あの音の説明とか音を解析分析する時もやっぱ音波を風利へ変換してこの周波数がどの
ぐらい強の強さでなっているかって調べるっていうのがその いわゆる科学的な調べ方としてよくあるパターンなんですけど
実は音波ってくっそ難しくって音波っていうか音色っていうか音っていうか あの時間的な変化がめちゃくちゃ大きいんですよね
だから今この瞬間に この周波数の音がこのぐらい出ているという固定的な情報なら風利へ変換で音の説明は音色の
説明はできるんだけれども人間の感じる音色というのはその時間的な変化まで 含めないと感じ方が変わってきてしまう
それ例えば その
あるまあ波がグラフがあるとしてまあその一つの1個の点を分析することはできるし その1個横の点を分析することもできるけど人間の音の近くってその
波のグラフが上がったり下がったりしている全体として構成されているという感じなのかな そうですねそういう感じで例えばそのシンセサイザーとかで音作りとかそういう
ことをすると非常によくわかるんですが シンセサイザーって大雑把にそのアタックディケイなんとかホールドなんとかみたいな感じで
まずその音の強さが最大限になるまで何秒何秒何ミリ秒とかですけど何ミリ秒かかって その最大限の強さがどれだけの間持続してそっから何秒かけて弱くなって完全に
消えるのが何秒だみたいなパラメーターをいじることによって例えば音色って変わるんですよね
そのそれ以外の要素が全部一緒でも即席の音の上がり立ち上がりと立ち下がりじゃない けど消え去るパラメーターが違うだけで音色は違っ
そうあの明確にで例えば8イメージなんですけどカーンていう音がボーンていう音ぐらい になるいい
なるほどっていうぐらい音が変わってそれって単純なその瞬間最大値のその風鈴変換だけ ならやっぱりと言われた通り同じ音なんですよ
ただその最大値に至るまでにその5ミリセカンドなのか10ミリセカンドなのかでも ちょっと変わっ違う感じがするし
まず感じがするとか主観っていう言葉からをイメージされるやっぱりその 聞いていることを脳が演算しているということだよねということ演算
聞いている音に対して何 あのそのしなんとなくの仕組みみたいなのも後から話すんですけどだから8
それを無理やりみんなはどうにか共通言語として言葉にして例えばその太い音がする とか
はいなんかキンキンする音がするとかなんとか言語化はしようとするんだけれども それがさっき言ったそういう風鈴変換だけではその音の違いとかって表現できないし
なるほど超難しいことになのであのグラフを見てこれがどこがどうなったらこう太い音の 感じになるのかとかその細い音の感じになるとか
あの音楽業界だとその抜けがいい音とかそういうような表現とかもされるんですけど そうなるのかというのも8
少なくとも科学的にまだわかっていない 人間の結構感覚任せな部分がめちゃくちゃ多い
なるほどっていうそのまあ心理学がゆえの難しさでもあるんですけれども そのぐらいなんかまだまだわからんことだらけだしまあだからこそあの面白いんだろうな
ということも言えると思うしっていうぐらいまずあの音というものがその実は この音色という要素のおかげですごくわからん
っていう前提を踏まえてですね でもやっぱちゃんと知っておかないといけないのが人体の仕組みで
人間が 音波がいかにして音になるのか
でこの仕組みに8現代の音楽がなぜドレミファソラシドになっているのか 敵な部分の一端もあの
隠されていると言えばいいのかな なるほどで8
よく耳が聞こえなくな耳を家が音が鳴って音が聞こえるってあの鼓膜という言葉は よく聞くんですけども
はいなんか8もうちょっと正確なことを言うと結構違うんですよね 方
8専門用語がめちゃくちゃ多いのでだいぶ省略して説明するんですけど 空気が震えると耳の中にある鼓膜が震えます
鼓膜が震えると鼓膜につながっている自傷骨という骨が震えます はいで骨が震えると骨の中にある下牛というものが震えるようになって
下牛は骨ではないのねうん で下牛の中に大雑把に水と気があって
この気が揺れると気の揺れた隙間からねなんか 8イオンが流れ本で
その流れ込んだイオンというものが脳の脳を電気的に活性化させて 脳みそになので信号として伝わってそれが音だと認識できるようになる
か下牛は脳の外にある外ですねえっとねイメージ 鼓膜との骨がつながってて骨と下牛がつながっている
はいで下牛の中にえっと水があって揺れる その揺れがえっと電気信号になって脳に伝わる
ああ えっと耳から脳のダイレクトの配線はなくて途中ず電気信号に変換されているわけ
ねそうというか考えてみて思ったのが当たり前なんだけど脳みそが電気の信号で どうやら作用しているということは俺は知っていたんですけれども
えっと音が 脳に伝わるためには電気信号にならないといけないということを考えてい
なかった なるほどはいあそっかそのこの符号変換がいるんですよね脳内でも
そうね確かに言われてみるとで耳がやっていることというのはいわゆるその 符号変換マシーンなんですよ
そこが結構面白いところというかあの 答えを分かってしまうそらそうだって感じではあるんですけど
確かにでえっともう一個その大事なのがマイクはあの 今使っている podcast 収録なんかでも使っているマイクというものは音波をそのまま
電位に変換して記録してるんですけどあの 脳に伝わっている音というものは
当然だけど音波そのままじゃないってことなんですよね まあその途中で何回か変換変化というかクッションがあるよねそう変換されて電気信号に
変換されてしまっ 無理やり電気信号に変換してさらにその際にその
家牛が云々とかそのなんとか専門が云々みたいな変換が行われていることで その
オリジナルの音とは 感じ方が違うという表現をすればいいのか
まあそう感じ方が違うというのはちょっと難しい表現やが えっと波形をそのまま受け取っているわけではないということでとりあえず
そうですね波形をそのまま受け取っているわけではなくて何らかのその処理をなされて じゃないと受け取ることができない
っていうのが結構重要なことで でその
もうちょっとだけ細かい音が鳴る仕組みを言うと その家牛の中にですね
えっとこれはもうイメージぐらいでいいかなぁと思うんですけど なんかちっちゃい細かい
家がいっぱい生えているんです でそのその家というのが
あの低い音に反応しやすいものから高い音に反応しやすい家が順番に並んでいる というのかな
逆か高い音に反応しやすい家から低い音に反応しやすい家っていう順番に 並んでいてその低いを高い音が鳴ると
高い音に反応しやすい毛が揺れることによってその高い音電位が流れる なるほど低い音が流れると低い音電位の方が流れる
であの小ネタなんですけど 年を取ると高い音聞こえなくなるってよく言うじゃないですか
ありますねあれはですねその 毛が外側から高い音のに反応する毛が生えていて
8魔法してだんだんなくなっていってしまう機能しなくなっていってしまう なるほど
それによって年齢とともにその高い音に人間という生き物はその高い音がだんだん 生物学的に認知できなくなっていく
ということは何か医学が進んでそれを魔法したものを再生できたとしたら再び高い 音が聞こえになる可能性があるということかな
たぶん構造的にはそれはできるはずですね なるほどその専門というやつがあの確かね長類とかは再生できるんだったかな
あーなるほどで人類はそれを再生できないのでその残念ながら耳というものは消耗品で あの長く生きることを考えると結構大切に扱ってあげないといけないもの
でもある で結局そのさっき言った8音の大きさと高さっていうのはなのでさっき言った仕組みで
言うとまあまああの説明がしやすいもので 大きいをとって単純に振動が大きいということなので
毛がいっぱい揺れます でいっぱい揺れるということはそので電気がいっぱい流れるという言い方をするといいかな
その電気がいっぱい流れるからたくさんそのノームの神経細胞が発火する でそういうときはあの人間はそれを大きい音だと感じている
はいで音の高さっていうのはさっき言ったようにあの 何回空気が揺れてるかなんですよね
でその 一つはさっき言った下牛の毛の反応しやすい部分とかしにくい部分
みたいなところでこの辺がなったときに流れるでいいというのが決まっていて この辺が流れているからこのぐらいの高さの音なんだなっていうのが脳が認識できる
ようになっている でえっと結局
振動しやすできる 高さが物理的な限界があるというのか結局そのセンサーなので
確かでえっと生物的にはだいたい20ヘルツから18,000ヘルツぐらいまでの物理的振動に 反応ができているらしいです
であの耳が聞こえなくなっても つまり電気信号さえ流せればあの耳の聞こえないの種類にもよるんですけど
音って聞き取れるらしいんですよね つまり
もともと聞こえてた人が何かしらまあ廊下とかによって聞こえなくなった場合に可能 ということでねそれが何が原因かによってもちろん対処できるできないとかはいろいろ
あるんですけど あのベートーヴェンって途中で耳が聞こえなくなってしまったって有名なんですけど
なんか耳が聞こえなくなってからはなんか針金を加えてそれをピアノに当てて 音を聞くということをやっていたとも言われているらしい
何かしらその波を波を空気の振動を受け取ってそれを何かしら形で脳に伝えることができ たら音を聞くっていうのと同じ
脳現象を起こすことができるということかなのでそうです空気の振動じゃなくてそれ 針金の振動に変えてやったことでどうにか聞き取れるようになった
あと今だと骨電動イヤフォンとかが有名なのであのそれも 鼓膜を鳴らすんじゃなくて
あれもある意味直接自傷骨骨を鳴らしてやって そっからその下牛を揺らして下牛から電波を音波を
音として認識するって言う
であのさっき言った音の高さってその下牛のどの辺が揺れているかっていう 8場所符号化数学っぽく言うならば
の他にもう一つあの時間符号化という手段もありまして さっき言った音の高さって空気が1秒に何回揺れてるかで音の高さの感じ方が
違うっていう言い方を したんですけれども
つまりえっと揺れの 回数というのと空気の振動の回数というのはまあおおむね一致するはずだと
ということはそのどういう感覚でその店 電流が流れてきているのかオンオフオンオフっていう頻度によっても脳は音の高さを
認知できているっぽい なるほどただあの神経細胞が結局物理マシーンなので結構限界があって
1秒間に4,000回以上そういうオンオフオンオフみたいなことが繰り返されると 物理的な多分おそらく限界と認知的な限界とどっちなのかわかんないんですけども
その細胞がきちんとそれを理解できなくなってしまって 4000ヘルツより高い音っていうのはなんか音として聞くことはできるんだけどそれが
高い音なのか低い音なのかっていうのはだんだんわからんくなってしまう
でさらに言うとこの時間符号化っていうさっき言った1秒に何回なるかっていうことが あの1オクターブ高い音というものが
同じ音のように聞こえるという仕組みともつながってくることになる その1秒間に4,000回なるのと2,000回なるのって
頻度としてその綺麗に2倍になっているじゃないですか そうですねこの綺麗に2倍というのはあの人間要するにあんまり区別できないと
いうか さらに言うとその音色のところでもうちょっと踏み込むんですけど
音って例えばその4,000ヘルツの音しかならないということは自然界では限りなく起こり得ないんですよね
何らかの音が鳴るときって必ず他の周波数の音も混ざっていて その混ざり具合っていうのが音色の聞こえ方にも関係してくるんですけど
その 2,000の音って一般的に綺麗な音色みたいなやつって気温からの何倍の周波数っていうのが多く含まれ
ガチなんですよね そのよく言う音楽だとラが440という言い方をしているんですけども
そのいろんな楽器でラの音を鳴らしてみると 440の2倍の880があって3倍の1200いくつがあって4倍のなんとかがあって
っていう感じの周波数の音が基本的に強くなる ということはやっぱ2倍の音というのはそのオクターブ上の音というのはすごく似た音として聞こえてくる
でこのあたりが多分人類がその 2倍の高さの音というものを同じもんだっていうことにしよう
まあそれでいけるんじゃねっていうふうに考えた根拠の一つになるんじゃないのかなという 著者の話
なるほどですでさっき言ったその8 2倍になると音が高く同じような音に感じやすい
ということともう一つ後8 人類はその2倍になるまでの間をなんかドレミファソラシドっていうことにしてこう
固定値で分けてますよね西洋の今の音楽 でこれをなんでこういう基準で分けたのか
っていうのもさっき言った脳のあの音音波変換システムの構造によるものではないのか っていうのがその著者が言っている話で
さっきあの脳みその中に耳の中に毛があって 毛が揺れることで音の高さを想像しているっていう話を
してたんですけども 8
所詮物理的な物体なのでそんな精度高くないんですよね 440の空気の振動が伝わってきたからといって
その440に反応する系1本だけが反応するかというと当然そんなことはなくって もうちょっと高い音とか
もうちょっと低い音とかっていうのも当然 同時に振動してしまう
なんか8物理の数字を言うとだいたいさっき言った 振動する場所っていうのが3センチから3.5センチぐらいあるらしいんですけど
はいあのだいたいやっぱ1.3ミリ分ぐらいは必ず同時に 振動してしまう
でこの振動してしまう幅っていうのがあの人間が全音という 度と例の間の幅っていうことを決めた基準になっているっぽくって
仮に仮に100の100の波が来たときにまあ 105から95までが一緒に入れてしまうよねって言ったらその幅を一つの音にし
ましょうとして次のとこに行くみたいな感じなのそうですねなのでその幅より 狭い違いはあのほぼわからんという言い方もできるのかな
わかるそれはわかるうんで具体的にその440の音が 440ヘルツがの音が鳴ると同時にその上下55ヘルツ分ぐらい
は一緒になってしまう なるほどでこれがね近い音が近ければ近い音が鳴っているといわゆるなんかね
あの気持ち悪い感じっていうか不協和な感じっていうか あのぐわんぐわんぐわーんってなっているっていうか
そういう感覚になってくる その揺れの幅があまりにもその変な感じって言ったらいいのかな
脳がどう処理したらいいかわかんないので これが何か唸っているように聞こえるとか
なんかそういうふうに若いわからないから変な感じがするザラザラした感じがする とかもそうだし
などが今まで身につけてきたような綺麗な処理に収まらへん 音の幅ということになってくる
でこれは想像なんですけどそのエレキギターの音が歪むとかっていうのも 多分こういうことなんじゃないのかなぁと思っていて
そのすごく本来は綺麗な波でより特定の周波数だけが届いていたんだけれどもその 歪むことによってちょっと幅広い範囲まで音が鳴ってしまう
でそれが何か歪んだ荒々しいかっこいい感じに聞こえるんじゃないのかな まあ聞き慣れてくるとそうなるということだと思うけどね
聞き慣れてないと多分雑音でしかないとは思うがまあそういうふうに耳の処理が変わって くるということだろうね
そうですねあのこれはその音楽全般に言えることなんですけど結局音楽の歴史って 人類のその耳に対する慣れの歴史というか
そういうものも多いにあってまあ食の歴史とかも似てると思うんですけど 生まれたばっかりの頃って苦いものとか苦いものなんて毒なんだし
その酸っぱいものは腐ってるものの証明で そんなものをうまいと感じたら本来おかしいんですよね
確かにっていうものを人類は大体大人になるにつれてとか文化全体として その本来おかしいものがうまいと感じるようになってきている
で音楽も割とそれに近いところがあって その今でいう例えばロックとかメタルとかっていうそう歪んだ音って
多分その古代の専用人が聞いたらもうノイズ以外の何物でもない まあそうよね最近の j-pop でもやたら転調するのがあんねんけど
なんか2小節くらいで転調するのがあんねんけど それも多分聞き慣れてないと多分ものすごいノイズやけどあれ聞き慣れていくとすごい独特の快楽があるんだよねあれ不思議なことに
そうなのであれですねアイディアとか文化とかと一緒で あのいきなり逸脱したものをやられても人類はその理解できないんですね大半の人類は
じゃあ脳がついていかないということだよね要するに 脳の経験値がついていけない
なので多分音楽をその売れている音楽を作れている人はやっぱそのバランス感覚が優れていて 馴染みと新しさのバランス感覚
そう馴染みしかないとあのダサくてつまんない音 新しさしかないと何やっているか意味がわからん音
であのまあよくあるフリージャズとかが何やっているか意味わからんみたいな 言い方をされたりとか現代音楽が何やっているかわからんみたいな言い方をされたり
とかっていうのはやっぱその耳 慣れていなさすぎるから
だからわからんのは当然と言えば当然なわけねそれ結局教養の問題というよりは耳の 訓練の問題なわけだからな
まあそうですね結局好みはもちろんあるという前提であの大半は経験値で補いうる ただそれを快と感じるか不快と感じるか何とも思わないかは結局個性
なんじゃないかなぁとも言えるかな 確かにそのどういう音楽がいいとかっていうのは結局やっぱり個性ではあって
個性という言い方すると逆にその他の経験の総合値との関係性ということでね うーんそうですね例えばそのやっぱり今の j-pop とかって
コード進行的なものはめちゃくちゃ複雑になっている けれども結構多くの音楽って一時よりはシンプルな傾向があったりして
あそうよね確かにそのダンスミュージック的なものとかってわざとメリハリとかを 機械的につけずにあの超精密なリズムで刻むことがその踊りやすさの一つの
要素として重要だったりとか そのシンセサイザーって基本的には情報量の少ない
音なんですよね味で言うと雑味がないということでそれを良いとするか悪いとするか は好みなんだけれども生楽器よりは単純に情報量は少なくなりがちなもので
それが帰って楽しいと感じる良いと感じるシンプルで良い みたいなのは結果の時代によって変わってくるもので
まああと面白いのがそのやっぱシンセの音とかってシンプルなんだけど逆に現実 界にこんな音は存在しないんですよね
確か実はギターの音とかそのピアノの音とかは似たような音がなかないんだけれども そのシンセサイザーの音っておそらく人類が電気を手に入れていないと出せない
というのかな確かにそういう意味ではその情報量は低いけれどもやっぱ新鮮さという 意味では圧倒的に新しいものだっていう言い方もできるし
なるほどその音階っていうものも自然界に存在していないので まあでしょうね我々人類はだから音楽というものには即座に反応できる
これも著者が言っていてああそうだね確か音楽はなのでアートなんですよねやっぱり まあもうそうかどんな音楽でも音楽という形態がもう芸術なわけか
人類が作ったその作品神が作りしものではない 人文学の分野にやはり入ってくるもの
サイエンスではないっていう観点でもあのまあ面白がれるかもしれない でさあのさっき言ったえっと半音とか前音の話
音の高さの話なんですけどあのもうちょっと秘密があって えっとさっき言った耳の気がどのぐらい反応するかという話をもうちょっと引っ
ぱるんですけども あの反応する家の周波数の範囲というものが線形ではない
方ややこしいねあの すごい簡単なことを言うとえっと低い音は人類って区別がしにくくって
あーははははさっき言ったその毛の震える範囲っていうのはだいたい一緒ぐらい なんですけど
低い音に反応する範囲っていうのは高くなればなるほど狭くなる えっとどっち向きって言ったらいいんだろう
言いたいことはうんなのでさらにあのほとんどすべての音楽というものも たいていあの楽譜を見ると低いを取ってあの
を高幅広く音が変わっているというのが大きく音が変わっているというのか いわゆるベースがドレミっていうことはあんまり引かなく
あーはははベースは同層同 同層奥オクターブ高い道に入って層に帰ってくるみたいなことをよくやるんですけど
ギターはあんまりそういうことはやらない 確かにこれもさっき言った耳の結局区別がつくのかつかないのかっていうこと
とも絡んでくる話で低い音が度と例が同時になるとさっき言った8 すごい気持ち悪い音度が実はオクターブが違うというのは同じように感じると
言いつつそうでもないという 減少でもあるでこれ音楽の演奏とかの話とかでもこういうことを理解している
と結構便利なことがあって 特に現代の音楽とかってその高い音とかあの平気でね半音隣の音とか同時に
鳴らしたりするんですよね を度とどのシャープをコードとして同時に押してしまう
みたいなことを平然とやっていたりするんですけど 仮にそれが低い音でやってしまうとめちゃめちゃ濁って気持ち悪いんですよ
なるほどねであのもはや現代人が多分そのもちろん曲とかいろんなものはあるんだ けれども
その半音をぶつけるなんてその昔からしたら考えられないの次元が違う やばいようなことだったりもするんだけれども
なるほどです確かに であとはですねえっとまあ音の感覚みたいなものっていうのが
8この辺はし心理物理学みたいな話 あのウェーバーの法則っていう
法則がありまして マックスウェーバーさんが発見した
し心理物理学的な現象なんですけども人の人があの重さの変化に気がつくことができる ちょうど価値際というものは常に比率が一定であって
あの絶対の量ではなくて割合が変わってその変化というものが気づく 10g のものと15g のものは
重さの違いがわかるかもしれないけれども 多分100キロと150キロはそこまでわからんというかどうせ持って重くてわからんみたいな
なるほどねという感じで基本的に何かどうやら人類は重さに関してこういう その割合で変化を感じやすいみたいな法則があって
人の多くの感覚はどうやらそこが対数グラフで表現できるっぽい なるほどでただあのちょっと不思議なのが
音の感覚量っていうのはやっぱ綺麗に対数にはならなくって音の高さの変化 さっき言った耳の仕組みに従って
どうもそのやっぱ高い音の方が差が わかりやすい
それは進化論的に何か意味があるんやろうねきっと 高い方を見分ける方が生存しやすかったっていうような何かバイアスがあるんでしょうねきっとね
あれですあのさっき言った下牛の毛の揺れの話 いやだからそうなった理由
あなった理由かもうなんか意味がある低い音より高い音を聞き分けられた方が生き やす生存しやすかったんやろうなぁということをちょっと思っただけで特に
ああそうかそれはちょっと考えたことがなかったかもですね これも音楽的な話で言うとやっぱ他の音を固定して一番高い音だけ変えるとかってよく
テクニックとかであったりしてそのやっぱかっこよく感じやすいんですよね 真ん中の方変わってもあんまりよくわからんのだけど
一番上だけうまいことコントロールしてあげるとかってやってあげると あの違うしあと面白いのがこれが教育によってかなりあの
抑制されてしまうというか変学習されてしまうというか なんかあの音楽の経験がある人ほど
この1オクターブ低い度と例の違いと1オクターブ高い度と例の違いというものが同じ ぐらいの差っていう風に感じやすくなってしまう
まあなってしまうそういう風にかそれはでも揺れてる系そのが変わってないはずや ねおそらくあそうですねえと比率は常に変わらないんだけれどもやっぱ家の
毛が反応する範囲が明け毛の場合は揺れてる距離が変わるというのか はいはいはいはい
なのでその変化が感じにくくなっちまうんだけれども教育によってそこが同じであるように 認知が変わっていくとも言えるのかって言うのなるほどね
なんかそういう仕組みなんかもあったりするみたいですね で8後
最後に えっ
どうやってドレミファソラシドが作られたのか 以前オンリーツトーン会の科学で
紹介したと思うんですけどしました8ね著者はね多分ちゃうって言っているんですよ おかしくねこの人たちがやってることおかしくねっていう風に言っていて
あのまずピタゴラスのやり方で見つかると見つかるのってドレミファソラシドじゃなくて ファソラシドレミファなんですよ
なぁはっはっはっはまずその時点でなぜ我々はドレミファソラシド 使うようになったのかという説明ができない
でさらになんであのファソラシドレミファ見つけてやめちゃったのとか
とか比率で探していくはずなのに あのどの次に層を見つけて次オクターブ高いなんかが見つかったら1オクターブ下げて
もう一回探そうとかってやってたんですよね あの比率大事って言っときながらオクターブ下げるのは何で ok なのとか
ああまあ確かにであのこれは多分著者の予想だと思うんですけどこの さっき言ったピタゴラスの比率で探していくっていうのはあのギターのチューニングとかその調律の
手法として 便利なものではあるけれどもあのなぜドレミファソラシドがどれあの今
こう我々のスタンダードになっているかという説明にはなってねえんじゃねえっていう なるほど感じのことを言っています
であのめちゃくちゃ詳しく説明しようとするとめちゃくちゃ難しいので まあものすごく
ものすごくではないんだけどある程度端折りながらで説明したいんですが まあ著者がなんでどうやってドレミを
ドレミファソラシドというものが生まれたというか今のスタンダードになったのか みたいな話なんですけど
まず前提が3つ 必要2つの前提が必要になると言っています
はいさっき言ったオクターブ高い音が同じにように感じるということは脳の仕組み的な話で非常にもう これはあの ok だということにしておきましょう
これは近くの眼鏡な現象なのででこれを ok にするとその特定の範囲内だけで どうやって区切ればいいかということだけ探せばいい
のであのやり方をシンプルにできる ピタゴラスさんははみ出たら半分はみ出たら半分ってやっていた
のに対しまずは範囲を決めましょう なるほどでその上であのドレミファソラシド以外にさっき言ったファソラシドレミファ
とかレミファソラシドとかあのいろんな音の並びというものにたくさんのルールがある ということはあの認めざるを得ない
大事なのはなぜ一番有名なのがドレミファソラシドになったのか 確かにっていうことを考えていきましょう
でえっとこれは多分社会学的な版 分析だと思うんですけど
あの音楽は発展していく際にあの音楽自身が3つのことを要求していくと 一つは8
旋律のために広い音程は避けられる 要するに音は1あの
音と音の間隔というものは歌いやすくするためにあまり離れすぎていない 離れあのよっもうほとんどすべての音符
メロディーとか研究するとわかるみたいなんですけど あのどからそまで飛ぶぐらいならまだあるんですけどほとんどの音ってせいぜいどから
ミートかファーとかどドレミとかってそういうあのいきなり音を大きく飛んだりはし ないんですよねメロディーって
なるほどこれはそのまあ多分人間の認知の限界とかその身体機能の限界とかそういう もので
人類が歌いやすいものというものはある程度その 音の大きな調約というものが行われにくい
な歌唱っていう制約をもとに音っていうのは音のドレミ的なものは発展していくだろう っていう感じですね
でもう一つはあのワンさっき言ったドミソーとかそういうものが綺麗に響くことが 重要なのでできるだけ綺麗に響きやすい音というものが選ばれるはずである
どっかの適当な3つ空気た時にその3つが綺麗に響く方が人間は選択するだろうという とかですねだからど何個に区切るとかそういう意味ではなくて綺麗に響きそうなく
あの区切りをきっと見つけるはず なるほどでもう一つが同時にあの音楽というものは複雑化の欲求を持っていて
ほえっとできるだけ音が複雑なものをどんどん 現在の音楽が複雑化してきているっていうのと同じなんですけど
こう自然と複雑化してを要求する音楽というもの音階というものが増える傾向にある はいでえっとこのさっき言った
綺麗に響くと音が増えたいっていうのは相反する 考えなんですよね確かにであのここが一番バランスよく並べられるのがドレミファソラシドだったん
じゃないのかっていうのが8大雑把な説明 なるほど
でまぁもうちょっとざっと大きな流れを話すとさっき言った あの
毛がどのぐらい揺れるかで 同じような音に感じやすい感じにくいみたいなものがあって
そこから音を探していくとあのどから見た外ファっていうのが8 響きやすい非常にいい感じに響きやすい音というのかな
歌いやすいところの限界ぐらいっていうのかが外ファが見つかって でえっと
じゃあ感覚どんくらいにしたらいいかなっていう時にこの外ファよりも狭くなって しまうとなんか変になってしまうから
じゃあこの外ファの感覚というものをまず前音ということにしておこう で
そこ を元にしてですねえっと残りのどからファの感覚っていうのが
そうすると実は2.5になっちゃった どうしよっかなってで2.5空いてたらさっき言った音楽は複雑になりたがるので
もうちょっとどうにか増やしていかないと増やしていきたい でそういう感じで間の複雑な隙間を埋めていくとですね
ちょうど5個の音の音程というものが出来上がる なるほどそれがいわゆるあのペンタトニックスケールというやつ
で世界全体で見てやっぱその5音の音階って結構いろんな国にあって 日本もあの大半の音階スケールが5音で成り立っているし
あのこのぐらいで そこまで行きすぎない音楽というものを世界にはいっぱいある
でこれはシンプルで非常に便利なんだけれどもその西洋の音楽はそっからなんか もうちょっとやりたいよね
でもうちょっとやりたがって見つかった さらに言うとちょうど響くきれいな間っていうものを探してみたら
ドからファの間は1、0.5、1にしとくとうまい感じに響いた これでドレミファソラシド的な音の順番が定まった
ただあのもう1個言えるのがやっぱドレミファソラシドって7音になっちゃったから できることはめちゃくちゃ増えたんですけど
これはプレイヤー的な観点であのすごく難しくなっちゃったんですよね そのギタリストはペンタなら弾けるとかよく言うし
おそらくその楽譜の存在とかも強く関わっているんじゃないかな それはこの本では触れられていなかったんですが
ということは想像はできるかな あとさらに最後になんですけど
実はこのドレンファソラシドって最初期ではあの人気がなかったみたいなんですよ 詳しい話は次回みたいな感じなんですが
音楽とかねよくやっているとねチャーチモードとかモードっていう言葉で
イオニアン、ドリアン、フリジアン、ロクリアン、ミクソリディアンみたいな呼び方があるんですけど
その音の並びってドレンファソラシド以外の響きもたくさんパターンがあって ドレンファソラシドって歌うときと
レミファソラシドレって歌うときとソラシドレミファソって歌うときとかって その順番を変えるだけで感じ方がすごい変わるんですよ
当時そのグレゴリオ聖歌と言われる最初期の西洋の音楽ではドレンファソラシドって音の並びってあんまり人気がなかったんだけれども
現在はそれが超当たり前ドスタンダード標準になってしまった これがなんでなのかっていうと半分は次回に続く的な要素なんですけど
調整音楽という 西洋が発明した
なんていう言い方をしたらいいんだろう 複数和音を重ねることで音全体がどっちの方向に進んでいくかっていうのを表現しようとしている音楽
難しいね
と言えばいいのかな 終わった感があるとか まだ終わってない感じがするとか
そういうことがその西洋の音楽で非常に重要な音楽として 使われるようになって
C G F Cって調整音楽的な話で言うとよくあるパターンというか 1に帰ってくると帰ってきた感がある
ありますね
5にいる時はなんかそのアウェー感があって早く帰りたくなる
分かる分かる
っていうルールというか 心理学的な発明から調整音楽と呼ばれるものが有名になって
西洋音楽のスタンダードとして発展していくんですけど
それ以上詳しく今回は掘り下げないんですが
調整音楽をやる時にドレミファソラシドが一番都合が良かった
このドとファとソとシっていう音の並び順っていうのかな
これが全部あるのがドレミファソラシドしかなくて
レミファソラシドレってすると シに相当する部分が半音低くなってしまうとか
ソラシドレミファソラシドって全部綺麗にはまらない
だから調整音楽をやる場合にこのドから始まると
一番終わった感を出しやすい音楽になるから
これが選ばれたんじゃねっていうのが著者の意見
なるほど
さらに言うといわゆるロックとかファンクソウルとかも割とそういう傾向があったり
黒人のブラックな音楽全般とかに言えることなんですけど
西洋音楽というか現代の音楽理論ってまだまだ限界がありまくって
どれだけ一生懸命人類が人文学として研究していっても
まだ説明できないかっこいいやつとかって無数にあって
構造に当てはめられないことってめっちゃあるんですよね
ロックとかもまさにそうで調整音楽ではないと言われていてロックミュージックとかも
多分ラスタさんがギターとか弾かれてて感じたことがあるんじゃないかと思うんですけど
アコースティックギターで弾いてもかっこよくない曲って多くないですか
ありますね確かに
逆にアコースティックギターで弾いたらすげー簡単なのになんかすげーインカージーなる音楽ってないですか
あると思います
すごい雑な説明をすると調整音楽はギターでコード弾いたらかっこいいんですよ
モードで作られている音楽みたいなやつっていうのはそうではなくて
和音が綺麗に並べばかっこよく感じるというものではない
なのでアコースティックギターで弾いてもなんかつまんねーなってなってしまう
この本では調整音楽以上のことモードみたいな話とか基本的には触れられていないんですが
その辺もわかるとやっぱ音楽を楽しむときにどの曲弾いてみようかなとか
例えばちょっと弾き語り練習したいなと思ったときに
どう考えてもかっこよくなりようがない曲を選ぶことを避けられる
なりようがないものがあるんだっていうことを知っておくことかな
自分もロックとかをコードが書いてあるから真似しても
なんもかっこよくねーやんこれってすげー思ってたんですよね
そういうのは基本的にモードという仕組み
調整感がない薄いモードで作られた音楽
モード的な音楽みたいな言い方ができるものという感じです
次回は調整音楽これをあんまり突っ込むと
さらにマニアックな話になってしまうので
難しくなりすぎないようにしたいと思うんですけど
西洋から調整音楽というものが生まれて
それがまた心理学的にどんな作用があって
音楽というものは脳みそに対してどういう作用をしているのか