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2022-04-26 1:09:18

BC036『CONFLICTED 衝突を成果に変える方法』

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『CONFLICTED(コンフリクテッド) 衝突を成果に変える方法』

書誌情報

* 著者

* イアン・レズリー

* 『子どもは40000回質問する あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力』

* 翻訳

* 橋本篤史

* 出版社

* 光文社

* 出版日

* 2022/2/22

概要

現代は、意見の対立が多い時代である。インターネットによって、コンテキストが異なる人と交わる機会も増え、統一的な価値観が崩壊しつつあるので、すべての人が同じ意見である、という状態は少なくなっている。

一方で、私たちはそうした状況で「うまくやる」ための方法をほとんど知らない。日常的に訓練されることはないし、進化論的にそうした能力が獲得できるという機体も持ちがたい。意識的に取り組む必要がある。

異なる意見がぶつかりあう状況(=衝突)は重要である。それはお互いの価値観を明らかにし、状況を改善し、事態を一歩前に進めるためには避けては通れない状況とも言える。むしろ、異なる意見を押さえ込んでしまうと、「問題」をただ先送りにするだけでなく、完成そのものを壊してしまう可能性すらある。

お互いに率直に意見を交換できるようにすること。そのためには、以下の原則が重要だと著者は述べる。

* 原則1 つながりを築く

* 原則2 感情の綱引きから手を放す

* 原則3 相手の"顔"を立てる

* 原則4 自分の"変わっている"ところに気づく

* 原則5 好奇心を持つ

* 原則6 間違いを利用する

* 原則7 台本なんていらない

* 原則8 制約を共有する

* 原則9 怒るときはわざと

* 原則10(鉄則) 本音で語る

大切なのは、相手を「対等な人間である」と肝に銘じておくこと。自分も感情があるように、相手も感情がある。侮辱されたら理屈なんてどうでもよくなるし、自分が正しいと思うことを目一杯主張したい気持ちを抑えるのも難しい。お互いにそういう存在なのだ、ということを理解して「コンフリクテッド」な話し合いに臨むこと。

その意味で、上記の10の原則は、インターネット時代の基礎コミュニケーション技術と言えるかもしれない。

倉下メモ

さすがにツイッター歴も長いので、いまさら「ツイッターを議論のできる場所にしよう!」という夢は抱いていませんが、かといってそれがそのままインターネットを諦めることになってしまうのはもったいないなとも感じています。

文脈が異なる人が集まって、「率直な」意見交換ができる場所を作ること。

これまでは、そうした活動は「できる人はできて、できない人はできない」と割り切っていたところがあるのですが、本書で「原則」としてまとめられているのをみて、少なくともある「訓練」を経ることでその能力が身に付くのではないか、という気持ちになっています。

また、単に人を集めるだけでなく、「有益な意見交換(衝突を含む)」を可能にするためには、その場の方向性を明示する「ルール作り」も重要なのだと感じました。しばらくは、このテーマについて考えていきたいと思っています。



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サマリー

第36回エピソードのポッドキャスト『ブックカタリスト』では、「CONFLICTED 衝突を成果に変える方法」という本が取り上げられています。このエピソードでは、新しい議論の方法の必要性や対話のイメージ、日本のコミュニケーション文化における議論の欠如などが考察され、感情を踏まえた対話の技術の重要性について探求されています。また、本書では、衝突を生かすための方法とその原則について話されています。第1部では、議論の衝突を避けずに活かす方法について述べ、第2部では10の原則が紹介されています。本書では、第1章では新卒採用における企業文化の染め上げや、自分と異なるものとの接し方についての話がされ、第2章では好奇心を持つことや間違いを利用することについて、第3章ではコミュニケーションにおけるルールの重要性や感情の上手い扱い方について語られています。読者はコンフリクトを活かしたインターネットの議論のあり方について考え、好奇心を持って相手の意見を聞き、新しいアイデアを生み出す方法を探すことができます。

新しい議論の方法の必要性
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第36回の本日は、「コンフリクテと衝突を成果に変える方法について語ります。」
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今回は暮らしたのターンということで、僕が紹介するんですが、先に簡単に初心情報を確認しておくと、
出版日が2022年の2月22日ということで、ちょっと前ですね、発売されたのが。
今年のやつですね。
そうですね、出版社が公文社なんで、公文社現代古典新約みたいなあの公文社さんですね。
はいはいはい、あそこですね。
結構単行本を見るのはね、僕の中で珍しい感じです。
うん、同じく。名前はその公文社古典新約で聞くけど、他では見ないかもしれない。
で、著者がイアン・レズリーという方で、子供は4万回質問するっていう本を書かれた方らしいです。
僕はタイトルだけ見たことがあって、読んだことはないんですけど、子供の好奇心っていうのが重要だよということを書かれた本らしいですね。
結構日本でも話題になったんじゃないですかね、きっと。
なんとなく聞いたことあるかもしれないけど、少なくとも読んではいないですね、自分も。
うん、で、まあ著者はノンフィクション作家ですね。こういう本を書かれる方ということで。
で、最近哲学書とか思想書が多かったんですけど、今回はかなりノウハウ書によった本でございます。
はい。
で、一つ流れを確認しておくと、前回僕のターンで啓蒙思想2.0っていうのを紹介しましたと。
そこで、理性っていうのが個人じゃなくて、集団とかグループで捉えた方がいいよっていう話で。
その話は知ってるつもりとか、いろいろこれまで紹介してきた中でも出てきた話にするんですけども。
個人から集団へ、集合へ、グループへっていう意向になった時に、単純に人を集めたらそれで成立するわけではないよなっていう問題意識がずっとありまして。
それはやっぱり自分がこれまでインターネットを介して人を集めてきた経験からも言えることなんですけども。
人が集まっても発言が少なかったりするんですよね。
ないしは逆に荒れてしまったり。
僕の場合経験上荒れることは少ないんですけど、見る限りでは荒れてしまうパターンも場所場所にはあると。
逆に全然盛り上がらないこともあると。
こういうのは人を集めるプラスアルファは何かがいるんだろうなっていう問題意識があって。
たまたま書店の本棚を見てたらこのコンフリクテと衝突を正解に変える方法っていうのがあったんで。
これは結構今の自分の問題意識にピンポイントではないかなと思って手に取った次第です。
コンフリクトっていうタイトル、英語の印象なんですけれども。
もちろん衝突ではあるんですけど、もうちょっとニュアンスとしては深いというか。
2つのものが行き違いがあってうまくいかなくなるみたいな印象がある言葉ですよね。
確かにね。コンフリクテがあるっていう本来もうちょっと真っ直ぐであるものがうまいことねじれちゃってるっていうようなリファンスですね。
確かに単なる喧嘩とか戦争というイメージよりはそういう論理の行き違いみたいなのが言葉の印象としてはありますね。
なのでただの喧嘩というよりも、そうやってこうすれ違い、行き違いに対して何らかの解決策というかこうやったらいいよみたいなのが書かれている本っていうイメージなんですかね。
そうですね。まさにそういうとこで。帯にロンパより大切なことっていうことが書かれてて。
日本ではロンパ王とかがこういうはびこってあるんですけども。
あれって結局生産的ではないよねっていうのはみんなわかってると思うんで。
でもじゃあどうしたらいいんだろうっていうのがあんまり言語化されてないっていうか。
できる人はできるけど、じゃあできない人にそれをどうしたらいいのかっていうのをノウハウの形で伝えるものってあんまりないよなと思って、
手に取った次第で。ちなみにこの本ね、僕が行った書店では哲学不書のコーナーに置いてましたね。
それはそれでまた、まあでもビジネスじゃないってことなんですね。その本屋のニュアンスとしては。
ノウハウ本ではあるけど哲学書に置いてあったっていうのがなかなか面白いんですが、
最初に簡単にインデックス目次だけ確認しておくと3部立てになってて、
トータルで17章あるんですけど、部だけを追いますけど、
第1部がなぜ新しい議論の方法が必要なのかと。
要するに新しい議論の方法っていうのはさっき言ったように論破ではない話し合いのやり方の、
それがどんなものであるか、そしてそれがなぜ現代において必要なのかが確認されると。
第2部では生産的な議論のための10の原則。
生産的な議論のための10の原則
いわゆるこれが10原則っていってノウハウ部分ですね。
要するにここは今回取り上げたいところで。
第3部同じ部屋に留まるためにということで、
そういう本書で紹介されるような方法って難しいんだけどもやる価値あるよねっていうのが最後にまとめとして確認されるっていう流れです。
3部はさらっといきまして、1部と2部からいきたいんですが、
コンフリクテと議論とか、特に対話とかっていうのは日本でもよく使われるキーワードなんですけど、
対話のイメージっていうのがどういうのかって結構人によってバラバラっていうか違ってると思うんですけど、
本書で言いたいのは、仲良くやるための方法ではないっていうところが一番の肝なんです。
その目的が達成されればそれでいいっていうことで、
喧嘩をしようというわけではないんですけど、その場の空気を市場命題とするっていうことではないっていう方法論で、
逆に言うとそのような会話の方法、対話の方法、議論の方法って僕たちが習わないというか、
日本文化の中ではそういう教育ってほとんどないんじゃないかなと思うんですよ。
少なくとも自分は経験値も低いし、学んだ記憶もないし、
じゃあどうするのって言われたら、そういう面倒くさいことには関わりませんっていうのが今までの生きてきた方向かなと思います。
例えば学校、特に義務教育ではまず教えないですし、義務教育の中ではどっちかっていうと、仲良くやりましょう。
つまり、輪を持って唐突となしっていう、自分の考えがあっても、その場を乱すようなことがあれば言わんときましょうみたいな教育が結構多いんですよね。
クラス全員仲良くしましょうってやつですよね。
空気を察するっていうコミュニケーションのアプローチって、家庭でもわりかし多くて、あんまり家族間で意見を戦わせるっていう場面よりは、課長制度って言って目上の人に従うっていう文化的な作法と言うんですかね。
受教的な概念と相入れないんですね、このコンフリクテッドみたいなやつは。
だから、僕らが何かを学べる方法って、学校による教育か、周りの人のコミュニケーションの方法を吸収するかっていう、その2つしかないと考えた場合に、日本文化には、これさっきからいろいろ言い方変えてますけど、これに適する言葉がないんですよ。
今、僕らが言おうとしているものは、会話でも議論でも論争でもなくて、適切な名詞がない。
だから、英語で言うならコンフリクトってことなんですよね。
だから、英語にもないと。だから、コンフリクトって言うんですけど、コンフリクトを活かして話し合うための用語を持たない概念がないっていうところがあって、日本でも特にそうなんですよね。
アメリカ方式の場合は、リベートっていうのがあるじゃないですか。
リベートは、自分の意見をはっきり言うって言うんですけど、結局あれは勝ち負けを決めるわけですね。少なくともどっちの方が説得力があるかっていう、あるゼロサムゲームが行われるわけですね。
【佐藤】しかもリベートって確か、自分の意見とか関係ないんですよね。勝つことが目的なだけなんですよね。
だから、説得力とか論術力を鍛えるためにはいいんですけど、対立する意見があって、どっちか一方を決めるとか言うのではない方法っていうのは、日本でもアメリカでも明治的な用語を持たない。
つまりそれは僕らが文化圏としてそれを認識して確立してないっていうことやという、まだ持ってない技術っていうことがまず一つあって。
でもそれは確かにそうなんですよね。なんて言っていいかわからないんですよね、そういうのって。
【岡田】そうか、英語ですらなくて、だからアメリカ圏でもそんなことはみんな知らないから読んでもへーってなるし、どこの国にも実際に存在してないんですかね。
【寺田】そこは彼は学者じゃないから文化人類学的には調べてないんですけど、我々の生活圏、主要な概念ではあんまり存在しないと。
にもかかわらず、意見の異なる人と接する機会っていうのがインターネットによって爆発的に増えてますよね。
感情を踏まえた対話の技術の重要性
だから、僕らそういう未開の地に技術を持たないまま船を漕ぎ出したってわけですね。
技術どころか、その概念を持たずにそれをやろうとしているんですよね。
【寺田】だから本書で言う、現代においてこの技術が必要なのはまさにその意見の異なる、あるいはバックグラウンドの異なる人たちとコミュニケーションが簡単にできるようになっている時代だからこそ、そういう技術が必要になっているっていうのが本書の前提の一つですね。
アメリカとかで言ったら、まだ肌の色が違うとか文化が来たところが違うとかっていうので多少経験しているかもしれないけれども、日本なんかだと限りなくゼロっぽいですよね。
基本的には日本の場合は異なる意見が出た場合に何も言わないっていうところに、あるいはそのマジョリティに賛成するっていうやり方で、つまり当たり障りのない中立的な立場に立つっていうのが諸政治としてあると。
あとあれですよね、ノイズにも出てきたけど、たぶんみんなそうなっちゃうんですよね。誰かがそうやって言ったら、その意見に振られて。
たぶんおそらくそういう技術、いや違うな、方法を持たないからそうなってしまう。選択肢、コマンドがないからそこになる。
で、インターネットを見るとわかりますけど、その逆のパターンはもう辛辣な攻撃の試合。
時には人格攻撃にまで発展する意見の対立。つまり両極化なんですね。意見を全く言わないか、激しい対立ですれ違いのまま、あるいはお互い傷つけ合ったまま終わるっていう状態になっているのが現代的な状況だと。
さすがにそれはまずいだろうということで、著者はどういう方法があるんだろうと一応研究されたと。
こういう時には対話っていうのがよく持ち出されるんですよ。過去の哲学者とか思想家が対話の技術っていうのを数々出していると。
対話の技術そのものはおそらく正しいと。間違ってないだろうけど、実践できないと。理論は正しくても実践はできない。
なぜ実践はできないかというと、これまでの話に何回も出てきましたけど、人間が感情を持つからですよね。要するに。
理論と理論の戦わせ合うっていうことが前提であるならば、その哲学者の意見はおそらく機能するだろうと。しかし僕らは感情というものを持ってしまって、それが話し合いに影響を与える。
だから感情なしの人間っていうのを想定したら、成立する技術も感情があるおかげで成立しなくなる。ここを見余っているのが、そういう技術論の不足というか、現実に対応していない部分であると。
で、感情っていうのを、これは啓蒙思想でも言いましたけど、哲学者とか思想家は理性を使用するから、感情っていうのを2段とか3段下に置くわけですよね、基本的には。
でも現実は僕たちはそうではないと。逆に言うと感情っていうものを踏まえた上での技術を考えなければならないと。
啓蒙思想の話と一緒だ。
コンフリクトの技術
だから、主人が言うような議論を臨むときに、僕らは頭と心と度胸っていうのを3つ使うと。で、哲学者とかは頭の部分だけを言ってたけど、心っていう部分も加味することで新しい展望が生まれるんではないかっていう筋立てで、
確かにこれは啓蒙思想2.0と同じ見方ですよね、確かに。で、これも啓蒙思想と同じなんですけど、そういう議論の仕方っていうのは進化的に適応できないんですよね。
少なくとも人間の今まで培ってきた能力には存在していないはずの能力ですよね。
だから進化を期待してて、いずれか成長したら身につくっていうことはまず期待できない。
200万年くらい待ったらいいかもしれない。
どっちかっていうとこれまでの文化の歩みでいうと、力強い声で相手の意見を否定して自分の意見が正しいっていうことを力説できる人間が多分進化適応的だったはずなんですよ、きっと。
それはでも現代のあれには適応してるかどうかちょっと謎だと。で、さっきも言ったように文化的な訓練もない。で、生物的な適応もない。つまり何もしなければ身につかないものっていうことですね、そういう。
完全無理ゲーですね。
ここでは一応対話の技術と仮に呼んでおきます。まあコンフリクトの技術でもいいけど。コンフリクトの技術っていうのは、何もこちらから能動的に働ければ自然に身につくっていうことではないっていうこと。だから自分らで訓練していく必要があるっていうのが前提の2つ目ですね。
で、インターネットの、インターネットっていうか僕たちがなぜそういう能力を持ってないかっていうと、基本的に僕たちは身近な人たちで生活圏を組むからなんですよね。身近な人たちで組む場合って、ハイコンテキストっていう言い方をしますけども、多くを言わなくても文脈を共有してると。
長年連れ添った夫婦があれって言えば全部が通じるっていうやつですよね。
そういうことです。そういうことです。で、ローコンテキストの場合はその文脈がわからないから丁寧に自分の意図とかこういう背景を持って考えたっていうことを説明しなければならないっていう。で、例えばアメリカとかっていうのは日本に比べるとローコンテキストだと言われてますけど、でも例えばアメリカ人のコミュニティの中の会話って基本的にやっぱりそれはハイコンテキストなわけですよ、当然。
だからその真のローコンテキストカルチャーっていうのはインターネットから多分初めて生まれるもので、でもインターネットの文化ってまだ10年とか20年で全然浅いわけですね。だからローコンテキストカルチャーにおける技術っていうのがおそらくそのコンフリクテッドに対応するんだけど、まだ全然磨かれてないし鍛えられてないっていうその社会の状況がある。
でも、インターネットと現代の個人主義ですね、個人主義の兆候っていうのは価値観の多様性をもたらすわけですね。価値観の多様性をもたらすってことは、Aって言っておけば全員が賛成するわけではないっていう状況じゃないですか。
だから絶対にこれを突き詰めると、意見は対立するんですよ。対立っていうか、同意できないことが出てくる。この意見を対立せずに同意させるっていうのは要するに個人を一つの価値観に統一するっていうことですから、一応現代の流れとは逆ですよね。
インターネットによって多様な意見が出てくるかと思ったら、多様な意見がぶつかり合って対立するようになってしまって、じゃあそれどうしたらいいんだってなってしまっているっていう状況がある中で結局その技術不足、コンフリクテッドの技術不足がそこにはあると。
スタートレックにバルカン星人っていうのが出てくるんですけど、理性だけの人なんですけど、たぶん彼らはそういうコンフリクテッドはうまく使えるんですね、きっと。意見が対立しても感情がないから。でも僕らはそうじゃないと。感情を加味した上で話し合うための技術を作っていきましょうというのが、第1部、パート1の大きな話の流れです。
これは結構難しいんですよね。なぜ難しいかっていうと、さっき言った僕らが生物的にそれを持っていないこと以上に、意見を調和させる方向と相手に対立させる方向っていう2つの選択肢があったときに、これが対象じゃない、非対象であると著者は言うんですね。つまり対立を避けるとその場が良くなるじゃないですか。速攻性がありますよね。
うーん、そうか。目の前のことはそれで解決する。
でも対立した先に、すごい2,3回やりとりがあって、すごい良い意見が生まれるっていうのは長期のメリットじゃないですか。で、人間っていうのは短期のメリットと長期のメリットの比較を間違うってことで有名じゃないですか。
うん。特に目の前のエサには飛びつきやすいんですよね。
だからこの2つの選択肢は、僕ら傾向的に目の前の調和を取りがちなんですよね。
分かるというか、ほぼ全ての人生の選択はそうだった気がする。
なのでこれはだから、候補者が重要だっていうのは、こうやって理性を使わないとまず分からないし、そこの背景を教えてもらわない限り、僕らはずっとその短期、目の前の方に迎合してしまうっていうのがある。
だから、これから順の原則を紹介しますけど、言うても難しいですね、やっぱり。
しかも10個って結構多いですからね、覚えようとするには。
結構多いですけど、でも先ほど言ったように全ての要素、生物学的とか教育されてないとか、短期と長期の間違いとかってあらゆるところを含めてこれは難しいんですよ。
だから、例えば目の前の対話をしようとしてる人がそれができなくても、もうこれはごくナチュラルなこと。自分ができなくてもこれもナチュラルなことなんで、自然なことで。
意見の対立と衝突
結構ハイレベルなものが要求されてるっていうことだけはちょっとわかっておいたほうがいいと思います。
1回に1個できたら十分合格だなぐらいの意識で臨んだほうがいいぞと。
そうです。ちなみに、これから衝突をするっていうことを見出していくんですけど、当然衝突が大きいら多いほどいいっていうもんでもないんですよね、当たり前ですけど。
衝突がゼロなのも問題やが、衝突が多すぎるのも問題。つまりU字型の放物線をイメージしていただければいいです。上向きの。
ちょうどいい衝突の量っていうのがあって、目指すのはそこであると。だから衝突だったら何でもいいって針を振り切ってしまうのも間違ってるっていう点も注意ポイントですね。
どれもこれも極端に行くなっていうことですよね。
ここも多分難しいな。ちょうどいいとこに落ち着けるのも多分難しいという話だと思うんですけど。
毎日喧嘩してたら多分多いですよね。夫婦の衝突で言うならば。
衝突が何がいいかっていうと、当然いろいろあるんですけど、ブレストとかでも異なる意見が出てきたほうが活発になるっていうのは当然なんですけど、
例えばさっき言った夫婦の会話でも、難しい問題に出会った時に活発に意見を言い合って、一時的に空気が悪くなる夫婦と、そうじゃない夫婦。
お互いまあまあ言い勝手自分の意見を抑えてその場を逃す夫婦夫婦って2つ比べた時に、一見すると幸福度は後者の方が高いように見えるけど、実はそうじゃないんだと。
結局2人が直面してる問題を真に解決できるのは前者の方なんですね。
後者は結局先送りにしてるだけやと。で、一番の問題はお互いがどこに問題を感じてるのかがわからないんですね。その後者の場合は、調和勢の場合は。
言わなかったらわからない。気がかりに。
逆にショートすると相手はここに問題を感じてるってことがわかるわけですね。だからそこがわかると話し合いが一歩前に進むじゃないですか。で、お互いに黙ってるとその理解が永遠に進まないと。
これは結局夫婦だけじゃなくてチームでも企業でも同じことが言えるんですね。基本的に問題を先送りするだけで、その上に直接的に言わない不満がたまるから間接的な攻撃に出がちなんですよね。
ああ、その嫌味を言うとかっていうのはそういう現象だってことなんですね。
協力か対抗か、あるいは直接か間接かで二軸で4現象。直接的な協力、間接的な協力、直接的な対抗、間接的な対抗っていうのがあって、その最後に挙げた間接的な対抗っていうのが、
自動的攻撃って言うんですけど、相手に罪悪感を抱かせるような行為をわざとするっていう。攻撃してるわけじゃなくて、ちょっとムカつくような態度を取り続けることによって、空気を悪くするっていうような。
理性ではわかるけど、そういうのをやってしまうっていうのはすげえわかる。
こういうのが出ると、結局は場を乱さないような対応を取ってても、結局場を崩していくっていう行為が出てしまう。結局、人間が感情を持つ生物だから、これは当然出てくることなんですね。だから、そうやって思いを閉じ込めるぐらいであれば、ちゃんと言った方が問題解決にははるかに役立つっていうところが、第2章で語られるところで。
これって、すごく簡単に言えば、その馬鹿切りの付き合いだったらやっぱり帳を取った方がいいっていうふうにも言えるってことですよね。
駅でうるさい人がいて、その人は無視した方がいいんじゃないかという言い方もできる。
もちろんそこで議論することで、その人がうるさくしたら人に迷惑になって初めて気づくっていうことももちろんあるわけで。でも、その人の人生にこっちはコミットしてないから無視したらいいんですけど。
そうとすることで得られるメリットは確かにあって、でもそのコストとのバランスっていうのは考えた方がいいと思いますけど。
っていうと一定以上親しい人たちの関係において、より考えた方がいいですよっていう話ですね。
おだしょー だからある共同体チームとかを長続きさせるためには、長話よりも衝突を選ぶ選択肢を持っておいた方がいいってことですね。
衝突による成果
おだしょー 第3章が結構面白いんですけど、その衝突の効果なんですけど、ソクラテスっているじゃないですか。あれって衝突しまくってた人ですね。
客観的に見ると、ソクラ中の人に喧嘩売りに行ってたっていうイメージですよね。
おだしょー でも別に彼はそうやって議論を通して論破しようとして、つまり私はお前より偉いぞって言おうとしてたわけではないんですよね。結局のところは。
おだしょー 多分、プラトンが描くのを信じればそういうことになるんですけど。それよりも、自分たちは何かを本当に知ってるだろうかっていうことをお互いに自覚しようとしてたわけですね。
これは結構重要なことじゃないですか。
ああ、そっか。お互いに相手のことをある程度親しいのにわかっていないことは言わないとわからないから、ちゃんと口に出そう。
おだしょー 共同的な意見の対立においては、誰かが間違った側にいなければならないっていう一部分があるんですけど、これは結構クリティカルですよね。
はあ、どっちかが間違っていないといけないか。それはそういうふうにも言えるか。
おだしょー だから、意見が対立するっていう状況が生まれたときに、間違う側を引き受ける人が絶対にいると。それがソクダテスが担ってた役割ですね、おそらくは。
嫌われてしまうから、そこはでも引き受けざるを得ないと。
対立意見を出すっていう方法論として、悪魔の代理人とか悪魔の弁護人っていう言い方があるんですよ。
会議とかの方法論で結構有名なんですけど、全界一致になりそうなときに、あえて反対意見を述べる役割を担う人っていう、ある種のロールプレイですね、が悪魔の代理人なんですけど。
方法論としては結構有名なんですけど、案外効果が低いらしいんですね。
悪魔の代理人よりも効果が高いのは、ロールプレイじゃなくて、本当にその意見に反対してる人なんですよ。
それはそうでしょうね。現実界で言えば。
議論の衝突を生かす方法
悪魔の代理人として、他の参加者も、あの人は悪魔の代理人だなと思ってるから、議論が白熱せないらしいんですね。
わかるでしょうね。
なあなあで終わってしまうと。
悪魔の代理人システムは確かに、これはロールプレイやから反論してるって、反論は言いやすいんですけど、言いやすい反面やっぱり議論のトーンがダウンしてしまうと。
それよりもはっきり、信念としてそれは違うっていう人が議論に参加した方がはるかにいいと。
これが面白いですけど、拡張バイアスっていう認知バイアスがあるんですね。
自分が正しいと思ったことの、それを補強する材料はめっちゃ集めるけど、それに反対する材料から目を向けるっていう人間のバイアスのことなんですね。拡張バイアスっていうのは。
理性的に考えたらあんまりよろしくない傾向じゃないですか。
まあでもほぼ間違いなく全ての人が持っているやつですよね。
これはでも著者は逆転して捉えるんですね。これは実は進化バイアスっていうのは実は使えると。
つまりさっき言った悪魔の代理人が強いのはそこなんですね。
つまりある議論を説得力を増すために使える情報を全部引き出そうとするわけですね。手札を増やそうとするわけですね。
だから生半可な議論にならないんですよ。つまり拡張バイアスは複数人存在するとき初めて効果を発揮するんですよ。
複数人いると。
AさんがXは正しいと確信している。BさんはXが間違っていると確信している。
Aさんは自分がXが正しいと思える材料を全部集める。
あーそういうことね。はいはいはい。
その代わりAさんはXが間違っている材料は拡張バイアスで集められない。その代わりBさんがその役割を担ってくれるわけですね。
BさんはXが間違っていると思っているからその間違っているを補強する材料を全部集めてくれる。
そうすると一人ではできなかった正しいというとその正しいに対する反論が勢力的に集まるわけですね。
それは多分本当に絶対一人の人間では無理なことですね。
そうそうそう。そういうことです。
だから人間が拡張バイアスを持っているというのはむしろ議論を生かすためには便利だし、
むしろ人間が議論する動物だからそのバイアスが正直的に残っているのではないかという話はちょっと面白かったですね。
拡張バイアスはデメリットじゃなくて人類にとって必要だったものなんじゃないか。
そう。だから誰かが真剣にそれは正しいと思って言うと、真剣に間違っていると思って言うという方が一番議論が迫熱するわけで、
生半可にお互いが中途半端に賛成と反対の札を揃えるよりもはるかに高度な議論が行われるわけですよね。
それは面白いですね。人間は集団で生きることが前提になっているんだからそういう能力があった方が確かにいいですよね。
だからさっきも言った理性主義が個人として見た場合に拡張バイアスは確かに劣った話ですけど、一度それを集合的議論として見た場合にメリットとデメリットが逆転するという話は非常に面白いですね。
すごいな。
それが3章の話で、4章の話はまあいいです。例えばライト兄弟っているじゃないですか。
あれ2人で議論しながら進めたっていう話で、その2人に特徴的だったのは、相手の話を自分が言うだけじゃなくてちゃんと聞く力があったということとお互いに信頼し合ってた。
つまりこいつはちゃんと力があるって認めてた。お互いに認めてた。だから人格抗議にならなかったっていうようなところが重要で、当たり前の話ですね。
兄弟とか身近な関係で結構成功している人が多いチームというのは、そういうところにも理由がある。
おそらく最低限の信頼があった上で、信頼があるから相手の話を聞くっていう順番だと思いますけど、それができてるから全く違う意見を持ってても破綻はしないし、
その違う意見を持っているからこそ、意見をブラッシュアップしていけるっていう関係性があると。
この信頼っていう、日本で言うと最近心理的安全性という言葉がありますけど、そこの土台があって初めて成立するものっていうところが一応大切なところですね。
10の原則
これが大体一部の流れです。このようなことがあって、とりあえず議論の衝突を避けずに積極的に生かしていけるようになろうぜっていうところが第一部で、
第二部から、どうやってそういう議論を可能にするのかっていう方法を10の原則として紹介してくれてます。
これはさっきも言ったように10全部覚えるのはかなり難しいんでざっといきますけども、議論1が相手とのつながりを築く。
一番大切なところは相手の感情を認めるところであると。これが必須中の必須ですね。
たぶんコールセンターとかでもそうやと思うんですけど、相手のお客さんが怒ってたときに、自分たちの会社は間違ったことはしてませんとか言ったらもうそれ終わりなわけですよ。
基本的には話はこじれる一方なんですね。だから相手が怒ってたらその怒りをまず受け入れるっていう。
それはだからどんな話し合いでも意見が衝突するってことは、感情の高ぶりが絶対起こるわけですね。
それを、あいつは間違ってるとかバカやからって言って無視したらもうそれは終わりなわけですね。スタート地点にすら立てないと。
まず相手の感情を認めて、私はあなたのことをちゃんと見てますよ、理解してますよっていうところから入るっていうのが原則1。
原則2はそれにつながるんですけど、感情のつなぎから手を離す。
私たちは間違ってると思う人間と対峙すると、どうしてもその人の考えを正したくなるっていう一文があって。
非常にわかるんですよね。
すぐそうなる。
こういう正したい反射、反射ですね、リフレクション。正したい反射を抑えること。
つまり感情のつなぎで、自分が正しいんだっていうこのつなぎを手放すことっていう。
だから感情のつながりを作った上でこっちが正しいとせいへんっていうのが原則1と原則2。
これあれですね。事実はなぜ人の意見を変えられないのか。
これ当然ですよね。どうしてもこの考えを正したくなると思って。
だいたいよくあるんですけど、正そうとすると向こうが余計に反発するんですよ、だいたい。
ブーメラン効果っていう名前がありましたね。
そうなんですね、やっぱりそうなんですねってつながこっちに来る人はまずいないんですね。
だいたい向こうのつなも強く引っ張り返されることになると。
そうか、テクニックとしては似てそうですね。
あの本に書いてあった話と。
同じだと思います。
原則さんが相手の顔を立てるってことで、相手の立場とか、あるいは置かれている状況とか、あるいは尊厳を傷つけないっていうことですよね、ここは。
メンツを立ててあげるみたいな。
飲食店とかでアルバイトを厨房じゃなくてホールで起こっている店長とかがいますけど、あれはダメなわけですね。
今の感覚で言ったら当たり前だろうっていう気がするんだけど。
そういうのはだからお互い2人っきりでそういう会話を起こるときはするとか、相手の尊厳を傷つけるっていうことを極力、絶対避けるっていうことですね。
原則4がちょっと面白くて、自分の変わっているところに気づくってことなんですけど。
この変わっているところっていうのはつまり、お互いに住んでいる文化が違うよねっていう話なので簡単に言うと。
例えば僕が当たり前だと思っていることは、相手にとって当たり前じゃない上に、世界にとっても当たり前じゃないってことがほとんどじゃないですか。
頭ではわかります、それは。
で、例えばこの本はアメリカで書かれていて、アメリカで書かれているアメリカ人の想定があって、アメリカ人の文化っていうのが。
あと例えば心理学の実験とかでは、要するに大学生ばっかりが実験対象にされていると。
で、ワイヤードな人っていうのがあって、ウェスタンエディケイテッド、インダストルメント、リッチ、ドメスティックと。
インダストリアライトとかな。
インダストリアライトで。
要するに西洋の白人の人々が、わりかしカルチャーで主軸になってますけど、世界人口って言うと15%らしいんですね。
圧倒的少数ですよね。圧倒的少数ですね。
で、例えば彼らの文化において当たり前と思っていることが、世界の75%では当たり前じゃないわけですね。
で、自分の当たり前が世界の当たり前だと思っていると、さっき言った相手が間違ってると思う心が発動しやすくなるわけですよ。
自分のやってることが正しいと思うわけですから。
でも自分のやってることも特殊の一例でしかないと思えば、さっき言った相手を正そうっていう気持ちがかなり減ると思うんですよ。
だから、相手の文化を尊重するというよりも、自分の文化の特殊性に気づくっていうことですね。
そうですね。これに関して言うと、それでちょっと思ったのが、結婚した最初の1年ぐらいがすごく勉強になった感じがして。
自分の生活の中での当たり前というものが、こんな些細なことで違って、こんな些細なことでちょっとイラっとくるんだなって思って。
あれイラっときますよね。なんか知らんけど。
朝起きた時にポットにお湯を満タン入れて沸かしているのを見て、そんなんイラんやんって思ってたんですよね。
それはお互いの話で、今は習慣としてなくなったのかな。別にそんなことが大きなデメリットになるわけではないことは頭ではわかるんですよね。
ただ自分の習慣と違いすぎて、それ意味なくね?って思ってしまうことに、感情が反応していたりして。
感情が発動するんだよね。自分にとっての当たり前イコール世界のルールみたいな認識が人間に。実行中心的な世界像っていうのかな?があって。
それを持っている限り、相手の言動一つ一つに苛立ちが生まれてしまう。感情が起きてしまうので。
極力それを怒らないようにするために、自分の特殊性に気が付く。
当然、自分の特殊性に気が付けば相手の特殊性にも気が付けるんで、ようやくそれでちゃんとした対等の立場に立てるっていうかな。
文化の違いに気づく
私正しい、あなた間違ってるっていう構図からようやく抜け出れる。
その極力さんのやつも、例えば言わないとわからないじゃないですか。
なんでそんなイライラしてるのって言われる状況がよく起こるんですね。
お互いにね。
だからそういう文化圏の違いにおいて、ちゃんと言うっていうことで初めて気づけるっていうことはあるでしょうね。
そうですね。文化の違いで言うと、本当に大したことない話なんですけど、
倉下さんのうちってカレーを作るときに肉って牛肉入れますか豚肉入れますか?
それはないカルチャーよ。スーパーで安かったやつを入れるカルチャーよ。
一般的に関東、東側は豚肉を入れることが一般的で、西側は牛肉を入れることが一般的なんですよね。
そのことでもね、喧嘩ではないけれども結構議論になって。
分かる分かる分かる。
カレーを買おうとして牛肉を買おうとして、えーって、なんで牛肉を買うのっていう。
夫婦レベルで、しかもその些細なことですがあるんですよね。そういう、いさがいと言うじゃないですけど、その意見の食い違いというか。
お互いにね、本当にそれが当たり前だと思っているから、譲りようがなかったんですよね。
そうですね。結局だから、そういう経験、初めて結婚っていうイベントで初めて多分、他の文化と交流できるというか。
だから、それをしないとほとんど起こらない。日本の場合ってよく新卒採用じゃないですか。
新卒採用と企業文化
新卒採用ってことは、つまり何の文化も持たない社会人を企業文化に染め上げるわけじゃないですか。
だから便利なんですよね。こういうコンフリクトを起こらないようにする仕組みとも言えるかもしれない。
一生その会社に勤めたら、その人にとっての仕事の流儀っていうのはその文化の流儀とイコールで。
でもそれは、どこがその企業のもので、どこがそうじゃないのかっていうのは、そこの企業に勤めてるだけでは絶対わからないですよね、結局。
だから、やっぱり日本ではね、多分自分とは異なるものとの接し方っていうのがね、あんまり開発されてないんでしょうね、そこは。
あったな、それ絡みで言うと、友達がその会社がね、割とブラックだったんだけれども、その会社にいると、それがブラックだと言うことに気づけなくて。
その後から同級生と会って話したら、ここはやべえってことに気づくことができて、その辞めたっていう話を聞いて。
それもだから新卒採用なんですよね、その人は。
好き放題できちゃうわけです、新卒採用の場合は。
だからやっぱり自分の変わっていることに気づくっていうところは、そういう差異、違いに敏感になるっていうところでもあるでしょうね。
それが原則5と結構つながってて、好奇心を持つっていうのが原則5なんですけど、知らないものを見ようとする力ですね。
これがないと多分、自分の変わっているところにも気づけないと思うんですけど、好奇心を持つっていうところで重要な一文があって、
頭のいい人はたとえ自分の信念が間違っていたとしても、正しいと裏付ける理由を探すのが得意だと書かれてて、これはまさにその道具なんですよね。
頭がいい人ほど間違ったときにズブズブハマるんですよ、これ。
格小バイアスもそうだし、オウムの信者の人たちは高学歴な人たちが多かったとかっていう時によく言われてましたよね。
だからね、その学びたい知らないことを知っていく気持ちっていうのがないと閉じこもりがちになると。
で、自分の変わっているところにも気づけない。そうなると、自分は正しいと思って相手を否定しにかかるっていう悪循環がずっと回るわけですね。
だからこれ原則に分かれてますけど、なんか一つのメッセージは多分一緒なんですよ。その通天するものは。
たぶんその繋がっているものは相手の尊重っていうか、全部そういう話ですよね。
そういうことですね。相手に興味を持つためのその何か方法論みたいなところで、それを10というか正解は9なんですけど、に分割しているっていうところですね。
だから全部10、全部覚えなくても、今ここで語られているニファンスが伝われば大体OKです。
原則6が間違いを利用するって言って、こう会話してて何か謝った、失敗した時に素直に謝ることで、実は感情的結びつきが生まれやすいっていうのがあるんですよね。
それは何か心理学的なテクニックとかで何か聞いたことがあるかも。弱みを見せるといいとか。
逆に弱みを見せないようにすると自分が強くなろうとして、相手より優位に立とうとしてしまうから、これも良くないわけですね。反対の方向に行ってしまうと。
原則7が台本なんていらないっていう話で、このポッドキャストも台本なしでやってますけど、ステートフルとステートレスっていう対比概念があって、ステートって状態ですね。
状態があるのと状態がないの。ステートレスってどんなのかっていうと、チャットボットみたいなもんですね。相手が最後の文だけに反応して反射を返していくみたいな感じ。
文の連鎖があるだけで、要するにチャットボットってこれまで何を喋ってきたかって覚えてないわけじゃないですか。おそらく。覚えてないわけじゃないですか。
人間の会話って状態を保存してるわけですね。その状態を保存するっていうことは、結局台本ありきじゃないってことなんですね。
コミュニケーションのルールと感情の扱い方
台本ありきっていうのは、要するに書いてある文を一文読めばいいだけじゃないですか。ごく簡単に言ったら。
ここまでの議論で何を喋ってたかっていうのは、基本的に無視されてしまうのが台本っていうこと。本書でいう台本っていうこと。
でもそうじゃなくて、相手が言ってきたことに注意する。どういう感情で言ってきたかを注意して見ていくっていう態度を取るっていうのが台本なんていらない。
作れないですよね、台本っていうのは。対話とか議論において台本は作れないんで、これはもう台本を作ろうとしないというよりは、相手の目先の一部に反応しないっていう捉え方でいいと思いますね。
俺、ブックカタリストで台本は用意するんですけど、ラシタさんがそういうのをぶっ込んだ質問をしてくるから、台本だけあっても足りないですからね。
結局、この台本って要するに僕が何と答えるかでまで書いてあることですね。
それはね、ここでこういう質問とかってね。こういう質問が欲しいとかって書いたりはしないですよね。
だから相手がぶっ込んだこととか、本題からずれることを言ってきたとしても、そこを踏まえてちゃんと受け取っていくっていう姿勢っていうのを持とうということだと思います。
原則8が、制約を共有するということで。ここはね、難しいところ。2つ話があって。
インターネットで質問するCMV、何の略かちょっと忘れました。CMVってサービスがあって、これってどういうことなんですかっていう質問をするときに、
一つの注意事項として、そういう考えを持つに至った動機というか、歴史?背景か。背景を一緒に書きましょうっていうルールがあるらしいですね。
だから、私はこれこれこれでこういうことを遭遇してこう思いましたっていう。で、これはこういうことでいいんですかみたいなところまでを全部書きましょうと。
最後の部分だけ見てたら、なぜ彼がそういう疑問を持ったのかがわからないから、答えも難しくなるじゃないですか。で、その背景まであると答えやすいっていう。
そういうルールが設定されていた方がいいということで、これね、このルールの話なんですね。ここがね、僕が一番本書の中で参考にしたところなんですけど。
インターネットでフラットな関係っていうと、自由に発言するっていうのが望ましいと僕は思うんですよ。自由に発言するということで一番大切なのは、ルールを設けないっていうことだとずっと思ってたんですよ。
なので、僕はコミュニティとか作ったときに、自由に発言してくださいってだけ書いてたんですね。で、結局それで活発な議論が行われたかっていうと、ノーなんですね。
自由に発言してもらうためには、ルールを作らないことじゃなくて、むしろルールを作ることが必要やとこの章では提示されてるんですよね。
で、僕はね、例えばインターネットの場で誰かを人格攻撃しないでおきましょうみたいなことを言うのは幼稚くさいと思ってたんですよ。
わかる気がする。そんなことダサいから言いちゃくないっていう気持ちもわかる気がする。
そんなのみんなわかってるでしょ、大人ながらって。そんなこと言うのはむしろパターナリズムじゃないかぐらいに思ってたんですよ。
でも本書が言うには、ルールが重要なのは、人が許可されていることと禁止されていることについて教えてもらわなければならないからではない。
守るべき枠組みの中で意気込みを表明する方が安心感が得られるからだって書いてあるんですよ。
つまりこの場でこういう発言をしていいっていう方向づけがなされていること、つまりある種の制約がある方が発言しやすいという話があって、
あ、そうかと。そこは全然僕の中で盲点でしたね。
今までルールを決めない方がみんなが自由に発言できるかなと思ったんですけど、むしろ逆に、
こういう発言が先ほど言ったように、考えを書くにはちゃんと背景まで書いてくださいって書いた方がみんな発言しやすいっていう、
安心して発言できるかという気持ちがあるんだなっていうことを1ミリたりでも思ったことがなかったんで。
おそらくなんですけど、文章を書くときに型があるとそこにはめて話しやすいというのと似ているような気がして。
本当に自由だとこれでいいのかなっていう疑問が湧きやすいらしいんですよね。
たぶんそこにエネルギーがいるんですよね。それでいいのだろうかっていう。
そうか、その認知資源が消費されてしまうから。
でもここはこういう投稿が歓迎されていますよっていうのを空気じゃなくて名文化しておくことで、
あ、そうか、これは書いていいんだっていうのが生まれやすいっていうのがあって、
あ、そうか、ルール制度が今まで甘かったんだなということに。
僕の作ったコミュニティの中で一番成功してるのはカーソルなんですけど、
カーソルってハイコンテキストなんですよ。
今までお互いに書いてきたブロック記事はもう全部読んでるぐらいの間柄の人たちでやってるから、
空気感が共有されてるから成立するんですね、そういうルールを明示化しない方法でも。
インターネットでコミュニティ作るとやっぱりそうじゃないじゃないですか、どうしても。
普通大抵そうですよね。
そういう中でルールの明示化っていうのが、いくら自分が馬鹿くさく思えてパタナリズムっぽくてもやった方がいいと。
過剰にルーリングする必要はなくても、
人格攻撃以外のことを書きましょうとかいう一文だけでも書きやすくなるんだとしたら、
やっぱりルール決定しておいた方がいいなっていうのが、この本書の中で一番の学びでしたね。
ちょうどね、昨日か一昨日ぐらいに、勉強の哲学を読んでいて、
不自由なことは快楽の源泉になるっていうのが印象に残っていたんですよね。
すごく違うんだけど似ているなと思って、
何もかも自由になってしまうとやっぱりそれ居心地が悪いことになってしまうんじゃないかなっていうことを思って。
だから僕も自由に発言してくださいと言いながら、
あんにこれをやめておくべきっていうのがあるはずなんですよね。
もう言ってみたらあれですよね。
それを言語化できていないから自由にしてくださいとしか言えていなかったってことですよね。
そこはやっぱり改めていかなあかんなというのを思って、今ちょっとルーリングの練習をしているところですね。
ここが僕の中で一番面白かった原則8。
みんなでその場に参加するみんなで制約を共有しておくっていうところが原則8で、
原則9は結構トリッキーなんですけど、
怒るときはわざとっていう原則で、これ面白いんですけど、
怒ってはいけないわけではないと。むしろ感情の発露っていうのは良いと。
ただしそれは自分はこれから相手に対してネガティブな気持ちをぶつけるぞと意図的にやるべきであって、
感情的反応で即時的にやってはいけないっていうのが、
交渉術というんではないですけど、感情の上手い扱い方として一つ参考になるなと。
結局、怒ってはいけないっていう、強い感情を見せてはいけないっていうことになるとやっぱりフラットになっちゃうんで。
どうしてもダメなことをやった人に対して、やっぱりフラットに対応するのでは効果が薄いですよね。
それは絶対にやめてくださいっていう強い感情をコントロールされた怒りの下で発言するっていうことが効果的だっていうのが書いてあって、
これは多分対話の技術には出てこない話ですね。きっと。
難しいやつですよね。これはおそらくすごく難しい。
一応ヒントとして、自分の中にある怒りっていうのをどんなパターンがあるかを把握しておいた方がいいっていうのは、
この前回のゴリゴさんの話につながると思うんですけど、
相手を人間として信頼する
いかにのバリエーションを理解しておけば対象は抑えやすくなるっていう話が出てきましたね。
この人のむかついたのは何かを考えた上で、それを言語としてきちんと相手に伝えるというふうに言われれば大事ですよね。
感情を抑え切るのがいいという話じゃなくて、感情をうまく使えるようになった方がいいっていうのが原則9で、
最後の原則10で、これは鉄則って呼ばれてて、この1から9の一番基本となる原則かな。
本音で語るっていうところがあって、当然ですよね。
当然なんですけど、つまり、好奇心を持つっていうのも、好奇心を持ってるかのようなセリフを言うっていうことではあってはいけないっていうことなんですね。
あーむずいなー。すげーわかるけどむずいなー。
よく企業とかでコーチングのトレーニングとかがあるわけですよ。マネージャーやとね。
そういう人たちの話を聞くと、コーチングで受けた訓練の発言をしてあるなってすぐわかるんですよ。
それで気持ちのつながりが途絶えてしまうんですよね。
あーこの人は俺に興味があるんではなくてっていうことなんですよね。がバレる。
ここまでのことは全て技術としてやるんじゃなくて、自分の心の中の本当の方向性として出さなければいけないっていうのが原則中で、これが一番難しいんです。
だってどうやって好奇心持てばいいのっていうのは書いてないですよね。
わからない。それはやっぱりそうノウハウ化できるものではないですよね。
好奇心の持ち方そのものをノウハウ化してしまうのは結局相手に関心を持たないということですから。
人生の結婚相手だったら好奇心はナチュラルに持てると思うんですけど、会社の同僚に必ずしも好奇心を持てるかって言われたら全く自信はないどころか。
俺どうやら客観的に見ると、人に好奇心を持つ力は相当低いらしくて、むずいですよね。どうしたらいいのかのヒントが見えてこないと難しいですね、ここは。
だから好奇心に関して言えば、お互い自分のカルチャーを特殊と捉えて、相手はどんなカルチャーを持ってるんだろうという目を向ければ好奇心は持てますけど、
これもノウハウ的に捉えるというより、目の前の人間を見た上で捉えた上でそれが出てきたら最高ですよね。
そっか、でもこの人は何でなんだろうって、ちょっと考え方を変えればナチュラルに出てくるのかもしれないですね。
ゼロではないね。だから結局全ての原則っていうのは相手を一人の人間として捉えようっていうことなんですよね、要するに。
まあ結論だけを言うと、本の書いてあること全部普通やんっていうところに戻ってきますよね、やっぱ。
たださっきも言ったようにやっぱり議論が起こった後、感情が高ぶった後やとこういうのってもう全部焼却されてしまうんで、頭の中から驚くぐらいに。
なので議論になる前から心がけておくっていう、なるべく思い出しておくっていう、できればノートとかに書いてっていう、手帳とかに書いてっていう、思い出せるようにしておくことが望ましいかなというところが重要な原則で。
第3部は同じ部屋に留まるためにっていう話があって、やっぱりね、そうは言っても難しい人っていうのがいるという話ですね。
その難しさっていうのは例えば意見が異なっているから難しいということではなくて、つまり簡単に言うと盲信してる人にはもう無理やっていう話ですね、簡単に言ったら。
こっちの話を1ミリも聞くことがない、改革をつきで洗脳されてる人には、おそらくはこれらの手を尽くしてもおそらくは無理だろうけども、
でも結局やってみないとわからないんですか、その人がそこにいるかどうかっていうのは。だから初めから諦めてはいけないっていうところはあります。
【佐藤】まあそうですね、諦めたらいかんのはそりゃそうですね。
最初はとりあえずチャレンジしてみて、何回かやって無理やったらそれは無理かもしれないけど、でもその人が無理かどうかっていうのを先に決めるって結局先入観というかステレオタイプでしかなくて、その人を見てないわけですから。
その見た上でやっぱりダメだったっていうのと、とりあえずチャレンジしてみるっていうその気持ちを持っておくことが重要だなっていうのが第3部の話で、そこは実践における大切なポイントではありつつも、
この1から10の原則をどれだけ実生活に入れ込んでいけるのかっていうのが一番の課題でしょうね、この本書の。
でもまあ、おっしゃってることは恐らく正しくて、このコンフリクトっていうのをどう活かしていくのかっていう上で、
インターネット上での議論のコツ
実はそのノウハウよりもまずその相手を人間として信頼して話を聞く態度を持つっていうところから始めるっていう。
で、ショートすることを恐れずに自分の意見を言うっていうところができたら、結構インターネットも良いとは言いませんけど、なんか生産的な議論が出てきそうな気はしますね。
なんか難しいなと思うのが、さっき言った大体ツイッターでのやり取りって、駅でうるさい人を怒る。
それで、こいつ論破してやったぜって満足しているという、やっぱ中長期を前提としていないコミュニケーションになってしまうので、そこでみんながコストをかけられるかですよね。
だからやっぱりツイッターが一番問題ではないですけど、ありがちなのは文脈不在、つまりステートレスになるんですよ。
つまりそのツイートしか見ないじゃないですか、大抵の場合って。
懸命な人はそのツイートの前後を大体確認するんですよね、その反論する前に。
そうするとステートフルになるんですよね。
だからツイッターというものでも生産的な議論は可能やけど、あのUIがそれを無しにしてるっていうところがあって。
例えばあるツイートを1個取り出したときに、その前後のツイートがナチュラルに、スクラップボックスみたいに下に出てくるとか。
そういうUIでやったら。
ツイートが出てくる。
やったかったらまたちょっと変わるかもしれないけど、やっぱりツイッター的なものが求めてるっていうのは高速でインプレッションを回していくシステムなので。
やっぱり誘導的に言うと議論がステートレスな方向に向いてるUIにはなってるなっていう感じをします。
やっぱ140文字で日本語は特に表現力高いからそこに反応してしまいますからね、それを見ているだけで。
やっぱ140字で言うと前提部分は絶対省かれてしまうんで、結論部分だけが流れてくるんで、ステートフルにはなりにくいですよね。
相手がどんな前提を持ってそれを考えたのかがわからないんで。
個人の指針としては、相手の文脈を見てから返信するっていうのはお行儀の良い方法ではありますが、そもそもツイッターで議論しないっていうのが一番いいのかもしれませんけど。
画像ツイートというのが賢い方法として確立しているのは、多少なりとも文脈を混ぜさせるためなんでしょうね。
文字数が長い方がやっぱり勘違いというか、そういうコンテキストの不一致みたいなのはいいでしょうね。
でもそういうことは別にちゃんとテキストで議論できる場っていうのが、おそらかだからNPO的なものしか出てこないと思いますけどね。
その利益を求めなくてもいい団体から出てきたらまた変わっていくのかなと。
そうですよね。
私企業が使っているサービスを使っている限りは、無理があるのは当然かもしれないですよね。
あと逆に、メタバース的なVR的なところで言うと、発言者が、人がそこにいるじゃないですか。
だからツイッターではギスギスしないんじゃないかなと僕は思いますけどね。
でも逆にさっき最初に言った、当たり障りのない意見に下がる方が増えるかもしれませんね、もしかしたら日本では。
人間の感覚としては、やっぱり顔が見える場面で正面から罵る人はいないので、そういうのをうまく取り込めるかどうかですよね。
目を張っとくとそれだけで人はいい行動をするとか。
再現性は低いらしいですが、でも人の顔の力はかなり偉大なんで、それがやっぱりVRみたいなものによって、議論が発生するかどうかを別にして、ギスギスした喧嘩っていうのは減ったら嬉しいなという気はしますね。
何にも正しくないけど、実名顔出し登録必須になればそういうことは減るでしょうからね。
異なる情報を活かす
VRもテキストなので、声っていうものが出てくるとますます喧嘩しにくくなると思いますね。テキストってフラットじゃないですか、感情が。
載ってる情報が薄いですからね、そこに。
声を聞くとやっぱり喧嘩しづらいですよ。最終的な問題解決は電話するみたいなのがよくありますけど、やっぱり声が持つ力だと思いますけどね。
例えばこの人のスタイルっていう文体みたいなのをボイスって言いますけど、要するに個性が出るんですね、声っていうのが。
個性が出たから人が感じられるってことなので、こういう場面において人が感じられるのは強いでしょうね、きっと。
人間が相手が人間で、人間の感情を目にしながら悪いこととかひどいことが言える人はそういないですからね。
結構その割合で言うとサイコパスぐらいの割合になっちゃうでしょうから。
今よりは遥かに、健全とまでは言いませんけど、もうちょっとこう生産的なものが生まれやすい環境になるかなと。
結構インターネットについて考える本でしたね、この本は。
インターネットの時代のこれからの、多分SNS時代のどうしていくかっていうことなんですよね。
お互いに意見を言わないで調和しましょうっていう方向ではやっぱり面白くないというか、人が集まっている意味がほとんどなくなってくるんで。
インターネットで人が集まりながら対立する意見の中から何か新しいものが生み出てくる作法というか、そういうのを考えるきっかけになる一冊かなと思います。
確証バイアスを集め合ってっていうのはやっぱり一番面白いですね。そうやって戦えばいいんだっていうのは。
だから確証バイアスをなくそうなんていうのはもう無理じゃないですか、人間で。そうやったら異なる確証バイアスを持ち寄ってバトルしましょうの方が遥かにやりやすいですよね。
そうですね。歴史の話でもだいたい失敗する異性者っていうのは、イエスマンしかいなくなった人たちで、還元してくれる人がいるとか、優秀な人は絶対自分を否定する人を連れてくるとかってやりますからね。
それと全く同じことが普通に言論、市民的言論の中で起こってきた方がいい。逆だから今フィルターバブルとか言われてるものはそれと逆方向ですから要するに。
ああ、そっか。だから異なる情報が見えるようにすることは大事なのか。
そこはだから、そうすることによって情報接種の効率性は落ちるけど、やっぱりその効率性が落ちるトレードオフとして得られるものってかなりでかいかなと。でもその得られるものってさっき言ったように利益の短期長期で言うと長期なので。
目の前の利益にはならないですよね。
だからそこを説得するのか、システムでサポートするのか、どういう方法をとってUFOに導くのが可能なのかっていうのはちょっと別の議題としてありますけど、でも目指す方向としてはそっちの方がいいかなという気はしますね。
Twitterがもう一回ただの時系列にしか並べられないように戻ればちょっとマシになるのかなと思いました。
かもしれない。
それはね、だから。
無駄だらけだけど。
無駄だらけ、だらけってほど無駄ではないけど、無駄が多いけど、その方が人間の知性にとって実はいいんだろうなという感じですね。
そうですよね。世の中の大体、例えば会社の同僚と話している9割は多分今日飯どこに行くとか、そういう無価値と言っていいことの方が大半ですからね。
効率化社会と非効率なもの
そうですね。そういう中で結構見えてくるものっていうのもきっとあると思うんですよね。その人の背景とかコンテキストみたいなもの。
多分、だってこの人が焼きそばが好きだなってどうでもいい情報だけれども、長い目で見たら多分違うんですよね。
そこら辺が、この効率化社会の中で消えてきているっていうのが多分一番デジタル情報の中で問題なんじゃないですかね。その非効率なものが消えていくっていうところが一番の損失でしょうね、きっと。
難しいですね。デジタルは多分効率化を進めるのに最強のツールですからね。
でもそこを逆転させる哲学っていうのが多分求められているんでしょう、きっと。
そうか。哲学はそもそも効率が良くないものなんだから。
そういう意味で言うとそうか、そういうふうに言えるかもしれないですね。哲学の価値は効率を第一にしないこと、効率を悪くすることぐらいにまで言える。
例えば哲学書一冊を一段落で要約しても何の意味もないですからね。難解さに付き合うことが哲学なわけですから。だからアンチですね、アンチ効率化ですよね、哲学っていうのは。
そうか、人文主義とかその手のことも要するにそういうのと繋がってきますね。
なかなかそうですね、やっぱ最近になって効率が正しいわけではないんだぞっていうことがちょっとずつ広がってきているという感じなんですかね。
結局効率っていうのは人を見ないですからね。数字しか見てないわけで、やっぱ人を見ないっていうことが一番の問題でしょうね。
だから人を見ないから論パーとか言って喜んでるわけですよ、要するに。
そうですね、あれ顔見えない相手に対してやることですよね。
逆にキッサテンとかで迎え入ってはい論パーとか言ったらもう恥ずかしい。
まあでも若者ならやるかもしれない。
若者しかできないですよね。
それが30過ぎておっさんになってもやるっていう感じはあるかもな、現代だと。
そこら辺がね、やっぱり顔がなくなると恥の文化っていうのがなくなっちゃいますからね、基本的に。
恥もなくなったみたいなのは最近よく見ますからね。
やっぱ恥っていうのが顔から来ているっていう哲学の思想もありますからね。
デジタル情報と哲学、顔の重要性と恥の文化
顔というものから生まれる、むしろ目指さは顔から生まれるっていう考え方もあるんで。
そうか、顔が赤くなるのも確か人間の重要な能力ですからね、恥ずかしいと思って。
そういうところで、いろいろUI含めインターネットの議論を含めて課題は多いし、さっきも言ったように、
訓練しなければこれは手に入らないものなので、もしかしたら義務教育に入ってくることになるかもしれないですけど。
でも本当にこういう訓練をしないんですよ、日本って。
訓練もしないし、文化にもない。
でも絶対にできないわけじゃなくて、例えば僕とゴルフさんできてますよね、おそらく。
できてるって言うと偉そうですけど、意識しているのはしていると思います。
そういう人たちはインターネットでいるんですよ、確かにそれは間違いなく。
でも学校で訓練を受けたわけじゃないけど、多分インターネットの霊明記のちょっとした修羅場をくぐり抜けてきたことによって身についたのかもしれないですけど。
言ってること自体は特殊なことではないですからね。
うん、特殊なことではない。ただ意識してやらないとできないことではあるっていうことだよね。
だからね、僕らでも最低限のことができるっていうことが一般化できる一つの。
訓練しなければならないけど特殊な才能はいらないっていうところだと思うね、この技術って。
訓練か、訓練してきたのかな。
訓練という言い方はちょっとあれかな、ある経験を積むことで得られる能力ぐらいかな。
いきなり、いやでもやっぱりどうかな、インターネットの2チャンネルとかブログとかを通して身についてきたこと。
たぶんいきなり最初に使ったツールがツイッターだったとしたら身につかなかったと思うけどな、たぶん。
あれなんじゃないですかね、オフ会をやればいいんじゃないですかね。
オフ会みたいなコミュニティで身についていく?
いや、あの人こんなおっさんだったんだとか。
ああ、なるほどね、人を知るっていうことか。
あの人、これで10代かマジかよみたいなことによって、ちょっとなんか人の幅広さがわかる。
ああ、だからネットの奥に人を見られるようになるっていう経験は確かにオフ会から生まれるかな、確かに。
で、今がどのくらいあるのかとかよくわかんないですけどね。
でもやっぱり、例えばこういう話し方ができると、すごく生産的、生産的って言うとあまり効率的すぎるけど、議論が豊かになるかな。
例えば僕もゴルゴさんも、違ってるなと思ったら違ってるって言うじゃないですか、何にしても。
たぶん言っていると思います。
礼儀を損なわれない程度に反対意見を述べるじゃないですか。
で、それはできた方がいいかなって普通にプロジェクトマネジメントとかにおいてもできた方がいいかなとは思うんですけどね。
うーん。
まあね、やっぱある程度お互いに長く続けたいと思っているっていうのがやっぱり大前提としてあると思います。
そうね、共通意識があってっていう。
そのね、1年でもう終わっていいやって思ったら言わないかもしれないけど。
確かに、そうやな。
やっぱそのある程度の未来に対する希望がないとこれは成立しない。
投資的な要素なのかもしれないですよね。
確かに、確かに。
どういう方向かはわからないけど、インターネット、特にTwitterとかのやり取りっていうのは不毛であることはもう論章の必要がないわけで、
何か新しい技術っていうのが開かれていったらいいなと、面白いです。
ですね。
はい、というわけで、感想や質問などがあれば、ハッシュタグ、カタカナでブック型リストをつけてTwitterでつぶやいていただけると、
訓練と経験を通じたインターネットでの議論
ゴリゴとクラシタが確認して紹介などしたいと思いますので、よろしくお願いします。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
01:09:18

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